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ありえたかもしれない日常11
FOOL


 その日、所用でジョートショップに出かけていたフィリアは、戻ってきて早々に少々珍しい物を見た。

 レニスが店のカウンターに座っている。これはいつもの事だ。

 しかし普段無気力の限りに緩みまくっている表情がびしっ、と引き締められ、しかもその対面には見知らぬ年頃の少女が座っている。

 レニスが接客をするわけがないし、揉め事というわけでもなさそうだ。

 色恋沙汰というには空気が研ぎ澄まされている。状況が全く理解できない。

 近寄ってみると、どうやら二人はチェスの対戦をしているようだ。

 戦況はややレニスに不利だろうか。



「………」



 対戦者の少女も自らの有利にもかかわらずその表情は硬い。

 恐らく一進一退の攻防が長く続いているのだろう。

 そこで、ふとフィリアに悪戯心が湧いた。

 横からさっと手を伸ばし、白いナイトでポーンを一つ取って、



「次でチェック。六手目でチェックメイトです」

「な、なにぃっ!?」

「あれぇっ?! うそっ、ホントッ?」



 予想以上の反応だった。

 レニスは椅子を蹴倒しながら立ち上がり少女側の方から盤面を睨みつけ、少女は少女で頭を抱えつつもその瞳は敗北を拒否している。



「クッ、これは確かに……詰められたかっ」

「待ってくださいてんちょーさんっ。ここでキャスリングすれば…ッ」

「馬鹿言うな、それじゃナイトの格好の的だ。ビショップを壁に、いや、それだと三手目で……」

「だったらアレですっ。この敵陣直前のポーンでルークを取ってついでに壁に……ああっ! そしたらあっちのポーンがアンダープロモーションしてナイトで!? 詐欺ですよ詐欺っ!!」

「うぬぅ、我ながら恐ろしい布陣を……」



 何故かレニスと少女の連合軍対フィリアの勝負になっていた。

 しかし二人が足掻けば足掻くほどどうしようもない状況を知る事になり、ついに二人は敗北を認めるように崩れ落ちた。

 フィリアはちょっぴり優越感に浸りつつも、それを顔に出すことなく勝利宣言をする。



「では、こちらの勝ちということでよろしいですね?」

「に、二時間に渡る華麗なる攻防戦がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

「イチゴのタルトとメロンソーダを賭けた真剣勝負がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

「チェス勝負の理由は分かりました。それで、そろそろ私にも状況を説明をしていただきたいんですが…」

「――――ん? いたのかフィリア。何時帰ってきたんだ?」

「あ、初めまして。お邪魔してます」



 最近、どうにも自分の堪忍袋の尾が切れ易くなっている事を実感するフィリアであった。




















「……それで?」

「こちらのお嬢さんがこの店でバイトをしたいそうだ。それで今面接の名を借りてサボリの真っ最中」

「マスター……サボり云々は今更ですから言いませんが、面接程度は真面目にやってください…」

「いや、そんな心底疲労感漂う溜息を吐かれるとこちらとしても申し訳なく思うわけ無いだろう」

「思ってください。人として」



 御丁寧にも、店の入り口には見事な達筆で書かれた『閉店』の札が下がっていた。

 なんでも密かな常連客であるリカルドに飲食代の代わりに一筆頼んだそうだ。

 フィリアの威圧するような視線に肩をすくめ、レニスは仕方なしに少女と向かい合って面接を再開する。



「では基本的な事から聞こう。この店で働こうと思った動機は?」

「ここならサボり放題でお給料貰えるって聞いたからですっ」

「よし、採用」



 レニスの額に御品書きの角が突き刺さった。



「ツッコミに愛が無いぞフィリア」

「………今の私にそんな余裕があると思いますか…?」

「センパイ……やきもちなんて焼いちゃ駄目ですって。てんちょーさん専属のウェイトレスの座をセンパイから取り上げるなんて、いくら私が遠慮無しの図々しい性格だからってそんな事は出来ませんよ」

「なっ!? そ、そうだったのか……すまない、気付いてやれなくて。安心しろフィリア。お前は一生俺の傍に置いてやる!」



 レニスの左拳が持ち主の顔面に突き刺さった。



「その、コントローラーは、アリサに預けたはずだが」

「他に何か言い残す事はありますか……?」

「もうっ! センパイったら可愛い照れ隠ししちゃって! ダイジョーブですよっ。確かにてんちょーさんは見た目そこそこ性格ヒネクレしかし家有り金有りコブ無しとなかなかの優良物件でわたしもモーションかけちゃおーかなー、とか考えないでもないですが左斜め27度後方ぐらい恋愛対象から外れてるので気安い関係を築ければOKみたいな? それにお二人の愛の巣に住み着くような野暮なマネなんてしたらウマどころかそこはかとなく危険極まる御婦人に蹴られそうな予感もするのでセンパイの考えるようなことは全部杞憂ですよ」

「貴女も少し黙っていてくださいっ!!」



 顔を真っ赤にして怒鳴るフィリアには見えない位置で二人は親指を立てて互いの健闘を称える。

 滅茶苦茶遊んでいた。



「まあまあセンパイ落ち着いて。私を採用すると今ならとってもお得なんですよ」

「市場の安売りじゃないんですから……」

「ふっふっふ、今私を雇えば、この店にはおしとやか系お姉さんウエイトレスと元気系悪戯っ娘ウエイトレスという二種類の萌え要素をもった美少女ウエイトレスが揃い、下種な欲望を持った町の男どもや性に多感なお年頃の少年少女に大人気の喫茶店として生まれ変わるのですッッ!! 連中は自分の欲望満足させるためにお金を出し惜しみしませんから儲けはうっはうっはのがっぽがっぽですよ!?」

