中央改札 交響曲 感想 説明

序章「蠢動」 −死ヲ望ンダ少女ノ断罪−式部 瞬


暗い部屋に、少女はいた。
フローリングの冷たい床に制服姿のままの小さな体をくの字に曲げて投げ出している。
その体は微かに震えていた。
左手首がじんじん痛む。
つい先ほど、自分で傷つけた左手首が、惨めな主をあざ笑うかのように疼く。
床に投げ出された工作用の、おもちゃのように小さなカッター。
それが、血だまりと呼ぶにはあまりに少量の、赤い滴の中に浮かんでいる。
「…知らなかった…。」
誰にとでもなく、その少女−柏音弥生(カシワネヤヨイ)−は虚ろな瞳で呟いた。
「人間って、これくらいじゃ、死ねないんだ…。」
弥生の体の震えが次第に大きくなる。
そしてそれに力無い、魂の抜けたような笑い声が混じり出す。
「く、くくく…あははは……そう、こんなんじゃ死ねないんだぁ…。痛い思いして、損しちゃった…。」
体を揺らし、仰向けに天井を見やる。
艶やかな黒髪がハラリ、とフローリングの床に投げ出され、妖艶に散らばる。
「…何で、私がこんな目にあわなきゃいけないんだろう?」
まだ痛む手首を右手でギュッと握りしめる。
傷口の渇きかけ固形化し始めていた血液にヒビが入り、新たな鮮血がジワリと滲む。

「死」を自ら選べる人間は強い人間だ。
滲む血を見やりながら弥生はそう思った。
自分は強くないから、最後の最後で「死」に恐怖を感じてしまい、絶望的なこの現実を「誰か」が救ってくれる
という甘い幻想にすがってしまう。
何故こんなにも絶望的で、惨めで、嫌なことばかりの現実にしがみついてしまうのだろう?
死んでしまえば、ほんの少しの間、痛みや苦しみを我慢すれば、現実から逃げられるのに。

…逃げる?

その言葉に弥生は泣きはらした瞳に陰鬱とした闇の光を灯した。
何で、私が痛い思いをしてまで逃げなければいけないんだろう?
悪いのは私だから?違う、悪いのはアイツらだ。
弥生の脳裏に3人の女生徒の醜い顔が浮かぶ。
病的に黒い顔。
珍妙な化粧。
似合わない茶髪。
自己の愚劣さを強調するような言動。
無個性なアイディンティティ。
独りじゃなにも出来ないから、徒党を組んで傷をなめ合いながら、私を虐めて優越感に浸っている。
殴られたこともある。教科書や筆箱をトイレに捨てられたこともある。
お金を取られたことなんて数え切れない。

憎い。

アイツらだけじゃない。
こんな惨めな自分を救ってくれない、みんなが憎い。
心の中で薄ら笑いを浮かべて私を見やって、高見の見物をしているみんなが憎い。
私がこんなに酷い目にあっているのに、ぬくぬくと幸せを甘受しているみんなが憎い。

壊したい。

全て壊してしまいたい。
海辺で、子供が必死に砂のお城を作っている。
お母さんに見せて「すごいね」と誉めて貰いたいから、頑張って作る。
あと少しで完成だ。子供の目が希望に溢れる。
それを踏みつぶして、壊してしまう。
子供の瞳に絶望が溢れ返る。
そんな風に、目の前で大切なものを踏みにじってやりたい。
信じていたものが、いかに矮小で愚劣で汚れに満ちているか、見せつけてやりたい。
そして、言ってやるんだ。

「ほら、解るでしょう?私はこんなに苦しくて惨めだったんだよ。」

「ズルイでしょ?、私だけなんて。だからみんなに味あわせてあげる。」

「信じる、なんて言葉自体が欺瞞に溢れているんだよ。」

「罰なんだよ。私を笑った、私を虐めた、私を救ってくれなかった罰なんだよ。」

「自分達だけ幸せに甘えた罰なんだよ。」

きっとみんな自分の愚かさを理解する。
私が受けた苦しみや痛みを身をもって理解する。
そうしたら、ご褒美に、殺してあげよう。
この辛い現実から、解放してあげよう。
自分で「死」を選べない人だって、他人から与えられる「死」なら受け止めるしかないから。
でも、それじゃあ、私は死を選べない?
私を殺してくれる人がいなくなってしまう?
それでもいいや。そうなったら大好きな学校を独り占めできる。
出来なかった部活動や、したかった素敵な恋愛をやり直そう。
虐めも偽善も欺瞞もない、私だけの学校でずっと遊んでいよう。

