温い風。湿った風。輝く汗。飛び散る血潮。一ヶ月以上学校の机に放置されたプリン。青いザリガニ。マーシャルのTシャツ姿。
天然温泉。ぷろじぇくと「おーばー・ざ・ほらいずん」。見敵必殺。溶けかかったミルクバー。不思議と衣替えしない学園の制服。
暇つぶしで行った脳内連想ゲームの答えは碌な物ではなかった。
お題は『夏』。
お題を反復した後にようやく水着や海を連想する辺り、自分はネタに人生かけてるなと思う。
何はともあれ、ここ暫くの猛暑は解っていても辛いものがある。
レニスは「うん」と頷き、組んでいた腕を解いて火の着いていないパイプを口に咥えた。
――――――
「とりあえずお前ら、本人の眼の前で本人を無視して陰口を叩くな」
「あらマスター。何時戻っていらしたんですか?」
「こんにちわ兄さん。お邪魔してるわ」
「……俺は朝からここに座っていたんだがな」
「まあ兄さんったら、面白い冗談」
「ええ、珍しく気の効いた冗談ですね」
「………テディ、俺は何かこの二人の逆鱗に触れるようなことをしたか?」
「ボ、ボクが知る訳無いッス! お願いだからボクに話を振らないで欲しいッス!!」
喫茶店『リフレクト・ティア』。
今日、この場所はフィリア=ラーキュリーとアリサ=アスティアの両名によって修羅場へと変貌していた。
「自覚症状の無い脳内が更年期障害多発地帯のマスターはそんな事を仰いますか」
「おじさま扱いならオールオッケーだがボケ老人扱いは流石に怒るぞ?」
「黙れ」
それなりに本気で行なった抗議も居候天使にピシャリと封じ込まれてしまった。
今までに無い強大なプレッシャーが目の前の少女と愛妹から発せられている。
「本気で解ってないんですかそれともボケてるんですかまあどちらでもよろしいです」
「兄さんは周りや自分を騙すのが大の得意だものね。今回は良い機会だからわたしからも言いたい事を言わせて貰うわ」
「なあフィリア。それは問答無用なんて生温いほどに一方的じゃないか? なあアリサ。俺はお前の中でどんなお兄ちゃんなんだ?」
「そもそもがマスターは普段の生活態度からしてなっていません。日がな一日店のカウンターにぼけ〜っと座っているかと思えば時たまふらっと出かけていって何か騒ぎを起こして自警団の方々に迷惑をかけるわ部屋にこもって妙な電波を受信してるわ働きもせずに優々自適の生活だわ夜遅くに寝て朝早くに起きるわこの暑い日が続く中で精霊魔法で自分の周りにだけ涼しい空気を発生させて優越感に浸るわ密かに年頃の女の子に人気があるわコーヒーに砂糖二杯入れるわさくら亭に行けばCランチしか注文しないわ―――」
「昔から兄さんはわたしや他の人のために頑張ってきた。それはわたしも皆も感謝しているわ。でもね、兄さんは自分で何もかもを背負いすぎなのよ。まだわたし達が小さかった頃、わたしはそのときには解っていなかったのだけれど、兄さんは普通の人なら三日と持たずに倒れてしまうような生活をしていたわよね。わたしが不自由するような事にならないように、母さん達が残してくれていたお金はもしもの為にと取っておいて、生活費を稼ぐ為に朝から晩まで働いて、その上でわたしが寂しくないように故意に昼の時間は家にいるようにして。……わたし、兄さんが眠っている所なんて滅多に見たこと無かった。夜中に寂しくなって兄さんの部屋に行った時も必ず部屋には明かりが灯っていて兄さんは机と向き合っていて―――」
「人の趣味趣向人生哲学にまでケチつけるかお前ら」
「――全くこんなことでこれから先の長い人生歩んでいけると思ってるんですか!?」
「――だから兄さんはね、もう少し真剣に自分の幸せの事を考えた方が良いと思うの」
「テ、テディ…スルーされてる……俺の言葉全部しっかりスルーされてるよおぉぉ……」
