中央改札 交響曲 感想 説明

時の調べ 第二十八話 帰るべき場所
FOOL


盗賊騒ぎのあった翌日の昼。ローズレイクの辺。
その近くの森の中から、奇妙な音が聞こえたような気がして老人――カッセルは顔を上げた。

「・・・・? 気のせいかの・・・」

昨夜の豪雨で水量が増加したローズレイクを一時離れるために家を出ようとした・・・
奇妙な音が聞こえたのはそんな時だった。
しばし耳を澄ますが、何も変な音は聞こえて来ない。
やはり気のせいだと彼は決め、そのままその場を去って行った。






カッセルがいた場所からは、窺い知れぬ森の中。
その更に奥にある大木の根元に、レニス・エルフェイムはうずくまる様に座り込んでいた。

「・・・・・・・・」

その瞳にはしっかりとした意思の輝きは戻っているものの、一切口を利かず、ただ、己が足元を見つめ続けている。
その姿は、今の事情を知らない者が見れば『歩きつかれて休んでいる旅人』の姿でしかなかった。
彼は、おもむろに『右腕』を振り上げ―――勢い良く、大木に叩き付けた。

ぐしゅあっ

嫌な音が響き、辺りを覆う『赤い水溜り』がその面積を広げる。

「・・・中指が飛んだか? まあいい、いずれ生えてくるだろう・・・」

そう言ってその『右腕』を自分の眼前に持ってくる。
それは既に、肘から先は原形を止めておらず、それを見て腕だと認識できる者は皆無と思わせるほど酷い物だった。
恐らく指であろう部分には、二箇所ほど奇妙に何も無いと思える部分がある。
レニスの呟き通り、叩き付けた際に衝撃で千切れ飛んでしまったのだろう。
彼の背後を覗けば、小さな赤い塊が二個転がっているのが確認できる筈である。
大木には、幾重にも重なった打撃の跡が残っていた。
―――一体、こんな事を幾度繰り返しているのだろうか?
そんな彼の口が開き、小さな呟きが零れた。

「今更人食い云々でどうこうってわけじゃないが・・・・」

一瞬、皆の怯えた顔が脳裏に浮かび、消える――――

「痛いよなぁ・・・これは」

レニスは、そのまま小さな苦笑を浮かべ、再びその腕を振り上げた――――



「―――――何やってんだろうな。俺」














「・・・で? この辛気臭い空気はどうにかできんのか?」

さくら亭店主、陸見・ソールは、暗い空気を背負って店内に居座る、数人の男女に思わず声をかけた。

「しかたないさマスター。この子達にはショックが大きいようだからね」

「・・・・はあ〜・・・レニスの奴もわざわざ姿暗まさんでもいいだろうが。ったく」

あの日から三日。レニスは現在、半行方不明である。
なぜ『半』なのかと言うと、姿は全く現さないくせに、ジョートショップの仕事等はしっかりと済ませているからである。
フレア達も、今回の事でのレニスの心境を思ってか、頑なにレニスの居場所を喋ろうとはせず、
黙々とジョートショップへ来る沢山の依頼をこなしていた。
陸見は今回のことに関して、レニスから直接(無理矢理)聞いた(聞き出した)事があったが、
その時、彼が思った事は「なかなかヘビィな人生を歩んできたんだなあ」である。

「お前さんは平気みたいだな」

「ま、傭兵なんてやってりゃ、食う、食わないの問題にぶち当たる事もあるからね」

「そうか・・・その経験を生かして、ここにいるゾンビーどもに活を入れてやってくれねえか?」

「あたしにゃ無理だね。それに、これは皆が自分で答えを出さなきゃならない事だ。違うかい?」

「そうなんだけどな・・・」

「それにあの時、レニスを否定しちまったのはアタシも同じ。どうこう言う権利は無いさ」

リサの言葉に、肩を竦めながら厨房の中へと向かう陸見。
その顔には、やりきれない思いが滲み出ていた。

「おや? 睦月、出かけるのかい?」

「うん。如月のお見舞い。トリーシャと一緒にね♪」

階段を降りてきた睦月は、声を弾ませながらその手に持った荷物を肩に引っ掛けると、周囲を一瞥。
溜め息を一つつくと、小さく苦笑し、スタスタと店の出入り口へと向かう。

「じゃーね、リサ。行ってくるわ」

「ああ、気を付けなよ」

鼻歌を歌いながら、意気揚揚と出かけていく睦月。
そんな彼女を見送りながら、リサは安堵の微笑みを浮かべた。

あの日、瀕死の状態の如月を背負って帰ってきた睦月は、表面上はいつも通りではあった。
だが、その眼には深い何かが宿り。如月もまた、身体だけでなく、心にも重い鎖がかかったような、そんな状態だった。

「まあ・・・あの二人の方は放っといても大丈夫そうだね。トリーシャも一緒にいるみたいだし」

と、安心したのも束の間。店内を一瞥し、大きな溜め息をつくリサであった。












ここは日の当たる丘公園。
シーラ・シェフィールドは、ここにある大きな木の根元に座りこみ、
何をするわけでもなく、ただ、空を流れる雲を見続けていた。
いや、実際にはその美しい黒瞳には、何も映し出されてはいなかったのかもしれない。

