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時の調べ 第四十二話 選んだ道
FOOL


その日、レニスは通算二度目のシェフィールド邸への訪問を果たしていた。
レニスは基本的にここら辺の家には近寄らないので、非常に珍しい事と言える。
別にシェフィールド邸を嫌っている訳ではないが、この周辺は
屋台も出ないし何か面白い事をやっている場所があるでも無いしで
かなり面白みの無い場所だからだ。

「・・・・・・ハルクとレナが五月蝿そうだな」

今日はシーラに大事な相談があると言われて来たのだが・・・
生暖かい眼で嬉しそうにニコニコ笑う二人が容易に想像できる。
見覚えが有る程度に知っている扉を前に脱力した溜め息を吐くレニスだったが、
気を取り直してその扉をノックする。
まるで待ちかねていたかのように扉が開いた。

「いらっしゃいレニス。待ってたわよ」

と言って出迎えてくれたのはシェフィールド夫人。
予想通り、気持ち悪いぐらいニコニコと上機嫌な顔をしている。
彼女の背後では、どこか寂しそうな表情のジュディがレニスに頭を下げていた。
どうやらレニスを出迎えようとした所、レナに仕事を取られてしまったらしい。

「・・・シーラは?」

とっとと要件を済ませて帰るに限る。
さくら亭は大衆食堂なので、特に抵抗は無いのだが、
ここはあくまでも極普通の家族が住む家である。
今の自分がハルクとレナにとって『カモがネギ背負ってやって来た』状態である事は想像に難くない。

「あの子なら二階の私室に居るわ。すぐに案内するわね」

「ああ、頼む。・・・ってオイ」

素直にレナの後に続こうとしてレニスの足が止まる。
紅の瞳が呆れたようにレナを見据えていた。

「あら、なにかしら?」

「普通年頃の娘の部屋に母親自らが男を案内するか?」

「いいのよ♪ 相手がレニスならどんな事が起こっても私達は大歓迎だから♪」

「・・・その発言は母親としてどうかと思うぞ・・・?」

レナの発言に流石に頬を引き攣らせるレニス。
彼女はハルクや陸見よりも性質が悪いかもしれないと思いながら、
レニスは大人しくシーラの部屋へと案内されるのだった。













レナは二階のとある一室の前で立ち止まり、その扉を叩いた。

「シーラ。レニスさんがいらしたわよ」

「うん、ありがとうママ」

扉越しに聞こえたシーラの声に、レニスの表情が一瞬だけ曇る。
万が一にも扉向こうのシーラに聞かれない為に、そっとレナに耳打ちする。

(レナ。気付いているんだろう?)

(ええ、勿論よ。・・・あの子の事、よろしくね、レニス)

(努力はしよう。ちゃんと隣り部屋で聞き耳立ててる馬鹿も連れて行けよ)

(ふふふっ、シーラにばれたら絶交されかねませんからね)

クスリ、とレナが小さく笑った所で目の前の扉が開き、
普段と変わらぬ笑顔を浮かべるシーラが顔を出した。
レニスには、少し無理をしているようにも見えたが。

「いらっしゃいレニス君。どうぞ、入って」

「それじゃ、お邪魔させてもらおうか」

「一時間ほどしたら、紅茶とお菓子を持ってくるわね」

そう言ってレナは踵を返した。
彼女の言外の意味も理解し、レニスはどうしたものかと
思案しながらシーラの部屋へと入っていくのだった。









少し後、シーラの私室の隣り部屋にて。

「ほらアナタ、こんな事してる事がばれたらシーラに嫌われちゃいますよ?」

「う、うむ・・・分かっている。分かっているんだが・・・
クッ! 上手く進展するかどうかが気になるじゃないかっ! 親としてっ!!」

クワッ! と目を見開いて抗議するハルクに、
しかしレナは余裕の微笑を浮かべながらやんわりと諭す。

「大丈夫よ。レニスったらあの子の声を聞いただけで
あの子の精神状態を見抜いたんだもの。他の娘達には負けてないわ」

との妻の言葉に、ハルクは嬉しそうに口元を歪めると
無言、無音のままでその場から退散していった。
レナは、何時の間にか消えていた。













レニスがその部屋を見て最初に思った事は、
この一言に尽きた。

「ほお・・・シーラって感じの部屋だな」

「え、そ、そう?」

「ああ、シーラって感じだ」

第三者が居れば「どんな感じだ」とツッコミ入れたくなる様な事を言いながら、
レニスは適当に室内を観察した後シーラが進めてくれた椅子に腰掛けた。
シーラもレニスの近くに椅子を持ってきて、それに腰掛ける。

