中央改札 交響曲 感想 説明

時の調べ 第四十七話 三つの石
FOOL


「《ファイナルニュークリア》セット―――――全目標補足、ファイア!」

 出力を抑え、地面を薙ぎ払うように放たれた閃光が治まった後、
教会前の広場にたむろしていた数十の浄天使達は完全にこの世界から消滅していた。
 しかし――

「切りが無い…」

 広場の向こう、町の建物の影から絶え間無くそれらは姿を見せてくる。
 最初ほどの数は同時に襲ってくる様子は無いが、敵の戦力は無尽蔵といって良い。
 しかも、フィリアの結界に阻まれその殆どが空に留まっているものの、天使達も僅かな数ながら時折降下してきている。
 ラピスはボルトアクション式の大口径ライフルで顔を見せた浄天使達を撃ち殺しながらも
懐から取り出した懐中時計に視線をやり、時を確認する。

「時間も無いか――ロビン!」

「なんだ!」

「後は任せる」

「ああ任せろっ!…って、ええっ?!」

 同僚の予想外の台詞に慌てて振り向くが、ラピスは既に後方へ下がり始めている。
 今は敵の勢いが弱まっているから良いものの、先程のような大群が出現した場合ラピスが居ないのではここを防ぎきる自信は無い。

「今居る連中の意識は自警団員に向くように『操作』した。効果が切れるのは30秒後。
 周辺の敵を掃討したら一旦下がって防衛戦に切り替えろ」

「おいラピス! っとわっ、なんとぉー!」

 背後から振り下ろされた剛腕を紙一重でかわし、振り向き様の一撃で胴を一薙ぎする。
 いきなり後方に退いた同僚に内心で罵詈雑言の嵐を叩き付けながら再び数を増やしてきた浄天使達に向き直る。
 その直後、

「っ!?」

 立ち尽くすロビン達自警団員の真横を五色の巨影が駆け抜ける。
 ラピスに召喚された五体の対超越種殲滅用人型強襲魔導兵器が不気味な唸りを上げながら各々の武器を振り上げる。
 上空から朱の長弓が雨の様に光矢を放ち、白い双槍が旋回しつつ異形の群を吹き飛ばす。
 敵の攻撃を黒い盾剣で弾きながら突撃し、その隙間に飛び込んだ蒼い戦斧が血煙を上げる。
 それら四人の騎士を率いるのは次々と浄天使を両断しながら疾駆する金色の大剣だった。

「おお…ビバ援軍」

「そいつらを残していく。頼んだぞ」

 驚きに目を丸くするロビンにそれだけを言い捨て、ラピスは教会の中へと姿を消した。





















「職務放棄?」

「向こうは少しの間持ち堪えれば良い。問題はこちらの方だ」

 魅樹斗の小ボケを簡単にスルーしてラピスは神父に二、三言葉を告げる。
 心得たように頷いた神父が教会の奥へと消えると、何時に無く真剣な面持ちをしたラピスがその鋭い視線をフィリアに向ける。

「フィリア、フレア達は?」

「大丈夫です。先程マスターから鈴を受け取りましたから。呼びますか?」

「頼む」

 ラピスの要請に小さく頷き、掌の中で涼やかな音色を奏でる。
 その音色に導かれ現れたのは見目麗しい精霊の三姉妹。
 ラピスが右腕を胸の辺りまで上げるとその内の一人がその腕に舞い降りる。

「フレア、礼の物は?」

「はい、万事滞りなく。…ではこれより我等三人、レニス様の命により貴方様の御指示に従います。どうか、御命令を」

 後ろで不満そうに頬を膨らませ拗ねている妹と、
ラピスとはまた違う意味で無表情な顔のままそっぽを向く末妹の二人を完全に黙殺しながら優雅な動作で一礼するフレア。
 それを見たラピスの口元に誰も気付かないほどの微かな微笑が浮かんだが、すぐにその表情は引き締められる。

