中央改札 交響曲 感想 説明

遥なる一瞬の星
式部瞬


現在というものは、計り知れない、そうまさに「神の御心」とでも形容するのが妥当である
「引力」にひかれ、森羅万象がその一点において紡がれることにより初めて我々にその存在
を認識させる。
神の御心はあたかも針の先端に危うく置かれた満杯の水瓶のごとく不安定で、悪魔の優しさ
のように皮肉に満ちている。時に神は創造を行い、時に神は破壊を行い、その都度、人類は
吊られた糸を絡ませながら、ただ只管くるりくるりと踊り狂う。
その様を見て、神は時に子供のように無邪気に笑い、時に皮肉に満ちた蔑笑を浮かべ、
そしてときに激しい怒りを憶える。
そう考えるのならば、我々が生きているこの現実なぞ、なんと希薄なものであろうか。
46億年前、そこには何も存在などしてはいなかった。
やがて引力にひかれ、微惑星に含まれていた岩石や金属が集まりだす。
微惑星の衝突・合体の繰り返しによって地球は今の形、大きさを作っていった。
小さいものは大きいものに吸収され、徐々に一つの惑星へとまとまっていった。
地球の元である原始地球は、こうして誕生した。
そして、それこそが全ての始まりであった。


図書館には誰もいない。
耳に届くものは、自分がその本をめくる紙擦れの音と、夏の生命力を具現化したかの
ような蝉の声のみである。

今日も記録的な猛暑になるだろう

青年はふぅ、と熱の篭った空気の塊を吐き出し、額に落ちかかる前髪をかきあげた。
開け放たれた窓から、時折吹き込む微風が唯一青年に清涼感を与えてくれる。
今年新設されたばかりのクーラーは使用不能であった。
「いくら最新式だって、電気がなければただの箱だよな」
苦笑交じりにそう呟き、青年は読みかけのページを机に押しつけ窓際へと向かった。
校舎の三階にある図書館からは正門とグラウンドが一望できる。
人影はない。
月曜日の・・・ちらり、と視線を左へと動かす。
時計台は3時17分をさしていた。それが「いつ」の3時17分なのか、青年は考える気にも
ならなかった。学生服のズボンから携帯を取り出し、時間を確認する。

12時30分

「そろそろメシでも食うかな・・・」
言っていて虚しくなる。
学食も、自販機も、コンビニも、恐らく、いや確実に機能してはいない。
今学校にいるのは、恐らく青年一人であったろし、自販機やコンビニなどとうに荒らされ
て商品や小銭などが盗難されているであろう。
「今更、金なんてなんに使うんだか」
欠伸まじりに、青年はそう零し窓枠にもたれるようにして軽く目を閉じた。


「奇跡という名の始まりが、奇跡という名の終焉によって幕を閉じないと、誰が言えよう」


不意に、まるで絹の糸を滑るかのような、美しい声が青年の耳へと届いた。
ハッとして、瞳を開く。
つい今しがた青年が読書をしていた席に、いつのまにか一人の少女が座っていた。
少女は文面に視線を降ろしたまま、静かに落ちかかる髪をかきあげた。
身長は150程度であろう、青年と同じ高校の制服を着てはいるが、酷く幼くみえる。
艶やかな、宵闇と黒水晶を溶け合わせたような美しい髪は腰の手前程度で綺麗に手入れ
をされている。肌は陶磁器のように白く、しかし冷たさは感じさせず、日本人形のよう
であっても、そこには確かに少女の生命力が宿っていた。

