<芭蕉ネーミングの変遷>

 「芭蕉」のネーミングの由来は弟子の植えた芭蕉に基ずくのは殆んどの方がご存知ですね。江戸に出てよりのネーム「桃青」について考えてみよう。
 伊賀に在住の頃は「宗房」などのネームで句集に入っている、江戸に出てよりは「桃青」と称し数々の句集に参加している。
 一般論では「桃」は芭蕉のルーツ伊賀の百地家により、「青」はすがすがしいもの、または語韻の良さよりつける。が、ほんとにそうであろうか?、私は芭蕉の句が江戸での初期漢詩の影響を考え、「李白」をもじったものではないかと考えます。中国における桃と李(すもも)は兄弟の木とされ、花見などの題材にもなっています(京都国立博物館による)。つまり「李」に対する「桃」、「白」に対する「青」。李白の旅、月などの題材の詩に傾倒する芭蕉のネーミングとみますがどうでしょう。芭蕉の後年の謳った「かろみ」に見えるように、遊び心、しゃれ心を持った人物と評価できますね。
 後々芭蕉は徐々に漢文調を離れ、独自の句風になり「桃青」の呪縛を逃れ、たまたま弟子の植えた芭蕉の木ににちなんだ「芭蕉」なるネーミングに進むことになったのではないでしょうか。この芭蕉なる木は葉っぱはでかく、綺麗な木とはとても言えない。つまり俳諧ひとすじで、上手な生き方が出来ない自分との共通点をこの芭蕉に見出したかも知れないですね。