「フィリア、障壁を展開しながらでキツイだろうが上の天使達を任せたい。
 《ドール》達も援護はするが、状況によっては単独で戦ってもらう事になるかもしれん。
 アル。お前は表でロビン達と共に住民の防衛を頼む。皆もだ」

「おいおい、少しは説明ぐらいしろよラピス!」

 一部の人間だけしか理解できていない状況にアルベルトが半ば叫ぶように説明を求めるが
ラピスはにベも無くその言葉を一蹴する。

「後で幾らでもしてやる。第一波を蹴散らすのに手間を掛けすぎた。時間が無い。
 如月と魅樹斗は俺と一緒に来い。睦月、お前は此処に残って聖鍵で『閉じて』くれ」

「魅樹斗を連れて行くの? 私か、もしくはアルベルトやリサが行く方が良いんじゃない?」

「実力的には問題は無い。それに魅樹斗でなければならない理由がある。
 ―――それに、本人もやる気だ。今更連れて行かないなど言えん」

 その言葉に振り向けば、ニコニコ顔で愛剣を腰に刺す魅樹斗の姿。
 半ば呆れ、半ば微笑ましい場違いな思いを抱きながら睦月は右手をヒラヒラと振って了解の意を示す。

「ラピス。神父様が入り口を開けた。すぐにでも行ける」

「わかった。…アル」

 如月の報告に一言で応え、ラピスは多少不満そうな顔をしている友人を見上げる。

「三十分だ。それだけ持ち堪えれば結果はどうあれこの騒ぎは――終る」

 互いに戦場で敵と相対するかのように睨み合う。
 数秒の間そうしていたが、ふと根負けをしたようにアルベルトが苦い笑みを浮かべた。
 やれやれと肩を竦めながら眉間を人差し指で押さえ、悟り切った声と表情をラピスに向ける。

「その程度なら楽勝だ。どうせなら良い結果で終らせろよ、ラピス」

「良い結果以外の終わりは無い」

 隻眼の少年は、ぬけぬけと言い放った。












「へー…思ったより広いんだね」

 教会の奥にぽっかりと開いた穴を覗き込みながら声を上げる魅樹斗。
 腰の長剣を握る手に無意識の内に力が篭る。

「この先が例の装置が在った場所に続いてるの?」

「ああ。道が広いのは作業用の機械等を運搬する為だろう。
 長い間使われていないので多少荒れているが走行には支障無い」

 先に通路に降り立ったラピスがバンダナを少し上へとずり上げる。
 その碧の眼が一瞬光を放つと、その眼前に自転車に重装甲を貼り付けたような乗り物が出現する。
 以前ラピスに聞いた事がある。確か『バイク』とかいう機械で動く乗り物。それの戦闘用に造られた物だろう。
 その姿を確認すると、ラピスはバンダナを元の位置に戻した。

「途中までは一本道だ。後ろに乗れ、魅樹斗」

「俺は?」

 バイクに跨るラピスに如月が問い掛ける。
 ラピスは一瞬だけそちらへ視線を向け、

「走るという一点に置いてはコレよりお前の足の方が速いだろう。自力で着いて来い」

 とのありがたい御言葉を与えたもうた。
 
「ひでぇ」

「どちらにせよ定員オーバーだ。本来は一人、多少無理して二人が乗る事を前提に造られているからな」

 すげ無くあしらわれてちょっぴりいじけながらも如月は『走る』準備を開始する。
 とはいえ、それは胸の正面で両手をパンと打ち鳴らすだけで終るので準備というほどのものでもないが。

 そんなやり取りをしている二人を横目に魅樹斗がバイクへ近付こうとした所、不意にその肩を優しく叩かれた。
 少し驚いて背後を振り向くと、そこにはもう外で戦闘を開始していると思っていた義姉の姿があった。

