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時の調べ 第三十話 音楽祭
FOOL


暖かな日差しが桜通りを照らし、小鳥のさえずりがローズレイクの湖畔に響く。
町のいたるところがざわめきだし、路地裏の野良猫が縄張りの見回りに向かう。

そんないつもの朝。

だが、一部の人間達にとって、今日はとても大事な一日であった。
今日という日の為に努力に努力を重ね、高い壁にぶつかりながらもそれを乗り越え、あるいは打ち壊し。
自分の才能の無さを嘆き、崩れ落ちる者。それすらも自力で超えようと足掻き続けた者。
他者を妬みながらも、自分の力だけを信じ歩み続けた者。
周囲の人間に期待され、巨大なプレッシャーに押し潰されそうになる者。
そんな人達が、己の全てを自分の分身である『音』に託す日。

――今日は、音楽祭の開催日である。









ジョートショップの二階。
レニスの自室前で、なにやらフィリアが真剣な表情で
出かけようとしていたレニスと魅樹斗の前に立ち塞がった。

「マスター、ミキ。今日はシーラさんの出場する音楽祭の当日です」

「ああ、だから今から行くんだろ? どうしたんだフィリア」

「早く行かないと、皆先に行っちゃうよ?」

キョトン、と二人とも良く似た動作で首を傾げる。
開始までの時間に余裕があるとは言え、皆との集合時間は確実に迫っている。
不必要に皆を待たせるのもマズイ。

「解っているんですね・・・なら、なんで・・・」

「?」

「?」

「なんで二人とも普段着なんですか! こういうイベントには正装で出席するのが礼儀です!!」

そう、今の二人の服装は、いつも仕事をしているときの普段着。
しかもレニスにいたっては膝に穴が開いている。

「・・・・・・ダメか?」

「ダメです。シーラさんに対して失礼です」

「・・・・・・しかし、俺もミキも正装なんて持ってはいないんだが・・・」

「大丈夫です。今日という日の為に、私が二人の服を見繕っておきました。
二人とも自分の服装にはてんで頓着ですから」

そう言って、二人の腕を取り、レニスの部屋へと引っ張っていく。
レニスの方は特に文句は無いようで、素直に付いて行く。
シーラに対して失礼だと言われたのが効いたようだ。
だが、魅樹斗は何か嫌な思い出でも有るのか、小さく顔を引き攣らせた後、

「え〜っと・・・フィリア姉さん、それじゃなきゃ、ダメなのかな?」

乾いた笑いを浮かべながら訊ねるが、

「当然です」

穏やかな微笑みと共に、にべも無く一蹴されたのだった。











「・・・それで三人共遅れるって?」

《申し訳ニャいニャ・・・》

アリサの肩の上で項垂れる赤琥。
どうやらフィリアがやけに気合を入れているらしく、思いのほか時間がかかると判断したレニスは、
とりあえずアリサに先に行ってもらい、赤琥に皆への伝言を頼んだのだ。
『自分の柄じゃない』と言って、ここにいないメンバーもいるが、大体は揃っている。
言うまでも無いが、全員気合の入った正装である。
普段着を着てきたような馬鹿は一人もいない。

「ま、そう言う事ならしゃーないな。んじゃお言葉に甘えて先に行こうか」

「そうね」

アレフとパティが肩を竦めながら歩き出し、皆もそれに続く。
すでにかなりの人が集まり始めているリヴェティウス劇場。
この音楽祭には、高名な音楽家や指揮者等も出席するとあって、
遠くの町からわざわざこの日の為に、エンフィールドへと足を運ぶ人も後を絶たない。

「わあ・・・沢山人が来てるねえ・・・」

「おい、とりあえず席を確保するぞ」

まだ開いている席を探し出し、全員分の席を確保する。
レニス達はいまだ来る気配は無い。
暫らくは出場者の練習などで曲が流れたりもしていたが、
そろそろ時間が危なくなってくる。

「レニス達、遅いな・・・」

「一体何時まで遅れる気なのかしら」

流石に不安になってきた一同。
まだかまだかと入り口の方を見ると、そこに一人の美しい少年がいた。
足元まで届く朱金の髪を、首の辺りで纏め後ろに流し、上下共に淡い灰色を基調とした銀の刺繍の入った服を着ている。
周囲の人々は、その少年に見惚れ、その場に足を止める者もいた。

「うわ・・・綺麗な子だね・・・・」

「いや、でも・・・どこかで見たような気もするな・・・」

その少年は、困ったように周囲を見渡していたが、
ふとこちらを見ると、嬉しそうに顔をほころばせた。

その笑顔の直撃を受けたらしい人々が、うっとりとその少年を見つめる中、
朱金の輝きは、足早にアレフ達の元へと近づいて来た。
ここまで近づけば、流石にアレフ達の方も相手が誰だかを理解する。

