中央改札 交響曲 感想 説明

時の調べ 第四十六話 行く者と残る者
FOOL


「はい終わり!!」

 建物の影から飛び出した影にいきなり必殺の一撃を喰らわす魅樹斗。
 何の行動を起こす事も出来ず、その影は縦一文字に綺麗に両断され地に伏せた。

「三匹目殲滅完了。にしても手応えが無いねコイツ。そりゃあ見てくれは十分怖いけど」

 地に伏した影は、何とか人型を保っているものの全身が歪に捻じ曲がった奇怪な生物だった。
 その背の中央にはこれまた複雑怪奇な形のヒレ。もしくは翼と呼べなくもない突起物が一枚だけ映えている。
 頭部に至っては眼と口のある場所が少し窪んでいるだけののっぺらぼう。無論頭髪もない。
 絶対に人とは呼びたくない、『異形』としか言いようの無い存在だった。

「兄さんもいい加減に帰って来て欲しいんだけどね――――っ!!?」

 空を見上げポツリと呟いた途端、背後から衝撃を伴った轟音が鳴り轟いた。
 鼓膜に直撃を受け、思わずビクッ、と身を竦ませながら慌てて振り向くと、
そこには肉体を真っ二つに引き裂かれた『異形』の死骸が転がっていた。
 周辺の壁や木、地面に飛び散り、こびり付いた肉片や鮮血は、まるで体内から爆弾で吹き飛ばされたかのようでもあった。。

「ボーっとするな魅樹斗。敵は何時どこに現れるか分からないんだ」

「……あ、うん。ゴメン。ところでラピス」

「なんだ」

 魅樹斗の背後、少し離れた場所に立つラピスが漆黒の隻眼を向ける。
 その眼を見返しながらも、悩むように米神を押さえながら呻き声をあげ、

「町中でそういう物騒な銃器の使用は控えた方が良いんじゃない?」

「弾頭は貫通力の低い物だ。それに狙いは外さん。問題無い」

「狩猟用の大口径マグナムライフル何てもんで撃てば爆散した弾頭が周囲に飛び散るでしょーが」

 ライフルの口径は拳銃とは比べ物にならない。
 このクラスになれば掠るだけで十二分に死ねる。

「いや、違う」

 手動で薬莢を排出し、次弾を装填する。
 彼の身体には多少不釣合いな大型ライフルを苦も無く肩に担ぐ。

「対甲殻生物用大口径マグナムライフルだ。最近入手したばかりなので是非とも試射をしてみたかった」

「余計悪い!! しかも試射!?」

 反射的に怒鳴ってしまい、ハッと我に返る。
 ラピスとはそれなりに気が合うほうだと思っていたのだが、実は苦手なタイプなのかもしれない。

「先程アルが数名を連れて応援に来てくれた。
 もうこの付近の住民の避難は完了だ」

「……ならとっとと教会に戻ろう。何時までもこんな雑魚相手にしてられない」

「そうだな」


















 レニスがいなくなって二日目の明朝。
 小さな賑わいを見せ始めたさくら通りのど真ん中に突如『異形』が出現、周辺の住民を襲いだすという事件が起こった。
 その場は偶然現場に居合わせた自警団第一部隊所属のヤン隊員が負傷者ゼロで収めたものの、騒ぎはそこで終らなかった。
 この出来事を皮切りに、町のいたる所でこの『異形』達が発生しだしたのだ。
 そこからの展開は速かった。
 何時どこに現れるか分からない『異形』達から住民を守る為に全員を教会と学園に避難させたのだ。
 町のいたる所で『異形』と自警団員達とがぶつかり合い、激しい戦闘を繰り広げながらも
一人の死者も出さずに住民の避難を完了させる事が出来たのは、一重に自警団の迅速な対応と努力の賜物である。

「あれ、姉さん、皆も戻ってたんだ」

「おかえりなさいミキ。怪我は無い?」

 魅樹斗が真っ先に避難させたアリサの元へと赴くと、そこには学園の方へ行っていた筈のフィリア達が集まっていた。
 たおやかな微笑みを浮かべるフィリアの姿からは、学園周辺の『異形』を一瞬で消し去った堕天使の戦慄は感じられない。
 騎槍の石突で床をコツンと叩きながら、彼女は大事な弟の無事な姿を確認する。

「流石にアレに負けるほど弱くはないよ。とゆーよりも、負けたらまた兄さんに千尋の谷に落とされる」

「這い上がるのに四日はかかったものね…」

「そんな都合良く谷なんてあるのか?」

「無ければ作ればいいんだ。とは兄さんの弁。しかも溶かして作るから熱くて熱くて」

 緊張感の欠片も無い会話。
 とは言え、教会内の空気もそれほど悲観的なものではない。
 安全の為とは言え一箇所に閉じ込められている不満はあるようだが、騒ぎに発展するほどでもないようだ。

「いない人達は学園に?」

「ああ、向こうの方はこっちよりも出現する数は少ないけど、それでも出ないって訳じゃないからな。
 自警団の人数でこれだけの人間を守りきるのも難しいだろうし」

 アレフがレニス作の剣を肩に担ぎながら溜息をついた。
 実際、死者は居ないものの負傷者は少なからず出ているのだ。
 しかし、肩に剣を担ぐアレフはあまりにも違和感が有りすぎる。
 やはりこの男は町中で女性に声をかけている姿が似合っていた。

