反光害論

反光害論


1994年2月24日
光害はもちろん公害ではない。人工照明が動植物の生態を狂わさせているこ とをもって公害とはいえない。基本的に人間にとって善であれば、他の生物 を無視することが出来る。他の生物への関心は、最終的に人間の利益に還元 されることを前提にしている。フロンガスがオゾン層を破壊することによっ て紫外線が増加し、人間に皮膚癌を誘発させているのとは意味が違う。選択 の余地のない環境において、万人が受けざるを得ない人為的な行為における 被害が公害と呼ばれる。

しかし、光害は大気汚染に還元される。光を感じるのは光源からの光か、そ の反射光である以上、仮に大気中に光を反射させる物質がないなら、夜空に 向けての光線も夜空を明るくはしないであろう。また上空への光線を遮断し たからと言って、下方に進んだ光線も乱反射して夜空に向かっていく。

照明とは環境を明るくすること故に、特定の場所だけを照らす読書スタンド のようなものと、周辺を隈無く照らす防犯灯のようなものが有る。防犯灯は、 照明効率からいっても全方向を照らすべきもので、夜間の野外(屋外)照明 には基本的に環境全体を全方向的に明るくする必要と必然性を持っている。

人類は光によるシェルターを作ってきた。闇の恐怖を我々はテクノロジーで 克服してきた。夜の5分くらいの停電でも我々は慌てるのだ。光害を叫ぶ人 々も実はテクノロジーによって既に克服された闇の恐怖を忘却し、テクノロ ジーに守られた安全地帯から語っている。

星のロマンは、都会人のテクノロジーの飽和・飽食が語らせている。彼らは 真の闇の恐怖を知らない(勿論、私も知らない)。手を伸ばせば直ぐ得られ る光を所有している安心感から、闇を求めている。

古代人にとって、星の光さえ地上を照らす明りであったはずで、我々は明る すぎる夜空を持つ幸福さえ忘れている。それが自然でないというのなら、我 々はとっくの昔、火を手に入れた時点から自然を失っているのだ。

過剰なほどにテクノロジーから享受してしまった利便性を捨てられない以上、 それによって失うものも受け入れていくしかない。

我々が見ている光は、既にテクノロジーによって変換された光で、反射望遠 鏡で見る星座も、コンピュータによってシミュレートされた液晶画面で見る 星座も同じものである。

過剰な光がエネルギーの浪費で、そのエネルギーを供給するための環境破壊 は、光害とは違う文脈で語られる問題である。