美しい

青年は、素直にそう思った。

そんな青年の心の声が届いたというわけではないだろうが、少女は本にしおりを挟み、
青年へと、その優しげな双瞼を向けた。
「本にはしおりを挟んだほうがいいよ。本が傷むから・・・」
責めるような口調ではなく、慈愛に満ちた母親のような口調である。
「あ、ああ、そうだね。これから気をつけるよ」
言っていて可笑しくなる。
これから?この本に、そして自分にこれからなんてあるのだろうか?
「何が可笑しいの?」
優しい笑みのまま、少女は席を立つと悪戯な風に流される髪を静かに撫でつけた。
「別に、何でも・・・」
「そう・・・私、春霞。御影春霞(ミカゲハルカ)」
「俺は瞬、式部瞬(シキブシュン)だよ」
「知ってる」
そう言うと、春霞は眩しそうに二重の瞳を細め、瞬の隣からグラウンドを見渡した。
「誰もいないね、外」
「・・・ま、そりゃそうだろうね。こんな時に学校に来るなんて・・・」
「私と瞬君くらいかもね」
呟いて、春霞は自分より頭一つ分以上高い瞬の顔を覗きこんだ。
「瞬君って、呼んでいい?」
「かまわないよ、好きなように呼んでくれて」
「私のことは、呼び捨てにしてほしいな」
そういう春霞の瞳は、まるで宇宙の深遠か、大海の深遠のように深く、目があうと
吸い込まれてしまいそうな幻想さえ憶えてしまう。
瞬は視線を軽く外し、春霞がそういうなら、とぶっきらぼうに言った。
そんな瞬を優しく見つめる春霞。と、ふとその視線を下ろす。
「携帯電話、持ってるんだね」
「ん?まあ、ね。でも・・・」
携帯の液晶に視線を下ろす。バッテリー容量を表すマークが、すでに消えていた。
「今じゃ時計の変わりにしかならないけどね」
と、その時ピーっと耳障りな電子音が鳴り響く。
「で、とうとうこいつは電話型の文鎮になっちまったわけだ」
「ふふ」
そんな言いように、思わず春霞は笑みを零す。
それを見た瞬も、思わず苦笑いを零し、そしてもはや無用の長物となった携帯を窓
から勢いよく放り投げた。
「さて、と・・・これからどうするかな」
「ゴハン、食べない?」
「ゴハンって・・・でも食うものないだろう?」
「学食に何か残ってるかもしれないよ、行ってみよ?瞬君」
甘えるような声に、瞬は苦笑交じりに軽く頷く。
「んじゃ、まあ行くだけ行ってみるか、春霞」
「そうだね、瞬君・・・・・・ねぇ、瞬君」
「ん?」
振り向いた瞬に優しく微笑みかけ、ついで、少しだけ寂寥感を含む瞳で、春霞は呟いた。


「世界が終わるまでに、私、あと何回、瞬君って、呼べるのかな・・・」


無口な風が、二人の髪を、優しく撫でながら、吹き抜けていった。



「世界が終わる」
そんな言葉がいつの頃からか、ネットの世界で広まっていた。
あるものは全世界規模での核戦争が始まるといい
あるものは恐怖の魔王が光臨するといい
あるものは異性人の侵略が始まるといい
あるものは超大規模掲示板でそんな連中の妄執をあざ笑った

そんなことの繰り返し、さりとて珍しいことでもなかった。
所詮は自己の発言に責任など負わずとも非難されず、非難されても無視ができる、
そんな世界に生まれた戯言にすぎない。
匿名性に裏付けられた無責任なネタ話が、いつものように世界の網の中で弄ばれて
いるにすぎない、誰しもがそう思い、誰一人重大に考えることなどなかった。。
しかし、そんな妄執が現実へとその姿を変えるのに、それほど長いの時間は要さなかった。
発端は、やはりネットであった。

その日、気だるい梅雨がようやく終わりかけたある晴れた日に、米国国家航空宇宙局(NASA)
の研究員、を名乗る男-確証はないが-によりとある文書が世界中にばら撒かれた。
「地球の倍ほどの規模の惑星が、地球の公転ルート上に到達する」
そして
「公転速度の遅いその惑星に、地球が激突し、消滅する」
と、その文書には記されていた。
誰もが、腹をかかえて笑った。
ネタにしても、あまりに突飛すぎる。
そしてこの馬鹿げた話も、いつものように他の娯楽に潰されて電子の海の藻屑となるはずであった。
やがて、続報が電子世界を駆け巡った。
NASAの所有する極秘データが、世界中のありとあらゆる政府機関、企業、個人
へと配信されたのである。もはや、情報規制などできるはずもなく、全世界の人類がその内容に
触れりこになったのである。
しかし、震撼したのはごくごく一部のみであった。
結局、どんな証拠を出されようと、このように馬鹿げた内容の記事を誰も信じようとはしなかった。
連日テレビでは激論が面白おかしく放映され、ネットの世界もこの話題を肴に、お祭り騒ぎがはじまる
始末であった。そして、案の条、話題は下火へと向かっていった。