「皆おかえりなさい。シスターの皆さんとおにぎりを作ったのだけれど、食べるかしら?」

「あ、ちょうだいちょうだい。さっきから走らされてばかりだからお腹空いちゃって」

 おにぎりを持ってきてくれたアリサへと駆け寄り、おかか入りのおにぎりを受け取る。
 良い塩梅で塩が効いていて美味しかった。

「さて、と…どうする姉さん? 避難も終ったし、僕はそろそろいいと思うんだけど」

「私もそう思ってるんですけど…フレア達を呼ぶ鈴、マスターが持ったままなので…」

「…………マジ?」

「マスターすっかり忘れてたみたいで。私も無理矢理眠らされましたから」

「姉さん、今は笑ってる時じゃないって」

 そう言いつつ小首を傾げる魅樹斗も焦っている様子は無いのだが。
 二人の会話に興味が沸いたのか、生霊娘ローラ・ニューフィールドが首を突っ込んで来た。

「なになに? 何の話?」

「エンフィールドの存亡に関わる話」

「へ?」

 ポカンと口を開けるローラの横をスタスタと通り抜ける魅樹斗。
 我に返ったローラが少し慌てながら彼を呼び止めようとした時、にわかに教会の外が騒がしくなった。

「おいっ! 空を見ろ!」

「なんだあれ…てん、し…?」

「数が半端じゃない…百、いや千人以上は居るぞ!」

 『天使』『千人』何が起こっているのか分からず困惑する皆の後ろで、フィリアと魅樹斗の眼が鋭くなる。
 騒ぐ人込み掻き分けて如月がやって来る。彼の眼も、大きな緊張の為か戦闘時の気迫を灯していた。
 彼の腕には少し不安そうな顔をしたトリーシャがしがみ付いているが、邪魔にはなりたく無いのだろう
何時でも離れられるように腕にはあまり力を入れていないようだ。

「来た?」

「ああ、派手にご登場だ。表に出るぞ」

 安心させるようにトリーシャ頭をポンポンと叩き、人込みを縫うように駆け出す如月。
 フィリアと魅樹斗がその後に続き、一瞬遅れて他の皆も三人を追って駆け出した。
 教会の窓の外では曇った空を天使の大群が覆い、その切れ間からは四本の光の柱が聳え立っていた。

















「ねえ姉さん」

「どうしたのミキ?」

 教会の外に出て、目の前に聳え立つ光の柱とその中に浮かぶ
四人の人影を視界に収めて直ぐ、魅樹斗は隣りのフィリアに声をかけた。

「アレの相手、真面目にした方が良いのかな?」

 なんて事を大真面目に訊いて来る弟に思わず苦笑する。
 アレがどれだけの力を持っているかなど、実感はできなくとも理解は出来ているのだろうに。
 それでこれだけの余裕があるのは一重にレニスの教育と影響の賜物だろう。
 フィリアはそれに答えることはせず、魅樹斗に向けていた視線を上へと戻した。
 視界の端でラピスに話し掛ける如月の姿が見えた。

「ラピス」

「先程出現してから今まで何の行動も起こさない。一体何をしに来たのだか」

「『異形』はどうなってるんだ?」

「相変わらずこちらに襲い掛かってきている。
 第一部隊がメインとなって対応しているが…先程第二部隊の者から気になる連絡があった。
 あの光の柱が出現したのとほぼ同時刻から、『異形』達の動きが統率されてきたらしい。
 『異形』と奴等。関連性が在るのは確実だろうが、他の勢力という可能性も否定できない」

「眼の前の神っぽい奴等は何しに来たと思う?」

「お前はどう思ってる?」

 ラピスの視線の先では無数の天使達が高らかに謳いながら舞っていた。
 荘厳で美しい、一枚の壁画のような神々しさを見せるその光景を、ラピスは素直に美しいと思った。

「質問で返すなよ…救いに来てくれたんだったらとっとと救って欲しい所だ。仕事が減って楽が出来る」

「そうしたらトリーシャとデートが出来るものね〜」

「ああ、この騒ぎで今日の約束が――って違うっ! しかもさり気無く会話に入るな睦月!」

 聞こえた相棒の声に振り返った途端、ほおに白く細い指が突きつけられる。
 睦月は自分で歪めた如月の顔を一頻り堪能した後グニグニと弄りまわしてようやく解放した。

「お前学園の方に行ったんじゃなかったのか?」

「なんで如月の居ない場所に行く必要が在るのよ」

「そーいう台詞は旦那に言ってやれ」

 遠い空の下に居る友人に対し、何度目か分からぬ憐れみを覚えながら嘆息する。
 まあ、突然の危機的状況に対し臨機応変に、悪く言えば行き当たりばったりに対応していった結果ではあるが、
学園の方にはリカルドとノイマンの二人が居るので大丈夫だろう。

「あ、そうそう。睦月、アルベルトを見なかったか?」

「アルベルト? 向こうでアリサさんにおにぎり貰って感激してたけど」

 それが何? と視線で問うと、ラピスが振り向きもせずに

「リカルド隊長がこちらに居ない以上、こちらの第一部隊の連中をまとめるのはアルの役目だ。
 現状で感激されている暇は無い。……引き摺り出してくるか」

「まあ過激。でも大丈夫でしょ。『あんなの』が出て来てるのに
のんびりおにぎり食べてるほど、あのイノシシさんも腑抜けてないだろうし」

 その台詞に少なからず納得したのか、ラピスは少しだけ瞑目し、小さく息を吐いた。
 と、その直後、彼等の頭上から重々しい『声』が響き渡った。

《しかと聴くが良い。矮小な存在たる人間よ》

















 神々しく輝く光の中、彼等は自分達を下から見上げる者達を見下ろしていた。
 大半の者は呆然としているだけだが、一部の者は彼等に向かって手を合わせ、縋りつくような視線を向けてくる。
 それはとても、とても気分の良い事であった。
 そして、彼等にとって当然の事でもあった。
 なぜなら彼等は絶対者なのだから。彼等以上の力を持つ存在など在りはしないのだから。
 この世の全ては彼等の思う通りに動き、望むままの姿に変わる。
 彼等はこの世界の絶対者であり支配者であった。
 少なくとも、彼等にとっての真実はそうだった。

