中央改札 交響曲 感想 説明

第八話 禁忌
ティクス


悠久幻想曲 ティクス

第八話 禁忌




暗闇に閉ざされた部屋。
床に描かれている、淡く光る魔方陣。
そして、その魔方陣の中心に立ち、魔道書を片手に呪文を詠唱する人影。
「………レヂカ・ドゥルス・マジャームド…」
その声はまだ幼く、呪文も途切れがちではあったが、詠唱が進む度に、魔方陣はその光を強くする。
「ノキスチュレ・ジルク・フェワレス……」
人影の前に、小さな輝きが出現する。はやる気持ちを抑え、呪文に集中する。
「……ザコキデ・モリス・ノーテス・ドメイル!!」
そして、ついに術が完成する。結果と魔術書を見比べ、成功かどうかを確認する。
「やった…!」
どうやら成功したらしく、歓喜の声を上げる。と同時に明かりが灯り、その人影の顔を浮かび上がらせる。
「えへへ☆やっぱりマリアは天才ね!」
その人影――マリアは、目の前に浮かぶ、身長三十cm程の小さな少女に笑いかける。
「…マリアを選んでくれてありがとう!今日からあなたはマリアの精霊よ☆」
その少女は、虚ろな瞳でマリアを見つめ、答える。
「……はい、マリア様」
そう、まるで、人形のように――――――



たまには散歩でもするか、と、外に出たアレフは、エレイン橋を通りかかった時、橋の向こう側から、何か焦っている感じで駆けて来るレニスを見つけた
「どうした、レニス?何かあったのか?」
「アレフ!丁度いい、フレアが何処にいるか知らないか?」
問い掛けつつも、凄まじい勢いで詰め寄ってくる。
「ぐぇっ!…ちょっ!?落ち着けレニス!何があったんだよ!?」
何とかレニスの腕を振り払う。レニスは、今気付いたとばかりに自分の手を見ていたが、それにより落ち着きを取り戻したらしく、大きく深呼吸をすると、事の次第を話し出した。
「…実は、今朝からフレアの姿が見えないんだ」
「フレアが?」
「ああ、アリサさんやテディ、イリスやレミアですら、フレアが何処へ行ったのか知らないんだ」
「置手紙も無しに?あのフレアが?」
驚きの声を上げるアレフに静かに頷く。
フレアは、三姉妹の長女という立場のせいか、真面目で几帳面な性格をしている。何処かへ出掛けるにしても、必ずレニスに許可を貰って出掛け、レニスがいない時等は、誰かに伝言を頼むなり置手紙等を置くなりして出掛けていく。そんなフレアが、誰にも伝言を頼まず、置手紙すら残さずに消えたと言うのだからアレフが驚くのも無理はない。
「レニス!駄目、こっちに姉さんはいないわ!」
「主様、こちらも……」
突如、イリスとレミアが現れ、レニスに探索の結果を伝える。
「なぁ…別に子供じゃないんだから、そんなに心配する事ないんじゃないか?それに、フレアだって女の子だぜ?たまには一人になりたい 時だってあるんじゃないのか?」
突如、アレフの顎を凄まじい衝撃が襲う。
「アンタ…馬鹿じゃないの!?」
「ぉぉぉ……い、いきなり何すんだよ!?」
講義の声を上げるアレフを、呆れた眼で見ながらイリスが説明を始める。
「なんか、すっかり忘れられてるみたいだけど、私達はレニスと契約を交わした精霊なの。人間じゃないのよ」
「忘れてないけど……それがどうかしたのか?」
「私達は主様と契約を交わした身です。ですから、主様の御傍を離れる際は、必ず主様に許可を頂かなくてはならないのです」
「好き勝手に飛び回っている様に見える私でさえ、レニスの許可無しには傍を離れる事はできないのよ」
意外な事実に目を丸くするアレフ。
「置手紙を置くときも、私達の内どちらかを経由して、レニスに許可を貰っているの。手紙はレニスに宛てた物じゃなくて、アリサさんや他の皆に宛てた物なのよ」
その言葉に疑問を覚えたアレフは、それを口にする。
「さっきの言葉から推測するに…お前達三人ってテレパシーか何かで繋がってるのか?だとしたら、それで呼び掛ければいいんじゃないのか?」
その言葉を聞いた途端、イリスとレミアの表情が険しくなる。