やがて、夏が訪れた。


そして、今だに、夏は続いている。


10月を過ぎ、11月を過ぎ、今だ、夏は続いている。


猛暑の中、世界は震え上がった。
四季がない国に、夏が来た。
常夏の国には、酷暑が続いた。
四季のある国からは、夏以外の季節が永遠に姿を消した。

緩やかに、確実に、世界を取り囲む環境は変化を続けた。
まず、気温の異常な上昇に伴い、南極と北極の氷山が溶け出し海面が著しく上昇した。
そのためオランダをはじめ、太平洋のマーシャル諸島の一部ではその80%が、
バングラディシュでは国土の18%が母なる海へとその姿を消した。
それと平行するように、アフリカ、チベット、南アメリカでは激しい砂漠化により
国土のほとんど全てが死の大地へとその姿を変貌させ、大気に吸収された膨大な水分
が近隣諸国に車軸を降らせたかのような豪雨となって大地をえぐりとる。
自然発火によって生じた森林火災は幾星霜を経て形成された新緑の森を一晩で灰燼に
帰させ、棲みかを追われた動物達は無人の荒野に屍をさらす。
アメリカ、イギリスの中間を震源地とする地球規模の大地震が発生し、アメリカはその広大な大地を
二分するほどの深い傷痕を負い、イギリスは天を衝くほどの大海嘯に飲まれ、実に人口の4割を永久に失った。
無論、日本もその例外ではなかった。
まさに天地が逆転すつかのごとき直下型の大地震により静岡から糸魚川につながるフォッサマグナに積もる
新しく、軟弱な地層が液状化により2000m近く陥没し、そこに増水した海水が一気に流れ込んだ。
ついで大洪水が容赦無く襲い掛かり、横浜、神戸、大阪、長崎、函館、東京と主要な港はほぼ壊滅状態に陥った。
天を衝き、その権威を主張するがごとく乱立した高層ビル群は無残にへし折れ、原子力発電所はメルトダウンを
引き起こし近隣の町へと死の雨を降らせる。
製造ラインはことごく寸断され、輸送ラインは完全に麻痺した。
電気、ガス、水道、電話、テレビ回線、それらの全ては使用不能に陥り、経済大国を誇る日本は、あたかも
文化レベルを100年近く後退させたかのような惨状であった。
このような状況下で、人類がまともでいられるはずがない。
悲観し、自らの命を絶つ者が続出した。
己が崇拝する神の名のもと、異教徒に対し天罰の代弁者となることで自分だけは救われると信じ込み、
女、子供、老人を問わず虐殺を始める者達が現れた。
同じ神を信じつつも、カトリックとプロテスタントは互いの首に銃剣を突き立てあった。
中東諸国は真なる世界の支配者を高らかに謳いあげ、バチカンは唯一無二の神の民に跪けと全世界に対し公言した。
開き直り、理性の檻から飛び出した本能に従って行動する者が爆発的に増発した。
理由もなく他人を惨殺し、女性を犯し、食料や金品を強奪する。
秩序やモラルは完全に霧消し、人類は荒廃の一途を奈落に落ちるかのような速度で駆け下りていた。

すでに、この段階で世界はほとんど終わっていたと言っても過言ではなかった。
ゆえに、このような非常な状態に、まともでいられるほうがよほど異常であると言えた。
死刑を宣告された人間が、普通の人間と同じように瞳を輝かせ、笑って生きられるだろうか?
何の希望も持たず生きていられるほど、人間は強くはない。
瞬も、同じであった。
世界が終わる。
その事実の片鱗を、希望的観測で乗り越えられるほど瞬は楽観的ではない。
さりとて、絶望のまま発狂し凶行に走るつもりもさらさらない。
結局、瞬は単に考えるのをやめたのだった。
もともと、それほど「生きる」ことに執着はなかった。
それは積極的に「死にたい」と思っていたわけではなく、這いつくばってでも「生きたい」と思わなかっただけである。
意味の無い生をだらだらと続けること、内容の濃い、短い人生をおくること・・・
そのどちらがより正しいのか、真理なのか、そんなこと正直瞬にとってはどうでもいいことだった。

考えれば、永遠に生きられるとでもいうのか?
意味を探し、手にすれば偉大なる死を迎えられるのか?
内容の希薄な生は罪なのか?
何のために生まれたのか?
何のために生きているのか?

瞬に言わせれば、そのような問題「知ったこっちゃねぇ」というところである。
所詮、人間は死ぬまで生きなければならない。
明日、いや一秒後にさえ何がおこるか予測できずにいるのに、いつか必ず訪れる死に心を惑わされることが、
どれほど無意味なことか、と瞬は考えていた。
あと7日、一週間で世界は終わる。
それが、瞬が最後に耳にした政府の公式発表だった
あと7日で、あがこうがあがくまいが、人類は滅亡するのだ。
悲観しているわけでもなければ、楽観しているわけでもない。
恐怖を感じているわけでもなければ、虚脱に自我を喪失しているわけでもない。
今、こうして普段と同じように学校へと足を運んだことが、それを物語っていた。