 しかし彼等の眼下に居る一部の者達はどうだ。
 縋るでもなく、畏縮するでもなく、不遜な視線を向けてくる。
 それが、酷く、酷く不愉快だった。
 自分達を敬い、崇める視線が掻き消えるほどにその視線は多かった。
 群衆の中に見覚えのある姿もチラホラと見受けられる。
 彼等の不快感は否応も無しに増した。
 やはりこの町は消そう。あの男の故郷であるこの町は消そう。
 その後で、直ぐにあの女の故郷も消そう。
 不愉快な場所からは不愉快な者が産まれる。
 事実、眼下の群集の大多数に不快感を感じていた。
 だから、消そう。消し去ってしまおう。
 彼等は群集を見下ろしながらそう決めた。
 ゆえに

《しかと聴くが良い。矮小な存在たる人間よ》

 滅びの時を、宣告するのだ。
















 その場に居た皆が、その『声』に打ち据えられたかのように動きを止めた。
 空気を震わせる『音』ではなく、頭の中に直接響く『声』を発した者、
四本の光の柱の内一本の中に存在した老人の姿をしたソレは、厳つい表情を微動だにさせぬままに前に進み出でた。

《我等、この世界を統べし神なり》

 天を舞う御使い達の謳う声が一際大きなものになる。
 老人は全身をすっぽりと覆う白い法衣から細い腕を差し出し、呆然と彼を見上げる者達に告げた。

《この地は大罪の苗床。世を蝕む呪詛の原泉。故に、この世より抹消する》

 直後、閃光と轟音が轟き、町のいたる場所に轟雷が突き刺さる。
 人々の間に驚愕と動揺、恐怖と混乱が走り、大地が落雷の衝撃で揺さぶられる。

 再度空が煌き、轟雷が黒雲の隙間から空気を切り裂きながら降り注いだ。
 しかし、この雷は町に落ちる直前、何か見えない壁にぶつかったかの様に防がれる。

「遊びなのか威嚇なのかは知りませんが、町を壊すのは止めて頂けませんか?」

 一対二枚の純白の翼が仄かな光と共に広がった。
 雷光を帯びた騎槍を携え、大地に足を着いたまま一切の表情の消えた双眸で静かに天を睨みつける。
 何時の間にか周囲の『異形』の動きが止まっていた。
 遠くからは剣戟が聞こえてくる所を見ると、この周辺の者達だけがその動きを止めているようだ。

《…堕天使フィリエルか。久しいな、汚泥の底に堕ち、禍った者よ》

「その名で呼ばないで下さい。不快です」

「フィリア。対峙している所悪いが、先に奴等に確認しなければならないことがある。構わないか」

 遮るようにかけられたラピスの言葉に気分を害した様子もなく、
フィリアは微笑を浮かべつつラピスに場所を譲った。

「ええどうぞ。でも気をつけてくださいね?
 図星を突いたりして機嫌を損ねると直ぐに実力行使に移って来ますから」

「ああ、分かっている。そういう面をしているからな」

「…二人ともぉ…怒らせる気満々じゃないか…」

 本人の眼の前で、しかも聞こえるように会話をする二人を見てヒシヒシと心労が溜まっていくのを感じるアレフ。
 ここまで不機嫌なフィリアを見るのは本当に久しぶりの事だった。

《何用だ、人の子よ》

「三つ、訊ねたい事がある」

《滅びは眼の前だと言うのに…何を求めるのか》

《…構わぬ…だろう……》

 呆れを含んで一蹴しようとした老人だったが、
背後に控える三人の内一人がたどたどしい口調で口を開いた。

《……知らぬ、まま…滅ぶのも………不憫、ゆえ》

《ふむぅ…確かに。滅びは免れぬが、言うて見るがいい、人の子よ》

「なら訊く。今、眼に見える範囲にも出没している異形はお前達と関係があるのか?」

 物怖じする様子もなく、普段通り無愛想な口調で問い掛けるラピスに
一瞬眉を顰めるが、老人は何を言うでもなくラピスの問いに答える。

《あれは、『浄天使』。汚れたものを喰らい、その汚れ、淀みを浄化する者。
 今はその動きを止めておるが、我等が望めば何時なりともその使命を果たす為に動き出す》

「つまりお前達の手の者という事だな?」

《その通りだ》

 話を聞いている教会内の住民達が騒ぎ出す。
 その抑えを他の者に任せ、左方に位置する雷鳴山へと視線を向ける。

「もう一つ。あの山の中央部にある『アレ』を破壊したのはお前達か?」

《ふふっ、あの山がどうかしたのか?》

「下手な誤魔化しだな。では最後だ」

 老人の言葉を一言で切って捨て、再度老人へと向き直る。

「この町を攻撃する理由を聞かせてもらおうか」

《この地は大罪の苗床。世を蝕む呪詛の原泉。故に、抹消する》

「抽象的すぎるな。ハッキリ言え」

《―――その様子からして、お前は理由を知っているのだろう。
 弱き物どもがそれを聞けばどの様な事態になるか、分からぬほど愚かではあるまい。
 我等の、神の慈悲である。我等の慈愛は等しく与えられるものなのだ》