「どうしたの姉さん?」

「貴方に、これを渡そうと思って」

 そう言って差し出された手の中には、一組の剣を模したイヤリング。
 漆黒のブレイドと純白のヒルト。ガードには精巧に造られた翼が広がっている。

「これは…っ でも」

「貴方に持っていて欲しいの、ミキ」

 困惑する魅樹斗の両耳にフィリアの手が触れ、そこに二振りの剣を取り付ける。
 まるで初めからそこに在る為に作られたのかと錯覚する程に違和感無く収まった二振りの剣を見て満足そうに眼を細める。

「もしかしたら、これが私が貴方にしてあげられる最後の事なのかもしれないから」

「姉さんッ!?」

「勘違いしないでミキ。そういう意味で言ったんじゃないの。ただ…
 ただ、貴方は何時だって、私やマスターの助けを必要としていないでしょう?」

「っ!」

 その言葉に、魅樹斗は雷に打たれたかのような衝撃を受ける。
 浮かぶのは、自分でも自覚しきれていない様々な感情が混じり合った複雑な表情。
 そんな本人にも解っていない心の奥底にある本音を見透かしているかのように、
フィリアは柔らかな微笑を浮かべ、優しく魅樹斗の身体を抱き締める。

「貴方が望むなら、私もマスターも己の全てを賭けて貴方の剣となり盾となる。
 その程度には貴方は私達に愛されているわ。それを、忘れないで」

 耳元でそう囁くと、フィリアはゆっくりと身体を離して金と銀の瞳を見つめた。
 どこか呆然とした顔をしていた魅樹斗は、その蒼銀の瞳に射抜かれビクッと身体を震わせると、
段々と深い知性と強い意思の光をその眼に取り戻し、力強く頷いた。

「…ありがとう、姉さん」

 僅かに地面が揺れた。
 どうやら教会の外ではそれなりに派手にやっているらしい。
 フィリアは一瞬、言うか言うまいか迷うような仕草を見せ、結局何も言わずに微笑むと魅樹斗の頬を撫で駆け出していった。

「あーっ! 待って待ってーっ!!」

「ローラ? どうしたのそんなに慌てて」

 フィリアと入れ替わるように出現した幽霊少女に、魅樹斗は多少不機嫌さを滲ませながら怪訝そうに眉を顰めた。
 しかし少々興奮状態にあるらしいローラはそんな魅樹斗を無視しラピスの眼前に踊り出る。

「お兄ちゃん、今からこの奥に行くのよねっ?」

「ローラ、事情を聞きたければ事が終った後で――」

「私も連れて行って!!」

「何?」

 鼻息も荒く詰め寄るローラの突拍子も無い要望に、ラピスは虚を突かれた様に目を丸くする。
 そんな彼の隙を逃さず、ローラは畳み掛けるように言葉を続けた。

「お願いお兄ちゃん! わたし、どうしてもこの先に行きたいの。行かなきゃいけないのっ!」

「落ち着けローラ。一体この奥にお前にとっての何が有ると言うんだ」

「身体!」

「?」

「この先に有るような気がするの。ううん、有るの! この先にわたしの身体が!」

 強い確信を持って断言する少女を前に黙り込むラピス。
 そんな彼に代わり、如月が宥めるような口調でローラに問い掛ける。

「それが本当かどうかはさて置くとしても…ローラ。何でそんな事がわかるんだ?」

「何で分かるのかは分かんないけど、でも分かるの。感じるの。この先に、私の身体が有る」

「ローラって完全に死んでる訳じゃないんでしょ? だったらそういうのもアリなんじゃない?」

 横から口を出す魅樹斗はローラの同行については結構どうでも良さそうだ。
 しかしまがりなりにも自警団員である如月は魅樹斗程気楽にはなれない。

「理由は分かったが俺達は遊びに行くんじゃないんだ。この先にどんな危険が在るかも判らないって言うのに…」

「危険も何も無いでしょ? わたし今は幽霊だもん」

「でも幽霊を『殺せる』存在なんて意外とわんさか居るんだよねー」

「…魅樹斗。お前はちょっと黙ってろ」

 魅樹斗のしょうもない物言いに、如月は苦虫を噛み潰した顔で米神に指二本を押し当てる。
 幸いにも、そのダークブルーの瞳に一瞬だけ浮かんだ激しい緊張と警戒に、魅樹斗が気付いた様子は無かった。