「あ、難しいこと考えてる」
図書館の窓から変わり果てた町並みを見つめながらぼんやりとしていた瞬の横顔に悪戯っぽい少女の声が投げかけられる。
軽く苦笑いを零し、瞬はすぐ隣で自分を見上げている少女に軽く肩をしかめてみせた。
「別に、難しいことなんか考えていやしないさ」
「そう?」
「ああ、今日は何をしてすごそうかなって、な」
笑いながら、瞬は図書館の中に視線を泳がせる。
床には体育倉庫から運んできたマットが敷いてあり、その上にシーツがわるのカーテンが覆いかぶさっている。
テーブルの上には理科室から拝借してきたアルコールランプやマッチが、別のテーブルには学食の倉庫に僅かに残されていた
ペットボトルの飲料水やインスタント食品が置かれている。それほど数量はないが、二人が一週間食いつなぐには十分な量だ。
入り口は、中から施錠した上にテーブルやら本棚やらで完全に封鎖した。
近隣でも有数の蔵書を誇るこの図書館には司書の控え室もあり、そこにトイレもシャワー室も完備されている。
もはや水は使用できないが、そこでミネラルウォーターで体を洗うくらいのことはできた。
あの日、瞬と春霞が出会ってから、二人はどちらから言い出したわけでもなく、この図書館で二人で過ごすことにした。
外に出たところで何があるわけでもないし、このまま二人でこの部屋で最後を向かえるものそんなに悪い気分でもない。
学校中を二人で回り、使えそうなものを集める。その行為は遠い昔、まだ何も解らぬ子供の頃の秘密基地作りに似ていて、
瞬はガラにもなく、少しだけ心を躍らせもした。
結局かき集めたインスタント食品で昼食をとり、その後二人は思い思いに読書に耽った。ふと活字から逸らした視線が重なれば、
読書をやめとりとめもない話をした。
やがて太陽は消え去り、夜の帳が下りる。
光源は星と月、そしてそこに誰かいるのであろう、町並みにぽつぽつと見える明りのみであった。
二人はアルコールランプに火を灯そうとして、やめた。
互いの息どころか、鼓動さえ聞こえるほど距離で、二人は寄り添っているのだ。
互いの顔を見やるのに、月星でさえ明るすぎる。
何より、静か過ぎる深い宵闇を、擬似的な炎で切り裂くのは酷く卑しいようにも思えた。
「・・・私ね」
静寂を、先に破ったのは春霞だった。
「瞬君のこと、知ってたよ」
「昼間も、そう言ってたね。でも、俺そんなに目立つようなことしたかな」
「してないかも。でも、私は知ってたよ。私だけじゃ足りない?」
茶化すように、春霞が笑う。
「それよりも、何で知ったのかが気になるね、俺としては」
「好きだから」
間髪いれず、春霞は言った。
また、冗談を、と言いかけて、瞬はやめた。
月明かりに照らされた春霞の頬に、微かに紅葉が散っていた。
「・・・うーん」
「何?」
「あまり、好かれるような事をした憶えはないけど・・・」
「うふふ・・・」
瞬の生真面目な態度に、春霞は思わず笑みを零す。
「まあ、なんていうか、・・・ありがとう」
時も、選択も誤った素っ頓狂な言葉に
「どういたしまして」
と春霞は優しい笑顔を浮かべた。
「でも、意外な感じがする」
「何が?」
「春霞って、おとなしい感じに見えるし、こういうことに積極的にはあまり見えないからさ。
まさかいきなりそんな告白されるとは思わなかった」
「・・・そうだね、多分、普通だったら、卒業するまで瞬君は私のことを知らなかっただろうし、
私も瞬君のこんなに近くにはいられなかったと思うよ」
呟き、立ち上がると、開け放たれた窓から月を見上げる。
「どうした?」
「えーと・・・」
「ん?」
「・・・顔、見られると恥ずかしいよ・・・」
「告白は恥ずかしくなかったのに?」
茶化すように、瞬は呟いた。
「恥ずかしいよ・・・胸の鼓動、聞こえたでしょ?」
「どうだったかな、触ってみればわかるかも」
「あ、そんなこという瞬君はあんまり好きじゃないなぁ」
二人して、他愛もない言葉のやりとりに思わず吹き出してしまう。
「まあ、あれか。人間死ぬ気になれば、自分だって変えられるってことか」
「あ、冗談に聞こえないよそれ。あと7日・・・あ、もう6日かな?」
「俺達が死ぬのが、かい?」
「うん」
特に悲壮感もなく、春霞は頷く。
その態度に、瞬はやや意外な印象を受けた。
それを察したのか、
「誤解しないでね、瞬君。私別に死にたいわけじゃないし、死ぬのが恐くないわけじゃないんだよ」
「ふうん・・・じゃ悟った?」
「うーん、少し違うかも・・・考えるのが、疲れちゃった。私、頭よくないし。やっぱり、少し変かな、私」
「同じようなもんだよ、俺も。疲れるし、面倒くせぇ」
ぶっきらぼうな言葉に、春霞はクスクスと笑みを零す。
「・・・ね、瞬君」
「何?」
「もう一つ、誤解しないでね」
呟き、春霞は再び瞬の隣に寄り添うように腰を降ろすと、今度は瞬の顔をしっかりと見上げながら続けた。
「好き・・・って言ったのは、唐突だし、こんな状況だからかもしれないけれど」
月明かりの下でも、はっきりと顔の紅潮が見て取れる。
「でも、好きって気持ちは、ずっと前からだから・・・」
耐え切れず、視線は胸元に落とされる。
「・・・・・・」
「・・・ね、瞬君、私のこと、嫌いじゃない?一緒にいて、嫌じゃない?」
「・・・さあ、ね。まだ解らないよ、今日、知ったばかりだし」
「・・・そ、だね・・・」
シュン、として小さくなる春霞を見やり、瞬は少しだけ笑みを零し
「ったく、そういう時は、好きかどうかって聞けよ」
と、両手で春霞の絹のような手触りの髪をくしゃくしゃとかき回した。
「わ!や、やめてよ」
「いーや、やめない」
「わ、やだ、やだってば・・・ん・・・」
不意に、手が止まり、そのまま肩と頬に触れられる。
そして、無言のまま、瞬は春霞の唇に自分のそれを重ねた。
「ん・・・む・・」
そのまま、春霞の壊れそうなほど華奢な体を抱きすくめる。
震える小さな肩は、やがておさまり、胸元で結ばれていた腕はゆっくりと瞬の背中にまわされる。
やがて、どちらからともなく唇が離れる。
そして瞬はゆっくりと優しく春霞を床へと押し倒す。
「わ・・・」
「・・・何?」
「ん、あの、なんていうか・・・瞬君も、男の子なんだなぁって・・・」
「ん・・・なんていうかな、・・・嫌か?」
その言葉に、クスっと思わず笑みが零れる。
「そんな質問ずるい。嫌・・・じゃないけど、いいっていったら、なんか・・・アレだし・・・やだ、恥ずかしいよ・・・」
「・・・・・・」
「・・・優しく、愛してね・・・・・・」