「ふっ、理由を口にするのが耐えがたいか。なら、俺が代わりに言ってやろう」

 薄っすらと、ラピスの口元に冷笑が浮かぶ。
 無数の視線をその背に受けながら、ラピスはその眼に力を込める。

「一年半前、お前達はとあるレニスともう一人に敗北し、その身をこの世界から消し去られた」

 老人が沈黙した。
 表情が僅かに引き攣っているように見えるのは気の所為だろうか?
 老人の雰囲気の変化を気にしたふうも無く、ラピスは言葉を続ける。

「それが悔しかったのだろう? 認めたくなかったのだろう? その魂に刻まれた恐怖を消し去りたかったのだろう?
 自分達こそ絶対だと信じていたからこそ、自分達を打ち負かした二人が許せなかったのだろう?
 つまり、お前達がこの町を、エンフィールドを消し去ろうとする理由は――――」

《黙れ》

「見苦しいだけの、ただの八つ当たりだ」

 まるで鉄球で殴られたかのように、ラピスの身体が吹き飛んだ。
 しかしラピスはそれを予測していたのか、空中で態勢を立て直し両足から地面に着地。
 流石に完全無効化とまでは行かないが、少量のダメージに抑えられたようだ。

「フィリアの言葉を肯定するような事をしてどうする、神よ」

「ふむ。てー事は何かラピ坊? このジジイどもはただの八つ当たりで俺等を殺ると言ってる訳か」

 いきなり横合いからかけられた声に微かに眉を顰め視線を向けるラピス。
 そこに立っている男の姿を確認し、呆れの篭った小さな吐息を吐き出した。

「……住民は協会の中に居るよう指示した筈だが?」

「ふふふ、この陸見様に抜け出せぬ場所は無いのさ、ラピーン」

「呼び名は統一してくれ」

 抗議してくる少年に賞賛を込めてニヤリと笑みを浮かべる。
 こいつ等が攻めてきている理由を語ったのは意図的な物なのだろう。
 同じ内容でも、あちらに比が在るかのように言う事でレニスに対する憎悪や非難は格段に減る。
 それに向こうよりも先に言ってしまえばこちらの話のほうが信憑性が高くなる。

 それにしても、呼称を『ラピーン』に統一したらそう呼ぶ事を許してくれるのだろうか?
 確かめてみたい気もするが、後が怖いような気がするので『今は』止めておいた。

 そんな事を考えながら、不遜な笑みを称えたままラピスと同じ方向を向く陸見。
 だがそんな彼の姿を見て思わず声を上げた者が居た。

「ちょっ!? と、父さん? なんでそんな所に居るのよ!」

「パティ〜見てるかぁ〜? パパリンの活躍をしっかりとその目に焼き付けておけよ〜」

「ふざけてないで!! そこは危ないんだから早く戻ってきてよ」

「良いじゃないか。先方も待ってくれてるんだから」

「それでもそこは危ないの!!!」

「あんまり怒鳴るな、パティ。その歳で皺くちゃのババアになるつもりか?
 こんなんじゃ嫁の貰い手が…レニス以外に貰ってくれそうな物好きも居ないだろうしなぁ…
 あ、いや。もしかしたらレニスでもダメか?」

「大きなお世話よ!!」

「よし。逝って来い陸見」

「まかせろハルク! 俺は親父に会って来るぜ!」

 娘で遊び倒した後にハルクからの声援を受け、なんとなくヤバイ受け答えをした後に
老人達に向き直り、また先程のような不遜な笑みを浮かべる。

「しかし碌な理由じゃねえな。三流の悪役と大差ねえじゃねえか」

「チンピラと言ったほうが解り易いがな。振るえる力が大きい分こちらの方が性質が悪い」

「思い通りにならなきゃ暴れ出すガキって事か。
 こういうの、ピーターパンシンドロームってんだったか?」

「違う」

 そんな彼等のやり取りを悠然と見下ろしていた老人は
二人の会話が終ったのを見計らってか声を響かせた。

《神たる我を侮辱する事は許さぬ。それ以上口を開くならお前達を最初に奈落の底へ落としてくれようぞ》

「十六歳のチビッ子の言う事に一々騒ぐんじゃねえよ、ったく。大人気無い」

 耳の穴を小指で穿りながら『仕方ねえなあ』的な表情でやれやれと肩を竦める陸見。
 そのまま表情を引き締めると、びしぃっ!! と老人とその背後の三人に人差し指を突きつける。

「手前等にエンフィールドにおける三つの絶対的な掟を教えてやる。
 一つ! マリアちゃんが魔法を使う時は半径50m以内に近付いてはならない!!」

 これは掟と言うよりも自衛対策だが。
 間髪入れずに遠くから「ぶぅ〜☆」と聞こえてきたが無視。
 陸見の言葉に釣られるように住民達の間にも少しづつ普段の活気が戻ってくる。

「二つ! エンフィールド七不思議最初にして最大の謎、あの人からなんでこんな素晴らしい女性が生まれたのか!?
 この町の最後の良心《NOA》元祖マスコットキャラ、アリサ・アスティアに危害を加えてはならない!!」

「マスコットかい」

「あの人って誰だ?」

 陸見と同世代の連中他が一斉に頷く。素晴らしいシンクロ率だ。
 誰かと誰かのツッコミと疑問の声はサラっと流され、アリサは少し恥かしそうだったが。
 そんな周囲の反応を背に受けながら、陸見は拳を天高く掲げ絶叫する。

「そして三つ! この町で騒ぎを起こして良いのは我等が《NOA》のメンバーだけだぁぁぁぁぁっ!!!」

「いいぞぉっ、もっと言え陸見ぃぃぃぃぃっ!!」

「いい訳ねえだろコンチクショォォォォォッ!!」

「さくら亭のツケを無しにしてくれぇぇぇぇぇっ!!」

 拍手と共に湧き上がる喚声は否定と肯定が半々である。
 どさくさに紛れてふざけた事をぬかした奴にはセリカとパティの人誅が下される。
 その光景に魅樹斗は小さく肩を竦め、