ピロリロリロ……
不意に鳴り出した電子音に、抱いていた幻想が霧のように消え失せてしまう。
その音に弥生はビクッと体を震えさせた。
それは「呼び出し」だった。
自分のお金で無理矢理買わされ、「呼び出し専用」として使うように強要されたPHSだ。
震える手で、制服のスカートのポケットからそれを取り出し、ボタンを押す。
「護辻神社まで、今すぐに来な。」
「は、はい…。」
辛い現実が突きつけられる。
いかに憎かろうとも、自分は従うしかないのだ。
自分が自分でいられる場所は、もはや彼女の幻想の世界にしかないのだから…。

時刻はすでに「よいのくち」を過ぎ「よるなか」へとその色を変えようとしていた。
灯火のない灯籠が左右に羅列された石階段を上がり、護辻神社の境内へと向かう。
今日は何をされるのだろうか…?
震える体を抱きしめるようにして、弥生は階段をあがっていった。

「遅かったじゃない、もっと早く来なさいな。」
「しょ〜がないジャン、コイツグスだもん。」
「そ〜そ〜チョ〜トロイもんね〜。」
ゲラゲラと下品に笑う声が、薄暗い神社に響き渡る。
ここは神主もいなければ、管理者も不在で、おまけに回りを鬱そうとした木々に囲まれているので
こういった連中がたむろするには格好の場所なのであった。
「………。」
無言で唇を噛む弥生。
と、三人の中でリーダー格の女生徒−秋山佳織−は嘲笑するように口を開いた。
「ほら、何突っ立ってんのよ?犬は四つん這いでしょう?」
「…は、はい…。」
言われるままに、弥生はいつもそうするように地面に両手膝をつき四つん這いになった。
「ご、ご主人様、ご用件をお言いつけ下さい…。」
「そうそう、犬は犬らしくね。ほら、アンタ達出てきなよ。」
佳織の小悪魔のようなその言葉に、3人の人影が弥生に前に姿を現す。
暗くて顔まで見えないが、その格好や体格からして男性らしかった。
「おい佳織ぃ〜本当にいいのかよぉ〜。」
似合わないストリートファッションに身を包んだ青年が間延びした声で問う。
「今更冗談だって言われても犯っちまうぞ〜。」
「そうそう、収まりがつかね〜って、ギャハハ!!」
追従するように、下品な笑い声が響く。
何のことか、一瞬弥生には理解できなかった。
が、全てを理解した瞬間、顔から血の気が一気に引き、冷や汗が吹き出した。
「い、嫌………。」
「ダメよ。コイツラからもうお金貰っちゃったんだから。それに…。」
佳織は嫌らしい笑みを浮かべた。
「バラまかれたくないでしょ?あの写真。」
「ッ……。」
悔しさに、零れ落ちた滴が頬をつい、と伝う。。
「おい、あの写真って何よ?」
「うふふ、コイツねぇ、前教室で…。」
「嫌ぁ!!言わないで!!お願いします!!!」
弥生は声の限りに叫んだ。
しかし、そんな弥生に目もくれず、佳織はうすら笑いと共に続けたのだった…。



