中央改札 交響曲 感想 説明

幼き死神と幼き盗賊
FOOL


商業都市アルゲリヌ。
大陸に走る二本の本街道が交じり合った場所にある
このラトヌーク地方では最も大きな都市である。
元は商人達が寝泊りする宿場町だったのだが、
街道が整備されるようになると商人だけでなく
普通の旅行客も立ち寄るようになった為、
その後は雪だるま式に今の規模にまで発展した。

だが町が大きくなればそれに比例して犯罪も増えていく事は必然。
この都市の性質上、治安維持組織はかなり大規模で優秀な人材も
揃ってはいるが、それでも犯罪を完全に消し去ることは出来ない。

今日もこの都市の大通りでは、一般人にとって最も身近な小犯罪。
いわゆるスリがかなりの頻度で発生していた。









大通りに並ぶ屋台の影で、一人の幼い少女が行き交う人々を眺めていた。
灰色の髪の前髪を薄紫に染め、そのヘイゼルの瞳は歳不相応な鋭さで
まるで品定めをするかのように眼の前の人の流れを睨みつけている。
そしてどうやら標的を決めたらしく、ゆっくりと動き出す。
カモフラージュの為に買ったジュースをそのまま飲み干し、
空になった容器を近くのゴミ箱に投げ捨てる。
ターゲットは少女と大して変わらぬ年齢の旅の少年。
全身をすっぽりと覆うようなボロ布と大差無いマントを身に纏い、
目的地がどこかは知らないが、やけにしっかりとした足取りで
大通りを進んで行く。

この手の対象は成果が極端に分かれる。
つまり、大量に儲かるか、収穫ゼロか。
子供の一人旅なんて物はそう簡単な事ではない。
たとえそれが整備された街道を行くだけだとしても、
そこには野盗も出るし、野生の獣やモンスターの脅威もある。
これより数年後には街道を走る馬車もポツポツと現れだし
旅の安全性は格段に上昇するが、現在はそんな物は存在せず、
傭兵等の用心棒を雇わなくては大の大人ですらまともに旅をする事は出来なかったのだ。
つまり。この少年はそれだけの金を持っているか、それとも使い切ってしまったかのどちらかだ。

少女の眼の前に少年の背が迫る。
ゆっくりと、極自然に。人の流れに巻き込まれたように装い、微塵の疑念も抱かせないように。
少女はこのエリアのスリグループのエースだった。
多少腕の立つ冒険者や傭兵と言った連中に全く気付かせずに
サイフを掏り取るなどという離れ業もやってのけており、
育ての親である盗賊ギルドの長も一目置いているほどだ。
であるからして、例えこの少年が少々腕に覚えがあろうとも
全く問題は無い・・・筈、だった。

少女が人の波に押されるようにして少年とぶつかる。
瞬時に懐に手を伸ばし、再度人込みに飲まれて消え去る。
しかし、少女は少年の傍から離れる事が出来なかった。
少年の懐に入れた手を、少年自身に捕まれていたから。

「・・・っ!?」

「丁度良い。聞きたい事がある」

まさか捕まるとは思っていなかった少女が驚いていると、
少年は僅かな動揺も無く、逃げようとする少女に先手を打つように
少女の脇腹に何かを押し付けた。

「なに・・・?」

「他の街ならともかく、この街では珍しくも無いだろう」

少年の言葉に自分の脇腹に押し付けられている
モノに視線を向け、声にならない悲鳴を上げる。
少年の身に付けるマントの影で他の人間からは
見えない位置にあるソレは、確かにこの街では
珍しくも無い物だった。
何しろ警察――この街の治安維持組織の名称――に所属している者が
常に腰からぶら下げているのだ。その殺傷能力も嫌と言うほど知っている。

少女の脇腹に突きつけられた黒光りする金属の塊。
それは、『銃』と呼ばれ、引き金を引けば赤子でも人が殺せる武器だった。

「この街に腕の良いガンスミスがいると聞いた。
知っているなら案内しろ。知らないのならば用は無い」

少女は咄嗟に知らないと言いかけ、その口を閉じた。
少年の黒曜石のような瞳が言っている。嘘は許さない、と。
この世界に生まれ落ちて、初めて命の危険に晒された少女は、
フルフルと震えながら頷き、少年に促されるままに道を歩き出した。