「罰当たりな町だなあ」

「一番罰当たりな男の弟が何を言う」

 そう突っ込む如月も相当な罰当たりなのだが。
 その間にもテンションの上がった陸見の演説は続く。

「貴様等は二つ目と三つ目の掟に背いている!
 『郷に入っては郷に従え』って言葉を理解できる程度の知能持ち合わせてんなら
俺等に土下座して謝り倒し、町民全員に菓子折り持って出直して来い!!」

 堂々と仁王立ちし、真正面から睨み返しながら言い放つ。
 魔力は並。身体能力は平均を多少上回っているがそれだけ。
 戦闘に関しては喧嘩程度しか経験した事のないただの人間。
 だがしかし。老人も。その背後の者達も。そんな、ただの人間の言葉に気圧され動けない。
 それほどまでに、この不敵に老人達を睨みつける男は『強い』のだ。

「ところで、その『絶対的な掟』って何時決まったんだ?」

「俺が! 俺を基準にして! たった今決めた!!」

「……OK。聞いた俺が馬鹿だった」

 ずれ落ちそうになる帽子を押さえながら乾いた笑いを浮かべるアレフ。
 このマイペース振りは見習いたい所だが、他者から見ると変人にしか見えない。
 何事もほどほどにと言う事だろうか。




 ただの人間に圧倒された。
 老人にとってその事実は認め難い事であった。
 荒れ狂う心の内を無理矢理押さえ込み、何とか口を開くが――

《それは神たる我等を――――》

「さっきから神神神神かみかみかみかみうるせえんだよ!! てめえにゃそれ以外に誇れるもんがねえのか?!
 てめえが神だからってそれどうした。俺はエンフィールドの胃袋を守る名店『さくら亭』の二代目店主陸見・ソールだ!
 見た事も聞いた事も無い、今日初めて面拝んだ神なんぞよりよっぽど拝み甲斐の在る男だぜ!!」

 陸見の咆哮にも似た言葉。
 それが、引き金となった。
 老人の指先が、すっと陸見へと向けられる。

「―――っ!!?」

 一瞬で舞い降りた天使が放った手刀が、陸見の腹部を貫いていた。

「陸見!!」

「父さん!!」

 セリカとパティの悲鳴を聞きながら、陸見は苦痛に顔を歪め地面に膝を付く。
 いまだ息の有る陸見に止めを刺そうと一歩踏み込んだ天使の上半身が閃光と共に消滅した。
 陸見が僅かに開いた視界の奥で、その顔を悔しさと憤りに染めたフィリアが両手をこちらへ突き出していた。
 その周りには五つの天使の死骸が転がっている。
 恐らく、陸見を殺す邪魔をさせないために五人の天使を使って一瞬だけ動きを止めさせたのだろう。
 
《身の程を知れ、愚行の体現者よ》

 陸見の周囲に光の槍を携えた天使達が飛来する。
 その切先の全てが、腹部を真紅に染め上げながらも天を睨む事を止めない一人の男へと集中し、

 ―――一切の音も無く、その全てが氷に閉ざされた。

 発現した光の槍も、それを携える天使達も、エンフィールドの空を埋め尽くす無数の天使達さえも。
 絶対零度以下の世界の閉じ込められたその様は氷のオブジェそのままのよう。
 しかもその凍気は天使達以外には一切干渉しておらず、
周辺の空間と切り離されているかのように視覚以外の感覚でその冷気を感じ取ることは不可能だった。

「『氷』…まさか!」

「まさかも何も、それ以外に無いでしょ…っ」

 フィリアと睦月の驚愕の声。
 ここまで高度で精密な『氷』を扱える者など、彼女等が知るうちでは一人しか居ない。
 ここに来る事を予測しなかった訳ではない。
 しなかった訳ではないが――――

「――白銀三十六式・凍土砕破」

 唄うような女の声。それに続く風切り音。
 凍り付いたままだった天使達が、サラサラと崩れ落ちる。
 静かに、残酷に、抱き締めた命を略奪した氷砂が風に乗って舞い上がる。
 その氷砂の向こうに、一人の女が立っていた。

《来たか、猛毒の片割れ……シファネ・フィリエーナ!》

 老人の声に僅かな緊張が混じる。
 女は老人を軽く一瞥すると、直ぐに視線を逸らしてその瑠璃色の瞳で周囲を見渡した。
 腹部からの大量の出血と共に地面に倒れ伏した陸見の元へセリカとパティが大慌てで駆け寄る。

「陸見! しっかりして陸見!!」

「父さん!!」

「ふっふっふっはっはっはっはっ……やったぜ…先に、手を出させた。俺の勝ちだ」

 ニヤリと満足そうな笑みを浮かべながら小さくガッツポーズをする陸見。
 見た目の派手さとは裏腹に、どうやら致命傷ではなかったようだ。
 とはいえこのまま放って置けば出血多量死ぬ事に変わりは無い。
 そんな彼等の横で、シファネはちょこんと人差し指を唇に当てるという可愛らしい仕草のまま何かを探していたようだが、
少しして呆れとも諦めとも取れる溜息を吐いた。

「招待客は時間通りに来てるって言うのに…主役が遅刻してるみたいね」

「そ、この道行く、びじんの嬢ちゃん…ちょっっっっといいかい?」

「なあに?」

 彼女の足元から多少弱っているもののまだまだ覇気の衰えぬ陸見の声が上がった。
 一瞬だけ老人達を睨みつけると、表情を一転させて足元の陸見に話し掛ける。
 どうやら先程からこの男に興味を持っていたようだ。