「・・・・・・・・レニス君」

自責と悔恨の念が湧き上がる。
そして、それと同時に『あの光景』が脳裏に浮かび・・・怯えたように、自分の身体を抱き締める。

怖かった。

恐ろしかった。

あの世界がではない。

あの時の三人組でもない。

シャドウではなく。

そして、レニスですらなく。

ただ、ひたすらに、自分が怖かった。
あの時、自分は、全く恐怖を感じはしなかった。
目の前で、過去のレニスが人を殺す場面を目撃しても。
過去のレニスが、人間を喰らう姿を直視しても。

肉を噛み千切る音も。

骨が砕ける音も。

血が噴き出す音も。

臓腑が引き千切られる音も。

自分は、その全ての音を理解しながら、全く恐怖を感じなかった。
表面的には恐れ、怯え、うろたえた。
しかし、そんな自分の心の中は妙に静かで。
目の前の光景の全てを認め、実感しても尚。
その全てを、ただの出来事として受け入れた。
そんな自分が怖かった。恐ろしかった。
自分が自分で無くなるような。いや、自分の本性を垣間見たような、そんな感覚。
自分の中に眠る『何か』。

それを直視させられるのが嫌で。

それを認めるのが嫌で。

それを内包していると言う現実が嫌で。


―――そして、自分は彼を否定した。


あれが嘘ならば、自分の内に眠る『何か』も否定されるような気がして。
受け入れられた筈の彼の心を、深く、傷つけた。

「・・・・・・最低だな。私」

唇から零れ落ちたその言葉と共に、再び空を見上げた。
そして・・・・・・

「隣り・・・良いですか?」

いつも彼の傍にいる蒼銀の天使が、穏やかな表情でそこに立っていた。











穏やかな日差しが、木漏れ日となって二人の少女の頭上に降り注ぐ。
先程から、フィリアは何も言わずに変わらぬ穏やかな顔で公園を見続けている。
シーラは、そんな彼女に対し、どう接すればいいのか解らず、ただ俯き黙る事しか出来なかった。

「最近、ピアノを弾いていないそうですね。ご両親が心配されてましたよ?」

「それは・・・・」

あの日以来、シーラはピアノを弾いていない。
自分の中の『何か』が、そのまま音になって表れる事が怖かったから。

「・・・・・・・何を、そんなに恐れているんですか?」

「・・・!!」

その穏やかな問いに、シーラは胸を鷲掴みにされたかのような苦しみを覚える。
解ったのだ。―――彼女は、自分が何を恐れているのかを知っている。

「どう・・して・・・」

「貴女はあの時、マスターを恐れていたようには見えませんでした。
あの時、貴女が恐れていたのは・・・」

「やめて・・・」

「自分自身、ですね?」

「やめて!!」

両手で耳を塞ぎ、その場に蹲る。
もう何も聞きたくないというように。
自分の周囲の全てを否定するように。

「否定しても、何も変わりませんよ?」

幾分そっけなく、だが、諭すように囁くフィリア。

「人間は、誰しも心の中に狂気を抱いています」

その言葉に、一瞬、シーラの肩が震えた。
その様子を窺う事無く、フィリアはゆっくりと、自分の胸へとその手を当てる。

「勿論、私の中にも存在します。・・・私は、マスターの害になると判断した人達を、三桁以上まとめて殺した事がありますよ?
マスターが望む、望まないに関係無く。私自身が、勝手にそう判断して、決め付けて、殺しました」

「・・・・!!」

「これが、私の狂気の一つです。『マスターの為』という、自分にとっての大義名分の元、多くの生命を殺す事を躊躇わない。
多分、他にもまだ在るんでしょうね。自覚は・・・してませんが。無論、この事はマスターも知っています」

あっさりとした口調で、己の狂行を語るフィリアを、呆然と見つめるシーラ。
今の彼女を見ている限り、そんな恐ろしい事をしたような人物には、到底見えない。

「シーラさん。貴女が、今感じている恐怖は、貴女自身が乗り越えなくてはならないものです。
私のように、受け入れるのも良し。否定するのも良し。ただ、一つ言わせて貰うなら・・・」

そこで、初めてフィリアがこちらを向き、その真剣な瞳で、シーラの黒瞳を貫く。

「貴女が、今感じている『狂気』。それを、貴女の全てだとは思わないで下さい。
貴女が、今までしてきた事を否定しないで下さい。貴女が、今まで歩んできた人生まで否定しないで下さい。
そんな事をしても、悲しむ人が増えるだけです。・・・私が言えるのは、ここまでです」

最後に、柔らかな微笑みを浮かべると、フィリアはその場を立ち上がった。

「後は、貴女が考えて行動するだけです。貴女の悩みは、そんなに簡単に答えが出るものでもありませんが・・・
でも、忘れないで下さい。貴女の周りには、信頼できる沢山の仲間達が居る事を。皆、貴女が好きなのだと言う事を」