「……はい。私達は、何時でも互いに呼び合える力を持っています」
「……でも、駄目なのよ!!いくら私達から呼び掛けても…全然答えが返ってこない!!姉さんの存在そのものが感じられないの!!」
そこまで言うと、ついには泣き出すイリス。レミアの方は泣いてこそいないが、それ以上に悲しげな表情である。
「…悪い。手間かけたな、イリス!レミア!急ぐぞ!!」
そう言って、駆け出そうとしたレニスの襟首を引っ掴む。
「…アレフ?」
「あのなぁ…目の前でそこまで不景気な顔されたんじゃ、手伝わない訳にもいかんだろ」
「…いいのか?デートか何か、用事が有るんじゃないのか?」
「暇だったから散歩してた所だしな。それに、泣いている女の子を見捨てていくなんて、このオレのポリシーが許さん」
「すまん、アレフ!」
「あ、いや、気にするなって。ま、かわりに、今度ナンパに付き合え」
「構わん」
いつもなら即、断るレニスがあっさり承諾する。
(それだけヤバイって事か…)
事態の重大性を再認識するアレフ。
「レミア、アレフと一緒に行ってくれ。イリスは俺と。一時間後にジョートショップに集合しよう」
「わかった!」
そう言って二人は、別々の方向に走り出した。







カランカラン――――
「いらっしゃい…って、なんだアレフか」
「おいおい、相変わらずだなパティ」
入ってきた途端、愛想の無い挨拶をするパティに、いつもの返事を返し店内を見渡す。
「…誰もいねぇな……」
ガンッ!!
「冷やかしに来たのなら帰ってくれる?」
フライパンを片手に、妙に据わった目でアレフを睨む。
「…待って」
アレフの陰に隠れていたレミアが飛び出す。
「レミア?なんでアレフなんかと一緒にいるの?」
余りにも珍しい組み合わせに、手を止める。
「イテテ…フレアが行方不明なんだよ。それで何か情報がないかと此処に…」
「なんですって!?それを早く言いなさいよ!!」
再びフライパンの一撃を加えた後、レミアに向き直る。
「それで、フレアが行方不明って?」
「はい、今朝――――」
カランカラン――――
「おや、どうしたんだいこんな所で?」
「ふみぃ、こんにちは〜」
「リサ!それにメロディ、丁度いい所に」
「…なにかあったのかい?」
パティの言葉に何かを感じたのか、眼を細めるリサ。
「はい、実は……」
――――――――――――――
「なるほどね…よし、私も手伝おう」
「有難うございます」
ほんの僅かだけ、感情のこもった声で礼を言うレミア。彼女にはこれが精一杯なのだろう。
「しかし、探すと言っても…何の手がかりも無いんじゃねぇ…」
「ああ…やっぱり、誰か見た人がいないか聞き込みをするしかないな」
話がまとまり、三人が出て行こうとしたその時、
「フレアちゃんなら、メロディみました〜」
「なっ!?本当かい、メロディ」
「は〜い。フレアちゃんわぁ、マリアちゃんと一緒にいましたぁ」
メロディの口から、以外な人物の名が飛び出る。
「なんでマリアと…?」
「さてね、こればっかりはマリアに聞かないと解らないけど…メロディ、他に何か知らないかい?」
他にも情報が手に入るかも知れない。
「ふみぃ。え〜と…マリアちゃんは、フレアちゃんとけーやくしたって言ってましたぁ」
その言葉にレミアの顔が凍り付く。
「……嘘…」
「契約…?それって、どういう事?フレアはレニスと契約してるんじゃなかったの?」
「……レミア?」
「メロディ!!」
「ふみゃぁ!?」
突然レミアがメロディに飛び付く。
「本当に…本当に姉様がマリアと契約を交わしたの?姉様がそう言ったの?答えて!メロディ!!」
「ふみぃぃぃぃぃ!?メロディわかりませ〜ん!」
いつものレミアからは、想像もつかないほどの大声でメロディを問い詰める。
「お、おいっ!落ち着けレミア!一体どうしたんだ!?」
「答えて……答えて!!」
「ふみゃぁぁぁぁぁぁ!?」
「やめな!レミア!」
リサがレミアを引き剥がし、なんとか落ち着きを取り戻したレミアに訊ねる。
