はんぶんこのほうせき January−Part |
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レイオード帝国首都マーシュニクスの高級住宅街の一角にある邸宅。
ここは、代々帝国聖騎士を輩出しつづける名門、ファーレクス家の本宅である。
現皇帝マルス三世、皇后カチュア両名からも信頼厚く、戦場においては皇帝の代行者となる権利を与えられる宝剣ファルシュエイオスを授けられた、まさしく帝国最高の騎士の家系である。
そのファーレクス家の現当主。名をカイン・ソル・ファーレクスという、これまた立派な聖騎士の位を授かっている若者なのだが、宮廷内では少々よろしくない印象を持たれてしまっている。
彼は近年妻を迎えたのだが、これがなんと流浪の旅人。
しかも無法者の代名詞とも言える冒険者の真似事のようなことをしていた女だったのだ。
当然宮廷内は大騒ぎ。ある意味では、皇帝と皇后を除いて最も権力を持っている貴族ファーレクス。
どうにかお近づきになりたい、懇意にしたい、娘が居れば婚姻でもさせて親戚関係になりたいと常日頃から虎視眈々と眼を輝かせていた下級上級貴族達にしてみればとんでもない出来事である。
それこそ親戚から国の重鎮から知り合いの貴族からどこの誰とも見知らぬ者達からが入れ替わり立ち代り考え直すように説得したが、カインは頑として首を縦に振らず、しかも性質の悪いことに彼の母親であるハセル・レア・ファーレクスもこのどこの馬の骨とも知れぬ女のことを大層気に入ってしまい息子の後押しをするものだから万事滞りなく結婚の話は進んでいく。
こうなれば実力行使。花嫁の存在そのものが無くなれば結婚話も露と消えようと考えた一部の貴族たちがゴロツキや暗殺者を雇ってけしかけるも花嫁に辿り着く前に尽くが返り討ち。ほうほうの体で戻ってきた彼らの話から大きな鎌を持った男が何処からとも無く現われ刺客を薙ぎ倒しているということが分かり、一部の者達からは死神に見初められた花嫁とか呼ばれる事となる。
こうしてカインとその女性はめでたく結婚し、幸せに暮らしていくこととなった。
……と、ここで終わればなんの変哲も無い身分を越えた愛の物語であるのだが、この花嫁、少々困った病気を持っていた。
その病気とは放浪癖。一度出て行ったら軽く数ヶ月以上帰って来ないのである。
資産を持ち逃げする気だとか他に男を作っているのだとか様々な醜聞が囁かれるも、当のお相手であるカインは涼しい顔。
見かねた彼の友人が尋ねたところ、彼は少しの苦笑いを浮かべてこう言った。
「もし彼女が行かないとしたら、僕はここまで彼女を愛さなかっただろうね」
訳が分からぬまま首を傾げる友人だったが、なにやら夫婦間では了承済みの出来事であるらしいことは察せれた。
こうして状況は変わらぬまま、花嫁の放浪癖も健在のままで数年が経過しているのであった。
なんだか長々と語り続けたものの、舞台がファーレクス邸以外に広まることは無いので悪しからず。
カインが城へ上がるための準備を整え、自室から玄関に向かう途中、廊下で背に巨大な両手剣を背負った妻の姿を発見した。
屋敷の中では下ろされているライトブルーの髪はポニーテールに纏められ、足元には使い古された荷物袋が無造作に置かれている。
「行くのかい睦月?」
「あ、カイン。うん、行って来る。また数ヶ月ぐらい向こうに居るから、あとよろしくね」
すでに屋敷の中ですら定番となった睦月の旅装束。
当初は驚愕に目を見開いて硬直していた使用人たちも、今ではすっかり慣れたもので一部の隙も無い礼をして仕事に戻っていく。
「カインは今から上がるんだ? マルスやカチュアによろしく言っといて」
「お二人と仲が良いとは言え、せめて様ぐらい付けてくれないかな」