「皆、ここにいたんだ。ここって、思ったよりも広くてさ。探すのに苦労したよ」

「お前・・・やっぱり魅樹斗か?」

「そうだよ? それ以外の何に見えるのさ?」

小首を傾げながら問い返す魅樹斗。
本人に言えば不機嫌になるだろうが、反則的な可愛らしさだ。
実際、周囲にはそれに見惚れる者と、アレフ達に羨みの視線を向ける者がそれぞれいる。

「フィリア姉さんがかなり張り切っちゃってさ、予想よりも時間が掛かっちゃった。
あ、レニス兄さんとフィリア姉さんならもうすぐ来るよ」

そう言って皆が取っていてくれた席に座る魅樹斗。
隣にいたマリアは、不運にも周囲の嫉妬の視線を一身に浴びる事となってしまった。







「すまない、遅れた」

「遅いわよレニ・・・ス?」

背後から聞こえたレニスの声に振り向いたパティは、次の瞬間その動きを止めた。

「わあ・・・」

「魅樹斗がこれだったから、予想はしてたけど・・・」

その場にいた全員が感嘆の溜め息をつきながら、やってきたレニスとフィリアを見つめる。

レニスは、上下共に黒を基調とする真紅の刺繍が入った服を着こなし、
腰に例の刃無き剣を刺して、同じく真紅のマントを羽織っている。
これがいつものレニスなら、アレフ辺りが茶々を入れる所なのだが・・・

彼の甘栗色の髪と眼は、それぞれが漆黒の闇と燃え盛る炎と化していた。

つい先日見た、レニスのもう一つの姿。それが、そこに在る。
今のレニスは、いつもの無気力げな表情ではなく、
キリリっと引き締まった表情をしている事もあり、
高貴な雰囲気を持ち、どこぞの王侯貴族のようにも見える。
さらに、そこに立つだけで相手を圧倒するほどの威圧感。
そして、それを感じさせないほどに広がる安心感。
今の彼の姿を見れば、誰しもが納得するだろう。
『炎熱の帝王』の二つ名を。


対してフィリアの方は、水色のドレスを身に纏っている。
両の耳には、剣を模したイヤリングが輝き、
胸元では、小さな白い石が申し訳程度に光を放つ。
膝まである蒼銀の髪には、銀で出来た小さなアナナスの髪飾りが揺れている。
ドレスは多少身体のラインが見えるような物だが、
フィリアは見た目は細いものの、スタイルはかなり良く、
周辺の男性陣の視線を釘付けにしていた。

「皆さん申し訳ありません。こういう事は久しぶりだったので、つい気合が入ってしまいました」

フィリアが申し訳無さそうに頭を下げると、
レニス、魅樹斗、アリサを除く全員が首を反射的に横に振る。
見れば、周りの関係の無い人達まで首を振っている。
レニスがゆっくりと歩を進め、フィリアがそれに追従する。
と、そこでようやく皆の硬直が溶け始めた。

「レニス。お前、その髪と眼は・・・?」

「アレフか。なに、フィリアが『こっちの方が似合う』と言ってな。まあ反対する理由もないし、いいかなと」

笑いながらマントを外すレニス。
その仕草は洗練されたものであり、一朝一夕で身に付く物ではない。

「・・・お前の髪と眼は一体どっちが本当の色なんだ?」

「ん〜・・・両方とも自前なんだけどな。まあ、どっちかって言えばこっちか」

そのままマントをフィリアに手渡し、席に付こうとすると・・・目の前に花束が突き出された。

「こらこらこらこら、何くつろぐ気満々なんだよ。まだ時間は有るから、お前は早くシーラの所に行って来い」

「は・・・? 何だ、もしかして誰もシーラの所に行ってなかったのか?」

「招待状を直接手渡しで渡されたのはお前だけだからな。お前一人で行くのが筋と言うもんだろう」

「・・・ま、いいか。解った、ちょっと行って来る。フィリア」

すかさずフィリアが真紅のマントを差し出す。
それを再び身に付けると、レニスは受け取った花束を持って、参加者の控え室へと向かった。
その後姿を、頬を朱に染めながら見つめていた女性陣は、その時になってようやく口を開いた。