そのまま立ち去ろうとするフィリアの耳に、微かな声が届く。

「・・・・・・しは」

「・・・・・・・・」

「私は・・・皆の・・・レニス君の傍に、いても良いんですか?」

「今更何を言ってるんですか? ・・・良いに、決まってるじゃないですか」

その言葉は、ほんの僅かではあるが、確実にシーラの心の重石を取り除き、
弱りきったその翼に、再び羽ばたく力を与えた。

「私・・・行きます。レニス君の所に。・・・謝りたい事が、あるから」

「そうですか・・・なら」

静かに微笑むと、フィリアは、その手をゆっくりとシーラの胸元――ブローチに当て

「――これで、良い筈です」

「・・え?」

「そのブローチに、少し細工をしました。貴女の感じるままに探せば、自ずと見つかります。
自分の感覚を信じて、ただ、ひたすらに進んでください―――前へと」

「フィリアさん・・・ありがとう」

フィリアへ心からの感謝の言葉をかけると、シーラは、自分の心が示す方角へと駆け出した。
その後姿を見送りながら、フィリアは、自分しか聞かぬ呟きを零した。

「・・・・・・本当は、私も行きたいんですけど・・・」

僅かに、意気消沈したような溜め息をつく。

「今回ばかりは、ジョートショップの皆さんでなければダメみたいですし、仕方ありませんね」

背伸びをし、気分を切り替えると、彼女はスッキリとした表情で帰路に着いた。

「では、他の方々はミキに任せて、帰ってアリサさんと一緒に、マスターの為に晩御飯を作るとしましょう」













カランカラン―――

「はあ、やれやれ。こんな事だろうと思ったけど・・・完璧に予想通りだね」

「おや、魅樹斗かい。何か用かい?」

「うん。ちょっとゾンビーどもに活入れに来た」

さくら亭にやって来た魅樹斗は、リサの問いに対してそう返した。
その返事に、数人の視線が魅樹斗へと集中する。

「全員でこんな所で何やってるの? しかも暗いし」

「何って・・・それは・・・」

呆れたような魅樹斗の口調に、しどろもどろに答えるクリス。

「聞きたいんだけど。皆、レニス兄さんに対してどうしたいの?
逃げたいの? 拒絶したいの? 侮蔑の言葉を吐きたいの? 石を投げたいの?」

「な、なんでそんな事しなくちゃなんないんだよ!?」

「ピート。だったら、どうしたいの? この前の事は無かった事にしたいの? レニス兄さんの存在を無かった事にしたいの?
それは無理だよ。もう起こってしまったんだもの。時間は巻き戻せない。そして、皆はもう、知ってしまったんだよ。
レニス兄さんの、過去の一部を」

有無を言わさぬ、魅樹斗の言葉。
それは、見えない剣となり、そこにいた全員の心に深く斬り付けた。

「・・・まあ、これ以上は言わないけどさ。こんな所でウジウジしてるよりも、実際にレニス兄さんに会いに行ったら?
そっちの方がよっぽど建設的なんだけど」

「今更・・・あいつにどんな顔して会えって言うんだよ!? 俺達は、俺は、あいつを・・・」

テーブルに拳を叩きつけ、声を荒げるアレフ。
そんなアレフを涼やかに見ながら、諭すような口調で魅樹斗はアレフを制した。

「レニス兄さんなら心配無いよ。今までこんな事は何回か有ったし。まあ、流石に今回は堪えたみたいだけど」

そして、チラとパティの胸元へ視線を投げる。

「それに、パティさんのそのペンダント。レニス兄さんから貰ったんでしょ?
だったら、大丈夫。今は閉じ篭っちゃってるけど、すぐに皆の前に出て来てくれるよ」

「これ・・・?」

パティは、自分の胸元に揺れるそれを持ち上げる。
あの日から、何度も外そうと思った。
自分には、これを身に付ける資格が無いと、自分に言い聞かせながら。
しかし、外せなかった。
これを外せば、もう、二度とレニスに会う事が出来ないような気がして。
レニスが、自分の手の届かない場所へと行ってしまう様な気がして。

「フィリア姉さんから聞いたかもしれないけど、それとシーラさんのブローチは、レニス兄さんの『絶対の信頼の証』。
現在、それを貰ってるのは世界中でも三人だけだよ。それが誰かは・・・言わなくても、解るよね?」

思わずそれを手に取り、凝視する。
だが、

「でも・・・何で、私に・・・・」

「正確に言えばね、二人は皆の代表者なんだよ」

「代表者・・・?」

「うん。ジョートショップの皆の。そのペンダントや、シーラさんのブローチなんかは、そう簡単に作れる代物じゃないからね。
だから、皆の中から二人を選んで、代表として渡したんだよ。ちなみに、僕はフィリア姉さんのピアスと一緒くたにされてるらしいよ」

「そう、なんだ・・・」

その場にいる、皆の視線が、パティの胸元に集中する。
その視線を、一身に受ける結果となったパティはというと。
安堵しているような、嬉しいような、そして、ほんの少しだけ、残念そうな。
そんな顔をしていた。

「さて、皆はこれからどうするの? レニス兄さんは放っといても帰って来るよ。
皆の事を信頼しているし、信用もしているから。そしてなによりも、皆の事が好きだから」

クルリ、とその場で一回転し、周囲を見渡すと、魅樹斗は朗々とした声で、皆に問うた。
暫らくは、皆、無言だった。だが、

「・・・魅樹斗、レニスが行きそうな場所、解るか?」

「そこに行ってどうするの、アレフ?」

「とりあえず、殴る」

右の拳で、左の手の平を叩きながら答えるアレフ。
そして、すぐに再び口を開く。

「んで、謝る。拒絶した事と・・・逃げた事を」

「そう、他の皆は・・・聞くまでも無いか」

周囲の様子を見て、嬉しそうに苦笑する魅樹斗。
その場にいたジョートショップのメンバーは、全員が立ち上がり、魅樹斗の方へと視線を投げている。

「レニス兄さんはね、町の中よりも自然の中の方が好きなんだ。
でも、何かあった時に駆け付ける事が出来ないと困るから、町の外には居ないと思う。
だから残るのは・・・」

「・・・ローズレイクの森、その奥か!」

「正解。さっすが地元住民、よく解ってるじゃない♪」

「よっし! 行こうぜ皆!」

真っ先にピートが飛び出し、その後を追いかける様に飛び出していくメンバー達。
その光景は奇しくも、レニスが初めてこの町に来た日、怪我で倒れたレニスを助ける為に皆が走った時と、瓜二つの物であった。