優しい月光のもと、二人は体を重ねた。
若さに身を任せたわけでもなく、押し迫る絶望から気を紛らわすためでもなく、ただ、想いをより深く通わせるためだけに、
何度も、何度も体を重ねた。
冷たい月明りが白磁の肌にうっすらと浮かんだ汗に跳ね、可憐さと妖艶さを伴って少女をより美しく、より艶やかに彩る。
隕石から生まれ、宇宙の記憶を宿すといわれる宝石、テクタイトを思わせる幽玄な黒髪が、体を重ねるごとに波打ち、
仄かに立ち上る熱を孕んだ甘い香りはベラドンナのように瞬の脳髄を刺激した。
その香り、その体、その全てが、瞬の中の感情をより強く揺さぶり、より強く刺激する。
ただ、愛しい。
愛しくてたまらない。
どんな言葉も、どんな行為も、想いを伝える障壁でしかないように感じられた。
星の数ほど、愛の言葉を囁こうとも、どんなに愛情を込めて体を抱こうとも、それでもまだ足りない。
・・・何が足りない?

「時間だ・・・」
「え・・・?」
乱れた息も絶え絶えに、春霞は瞬の逞しい胸に寄り添った。
「時間が足りない。もっと時間をかけて、お前のことを好きになって、愛したい・・・」
「・・・・・・」
「足りないんだ!時間が・・・」
「・・・うん、時間・・・もっと欲しいよね・・・」
春霞の熱覚めやらぬ体に腕を回し、瞬は強く抱きしめた。
「生まれて、初めてだな」
「え?」
「こんなに、時間ってやつが大切で、・・・残酷だと思ったことはないよ」
「・・・うん・・・でも」
呟き、春霞ははにかみながら脱ぎ捨てられた瞬のYシャツを羽織り立ち上がった。
そして窓から宵闇に煌く星星の大海を見上げた。
「短い時間しかなくても、私が瞬君に会えたって事実だけは、絶対だから・・・」
「・・・出逢ってしまったが故に、生まれる悲しみもある」
「それは、失う悲しみ?」
「かもしれない。だけど・・・」
上体を起こし、瞬は窓際に舞い降りた月明かりの妖精に手を差し伸べる。
誘われるがまま、妖精は瞬の胸元に滑り込む。
「出逢えなかったよりは、いい」
「・・・」
「失う悲しみは、耐えがたい苦痛だ。でも、出逢えなかった不幸よりは、大分マシだ」
「・・・うん」
「・・・さっき、時間が足りないって言ったけど、あれは取り消すよ」
「なんで?」
「時間の長短じゃなかった。時間がないのなら、ないなりにお前を愛することができる。
例え俺が100年生きようが200年生きようが、そんなものはお前と出逢えた一瞬より価値があるはずがない」
「・・・・・・」
「あと6日か、上等だよ。あと6日しかないんだったら、俺にできることは一つしかない」
「私にできることも、一つしかないよ」
「そうだな・・・」
呟き、瞬は春霞の華奢な体をもう一度強く抱きしめ、今日何回目かの口づけを交わした。