「レニスさん・・・かっこ良かったですね・・・」

「うん・・・」

「・・・・・・・」

「普段と雰囲気が全然違う・・・なんであんなに変われるんだろう・・・?」

「マスターもミキも元が良いですから、少し身嗜みを整えればあの位にはなります。
今回は時間が少なかったので、満足の行く所までは無理でしたが・・・」

フィリアが残念そうに呟くのを聞き、パティは呆れたようにそちらを見る。

「あれで・・・まだ不満なの?」

「はい、勿論です。・・・皆さんも、やってみますか?
皆さん今のままでも充分綺麗ですから、ちょっと工夫すれば・・・」

「フィリア姉さ〜ん・・・僕やレニス兄さんだけでなく、皆まで着せ替え人形にするつもり?」

「そんな、ミキ。着せ替え人形だなんて・・・」

哀しそうな表情を浮かべ、しゅんと俯くフィリア。
彼女にこんな顔をされて平気でいられるのはレニスぐらいのものである。
当然、魅樹斗も慌てて先程の台詞を必死でフォローし始める。
その顔を見た周囲の人々の反応を見て、アレフは思った。

(・・・ここに来ている連中、本来の目的を忘れてないだろうな・・・・)

結局、アレフの不安は外れる事になる。
この会場には、そこまでの馬鹿はいなかったようだ。









「ねえジュディ。最初の演奏が始まる時間まで、後どの位かしら・・・?」

「はい、あと・・・十分ほどでございましょうか」

「そう・・・」

幾分、緊張したように小さな溜め息をつく。
目の前の鏡台には、母が今日のこの日の為に用意してくれた衣装を着た自分の姿がある。
こうして見ると、意識はしていなくとも、自分が緊張しているのだという事がわかる。
気が滅入りそうになるのを耐え、そっと、右手を鏡台の上へと移動させる。
そこにある固い感触を確かめると、不思議と心に暖かいものが広がって行くのを感じる。

そうやってシーラが自分を落ち着けていると、控え室の扉から控えめなノックが聞こえた。

「誰かしら・・・?」

「私が見てまいりますわ、お嬢様」

席を立ち、扉の方へと向かうジュディ。
扉の前まで行くと、来客の確認を行なう。

「どちら様でしょうか?」

「・・・・・・」

扉越しの為によくは聞き取れはしなかったが、
それは、シーラにとって聞き慣れたものであり、待ち望んでいたものでもあった。

「まあ、良くいらして下さいました。さ、お嬢様がお待ちです。中へどうぞ」

扉の開く音が聞こえる。
しかし、少し待っても客が来る様子もジュディが戻って来る様子も無い。
彼が来たのだと確信していたシーラは、ついに我慢できなくなり、ジュディに声をかけた。

「ジュディ。お客様ではないの?」

「・・・はっ! も、申し訳ありませんお嬢様。今すぐそちらへお連れ致します」

慌てた様子でジュディが戻って来る。
そして、その後ろについてやって来たのは―――

「シーラ、応援にきたぞ」

「・・・・・・レニス、君?」

そこに姿を現したレニスに、思わず我を忘れて見惚れるシーラ。
自然と頬が高揚していき、胸の動機も高まっていく。

「大丈夫か? 随分緊張しているようだが」

花束を渡しながら、心配そうにシーラを見つめるレニス。
その様子を見て、後ろにいたジュディは「それは貴方のせいですよ・・・」と胸中で呟いた。

「う、うん、大丈夫。・・・でも、少し緊張してるかもしれない・・・」

「む、俺の眼と髪に対するリアクションが無いな。ちょっぴり楽しみにしていたんだが」

「え? だって、レニス君はレニス君でしょう?」

「そりゃそうだ。・・・で、やっぱり緊張してるか」

「うん。レニス君のせいで」

「へ? お、俺?」

「うん。だって、レニス君凄く綺麗だから・・・」

「・・・そうか?」

楽しそうに笑いながら、レニスの格好を指摘するシーラ。
レニスは、多少納得のいかない表情で自分の格好を見回すが、
やがて諦めるように肩を竦めた。

「って、そんな事どうでもいいや。まあ、そんな軽口が出て来るようなら心配は要らないか」

そう言われて、シーラははじめて気付いた。
先程までの緊張していた自分の身体が、驚くほどリラックスしている事に。
ホンの少し、自分の事を現金だなと思い心の中で呆れるが、
嬉しいものは嬉しいのだから仕方が無い。

「ふふふ、そうね」

「準備は良いのか? もうすぐ始まるんだろ」

「準備は、後一つだけ・・・」

「何だ。まだ何か有ったのか? 俺が手伝えれば手伝うが」

「ううん、大丈夫よ。後は・・・」

そう言って、鏡台に置いてあった、純白の羽を象ったブローチを胸元につけた。

「・・・これで、準備は完了です」

「それ、俺がシーラにあげた奴か?」

「うん。・・・これを付けていると、落ち着くの。
どんな時でも、貴方が傍に居てくれている様な気がして・・・」

そのまま、ブローチを抱き締めるように両手を組み、
穏やかな、それでいて力強い眼差しでレニスを見る。

「私が、今ここでこうしていられるのは、貴方のおかげです。
貴方は、私が自分の選んだ道を歩む事に迷った時、優しく背中を押してくれました。
だから、貴方に見て、聴いていて欲しいんです。今日の私の演奏を」