「・・・・・・これでいいかな? って、あれ? アリサおばさん」

飛び出していった皆と入れ替わる様に、アリサが店内に入って来た。
魅樹斗の声に反応してか、厨房の奥に引っ込んでいた陸見も顔を出す。

「お! アリサちゃんじゃないか。珍しいな、どうした?」

「こんにちわ陸見さん。ちょっと、お買い物の帰りに寄ってみようかと思いまして・・・」

「テディが居ないけど・・・?」

いつも彼女の腕の中にいるテディが見当たらず、魅樹斗が訊ねると、
足元から可愛らしい抗議の声が聞こえてくる。

「ここにいるっス! 魅樹斗さん酷いっス!」

「ああ、ごめん。大抵アリサおばさんが抱えてるから、いないのかと思った」

「ふふふ。そう言えば、さっき皆が出て行ったみたいだけど・・・」

「ああ、あいつ等は、レニスを迎えに行ったのさ」

「そうなんっスか。でも、レニスさんがあんな事してたなんて、実は怖い人だったんっスね」

テディが零したその台詞に、魅樹斗は虚を突かれたような顔をし・・・一瞬で、その顔を真剣な物へと変える。

「なんでテディがその事を知っている!」

「ヒイッ! ピ、ピートさんっス! 昨日ピートさんがご主人様に話してたっス〜っ!!」

僅かに殺気が洩れていたのであろう。
テディは必要以上に怖がり、さっさとアリサの陰に隠れてしまった。

その姿を見て、少し落ち着きを取り戻したのか、魅樹斗は殺気を完全に押し込めた。
ピートは――無論、他のメンバー全員も、だが――この間の事を、深く悔いていた。
恐らく、母のように慕っているアリサの傍に居た事により、緊張の糸が切れてしまい、
溜め込んでいた何かと共に、全てを喋ってしまったのだろう。

一番知られてはいけない人に知られてしまった。
悔恨の思いと共に、アリサへと視線を向け――いぶかしむ。
見た限り、彼女は全く恐怖も嫌悪も抱いていない。

「アリサおばさんは、レニス兄さんの事が怖く無いの?」

恐る恐る、訊ねる。
彼女に拒絶されれば、レニスは完全に再起不能だ。

「ショックが無いと言えば、嘘になるけれど・・・でも、私は知ってるから」

「知っている?」

「ええ。レニス君が一生懸命だった事、皆の事を大事に思っている事、
皆と一緒に泣いて、笑って、怒って、ふざけて、その一瞬を掛け替えなく思っている事を。
だから、私は信じているの」

小さな心配事だった。そうだ、彼女はこういう人なのだ。
魅樹斗は、何かを確認したくなり、可笑しそうに苦笑しながら、一つ訊ねた。

「・・・なんで、そこまで信じられるの?」

アリサは、その問いを聞き、何時もの通りの、全てを包み込むような優しさを秘めた笑みを浮かべ、答えた。

「だって、レニスクンは大事な家族だもの」

やはり、彼女は彼女だった。








「ところでボウズ。あのペンダントは、本当に皆の代表ってだけの意味しか無いのか?」

「まっさかあ。確かにその理由もあるけど、アレはその程度の理由で渡す物じゃないんだから。
あの二人は、本当にレニス兄さんに選ばれたんだよ。最も、兄さんが意識してるかどうかは別だけどね?
でも、それでもフィリア姉さんや、如月さん達と同等になっただけだから・・・まだまだこれからだよ」

「ふっ、望む所だ坊主。家の娘の器量の良さは三国一だからな!」

「まあ、陸見さんったら」

いつもの笑いと共に、親馬鹿全開の陸見。
そんな陸見を見ながら、魅樹斗は、あの兄から短期間であれほどの信を受ける事になった、二人の女性の事を頭に浮かべていた。

「う〜ん・・・そうだな・・・シーラさんとパティさんなら、『姉さん』って呼んでもいいかもな。うん」















ローズレイクの湖面。
それが見えて来た時、その視界に見慣れた後姿が進入してきた。

「おーい、シーラ!」

「みんな・・・! みんなも、フィリアさんに?」

「いや、情けない事に魅樹斗だ。それより、シーラもここに来たって事は・・・」

「レニスは、やっぱりこの森に居るって事だね」

「カッセルさんがいれば、何か話が聞けたのかもしれないけど・・・」

「じいさんは、ローズレイクの水位が下がるまで、教会の方に世話になってるはずだろ?
流石にレニスの事は知らないだろう」

ローズレイクの辺に、静かに広がる森。
見慣れている筈のそれに対し、皆は、僅かな緊張状態になっていた。

「それじゃ・・・行くか」

アレフとリサが先頭に立ち、静かな木漏れ日が注す森の中へと、足を踏み入れる一同。

「うわぁ・・・」

「ふみぃ・・・綺麗なの〜・・・」

「ここ・・・ホントにあの森なのか?」

今まで感じた事も無いほどの清らかな空気がそこに広がっていた。
見るもの全てが新鮮な驚きを与え、肺に吸い込まれる空気は、緊張状態にあった皆の身体を、ゆっくりと静めていく。

