中央改札 交響曲 感想 説明

時の調べ 第四十一話 紅き怨念 銀の妄執 蒼黒の衝動
FOOL


夕焼けがエンフィールドの街を朱く染める頃。
夕焼けに負けぬほど紅く燃える朱金の髪をゆっくりと揺らしながら、
魅樹斗は一人街の裏通りを歩いていた。
連れは居らず、足取りはおぼつかない。
衣服には真新しい汚れは目立つ物の、損傷は見られず、
彼の身体にも特に外傷は見当たらない。

「・・・あれ?」

ふと、魅樹斗がハッとした様に顔を上げる。
パッチリと開いた瞳は金と銀。
その不思議な双眸が周囲を見回し、
困惑の色に染まる。

「う〜ん・・・何時の間に裏路地に? もしかして夢遊病?」

かなり深刻な表情で考え込む魅樹斗。
まるで浮浪者のように汚れきった衣服を見て顔を顰めると、
次の彼の脳裏に浮かんだのは呆れた様な顔をしたレニス。
困ったような表情を浮かべながら苦笑するフィリア。
そして、心配そうに自分に駆け寄ってくるアリサの姿。

何故このような状況になっているのかは後で考えるとして、
魅樹斗は頭に浮かんだ現実に起こるであろう状況を
どうやって打破するかを真剣に考え込みながら、
ジョートショップへの帰路に着いた。















それより三時間ほど経った自警団寮の一室。
そこで如月・ゼロフィールドは一人蓄音機から流れる音楽にその身を委ねていた。
少々意外な事だったが、如月の趣味の一つに音楽鑑賞がある。
それも大衆向けの物ではなく、ちょっぴり古臭い空気が漂う
クラシックな音楽が大好きなのだ。
彼も楽器を演奏できるが、あくまでも『一応』のレベルなので
素人に毛が生えたようなものである。
それでも睦月あたりは喜々としてその調べに耳を傾けてくれる。
最も、聞き終わった後はとことんこきおろしてくれるが。
そんな彼がお気に入りの曲の一つに聴き入っている時、
不意に自室の扉が無遠慮に開かれた。

「・・・・・・せめてノックぐらいしてくれ、睦月」

こんな事をするのは相棒である睦月ぐらいしかいない。
トリーシャも遠慮無く進入してくるが、
それでも声をかけるなりノックをするなりはしてくれる。
心地良い時間を邪魔され、少々憮然とした表情で玄関に向かった如月だったが、
そこにいた『二人の』人物を見て、思わず目を丸くした。
一人は当然の如く自分の相棒である睦月。
そして、もう一人は―――

「おい―――?」

「とりあえずレネ呼んでくれると助かるなーって」

苦笑気味な表情を浮かべながら、
睦月は背負った人物を奥のベッドへ運んでいった。
その人物の髪が白ではなく、実は銀だったんだなと
どうでもいい事を考えながら、如月はベッドに寝かされた
リサを回復させる為、水の聖霊を呼び出すのだった。






















夜もふけたさくら亭。
この時間になるとお客さんは酔っ払いがメインとなり、
まともな客はすたこらさっさと退散していくのが主である。
そして深夜を過ぎる頃になると、さくら亭の閉店時間である。
酔っ払いどもを店の外に放り投げ、泥酔して帰れない連中は
自警団や家族に連絡して帰宅させる。
そうして店の後片付けも終わり、ソール一家も
もう寝ようかという時間になった時、意外な人物が来訪してきた。

「こんな時間にすみません。少し良いですか?」

「フィリア? 一体どうしたこんな時間に」

驚きと呆れを半々にした声と表情で陸見が問う。
当然の事ながらセリカとパティも同様の表情で
フィリアを凝視している。

「ミキを見ませんでしたか? この時間になっても帰って来ないんです」

「ボウズ? 帰ってないって・・・この時間でか!?」

「はい・・・今更、この町で迷子になるような事も無いでしょうし、
門番も姿を見ていないとの事ですから、町の外に出たわけではないみたいで・・・」

その鳶色の瞳を心配そうに曇らせながら右手を胸元に運ぶフィリア。
魅樹斗が行方不明と聞いて表情を曇らせていた三人だったが、
ふと、セリカが何かを思い出したのか、おもむろに口を開いた。

