エンフィールドの街中を風が駆ける。
それは春のような暖かさをもって街に温もりと呼べるものをもたらす風であった。
かける風それ自身が意思を持ちこの街を己の温もりに満ちろと言わんばかりに街道を駆ける。
それは春風と呼ばれるものだろう。
温もりと心地よさを運ぶのが春風ならば刹那の合間に入れ替わったこの街を駆ける苦鳴と血臭を運ぶ風はなんと呼ぶべきか?
それこそ鬼哭の風であった。
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先刻からエンフィールドに風が舞う。
成りを潜めた春風に変わり鬼哭の風が。
風の変わり目は祈りと灯火の門だ。
そこには普段であれば立っている門番は己の立つ位置であった場所で血を流し絶命している。
そしてあたりに充満する血と酸っぱい匂い。
血は絶命した門番から、酸っぱい匂いは絶命した門番を見て嘔吐した周辺に居た人間のからだ。
死骸を見たことすらない人達に見せられた惨たらしい死骸。
できる事ではない。只殺すでなく人を八つ裂き、いや細切れにする事など。
人はかくも残忍になれるのか?そう思わせるには十分な光景。
そんな血と肉片の溜り場に人が立っている。
恐らくはいや間違いなくその人間がこの惨状を作り上げたものだろう。
それは笑っているのだ。
その惨状の真っ只中の溜り場に立ちながら。
履物を血に濡らしながら静かな深い夜のような笑みを浮かべ声に出すことなく笑っている。
そんな人間を嘔吐した者と過去の経験からか嘔吐していない者双方が見ている。
だが幾人もの人間が見ながらその誰もがその人間の顔を判別できないでいた。
顔が見えないわけではない。
今は最も陽が高い時刻だ。光源に不足しているわけでもない。
そして彼の人は俯いているわけでもない。
ならばなぜ分からないのか?
それは見直すたびに見ているうちに貌が変わっているのだ。
いや貌の造詣が変わるわけではない。
何かが異なるのだ。
数瞬前の貌と。
男とも女ともつかない無限の貌にして無貌の貌。
そんな人間と惨状を前にして人は平静でいられない。
混乱から狂乱まであと一押しの位置まで追いやられた頃に自警団がやってきた。
自警団の人間はそれぞれの武器を身に付け油断なく無貌の人間を取り囲む。
その筆頭はリカルドだ。
「あなたが・・・やったのかね?」
簡潔に問うリカルド。
が、その言葉の裏に押さえ切れぬ憤怒があるのが分かる。
その言葉への返答は?
「そうだ私がやった所業だ」
これもまた簡潔な返事。
がその声もまたその貌と同じく一言一句毎に音が異なって聞こえてくる。
そしてなによりその言葉には嘲りが含まれていた。
「・・・一緒に来てもらおうか。罪状は殺人だ」
剣の柄に手をかけ言うリカルド。
押さえきれない憤怒が殺気となって無貌の人間に襲いかかる。
常人であればそれだけで失神しかねないほどだ。
「あまりそのような殺気を向けないでもらいたいな。私は臆病なのだよ」
先程以上に嘲りを含ませた声と共にとてもそうは思えない言葉を返す。
「そう、臆病だから早く消してしまわないと安心できない・・・」
その言葉の終わりと共に無貌の人間から何かが溢れた。
「!?全員伏せろ!!」
リカルドのその言葉に反応できたのは数名だった。
とっさに伏せれた者は自分の上を過ぎていく何かを感じ伏せれなかった者は・・・・・・
その上半身が失せていた。
腰から上が無くなりその断面から血が噴き出す。
がそれも短く足だけのそれは力なく街道に倒れた。
伏せていた状態から立ちあがり倒れ血を街道に広がらせる足を見ながらリカルドは剣を抜いた。
ゆらりと陽炎のような動きをしながら無貌の人間へと向き直るリカルド。
無貌の人間はそれを見ながら楽しそうに笑っていた。
「・・・・・・」
無言で地を蹴るリカルド。
その身から裂帛の気合が見える。
ほんの僅かな渡走で無貌の人間に対して己の間合いまで近づくリカルド。
その瞬間リカルドは剣を振るった!