「公の場ではそうするわよ。でもそれ以外で取り繕うのって馬鹿馬鹿しいじゃない」
睦月の演技力というのは空恐ろしいものがある。
一度舞踏会に連れて行ったのだが、そこでは普段の性格が夢か幻かと思わせるほど見事な貴婦人振りを発揮してくれていた。
彼女のことをよく知っているはずのカインですら騙されかけたほどである。
そんな彼女は城に上がる正装に身を包んだ夫に対し、少し上目遣いにその顔を覗き込んで
「私が居なくなったら寂しい?」
「そう言ったらどうしてくれる?」
なかなか見られない可愛い表情を見せられ、カインは衝動のままに睦月を抱きしめた。
カインを抱き返しながらも睦月はくすぐったそうに身体を揺らしてどこか甘えたような声を出す。
「ダーメ。と言うか、昨夜あれだけやってまだ足りないの? 流石にあれ以上やられると足腰立たなくなるんだけど」
「僕だって男だからね。それに、夫として妻を愛したいと思うのは当然さ」
「ふーん……。男だから、覚えの無い香水の臭い付けてたのかなぁ?」
カインの背に回された睦月の腕に力がこもる。
火の聖霊との契約により常時加護を得ているだけあって、彼女の細腕に秘められた力は軽く常人を超えている。
「い、いや、待て睦月。それは誤解だ。あれは昨日宮廷で倒れた貴婦人を助けたときに付いたのであって決して疚しい理由で付いたわけではっ」
「はいはい。そういうことだろうと思ってたし信用もしてます。……でもムカつくからやめて」
「聖騎士に女性を見捨てる要求をするかい」
「そうは言ってないわ。どんどん助けなさい。臭いと虫が付かない程度に」
「鋭意努力するよ」
「よろしい」
虫が付く理由の大半は妻の不在期間が長期に渡ることなのだが、それは無視の方向らしい。
ちなみに、結婚してから睦月がこの屋敷に寝泊りした期間は合計しても一ヶ月と数日程度である。
普通なら離婚を言い渡されて当然なのだが、この夫婦の間に常識は通用しないようだ。
「睦月も。如月によろしく言っておいてくれよ。あと、トリーシャって女の子にも」
「……うん」
「……睦月?」
いきなり元気をなくし、カインの呼びかけにも答えない睦月。
何かあったのかといぶかしむカインだが、見たことも無い妻の弱気な姿にどう声をかけていいのか分からない。
「――もう、止めた方がいいのかなって、思う時があるの」
「…?」
「如月には、もうトリーシャがついてる。私が居なくても……如月は、もう大丈夫」
「………」
「闇蒼の宝石は…もう、全部あげちゃったほうがいいのかなぁ…って」
見上げたライトブルーの瞳は僅かに曇り、力ない微笑を浮かべながら
「私は、如月が幸せであるなら他には何もいら――」
言い終える前に、唇で唇を塞がれた。
いきなりのことで思わず抵抗するが、それ以上に強い力で抑えられてしまう。
そのまましばらく抵抗を続けていたが、やがてそれも小さくなっていく。
睦月が落ち着いたのを見計らって、カインは唇を離した。
「――解っていても、それ以上先は聞きたくないし、言わせたくない」
「……うん、ごめん」
カインの胸に額を押し付けながら、しかし睦月の表情は曇ったままだ。
そんな彼女の頭にそっと手を置き、カインは優しく語り掛ける。
「好き勝手やっとけ」
「え?」
「如月なら、きっとそう言う」
意外な事を言われたような、気の抜けた声。
きっと今の彼女の表情は見たことが無いほどに間抜けだろう。それが、妙に可笑しく感じられた。
こんな当たり前の事が解らないなんて、随分と深く思考の迷路に迷い込んでいるようだ。
「睦月は、自分が如月にどれだけ大事にされているのかを、もう少し自覚したほうが良いね。さっきの台詞を聞かれたりしたら本気で怒らせることになるよ」
「それは、」
「余計なことは考えずに君の中にあるものに従えばいい。他の面倒くさいことは僕がどうにかするから」