「もしかして・・・最近出没するっていう殺人鬼に襲われたんじゃ・・・」

「・・・殺人鬼・・・」

「ええ。 数ヶ月前から何度か出てるらしいんだけど、
犯人は一向に見つからず、自警団員にも犠牲者が出てるの。
犠牲者は皆、鋭利な刃物で切り殺されていたらしいわ」

「っセリカ!!」

問われるままに答えたセリカに対し怒鳴る陸見。
セリカもすぐにその意味を理解したのか、ハッとした表情になり、
申し訳無さそうに頭をたれた。

「ごめんなさい、フィリア。私ったら無神経な事を・・・」

「いえ、私も気にしてませんから」

「悪いが、ボウズの姿は見てねえな。力になれなくてスマン」

申し訳無さそうな陸見に、少し沈んだ微笑を向ける。
探すのを手伝おうかと陸見が口に仕掛けた時、
フィリアは衣服の裾をなびかせ静かに頭を下げた。

「いえ、夜分遅くに失礼しました。それでは」

謝罪し、あっと言う間に店の外へと消えるフィリア。
後には、どこか呆然とした、でも少し心配そうな表情をした
ソール一家の姿が残された。















「――――う・・・ここ、は・・・?」

「自警団員寮の如月の部屋よ。さくら亭に運んでも良かったけど、早めに治療した方が良いと思って」

「!?」

枕元に聞こえた声に、リサは慌てて跳ね起きた。
にこやかな表情を浮かべながらこちらを見る睦月と
視線が合わさり、ついで周囲を見回して全身の力を抜いた。

「・・・紅月は・・・」

「眼の前で消えていくの、貴女も見たでしょう?」

「・・・・・・くっ!」

シーツを握る手に力が篭る。
まるで呪詛のようなリサの声に、
睦月はその表情を一瞬だけ曇らせた。

「復讐も結構だけど、自分の命は大事にしなさい」

「っ!?・・・なんで、復讐って分かったんだい」

「そんな事、どうでもいいでしょう。
・・・で、どうするの? 奴は今夜、また出るわよ」

その瞬間、リサの瞳が燃え上がったような気がした。
睦月はリサに気付かれないように小さな溜め息をつくと、
そっと視線を窓の空へと向ける。
つい小一時間前まで夜空に輝いていた紅い月は雲に隠れ、
暗澹とした闇がエンフィールドを包み込んでいる。

「行くのなら、もう少し待ちなさい―――今、如月が貴女のナイフに光の聖霊の加護を与えているから」

「聖霊の加護・・・? なんだってそんなものを・・・」

「気付いていなかったの? 貴女が殺したがっているあの男、紅月はね。
かなりの高レベルの怨霊よ。普通の武器ではまず殺せないわ」

睦月から聞かされた事実に、リサは一瞬驚きの表情を浮かべる。
その事実を脳内で静かに吟味していく内に、ふと、彼女は小さな疑念に駆られた。

「睦月、アンタはアタシを止めないのかい? 復讐なんて、馬鹿な真似をしようとしてるアタシを」

「馬鹿な事だって自覚は有るのね・・・それで? 止めたら止まるの? 止まれるの?」

視線を窓の外へと向けたまま、睦月は淡々とリサに問い掛ける。
リサが口篭るのを予測していた、いや、恐らく分かっていたのだろう。
難しい表情で俯く彼女にそれ以上言葉を掛ける事をせず、
睦月は、ただ静かに黒雲に覆われた夜空を眺め続けた。












盗み聞きするつもりは無かったのだが、
必要以上によく聞こえる彼の耳は、隣の部屋から聞こえる会話を
完全に聞き取っていた。

「―――――復讐、か」

本当なら止めるべきなのだろう。
だが、如月は自分には止める資格は無いと考えていたし、
止めるつもりも毛頭無かった。
復讐結構。やりたければやればいい。
その結果、自分がどれだけ叩きのめされようともそれは自分の責任だ。
復讐を果たした後の虚しさは――経験者が語らせてもらえば、辛い。
復讐者にとって一番辛い終わり方は、全てを失う終焉。
如月は得る事ができた。
そかし、それは過去に失った物を再び得た訳ではない。
あの少女を失い、逃げるようにこの町に住み着き、
トリーシャと出会って、そして今の彼がある。
確かに昔が懐かしいと、帰りたいと思う時もある。
今、この時には無い物が昔には在ったのだ。
だが、それは逆もまた然り。

