中央改札 交響曲 感想 説明

たった40分の傑作(1)
  〜映画 「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」〜
亜村有間[HP]


 まずは少々奇を衒い、一般向けの文章を騙って話を始めよう。
 アニメーション。
 この言葉を聞いて、あなた方一般の人が連想する概念と、私のようなアニメーションを趣味として好んで視聴する人間の連想する概念との間に、大きな食い違いがあることを『本当に』ご存じだろうか?
 例えば、私は「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」「クレヨンしんちゃん」をここ数年来ほとんど見ない。
「いや、それぐらいは想像できますよ」
 と苦笑する方が次にあげた「金田一少年の事件簿」「名探偵コナン」をこれまた見ない。
「あ、あたしは漫画なんかよく読みます」
という女性があげた「ワン・ピース」に「HUNTER×HUNTER」に「GTO」に「犬夜叉」。このあたりまでいくとかなりいい線を突いていて、素人のファンが集まって自作の絵や漫画を交換するようなイベントでも、そういったファン層が多いのは事実である。
 しかし、
「へえ、そんな作品があるのですか。よくご存じですね」
 と折角感心してもらったのにも関わらず、これがやっぱり見ていないのである。
「それでは一体どんな作品をご覧になるのですか?」
 訝しそうに尋ねられて慌てた私がうっかり口を滑らせると、
「ええと、ヴァンドレッドとか、まりん&メランとか、」
などという言葉がぽろりとこぼれてしまう。沈黙と困惑に支配された世界を救おうと急いで、
「もちろん、サクラとかラブひなとかの『メジャー』も見ますよ?」
 といろいろな意味で誤ったフォローを入れてしまい、
「あ、『カードコレクターさくら』なら名前だけ聞いたことがあります」
「え? あ、それですそれです」
とようやく一人に小さく手をあげてもらえて、周囲は暖かい雰囲気に包まれた…。
 
(本当は「サクラ大戦」のつもりだったんだけど…。)
と心の中で呟く言葉や、言うまでもなくどなたかは心の中いっぱいに叫んでいるであろうもっと大きな突っ込みは無視させて頂いて、とにかく、これで世界は平和を取り戻すのである。
 しかし、これでさえ、TV放送をすることのない作品である、映画(「人狼」「ESCAFLOWNE」「ああっ女神さまっ」「BLOOD THE LAST VAMPIRE」等々)やビデオテープ単体での販売専用に製作される(俗にOVA(Original video Animation)と呼ばれる)作品群(「デ・ジ・キャラット」「エクスドライバー」等々)を口に乗せないだけの自制はした上での話なのである。
 自称アニメファンという人でさえ、ぽかんと口を開け、腕を組んで首を傾げてしまう「迷宮物件」や「KEY THE METAL IDOL」や「おいら宇宙の探鉱夫」などについては言わずもがな。
 
 以上の文、不明な固有名詞が乱出していると思われるが、それは読み飛ばして頂いていっこうに差し支えない。
とにかく、
「視聴率が高く一般にもよく知られている作品」
と、
「アニメーションの好きな人間が高く評価する作品」
の間に、一つどころではない、幾階層もの谷を連ねた大きな大きな隔たりがあることのみを感じて頂ければ幸いである。
 
 この認識ギャップは、特に一九八〇年代後半のオリジナル・ビデオ・ブームの頃から更に加速して広がる傾向があったが、一九九〇年後半、あなたも名前ぐらいは聞いたことがあるかも知れない「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の経済的『成功』をきっかけとして、「マニア向けの情報密度・完成度の高いアニメーションが商売になる新時代の到来」と見解が発生し、一般との格差が広まるかのように思われた時期があった。
 事実、それまで全くアニメーションに関連のなかった企業が、「エヴァンゲリオン」以降に新作アニメーションへの投資を行った複数の例が実在する。
 しかし、残念ながらそれらは、驚くほどに大きな成功を納めたとは言い難い。例えば、丸紅株式会社が「南海奇皇ネオランガ」という作品、株式会社電通が「超起動伝説ダイナ・ギガ」という作品に参加していたことをご存じの方はほとんどおられないであろう。
 結局のところ、アニメーションの閉塞化はむしろ加速し、ファン向けの作品は放映料の安い深夜枠へ回されるようになり、「光感受性発作同時多発事件」(俗に言う「ポケモン事件」)以降、更にその傾向は強まり、二〇〇〇年現在では、衛星放送に多くの作品が移ってしまった状態である。
 