「今君の眼の前で地面に這い蹲って、ゴフォッ!…血、の池地獄、作り出してるナイスミドルを助けると、
もれなく、この、町、一番の飯所『さくら亭』の、一日食べ放題券をプレゼントォッ!」

「メニューにうどん在る?」

「愚問だ」

「お味の方は?」

 その問いに陸見は言葉を返さず、突き出した握り拳の親指をぐっとおっ立てた。

「じゃあお手並み拝見ね」

 シファネはその場に屈みこみ、その手を陸見の傷口に直に触れさせる。
 陸見は痛みのために一瞬呻き声を上げるが、
見る間に傷口が閉じて行くにつれて荒かった吐息が落ち着いたものへと変わって行った。

「…チッ、クソ親父を殴りに逝けなかったか」

「天寿をまっとうしてからにしなさい!!」

「うう、女房が怖いよ嬢ちゃん」

 そんな夫婦漫才を離れた場所で見ながら、トリーシャは不安そうに上の老人を見やり、
油断無く身構えながらも何処か気の抜けた表情の如月と睦月へと駆け寄った。

「ねえ如月さん、さっきからあの人達の事無視してるけど…大丈夫なのかな?」

「大丈夫じゃない。しかしシファネの眼の前で迂闊な動きも出来んさ。
 こちらとしても時間稼ぎになってるからありがたいしな」

「向こうもそんなに急いでる訳でもないみたいだから、丁度良い均衡状態とも言えるわね」

 睦月はそう言うが、だからと言って無視されたままで気分が良い訳も無い。
 その事を解っている筈の如月と睦月が何故そんなに余裕を保っていられるのか。
 トリーシャは不安を胸に抱きながらもそこが不思議だった。
 彼女は、シファネ・フィリエーナの事を知らないのだから。

「カッコ悪い。命乞いなんてせずにあのまま死んでたらカッコ良かったのに」

「格好良く死んでも良いんだが、それだと俺の宝である女房と愛娘が泣くんでな。
 二人とも意地っ張りだから泣かねーかもしれねーが、んなもん辛いだけだろ?」

 不敵な笑顔と共にそう言ってのける陸見に、シファネは優しく微笑んだ。

「クスクス。冗談。貴方、とてもカッコ良かったわよ」

「ふっ。愛の告白なら何時でも受け入れ準備OKだぜ、お嬢さん」

「そんな事言って良いの? 後ろで奥さんらしき人が怖い顔してるわよ」

「俺とセリカの愛の絆は一度や二度の浮気で壊れやしないのさ」

「パティ、私、役所に行って離婚届貰ってくるわ」

「慰謝料と一緒にさくら亭もふんだくってきてね、母さん」

「ごめんよ母ちゃんパティ〜っ!!」

 血塗れのままでセリカに泣きつく陸見をカッコ悪いなあと思いながらシファネは立ち上がる。
 その時フィリア達に気付いた彼女はニッコリと微笑みながら肩にかかった白銀の髪をかき上げ、
右手に携えた刃の無い剣――レニスの物と瓜二つのそれを腰の鞘に落としながら
中空に浮かぶ老人や天使など居ないかのように気さくに彼等に手を振った。

「あらフィリア。他の皆も久しぶり。一年半振りかしら」

「お久しぶりですシファネさん。先程は助かりました。マスターに代わってお礼申し上げます」

「相変わらず…と、言いたいけど、そうでもないみたいね。前よりずっと良くなったわ、貴女」

 きょとんとするフィリアに微笑みかけると、シファネはふわりと純白のマントを翻す。

「それにしても、折角フィリアの大好きな御主人様からパーティーに招待されたのに、
留守なんじゃあ約束のエスコートは頼めないわね」

 クスクスと明るく笑いながら、シファネはフィリアに背を向けた。
 嫌味とも皮肉とも取れる言い方だが、彼女が言うと何故かそう感じられないのが不思議だった。

「さて、と。お待たせお爺ちゃん。そろそろ始める? それとも、主役の登場を待つ?」

 挑発的な流し目を送りながら老人達と真正面から対峙する。
 待つか? と提案してはいるものの、彼女はこの場に現れた時から臨戦態勢を解いてはいない。
 老人達が僅かでも好戦的な意思を示せば、直ぐにでもその戦意を解放するだろう。

《あの男抜きで、我等を相手取ると言うのか?》

 その言葉の何が可笑しいのか、シファネは無垢な笑顔を浮かべ声を上げて笑った。

《何を笑っておる》

「フフフッ、だって、自信満々にそんな事言われたら笑うか呆れるかしかないじゃない」

 シファネの周囲の空間に、翠の円紋が出現する。
 彼女を守護するかのようにその周囲を漂う数個のそれは、
淡い光を発しながら時折思い出したかのように点滅していた。

「気付いてないの? 貴方はね。戦う前から私に勝てないって明言してるのよ」

 その言葉に、老人の眉がピクリと跳ね上がる。
 そんな彼等を愉しむように、そんな彼等を憐れむように、彼女は花開くような微笑を浮かべる。
 彼女の剥き出しの腕に翠の輝きが走り、周囲を漂う円紋と同種の複雑な幾何学模様を形成した。

「私と一対一で勝てないから『我等』で戦うんでしょう?
 二人がかりかしら? それとも三人? 景気良く四人同時にかかって来ても良いわよ。
 ウフフッ。万物を支配する最高神様がそのような事をなされるとは思いませんが、
上空でたむろしている羽虫どもも使われるのかしら」

《貴様…っ!!》

 嘲笑と嘲弄と愚弄。
 純粋なそれらが混ざり合った微笑はとても美しくて。
 あまりにも汚れの無い瑠璃色の瞳はだからこそとても凄惨で。

 彼女は無知な少女ではない。
 戦いは正々堂々なんて考えは微塵も持っては居ないし、大勢が同時に襲い掛かってきても卑怯だとも思わない。
 だが、眼前に浮かぶ老人達はどうだろうか?
 哀れなほどに自尊心が高く、どの様な根拠が在ってか自らを最高神だと自負する彼等。
 そんな彼等が、先程のような事を言われればどうなるか?

