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第一章「泡沫」 −砂城ニテ甘受スル不変ジミタ幸福ノ残滓−式部 瞬


学校生活において、生徒達に最も愛されているものの一つに、土曜日の四時限目終了のチャイムがあげられるだろう。
ここ七尋白智鳥(ナナヒロノシロチドリ)高校でも例外ではなく、午後から友人らと街へ遊びにくりだす予定や部活動など
に思いをはせ、授業も上の空でうずうずしていた生徒らは、待ちに待ったそのチャイムの音色にあたかもスプリンターの
ように駆け出し、それぞれが思い思いに散ってゆくのであった。
そんな友人らの喧噪を聴きながら、授業の三分の一以上を夢の世界で過ごしていた廻冬弥(メグリトウヤ)は「く〜!!」
と一度大きく伸びをし、すぐ後ろの式部瞬(シキブシュン)に声をかけた。
「よっし!ようやくつまらねぇ古典が終わったなぁ。」
「お前、どうせグ〜グ〜寝てんだから、古典だろうが世界史だろうが基礎解析だろうが関係ないだろ?」
「ふ、自己の認識不足が露呈したなぁ、瞬。真面目に受ける授業だってあるぞ。なあ、春霞?」
と、冬弥は瞬の隣の席で緩慢に帰り支度をしていた御影春霞(ミカゲハルカ)に笑いかける。
その笑顔に答えるように、春霞も眠そうな顔でおっとりと笑顔を浮かべる。
「うん、冬弥くんだって真面目に授業を受けてるよね。保健の授業とか。」
「おう!ほら聞いたか、瞬。やっぱ見てる人は見てるモンなのよ。」
「じゃあいつも俺の視界が良好なのはどういうわけだ?」
「黒板がよく見えるようにわざわざ伏せてやってるんだよ。ありがたいだろ?」
「ま、"有り難い"、のは確かね。」
と、不意に割り込んできた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、冬弥はあからさまに嫌な顔をした。
「どう言う意味だ?姫野京華(ヒメノキョウカ)17歳彼氏イナイ歴17年男性経験ナシ。」
「馬鹿なコトばっか言ってんじゃないの!!」
みょ〜ん、とただでさえ痩せ気味で肉付きのよろしくない冬弥の頬を、京華は器用に引っ張った。
ルアーにかかって釣り人に弄ばれる川魚のように、顔を歪める冬弥。
そんな相変わらずの二人のやりとりに、瞬と春霞はお互いを見やり、思わず苦笑いを零してしまう。
「そのへんにしとけって。それよりそろそろ行くか?今日は午後から遊びに行くんだろ?」
瞬の言葉に、京華は「あ、いけない」っといった風に口に手のひらを添えた。
「あ、ゴメン。そのことなんだけど…、全く!この馬鹿のせいで忘れてたわ。」
「自分の過失を他人になすりつけるな。責任の転嫁は醜いぞ。姫野京華17歳彼氏イナイ歴…。」
「ああもう!!うっるさいなあ!!大体キミはねぇ…。」
「あははは…。」
「お〜い、春霞が呆れてるぞ。で、結局何なんだよ?話が進まんぞ…。」
「あ、うん。ちょっとさ、委員会で呼ばれちゃったワケよ。」
「ああ、図書委員だっけか?」
軽く頷き、京華は形のよい唇をそっと指で触れ上目使いに虚空をみやった。
考える時の京華の癖だ。
「うん、来週からさ、読書週間でしょ?だから多分そのポスター貼りだと思うの。」
「ふ〜ん。」
「まったく、高校生に向かって"本を読め!"もないわよねぇ。読みたければ勝手に読むっての。」
「ていうかお前、仕事が増えるのが嫌なだけだろ?」
「ほほほ、嫌ですわ、そんなことあるわけがございませんわ。」
「んで、どんくらいで終わるん?」
「30分位で終わると思うから、待っててくんない?」
ちょっと困ったように微笑む京華。そんな仕草に瞬は「なんだ」とばかりに前髪を掻き上げる。
「そんくらい、別にいいって。なあ、春霞?」
話を振られた春霞も、相変わらずの惰眠を誘うような笑みで答える。
「うん、全然気にしなくていいよ〜。ね、冬弥くん?」
「あ?…ああ、まあ、カラオケで盛大にハズしてくれるヤツがいないと面白くないからなぁ。」
と、憎まれ口を叩きながらも、冬弥は瞬と同じように苦笑いを浮かべた。
そんな冬弥につられ、京華にも思わず笑みが零れてしまう。
「ひっかかるなぁ、その言い方。この平成の歌姫に向かって。」
「お〜よう言うよう言う。何とか言ってやれ、春霞。」