「瞬君、朝ゴハンできたよ。今日のは特別おいしいんだから」
自信満々に、カップラーメンが手渡される。
「これに関しては誰が作っても、大して変わらない気がするけどなぁ」
「そんなことないよ、私が瞬君のことを想って作ったんだもん」
「朝っぱらから、恥ずかしいことをよくいう」
茶化すような瞬の言葉に、春霞の顔が一気に紅潮する。
「う、今のはちょっと恥ずかしかったかも・・・」
「ま、そんなところも、お前の魅力の一つだな」
「わ、瞬君ってば朝から恥かしいこといってる」
「ほっとけ」
投げやりに言って、カップラーメンをすする。
もともと大して美味い食べ物でもないが、確かに普段よりは美味に感じる。
つくづく、不思議なものだと瞬は想う。
料理とは、所詮材料を技術で加工したにすぎず、元来人間の意志の篭る領域など微塵もないはずだ。
しかし、実際食べてみると、例えそれがお湯を入れるだけのインスタント食品であっても、調理した者の心を
確かに感じとることができるのであるから。
それは本当に相手の心が物に宿ったのか、それとも自分自身の相手に対する気持ちが上乗せされるからなのか、
もしくはその両方か。
「うん、美味い」
「ね?言ったとおりでしょ?」
「最近はカップラーメン市場も乱世みたいだからなぁ、研究者も大変だな」
「またそういういじわる言うー」
「はは・・・」
とりとめも無い、会話。
そんなものが、このうえない幸福を与えてくれる。
形のない、「幸せ」を今確かに感じている。それが、何よりも嬉しかった。
「ね、今日は何をしよっか?」
「そうだな・・・まず、本を読むのはやめにしよう」
「うん、もっと時間は大切にしなきゃね」
そう言って、春霞はクスクスと笑う。
自虐や皮肉の成分を含まない、穏やかな笑みだ。
残された時間に悲観はしない。
そんな無駄な時間を過ごすことに、二人はなんの興味も抱きはしなかったのであるから。
「まあ、あれだ、別に何もしなくてもいいんじゃないかな」
「そう?」
「例えば、二人で話をするのもいい。飽きたら、二人で昼寝するのもいい。夜になったら、その、なんだ・・・」
「・・・うん」
昨夜の情事を思い出し、春霞の頬に薄く桜が舞う。
「ま、あれだ、何をするのか、が問題じゃないだろ?何もしなくてもいい。・・二人でいれば、何だってな・・・」
「うん!」
満面の笑顔で、春霞は頷いた。
そんな素直な反応に、胸の奥に生まれた感情が春の温もりを帯びる。
人と人との間に感情が生まれるために、時の長さは関係ない・・・
そんな一文を、昔どこかで目にした覚えがある。
今にして思えば憎しみも、喜びも、悲しみも、愛おしさも、何もかも、始まりは全て初見からすでに始まっているような、
そんな気さえしてくる。
長く付き合わなければ、人間は理解できないと人はいう。
しかし、人目でその人間の本質を見抜くことだって、人間はできる。
それは恐らく理屈ではない。
例え理屈で説明できることであったとしても、それは瞬が今すべきことではない。
今はただ、目の前の少女のことを考えていればそれでいい。
心から、瞬はそう感じていた。

朝が来て、夜が来て、また、朝がくる。
瞬が春霞を愛し、春霞が瞬を求め、体と心を重ねるたびに、世界は終局へと向かってその足を進める。
立っていられないほどの地震が二回発生し、窓から見える町並みは二度その姿を変えた。
幸い、改装を終えたばかりの校舎は壁に亀裂がはいる程度の被害ですみ、図書室も本棚が倒れる程度ですんだ。
「世界が、変わっていくね・・・」
窓から町並みを見やり、春霞はぽつりと呟く。
「あと三日なんだね」
「どうかなぁ」
言いながら優しく背中から抱きしめ、触れるだけのくちづけを交わす。
「正確に三日後に終わるっていう保証はないしな。一秒後に、みんな消えてなくなるかもしれないし、
もしかしたら何にも起こらないかもしれない。結局は・・・」
「死ぬまで、生きるしかないもんね」
笑いながら呟き、春霞は目一杯背伸びをしてくちづけを求めた。
言葉もなく、瞬は再び唇を重ねた。


砂時計の時の砂はとどまることなく滑り落ち,刻一刻と、目に見て取れるほどに世界は崩壊を始めた。
度重なる地震に伴い、窓から見渡せる世界は7度その姿を変えた。
増水した海水と氾濫した川の水がグラウンドに流れ込み、一階部分は完全に水没した。
豪雨が大地を浸食したかと思えば、次の瞬間には灼熱の陽光が大地を焼いた。
もはや、人類に残された時の砂は微量であった。