賑やかな大通りの中の一軒の飲食店。
その『魚・寿』という東方の料理専門店に、
先程の少女が少年を引き連れてやって来た。
少女は躊躇う事無くその店の中に入り、少年は疑う事無くその後をついていく。
大勢の客達の注目を集めながらも、少女は全く怯む事無く

『関係者以外立ち入り禁止』

と書かれた扉を潜る。
その通路の曲がり角にある花瓶の位置をずらすと、
その近くの壁が開き、地下への階段がその姿を現した。

「この下よ。でも、あの人は銃で脅したからって言う事は聞かないからね」

「それならそれで構わない。すまなかったな」

そのまま少女から離れると、暗い闇の中へと沈み込むように姿を消す少年。
それを見届けて、少女はホッと息をつきその場にへたり込んだ。

「・・・・・・なんだったのよ。一体」

謝罪するつもりなら、最初から脅すような真似をするなと文句を言いたかったが、
彼は自分に銃を突きつけなければ、この場所に辿り着く事は出来なかっただろう。
この広い街で、本当に一握りの人間しかその存在を知らない場所。
そこまで思い出して、少女は勢い良く立ち上がった。

そんな場所に余所者を簡単に案内してしまった自分はどうなるのだろうか?

こんな事に頭が回らなくなるとは、少女らしくない失敗だっった。
同じ案内をすると言う事でも、近くの仲間に助けを求めるとか、
警察の施設の近くを通るとか逃げ出す機会を作るチャンスはあったのだ。
なのに、何故自分は馬鹿正直に彼をこの場所に連れて来てしまったのか。
逃げる事も。騙す事も。何よりあの少年を疑う事すらしなかったのはどうしてだ?
そこまで考えて、再び驚愕した。

何故自分はこの階段を下りているのだろうか?
一瞬、夢遊病の気でもあるのかという思いが脳裏を掠めたが、頭振ってそれを掻き消した。
そんな事はどうでもいい。何故自分は逃げようともせずにこんな事をしているのだ?
少女の理性は必死になって「逃げろ」と叫ぶのに、身体がそれに従わない。
背後で隠し扉が閉まる音がする。確かあの扉は外側からしか開けられないはずだ。

もう、逃げられない。覚悟を決めて、目の前の闇にうっすらと浮かび上がる扉を睨みつける。
震える手でドアノブを掴み、回し、ゆっくりと扉を押し開けた。




そこで繰り広げられている光景を見て、最初に少女は首を傾げた。
この部屋はそこそこの広さを持ち、照明となる魔力光も眩しくない程度に灯されている。
その部屋の向こう側。銃の射撃訓練施設で先程の少年が一丁の拳銃を構えて立っていた。
彼の隣りにはこの部屋の主である初老の男性が子供のように目を光らせて少年を凝視している。
そこまで観察した時、少女は既に信じられない物を目にしている事に気付いていた。

銃を構えて立っている少年。
銃身はピクリとも動かず、少年も現在の姿勢から微塵も動いてはいなかった。
しかし、どこか不自然な光景だ。ただ、少年が銃を構えて立っているだけであるのに。
いや、それは正確ではない。確かに少年も拳銃の銃身もピクリとも動いてはいない。
だが、よくよく眼を凝らせば銃のシリンダーが凄まじいスピードで回転している事が解る。
銃口からは火花と硝煙、肉を斬り、骨を砕く鉛の弾丸が吐き出され続けている。
銃の反動は凄まじい。実際、少女はここの主に一度だけ撃たせて貰った事があるが、
その時は両手で構えていたにも拘らず、発砲時の衝撃で後ろにひっくり返ってしまったのだ。
まだ幼い少女の体験では実感できないかもしれないが、この都市の警察達もこんな芸当はできない。
例え火薬の量を必要最低限までに減らしたとしても、引き金を引けば確実に腕は動く。
だと言うのに、この少女と大して歳が変わらぬ少年は、警察達の使っている銃よりも
威力、反動、共に2ランクは上の銃でそんな事をやってのけているのだ。
銃を少しでも知っていれば、到底信じられる光景では無い、
言葉を失い、立ち尽くす少女に気付いたこの部屋の主は
柔和な微笑みを浮かべたまま彼女に声をかけた。