「レミア、一体どうしたんだい?詳しく説明してくれないかい?」
レミアは、しばし呆然としていたが、リサに問われると、ぽつぽつと語り始めた。
「……もし…もし、本当に姉様が、マリアと……契約を、交わしたと…言うのなら…それは……」
「…それは?」
そこまで言うと、レミアは震える肩を両手で抱きしめ、そして、のどの奥から搾り出したかのような声で続ける。
「……姉様が…主様を…見放したと言う事…」
見放した。
レミアが発した、その言葉の意味を、その場に居た者は一瞬、理解できなかった。
「フ、フレアが…レニスを…?」
「…ま、まさか…」
驚きを隠せない一同に、レミアは精霊の契約について話し始めた。
精霊使いが、精霊と契約を交わす条件として、最も重要なのが互いの意思である。たとえ、精霊使いが精霊と契約を交わしたくても、精霊の方にその意思が無ければ契約は交わせない。また逆に、いくら精霊の方がその気になっていたとしても、精霊使いが、その精霊を必要としていなければ、契約は絶対に交わせないのである。精霊使いと精霊。両者が望んで、初めて契約は交わされるのである。
「…そして、場合によっては、契約が一方的に破棄される事もあります」
精霊使いも人の子である。良くも悪くも変わっていくもので、場合によっては精霊に愛想をつかされる事がある。その場合、精霊は契約を一方的に破棄し、精霊使いに別れを告げ、新しい主の下へ行くなり住んでいた場所へと帰っていったりするのだ。
そして、精霊は同時に二人以上の人間と契約を交わすことは出来ない。
「…だとしても、フレアがレニスに、挨拶も無しに出て行くなんて、考えられないね」
「イリスとレミアに何も言わずに出て行くってのもな」
「また、マリアが何かやったんじゃないの?」
ある意味、パティの一言は、この場に居る者達全ての総意であった。
「とりあえず、マリアも一緒に探そう。何か知っているのは間違いない」
「だな。パティはここに残って、もしマリアが来たら縛り上げてでも捕まえといてくれ」
「わかったわ」
カランカラン―――――
「段取り付けてる所悪いけど、もう見つかったよ」
そう言って入ってきたのは、引きずるようにマリアを引っ張ってきた、如月と睦月。そして、不安そうな顔をして二人に付いて来ているトリーシャとシーラであった。フレアは――マリアの肩の上に座っている。
「マリア!それに……」
「姉様!!」
すぐさま、レミアはフレアの元へと飛んで行き――――
「…姉様?…!?……!」
「落ち着け、レミア」
「…如月!」
「ところでメロディ。由良が探してたぞ?何か頼まれごとでもされてたんじゃないのか?」
レミアを無視し、なぜかメロディ相手に、全く関係の無い事を話し始める。
「あ!そうでした。メロディは、おねえちゃんのお酒を買いに来たんでしたぁ」
「そうかー。だったら急いで買って帰った方がいいぞ。由良の奴、待ちくたびれてたからな」
「はーい。それじゃあ、メロディ帰りまーす」
そのままお酒を買って帰途に着く。それを見送った後、如月は周囲を見渡し―――
「…帰るつもりは無いよな?やっぱり」
「そりゃあね。メロディは気付かなかったみたいだけど、フレアの様子があからさまに変だからね」
リサの言葉に反応し、マリアが怒鳴りつけてくる。
「フレアは変じゃないもん!マリアの精霊にケチ付けないでよ!」
「……!!!」
激昂しかけるレミアを押さえ、如月は誰にともなく話し掛ける。
「感想は?」
「最悪だよ」
先程、如月達が入ってきた入り口に誰かが立っている。
その人物の表情は、逆光と俯いているせいでよくは分からないが、その顔に浮かぶ表情は、おそらく――――
「本当に…最悪の気分だ」
そう言って、その人物―――レニスは顔を上げた。
完全に、表情の消えたその顔を――――――








今、さくら亭を、この場に存在した事も無いであろう、不気味な静寂が支配していた。
その静寂を生み出した存在は、静かに歩を進め、やがて一人の少女の前に立ち止まる。