「まあ・・・放って置く訳にも、いかないしな」

復讐を果たした時、リサは一体どうなるだろうか?
全てを失うか。それとも、自分と同じようにこの町で新たに得た物があるのか。
如月の手の中で、リサのナイフが浄化の光を放ち始める。
彼が出来るのはここまでだ。
後は、リサが死なないように見守るだけ。












さくら亭を出て数時間後。
フィリアがローズレイクの方へと向かおうとした時、
彼女の眼の前に立ち塞がるように黒い人影が現れた。

「ミキは放っておく。と、決めた筈だがな、フィリア」

「マスター・・・」

冷徹な輝きを放つ深紅の瞳。
その視線に貫かれ、フィリアは硬直したようにその動きを止めた。
まるで親に悪戯が見つかった子供のように身を竦ませながら、
しかし、フィリアは珍しくレニスに反論する。

「しかし、これ以上ミキを放っておいたりしたら・・・っ!」

「だから何だ。その時はその時。ミキがそうなった時は―――俺が殺す」

「っ・・・」

―――そんな本意ではない事を―――

一瞬出かかったその言葉を何とか飲み込み、
それでもなお、食い下がる。

「ミキに、教えては、いけないのですか・・・?
あの子は、私たちの言う事なら―――」

「確かにミキは俺達の言う事を信じるだろう。
だが、納得と信頼は違う。少しだがな」

レニスの言いたい事が解るだけに、
フィリアは何も言い返せなくなる。
コートの裾を翻し、レニスは家路に着く。

「・・・まあ、探すのは勝手だ」

「ぁ・・・はいっ!」

ポツリと聞こえたその言葉に、安堵したように頷くと、
フィリアはレニスに背を向けて闇夜の中へと消えていった。









「―――フレア。アリサを納得させるのを手伝ってくれ。
俺一人じゃ無理だ」

「難しいと思いますよ、レニス様・・・」




















町から少し離れた場所に広がる草原。
人気は全く無く、サアッと吹く風が足元の草を無雑作に薙ぐ。
睦月が如月とリサを案内したのは、そんな場所だった。

「ここら辺でしょうね、紅月が再度出て来るのは」

「ホントに連れて来るとはな・・・」

リサに聞こえないようにぼやく如月に向かい、
睦月は澄ました顔でサラリと言い放った。

「復讐心を燻らせるよりは、どういう結果になろうとも復讐を果たさせる方がマシ」

「言い切ったか」

「経験談よ」

「耳が痛いな」

どうやら心配をかけていたことに対するささやかな報復らしい。
クスクスと笑う睦月を横目に小さく肩をすくめる如月。
と、その時、不意に如月の耳に微かな歌声が聞こえた。

「嫌な感じはしない、か」

「調べても良いけど・・・そんな暇、無いみたい」

夜空を覆っていた黒雲に切れ目が入り、紅き月の光が差し込んでくる。
睦月の眼がスッと細まり、リサの両目が激しく燃え上がる。
それだけで、何事か理解するには十分だった。
三人から少し離れた場所に、先程まで無かった人影が佇んでいる。
前身から強大な鬼気と剣気を放出する黒ずくめのサムライ。

「アイツが紅月か」

「ああ・・・如月、睦月。あんた等は手を出すんじゃないよ・・・」

「――――――お前が死にそうにならなければな」

地を踏み割ろうかと言うほどの踏み切り音と共に、
リサの身体が紅月の元へと疾駆した。

「せぇぇぇぇえええええええええっ!!!!!」

裂波の気合と共に繰り出されたナイフを
紅月はいとも容易く避わす。

「女・・・先程、言った筈だな? 次は無い、と」

「はっ! 忘れたねえ、そんな事はっ!!」

リサの繰り出す凄まじい連続攻撃の合間に、
どこかゆっくりとした動作で腰の刀を抜く紅月。
それが神速の突きを放つのと、リサが身を捻ったのは同時だった。

「ちいっ!」

脇腹を鋭利な刃が掠める。
リサはそれに構わず紅月に密着し、
至近距離からナイフを突き立てようとするが、
紅月は咄嗟に刀の柄を持ち上げそれを防御し
それと同時に右の足を跳ね上げる。
だがリサはその蹴り足に乗る様に紅月の頭上に跳び、
その場で空中前方宙返りをし、両足の踵を後頭部へ向け振り下ろす!

