更科孝哉(さらしなこうや)は困っていた。
それも切実に。
今日は大学の入学式だ。そして孝哉は入学生。入学式と言えば、えらそうなおっさんが、えらそうにそして面白くもない話を聞かされる、と言うのが相場だ。
まあ、大学生にもなれば、言っている内容を吟味してみる心理的余裕が生まれてくる場合もあるが、少なくとも孝哉にはない。
それは別にいい。
孝哉にとって問題なのはその後、サークルの勧誘と言うものが待っていたのが誤算だった。
「今日は、良くて説明だけだと思っていたんだけどな」
そんなことを言ってみてもしょうがない。
今はまとわりつく勧誘の人間を振り払わなければいけない。
「絶対テニスが良いですよ、さっきの身のこなし、才能を感じます」
孝哉の右横にいるポニーテールの女の子がそう言ってくる。
「いや、さっきの動きはバスケットだな。君が入ってくれれば上を狙える」
今度は、前にいる長髪の男が言い返す。バスケットボールを小脇に抱えているのが分かりやすい。
「いやいや、今の動きは柔道向きだ。君の動きに俺は格闘センスを見出した」
次に左にいる、見るからにいいガタイした、少しふけ顔の男が、孝哉にむけて男くさい笑みを浮かべて言ってくる。
ほかにも数人、熱心に勧めてくる人間がいる。
褒めてくれるというのは嬉しいが、孝哉にとってこの行為は単純に迷惑だった。
(やっぱりさっきのは、うかつだったよなあ)
つい数分前。
孝哉は退屈な入学式を終え、誘導されるがまま学生の波についていった。このあとは簡単な説明があってすぐ終わるだろうと孝哉は踏んでいた。しかし、ふいに前方が騒がしくなり、始まったのが各サークルの新入生争奪戦。あれよあれよという間に逃げることもできずに飲みこまれてしまった。
そんな中で途方にくれていると、突然、紙飛行機が孝哉に向かって飛んできた。
孝哉はそれを無意識に受け止めてしまった。
片手で難なく、真横から飛んできたにも関わらず。
その光景を数人に見られたらしい、そのすぐ後、勧誘の人間が集まり出したのだ。
「いや、俺サークルに入る気ないですから」
「そんなこと言わないで、才能あるのにもったいないよ」
孝哉の断りの声もあまり効果がないようだった。
孝哉にはこうした体を動かすサークルには入れない理由があった。それは切実なもので、おだてられて有頂天になるわけにもいかない。
「いや、ちょっと理由があって無理なんですよ、ほんとに。すみませんけど………」
幾度目かの断りの言葉を出す。その言葉がきいたのか案外すんなりと諦めてくれた。
もしかしたら時間的な理由、もしくは金銭的な理由と受け取ったのかもしれない。
彼らにしたところで先程のことは、良い口実程度のものだったのだろう。
孝哉が安堵の息を吐く。
ふと目をやると、白衣を着た学生がこちらに頭を下げていた。その横には航空力学研究会、という立て看板。先ほどの紙飛行機の製作者のようだ。
気にしてないですよ、と言う風に手をふって、笑顔を作る。
そのまま人気のいないほうへ歩き出す。さっきのようなことが無いにしろ、わずらわしかったからだ。
人気の無いキャンパスに出てベンチに腰掛ける。今日は勧誘の人間以外いないようだった。
周りに人がいないことを確認して大きく息を吐き出す。
「ああ〜〜っ、疲れた。………やっぱり人に言えない秘密持つと苦労するなあ」
そう言って愚痴をこぼした。
更科孝哉には秘密がある。
それは、人に言ったら身の危険があるとか、人に言うのは恥ずかしい、と言うのとは次元の違った話だった。
異世界に行って帰ってきた、のである。
異世界、というのは比喩でもなんでも無い。
高校二年生の時に町を歩いていて、何かの事故か建設中のビルから鉄骨が落ちてきた。
それに当ると思った次の瞬間、見たことも無い場所に立っていたのである。
そこで妖精のフィリー、吟遊詩人のロクサーヌに出会って、そこが異世界だと知った。
それから色々あって仲間と出会い、いろいろな冒険をして、その結果この世界に帰ってこれた。
これらのことは全て事実。少なくとも孝哉にとって。
その出来事を信じさせるものが孝哉に残されているから。
帰ってきたとき、孝哉は一瞬、今までのことは夢だったのだろうかと疑ったが異世界で鍛えた身体能力はそのままだった。
ふと思い立ってその場にあった鉄製の机を思いきり殴ってみた。結果は予想外、見る影も無い形に変わった元机が残った。
異世界で覚えた魔法はなぜか使えなかったが、孝哉は、魔法を使えるようにはこの世界はできていないんだな、と自分に言い聞かせた。
そしてその常人離れした身体能力が、さっきの勧誘を断った原因。手加減していられるうちは良いが何かの拍子でやりすぎてしまうかもしれない。
相手を怪我させてしまうのも嫌だが、詮索を受けるのはもっと嫌だった。
