「……そろそろかな」
朝というには遅く、昼というには早い時間。
壁にかかった時計を見上げ、レニスがポツリとつぶやいた。
「なにかあるんですか?」
「客が来る。……怒るなよ」
諭すように言われ、フィリアははてと首をかしげる。
無理だろうなぁ、と諦めきった姿勢で新聞を流し読みするレニスを訝しげに見るも、一言の答えも返ってこない。
すっきりしないまま店内の掃除を続けていると、本日最初のカウベルの音が鳴り響いた。
「ご無沙汰しておりましたレニス様。リーン・ディアグランゼ、仰せに従い馳せ参上いたしました」
「ではどうぞお帰りください」
「余計な前置き無しのストレートすぎる物言いだなフィリア」
来訪した顔馴染みに対するフィリアの理不尽に険悪な態度には苦笑するしかない。
しかしそれは相手方にも言えるわけで。
「レニス様、吠えるしか能のない駄犬なんてさっさと保健所送りにしたほうがよろしゅうございますわよ」
「言われるままの芸しかできないお猿さんもどうかと思いますけど?」
「…………」
「…………」
「後で直せよ」
その日、リフレクト・ティアの屋根が三度引き裂かれ、四方の壁のほとんどが吹き飛んだ。
「せめて直せる程度に暴れてくれ」
「ごめんなさい……」
「思慮が足りず、申し訳ござません……」
見事だった。
フィリアが掃除していた床も、最近壁紙を張り替えた壁も、目を楽しませる観葉植物も、全てが全て見るも無残なゴミの山へと変貌していた。
壊れた物を修復する魔法はあるにはあるが、物には限度があるのも当然の話。
しかしレニスは犬も猿も比較的好きなほうなので寛大にも許してやった。
二人は大いに不満そうであったが。
「まー居住区が無事だからいいさ。さて、店のほうは後できっちり二人に直してもらうとしてだ」
それはつまり、自分は高みの見物で手伝う気は毛頭無いという意思表示なのだが、二人に抗議する権利は無い。
「リーン、例の物は」
「は、はい。こちらにございます」
「一体何の話ですか?」
鬱になる作業のことは頭の隅に追いやりリーンが取り出したものを訪ねるフィリア。
リーンがレニスに差し出したそれは、布に包まれた一抱えほどの荷物。
「お前やアリサがうるさいからな。義腕を作ってもらったんだよ」
「義碗ですか…」
「ああ。最初はそこらの技師に頼むつもりだったんだが、どこから嗅ぎ付けて来たのか母さんがでしゃばって来て。どんな恐ろしい腕が来るのか戦々恐々しているところだ」
「御安心をレニス様」
「うん?」
「なんと、この腕に内蔵されている特殊機能はたったの73個でございますっ!!!」
「おおっ、凄いじゃないか。四桁ぐらい覚悟してたのに」
「……冗談ですよね?」
しかしレニスの喜びようから見るに予想数値はホントに四桁だったようだ。
疑わしそうにリーンの持つ義腕を見るフィリアに、しかしレニスは苦笑気味に肩をすくめて
「うちの母さん過保護なんだよ。再会してからよりそれが顕著になってな。子供時代に何もできなかったからって、事有るごとにむやみやたらとハイスペックかつ無意味に万能過ぎるアイテムを寄越してくるんだから始末が悪い」
レニスは咥えていたパイプを手に取り、手の中でくるりと回す。
するとそれは瞬時にその姿を変形させ、一振りの杖に変化する。
「ご覧の通り、これは使用者の望む姿に変化する魔器だ。千の顔を持つとか混沌を捏ね繰り回して作ったとか本人が言っていたが、這い寄って来ることは無いから安心しろ」
「いきなり胡散臭い物を出してきましたね」
「俺もそう思う。が、一応768の形態は確認済みだからあながち嘘じゃないと思うぞ」
苦笑しつつ、杖をパイプに戻して口に咥えなおす。
こういう物を貰うたびに思うのだが、役立たずで無意味な神秘ほどマヌケなものは無い。
「一応聞くが、その73個の機能の内容は?」
「はい。『落ちた食べ物を三秒以内に拾える能力』『本のページを手を使わずに捲れる能力』『猫が毛玉を飲み込むのを防止する能力』『五秒間だけ指が六本になる能力』『りんごの皮を一瞬で剥く能力』『塩と砂糖を間違えない能力』『明日の天気を五割の確立で推測する能力』『アリジゴクの巣を見つけやすくなる能力』『3cmほど腕が伸びる能力』『周りの人間を無意味に笑わせる能力』『五分後の未来を予知できるかもしれない能力』それから」
「もういい」
役に立つのか立たないのか微妙な能力ばかりだった。
そうですの、と若干寂しそうにマニュアルを閉じるリーンの横で、フィリアが心底呆れていた。
「普通の腕の代わりができるならいい」
「それでしたら問題ございませんわ。旦那様、御父上の保障もございます」
「あ、今回はリミッターが稼動したのか」
「はい。では、早速接続作業に入りましょう。よろしいですか?」
「ああ、やってくれ」
服を脱ぎ、左肩をリーンに向けるように座りなおす。
彼女は難しい顔をしながら傷口に手を当て、
「――少々肩口が残ってますわね。斬り落としますわ」
言うが早いか、僅かに残った肩が床に落ち、綺麗な切断面から思ったよりも多めの血液が溢れ出る。
とりあえず床の掃除もこいつらにやらせようと決めながら、レニスはリーンの魔法で一気に修復される己の肩を見る。
「陣はこれで良し。接続回路の構成はギムレの書の二番の変形で……」
「そのまんまでいいだろう」