「遅い!!」

一声吠えると、紅月は迫り来る踵に何時の間にか
左手に持った鞘を叩き付け、刀身を大きく横薙ぎに払う。
避わしきれないと悟ったリサは左腕の手甲で受け止めようとするが、
刀身が手甲に当たる寸前に軌道を変え、リサの腹部を切り裂いた。

「ぐあ・・・っ!」

腹部から大量の血を吐き出しながら地に落ちるリサ。
そのリサに向け、紅月が止めの一撃を放とうとした瞬間、
いきなりリサの身体が見えない力に引っ張られ、
間一髪のところで紅月の攻撃範囲内から脱出した。

「お前も邪魔をするか、男」

「知り合いに眼の前で死なれるのは嫌なんでね」

紅月が睨む先には、両手に魔拳アスクレプオスを出現させた如月の姿。
その右腕から放たれた銀の蛇がリサの身体に巻き付いており、
それによって助かったのだと言う事を、おぼろげながらリサは理解した。

「手は・・・・出、すなと・・・」

「死にそうにならなければ、と言った筈だ。睦月」

如月の要請を受け、睦月は黙ってリサにホーリ―ヒールを使用する。
その暖かな光に包まれると、腹部の傷が見る見るうちに閉じていく。

「・・・解っているでしょうけど、閉じただけよ。
これだけの傷を一瞬で治せるような魔法なんて、私は使えないから」

「アンタ等・・・っ、これは、アタシの戦いだっ! 関係の無い奴が手を出すなっ!」

如月の介入が無ければ、先程の攻撃の一撃で自分は死んでいた。
その事は助けられた当人であるリサが一番よくわかっており、
だからこそ、己の不甲斐無さが許せずに、その憤りを二人にぶつけてしまう。
如月はそんな彼女を見つめ、何かを言いかけるが自嘲する様に押し黙った。
それに代わるように睦月がリサの正面に周る。

「リサ。自分でも、もう解ってるんでしょう? 認めなさい。
復讐なんてものは、どのような大義名分があろうとも無意味・無価値な物だと」

「うるさいっ!! 私は! 紅月を殺す為に傭兵になったんだ!! その為だけに生きて来たんだ!!
大事な者を理不尽に奪われた事の無い奴が偉そうに私に説教するなっ!!!」

「―――――――それがどうしたぁっ!!!!」

突然の如月の一喝。
リサも睦月も思わず目を見開いて彼の方を凝視する。

「何時までも死人に引き摺られていると、お前も死人の仲間入りをするぞ」

何時ものリサならば、憤慨し、憎悪の視線で如月を刺し貫いた事だろう。
しかし、彼女は如月の言葉に圧倒されていた。
彼の声も、表情も、雰囲気も、全て何時もの彼と変わり無いと言うのに。
如月が小さな吐息を吐き出す。

「・・・自分の事は棚に上げ、か」

自分以外、誰にも聞き取れぬ呟きを発すると、
彼はその視線をリサから紅月へと移した。

「手伝うぞ。文句は無いな?」

リサは、一瞬の躊躇いの後、小さく頷いた。











「呆れるほど単純な作戦だ。俺と睦月が紅月を足止めする。
その隙を狙ってリサが止めを刺す。簡単だろう」

如月がリサに言ったのは、たったそれだけの作戦だった。
いや、作戦と呼ぶのもおこがましい。

「さて、待たせたな紅月」

「その間、ずっと殺気を放ち続けていた男の台詞か」

「ふっ・・・始めるぞ、睦月!!」

シャリン―――と、鈴の音に酷似した音と共に、
如月の両手の中に魔鍵セイクリッド・キーが出現する。
睦月のほうも背中の聖剣ラスバーグを引き抜き、
無雑作に切先を地面に置いた。