目に捕らえる事すら出来ない豪剣の一閃。
ファイナル・ストライクと呼ばれる技の一つだ。
見た人間誰もがそれが相手を両断すると信じられる程の一閃であり一撃であった。
が、無貌の人間は指一つ動かすことなくその剣を止めていた。
恐らくは魔法を用いた防御だろう。
が、そうだとしても魔法の防御には限界がある。
確かに結界を以ってすれば防げないものなど無い。
だがそれは術士の力量すなわち魔力の量が結界に限界を作る。
リカルドの本気の一撃であれば例え魔術師ギルドの長が創った結界であろうとも切り裂けるというのに。
超がついても当然な一流の長の結界であっても切り裂くリカルドの豪剣。
それを防ぐとはこの人間の魔力はどれほどの物だと言うのか。
「いい、一撃だ。がその程度か」
手をリカルドに向ける無貌の人間。
それを見ながらリカルドは自分の死を覚悟した。
それでも目を閉じることなくその視線だけで人を殺せそうな目で無貌の人間を睨みながらだ。
笑みが・・・浮かんだ。
誰が浮かべたのか?
そして彼は現れた。
******
高く澄んだ音を立てながら帯状の白光がリカルドと無貌の人間の間を通る。
無貌の人間の手とリカルドの僅かな間を通りぬける光。
それは無貌の人間のリカルドを死へと導こうする意思を阻害するのには十分だった。
現れたのは青年。
闇が凝縮したような美しさを持った青年。
その青年が一歩歩く毎に人垣が御神渡りのように割れていく。
誰もが知っているのだ。この青年は今はジョート・ショップに住む只、人外の美を持つ青年でないことを。
今の彼は魔王の如き美しさを持ち同じく魔王の如き全てを破壊へと導かずには居られないような鬼気を放っている。
見よ。その青年の歩む先を。
死と血と闘争に満ちた世界が待っている。
我が征く道を邪魔する者の運命に待っているのはこれだと言わんばかりに青年は死と血の道を歩む。
見よ。それでも色褪せるどころかそれ以上に鮮烈な輝きを増す彼の美貌を。
死と血に満ち満ちながらそれは彼をより美しくする世界でしかないのだ。
そんなおぞましくも美しい世界の支配者のような青年を見て誰もが陶然としているではないか。
そして青年の歩みが止まった。
無貌の人間の前で。
青年は見た。
此度の我が征く道を邪魔するのは貴様かと言わんばかりに。
その王の如き視線を一身に受けた無貌の人間のすることは一体?
「・・・久しぶりと言うべきかなカイン君」
「そうだな、フェイス・レス(顔無し)」
言葉だけを取るなら友好的と言うべきかもしれないが今互いの間を流れるのは絶対の殺意と鬼気。
最早舞台はこの二人のものだ。
リカルドはそれを察したかはたまた自分では力にならぬと悟ったか無貌の人間・・・フェイス・レスの気がカインに逸れた
時を狙ってその場より離れていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
しばし無言の時が流れる。
そして周りの人間達も同様に無言を守る。
そしてそれが崩れた。
「隊長ー!!」
アルベルトの声が響いた。
それが始まりの合図となった!