「で、単刀直入に訊くが。相談事って何だ?」

制限時間付きなんでな、と心の中で呟き、レニスはジッとシーラを見つめる。
その、どこか無気力な双眸に見つめられ、シーラは少し躊躇するものの、
意を決したかポツリポツリと話し始めた。

「レニス君、10月にあった音楽祭・・・憶えてる?」

「ああ、憶えている。忘れる訳が無い」

あの時のシーラのピアノは、今でも耳に残っている。
そうレニスが言うと、シーラは照れた様に「ありがとう」と言った。

「あの時、会場にグレゴリオ先生がいたの。それで・・・」

グレゴリオ・ゲーシュバルト。
レニスは直接面識は無いが、かなり有名な音楽家だと言う事は知っている。
今世紀最後の天才とまで呼ばれている人物で、彼の曲の幾つかはレニスも気に入っている。
グレゴリオの名が出て来た時点で、その後に続くシーラの言葉は容易に想像できた。

「その先生から、ローレンシュタインに来ないかってお誘いがあったの」

やっぱり、と、レニスは心の中で呟いた。
シーラには悪いが、非常に分かりやすい悩みだった。
しかし、いくら分かりやすくても、彼女にとってはとても深刻な悩みなのだ。

「これは、音楽家を目指す者にとっては非常に名誉な事なの。
グレゴリオ先生に認められた事は私も凄く嬉しいし、誇りにも思う。けど・・・」

「どれ位、この町を離れる事になるんだ?」

適当な相槌を打つように、レニスが静かに問うた。
彼の眼は、黒い前髪に隠されてよく見えなかった。

「・・・四年・・・かな。でも・・・でも、私は・・・っ!」

堪えきれなくなったように立ち上がり、
シーラはレニスの胸に飛び込んだ。

「私は、皆と・・・貴方と離れたくないっ!」

レニスは戸惑うでもなく、慌てるでもなく、
自分の胸に顔を埋めるシーラの頭をそっと撫でた。
困ったような、それでいて穏やかな優しさを秘めた深紅の瞳で
シーラを見つめ、申し訳無いと思いながらも胸中で小さく苦笑した。

あの時も、こんな感じだったと記憶している。
自分は抱き着かれる役ではなく、何故かその場に連れて来られた第三者でしかなかったし、
少女の言葉の意味も、あくまで慣れ親しんだ町や、親しい友人と離れたく無いと言うものであったが。
その時抱きつかれた少年は、今まで避けていた道を遅ればせながら歩み始め、
その時抱きついた少女は、少年の言葉に励まされ、己の夢を叶えた。

あの時の少年と少女の会話を、自分は覚えていない。
確か、凄く面倒になったので、少女の事を少年に全部押し付け、
母から貰ったフルートを弄くり回していたのは覚えている。
その時の二人の会話を覚えて置けば良かったとちょっぴり後悔しながら、
レニスは思考をこちらの世界へと引き戻した。

今、この場で抱き着かれているのは、あの時の少年ではなく、自分。
自分に抱き着いているのも、あの時の少女ではなく、シーラなのだ。
そして、シーラの言葉の意味も、あの時とは違う。

「・・・確かに、嫌だな」

唐突に、何かを考えながら言葉を選ぶのが面倒になった。

「シーラと離れるのは、嫌だ」

思ったままの言葉が口をつく。確かにこれは自分の本心だ。
嘘をつくのも億劫になっている今の自分が、本心以外の何を口にするというのか。
シーラが嬉しそうな表情で顔を上げた。しかし、その表情が晴れやかかと訊かれれば、
彼女を知る人間は首を横に振るだろう。

「レニス君・・・」

「でも、こんな事を言ってもシーラは喜ばないんだよな」

「え?」

苦笑を浮かべながら、レニスは困惑気味のシーラの瞳を覗き込んだ。
どこかぼうっとした綺麗な黒瞳を見て、思わず迷子の子犬を連想してしまう。

「シーラは俺に答えを出して欲しい訳じゃないだろう?
もう答えは君の中に在る筈だ。頭を空っぽにして、もう一度考えてみるんだ。
町の事も。俺たちの事も。両親の事も。全部、今は何も考えずに。
自分がどうしたいのか。何を望んでいるのかを」