「レニスさんしっかりするッス!! 自分のお墓までは自分の足で歩かないとダメッスよ!!」
レニスが崩れ落ちる間にもフィリアとアリサの説教という名の拷問は止まらない。
強制的に徹底的に絶対的に完膚無きまでに人格を矯正させるかのごとく怒涛の口撃を続ける二人の前に、レニスは堪らず膝をつく。
「フ、フフフフフフフフハハハハハハハハハハハハハハハハ」
「ご、ご主人様っ、そろそろレニスさんが限界ッス! 変な笑い声上げ始めたっス!!」
「いえ、マスターのそれは演技です。無理矢理覚醒させなさいテディ」
「兄さん、そうやって人の話を聞き流すのは止めて」
「……手の内すっかり見抜かれてるッスね、レニスさん」
「俺に安住の地は無いのか……」
レニスはぐでぇ〜っとカウンターに突っ伏し今にも溶けそうな風体である。
フィリアが傍によって来て身体を揺すっても妙なうめき声を上げるだけで反応が薄い。
「マスターまだ話は終っていません。早く起きてください」
「ぁー……面倒。大体二人が言ってることなんて今更だろぉ……」
「自分で言い切りますか」
「第一なんでそんなに機嫌が悪いんだ…」
「あ、これじゃないッスか? レニスさん左腕無くした理由全然教えてくれないじゃないッスか」
「そんなものどうでもいいです。どうせマスターの腕なんてすぐ生えてくるんですから」
「生えるかっ。蜥蜴じゃあるまいし」
自分の左腕をそんなもの扱いされ、更に蜥蜴の同類に指定されてしまい流石のレニスの頬も引き攣った。
ついでにいい加減鬱陶しくなったので身体を揺するフィリアの手を掴み取り気だるげに身体を起こす。
「じゃあなんでそんなに――」
「冷凍庫の中に置いておいたアイス、食べましたね?」
「………はい?」
「エーデンルージュ社から新発売されたアイスをっ、昨日私が必死な思いで激戦から勝ち取った新作のアイスをっ、アリサさんもとても楽しみにしていた一つ8Gのアイスクリームをっ、貴方は食べましたね? しかも三つ買ってきたのを自分のものだけでなく一つ残らず全部!!」
「ぁー、あれって新作だったのか。うん、美味かった」
「だからですっ」
「わたしも楽しみにしてたのよ……」
――じゃあ俺はそんな子供っぽい理由で人格改造手術されるような説教されたのか?――
と言う思いを何とか口の中に封じ込み、とりあえずレニスは二人に謝るが、
「それはすまなかった……いやちょっと待て。じゃ何か? 俺の左腕はアイス以下か?」
半眼で問うレニス。
返ってきたのは
「――――嫌ですねぇマスターったら」
虫も殺さぬ朗らかな微笑と共に放たれる絶対零度が太陽かと思うほどの冷やかな声。
この続きが「そんな事ありませんよ」ならば良いが、「そんなの当たり前じゃないですか」なんて言われた日にはどうすれば良いのか。
少し離れた場所にいる無言の愛妹に何故か威圧感。
久方ぶりにレニスの背中を冷たい汗が滑り落ちた。
「……ぁー…散歩のついでになにか冷たいものでもかって来るかなー」
「レニスさんその反応はヘタレッス」
「馬鹿者、退くときは退くのだ」
それが好き勝手するコツの一つだと先代さくら亭店主から教わった。
「季節も夏ですし、どこかに遠出したいと思いませんかアリサさん」
「そうね。みんなと一緒にどこかに行けたらきっと楽しいわ」
「ついでにモーリスさんのところに寄ってくかー」
毎年恒例行事であるNOA関係者一同による海への旅行はこうして決定された。
仕事中の執務室に、問答無用で押しかけてきたレニス=A=エルフェイムを見て、毎年強制的に旅行のスポンサーをやらされているショート財団会長の一言。
「もう尻に敷かれたのか?」
エンフィールドの空に、逆さに落ちる流れ星が観測された。