「四聖の姫よ、汝等、我と交わり再度の契りを交わさん―――」

「四天の巫女よ、汝等、我の誓命の元、再度の降臨を果たせ―――」


風が舞う。


地が揺れる。


闇が蠢く。


樹が歌う。


月が泣く。


水が戸惑う。


火が怒る。


光が目覚める。



―――――聖霊憑依――――


如月が魔鍵を振るい、その刃が通った空間に睦月が飛び込む。
紅月の居る場所への扉を『開き』、睦月にそれを潜らせた如月は
牽制代わりに数十条の光線を放ち、睦月の出現を援護する。
非常識とも言える方法で一気に距離を縮めた睦月は
大上段に剣を振り被り、渾身の力を込めて振り下ろす。
紅月は剣の重さを全く感じさせない一撃を易々と刀で受け、
後方へと跳ぼうとするが、地面が強固な鎖となって
紅月を絡め取り身動きを封じる。
次いで放たれたのは水の鎖。紅月はその鎖を切り払うが、
鎖はすぐに元の形状に戻り彼の全身を縛り上げる。
力を込めてもかなりの強度とある程度の伸縮力のせいで
引き千切る事は出来ない。

「天の太刀、紫炎凱烈閃っ!!」

睦月の超大振りの一撃を刀と身体で受け止める紅月。
その正反対の方向から、如月が魔拳を振り上げて接近する。

「神無月流『拳』術―――昂砕陣っ!!」

高速の連打が紅月を襲う。
頬、腹部、右上腕部、顎、左胸部、喉、左肩口、右脇腹―――――――
立て続けに叩き込まれる無数の拳に流石の紅月も一瞬その動きを止める。
リサが駆け出した。
しかし紅月も二人の拘束から抜け出そうとしている。
このままだと、リサの首は確実に宙を舞う。

―――このまま、ならば。

「エーテルバースト!!」

如月がリサに全能力上昇の精霊魔法をかける。
これによりリサの腕力、瞬発力、耐久力、自然治癒能力は飛躍的に上昇する。
しかし、まだ足りない。

「オーバーブースト!!」

如月に続き、睦月が聖霊の力を解放する。
リサにかけられたエーテルバーストの効力が
一気に十数倍にまで跳ね上がる!

「おおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」

リサのナイフから光の柱が迸る。
それは一直線に紅月へと突き進み、
その胸に深々と突き刺さった。

「終わりだよっ! 紅月っっっっ!!!!」

叫び、最後の一歩を踏み出そうと
全身に力を込めたその時を最後に、
リサの意識は、闇の中へと落ちて行った―――




















煌々と、紅き満月が地上を照らす。






遠い空に浮かぶ黒雲の隙間から、申し訳程度の星光が零れ出る。






ゆったりと流れる風の中。






ソレはそこに立っていた。






突如吹き荒れた暴風。
それは瞬く間にリサを戦闘不能にし、
如月と睦月もろとも紅月を吹き飛ばした。

「おい・・・アイツ、なんで・・・」

何時の間にかこの場に存在していた一つの影。
その影を見て、如月は自分が夢を見ているのかと錯覚する。






闇夜に浮かぶ真白き肢体。






穏やかな風にされるがままになる朱金の髪。






天使か妖精かと思わせるような白皙の美貌。






悪魔か魔獣を連想させる小さな微笑。






まるで楽しむように閉じられた双眸。






その人物は、二人がとてもよく知る人物だった。

「魅樹斗・・・・?」

「様子が変だぞ。あいつ、本当に魅樹斗か」

魅樹斗の全身からは蒼の粒子が混ざる漆黒の光が立ち上り、
両手の五指には、蒼黒の光で形成された巨大で鋭利な爪が在る。

魅樹斗は黙したまま右腕を振るう。
足元の地面が抉れ、土が舞い上がり、
そこに咲いていた一輪の花が魅樹斗の眼前にまで飛ばされる。
それを無雑作に左手で掴み取ると、彼は貪るようにそれを口に入れた。

紅月が、どこか呆然とした表情でそれを見る。
ゆっくりと咀嚼される花。
口の端から零れ落ちる数枚の花びら。
その一枚が地上に落ちた時、
紅月はあらゆる憎悪や激情を込めた呪詛を雄叫びに変えた。