ゆっくりとシーラの髪を梳きながら、レニスは諭すように言った。
シーラは眼を閉じて、言われた通り自分の心と向かい合う。

「私は――――――」

次々と思い浮かぶ、行きたくない理由や、行かなくてはならない理由を打ち消し、
心の奥底にある、嘘偽りの無い、一切の装飾を施されていない想いを探す。

「私は――――――」

シーラの思考を妨げないように髪を梳いていた手を止め、
レニスは彼女を見守るようにジッと見つめる。
一体どのくらいの時間そうしていたのか。
数十分、数時間。もしかしたら数分しか経っていないのかもしれない。
それだけの時間の後、シーラはすっと顔を上げ、
憑き物が落ちたように穏やかな表情で言った。

「私は―――行きたい。行って、沢山の事を学びたい。ピアノを弾きたい!」

何の迷いもない、力強い言葉。
レニスは、視線をシーラの目に合わせ、微笑した。

「見つけたな、答え」

「・・・うん」

レニスの言葉に、コクンと頷くシーラ。
そんな彼女から、視線を窓の外へと移し、
レニスは呟くと言うには少し大きめの声で言った。

「それが正しいコトでも、間違っているコトでも関係無い。
自分が望み、決めた事ならば。たとえ己が命尽きようと、最後まで諦めず、
全ての迷いを捨て、あらゆる恐れに耐え、己が足で立ち上がれ。
ただ、ひたすらに進め。――――前へ」

「・・・?」

「・・・俺の――本人は否定するだろうが――恩人の言葉だ。
随分不器用な生き方しか出来ないっぽい人だったが・・・」

その深紅の瞳に、再びシーラの姿が映し出される。

「この言葉を、今度は俺からシーラに送ろう。
一時の別れを恐れるな。シーラが自分で望んで決めた道だろう?
だったら、迷うな、恐れるな。最後まで挫けずに歩き通して見せろ。
そして聴かせてくれ。ピアニスト、シーラ・シェフィールドのピアノを」

「・・・うん。ありがとうレニス君。
私、行って来るね。行って、絶対にピアニストになって帰って来る!」

「ああ、楽しみにしている」

完全に吹っ切れた様子のシーラの髪をくしゃくしゃっと掻き乱す。
シーラは小さな悲鳴を上げるものの、特に抵抗する素振りは見せず、
むしろ嬉しそうにクスクスと笑っていた。





入り口のドアから控えめなノックが聞こえた。

「シーラ、紅茶とお菓子を持って来たわよ」

「あ、ママ」

時計を見ると、ジャスト一時間。
どうやらまたもジュディの仕事を横取りしたレナが
約束どおりに紅茶とお菓子を持って参上したようだ。
カチャリとノブが回され、音を全く立てずに扉が開く。
そして部屋に入ってきたレナはこちらを向き、
何故か頬に手を当てて「あら」と呟いた。

「お邪魔だったかしら?」

「はあ?」

思わず間の抜けた返事を返し、
レニスはレナが何を見ているのかを彼女の視線を辿って確認する。

まず自分が椅子に座っていた。
そしてシーラが自分に寄りかかるように抱きつき、
胸に顔を埋めていた。

(―――――そう言えばさっきからこういう体勢だったっけ)

シーラの相談に乗っている内に気にしなくなっていたが、
これは第三者に見られると凄く恥かしい、しかも誤解されかねない体勢かもしれない。
現に部屋の入り口でレナが(ニコニコしながら)誤解している。

「孫の名前は何がいいかしらね〜♪」

なんて一言を残してシェフィールド夫人退室。

「あ、あのっ、ママ、これは、そのっ、!」

シーラも顔を真っ赤にしながら立ち上がろうとするが、
慌てている所為か足を滑らせ、再度レニスの上にダイブ。
対するレニスは慌てず騒がずシーラの身体を抱き止める。

「・・・大丈夫か?」

至近距離でレニスの声を聞き、
シーラは更に顔を赤くしながらわたわたと立ち上がる。
今度は転ばずに済んだ様だ。

「え、えーっと・・・あっ! ママったら
紅茶とお菓子まで持って行っちゃった。私、貰ってくるわ」

パタパタと飛び出すように部屋を出て行くシーラ。
そんな彼女の背中を、レニスは九章混じりに見送った。

「・・・・・・・はあ・・・レナも性質が悪い。
分かっててあんな捨て台詞残すんだからな・・・」

窓の外から小鳥のさえずりが聞こえた。
今日は雲一つ無い晴天。風も穏やかで、清々しい。

「・・・自分が望み、決めた事ならば・・・迷いを捨て、恐れに耐え・・・」

階下からシェフィールド母娘の声が聞こえる。
ハルクも加わって完全に娘をからかっている。
なんとなく、手元と口元が寂しくなり、
懐から古ぼけた銀のフルートを取り出す。

「・・・・・・だな」

とりあえず、笛でも吹こう。
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