「この森・・・こんなに綺麗だったんだ・・・」

「でも、なんで? この前来た時は、いつもの通りの森だったよ。こんな短期間にここまで変わるなんて・・・・」

彼らには知る由も無かったが、現在、この森にはエンフィールド周辺の精霊、約半数以上が集まってきている。
彼らが慕う青年が、傷付き、苦しんでいる姿は、精霊達にとっても歓迎できる物ではない。
その為、周辺の自然を維持できる必要最低限の数だけを残し、残りの精霊達は、かの青年が眠るこの森に集まり、
彼の心が癒えるまで、もしくは、彼が自分で立ち直れるだけの時間を与える為、彼の周辺――つまり、この森そのものを
守護しているのだ。そして、ジョートショップのメンバー達は、精霊達に受け入れられた。
青年が、彼らと共に在る事を望んでいる事を知っていたから・・・。

最も、その影響で、この森以外のエンフィールド周辺の地域で凶暴な魔物が出没し始めたため、
第一部隊の隊員達は昼も夜も無く出撃しているのだが、そんな事は彼らには関係無い。

「こっち・・・」

「シーラ、レニスの居場所が解るの?」

「フィリアさんが、レニス君を探す手段を貸してくれたの。私が感じた方向へ行きなさい・・・って」

「この奥なら・・・確か、かなり大きな樹があるはずだ」

「そこに、いるのかな・・・レニス君・・・」

「何言ってんだクリス! いなかったら探すだけだろ?」

バンバンとクリスの頭を叩きながらも、歩みを止めないアレフ。
その励ましに、クリスは苦笑しながらも頷いた。










森の奥の巨木の前で、レニスは、皆がこの森の中にやってきた事を感じていた。

「・・・・・・逃げよっかな」

その小さな呟きが零れた瞬間、周囲の精霊達が騒ぎ出す。

「逃げるのはダメか・・・? 違う・・・これは、天使か!?」

次の瞬間、地面が揺れ、巨大な力の所持者がこの近辺に出現しようとする事を感じ取ったレニス。
しかも、その出現場所は――――自分の、目の前である。

「ちっ、鬱陶しいが・・・今来られるのはきつい」

急いで立ち上がろうとする、が。

「・・・・・・!! ・・・」

何故か、再び、あの光景が脳裏に浮かぶ。
それと同時に、かつて受けた罵倒が、彼らの声で、レニスの頭を駆け巡る。
レニスは、その場に力無く座り込み、自嘲的な笑みを浮かべる。

「クッ、ハハハ・・・変な所は強くなっても、昔のままで弱いところが残ってやがる・・・」

そう言って、笑った。
喉の奥から響くような、それでも、嫌悪感を抱かない笑い。
ふとその時、レニスの脳裏に、ある出来事が浮かび上がった。

「・・・ふっ、よくよく考えてみれば、あの時、俺は、あいつに小言を言う資格は無かったんだな」

呆然と、木々の枝に遮られた空を見上げながら、ただ、思う。

「・・・・・・・・あの時、俺はあいつに何て言ったんだっけ・・・・」

無事な左手を顔の前まで上げ、
少しの後、嬉しそうにその口元を歪める。

「・・・・・そうだ。『自分の愛した者ぐらい信じたらどうだ?』・・・だったな」

皆の事は信頼している。信用もしている。
だが、拒絶されるかもしれぬという恐怖は、それをも上回る。
暫しの後、今度は、原形を留めていない右手を持ち上げ、それを、左手で握り締める。

「そうだな。有言『不』実行ってのは嫌いだし・・・・」

ゆっくりと、それでいて、力強く立ち上がり、前方の空間を睨みつける。
後方に落ちていた赤い塊を二つ、本来あるべき場所へ押し当て、
その後、何処からか取り出した白い布を、無造作に巻き付けた。

「何時までも腑抜けていたら、あいつに愛想つかされるしな」

軽く頭を振り、その顔を上げる。
それは、いつものと変わらぬレニスの顔だった。






この森から、清らかな空気が消える。
いや、清浄な空気である事には間違い無い。
しかし、この空気は異常だ。
気持ち悪いぐらいに清らかな空気が流れ、
そして―――

「やっと見つけたぞ。『世界の猛毒』よ」

「ほう・・・詩天使か。最高位の天使がわざわざご苦労な事だな」

目の前に現れたのは、三対六枚の翼を背負う一人の天使。
その手には、白い刀身の剣を携え、法衣の様な清楚な服を纏い、こちらを睨みつけている。

「それにしても、たった一人なのか? 俺も馬鹿にされた物だな。せめて、七人全員で来いよ」

「今の貴様など、他の詩天使達を呼ぶまでもない。
心身共に、激しく衰弱している今を置いて、貴様を滅する機は無い!」

「だったら尚更だろうが、普通。・・・馬鹿みたいに手柄焦りやがって・・・
そう言うとこ、ホントに人間そっくりだよな、お前等天使は」

天使の表情が、憤怒のそれに変わる。
周囲の空気が帯電し、その放出されるパワーの大きさが、ヒシヒシと伝わってくる。

「我を・・・この詩天使アブディエルを侮辱するか!!」

「もう御託はいいや・・・どちらにしろ、戦る事に変わりは無い」

左手を、顔の前まで持ち上げる。
その手が、真紅の炎に包まれるのと、アブディエルが駆け出すのは、
ほぼ、同時だった。










自警団員寮の一室。
先日、瀕死の状態で運び込まれた自警団員の部屋の扉を前に、
ラピスは、ただ立ち尽くしていた。いや、呆れていたと言うのが正しいのかもしれない。

「・・・あの二人は、重傷の人間がいると言う事が解っているのか?」

中から響いてくる、僅かに音程のずれた歌声。

――睦月である。

暫らく前から、トリーシャと睦月の歌声が、断続的に団員寮に響き渡り、
同じ第三部隊と言う事で、ラピスが注意に行く事になったのだが・・・。

「言っても無駄だが・・・まあいい。如月の見舞いついでだ」


コンコン


ノックをするが、歌声も、それをはやし立てる声も、途切れる様子が無い。

「・・・・・」


コンコン


反応無し。


「・・・・・・・・・・・」

呆れた様な溜め息をつくと、ラピスは、問答無用で部屋の扉を開け放った。
少し奥に入ると、ベッドに横たわる如月の姿、
そして――マイクを握り締めて熱唱する、睦月とトリーシャの姿があった。
二人とも、ラピスが入室したのに全く気付いていない。

