中央改札 交響曲 感想 説明

はんぶんこのほうせき February−Part
FOOL


「ぁー……疲れたー………」



 二月十三日の、あと二時間ほどで日付が変わろうという時刻。

 静か過ぎる自警団寮の廊下を歩きながら、如月・ゼロフィールドは呆けたように呟いた。

 どういうわけか、ここ最近は仕事が忙しい。

 アルベルトの話によれば、去年の冷夏の影響で木の実などの森の食料が不足してしまったため、一部の動物や魔物が食料を求めて人里に下りて来てしまい、色々と被害が出ているらしい。

 住民の苦情処理だけでなく、他の部隊の手伝いに借り出されることも多い第三部隊はそれこそ蜂の巣を突いたような大騒ぎ。

 先ほど仕事に一段落つき、凄まじい密度の三日間を終え、久方ぶりの帰宅という訳なのだが、恐ろしい事に明日も仕事がある。

 世間はバレンタイン一色だというのに、相手が居ようと居まいと自警団員のほとんどは仕事に忙殺されて涙を呑んでいる。

 如月も涙を呑む側の人間―――である筈なのだが、実を言うとそうでもない。

 彼の恋人のトリーシャ・フォスターは、一時期第三部隊の仕事の手伝いをしていたこともあり、頻繁に事務所に顔を出す。

 今回の騒動でも手伝いに来てくれ、何かと一緒に仕事をしていたのでしばらく顔を見ていないという事は無いのだが、やはりそこはプライベートの時間であるはずが無いのでのんびりと話す機会も無く、少し寂しかったのも事実である。

 この激務に最後までつき合わせるつもりはさらさら無かったので夕方には家に帰したのだが、少し不機嫌そうな顔をしていたので今度フォローを入れておくべきだろう。

 考えに耽っているうちに、自室前に辿り着いていたようだ。

 慣れた動作でポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ所で如月は小さく眉を顰めた。



「………ん? 鍵が…」



 開いていた。三日前に部屋を出るときにはしっかりと鍵をかけておいたはずなのだが。

 そういえば、トリーシャが着替えを取りに行ってくれるというので鍵を貸した記憶がある。その時に鍵をかけ忘れたのだろうか?

 しかし、あの歳でフォスター家の家事全てを取り仕切るしっかり者のトリーシャが、そんな初歩的なミスをするだろうか?

 とりあえずこれ以上ここで考えていても仕方が無い。如月は少し神経を張り詰め、室内の様子を探ってみた。


 ――――はたして、部屋の中に一人分の気配があった。


 しかし妙だ。物取りにしては気配を隠そうともしていない。

 いや、それどころかどことなく親しみを覚えるこれは――



「…………オイオイオイ。なんでここに…」



 慌ててドアを開き室内に駆け込む如月。

 途端、食欲を刺激する香りと幸せそうな鼻歌が奥の簡易キッチンから流れてくる。

 装備を置くのももどかしくキッチンに飛び込んだ如月の前に、想像通りの光景が広がっていた。



「あっ、如月さん。おかえりなさい。ご飯出来てるよ!」

「トリーシャ……なぜ、ここに…?」

「如月さんお腹空かせてると思って。あ、それともお風呂先に入る?」



 エプロン姿で如月を出迎えたトリーシャは、こちらが疑問に思う事のほうが可笑しいと言わんばかりに堂々とした態度で、当然のようにキッチンを占拠していた。

 テーブルに並べられた料理はどれも手が込んでおり、しかも如月の今の状態を考慮してか少量で高い栄養価の料理ばかりである。

 如月はなんとか思考の混乱を抑え、深く深呼吸をしてトリーシャに言った。



「………とりあえず、先に風呂入る」

「うんっ。着替えは後で置いておくから」



 まだ少し混乱していたようだった。



























「ふう……良い湯だった」



 適度な熱さに調節された湯に疲労回復の効果がある入浴剤。

 日々の労働に対する至高の報酬にして明日への活力を育む苗床――



「って違う!!」



 如月、一人時間差ボケツッコミ。

 急いで身体を拭きトリーシャが置いていったらしき部屋着一式を身に着ける。

 大分前からこの部屋の中身は隅から隅まで把握されていると分かってはいても、平然と下着類まで持って来られるのは流石に気恥ずかしい。それ以前に、ここまで来れば完全な新婚夫婦の一幕である。