「・・・痛むか?」
折れそうなほど華奢な肩を抱きしめ、瞬は優しく呟いた。
無言のまま、春霞は顔を左右に振る。それにつられ艶やかな髪が緩やかに脈打つ。
地震の際倒れた書架に挟まれた春霞の足首は、どうやら折れてはいないようであったが、骨にひびが入っているようで
自力で立ち上がることはできなかった。
「大丈夫、痛くないよ」
精一杯の笑顔も、苦悶を完全に隠しきることはできない。
額に浮いた汗も、少女の健気な痩せ我慢を如実に表してした。
なぜか、酷く愛おしく思え、瞬は春霞を優しく抱きしめた。
抵抗することなく、体の全てを瞬の逞しい胸に預ける。
二人は、言葉を紡ごうとはしない。
抱きしめ、抱きしめられ、それ以外に、何もしない。
それだけで、感じ取れた。
お互いの心、想いを。

不意に、激しい揺れが寄り添いあう二人を激しく揺さぶる。
もう今日何度目の地震なのか、数えるのも億劫であった。
震える肩をギュっと強く抱きしめ、瞬は優しく春霞の髪を撫でた。
ほどなく、地震はおさまった。
窓からの景色は、また変化を遂げたのだろう。
図書館の中も、まるで玩具箱をひっくり返したような惨状である。
しかし、二人にとってそのようなことはもはや些事であった。
このまま、抱きしめあったまま、世界の終りを迎えればいい。
ここから動く必要もない。動く時間すら、惜しい。
今はただ、愛しい人を抱きしめていられればいい。
「・・・ね、瞬君」
「ん?」
「もうすぐ、終わるんだね・・・世界」
呟く春霞の頬を、恐らく見納めになるであろう、茜色の夕日がセピア色に染めている。
おそらく、今日という日が終りを告げるまで、あと6時間ほどであろう。
そしてそれは同時に、世界の終りをも意味するのだ。
「終り・・・か。・・・俺さ・・・」
「うん・・・」
不意に零れた瞬の言葉に、春霞はゆっくりと頷いた。
「ガキの頃から、本を読むことがわりと好きなほうだったんだ」
「うん」
「でも、なんかな・・・。最初はいいんだ。本を手にとって、表紙を見る。
それだけで、胸がおどったよ。前書きをよんだだけで、わくわくしてきて、文字を目で追うことすら
まどろっこしく思えちまうんだ。物語が進むにつれて、それこそ時間を忘れるほどに没頭しちまってな・・・」
「わかるよ、私も寝る前にちょっと読むだけのつもりで本を開くと、止め時がなかなかみつからなくて、
つい夜更かしとかしちゃうから」
「うん・・・でもな、結局俺、物語ってほとんど読みきったことがないんだ」
苦笑交じりに、瞬はそう零した。
「うん、それもわかるよ」
愛しい人の意外な言葉に、瞬は思わず顔をしかめた。
そんな反応を楽しむかのように笑みを零し、春霞は沈みゆく夕日に眩しそうに目を細めた。
「嫌なんだよね、終りがくることが・・・」
「・・・そうだな、最後には、登場人物はハッピーエンドで終われるかもしれない。
でもな、それでも、見たくないんだ。どんなに幸せな結末でも、終ってしまえば、俺の中でその物語は死んだも同然なんだ。
終りを告げた物語は、多分段々忘れられていくんだと思う。どんどんセピア色になって、いずれ埃を被って、最後には消えて
なくなっちまうんだ・・・それが、たまらなく嫌だった」
「大人になるのを拒絶する、ピーターパンみたいだね」
「言いえて妙かもしれない」
苦笑いを零し、瞬は夜の帳が降り始めた星の大海へと瞳を向けた。
「でもな、やっぱ違ったんだ」
「何が?」
「消えてなくなっちまうのか、意味のないものになってしまうのか、それは俺自身の問題だったんだ。
結局は、俺は見えない何かに畏れを抱いて、失う恐さを手にしてしまわないように、逃げ回っていただけだったんだ」
「・・・」
「でも、今は違う。今日、世界がぶっ壊れちまうとしても、それでも、俺は・・・」
「・・・」
「俺は、お前に逢えてよかったと思う。お前といられる、この時間を持てたことが、何よりも、嬉しい・・・」
「例え、消えゆく運命でも?」
その言葉に、瞬は力強く頷いた。
迷いは、微塵もなかった。
「かまわない。出逢えなかったより、ずっといい・・・」
「うん・・・・・・ありがとう」
「え?」
「私のこと、愛してくれて、本当に、ありがとう・・・」
「それは、俺の台詞だと思う」
「え・・・?」
「俺を好きでいてくれて、あの日俺の前に現れてくれて、そして今、そばにいてくれて、本当に、ありがとう・・・」
「・・・・・・・・・」
しばしの沈黙。
そして、先にその沈黙を破ったのは、ばつが悪そうに頭をかく瞬であった。
「・・・・・・・・・駄目だ、言葉が、見つからん・・・」
「・・・うん・・・いいの、十分、だよ・・・」
「・・・・・・ああ」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
言葉もなく、二人はくちづけを交わした。
溢れ出す想いを少しでも相手に伝えるように、激しく、そして愛しむかのように・・・
優しく二人は一心不乱にお互いの温もりを求め合った。
予感めいたものが、あった。
恐らくこれが、現世で交わす最後の契りになるであろうことを、二人は漠然と感じていた。