あの写真…そう、全ての始まりはあの日の放課後のことだった。
暑い、夏の日だった。
記録的な猛暑で、私の頭もどうかしていたんだと思う。
その日、昇降口でノートを机の中に忘れてしまっていたことに気がついた私は教室へと戻った。
と、廊下で二人の男子生徒とすれ違った。
一人は…確か式部瞬っていう人。
そしてもう一人は、廻冬弥くん…。
私は赤くなる顔で廊下に視線を落として、小走りにすれ違った。
教室には誰もいなかった。
私は机からノートを取りだし、鞄にしまった。
その時、そのまま帰っていればよかったんだ。
私はふと、冬弥くんの机に視線を移した。
窓際の一番後ろ…。あの席で冬弥くんは授業を受けている。
頭がぼ〜っとしていた。
私はフラフラと冬弥くんの机に近づいた。
椅子に腰を下ろす。まだ、生暖かかった。
冬弥くんの温もりだ…。
そう考えてしまうと、もうダメだった。
立ち上がり、私は椅子に頬をすりつけた。
暖かい、撫でてくれているみたい…。
嬉しかった。
実際には冬弥くんが自分なんかを相手にしてはくれないことくらい解っていた。
だけど、今はこれだけでも嬉しかった。
頬をはなし、私は辺りを見回した。
誰もいない…。
たったそれだけの事実に、私の良識という歯止めは崩壊してしまった。
胸を椅子に押しつけ、体を動かす。
冬弥くんの温もりの残滓が胸を撫でてくれているみたいだった。
そう考えると、体の奥底が熱く疼いてしかたがなかった。
だから、私は……。



「…というわけ。それを私がたまたまカメラで撮ったのよ。」
「マジ?随分タイミングよくカメラなんて持ってたじゃん。」
「まあね、あの頃はインスタントカメラ流行ってたじゃん。」
「うへえ〜、コイツ変態じゃん?」
青年のその言葉に5通りの卑しい笑い声が重なる。
「ぅぅ…。」
悔しくて、惨めで、弥生は大粒の涙をポタポタと地面に落としながら、血が滲むほどに唇を噛み、
羞恥に耐えていた。
と、不意に肩口を思い切り蹴り上げられ、その衝撃に弥生は尻餅をついてしまった。
怯える小動物のような弥生に、肉食獣めいた卑しい光をその瞳に湛えた男達がにじりよる。
「や、やだ…こないで…。」
消え去りそうなほど小さな声で呟き、弥生は後ずさる。
が、そんな仕草がますます男達の劣情に油を注ぐことに、弥生は気がつかない。
何本もの腕が伸びてきて、自分の腕を掴みとろうとする。
それらを必死に払いのけ、弥生は叫んだ。
「い、嫌…嫌ぁぁぁ!!」
震える足に何とか力を込め、弥生は駆けだした。
どこへ行けばいいのか、どこへ逃げればいいのか、パニックに陥っていた弥生には、もうすでにそんな
ことを考える余裕すらなかった。
石階段とは全く逆の方向へ駆けだし、何度も転びそうになりながら必死に走る。
「ほれ、逃げろ逃げろ〜。」
「捕まえて食っちまうぞ〜。」
「ビデオもってくりゃあよかったな。高く売れそうなのにな。」
投げかけられる下劣な言葉。
しかし、そんなものを聴いている余裕すら、もう残されてなんていなかった。
と、薄暗い木々の間に一つな小さな社が建っていた。
…誰か、誰かいるかもしれない…
藁にもすがる気持ちで、弥生はそこに駆け込んだ。
お札で封印された戸口を開き、中に飛び込む。が、そこには案の定、誰もいなかった。
十畳にも満たないその社の中には注連縄(しめなわ)が乱雑に巻き付けられた巨大な岩が祀られていただけであった。
力無く、その場に膝をついてしまう。
心を浸食し、目の前を覆うのは絶望の暗い闇…。
と、突然背中を思い切り蹴飛ばされ、体をくの字に曲げたまま床に叩き付けられてしまった。
息が詰まり、激しく咳き込んでしまう。
それをあざ笑うかのような、荒く滑った息づかいが社の中にこだまする。
「ようやく大人しくなったか。おい、お前ら手、押さえてろ。」
「何だよ、順番はじゃんけんで決めようぜ〜。」
「うるせえ!さっさと押さえろ!!」
リーダー格らしい男の怒声に、しぶしぶ二人は弥生の小枝のように細い二の腕を床に押しつけ束縛した。
抵抗らしい抵抗はしなかった。と、いうより半ば放心状態で、できなかったと言った方が正しい。
が、それでも制服の上着をたくしあげられ、足を無理矢理開かされそうになった時には流石に激しく抵抗した。
しかし、男と女の力の差は歴然で、抵抗空しく、両足はこれ以上開かないという程に押し広げられてしまった。