「二人とも仲がいいね。」
「「って、何でそうなるねん!」」
「はぅ…。」
ポコッとチョップでつっこむ冬弥と京華。
何だかんだで呼吸がピッタリなところが妙に微笑ましい。
などと口にしたら二人がかりで烈火のごとくまくし立てられるのは確実なので、瞬は黙って見ているだけにした。
と、その時廊下から他クラスの女子の声が投げかけられた。
「きょう〜か〜。そろそろ行こ〜。」
「あ、うん、今行く〜。じゃ、悪いけど。」
「ああ。」
三人に軽く手を振り、京華は図書委員仲間の女の子のもとへ駆けていった。
その後ろ姿を見やりながら、冬弥は「よっこらせ」と自分の机に腰を下ろし、情けない声と共に友人らを見やった。。
「ふぁ〜、な〜んか腹減ったなぁ。お前ら何かもってねぇ?」
「悪いな、ガムくらいしかねぇ。」
「あ、私、お菓子持ってるよ〜。」
妙に間延びした声で答え、春霞は鞄を取り出した。
それは以前、なんたらとか言う少女漫画雑誌の懸賞で当たった、と春霞が歓喜していた岩飛びペンギンの「ギンジロー」君
のぬいぐるみリュック、というやつであった。
「お、お前、いいかげんそれ背負って学校くんの止めねぇ?」
呆れたような冬弥の声に、瞬も大きく頷く。何せ、春霞は見た目は文句の付け所のないほどの日本的な美少女で、その
慎ましく儚げな印象から、楚々としたお嬢様と言っても差し支えがないほどなのである。そんな春霞の背中にイキナリ妙な
デフォルメぺんぎんがぶら下がっているのを免疫にない人が見て、もしその人が食事中だったとしたら間違いなく吐き出して
しまうだろう、と瞬は思う。それくらい、この和風少女とギンジロー君には大きなギャップがあった。
「何で?可愛いのに・・・。それに使ってあげないと、懸賞に外れちゃった人に対して失礼だよ。」
可愛らしい顔を精一杯にしかめ、反論する春霞。そんな彼女を見て、冬弥と瞬は全く同じことを考えていた。
(あれって、応募者全員プレゼントだったって、京華が言ったのに・・・。ま、知らぬが花、だな・・・。)
と、そんな二人の心のため息など露知らず、春霞はギンジロー君から可愛らしいうさぎのアップリケが刺繍されたポーチを
とりだし、チャックを開くやいなや天地を逆転させた。
ドサドサドサドサドサ…。
「……。」
「……。」
「?」
言葉を失う二人。
無理もない。
量もさることながら、特筆すべきはその中身であった。
元々、この春霞という少女は他人−いわゆる平均的な女子高生−と比べ、著しくズレてる所があるというのはすでに
お解りだろう。が、それは彼女の一端を見たに過ぎない。このお菓子選びのセンスを目にするだけでも、その言葉の
意味を十分に理解できることであろう。
「え〜と…栗羊羹に金つばに豆大福に塩羊羹にみたらし団子に金平糖ぅ??」
「桜餅にヨモギ団子に…うわ、マニアックなウグイス餡の最中まで…。お前、和菓子屋でも始める気か?」
「んぐ?」
瞬の言葉に、いつのまにか大好物の栗羊羹にかぶりついていた春霞が慌てて飲み込もうと目を白黒させる。
「あ〜、いい、答えなくて。ゆっくり味わってくれ。」
「ん〜。」
たれ目がちな瞳を軽く瞑り、幸せそうに頷く春霞。
そんな春霞を見て、二人の青年はお互いに苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
「ま、いいや。春霞、これ貰うぞ。」
「ん〜んん〜!」
金つばに手を伸ばしかけた冬弥に、悲しそうな瞳で首を左右に振る春霞。
それに合わせて艶やかな髪がさらさらと波打つ。
「それは私が食べるのぉ、だってさ。」
「あ〜悪い悪い、じゃあ桜餅でいいや。」
「ん〜。」
「どうぞ〜、だってさ。」
「…気持ち悪ぃから裏声でしゃべんな。」
呟き、包装紙を破り、桜餅に葉ごとかぶりつく冬弥。
「んぐ…はぅ…。冬弥くんって通な食べ方するんだね。」
「はぁ?ん、まあ、な…。」
(…単に不精なだけだと思うが…。相変わらず、どこかズレてるな、春霞は。)
思いながら、瞬はゆっくりと立ち上がった。
「どこ行くん?」
「ちょっと喉乾いたから学食でジュースでも買ってくる。」
「瞬君も食べていいよ?」
「悪い、俺、和菓子って苦手なんだ。」
「そう?おいしいのに…。」