 髪の毛がまだ湿っているが、そんな事には構っていられない。何故彼女がここに居るのか、その理由を聞き出さねば。

 早足で廊下を抜け、その先に居るであろう少女の名を呼んだ。



「トリーシャ!」

「如月さん、頭はちゃんと拭かないと風邪ひいちゃうよ?」



 しかしトリーシャは如月の剣幕を意に介すことなくトテテと駆け寄り、よいしょと背伸びをして如月の頭をタオルで拭く。

 完全に気勢を削がれた如月は一気に脱力。身体を少し屈めてトリーシャの気の済むまで頭を拭かせてやる。



「こんな時間に家に居ないで……フォスター隊長が心配するんじゃないのか?」



 如月の顔には諦めに近い感情がありありと見て取れるが、訊ねないわけにも行かない。

 対するトリーシャは



「だいじょーぶっ!!」



 と、ぶいっとピースサインを突き付けながら、にこっと笑った。



「今日現在トリーシャ・フォスターは親友エル・ルイス嬢のお部屋に御厄介になっているのです!」

「な……っ」

「持つべきものは友達だよね?」

「ねっ? てそんな可愛く言われても」

「と言うわけだから、冷めないうちに早くご飯食べようよ」



 先程からペースを乱されっぱなしの如月は手を引かれるままに食事の席につかされる。

 ここまで来ればもういいやと投げやりな気分にもなろうものである。

 既に如月の脳裏からは娘に甘い自警団第一部隊隊長『一撃の王者』の事柄は一時消去されていた。

 来てしまったものは仕方がないし、今回のトリーシャの行いは純粋に嬉しくもあったのだから。



「――ああ。ありがたくいただくよ。トリーシャが俺のために作ってくれた料理だからな」

「わ、わわっ、うれしいけど予想と違う反応っ」

「ま、まあ…二人きりのときぐらいは、な」



 言ったほうも言われたほうも顔を赤くしながらの食事開始となった。

 しかしその場に流れた少し気恥ずかしい空気も、料理を口に運んだ如月の



「うん、美味い」



 の一言で霧散する。



「自信作だからどんどん食べてねっ!」

「ああ。もちろんだ」



 それから二人だけの賑やかな食事が始まる。

 深夜の夜に、この静かな一時を乱す無粋者は居ない。



「しかし、エルの家に行っている事になってるといっても、ここで料理してれば誰か気づくんじゃないのか?」

「大丈夫だよ。だって、今日ここに来てる女の人ってボクだけじゃないんだよ?」

「へえ?」

「他にも何人か、自警団に恋人が居る人と廊下でお話とかしたから。『頑張って』って応援されちゃった」

「………なにをだ」

「え? なに?」

「いや、なんでもない。うん、このカボチャの煮物はなかなか」



 等と言う会話を続けながらも食事は続き、気が付けばそろそろ日付も変わろうという時間。



「もうこんな時間か」

「えっ、もう? 大変大変っ」



 時計を見ていきなり慌てだしたトリーシャに首を傾げる如月。

 まさか帰らなければいけないとか言うわけでもないだろう。

 いや、帰らなければいけないのだが、言っても聞くはずもないし。

 そう考えつつも待っていると、トリーシャが自分の荷物の中から綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出した。