「間違い…なさそうだな…」
その呟きの意味が解らず、キョトンとするマリア。
「イリス、レミア、フレアを頼む」
「分かってる」
「はい」
イリスとレミアは、フレアを抱き抱えると近くのテーブルに横たえる。フレアには、抵抗する様子も無い。
「ちょっと!!マリアの精霊、勝手に連れてかないでよ!!」
「黙ってなさい、マリア」
冷ややかな、あまりにも冷ややかな睦月の声に、マリアは身をすくませた。
「私も手伝うわ、レニス」
「助かる」
「説教するなら早くしなさい、後十分よ」
何かの時間を指定した睦月はさっさとフレアの傍へと向かった。
「…さて、と…マリア」
「な、なによ…」
レニスの雰囲気に飲まれたマリアは、弱気な声を返す。
「自分が何をしたのか…解っているのか?」
「へ?」
質問の意味が一瞬理解できなかったマリアは、思わず奇妙な声を上げる。
「フレアに掛けた魔法がどのような物か知っているのか、と聞いている」
レニス達とマリア以外の面々は、場の雰囲気に圧され、ただ二人の様子を見守る事しかできなかった。
「な、なに…マ、マリアは、フレアと契約を交わしただけだもん!何も悪い事してないでしょ!?」
最初の方でこそどもっていたが、勢いに任せて怒鳴り始める。が、
「あ、わかったー☆」
唐突に怒鳴るのを止め、いきなりニヤニヤと笑い始める。
「レニス…くやし〜んだ〜。そりゃそーよねー、今まで一緒にいたフレアが、レニスよりもマリアの方を選んだんだもん☆そもそも魔法をあんまり使わないレニスが精霊を従えてるってのが…………」
「おい、マリア……」
見かねたアレフが声を掛けるも、全く聞いておらず、得意げに胸を張りながら、マリアは延々と自慢げな声で語り続ける。と――
「お前が使ったのは『傀儡(くぐつ)の術』だ」
「全くなんで……え?」
今、レニスが何を言ったのか、一瞬理解できなかった。
「お前が使った術は、精霊使いと精霊の契約を強制的に破棄させ、その上で精霊に自分との契約を強要する物だ」
食ってかかろうとするマリアを、如月が止める。その様子を無視し淡々と言葉を続ける。
「しかも、精霊が頑なに契約を拒んだ場合は、その精神を内面世界の奥深くに封印、もしくは破壊し、術者にとって都合の良い仮想の精神を植え付ける。今のフレアのように、術者に忠実で、どのような命令でも淡々とこなす…そんな意識をな」
その台詞に、マリアは『嘘だ』と言わんばかりに小さく首を振る。
「事実だ。……よりにもよって…お前がこの術を使うとはな」
『精神を内面世界の奥深くに封印、もしくは破壊』あまりの事に、アレフ達は硬直し、マリアは事実を受け入れたくないのか、首を横に振りながら言い返してくる。
「そんなの…そんなの嘘!!フレアは…フレアはマリアと契約してくれたんだもん!マリアを選んでくれたんだもん!!悔しいからってデタラメ言わないでよ!!」
レニスはただ静かにマリアを見つめる。と、ふいに睦月が顔を上げ、呟く。
「後、十秒」
その言葉を聞いたリサは、言いようの無い不安に駆られる。
「…後、十秒ってのはどう言う意味だい?」
「七、六、五……」
睦月は淡々とカウントダウンを続ける。その向こうでは、未だにマリアがレニスに怒鳴り散らしている姿があった。
「三、二…」
「時間…か」
如月の呟き。
「一…」
周りの空気が、『変わる』
「…ゼロ」
…バタッ…
何かが倒れる音。振り返りみた物は―――
「…!?…ヒュー…ヒュー…?」
「マリア!?」
顔に苦悶の表情を浮かべ、もがき苦しむマリアの姿があった。
「大丈夫かい!?マリア!!」
「おい!マリアしっかりしろ!!」
倒れたマリアに駆け寄るリサら五人。しかし――
「ちょっと!レニス!如月!睦月!何やってんのよ!?」
レニス達は、マリアが倒れる前と変わらぬ場所で、ただ静かにその様子を見ているだけだった。
「レニス君!マリアちゃんが…!!」
「如月さん!!見てないでなんとかしてよ!!」
シーラとトリーシャが呼びかけるも、二人は動こうとしない。