「それに…別に一人だからって問題無いわ。アイツが居ようが居まいが、やる事は変わらないんだもの」

 シャリン、と、腰の鞘から己の剣を抜き放つ。
 凍気と氷砂が刀身を包み込み、そこに刻まれた不可思議な文字と紋様が蒼白い光を仄かに放つ。
 彼女の右肩が異様に盛り上がる。盛り上がった部分からは銀の毛が生え、上部に二本の突起物が生まれる。
 盛り上がりの一部がせりあがり、真っ二つに割れ、その中からは鋭利な牙が残忍な輝きを除かせた。
 まるで卵の殻を破るように身震いをすると、銀狼の頭部に変化した右肩は解放を悦ぶ歓喜の遠吠えを上げた。

《よかろう。そこまで言うならば覚悟は出来ているのだろうな!
 貴様ほどの者が気付いておらぬ訳もあるまい。貴様の力は我等の内ただ一人よりも小さき物だと言う事に!!
 我等に刃向かう事の愚かさをじっくりと噛み締めながら滅ぶが良い!
 髪の一本から魂の一欠けらまで、徹底的に消し去ってくれるわ!!》

「他人の人生とことん狂わせておいて、自分達には何の報復も無いと考えるその神経。今更ながら辟易するわ。
 私とアイツがアンタ達に噛み付くのも自業自得でしょうに!……早く下がりなさい。死ぬわよ」

 シファネの小さな囁きを聞き慌ててセリカとパティが陸見を抱えて離れていくのを確認して小さな安堵の息を吐く。
 この吐息が彼等の身の安全ではなく、後日のうどんの確保によって吐かれた物だと知ったら、彼等は一体どんな顔をするだろうか?

 住民の見守る中、シファネは老人達と対峙する。
 周囲の者達はシンと静まり返り、空間の全てを静寂が支配する。


 その静寂を破ったのは、どこからとも無く聞こえた奇怪な音だった。
 それはどう例えれば良いのか、言葉で言い表すのはとても難しいのだけど。
 そう、まるでガラスを捻るかのような、砕け散る直前の均衡状態をそのまま音にしたような、そんな音。
 最初は小さかったそれは段々と大きくなり、対峙していたシファネ達も揃ってその音源を探し出した。
 それは無論、その対峙を見守っていた者達も変わりない。

 突如、砕け散る、音。

 その場に居た全員が空を仰ぎ見た。
 宙に浮かぶ老人達より上空。天を舞う天使の群の遥か下方。
 その空間から、一本の腕が突き出ていた。
 鋭利な輝きを放つ、漆黒の硝子質の鉱石で構成された、遠目にはよく解らないが恐らく人一人鷲掴み出来るほど巨大な腕。
 それが身動ぎをするたびに不快で耳障りな音が断続的に鳴り響く。
 漆黒の腕が力任せに空間を捻り、抉り、引き裂いていき、出来上がった『穴』からもう一本の腕が出現した。
 普通の人間サイズの大きさの、逞しい男の腕。ただし、一対の雪色の翼が生えている。
 現れた二本の腕は『穴』を強引に、しかし確実に左右に押し広げていっている。
 こうも常識離れした現象が続くと流石に住民たちも慣れたらしいが、
それでも空間が割れるなどという現象には驚愕しているらしく小さなざわめきが生まれてくる。

「あの腕と翼は…」

 そんな住民のざわめきを背に聞きながら、どこかしら呆然と呟くフィリア。
 彼女の視線の先でついに空間の穴は人一人が通れるほどに広げられ、
その腕の持ち主の足が『穴』の淵に足をかけ、その姿を現した。
 闇色の髪に燃え上がるような深紅の瞳。左の漆黒の巨腕で『穴』を押さえ込み
右腕に生えた一対二枚と背中の三対六枚。両足の二対四枚、計十二枚の雪色の翼で風を受ける男。

「―――なあお前等。どうせ殺り合うなら、もっと広くて誰にも迷惑がかからない場所でやらないか?」

「遅刻しておいて第一声がそれ?……オードブル後回しにしてメインディッシュから先に手を出そうかしら」

 どことなく無気力な声に真っ先に反応したのは、老人と相対していたシファネだった。
 その目に浮かぶ皮肉を隠そうともせずに『穴』の淵に立つレニスを睨みつける。

「レニス君!」

「おー、美味しいのかそうでないのか微妙な所を持ってくなー」

「無事ならもうちょっと早く帰って来いっての!」

 なんて言う皆に苦笑を投げかけると、レニスはその場を蹴って宙を舞った。
 全身の翼で巧みに風を掴み、ふわりとシファネの真横へと降り立った。

「人の故郷で暴れようとするな。地図を変える気か?」

「私の故郷じゃないわ。…と言いたいけど、結構気に入ったのよね、この町。
 まだ『さくら亭』とかいう店のうどん食べてないから消す訳にもいかないし」

「うどんだと? あの店でまっ先に注文するべきなのはCランチに決まってるだろう。それは邪道だ」

 この状況下で大真面目に言う事ではないと思うが、この二人らしいと言えばそれまでだ。
 そんな場違いな言葉を交わす二人の頭上から、老人が吠えた。

《―――来たかっ。『世界の猛毒』レニス・エルフェイム!!》

「違う」

 明確な否定。思わぬ相手の反応に老人はたじろいだ。

「悪いが違う。お前達の相手をするのは『ジョートショップの居候』じゃないんだ」

 動揺は老人からではなく、レニスの背後から発生した。
 だがレニスはその一切を無視し、炎と共に召喚した己の半身とも言える剣――神剣レヴィスフィアを振るい、
決然たる面持ちで宣言した。