「それは?」

「んふふ〜、知りたい?」

「そりゃあ、な。別に俺の誕生日って訳でもないし」

「名前は如月(二月)なのにね」



 そういって照れ笑いするトリーシャは、如月に渡すつもりなのであろうその箱を大事そうに胸に抱きながら言った。



「これはね、チョコレートだよ。バレンタインのチョコ」

「バレンタインって、それは今日じゃなくて明日――ぁ」



 途切れた言葉はそのままトリーシャの笑顔に繋がった。

 如月のすぐそばで、如月のために作ったチョコレートを持って日付が変わる瞬間を今か今かと待ちわびる。



「如月さんにはボクが最初にチョコをあげたいの。睦月さんなら深夜にでも部屋に来て如月さんにチョコあげそうだから」



 ああ、なるほど。と、如月は今回のトリーシャの行動にようやく合点がいった。

 深夜にまで部屋に押しかけて居座っていた理由はなんともいじらしいものであった。

 しかし如月は嬉しそうな微笑から一転し、困ったように眉根を寄せた。



「だけど……言っておくがな、トリーシャ」

「なあに?」

「この手の事であいつに勝とうと思うなら、フライング上等な気概でないと無理だ」



 言うが早いか、日付が変更する直前、如月の頭上にポンッと愉快な音を立てて綺麗に包装された小さな箱が出現した。

 それは重力にしたがって落下し、如月の頭にこつんとぶつかって日付変更と同時に如月の手の中に収まった。

 呆然とするトリーシャと対照的に、どこか悟ったような声で如月がつぶやいた。



「……このまえ来た時に仕掛けて行ったな…」



 しかも御丁寧に



『要修行よ、トリーシャちゃん♪』



 とのメッセージカード付きだった。



「しかも行動見越してるし」

「く〜や〜しぃ〜〜〜〜っ、今度こそ勝てると思ったのにぃ〜〜〜〜っ!!」



 ぶんぶんとチョコを振り回しながら悔しがるトリーシャ。

 如月は呆れたような困ったような表情で手の中のチョコを持て余しながらトリーシャを宥めにかかる。



「落ち着けトリーシャ。いつもの事だ」

「むぅーっ」

「あいつのやる事に一々反応してたら切りが無いだろ」

「そうだとしてもっ 譲れないものはあるのっ!」

「んー……」



 うがーっ、と吠えるトリーシャも可愛いなぁとか馬鹿な事を考えつつ、



「頑張ったのにぃ〜」

「うん、解ってる。解ってるよトリーシャ」



 苦笑しつつ時計を見れば、すでに日付は二月の十四日。

 むー、と差し出されるチョコをありがたく受け取ると、早速封を開けて中身を見てみる。

 かなり気合の入った、定番ではあるがそれゆえに想いの伝わりやすいハート型のチョコレート。

 一口食べてみると、如月の好みに見事にマッチした味付けだった。



「美味しいよ、トリーシャ」



 しかしお姫様のご機嫌は傾いたままだった。

 そんなに先に渡されたのが悔しいのかと顔を覗き込むと、ぷいっとそっぽを向かれてしまった。



「ふんっ。如月さんはボクより睦月さんのほうが大事なんだ。」

「チョコレートを先に渡されたぐらいで拗ねるなよ」

「拗ねてないもん。ムカついてるだけだもん」

「同じだって」



 実のところ、トリーシャは睦月の行動にはあまり怒ってはいなかった。

 むしろ、怒っているのは如月の無意識の行動。

 突然現われたチョコレートに驚きもせず、何の疑いも警戒も無く、それ以外の選択はありえないほど当然の仕草で睦月のチョコレートを受け取った。

 睦月の事は、問わずとも、トリーシャにも解っていた。

 普段の態度はどうあれ、如月が睦月に向ける想いは睦月が如月に向けるものと五十歩百歩。

 睦月はそのあたりを自覚し、制御しているのでまだ対応しやすいが、如月はその自覚が薄いのでどうにもヤキモキさせられてしまう。

 前に睦月が言っていた


「私達と恋愛するのって、頭のネジが一本や二本緩んでないと難しいわよ?」


 の言葉の意味は彼を知れば知るほど理解させられていく。

 全く厄介な人を好きになったものであるが、これはこれで望むところ。

 如月と睦月の間には、切っても切れないどころか切り方すら解らない絆が結ばれている。

 それは解っている。どうしようもない。ならばこの件はこれで終わり。

 であるならば。どうせなら如月だけとケチな事は考えずに睦月も一緒に引っ張り上げる覚悟で挑むのみである。

 ああ、ついにボクのネジも緩んじゃったかなぁ、などと顔に出さぬよう苦笑し、不機嫌な顔を一転させてぴょんと如月に飛びついた。



「ねえ、許して欲しい? 如月さん」

「どちらかと言うと機嫌を直して欲しい」



 いやいや機嫌はとっくに直っている。

 何故か先程以上にテンションが上がってしまって、自分でも持て余し気味なほどなのだから。 



「うんっ。じゃあ今日は一緒に寝ようね如月さん」

「脈絡無く爆弾投下するなよっ!」

「睦月さんは時々やってるよねぇ?」

「あれは睦月がいつのまにか――ッ」

「あのね、如月さん」



 ポンポンと如月の肩を叩いてにっこり笑顔。



「どうせ如月さんが寝入った後に潜り込むから却下しても意味無いよ」

「その発言は女性としてどうよ?」



 大きく肩を落として小さく笑う如月が可笑しくてトリーシャは思わず吹き出してしまった。

 如月がジト目で睨むと、トリーシャは先程までのはしゃぎっぷりが嘘のように大人しくなり如月にしがみつくと、こつんと胸に額を押し付ける。

 そして、ポツリとつぶやいた。



「じゃあ、おふざけ無しでお願いしていい?」

「え…?」



 頭上から聞こえた呆けた声にまたクスリと笑い、トリーシャはぎゅっと如月を抱きしめる。

 真っ赤になった顔を少しだけ上に向けて、見下ろすダークブルーの瞳に微笑みかけた。



「……今夜は如月さんを感じていたいよ」



 流石の如月も、これ以上を恋人に言わせる野暮はできなかった。









 聖なる夜の起源は知らぬ。聖なる夜の祈りも知らぬ。

 されど、この夜は想い合う者たちが永き時を紡ぎて織り上げし聖夜なり。

 愛を知らぬ者にぬくもりを。愛に泣く者に安らぎを。愛を裏切るものに粛清を。愛を知った者に希望の明日を。



 ――そして愛し合う者に祝福の花を――
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