「…あんたら、マリアに何したんだい!?」
リサの眼が怒りの色に染まり、レニス達を射抜く。
「いくらなんでもやりすぎだ!!マリアを殺す気かい!?」
「…………そうだ。って言ったら?」
あっさりと睦月が言い放つ。愕然とするリサ。
「もっとも、それをやってるのは私達じゃないけどね」
「なん…?」
「その子はやってはいけない事をやったのよ」
おごそかな空気を纏い、続ける。
「その結果こうなった、というだけの話よ」
完全に見放した眼でマリアを見つめる。その周りでは、アレフ達が必死になって、マリアに呼びかけている。
「マリア!マリア!!」
「そうだ!ドクターの所へ連れて行こう!何とかなるかもしれない!」
すぐさま、アレフがマリアを背負い、歩き出そうとするが…
「!?なっ!??」
「何してんのよアレフ!早く行かないと!!」
「分かってるけど…体が重い、いや…動かない!?」
必死になって動こうとするも、体は全く動かず、ついにはその場に膝をついてしまう。
「その子が助かるような事を、精霊達が見逃すはずが無いでしょう?」
冷たい睦月の言葉に、一同は目を驚愕に見開いた。
「精霊……だって…?」
「そ、精霊」
「なんで精霊がマリアを助けるのを邪魔するんだよ!?」
「簡単な事よ、マリアを殺そうとしているのが精霊だからよ」
驚く皆を軽く見回す睦月。
「あの術は、私達精霊使いと精霊にとっては、絶対なる禁忌。人が使えば人を斬り、鬼が使えば鬼を斬り、神が使えば神を斬る。この術を使った者は、全ての精霊使いと精霊=世界から命を狙われる。勿論、私達も含めた…ね」
絶対の禁忌―――
精霊使いと精霊―――
命を―――
私達も含めた…ね―――
睦月の言葉を理解していく度に、マリアが行なった事の重大性を理解していく。
「私は、如月やレニスがストップかけたから何もしない。如月やレニスは、この子とは仲が良いみたいだから、殺したく無いと思ってる。…でも精霊は止まらない。この子が何処にいようと、そこに精霊はいる。…確実に殺されるわ、私達が何もしようとしなくたって、精霊達が手を下してしまうもの…今は風の精霊シルフィードがマリアの周りから空気を逃がしてるのね、それで呼吸困難になってるんだわ」
シーラやパティが、レニスにすがる様な視線を向ける。しかし、レニスはフレアそばで、ただ無表情にたたずむのみ。
「魔術師協会に行っても無駄。あそこでもこの術は禁忌とされているから、問答無用で突っぱねられるでしょうね」
「じゃあ!どうすればいいんだよ!?どうすりゃマリアを助ける事が出来るんだ!?」
もう既に、ほとんど息をしていないマリアを前に、アレフの絶望の叫びがこだまする。リサは悔しげな表情でたたずみ、パティは泣きそうな顔でマリアの体を抱きしめ、トリーシャは如月に懇願し、シーラは、ただ、レニスを見つめていた――――
「わかった」
突如、レニスがそんな声を上げる。如月と睦月は何か知っているらしく、黙ってレニスの行動を見守っている。
「お前がそう言うのなら、俺は良い」
その視線の先には、いつ目覚めたのかフレアが弱々しい笑みを浮かべていた。どうやら、かなり衰弱しているらしく、立つ事もままならないようだ。レニスは、黙って両手を突き出し、言葉を紡ぐ。
「汝、火を司る者よ、我名、レニス・エルフェイムの名の元…………ちっ、時間が無い。とっとと出て来い、サンドラ」
いい加減な詠唱―――いや、呼びかけに答えるようにして、レニスの眼前に、人一人軽く飲み込む事が出来る火柱が立つ。
それが収まった後、その場所には、炎を衣とする妙齢の美女が立っていた。
「…ふうっ……用件は理解してるけどね」
「俺が言っている事が、ただの我が侭だという事は分かっている。お前達に嫌な思いをさせる事も分かっている。許されない事だというのも分かっているつもりだ。……だが、それでも頼む。サンドラ」
先程までと変わらぬ無表情な顔で淡々と続ける。レニスが今、何を思い、何を考えているのか判断する事は出来なかった。
