2000/4/19/ |
この日、駅売りの夕刊のタイトルに、異様なモノを見つけた。 「プロレスラー福田死亡」 福田!? 新日本の、福田雅一!? ちょっと待ってくれよ。私的、将来希望の星だよ、カレ。 「東スポ」だよね!? 小さな「?」が、お尻についているんだよね!? ・・・ 事実だった・・・・・・。 |
「ニッカン」スポーツ・サイトの「バトル」コーナー、並びに「週プロ」によると、 「その」前に、すでに脳の硬膜下出血による入院、欠場を繰り返していた、とある。 しかし、長期休養を恐れ、開頭手術には踏み切れなかった、と・・・。 様子を見て、復帰。再発しては入院・・・そして、最終結果が・・・コレか! 時として、休む勇気も必要だと思う。 そう、内臓疾患から戦線離脱、果てはガン宣告まで受けた、西村修のように。 カレは、休養というには長すぎる、ほとんど半引退状態にあるが、復帰をあきらめてはいない。 完全にカラダを治し、再発もないと見て、充分なトレーニングを積んだなら、帰ってくるだろう。 「無理」と「無茶」は違うのだ。 少々の無理や我慢は感動できるが、無茶は悲しい結果を呼ぶだけだ。 いまさら、こんなコトを言っても、福田は帰ってこない。 また、どんなに気をつけても、事故は起こるのが格闘技というものだ。 しかし、再発を防ぐための、最大限の努力をするべきなのが、残された者の努めだろう。 われわれ、ファンの意識改革というものも、そのひとつだ。 レスラーや関係者にばかり、責任を押し付けてはいけない。 過激な技ばかりを求める風潮、それを作ったのは、われわれファンなのだから。 |
福田雅一。 「レッスル夢ファクトリー」に、文字通りの「大型」新人として入団。 身長188センチという恵まれた体格もあり、将来を期待される。 『神風』とのコンビは、互いの出身地から「足利エキスプレス」と呼ばれた。 また、小坪弘良も加えて、インディーを変える「新しい波」というムーヴメントも起こした。 小坪とのコンビでIJタッグのタイトルも奪取。 結果を残せた「新しい波」は、他団体もターゲットにする。 福田は、藤波辰彌の主催する「無我」に準レギュラー出場、名を売るとともに、レスリングの良さを再確認。 そして念願の獣神サンダー・ライガーとの対戦も実現。名勝負を演じ、さらに名を馳せる。 その他、様々な団体で、様々な選手と闘う。藤原義明ともやっている。 さらに、インディーでは珍しい、海外遠征。ヨーロッパを巡り、レスリングに磨きをかける。 バトラーツの石川雄規とのタッグなども、そこで経験。 そして、なんといっても彼の名と顔を広めたのは、新日本の「ベスト・オブ・スーパージュニア」参戦! 「コードナンバー188」の名のもとに活躍、高岩竜一からは、STOからの勝利も挙げた! このとき出会った闘い・・・。 藤田和之、ヘビーとの遭遇。無我の西村修・・・レスリングへのこだわり。などが、彼のその後を決める。 やがて、母団体である「夢ファク」の経営その他の状況が悪化。 彼は「次」を考えなければならなくなる。 そして、採った行動は、人々の度肝を抜いた。 |
新日本への入団!
その空きを狙わんと画策するところに、正規軍側に格闘系新ユニット、「G−EGGS」が出来るときいて、即参加。それも移籍、ではない。改めて新弟子として、である。 新日本、という選択は予想通りだったものの、新弟子からというのは、その覚悟のほどにびっくりした。 ある程度実績のある選手が、イチから積みなおして行くのはつらかっただろう。 だが、彼はそれを黙々とこなしていった。 やがて、新日本の「格闘部門」担当? の藤田和之が退団。 そしてやってくる、「ヤング・ライオン杯」。 コレに優勝すれば、「上」に行けるのだ。もう、「新弟子」でいなくてもよくなるのだ。 たぶん、この大会で、いままで封印していた得意技を、全開にしていくつもりだったのだろう。 だが、そんな彼を襲う病魔。 脳硬膜下出血。 普通なら、即入院、即手術である。 だが、レスラー人生の浮沈のかかった大会を前に、無茶をしてしまう。 いちおう、医者のゴーサインは出ていた、と言うが、どうだったのか!? |
最後の試合は、柴田勝頼とのヤング・ライオン杯公式戦。 柴田の放ったダイビング・エルボーを受け損なった福田は、受身も取れず、そのままケイレンを始める。 異常を察知した柴田は、すかさずフォールに抑えこみ、いちおう試合を成立、終了させた。 福田は、そのまま病院直行、即手術。 最後の闘いは、壮絶だったらしい。 選手で唯一、最後を看取った橋本真也によると、何度も脈が落ちて、止まりそうになるのだが、 家族や婚約者(う・・・涙)の声を聞くと、そのたび持ち直す。 そんなギリギリの闘いを、三日も続けた、というのだ。 さすがプロレスラー。最後まで彼は、闘いから逃げなかった。 だが・・・奮闘およばず、「死」をねじ伏せることはできなかった・・・。 |
多くの人たちが、葬儀にかけつけた。 その日、試合のない新日本のメンバーたちはもちろん、 福田の「運命のふたり」である、藤田和之、西村修。 元・夢ファクのメンバーたち。 大日本プロレスの社長・グレート小鹿。 ドイツで出会った石川雄規。 元・新日本の鬼コーチ、全日本の馳浩。 花束の名前に、全日本の社長・三沢光晴の名も。足利工大の先輩・後輩だそうな。 その他、意外な顔もたくさんあり、彼の人柄をしのばせる。 直接行けなかった私も、せめてここで、ご冥福を祈らせていただきます。 ページ、完成するのが遅れてしまって、ごめんなさい・・・。 |
ところで。 生き残った者のなかで、もっともつらい思いをしているのは、「最期」の闘いの相手だった、柴田勝頼選手だろう。 レスラー出身で、先ごろ引退した柴田レフェリーの息子さんでもあり、 そのデビュー戦が、テレビのドキュメンタリーで取り上げられたりもしている、期待の大器。 だがまだ、若干20歳なのだ。 自分の攻撃が引き金となって、相手が倒れ、そのまま死の床に繋がってしまったとなれば、心は穏やかではいられまい。 しかし、「その」翌日の試合後、リングを指差し、 「俺の居場所は、あそこしかねえんだよ!」 と気丈に叫んだという。 スゴイ覚悟だ。辛かっただろう。苦しかっただろう。そして、恐かっただろう。 恐らく、前の日は眠れなかったのではないか。 しかし彼は、逃げなかった。闘い続けることを選んだ。 特に華やかな前歴があるわけではない。体格に恵まれているわけでもない。 でも、その根性があれば、きっと一流レスラーに成長できるだろう。 がんばれ、柴田勝頼。福田選手の分までも・・・! |