八ヶ岳ジャーナル

八ヶ岳ジャーナル


1995/12/20
役所が作成しただろうパンフレットを、そのままコピーしたような記 事を載せ、清里高原有料道路を賛美・宣伝する八ヶ岳ジャーナルとは いったいなんなのか。役所の広報は広報課に委せておけばいい。ジ ャーナルという名を掲げるなら、記事を書く人間は、現場に行き、自 分の目で見て、自分の言葉で書けよ。中立公正である必要なんか全然 ない。その道路が意義があり、素晴らしいならそう書けばいい。たぶ ん、その記事を書いた人間は、現場に行っていない。

どんなに自然破壊があろうと、しなければならない開発はある。自然 なんか守らなくたっていいとさえ思っている。許せないのは、嘘とご まかしなんだ。その道路が自然環境にも配慮している(と太鼓持ちは 書いている)なら、今進行中の工事現場であるルートは絶対選択され ないだろう。そのルートが、確実に沢全体を死滅させてしまうだろう ことは、その工事現場に行って見れば誰の目にも自明のことではない か。

その道が仮に絶対必要だとしても、沢の頂上部分より、もっと丘の内 側に作れば、その沢の斜面全体が破壊されることはなかっただろう。 そうしなかったのは、ただ単に、車からの展望を確保したかったから だ。

誰もが素晴らしい風景を享受する権利は持っている。だから、素晴ら しい風景を展望できる場所を開発することに反対しているのではない。 そうではなく、素晴らしい風景を獲得するために、素晴らしい沢を全 滅させてしまうのは、本末転倒な行為ではないかと言うことなのだ。

県は清里地域にいち早く景観条例を適用させてきた。その景観条例に 清里高原有料道路は違反しているのではないのか。自ら決めた条例く らい自ら守れ。

お手軽に享受されてしまう景観は、自然とのふれあいなどではいささ かでもなく、徹底的に自然を箱庭的に管理してしまった、飼い慣らさ れた自然にほかならず、それはテレビで見る奇麗な映像に限りなく近 付いていくだろう。そして、その風景から限りなく感動を奪っていく だろう。

手をつけてはいけない場所はあるのであり、あえてその場所に決定的 な必要性のない開発を実行する県に、いつか天誅は下されるだろう。