「ぐ、うぅぅぁぁ―――がああああああああああああああああああああああ―――――っっ!!!!!」

紅月の体から高純度の瘴気の風が周囲に解き放たれる。
精神を直接蝕むような不快な波動に、如月と睦月はその表情を歪める。
だが魅樹斗の方はと言うと、むしろそれを心地良く感じているのか
清々しそうな愉悦の笑みを浮かべながら紅月の放った瘴気の風を受け止めている。
その風が収まろうという時に、静かに魅樹斗の双眸が開かれた。
全てを斬り裂かんと輝く『金の双眸』が。

紅月が刀を腰だめに構え、魅樹斗に向かい疾走する。
一瞬でその距離はゼロになり、如月の眼にも捕えられぬほどの斬撃が放たれる。
速度、踏み込み、太刀筋、他全てが完璧だった。
如月でもこれだけの鋭い一撃は振るえない。
睦月でもこれだけの重さを持つ一撃は放てない。

「―――――っ!?」

魅樹斗は、口元を小さく歪めただけだった。
紅月の刀は魅樹斗の身体に触れる事すらかなわず、
蒼黒の光に触れた時点で音も無く消滅していった。


振るわれた右の爪が、紅月の左腕を切り落とす。


振るわれた左の爪が、紅月の右足を切り落とす。


振るわれた両の爪が、紅月の四肢を切り刻む。


これらの行為は、紅月の斬撃よりも速く、鋭く、そしてゆっくりと行なわれた。
両足を失い、両腕を失い、胴体の三割も失った紅月は、魅樹斗の右手で頭部を鷲掴みにされ、
なんとか目線を魅樹斗に合わせる事が出来ていた。
地に落ちた紅月の身体は闇の塵となって消滅していったが、
それすらも、魅樹斗は見逃さない。
蒼黒の光の一部が、数匹の獣の頭部をもつ蛇のように変化し、
消えかかっている紅月の四肢と闇の塵を喰らい出す。
紅月の眼は、血のように紅かった。
その美しいとさえ言えるほどの紅い眼に映る魅樹斗の顔には、
まるで至高の甘露を口にする幼児のように無邪気な笑みが浮かんでいる。

「き・・・さ・・・まぁ・・・・・轟、怨怨怨怨怨ぉぉぉぉぉ・・・・・・」

それが、紅月の最後の言葉だった。
頭部以外が一瞬で切り刻まれ、粉雪のように魅樹斗の周囲を漂う。
蒼黒の獣達が我先にと粉雪に殺到し、
醜く歪んだ口で紅月の頭部に喰らいつきながらも
なお美しい魅樹斗の姿を覆い隠した。








「両目とも、金色だったわね」

「・・・ああ・・・だが」

魅樹斗と紅月が蒼黒の獣達の影に隠れた所で、
睦月がポツリと呟き、如月がそれに応えた。
離れた場所に倒れているリサは、
気絶しているだけで特に問題は無さそうだ。
魅樹斗の瞳は、右が金、左が銀のオッドアイ。
別人だと思いたかった。しかし、如月にはそうは思えない。
全身から立ち上る蒼黒の光は魅樹斗の闘気と同じ色だが、
アレはどう見ても気ではなく、そして魔力の類でもない。
かなり異質ではあるが、純然たる一つの『力』。

「怨霊の紅月に『肉体』は無いから、『精神』を介しての干渉か・・・?
いや、それなら紅月の身体を切断する事など不可能。やはり―――」

「『魂魄』へ直接的な接触をしているって言うのっ!?
幾らなんでも、そんな非常識な事・・・っ」

「あいつが魅樹斗本人だとしても
レニス目指してるんなら出来るだろ」

自分でも滅茶苦茶な事を言っていると自覚しながら、
如月は勢いが弱くなってきた蒼黒の獣の群へ視線を移した。

生命体を構成する要素は大きく分けて三つ。

この世界に存在する為の器である『肉体』。

感情や意思、気、魔力等の集合体である『精神』。

そして、生命体の核とも言うべき『魂魄』。

この『魂魄』――『魂』とも呼ぶが――に干渉する方法は
幾つか在るが、その全てが『肉体』、もしくは『精神』を
介する事が前提とされており、直接『魂魄』に干渉・接触する事は、
神や魔王であろうとも不可能である。
細かい事や難しい事を省いて説明したが、
僅かでも如月達の驚愕を理解してもらえれば幸いだ。