「ここをいかがわしい店にするつもりですか」

「鬱陶しい仕事増やしてどうする」

「いやんっ。同時援護ツッコミ?」



 両手を頬に当てイヤイヤと身体をくねらせた少女は、少し憧れの混じる視線でフィリアの着ているこの店のウエイトレスの制服を見つめた。



「まあ最後のネタは二番煎じでしたが、実際この店の制服って学園の女の子の中で密かに人気ですよ?」

「初耳だな。トリーシャなんかが黙って居なさそうなネタだが」

「当然じゃないですか。だってセンパイが来て初めてお目見えした制服ですし、そのセンパイだって制服姿で町を歩くなんてこと滅多にしないんですから」

「トリーシャならそこらの物理法則は無視できると思うが……まあ、今回はネタを掴み損ねたのかな」

「うぅ〜ん♪ でもホントーにかわいーですよーその制服。派手さは無いですが、しっかりと自己主張された色彩とデザインは神の領域です。それと全体的にメイド服っぽいのはてんちょーさんの趣味ですか? なかなか高等なご趣味ですね〜」



 うにゃにゃと猫のように口元を歪めた少女がフィリアの周りをうろちょろし、フィリアは改めてじろじろと無遠慮な視線を向けられるのが少し恥ずかしいのか、居心地が悪そうに身動ぎをしている。



「いーなーいーなーこのリボンとか可愛いな〜♪」

「あの、ちょっと」

「俺はそこらはどうでもよかったんで適当に見繕ったんだが、着る人間が『可愛くない』と一蹴してな。ご本人が一番可愛いと言い切るショート邸のメイド服をベースに色々とカスタマイズが進行して、しかも何時の間にやら陸見、ハルク、セリカ、レナのいつもの四人やアリサまで加わって……完全に蚊帳の外に放り出されたのは久しぶりだったなぁ……」



 じゃれあう少女二人を置いて、レニスは一人過去に耽る。



「この店が開店する半年ほど前の話だから……20年近く昔の話だな。今更な台詞だが、まさか再びその制服が日の目を見ることになるとは思っても見なかった」



 伊達眼鏡をくいと指先で押し上げながら、レニスは自分の背後で今だ騒ぎ続ける少女二人に向き直り



「…………ふむ。これはこれで眼の保養に」

「そんなふざけた感想言ってる暇があるなら何とかしてくださいっ!」



 少女に抱きつかれて胸に顔を埋められているフィリアがちょっぴり半泣きで講義する。



「いや、ここで男が混ざるのは野暮という物だろう。白百合の園を踏み荒らすような暴挙を侵す無頼漢ではないのでな」

「てんちょーさん話がわかりますっ。センパイ、いえ、お姉さまぁ〜♪」

「こらっ、止めなさいっ! あ、貴女どこをさわひゃんっ!?」

「いいなぁ〜いいなぁ〜やわらかいなぁ〜♪ 私にも少し分けて欲しいです〜♪」

「はっはっはっ。今分けてもらったら今後成長するかもしれない部分が大変な事になるぞ?」

「自慢じゃないですけど、今後の成長って微々たる物な予定なんですよ〜♪ だからむしろ取り過ぎる事は無いぐらい? あ、心配しなくてもてんちょーさんの分は残しておきますから」

「ぐっじょぶだ」

「ぐっじょぶです」

「――――――いい加減に―――」



 最近何かと店の破壊率が高いリフレクト・ティアだった。
















「ダメダメだな、フィリア。ボケを力ずくで押し込めるのは下の下だぞ?」

「そーですよーセンパイ。それも一つの手ではありますが、過剰な暴力はお客さんも引いちゃいます」

「結構本気で撃ったのに、なんで平気な顔してるんですか貴方達は……」



 結構泣きの入っているフィリアだった。



「フッフッフ、泣き顔もまたぷりちーだね。そうは思わないかね?」

「そーですよねー。こう、嗜虐心をくすぐられるって言うかー。悪戯心が湧くって言うかー」

「震えながらもこちらを睨みつける小動物的な色気と言う奴だね明智君」

「高貴な姫君を堕落させた時の充実感って奴ですよダンナ」

「こっ、こっ、この人達はぁ……ッ」



 無駄に元気でハイテンション。陸見達と一緒にいるときよりも性質が悪かった。

 この二人、相性が不必要に良過ぎる。嫌な方向で。



「あっ! いけないっ!」



 窓の外を見た少女が突然素っ頓狂な声を上げた。

 何を見て驚いたのか気になって外を見ると、真っ赤に染まった空に沈む夕日が見えた。



「すみませんっ! 緊急事態なのでこの辺で帰らせていただきます。ご迷惑おかけしましたー」



 シュタッ、と風のように帰宅準備を整えると、少女は入り口の所でレニスに振り返る。

 レニスもそれに応えるようにビッとサムアップサイン。



「アディオス、名も知らぬバイト志願者の少女」

「アディオスです、名も知らぬ喫茶店のてんちょーさん」

「……名乗り合いぐらいしておきましょうよ……」



 律儀に突っ込みを入れながらも、フィリアは疲労とも安堵ともつかぬ溜息を吐く。



「じゃ、初仕事は来週頭からな」

「結局雇うんですか!?」



 フィリアの心労の種は尽きる事が無さそうだ。
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