「おう、ラピスか。・・・そんな眼で見るな。皆まで言うな。解ってるから」

「止める事は・・・できんな、お前には」

「やかましい」

憮然とした面持ちでそっぽを向く如月。
その枕元に椅子を引き、座り込むラピス。
近くのテーブルに置いてある食器を見つけ、

「食生活に関しては心配は無さそうだな」

「・・・お前の場合冷やかしじゃないから対応に困るんだよな・・」

「怪我ももういい様だ。・・・聖霊の力、とやらか?」

「そんな所だ。まあ、それ以前に、俺は治癒能力が一般の人間よりも高いらしくてな。
少し再生能力を高めるだけで簡単に治る。・・・ドクターに睨まれたけどな」

「彼は、なるべく魔法を使わないようにしているようだからな。
しかし助かった。その様子なら、後二・三日で仕事に復帰できるな?
最近依頼が多くてな、人手不足が否めなくなってきた頃だ」

何処からか取り出した依頼表の束を捲りながらぼやく。
如月は、少し嫌そうな顔をするも――自分の横で繰り広げられている事態を考慮し、とっとと復帰する事を決定した。

「・・・如月。レニスの事は知っているか?」

「ああ、昨日フィリアから聞いた」

「まだ戻ってきてはいないそうだ」

「ま、今日中に帰って来るさ。あいつ、悩む事はあっても三日以上悩んだ事は無いから」

「・・・あいつは猫か?」

「日向ぼっこが好きらしいから、あながち間違ってはいないんじゃないのかな」

窓の外に見える空。
そこで流れる雲を暫らく眺めた後、
如月は、その視線を下に――ローズレイクの辺へとずらした。

「あんまり森を燃やすなよ。レニス」

数秒後。森の一角から、巨大な火柱が立ち上った。









「な、なんだありゃ!?」

「まさか・・・レニス?」

「ちょっとシーラ! どこ行くのよ!」

突如立ち上った火柱。
それを見て、いきなり駆け出したシーラを慌てて呼び止めるパティ。
シーラは立ち止まらずに振り返り、叫んだ。

「あそこに! あそこにレニス君がいるの! だから、行かなくちゃ!」

「シーラ!?・・・止めても無駄のようだね。一人で行かせる訳にはいかない、行くよ、皆!」

後を追い、一斉に駆け出すアレフ達。
木々を抜け、草を掻き分け、小川を飛び越え、目の前を走る黒髪の少女の元へと直走る。
そして―――

「―――――レニス君!!」

シーラの歓喜の声が聞こえる。
数瞬遅れて辿り着いた一同が見たのは、
この森で一番の大きさを誇る巨木の前で、空を見上げるレニスの姿であった。

「レニス君!!」

再度呼び掛けると、レニスは、今気付いた様にこちらを向き、その目を見開いた。
次の瞬間、空からレニス目掛けて白い人影が襲い掛かる。
辛うじて身を捻り、回避すると、お返しとばかりに闇の弾丸を撃ち放つ。
それを右手に持った剣で弾きながら後退する影――天使。

「・・・シーラッ・・・! それに皆も・・・」

「レニス・・・一体何が起こってるんだ!? そいつは、その天使は一体・・・」

「気にすんな! こいつが俺を殺しに来て、俺がそれに応戦しているだけだ!」

「気にすんな・・・って、オイ」

顔が綻ぶのを止められない。
いつも通りの顔。いつも通りのやりとり。
あんな事があったのに。
あんな事をしてしまったのに。
それでも、受け入れてくれた・・・
それが、嬉しかった。

「人間・・・お前達、この男の知己か? ならば、即刻縁を切れ。いつか必ず後悔するぞ」

「ほう、貴様。その台詞、俺以外のあの場所からの帰還者の目の前で言ってみろ。
・・・抵抗する間も無く滅せられるぞ」

アブディエルが、シーラ達の方へと視線を投げながら、嫌悪の声を上げる。
その言葉に対し、レニスは、激しく燃え盛る炎を氷で包みこみ、
敵意の篭った視線で相手を貫く。

「人間よ。お前達は、この男の過去を知っているな? ならば、知っているだろう。
この男が何をしていたのかを。こいつは犬畜生にも劣る・・・」

「黙ってください」

凛とした声が、アブディエルの言葉を遮った。
頭をめぐらし、彷徨った視線が辿り着いた場所は――シーラ。
彼女は、その瞳に、確固たる意思を秘め、その口を開いた。

「そんな事は、関係ありません。レニス君はレニス君です。
アリサさんを助ける為に頑張って働いて、アレフ君のナンパに付き合って、ピート君と冒険に行って、
エルさんとマリアちゃんの喧嘩の仲裁をして、クリス君とシェリルさんに勉強を教えて、リサさんと組み手をして、
メロディちゃんに絵本を読んで上げて、トリーシャちゃんに引っ張りまわされて、如月さんと睦月さんと楽しそうにお話して、
フィリアさんと魅樹斗君を大事にして、パティちゃんとお料理を作って、そして・・・・」