「貴様等の相手をするのは俺の、レニス・アークライト・エルフェイムの役目だ。
 二十七年前の借りとそこから続く因縁、今日こそ完全に断ち切ってやるよ化石ジジイ!!」

《ほざくなぁっ!!》

「あうぐっ!?」

 先程とは比べ物にならない威力の雷柱がフィリアの張った結界に次々と突き刺さる。
 かなり強力な負荷が少女の襲い掛かり、悲鳴をあげさせる。
 フィリアが耐え切れず結界が消滅する寸前、シファネの周囲を旋回していた円紋の一つが空に舞い上がり、
雷柱とぶつかり合った途端それはまるで鏡に反射した光のように捻じ曲がり、あらぬ方向に飛んで行く。
 結界に阻まれ街に下りることが出来ずに天を舞っていた天使達の一割が、その雷柱に消し炭にされ、崩れ落ちた。

「もう、フィリアったら。あんなもの馬鹿正直に受け止めなくてもいいのに」

「あの威力を受け流したり、ましてや反射させる方がおかしいんです!」

 シファネに無茶をする子供に向けるような苦笑を向けられ、僅かだが流石に憤慨するフィリア。
 彼女の抗議の声に反応したわけでは無いだろうが、教会周辺にたむろして動きを止めていた浄天使が
一斉に不気味な咆哮をあげ一斉にこちらへと雪崩れ込んできた。

《街共々滅べ!》

「断る」

 老人に答えたのはレニスではなく、隻眼の少年だった。
 頭部に巻いていたバンダナを毟り取り、碧に輝く右眼を外界に晒す。

【『ラキュエル』解放、戦闘状態に移行。知覚範囲設定変更完了。索敵――敵生体反応多数確認。
 彼我の戦力差を考慮し虐殺状態に移行と同時にカテゴリーA兵装限定使用許可申請――――承認】

 無機質な機会音声と共にラピスの全身を多数の鋼の塊が覆っていく。
 一つとしてこの世界に存在を許されない超兵器の数々がその姿を顕現し、その破壊の力を惜しみなく解き放つ。
 半瞬遅れて耳をつんざく様な激しい轟音がエンフィールドを支配した。

 先程ラピスが使っていた対甲殻生物用マグナムライフルなど赤子の玩具。
 鋼の弾丸と光学兵器の群が、浄天使達に向かってスコールの如く真横から降り注ぐ。

「如月!!」

「ったく、自分達だけで盛り上がりやがっ―――て!!!」

 レニスが如月を呼び地面を蹴って飛び上がると同時に如月が大上段に振り被った大鎌を烈破の気合と共に振り下ろす。
 途端にレニスが抉じ開けたままだった空間の『穴』が綺麗に収束し膨れ上がり、巨大な『門』となった。

《なっ! あの乱れ切った時空の穴を!?》

《魔鍵セイクリッド・キー…そうか、あの男が転生者…》

 落ち着き払っている老人とは対照的に背後に控えていた三人が狼狽する。
 そして気付く。何時の間にか極薄の氷の膜が球状に四人を包み込んでいる事に。

「紅四十四式―――」

 彼等に降り注いでいた陽光が巨大な影に遮られる。
 仰ぎ見れば、今にも振り下ろされんとする巨大な塔剣が眼前に迫っていた。

「―――界斬!!」

 剣の刃ではなく腹で氷球を殴り飛ばす。
 氷球は狙い違わず『扉』の向こうへと飛んでいき、その姿を消した。

「じゃあレニス、お先に!」

 間髪入れず扉に飛び込むシファネ。
 レニスもレヴィスフィアを元の大きさに戻し、翼をはためかせ
その後を追おうとしたところで下から向けられた視線――いや、正確には想いだろうか。
それを感じ取り、その場に留まって紅の双眸で眼下を見下ろした。

 彼女がそこに居た。
 ろくに見えぬ眼で必死になってレニスの姿を捉えようとするその姿に、レニスの胸が僅かに痛む。
 彼女が気付いている事は、レニスも解っていた。解っていて甘えていた。
 だが、レニスは名乗った。アークライトの名を名乗ってしまった。
 もう彼女の中ではレニスは『ジョートショップの居候』ではない。
 意識的にも、無意識の内にも押さえつけていた感情が解き放たれ、彼女を突き動かす。
 レニスは、黙って彼女の近くへと移動した。

「レニスくん――にい「アリサ」

 彼女の呼び掛けを遮る形で呼びかける。
 手を伸ばせば簡単に届くだろう位置に居ながら、レニスはその手を伸ばさない。
 ただ、その表情は今まで見た事も無いくらい優しくて。その瞳には深い愛しみが篭っていて。
 皆が見守る中、レニスはそっとその口を開く。

「前科が有るから、信じてもらえないかもしれないけどな…」

 困ったように鼻の頭を掻きながら、苦笑する。
 ゆっくりと浮上しながら、レニスはその言葉を告げた。

「直ぐ、戻るから」

「……うん。待ってる。待ってるから――」

 その答えを、レニスは聞いたのだろうか?
 彼女が言い終えぬうちに雪色の翼を羽ばたかせ、凄まじいスピードで『扉』を潜っていった。
 それを確認した睦月が、聖鍵を旋回させる。
 開かれた次元の扉が、音も無く消滅していった。
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