漆黒の大海に、幾百、幾万、幾億の宝石を散りばめたかのような夜空に、一際大きく、美しく輝く星が瞬いている。
恐らく、その星に激突し、この世界は舞台の幕を降ろすのだろう。
カーテンコールは、聞けないんだろな、瞬は苦笑い交じりにふとそう思った。
あれから、瞬は歩けない春霞を抱きかかえ屋上へと上がった。
そうしても、夜空が見たい、と春霞がねだったのだ。
夜空を遮るものは何一つなく、無限に広がる星の大海は、確かに今、二人だけのものであった。
「あの星に、ぶつかっちゃうんだね」
「多分、な。目で見て分かるくらい、どんどんでかくなってる気がする」
「そうだね・・・あと、1時間くらいかなぁ?」
「専門家じゃないからなぁ、なんとも言えない」
「ふふ・・・」
瞬の言葉にクスクスと笑いながら、春霞は瞬の腕から離れ、足を引きずりながらよたよたとフェンスに向かって歩き出した。
「おい、大丈夫か?」
「平気平気・・・ね、瞬君」
ようやくフェンスまで到達した春霞は後ろを振り向くと、もたれるようにその場に腰を下ろした。
ゆっくりと歩み寄り、瞬も同じように隣に腰を下ろし、そして抱きしめた。
「何?」
「今度・・・」
「うん・・・」
「あの、ね、今度・・・・・・」
いつのまにか、溢れ出した涙が、月明かりを受けて、銀色に輝く。
「今度は・・・今度は・・・うう・・・」
「ああ、・・・今度は、もっと、早く出逢えたら、いいな・・・」
「うん、うん・・・私、あの日、すごく、勇気振りしぼったんだからね・・・」
「うん」
「だから、次は、瞬君の番だからね・・・。絶対、私より先に・・・」
嗚咽がこみ上げ、言葉が続かない。
「わかってる、絶対、先に見つけるさ・・・。絶対に・・・」
頬を、熱いものが伝わった。
拭うのも、もどかしかった。
「瞬君・・・」
「うん・・・」
「わがまま、聞いて・・・」
「うん・・・」
「・・・最後の言葉が、欲しいな・・・」
「最後の、言葉・・・か・・・」
「うん、・・・素敵な、言葉が・・・欲しいな・・・」
「・・・一つには、まとめられないな・・・」
「じゃあ、たくさん欲しい・・・」
「・・・ありがとう・・・」
「うん・・・」
「・・・大好きだ、誰よりも・・・」
「・・・うん・・・うん・・・」
力の限りに、春霞を抱きしめた。
「・・・また・・・逢おう、な・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」

そして


「私も大好きだよ、瞬君・・・また、ね・・・」


世界は


「ああ、またいつか、どこかで、な・・・・・春霞、愛しているよ・・・」


終りを


「うん、・・・私も、愛してる・・・大好き・・・」

告げた・・・





広大無辺な漆黒の宵闇に、青き星は生まれた。
森羅万象の数ほどの奇跡のもと、人は生まれ、出会い、そして消えてゆく。
「時」という流れの中、神の視点から見下ろせば青き星の明滅なぞ、ましてや人の営みなど、
なんとちっぽけで、光源の脆弱な星であろうか。

それでも、人は生まれ、出会い、愛し合い、そして消えゆく。
遥(ハルカ)なる時の流れのなかの、そのほんの一瞬の煌きの中で出会いと別れを繰り返し、人は生き続ける。
引力で引き寄せて、命の営みを未来へと繋ぐ。
終りを告げる最後の最後まで、誰かを愛しつづけてゆく。
そして、いつかまた、今とは違う時空、ここではないどこかで、廻り合い、愛し合う。

「奇跡」という、遥なる、一瞬の名のもとに・・・
中央改札 交響曲 感想 説明