…憎い、悔しい、惨めだ、許せない…

様々な言葉が脳裏を駆けめぐる。
私はこんなことをされるために生まれてきたんじゃない。

…憎い、悔しい、惨めだ、許せない…

そして

……殺してやりたい……

弥生の瞳に、殺意の色が帯びる。
と、まるでそれに呼応するかのように、バタつかせていた手の平に、何か硬質な感触なものが触れた。
それは祀られていた石に深々と突き刺さっていた小刀であった。
と、その刹那、意識が遠のきそうになる。

…な、何…?
「殺してあげましょうか?」
名工に鍛え上げられた刀のような、精錬で冷たい女性の声。
…え、誰?
「私は刹那(セツナ)。1000年の時を生きる者。あなたに力をあげましょうか?」
…力?
「そう、力。あなたが憎むもの全てを消し去れる力。あなたが求める力。」
…力。憎い人を、殺せる力。浜辺の砂のお城を踏みにじることができる、力。
「欲しい…。お願い、わたしに力をちょうだい…。」
女性は微笑んだ…ように弥生には思えた。

そして、何かが体の中に流れ込んでくる
それはあっという間に弥生の中に根を下ろした。
体の奥底が揺り動かされるかのように熱く火照る。
「さあ、殺しなさい。」
どこまでも冷め切った声が響く。
弥生は静かに目を開けた。

気がついた時、男は発情期の犬ように荒い息で下着越しに弥生の秘所に鼻を押し当てていた。
そんな様を冷静に、そして哀れみをもって一瞥した弥生は、まるでそうするのが当然のように腕を
あげた。瞬間、小枝のような弥生の二の腕を押さえていた男達は音もなく宙を舞い、社の壁に頭から
突き刺さった。ゴキュ!!と嫌な音がし、一人はそのままだらしなく放り出した両手足を痙攣させた。
運良く頸椎骨折までは至らなかったであろう男はその激痛に気を失っていた。
そして弥生は両手でそれをにぎりしめると、一瞬の迷いもなく目の前の男の背中に突き立てた。
ズブ…。
肉を食い破り、骨を立つ音と感覚が両腕を駆け上がり、感覚神経を刺激する。
その感覚に酔いしれながら、弥生はその小刀を引き抜いた。
瞬間、天井まで届く勢いで、紅い噴水があがり、一面を朱一色に染めあげた。
糸の切れた傀儡(クグツ)のように、男は絶命した。



弥生は笑っていた。
いつのまにか降り出した雨に打たれながら、弥生は笑っていた。
足下には3人の女生徒…であった「もの」がゴミのように転がっていた。
自分は力を手に入れたんだ。
憎い人を殺して、大切なものを壊して、みんなに私の痛みを教えてあげて・・・。
そして最後には解放してあげられる力を。

「うふふ…あはははははははは!!!」

それは狂気じみた高笑いだった。
血塗られた両手で頬をなぞり、それを舌で舐めとる。
脳髄が震える程の、甘美な味だった。
「うふふ、早く明日にならないかな…。学校、凄く楽しみ…。」
うっとりとした表情で続ける。
「みんなに絶望と、苦しみを教えてあげるんだ。私と同じだけの…。」
光の灯っていない、焦点のずれた瞳で続けた。

「そして、絶望の果てに、ご褒美をあげるんだ…。」

小刀を胸にきつく抱きしめ、弥生はもう一度高らかに笑い声を響かせたのであった。


刹那も、笑っていた。
妖艶な瞳に、恍惚とした輝きを灯して。
…素晴らしい娘だ。
暗く蠢動する黒竜。
今その竜は確実に成長を続けている。
…ふふふ…
笑いが止まらない。
…楽しみだ、こやつがいかなる成長を遂げるのか。
…ふふ、せいぜい美味に育っておくれ。
…私を満たせる程に…。
…そして、今度こそ…。


……そして、「日常」は少しづつ壊れ初める。


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