「いえ。改良を加えないとレニス様の意思が上手く腕に伝わらないのです。……この腕で誤作動を起こす訳には参りませんし」
「気の済むまで改良してくれ」
「御心配なさらずとも、もう作業は終了でございます」
まるで接着剤で貼り付けるように義碗をレニスに取り付けると、リーンは済ました顔で作業完了を宣言した。
「速っ」
「元々大した作業ではございませんわ。陣と接続術式の改良も手間ではありませんでしたし。ではレニス様、ゆっくりと少しづつ腕に魔力を通してくださいな。まだ神経の繋がりは微弱なままなのでそうやって慣らして行ってくださいませ」
「おう。……ところでリーン」
「はい。なにか腕の動作に支障でもございましたか?」
「いや、それは問題ない。思った以上の出来に感心すらしている。しかしそれは隣に置いといて、だ」
「はあ」
「………その、荷物の中から顔を見せる嫌に不安を誘う物質は何だ?」
レニスが指摘した、義腕の入っていた包みの影から顔を出す鉄の箱。
なにやら握りのような棒が二本突き出しており、棒の根元を見ればある程度自由に動かせるような構造になっているようだ。
「レニス様の腕は定着するのに暫くかかりますから、これはその補助をするための物ですわ」
「……補助、ねえ」
「この装置を操作して腕を操作することが出来ますの」
「……それはあれか? 俺を笑わせたいがためのネタか?」
どう見ても両手で操作する装置をどうやって片手で操作しろと言うのだ。
「とりあえずレニス様。左腕を胸の前に立てて、右腕の手首を左の肘に当ててくださいませ」
「人の話聞けよ」
文句を言いながらも腕を胸の前で交差させる。
フィリアに視線で「似合うか?」と問うと冷ややかな視線を返されてしまった。
「それでは参ります。ポチッとな」
レニスの腕から閃光が走った。
「……………」
光は店の入り口から通りまで飛んで行き、とある武器屋に行けば嫌でも目にすることになる貧相な上半身に直撃した。
レニスはしばし左腕を見つめ、ポツリと一言。
「ひかりのくにから ぼくらのために?」
来てしまったようだ。
「しかも『帰ってきた』ほうがモデルらしいですわ」
「……なんでそう微妙なところを…」
程よく焦げた上半身は暫くピクピクと痙攣していたが、やがて力尽きたのかバッタリと動かなくなってしまった。
そばでしゃがんだ子供がつんつんと木の枝でつつく姿が哀愁を誘う。
今まで黙っていたフィリアだったが流石にこれには顔をしかめ
「マーシャルさん大丈夫でしょうか……」
「まあ、大丈夫だろ。昔からああいうのに巻き込まれやすい人だから」
誰が巻き込んでいたのかは言わずもがなである。
「残りの機能に関してはこちらの取扱説明書をお読みくださいませ」
リーンがコントローラーと一緒に差し出すのは一冊の小冊子。
それを受け取りペラペラと内容を流し読みすれば、短い文章で要点を詳しく解説してあり、しかも更に解り易く図解まで載っていた。
しかも図解は高画質のカラーである。
「無駄に手の込んだ作りだな」
「はい。なんと言っても御館様が義腕そのものよりも時間をかけてお作りになられていたようですから」
「………」
レニスの表情が何とも言えぬ複雑な感情の交じり合うものに変わる。
パシャという音と閃光。見れば見慣れぬ機械をレニスに向けたリーンが深々と頭を下げていた。
「申し訳ございませんレニス様。御館様からの御命令で、その冊子を渡した時のレニス様の顔を撮影して来いと」
「………ああ、そう」
ポン、とレニスは近くに立っていたフィリアにコントローラーと冊子を手渡す。
フィリアは心得たようにそれを胸に抱き――閃光。
「きゃあああああああっ!?」
「ああすまん今の俺はなんか無性に腹が立っているがこの行為は決して俺の意志ではなく外部から強制された第三者の意志によって引き起こされた不幸且つ偶発的な事故であるからして俺を恨むのは筋違いだと思い思われ思っておけと言い捨てさせていただきますがついでにうちのウェイトレスは今現在不思議と溜まっていたらしいストレス発散のために少々風変わりなシューティングゲームに興じているだけなので無粋なツッコミは無しの方向でOK?」
「レ、レニス様! 威力最小設定で炙る(あぶる)のは少々悪趣味ではありませんの!?」
「だから事故なんだ。俺の腕、自由にならないし」
「あ、あ、あ、熱っ、熱いですわっ! こらそこの駄犬! それ以上やるならわたくしも容赦は痛タタタタタタタ!!」
かなり理不尽極まる虐待に涙しながら、レニスは床に落ちていた撮影機の蓋を器用に足で開き中のフィルムを容赦無く陽にさらす。
これにより、レニスの母リスティル・エルフェイムによる『レニスくんメモリアルブックver.7』の完成はまた一歩遠ざかる事となった。
「形だけとは言え人の部下を懐柔しおってからに…」
「マスター」
どこと無く冷めた、それでいて呆れたような呼び掛けに振り返れば、声と同じような表情をしたウェイトレスがコントローラー片手に冊子のページをめくり
「後五秒この光線を連続照射すると」
「うん」
「自爆するそうです」
いまだ昼だというのに、青空に大輪の華が咲き乱れた。
不思議と無傷なフィリアが、これまた不思議と無傷なレニスの左腕を見つつぼやいた。
「お店、直すよりも新しく造り直したほうが早いかもしれませんね」
オチも何も無い結末だった。