「ローラ、もしもの場合は自己の安全を最優先に行動しろ。それが出来るなら構わん」

「うんっ!」

「おいラピス!」

「しつこいようだが時間が無い。それにこの様子では言っても聞かんだろう
 何か有れば守り切ればいい。それだけだ」

 これ以上の議論は時間の無駄と言わんばかりにバイクのエンジンを起動させる。
 魅樹斗も同意見なのかさっさと後部座席に座り込む。
 自分一人だけが騒いでいる状況に馬鹿馬鹿しくなったのか、如月は一度天を仰ぐように嘆息しその思考を切り替えた。
 とりあえず、ラピスの言う通り何か有れば守ればいい。簡単な話だ。

「では行くぞ。掴まっていろ」

 邪魔そうな顔をしている魅樹斗を気にも止めずラピスの首筋に背後からしがみ付くローラ。
 こちらからは触れられないのに不思議と彼女からは触れる事が出来るようだ。

 一際高いエンジン音が通路内で轟き、荒地走破用のタイヤが地面を噛み締め走り出す。
 愛刀を携えた如月が半瞬遅れて通路の床を力強く蹴り、後に続いた。






















 とてつもない勢いで周囲の風景が後方へと流れていく。
 予想を大きく上回る鋼鉄の暴れ馬のスピードに、さしもの魅樹斗もラピスの背にしがみ付くのに精一杯だった。
 ラピスの首筋にしがみ付いているローラなど、辛うじて腕が引っ掛かっているだけで何時置き去りにされてもおかしくない。
 しかしそれよりも驚くべきなのは、その横を平然とした顔で並走する如月の移動速度だった。
 なんとかバイクのスピードに慣れた魅樹斗が何処となく悔しげに睨み付けると、ちょっぴり優越感漂う苦笑を返してくる。
 不機嫌さを顔に出した所でほぼ直角の急カーブ。思わずうめき声を上げてしまうが何とか振り落とされずに済む。
 そのとき振り回された視線の先の光景を見て、魅樹斗はようやく如月がバイクと並走できている理由を悟った。
 如月の足が蹴る地面が、他と比べて微妙に揺らめいている。
 先程から気にはなっていたのだが、如月の歩幅と移動速度が一致していなかった。
 これらを総合して導き出された理由は一つ。―――如月は地面ごと移動している。
 なるほど。これなら平然とバイクと並走できている理由として納得できる。
 大地の聖霊と契約を交わしている如月ならばこの程度の事は造作も無いことだろう。

 T字路に差し掛かったところで、突然ラピスが車体を進行方向とは横に向け急停止する。
 いきなりの事に振り落とされまいと魅樹斗とローラが必死にラピスにしがみ付く。
 そんな二人に如月は同情と労いを絶妙にブレンドした視線を向けるのだった。

「ここで別れる。如月は右へ、俺は左の通路へ行く」

「? 僕は?」

「魅樹斗はそこだ」

 そう言ってラピスが指差したのはT字路正面の壁。
 正確には壁やら天井やらが崩れ落ちてまともに通れなくなっている道だった。

「……僕はローラみたいに物質透過なんてできないんだけど?」

「よく見ろ。右下方に穴があるだろう。シーカーを使って確認したが向こう側へ通じている。
 見た目からはそうは思えないかもしれないが、よっぽど強力な振動でも来ない限りはこの瓦礫が崩れる心配も無い」