「おお、嬢ちゃんか。よく来たのう」

「譲ちゃんは止めて。私には『リラ・マイム』っていう立派な名前があるんだから」

主の呼びかけに不機嫌そうに答える少女、リラ。
これが、彼女がこの不思議な、そして十三年後に
生涯の伴侶となる少年に関わる事となった経緯だった。













「帰ったのではないのか?」

全弾全て撃ち尽くしたのか、少年が振り向きもせずに弾倉から空薬莢を捨て、
新たな弾丸を一つ一つ丁寧に装填していく。

「それを決めるのはアンタじゃないでしょ」

「そうだな」

それだけ言うと、再び銃を発砲しだす。
その子供らしくない少年の言動に、なぜか沸々と心の奥底から怒りが滲み出てくる。

「ほう・・・もしかして、嬢ちゃんがこいつをここに連れて来たのかな?」

横手――と言っても、少年の横に立っていたのだが――からかけられた主の声に、
思わず身を竦ませる。いざとなればどんな事をしてでも逃げ切ってやると
心に決め、僅かに腰を低くしながらそちらのほうを見る。

「そんなに身構えるでない。むしろ感謝しておるぞ。
こんな面白い小僧と会わせて貰えたのだからな」

「面白い?・・・そりゃあ、なんか化け物っぽいけど」

心中でこっそり安堵しながら、ジト眼で少年を見る。
やはり動いているのはシリンダーのみで、強烈な反動に対して
その小柄な身体は僅かに揺れる事すらない。

「あの小僧のお、ワシに銃の強化・改造を依頼せんのじゃ」

「は? だったら何の用でアグラ爺さんの所に来た訳?
もしかしてどっかからのスカウトって奴?」

少女の反応に主――アグラは低く笑いながら首を振った。
少女を見るその眼は自分の孫を見るように慈愛に満ちているが、
その事を少女は知らない。この老人が隠しているから。

「違う違う。あの小僧はワシに銃の改造・修復技術を教えて欲しいと言ってきおったんじゃ」

「弟子入りって事?」

「別にガンスミスになりたいわけではない」

既に全弾撃ち尽くしたのか、今まで黙っていた少年が
空の銃を近くの台の上に置きながら口を開いた。
ゆっくりとした流れるような動作で二人の方を向き、
被っていたフードを跳ね上げる。そこから現れた顔は、
やはり幼く、だが、それ以上に『人間性』が欠如している
まるで『人形』のような印象を少女に刻み込んだ。

「アグラ。これでテストは終わりか?」

「そう急かすな。少し待て」

どういう事かと聞こうとするリラを無視し、アグラに尋ねる少年だが、
アグラは手元の機械を操作し、今まで少年が狙っていた標的を近くまで
よせてそれをじっくりと見分している。

「・・・ふーむ・・・見事じゃ。照準誤差がここまで小さいとは・・・」

アグラの上げた感嘆の声に好奇心を刺激され、背後からそれを除き見るリラ。
主の手にしている人型の的には、頭部、左胸部、肩部、肘部とに
それぞれ弾丸よりも二回りほど大きな穴が空いている。

「もしかしてアイツ・・・大した事、無い?」

思わず拍子抜けする。
あんな光景を見せ付けられ、どれだけ穴だらけになっているかと思ったら。
六ヶ所に穴が一つづつ開いているのみで、他の場所は綺麗なものだ。
そんなリラにアグラは呆れたような顔を浮かべ、
苦笑しながらリラの頭をクシャクシャにした。

「ちょっ、何すんのよ!?」

「何を馬鹿な事を言っとる。全部同じ場所に命中させたに決まっとるじゃろうが」

「・・・は?」

呆けた様な声を上げるリラを置いて、
アグラは懐から取り出した一発の弾丸を少年に差し出した。

「さて小僧。これが最後じゃ。この一発を用いて・・・」

再度、手元の機械を操作する。
すると先程まで少年が銃を向けていた空間に十数枚の的が表れた。
機会の作動音が更に大きくなり、全ての的が不規則に移動を始める。

「この全ての的を破壊してみよ」

「わかった」

突然の無茶苦茶な要求に全く動じる事無く、
与えられた一発のみを弾倉に込め、銃口を標的に向ける。
一直線に並ぶ事の無い複数の的。
そして、次に少年が取った行動にアグラもリラも
思わず目を丸くした。