ちょっとだけ悲しそうに、春霞は微笑んだ。そんな春霞の頭を軽くポンポンと叩いてやる瞬。
「悪い悪い。じゃあ、ちょっと行って来る。」
「おう。」
「うん。」
二人の返事を待って、瞬は2−1の教室を出たのであった。

「ふう。」
オレンジジュースが売り切れていたため、やむなくカフェオレで妥協した瞬は、行儀悪く飲みながら階段を上がっていた。
と、不意に前方のほうからハツラツとした大きな声が投げかけられた。
「オィッス!瞬くん。」
「ん?あ、零菜センパイ、こんちは。」
階段の踊り場で腰に手をあてて仁王立ちしていたのは、三年生の一条零菜(イチジョウレイナ)であった。
そのあまりに元気一杯の声に、回りにいた一年生らが驚いたように零菜と瞬を順に見やる。
「元気してる?」
「センパイ程じゃないですけど、まあそれなりに。それより、そんなトコに立ってると見えますよ?」
その言葉に零菜は「ん?」と顔をしかめ、視線を自分のスカートに落とした。
そしてふと小悪魔的な笑みを浮かべると、ただでさえ短くて目のやり場に困るようなスカートの両端を掴んで左右に
軽く引っ張ってみせた。
「な〜に〜?瞬君、私のパンツ見たいの?」
「いや、別にそういうわけじゃないですけど…。」
「え〜何よソレぇ?おかしいよ、変だよぉ〜。あ、もしかして瞬君って小学生とかじゃないとダメな人?」
「な、何言ってるんですか!!誤解を招くようなこと言わないで下さい!!」
叫んでしまってから瞬は「しまった」と言ったふうに前髪を掻き上げ、クスクスと漏れる通りがかりの一年生の女子の
笑い声から逃げるように踊り場まで駆け昇った。
「く、センパイの慌てているところを見たかったのに、逆に俺が慌てるハメになるとは…。」
登り切った先で、してやったり、と言った笑みを浮かべる零菜に迎えられた瞬は、たまらず漏らしてしまう。
「チッチッ、甘い甘い。パンツ見られたくらいで騒ぐような私じゃないわ。」
「花も恥じらう乙女が胸張っておっしゃる言葉でもないと思いますよ。」
「い〜の、私はもうオトナの女ですもの。オトメは卒業し・た・の。」
言っていて自分で馬鹿馬鹿しくなったのか、語尾のほうは陽気な笑い声にとって変わられた。
相変わらずだなぁ、と瞬は苦笑いを浮かべた。
およそこういう性格とは正反対なイメージを与える容姿で、黙っていればどこか良家のお嬢様にも見えないこともないのに、
その実は妙に陽気でどこか体育会系なイメージが強く、笑いたいときは腹の底から笑うような人なのだ。
そして、そんな性格は瞬を含む大勢の人に好意的に映るのであった。
「瞬君はまだ帰らないの?」
「ええ、友達を待ってるんですよ。」
「彼女?」
「違いますって。センパイは?」
「もう〜そういうコト聞くぅ?」
「……いや、彼氏彼女の話でなくて。」
「あはは、わ〜ってるわよ。私は部活よん。」
ビシッと無意味にVサインをだす零菜。
「え?今日は音楽部は休みでしょう?クラスの女の子が話してましたよ?」
「みんなはね。私は部長サンだし、それに今度発表会で演奏する曲がなかなか強敵なのよ。なのに運悪くウチの
ピアノちゃんがゴキゲン斜めでさ〜。だから音楽室で自主練習ってワケ。」
そう言ってポリポリと頭を掻く。
そう、世間では"天才"とか"ピアニストなんたらの再来"とか騒がれているらしい。
が、零菜は実のところピアノの天才などではなかった。
それは音楽に触れたことのない一般人と比べれば、多少は才能もあるだろうが、第三者にそこまで言わしめた
最大の理由は、一重にひたむきで情熱的な努力の賜なのである。
零菜が朝早くから、そして放課後かなり遅くまで独り黙々と練習に打ち込んでいる姿を世間は知らない。
それ故に過程は無視され、結果のみが華々しく独走してしまうのだ。
いつの間にか押しつけられた"天才"というプレッシャー。
それは零菜にとって、足枷以外の何物でもないのではないか、と瞬は思う。
頑張って努力して、結果を出して、「当然」だと思われて次はもっと大きな「期待」を押しつけられる。その繰り返し。
零菜にとってピアノとは、きっと楽しい遊び友達であるのだろうに・・・。
そう考えると、瞬は少しだけこの陽気な先輩に同情したくなってしまった。
「何シ〜ンコクな顔してるの?全然似合わないからやめなさい。」