 しかし、今年の春になって、予想もしないアプローチでもって、一つの作品が発表された。
 それは、「エヴァンゲリオン」のような、
「一般の目を引くほどのハイクオリティとテーマ性を持つマニア向け作品」
というアプローチではなく、全く正反対の、
「アニメファンを唸らせるほどの練り混まれた脚本と研ぎ澄まされた演出を
持った一般向け作品」
という形で持ってであった。
 わずか40分の劇場映画。
 この作品こそが、今回紹介する、「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」なのである。
 
 冒頭。
 下から高く見上げる迫力ある視点で描写されるマンション。
夜がホワイトアウトしたかと思うと、それは、眩しい昼光に照らされて黄色がかった姿へと変貌する。雲一つない青い空を囲んでそびえるその姿は、ほのぼのとした明るい一日のひとときと同時に、その威圧感でもって、微かな不安を観客に憶えさせるかもしれない。
 やがて、ボールが一つ画面を横切っていく。はしゃいで駈けていく子供たちと反対方向に歩いていく少女。ふと、微かに響く轟音に顔を上げてみると、遠い空の彼方に白い筋を描きながらゆっくりと横切っていく飛行機がある。
 青い空と、白い飛行機雲と、光に照らされたマンションの対比がなんだか不思議に美しい。
 カメラが切り替わると、穏やかに光の射し込むマンションの一室。少年が四苦八苦しながらパソコンに文字を入力している様子である。自分の名前がようやくうまく変換されてほっと安堵の溜息をつくところに、親近感を感じたお父さん方もいたかもしれない。
 
 この主人公の少年は、なんと、この後、映画が終わるまで一歩もこのマンションから出ない。それでいて、物語自体は東京と島根の間を往復し、ちらりちらりとならアメリカ、ハワイ、果ては世界各国までをも駆けめぐるのである。
 「ぼくらのウォーゲーム!」はそんな極めて異例な状況を下地として、ミクロにしてマクロな物語を語り上げた脚本と演出の巧みの技なのである。
 
 (続く)

               2000/12/12(Tue) 亜村有間
 
 
 今回は「掴み」だけで終わってしまったことに唖然としている亜村です。…第一弾がこれでいいのか? まあ、それだけこの作品が面白かったということで…。
 しかし、投稿内容のバランスを取るために、次回はこの続きではなく、ちょっと変わった話題を取り上げて、しばらくしてからまた続きを書こうかと考えています。(リクエストがあれば適当に変更しますが)
次回は
「ライコス・ライコス・にょにょにょにょにょ」
〜LYCOSメール広告に見る新世紀コマーシャリズムの可能性〜
 というふざけてるんだか真面目なんだかよくわからないテーマについて書いてみようと思っています。
 
 あ、投稿作品の方は、今回みたいなやたらに長いはったり張りまくったものじゃなくて短文の、「これ面白いよ」「こんなん読んでみました」という感じの軽い物で構いませんので、気軽に投稿して下さい。
応援・評論・感想・批判の類であれば何でも構いません。
題材もアニメを中心としますが、幅はかなり大きく取るつもりです。
 それでは、
「あなたの好きな作品を教えて下さい♪」
また今度!
(ご意見・ご感想があれば「感想掲示板」の方へお気軽にどうぞ)
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