「ねえ、アレと戦わなくちゃいけないって事は・・・無いわよね?」

「さて、な。だが・・・そうはならない、と思う」

「その根拠は?」

「どうやらあちらさん、腹が一杯になったようだ」

まるで蜃気楼のように、蒼黒の獣の群は消えていた。
後には、何事も無かったように地面に倒れ伏す魅樹斗だけ。

「―――――あ――う・・・きさ、ら・・・」

「気付いたか、リサ」

呻き声をあげ、体を起こそうとするリサに駆け寄る如月。
彼女の背に手を当て支えながら、水の聖霊術をリサにかける。

「こ、う、げつは・・・?」

「安心しろ。紅月は、お前がしっかりと止めを刺した」

「・・ほん、と・・・に?」

「ああ。お前の復讐は終ったんだ。
だから、今はゆっくりと休め・・・」

如月の言葉に安堵し、再び意識を失うリサ。
睦月が背中に剣を戻しながら、問うた。

「どうする?」

「どうするも何も・・・もうどうにも出来んだろう」

再度視線を魅樹斗の方へ向けると、既にその姿は消えていた。
空では、紅い月が、静かな大地を照らし続けていた。



















――翌日のさくら亭

昼もすぎ、そろそろ客足が少なくなってきた頃、
リサの様子が気になっていた如月は遅い昼食も兼ねて足を運んだ。

「・・・リサはいない、か」

「あら、如月。リサに何か用?」

「ん・・・まあ、な」

彼の呟きを聞き止めたパティに問われるが、
つい言葉を濁してしまう如月。

「さっきまで店を手伝ってくれてたんだけど、
すぐに部屋に閉じ篭っちゃって・・・」

「そうか」

「はっ! 如月、まさかトリーシャを泣かせるような事を!?」

「絶対に違う。・・・お前、最近ノリが陸見に似てきたぞ?」

何となく口を出た言葉だったのだが、
言った本人が驚くほどパティのダメージが大きいようだ。

――つい子一時間前、レニスにも同じ事を言われたという事実を、如月が知る由も無い――

さくら亭のカウベルが鳴り響き、新たな来客を告げる。
反射的に入り口を向き、如月はその身体を硬直させた。

「パティ〜・・・グレープジュースお願い〜・・・」

「魅樹斗、なんか疲れてない?」

魅樹斗の無事は既に知らされていたので
そのことに対する驚きは小さかった。
魅樹斗の体全体から、いかにも疲労してますオーラが立ち上っており、
朱金のポニーテールも元気なく垂れ下がっている。

「何か、今日眼を覚ましたら凄い疲れてて・・・しかも全身筋肉痛」

「あらら、それは御愁傷様。でも皆に心配かけたんだから自業自得じゃない?」

「自業自得って、まあ、そりゃそうだけど・・・」

とは言うものの理不尽な気持ちを抑えられない。
昨夜から今朝にかけて、自分が何をしていたのか全く覚えていないのだ。
それを自業自得といわれても、いまだ十二才の子供でしかない
魅樹斗にしてみれば不満一杯である。

「・・・? どうしたの如月。僕の顔に何か付いてる?」

キョトンとした表情で金と銀の瞳を向けてくる魅樹斗に
虚を突かれたように立ち尽くす如月。
だが、すぐにその顔に意地の悪い笑みを浮かべた。

「いや・・・真の美少女は、どんな状態にあってもその魅力が衰えないんだなあ、と」

「・・・・・・・・へえぇぇぇぇぇぇ・・・・・・」

ゆらりと魅樹斗が立ち上がる。
目標を補足し、一気に踏み込もうとした瞬間、
彼の全身に激痛が走った。
先程自分で言った筋肉痛である。

「あうあうあうあうあうあうあう・・・・・・」

「ふっ、勝利」

「馬鹿馬鹿しい・・・」

あまりにも低レベルな争いに、
呆れたように溜め息を吐くパティ。





結局、如月は魅樹斗に対する疑問を封印する事に決めた。





この疑問の答えが出るのは、もう少し時が経ってからの事である。
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