「・・・ああ、解った。どんな事があろうと、今日のシーラのピアノは一音たりとも聞き逃さない」

レニスは、自分が出来る精一杯の誠意を持って、その首を縦に振った。
今の自分に出来る事は、それだけだから。
そして、同時に思い出す。

「・・・やはり親子か」

「え?」

「気にするな。・・・そろそろ時間だな。俺も戻ろう。
頑張れよ、シーラ。シーラが演奏を終えるまで、俺は君の曲を聴き続けるから」

そして、レニスは控え室を後にした。
その顔には、嬉しそうな苦笑が浮かんでいた。










「帰ったかレニス。シーラはどうだった?」

「ああ、大丈夫そうだ。大分リラックスしてたしな」

「そりゃそうだろうさ・・・・」

「?」

「解らないのならそれで良い。とっとと座れよ、始まるぞ」

アレフの言葉に怪訝そうな顔をしながらも、レニスはマントを外し席に座る。
勿論マントはフィリアの腕の中である。

そして、最初の演奏者の指が、白と黒の鍵盤を叩き始めた。




数人の演奏が終った時、レニスは軽く両手を組みながら
ステージの脇に下がっていく奏者へと視線を向けた。

「流石にレベルが高いな。良い音を出す」

「私はよくは解らないけど・・・それでも、良い曲だって事は解るわね」

頷きながらレニスの言葉に同意するパティ。

「シーラは・・・次か」

「あ、出て来たわよ」

シーラの事は既に知られているらしく、場内からあらゆる音が消えた。
その中を、しっかりとした足取りで歩き、一礼する。




シーラの指が、白い鍵盤を叩くのが見える。
静かに鼓膜を叩き始める、心地良い音。

(・・・似てはいるが、やはり違う。彼女は既に、自分の音を見つけている・・・)

昔聴いたピアノを思い出す。
以前聴いた時には、彼女のピアノからは、まだこの音が聞こえていた。
だが、今は違う。

(シーラ・シェフィールドのピアノ・・・じっくりと聴かせて貰おう・・・)

一旦その目を閉じ、再びその瞼を開くと、
視界にシーラを収め、その旋律に身も心も委ねる。

(・・・・・・良い音だ。俺如きには口出しすら出来ん・・・)

心の中で苦笑する。
なにやら周囲が騒がしい。
鬱陶しいが、そんな事に意識を割くのも惜しい。

(・・・それに・・・)

恐らく、この旋律は他の人間にとっては最高の惨事を送られる『だけ』のものであろう。
だが、自分にとっては。いや、もう一人、自分と同じ道を歩んだ女性にとって、この音は・・・

(どこで何をしているのは知らんが・・・聴かせてやりたい・・・)

とても、揺さぶられる。
何が、如何とは解らないが、何かを思い出させる。
それが、やけに心地良く感じられた。

そして、場内から湧き上がった歓声と拍手の音で、
レニスの意識は元の場所へと引きずり出されたのだった。








「・・・・・・終ったか」

「お、やっと動いたか、レニス」

「アレフ・・・? どうかしたか?」

「どうかしたか? じゃないぜ、ったく。地震が起きても身動き一つしないんだ、心配もするだろ」

一瞬、ほおけた顔になるレニス。
地震など、全く気付かなかった。

「・・・集中しすぎたかな? シーラのピアノの音しか聴こえなかった」

「呆れた奴だな・・・シーラの方も微動だにせずに演奏を続けるし・・・」

「スマンスマン」

笑いながら呆れた様子のアレフの肩を叩く。

「・・・それにしても、いい曲だった。曲名はたしか・・・」

「『ユーレヴィス山の福音』です。マスター」

「ああ、そうだったな。思い出した」

そのまま椅子にもたれ、余韻に浸るレニス。
それを見たフィリアは、思わず溜め息をついた。

「・・・・・・はあ」

「どうしたのフィリア?」

「パティさん・・・いえ、『ユーレヴィス山の福音』。この曲はですね、余り知られては居ませんが、
とある地方では、異性に思いを告げる時に演奏する物なんですよ」

「それって・・・」

「マスターも知ってる筈なんですけど、気付いてませんね」

「遠回しなせいもあるだろうけど、レニス兄さんだからね。仕方ないよ」

魅樹斗が呆れながら肩を竦める。
そうとは知らないレニスは、今だ興奮冷めやらぬ会場の中で
楽しそうな笑みを浮かべているのだった。
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