いきなり自分の荷物の中に手を突っ込んだかと思うと、
その中からパイナップルの通称で親しまれている
鋼鉄の塊を取り出し、射撃場の中央へと放り投げると
それを拳銃に込めた一発の弾丸で撃ち抜き、爆発させた。
当然その爆発に巻き込まれた的は至極あっさりと破壊され、
少年は何食わぬ顔でたった一つの空薬莢を排出した。

「破壊したぞ」

「アンタねえ・・・なんでいきなり爆弾放り投げてんのよ!
これは銃の腕のテストでしょーが!!」

「銃で破壊しろと言われた訳ではないが?」

爆音の直撃を受け、少々足元がおぼつかないリラが
少年に思いっきり突っ掛かるが、少年は無愛想に答えただけで
その視線は未だ呆然としているアグラの方へと向けられていた。
そんな少年の態度が酷く気に食わなかったものの、リラも彫像の様に
固まってしまっているこの老人の事が心配になり、恐る恐る近付くと
その顔を覗き込んだ。

「アグラ爺さ〜ん。だいじょうぶ〜?・・・もしかして、さっきの爆発の影響でボケた?」

本気で心配になって来たリラの耳に、小さな笑い声が聞こえてくる。
少年のほうを見るが、彼の顔はピクリとも動いておらず、喉を震わせている様子も無い。
そして当然の事ながら自分でもない。なら誰か?
消去法で行くならば・・・彼女の目の前に立つ、この老人だけだ。
その答えを照明するかのように、アグラは小さく肩を振るわせ始める。
そして段々と大きくなっていく笑い声に、思わずリラは後ず去った。

「・・・ククク・・・クァッハハハハハハハハハハハ!!!
気に入った!! 気に入ったぞ小僧!! 誰にも真似出来ぬ超精密射撃。
そして銃の腕を見るための試験で臆面も無く手榴弾を使用する大胆さ!!
ハッハッハッ! いいだろう。このアグラ・レンバードンの全てをお主に叩き込んでやる!!」

「全てはいらん。緊急時にどうにか出来るだけの技術があれば・・・・」

素っ気無く言い捨てる少年にずずいっと詰め寄ると、
アグラはポンと少年の肩に両手を置き、ニッコリとその顔に微笑みを湛えた。

「ワシは中途半端は認めん。教えるならば徹底的に叩き込むぞ。いいな?」

「だから、全てはいらんと・・・」

ギシィ・・・という音と共に、少年の肩が悲鳴を上げる。
見ればアグラの両腕が丸太のように膨れ上がっており、
その衣服の下に並々ならぬ筋肉が隠されている事を
少年は悟らざるをえなかった。

「い・い・な?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかった」

その場に居合わせたリラは、後にこう語っている。

『もしあの時アイツが頷かなかったら、あの爺さん本気で両肩砕いてたわね。
ま、《鋼の腕》の二つ名は伊達じゃないって事かしら?』

《鋼の腕》
この名を知らない冒険者は皆無と言われるほどに有名な男である。
その両腕から繰り出されるパワーは鋼鉄の鎧を着た騎士達をも
軽く薙ぎ払い、あらゆる防御手段を無効化するとまで言われた。
だが彼の両腕の本領は破壊ではなく、神業的な器用さで様々な
武器達を造り上げるその才能。
彼の造り上げた武器はその人間の能力を数倍、数十倍にまで
高めると言われ、数多の戦士、騎士、権力者達が彼の元へと
集まったが、彼はその尽くを追い返し、滅多に武器を造ろうと
はしなかった。そして、ある時を境に完全に表舞台から姿を消した
生きた伝説の一人である。