 ラピスが指摘した場所には、確かにポッカリと穴が開いていた。
 ぎりぎりで魅樹斗が通れる程度の大きさの穴が。

「なるほど。これが僕が選ばれた理由な訳だ」

「そう言う事だ。…ところでローラ、お前はどうする。お前の身体はどの方向に在る?」

「えっと…………あっち」

 しばらく周辺を窺うようにしていたローラはあからさまに残念そうな顔をして目的の物がある方向を指差した。
 ここからでは見えない、小さな穴の向こうに広がる通路の先を。

「決まりだな。ラピス、フレア達を」

「ああ。―――」

 落胆するローラを苦笑気味に見やりながら如月はラピスにフレア達の召喚を要請する。
 先程までは高速で移動していたので彼女等には鈴の中に戻っていてもらったのだ。
 涼やかな鈴の音と青い輝きと共に、ふわり、と、三人の少女が中空に顕現する。

「フレア、俺達はここで別れる。お前達も適当に別れてくれ」

「かしこまりました」

 そう言って優雅にお辞儀するフレアの横をすり抜け、イリスがラピスのバイクに飛び乗った。
 どうやら彼女、この鋼鉄の暴れ馬にいたく興味を抱いているようだ。

「じゃあ行くか、フレア」

「はい、如月さん」

 如月がいたって自然にフレアを誘いフレアもそれに応じる。
 残るレミアは特に何も言わずに魅樹斗の右肩の上に陣取った。

 各々が向かうべき道が定まり、それぞれに別れたところでラピスが全員の顔を見回し、言った。

「残り時間二十分だ…言う事は一つだけ。死んでも構わんが目的だけは果たせ。以上」

「こういう場合、『死ぬな』というのが通例じゃないのか?」

「俺達の生死よりも目的の達成の方が優先順位が上だ。死にたくなければ足掻け」

 語尾と重なるようにエンジン音を轟かせ、バイクを急加速させる。
 あっと言う間に通路の向こうに姿を消したラピスを見送った後、如月も軽く屈伸運動をして向かうべき通路へ足を向けた。

「じゃあな魅樹斗。お互い生きて戻ろう」

「死ぬほどの危険が在るかどうかも判らないけどね」

 肩を竦める魅樹斗に見送られ、如月もフレアを伴って通路の奥へと消えていった。

「…ねえ魅樹斗。わたし、勢いで着いて来ちゃったけど…どうなってるの?」

「余裕があれば説明してあげるよ。行くよローラ、レミア」

 穴に潜り込みながら言う魅樹斗に無言のまま頷いたレミアが続き、ローラが慌てて瓦礫をすり抜ける。
 無人となった通路には数刻前までの絶対の静寂が戻っていた。





















 広い、と言うほどではないが、狭いと言うほどでもない。
 路面は荒れ果て隙間からは草やコケが顔を覗かせる。
 数百年に渡って荒廃した通路を噛み砕きながら激走するのは一頭の鋼鉄の獣だった。

「ヒャッホォーーーッ!! 走れ走れぇーっ!!」

 吹き飛ばされないようにラピスの腰にしがみついているイリスが子供っぽいはしゃぎ声を上げる。
 わざわざ人間サイズの大きさになって騒ぐイリスに表には出さずに半ば呆れ、半ば微笑ましく思いながら
ラピスは車体を大きく傾け、タイヤで地面を抉りながら急なカーブを殆ど減速せずに曲がり切る。

「ね、ラピス、この鉄の馬どのくらいスピード出るの?」

「スピードはこれでほぼ限界だ。簡単な重力・慣性制御装置が搭載されているので多少無茶な運転は可能だが」

 そう言いつつ眼の前に在った障害物をジャンプで飛び越える。
 イリスが一際大きな歓声を上げ、着地の衝撃で車体が小さな悲鳴を上げた。
 途中に在った二体のガーゴイルの石像の間を通過し暫らく走ると、突然大きな通路に出る。
 そこは奇妙な事に、左右の壁から上下の天井と床に至るまで真っ黒に焦げていた。