美女――サンドラは、しばし悩む様にマリアを見ていたが、レニスの方を向くと、盛大な溜め息をついた。
「……ちっ、あんたにそんな顔で頼まれたんじゃ断れないじゃないか。…でも、ちゃんと『贄』は渡してもらう、それと、この小娘にもちゃんとした罰を与えなよ。…このままじゃ気が収まらない連中が多すぎるんだ、なんせやられたのがあんたと三姉妹の一人だからね。かく言う私もその一人だし」
凄まじく嫌そうな顔で投げやり気味に答える。
「分かっていると思うけど、これは本来絶対許されない事だよ。頼んだのがあんただから、フレアとあんたが了承しているから受け入れられているんだ。それを忘れないでおくれ」
その会話を聞いたアレフは、一抹の希望を持って、恐る恐るといった感じで話し掛ける。
「な、なあ、もしかしてあんた、マリアを助けてくれるのか?」
「…そうなるね」
「じゃあ、速く助けてくれ!頼む!」
懸命に懇願するアレフを軽く一瞥しレニスに向き直る。
「それで?罰は決めてあるのかい?」
「…ああ」
「おい!そんな事は後でいいから速くマリアを――」
抗議の声を上げるアレフを無視し話を続ける。
「一ヶ月間の魔力の絶対封印が一つ。もう一つは一生涯の精霊魔法の使用不可。
 ……今まで通りとは言わない、命を狙う事さえ無ければいい」
もっとも、二つ目の条件はレニスが言うまでも無く実行に移されるのだろうが。
「…わかった。あんたの―――我主たるレニス・エルフェイムに従おう」
そう言ってマリアの傍に膝をつく。
「聞いての通りだ。今後、あんたに従う精霊はいない。精霊魔法は使えないし、精霊の加護もあんたには意味をなさない。そして一ヶ月間の魔力封印。ついでに言えば魔術書も読めないし、マジックアイテムも使用できないからね……シルフィード、止めな」
そのとたん、マリアの呼吸が回復する。思いっきり咳き込み、肺に空気を送り込む。
「げほっ!げほっ!…すぅ〜、はぁ〜…」
「マリア!よかった〜…」
「大丈夫かい?マリア」
喜ぶ一同を尻目に、サンドラはレニスに向き直る。
「んじゃ、『贄』を渡してもらうよ……」
幾分、辛そうな声で告げる。
「ああ、『贄』は要求した人間から取らなきゃ意味が無いからな」
「そういう意味でもあの小娘は腹が立つよ。こんな事を、あんたにしたくは無いのに…」
「ぎりぎり、死にはしないだろう?」
「…レニス君?なにを…」
その言葉が聞こえたのか、シーラが不安げな声をかける。
サンドラの手がレニスの左胸にそえられ、そして数秒後―――
「レニス君!?」
シーラの悲痛な叫びが床に倒れたレニスに向けられる。
「…え?」
「…レニス!?」
マリアの周りにいた者達も、そちらの様子に気付き、駆け寄ってくる。勿論、マリアも含めて。
「レニス!!くそっ、一体どうしたってんだ!?」
「レニスさん!しっかりしてよ!」
「ちょっと、冗談はやめてよね…」
レニスの顔色は青さを通り越して、既に白くなっている。唇も紫色になり、呼吸も弱々しい。
「レニス君に一体何をしたんですか!?彼が一体何をしたっていうんですか!?」
シーラにしては珍しく、声を荒げ、サンドラに詰め寄る。
「…レニスから『贄』つまり、生命力をもらったのさ。本当なら魔力と半々でいいんだけどね、レニスの魔力は異質だからね…『贄』としての意味が無いのさ。…『贄』を取った理由は簡単、そこの小娘を助ける代償さ」
言葉をなくす一同を尻目に、イリスと如月がレニスに近づき、何やら魔法をかけているようだ。
「レニスは助かるの…?」
「ほっとけば死ぬ。そんな気は微塵も無いがな」
震える声で訊ねるパティに、簡潔な答えを返しながら言葉を続ける。
「…人にとって大切な物は個人で違う。しかし、精霊にとって最も大切な物は契約なんだ。それを強制的に破棄させ、あまつさえ意識の封印・破壊をおこなってまで契約を交わそうとする事は、精霊達にとって最も許されざる事。……その報復を無理矢理止めたんだ、これぐらいの代償で済んだのは奇跡だよ…いや、レニスだからか…俺や睦月が止めたところで聞きはしないからな」