そこで一旦、言葉を切り、多少乱れた息を整え、
キッ、と、その美しい黒瞳で、その天使の視線を真っ向から跳ね返す。

「私と、一緒に演奏してくれた・・・そんなレニス君だから、私は、傍に居たいんです」

「そー言う事。神様なんて胡散臭い奴よりも、目の前にいる親友ってね」

「だよなー」

シーラの言葉に、皆次々と賛同の意を表す。
その光景を見て、本当に嬉しそうな顔で苦笑するレニス。
事が自分の思い通りに行かない事が悔しいのか、苦虫を噛み潰したような顔をするアブディエル。

「・・・そうか。お前たちの魂は、既に穢れていたのだな。
ならば―――浄化しても、問題はあるまい」

一瞬だった。
無雑作に上げられたアブディエルの右腕から、
十数条の光の線が全員の頭上に降り注ぐ。

「きゃあっ!」

「避けられない・・!!」

光線が、皆に直撃するかと思われたその時、

「ディメンジョン・デュオ!!」

レニスの放った呪文に呼応して、光線がその軌道を変更。
その十数条の光線全てが、レニスの身体に直撃する。

「レニス!! 何て無茶を!!」

「・・・気にするな。これは礼だ。俺を、受け入れてくれた事への。
俺を、親友だと言ってくれた事への・・・な」

全身を朱に染めながら、穏やかな微笑みを浮かべるレニス。
だが、それも一瞬の事で、アブディエルに向き直った時には、既にその眼は細まっていた。

「俺の大事な仲間達に手を出したな・・・? 
後悔させてやるよ。貴様の心に恐怖と言う名の楔を打ち込んでやる」

「ふん、確かに貴様の力を持ってすれば、私を滅ぼす事は容易いだろう。
しかし! 今現在その力は封ぜられ、そして、貴様はそれだけのダメージを負っている。
本気で勝てるとでも思っているのか? 馬鹿にするのも大概にしろ」

「馬鹿にしているのはそっちだろう?・・・見せてやるよ。
貴様等の愚行によって産み落とされた、『世界の猛毒』の力を!」

アブディエルは、何故か気圧されていた。
レニスは全身に無数の傷を負い、そのうちの数発は、確実に急所に命中している。
半死人といっても過言ではない。
血に濡れた青い顔は、今にも倒れそうな雰囲気を漂わせながらも、
自分が倒れる時には喉笛に噛み付いてくるのではないか? そう思わせるほどに、鋭かった。
まるで、これから裁判を受ける罪人のような恐怖を、胸中に抱くアブディエル。
――そして、《炎帝》による判決が下された。

「ガフレイド・・・クォータードライブ!」

レニスの体から、淡い赤光が溢れ出す。
ゆっくりと、レニスの髪が闇に染まり、その瞳に紅い炎が宿った。
そして、それと同時に、アブディエルの顔が果てしない恐怖に歪んでいく。

「ば、馬鹿な!? 封印も解除せずに『力』を解放しただと!?」

「馬鹿でも何でも。現にこうして解放されたんだ・・・覚悟はいいか?」

一歩、レニスが踏み込んだ。

一歩、天使が後ず去った。

一歩、レニスが踏み込んだ。

一歩、天使が後ず去った。

―――アブディエルが、自分の背後の巨木に気付いたのは、この時だった―――

それが、合図となった。

「我が手に集え異空の硝炎。その力我が名の元に解放し、全ての業を焼き尽くせ!」

同時に、レニスの左腕が黒い炎に包まれる。
アブディエルは、恥も外聞もかなぐり捨て、一目散に空へと逃亡を図る。

「砕け! 必殺!!」

レニスの背から、純白の炎の翼が溢れ出す。
それは、爆発的な加速力を生み出し、一瞬にして、
レニスの身体を上空のアブディエルの目の前まで持ち上げる。


一瞬の間。そして――


「呪懐泉・輝迅掌ぉぉぉぉぉっ!!!!!」

金の粒子が混ざり合う漆黒の炎掌が、アブディエルの顔面を捕らえた。
その黒炎は、その身も、心も、魂をも焼き尽くそうとアブディエルの全身を駆け巡る。

「がああああああああっっ!!!!」

肉体だけでなく、精神をも蝕む激痛に、空中で宙吊りにされたままで悶え苦しむアブディエル。
だが、攻撃している筈のレニスの顔も、苦悶の表情となっていた。

「・・・・ちっ、ここまでが限界か・・・」

力無く、呟く。
それと同時に、あれほど激しく燃え上がっていた炎と、全身を包んでいた赤光が、一瞬にして消え去った。
天使の頭部を、食い込むほどに掴んでいた指が外れ、その体が、ゆっくりと落下を開始する。
アブディエルはこれ幸いと、持てる力の全てを使い、既に皆の視界から消え去っていた。

「レニス!!」

愕然としながらも、空から落ちるレニスに大声で呼びかけるアレフ。
声が届いたのか、届かないのか、レニスは何の反応をする事も無く、地面に叩きつけられた。

「レニス君!!」

声をかけるのももどかしい、という感じですぐさま駆け出すシーラ。
レニスの身体を抱き起こし、泣きそうになりながら必死で呼びかける。
レニスの髪は、いつの間にか元の色へと戻っていた。
閉じられた瞳も、恐らくは同様だろう。