「どうした。何をそんなに慌てている?」

「アンタに・・・アンタに常識は無いのかぁーっ!!」

無表情のままで首を傾げる少年に向かって
至近距離から怒声を浴びせる少女、リラ。
今二人がいるのは街の広場にある噴水。
(半)強制的にアグラの弟子にさせられた少年は
否応無くこの街で暮らす事になるので、この街の事を
隅から隅まで知っているリラにアグラが案内を頼んだのだ。
リラは最初は断ろうと思っていたが、アグラの顔を見ると
『あの』笑顔が浮かんでいたので慌てて少年の手を引いて
あの部屋から脱出。仕方ないのでそのまま街を案内していたのだが・・・

この少年の堂々と、それでいて殺伐とした空気と言動とは裏腹に。
彼の常識の一部が欠如している事を思い知らされたのはその数分後だった。

人形屋の店先に置いてある、子供向けの怪獣のぬいぐるみを
「このような生物がいるのか?」と真剣な眼差しでそれを見つめ。
屋台で買った水飴を直接手にとってかなり悲惨な状況に自分を追い詰め。
玩具屋に置いてあるおもちゃの銃を手に取り、「訓練にも使用できんな」と
極当たり前、と言うか当然の事を真面目な顔で口にし。
そして極めつけは先程昼食を取る為に立ち寄った食堂での行動。
別に出されたハンバーグを鷲掴みにして食べたとか犬みたいに口で直接食べたとか
そんな事ではない。少年は普通にナイフとフォークを使ったし、食後には
ナプキンで口の回りを拭きもした。ならばどこが常識知らずかと言うと。
それは支払いの時に起こった。

「お会計は8Gになります」

「これで足りるか?」

そう言って少年が懐から取り出したのは、
赤ん坊の握り拳程の大きさを持つ青い石だった。
それを見た瞬間、会計の店員が口をあんぐりと開けて動きを止めた。
リラも一瞬思考が停止したものの、すぐに再起動。
アグラから預かったお金をカウンターに叩きつけるように置き、
何が起こったのか理解できなかった店員からしっかりお釣りを受け取ると
少年の腕を掴んで脱兎の如くその場から逃げ出した。
その後こっそりと二人を追いかけてきていた連中を巻く為に多大な
労力を支払い、一時間後にようやっと街の人々の憩いの広場に到着。
そして冒頭の台詞と言う訳である。

「アンタ、さっきの石ちょっと見せなさい」

「これの事か?」

リラに促され、再び懐から先程の青い石を取り出す。
それをじーっと見ていたリラは、ふかぁいため息をついて
怒りと呆れを4:6で混ぜ合わせた視線で少年を睨み付けた。

「こんな・・・こんなもんでハンバーグ定食二人分の代金払おうとするなあ!!」

「何? もしかして足りなかったのか?」

「逆よ! 多すぎ!!」

今少年が手にしているのは瑠璃石と言う宝石である。
古くは『神の石』と呼ばれ、地方の王にしか持つことを許されなかった石。
今でこそ普通の宝石として流通しているが、過去の栄光は今でも多少なりとも
残っているらしく、かなり価値の高い宝石だ。しかも赤ん坊の握り拳ほども
ある大きさというのは滅多に見られない希少品だ。

「アンタ、もしかして金持ちのボンボンとか?」

「いや。ここに来る途中に盗賊の住処を襲って入手した。他にも幾つかあるが・・・」

そう言ってルビー、ダイヤ、金、銀、翡翠、水晶、象牙とハッキリ言って
洒落にならない高価な品物がズラリとリラの前に並べられた。
これには流石に開いた口が塞がらず、リラは眩暈でもしたのか
フラフラと噴水のふちに座り込み、手で少年に宝石をしまうように合図した。

「・・・・・・ちょっと質問に答えてもらえるかしら?」

その後、リラは少年に幾つかの質問をした。
その結果分かった事。
少年の金銭感覚は全く問題は無い。
ただし、物の価値に関しては壊滅的だ。

「アンタ、よく今まで旅が出来たわね・・・」

「それほど大した事とは思えないが」

とりあえずといった感じでリラの隣りに腰掛ける少年。
それをとてつもなく疲れた眼で見ているリラ。
彼女はこの少年の事が全く解らなくなっていた。
確かにまだ出会って半日も経っていないのだから
解るも解らないも無いのだが、それでも理解できそうな兆しもない。
それ以前に不思議な事。何故自分はこの少年と一緒にいるのだろうか?
初対面でいきなり銃で脅して来た少年に対し、特に敵対心も恐怖心も沸いてはこない。
そりゃあ彼女の方も彼のサイフを掏ろうとしたのだから程度の差はあれ
嫌われるか疑われるかする筈なのだが、少年からはそんな印象は受けない。
むしろ街中で彼女にアレコレと質問してくる彼は、表面上と性格はともかく、
リラの事を信用していたような節も見られた。