全く、この愛しい人は無茶なことを考える。
自分が如月から離れることが出来ない事は自分で一番よく解っているだろうに。
闇蒼の宝石無くして、光蒼の宝石は輝かない。
水辺の動物が去れば水面に映る動物も去っていくように、どこまで行っても彼と彼女は二人で一人。
「少しでも僕のことを考えてその答えに辿り着いたのなら、嬉しいけれど余計なお世話だ。プロポーズの時にも言ったけど、僕は、如月を一番大事に想っている君の事が好きなんだ。君の想いを一身に受けたいと、君のことを支えたいと思うときも確かにあるけど、もしそれが本当になってしまっていたら、僕はここまで君を愛せてはいなかったよ。我ながら屈折してるとは思うけどね」
「いいの…かな」
「僕が保障しよう。それでも不安なら如月に直接訊けば良い。無言の一撃が返ってくると思うけどね」
子供をあやすようにポンポンと睦月の頭を叩きながら、カインはかつて見たダークブルーの瞳を思い出す。
彼は一見、睦月を素っ気無く扱ってはいるものの、とても大事に思っているのは間違いない。
彼女に害をなす者が居た場合、一旦スイッチが入ると同一人物かどうか疑うほどに気質が変貌する。
結婚式前日まで続いた暗殺者達の襲撃もその尽くを如月一人が返り討ちにしたのだ。
手にした大鎌、魔鍵セイクリッド・キーの威容も相まって、その姿は正しく死神そのもの。
死神に見初められた花嫁という醜聞も、あながち間違ってはいないと、カインはそう思う。
「うん……そうだねっ」
自身を鼓舞するかのように頷き、睦月は跳ねるようにカインの腕の中から飛び出した。
「それを聞いて一安心。じゃあこれからも如月に甘えまくっちゃおー」
「あまり彼を困らせないように」
なんとか立ち直ったらしい睦月を見て、無理だろうなー、とか遠い空の下の友人に同情するカイン。
睦月のほうはというと先ほどとは対照的に眼をキラキラ輝かせながらカインにつめより
「じゃあじゃあ、ちょっとしたネタで如月と一緒に寝ても怒らない?」
「一緒に寝るだけなら」
「でもね、このネタをやるなら半脱ぎとか下着姿とか裸とかの方がインパクトあると思うのよねー。トリーシャも一時的に怒るかもしれないけど私のネタと心情に理解があるほうだから最後の一線越えない限りは結構何でもアリだと勝手に解釈してます」
「僕と如月とトリーシャさんの精神的安息のためにも、せめて早朝にバスルームから登場、あたりで頼む」
「考慮しまーすっ」
こうなった睦月は止めても無駄だ。遠い空の下の友人の冥福を祈るカインだった。
完全に復活したらしい睦月は、足元に置いてあった荷物を手に取り、景気良く振り回して肩に担ぐ。
背負った両手剣、聖鍵ラスバーグも所有者の活力に呼応するように重い音を鳴らす。
「さすが私の旦那様。貴方を選んで良かったわ、カイン」
「それでも如月より優先度は低いんだよね。圧倒的に」
「あら、当然でしょ? カインは何時から私と如月の間に入り込めるようになったの?」
睦月は踊るように振り返り、眩い微笑とウインク一つ。
カインは不覚にも頬が熱くなるのを感じ、やはり自分はこの女性にイカレているのだと再認識する。
そんなカインを見て満足そうに笑うと、睦月は軽快な足取りで駆け出した。
「今度はカインも一緒にエンフィールドに行こう! すっごく良い所だからっ!!」
「有給を申請しておくよ」
廊下を駆けながらぶんぶんと手を振り、曲がり角で一際大きく手を振って姿を消す睦月。
しばらくして玄関の扉が盛大に開く音が邸中に響き、ファーレクス夫人の御出立を知らせるのだった。
「さて、と。せめて半年ぐらいで帰って来て欲しいけど」
無理だろうなぁ、と苦笑する。あの様子では一年ぐらい向こうにいるかもしれない。
普段どおりの静けさを取り戻した屋敷の廊下を歩きながら、一年後に一月ほど有給を取ろうと決意するカインであった。