お茶目な笑みを湛えながら、零菜はチョン、と瞬の頬をつついてみせた。
そんな無邪気な零菜を見ていると、今のは自分の考えすぎなのだろうか、と瞬は思ってしまう。
「…いや、俺とセンパイのこれからについてちょっと。」
「…ぷ、あはははは!!言ってくれるじゃないの、この色男!色情魔!!女泣かせの床上手!!!後家殺し!!!!」
「意味知ってて使ってます?」
「ん〜ん、ただ言ってみたかっただけ。」
「……心配して損した。じゃ、俺もう行きますから。部活頑張って下さい。」
「おう、さんきゅ〜!んじゃまたね。」
零菜と別れ、瞬は2−1へと戻るため階段を再び上りはじめた。
妙に疲れた気がするのは、多分錯覚ではないだろう。

「せ〜んぱ〜い。」
と、しばらくして今度は後ろから声をかけられた。くわえたストローで空のパックを揺らしながら、器用に振り返る瞬。
「よう、琴音ちゃん。部活かい?」
「はい!」
100点満点の元気な返事で、自慢のポニーテールを左右に揺らしながら階段を駆け上がってきた袴姿の少女
−御名守琴音(ミナモリコトネ)−は律儀にも瞬の前にわざわざ回り込むと、
「こんにちは、せんぱい。」
と小さくお辞儀をしてみせた。
「相変わらず元気一杯だね。」
「はい、それだけが取り柄ですから。」
あはは、と少し照れくさそうに笑ってみせる。
「教室に忘れ物?」
「はい、図書館の本の返却が今日までなんです。その本を忘れちゃって。」
「ふ〜ん、だけど大変だね。琴音ちゃんは確か1−1だろ?三階まであがんのしんどいでしょ?」
「そんなことないですよ。トレーニングにもなりますし。」
そう言って琴音はグッと可愛らしくガッツポーズをとってみせた。
「たいしたもんだ。」
「あはは。あ、そうだ、せんぱいも琴音と一緒に部活動で青春の汗を流してみませんか?」
自分のことを自分の名で呼ぶ。高校生にしてはあまりに幼稚で滑稽に見えるかもしれない。
が、琴音のその天真爛漫な性格や(本人は怒るだろうが)その少し幼い印象を与える容姿と相まって妙にマッチしている
ように瞬は思う。と、思わず瞬の悪戯心がろくでもないことを思いついてしまう。
「う〜ん、琴音ちゃんと一緒に汗をかくならもっと他のコトをしながらがいいな。」
と、キャラクターに似合わない、冬弥も寒さのあまり悶絶しそうなオヤジギャグを飛ばす瞬
が、そんなことには微塵も気がつくはずもなく、汚れなき乙女の琴音は目をキラキラとさせていた。
「あ、は、はい!!じゃあ今度一緒に朝ランニングしましょう!!」
「…………そ、そだね…。」
「??」
(うう、そんな目で見ないでくれ…。俺は汚れたヤツなんだ…。)
そんな瞬の情けない自己嫌悪を知って知らずか、琴音の汚れなき想いは加速を続ける。
「あ、でも大勢のほうが楽しいですよね!廻せんぱいも一緒に…あ、あと姫野せんぱいと御影せんぱいも。」
「いや、冬弥はともかく、残り二人は絶望的だと思うよ…。」
「え、そ、そうなんですか…。」
「それより、時間はまだ大丈夫なの?土曜日は図書館閉まるの早くなかったっけ?」
言いながら腕時計を琴音に見せてやる。
「え?ああ!!そ、そうでしたぁ〜!!ごめんなさい、琴音、もう行きますね!」
言うが早い、今日二度目の深い深いおじぎをして、琴音は猛スピードで−とは言っても十分緩慢と表現してさしつかえのない
スピードであったが−階段を駆け上がっていった。
「ふう、一日のうちに零菜センパイと琴音ちゃんの二人に会うと、元気をあてられて疲れるな…。」
頭を軽く掻きながら、ふと腕時計に視線を落とす。
京華が委員会に行ってから、そろそろ20分が経過しようとしていた。
「そろそろ戻るか…。ふぁああ…。」
午前中真面目に授業を受けていた反動だろうか、思わず漏れてしまった欠伸をかみ殺しながら、瞬は
春霞や琴音以上にのったりした足取りで、階段を上がっていった。
いつもとなんら変わらない日常。
その時瞬は、この日常というちっぽけな幸福が、簡単に壊れてしまう砂の城で行われているロンドであるなどとは微塵も
思わなかった。そして、今自分の背中を階段の片隅から見つめている少女の瞳にも、気がつくことはなかった。


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