******
二人の姿が掻き消える。
いや、僅かに動く砂埃から空へと舞ったのだ。
その瞬間轟音が街を揺るがす。
巨大な光球が百花繚乱のように幾つも煌く。
「フェイス・レス!お前か!お前がここに干渉していたのか?!」
迫り来る光球の一つを自ら放った光球と相殺させながら叫ぶカイン。
「そうだ。私だよ。呪詛を放ち、咎無き人々を殺戮したのは」
カインと同じように光球を相殺させながら言い放つフェイス・レス。
「何故だ!!」
一瞬にして何百メートルもの距離を詰め紅い光剣を振り下ろすカイン。
それを蒼い光剣を出して受けるフェイス・レス。
その二つの互いへの干渉が神韻を響かせる。
「答える気など無いのだよ。カイン君」
そして互いに離れ今度はフェイス・レスから動いた。
手を突き出し現れるのは鳥、鴉だ。
禍禍しい色を持った何百羽もの鴉がカインに向かっていく。
「答えてもらうさ!力づくでな!」
鴉をある時は避けある時はその剣を振るい落とすカイン。
そして鴉がほんの僅かに途切れた際にカインはその力を振るった。
解き放たれる何百条もの光線。
それが鴉を滅ぼしていく。
鴉を全て滅ぼし尚も残った光線がフェイス・レスに向かう。
「ちっ!」
舌打ちをし手を突き出し一瞬にして結界を創るフェイス・レス。
「カイン君。力づくでと言ったな。だが君だけでは無理だろう!」
光線を全て受け流し光剣を真一文字に振るうフェイス・レス。
蒼い光でできた巨大な扇の形が空に現れる。
「ほざけ!!」
カインもまた光剣を縦に振るう。
同じく現れる紅い光でできた巨大な扇の形が現れ双剣が噛み合う。
「私がフェイス・レスと呼ばれる理由を君は知っているだろう」
そう言うとフェイス・レスが揺らめいた。
すると常に入れ替わる奇怪な貌を持つ人間はそこには居なかった。
現れたのは闇の美を持つ青年の貌。
カインだ。
「カイン君。君は君を今一度相手にする事になる。あの時のように!!」
手に握られるのは蒼い光剣ではない。
カインの持つ紅い光剣だ。
これが・・・これがフェイス・レスか。
相手を完全に真似る事を可能とする存在。
そしてフェイス・レスの持つ経験、知識によっては同等以上の力を振るえることになるかもしれない。
「芸が無いんだよ!」
簡単にその言葉を切り捨てるカイン。
もう一方の手に紅い光剣が産まれた。
そして距離を詰め二刀別々の軌跡を以って振るう。
「ほう!」
驚きの声を上げながらそれを受けることを諦め下がるフェイス・レス。
「それほどの双剣を可能としたか。カイン君、君も成長するようだね」
超高いや超高々魔力を剣の形に転じるそれは易々と相手の結界を切り裂く威力を持つ。
が、その威力の反面発生し続けるだけでその威力に見合った魔力を消費しつづける事になる。
確かに双剣は不可能ではないが双剣にしたならば一刀に向けていた魔力を二刀に向けるため
単純に威力が二分の一となってしまうのだ。
もし相手が弱いのならばともかくこのような魔力の強さが拮抗している相手ではその威力が下がることは
相手の結界を裂くことができないと言うことなのである。
結界を裂くことができないのであればわざわざ光剣を作る必要性など無いのである。
が、カインはその威力を落とすことなく二刀を可能にしたのだ。
フェイス・レスの驚きの声はそのためであった。
「相手を真似ることしかできない貴様と一緒にするなよ」
嘲りを含ませ言い放つカイン。
黒衣が風になびく。
「酷いことを言うな君は。だがまだ手はあるのだがね」
「今度はなんだ?」
鼻で笑いながら聞くカイン。
が、フェイス・レスは唐突に話を変えたのだった。
「そう言えばあの少女は元気かね?」
「?」
「あの少女だよ、君と共に居た君に恋慕の念を寄せていた少女、そして少女が産まれるまで史上に存在しなかった
至高の瞳、星霊眼すなわちオーリオウルの瞳を持つ少女」
笑みを浮かべながら聞くフェイス・レス。
「アリサの事か」
「そう、そんな名前だったね」
「アリサがどうしたんだ」
カインのその言葉に笑みを深める。
「私は、その少女を知っている」
それはつまり・・・・・・。
「だから私は少女を真似れる。そうあの星霊眼の力を私は使え・・・」
言葉は最後まで続く事は無かった。
カインが切りかかったのだ。
「どうしたカイン君。剣に焦りが見えるぞ」
受けることなく避けに徹するフェイス・レス。
立場が変わり今度はフェイス・レスが嘲った。
「くっ!」
フェイス・レスを追うカイン。
不意にフェイス・レスが止まった。
それを勝機と見て二刀を振るうカインだが。
双剣がフェイス・レス切り裂く直前その姿が消えうせてしまったのだった。
「カイン君・・・いずれまた・・・」
その残された言葉が空に溶けていくのをカインは殺意に満ち溢れた表情で聞いていたのだった。