「本当のことを言うわけにも行かないしなあ」
またため息を出す。
事情を話しても笑われるか、下手をすると精神状態を疑われる。
思いきり動けないこと、他人に自分を偽っていること、それが孝哉から日々の活力を奪っていた。
下手に本気になるわけにいかない。
そういう思いがあった。
加えて、異世界での日々がこっちの世界以上に楽しかったことが、孝哉にとって足かせになっている。
異世界に飛ばされた当初、元の世界に帰りたいと切実に願ったものだが、いざ実際に帰ってきてみると、なぜあんなにも帰ることを望んだのか首を傾げてしまう。
異世界での日々、それは死と隣り合わせのものだったが、それゆえか毎日に充実感があった。いっしょにいた仲間との絆も当然強かった。
「そういや皆どうしてるのかな」
少し昔を思い出してそんなことを考えてみる。
フィリー、ロクサーヌ、レミット、アイリス、カイル、カレン、若葉、楊雲………。自分が異世界に戻るために手伝ってくれたもの、邪魔してきたもの、ともに戦ってくれたもの、孝哉は順に思い出していった。
「俺が帰ってきてから2年経ってるし、皆結構変わってるんじゃないかな、特にレミットとか」
元の世界に帰る時、涙をためながら暴れていた少女を思い出す。
孝哉が元の世界に帰るためには魔宝と呼ばれるアイテムが必要だったが、レミットはその入手を阻んできた。しかも孝哉の真似をして数人の仲間を集め、5つある魔宝の探索行に最後まで邪魔しながらついてきた。
「別れる時14歳だって言ってたから、いま16歳か」
大人になったレミットを思い浮かべてみるが想像がつかない。
「もっとも、こっちの世界と向こうの世界の時間の流れが同じとは限らないけどな」
埒も無い想像を頭を振って追い出し、
「ここでこうしていてもしょうがない、帰るか」
家に帰るために駅に向かって歩き出すことにする。
駅前に至って建設中のビルが視界に入る。さほど珍しいわけではない。
だが、やはり孝哉にとっては特別な意味を持つ。
「まったくね、あの時鉄骨が落ちてこなけりゃ、こんな厄介な思いもしなくてすんだのにな」
忙しそうに動く工事関係者を眺めながらそう言う。
「ま、そうはいってもあいつらに会えたことは嬉しいし、あの世界であったことを忘れてしまいたくも無いんだけど」
しかしあの世界に行くことは自分にはかなわない。異世界か自分の生まれた世界、二つに一つの選択をしてこちらの世界を選んだのは自分なのだ。いくら今の自分がこちらの世界になじめない人間にだとしても。
「諦めるしかないんだよな。………後ろ向きな所が気に入らないけど」
立ち並ぶ高層ビル、走り去る車、行き交う大勢の人間、多くのものが今自分のいるところを教えてくれる。
「夢を見てもしょうがない、か。そうだな」
軽い決意を胸にして駅に向かって歩き出そうとする。
そこにふと見覚えのあるシルエットが視界を掠める。
「フィリー?」
いるはずの無いもの、存在するはずの無い物を見た気がして立ちすくむ。
そこに、
「危ない!」
遠くから声がした。
「え?」
孝哉は一瞬何の事かわからなかった。
しかし周りの通行人が上を見ていることに気付き、自分も顔を上げて上を見る。
そこには、
目の前に迫った鉄骨があった。
(前にもこんなことあったよな)
孝哉は目を瞑った。
次に目をあけた時、
そこには地面、
「ぶはっ」
顔面を地面にしたたかに打ちつけた。
「いって〜〜、くそ、なんだってんだ」
おきあがって顔を手で触る。血がついている。鼻血がでたようだった。
「うわ、えらいことになってるな。………それにしても」
とりあえず周りを見る。見たことの無い場所、建物。いや、これに似た建物を見たことはある。2年ほど前に。
湧き上がる興奮が押さえられなかった。
一度あったことが二度無いとは限らない。
そう思ったことは何度もある。
「………もしかして、もう一度来てしまったのか?俺は」
口にすると本当のような気がした。
「と、とにかく、ここがどこなのか把握しないと」
どちらの世界か判定するのは場所を確認してからだ。
そう思ってあたりを見回してみると女の子が歩いていた。
「………あの子に聞いてみよう」
女の子が着ている服は自分の生まれた世界ではあまり見ないもの。
自分の考えが確信に近づきつつあるのを感じて孝哉の足は自然と速まる。
そして女の子の近くへ行き、
「あ、あの少し聞きたいんですけど、ここの地名は………」
孝哉に気付き、振り向いた女の子の発した言葉は、
「き、きゃあああああああああ」
孝哉は自分の状況を考えてみる。
鼻血を出して、
見たことも無いであろう服を着ていて、
紅潮した、いかにも興奮していますと言った顔の男が、
この街にいるなら知らないはずの無いことを、
聞いてくる。
(変態じゃん、俺)