軽い自嘲の色を含ませながら、レニスに何かの術を施している。先程よりはマシ程度には回復している。
「サンドラ、後の事は俺がやる、今は戻って他の奴にこの事を伝えろ」
「んなもん、小精霊に任せりゃいいのさ。自分の契約者をこんなにしたんだ、落ち着くまでは…傍にいたい」
「…そうだな。マリア、さっきから黙っているがどうかしたのか?」
何の前触れも無しにかかって来た声にマリアは身をすくませた。
「よかったな命が助かって。なぁに、レニスならものの一週間も寝てれば復活するさ。魔力だって一ヶ月経てば封印が解ける、また『今日みたいな』魔術の実験も出来る。良い事尽くめじゃないかマリア」
言いたくもない言葉が口をついて飛び出していく。
「如月さん、言い過ぎだよ!マリアだって悪気があったわけじゃ…」
「『悪気が無かった』で済めば『贄』なんていらないのよ」
少し離れた場所で、自分の髪をいじくっていた睦月が呟く。
「ねぇマリア。今日はもう帰ってくれないかな?これ以上傍にいられると、私達何するか解んないし」
「で、でもレニスが…」
「私と如月とサンドラとイリスとレミア…必死で殺意を押さえつけているのが分かんないかなぁ?」
にっこりと、優しい微笑みを湛えながらも、その瞳には明確な殺意の輝きを灯している。
「ちょっとアンタ…」
「大丈夫、殺さないわよ。そんなことしたら、サンドラの苦しみとレニスがやった事が無駄になるじゃない」
殺意が瞳に灯ったのは一瞬の事らしく、いつもの笑みを返す。
「あ、マリア!!」
トリーシャの上げた声に振り向くと、マリアがとぼとぼと出入り口に向かって歩いている。
「マリア」
睦月からかけられた声に足を止める。
「…今は如月もこんなだけど、明日になれば、いつも通りに接してくれる。レニスも眼が覚めれば、変わらず接してくれるでしょう…だから、もうこんな事はしないで。魔術の研究や実験をするなとは言わないけど、レニスと如月を…皆を傷つけたくは無いでしょう」
マリアは小さく頷くと、そのまま外へ出て行った…目元に光る物があったが、睦月しか気付いた者はいなかった。
「マリア…」
「トリーシャ。私達の事、酷い奴って思った?」
「…わかんない…やり過ぎだとも思うけど…マリアがやった事が、いけない事だって言うのもわかる…」
「そう……」
呟き、そのまま如月の元へ向かう。
「如月、私今日帰るから」
「急だな」
「如月はあの子と仲が良いから、殺したくないって言うブレーキがかかるけど…私は違うから」
そのまま自分の部屋へ向かう。
「ゴメンね、後始末押し付けて」
「気にするな。それより、次に来るときはカイン――お前の旦那も連れて来い」
「考えとくわ…………貴方も無理をしないで」
小さく笑い、そのまま階上へと消える。
「…よし、こんなもんだろ」
そう言って立ち上がる。レニスの顔色は変わりなかったが、呼吸はしっかりしている。
「もう…大丈夫なのか?」
「ああ、一週間も寝てれば復活するだろうな」
「レニスはジョートショップに連れて帰るけど…」
「頼む、イリス」
「O,K」
その瞬間、レニスと精霊達の姿が掻き消えた。
「な!?」
「ただの転移だ、気にするな」
一人冷静な如月が簡単な説明をする。
「これで一段落ついたけど………聴きたいことがあるって顔だな」
周囲を見回し、誰にも気付かれないような溜め息をつく。
「とりあえず今日は見逃してくれないか?明日……聞きたい事で答えられる範囲なら答えるから」
「…本当に答えてくれるんだろうね」
リサの問いに小さな笑みを浮かべる。どこか、自嘲的な笑みを。
「…ああ。俺が答えなかったら、レニスが答えなくちゃならないからな…そんな事はさせられんよ」
そのまま、さくら亭を後にする如月。その後姿は、どこか、泣いている子供のようにも見えた。
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