「レニス君! レニス君!!」

「レニス! ちょっと、目を開けなさいよ! ・・・レニス!!」

こちらも必死の表情で、瞼を閉じるレニスに詰め寄るパティ。
だが、レニスは一向に目覚める気配も無く。
呻き声一つ、その唇からは零れなかった。

「アレフ! レニスをドクターの所へ連れてくよ。手伝いな」

「わ、わかった!」

「ピートとメロディは今すぐドクターの所へ行って状況を説明しておいておくれ」

「う、うん! わかった! 急ぐぞメロディ!!」

「ふみゃあ! わかりましたあ!」

皆に指示を出すと、リサは今だレニスに縋りつく二人に対して、毅然とした態度で言い放つ。

「騒いでたってレニスは助かりゃしないんだ! 行くよ、二人とも」

暫しの躊躇いの後、二人はしっかりと頷いた。









ほうほうの体で逃げ出したアブディエルだが、
一瞬、言いようの無い不安に駆られ、身体を捻る。
刹那、先程まで彼の頭部があった空間を、光の槍が貫いた。

「ぐっ・・・何者だ! 我を詩天使アブディエルと知っての狼藉か!?」

「私はレニス・エルフェイム様の従者、フィリア。・・・貴方を殺しに来ました」

その声は、自分よりも更に上からかけられた。
憤怒の表情で空を仰ぎ――その顔が、驚愕に染まる。

「あ、貴女はフィリエル様!? 何故・・・!」

「貴方は、何も知らないのですね・・・詩天使アブディエル」

その背に、白亜の翼を羽ばたかせるフィリアは、ゆっくりと、その手に持ったランス――天騎槍アルテアを、アブディエルへと向ける。

「さ、先程の攻撃は・・・貴女が? そ、それに従者とは一体!?」

「そのままの意味ですよ、アブディエル。私は堕天して、マスター・・・レニス様について行く事を誓ったのです」

「あ、貴女ほどの方が・・! 神の寵愛を一身に受け、真なる大天使にして7人の詩天使達の長たる貴女が!
何故、あの神の怨敵に従属するのです!?・・・・フィリエル様!!」

「・・・一つ、勘違いをしているようなので言っておきます」

一気に距離をつめ、アルテアの切っ先をアブディエルの喉元へと突き付ける。

「私の名前は『フィリア・エルフェイム』です」

静かに、その切っ先が埋まり、アブディエルの最後の灯火を削り取る

「それに・・・」

その状態から、アルテアを下へと振り抜いた。

「その名前も、私をその名前で呼ぶ貴方も、私は嫌いです」

その身を白い羽と変え、消滅するアブディエル。
周囲に舞い散るその羽も、時と共に消えていった。
アルテアを収め、その様子を静かに見守っていたフィリアだが、
唐突に、その白い両の手をポンッと合わせた。

「・・・あ、いけません。お鍋の火をかけっ放しでした。急いで戻らないとシチューが焦げてしまいます」

翼を羽ばたかせると、ジョートショップの方角へと向かう。
眼下を走るシーラ達を見ながら、

(今日の夕飯は無駄になるかもしれませんね)

などと考えながら。












「ドクター!」

「話はそこのピート達から聞いた。急いでレニスを手術室へ運べ」

勢い良く飛び込んできた面々に、準備万端整ったトーヤが指示を出す。
アレフとリサは、急いでレニスを手術室へと運び込む。

「さて、後は俺の仕事だ。心配するな、必ず助けてみせる」

「お願いします、トーヤ先生。レニス君を、レニス君を・・・」

不安げなシーラの声を背に受けて、トーヤは手術室の中へと入っていった。



数十分後―――

―――――ガチャ……

手術室の扉が開きトーヤが顔をだす。

「…ふぅ……」

大きな溜め息をつく。

「先生、レニスは…」

「トーヤ!」

「どうなんだいドクター!?」

詰め寄る一同にトーヤはこう言い放った。

「もうほぼ完全な健康体だ。とっとと連れて帰れ」

…………………………

「はぁ!? なんだよそりゃ!!」

詰め寄るアレフにトーヤは冷静に言い返した。

「元々負っていた怪我は大した事は無い。当たり所が悪かったのか出血が酷いが特に問題も無い。
幾つか急所に近い所にも損傷が見られるが、致命傷には至っていない。それもほぼ完治しているしな。
・・・強いて言うなら、多少衰弱していると言う事と、両腕の損傷が激しいと言う所か。2・3日は使わせない事だな」

唖然とする一同。
そんな中、クリスが横にいるアレフへと首を向けた。

「・・・・ねえ、アレフ君。前にもこんな事なかった?」

「あー、思い出したぞクリス。森で倒れていたこいつを運び込んだ時だな?
あの時も酷い怪我してたのが、あっと言う間に治りやがって・・・」

その場にへたり込みながら呆れた笑いを浮かべるアレフ。
その時、病院のドアが開き、誰かがやって来た。
ここまで舞台が整えば、来た人物は一人しかいない。
その人物に対し、トーヤは冗談交じりで用件を尋ねた。

「アリサさん、今日はどのようなご用件で?」

「はい。家族を・・・迎えに来たんです」






こうしてレニスは、再びジョートショップへと運び込まれ、アリサ他数名の看病を受ける事になる。
翌朝、目覚めたレニスがアリサに泣かれて大慌てするのは、自業自得と言う物であろう。
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