「よしっ、決めた。今日から私がアンタに『物の価値』というものを徹底的に叩き込んでやるわ!」

「アグラと同じような事を言う・・・いきなりどうした?」

「なんかムカツクのよ! 物の価値観は人それぞれかもしんないけど、それにも限度って物があるでしょうが!!」

この少年にとって、恐らく宝石や貴金属等はそこらに転がる石と同列の価値なのだろう。
金銭にも執着している様子も見えず、まるで彼の存在はその日の食い扶持を稼ぐ為に
必死になって生きている自分達を否定しているように感じられた。
怒りはある。だが、この少年を嫌いになる事は出来なかった。

「・・・で、今更聞くのもなんだけど。アンタ、名前は?」

大声で叫んで冷静さを取り戻したのか、リラは今更ながらに少年の名前を尋ねる。
だが少年はその問いにすぐには答えようとせず、ただ黙って眼の前の風景を眺めている。

「・・・・・・好きに、呼べ。それで構わない」

「・・・アンタねえ、名前ぐらい教えなさいよ。
それとも、スリの小娘如きには教えられないって?」

僅かな沈黙の後、少年の口から出た答えはそんなモノだった。
沸々と湧き上がる怒りを何とか押さえながらも、その口調にはやはり棘が混ざる。

「好きに呼べ、と言った」

少年の言葉に、僅かな寂しさが混じる。
だが怒りを抑えるのに精一杯のリラはそれに気付かず、
大きく深呼吸してキッと少年を睨みつける。

「わかったわ。どんな名前でも良いのね?」

「何度も言わせるな」

「そう、ならアンタの事は『ラピス』って呼ぶわ。文句無いでしょ?」

「・・・『ラピス』?」

今までリラの言葉に無関心だった少年が、興味を引かれたように顔を上げた。
やっとこちらを向いた少年に満足したのか、リラは嬉しそうにその表情を緩ませた。

「さっきアンタがハンバーグ定食二人分に支払おうとした宝石、瑠璃石の別名よ。
本当はラピス・ラズリなんだけど、長いから半分削って『ラピス』」

得意そうなリラとは裏腹に、少年はリラの両目をじっと見詰め黙したまま。
黙ったままの少年に不機嫌さと不安感を覚えながら、少年に声をかけようとした所、
少年の口が、ゆっくりと開かれた。

「『ラピス』・・・ラピス、か」

「そーよ。気に入らないんなら本名名乗りなさい」

びしっと少年を指差してキッパリと言い切るリラ。
だが少年はそんな事はお構い無しで何かを考えるように俯いており、その表情は伺えない。
しかし、リラにはその姿がどうにも喜んでいるように思えてならなかった。
きっかり一分。思考の海に潜っていた少年がこちらに戻り、
そして再びリラと視線を交わらせた。

「それでいい。ラピス、と。そう呼んでくれ」

そう言った彼の顔に浮かんでいる表情は、『微笑』。
今まで表情が無きに等しかった為か、それともただ単純に綺麗だったからなのか。
不覚にも、リラは少年の顔に見惚れ、頬を朱に染めていた。
そんな彼女を置いて少年は―――いや、ラピスは立ち上がり、歩き出す。

「どうした。行かないのかリラ?」

「あ・・・っ、と、待ちなさいよラピス!」

慌ててその場から立ち上がり、少し離れた場所に立つラピスの元へと駆け寄る。
彼女の顔に浮かぶその笑顔は、先程見た希少価値の高いであろう微笑の為か、
それとも初めてラピスに名前を呼ばれたからなのかは、
本人すら解っていなかった。

ただ、とても心地良い気持ちになれたのは、気のせいではない筈だ。
中央改札 交響曲 感想 説明