「…妙だな」

「何が?」

「今までの通路は荒れているだけだったが…この通路だけ焼けている」

「火事でも起きたんじゃない?」

「いや、そうじゃない。この焼け方は……む」

 通路の向こうを見るラピスの眼が鋭くなる。
 釣られる様にイリスもそちらへと注意を向けると、そこには隙間無く道を塞ぐ黒い壁。

「あれ? 行き止まり? もしかして迷った?」

「行き止まり…壁……っ!? 違うっ!!」

 珍しく焦りを見せたラピスがいきなり車体を横に向け、フレームの耐久限界を無視しての急停止。
 その間にも素早く手元のパネルを叩いて球状の防御障壁を展開させ、何事かと驚くイリスを停止したバイクから引き摺り下ろし、
包み込むようにして抱き締め車体の陰に隠れるようにしゃがみ込む。
 そして次の瞬間――!

「――――――っっ!!?」

 二人の視界全てが白に染まる。
 眼球を焼く閃光。噴き抜ける衝撃。木の葉の様に舞う身体。身に走る灼熱感。
 ラピスに抱き締められている為に周囲の状況はよく解らない。
 途方も無い衝撃が異たる方向から断続的に襲い掛かり、慣性に振り回されるその度に身体の軋みが耳朶を打つ。
 球状の防御障壁がスパークを起こし、防御許容限界を超えている事を訴えている。
 身体を抱き締めるラピスの腕にぐっと力が篭る。
 それに続く衝撃。二人はそのまま勢い良く転がりながら、最後は壁か何かにぶつかって停止した。

「っ、いたたた…な、なに? 何があったの?」

 ラピスの腕の中で強かに打ち据えた身体の痛みを堪えながら、イリスが現状を把握しようと周囲を見回す。
 少し離れた場所に原形を留めぬほどに破壊された鉄屑が転がり、それを確認した時にラピスがうめく様な声を上げる。

「迂闊だった…先程の壁は、ここのガーディアンだ。急ぎ過ぎて注意力が散漫になっていた、俺のミスだ…」

 そう、それこそがここの通路のみ焼け焦げていた理由だった。
 通路そのものを砲身とした熱波砲。立ち入った者全てを無差別に焼き尽くす無慈悲な炎。
 全く予想していなかった訳ではない。しかし、ガーディアンの予想外の能力とホンの僅かな油断がこの結果を招いていた。
 状況を理解したイリスの背に戦慄が走る。だが何時まで経っても離そうとしないラピスに、イリスは場違いながらも声を荒げてしまう。

「もうっ! それは解ったから、いい加減離れてよ! 何時まで抱き着いてるつもり?」

 そう言って力ずくでラピスの身体を引き剥がそうと手を掛けて――掌に伝わった感触に、喉元まで出掛かった悲鳴を飲み込んだ。
 ぬるっ、と、人間の肌にしては水気が在り、軟らか過ぎる感触。鼻孔を着くのは、人肉の焼ける独特の臭い。
 身を捩ってそこに触れた手を視界に入れると、そこには、焼け焦げた皮膚と真紅の鮮血が張り付いていた。

「一割にも満たない熱量だが、障壁を貫かれた……多少、内側まで焼かれたようだ」

「こ、こここここ、このっ、大馬鹿ぁーーーーーーーっっ!!!!」

 叫び、今度こそ力ずくでラピスの身体を引き剥がす。
 慌てて背中を覗き込み、今度こそ絶句した。
 焼け爛れ、所々に血を滲ませる背中。一部は炭化し、また一部では焼けた衣服と肉が混じり合っている部分もある。
 常人なら直視する事さえ耐え難いその痛々しい光景を睨みつけるようにして、イリスは叫んだ。

「あのねっ! いい加減に覚えて欲しいんだけど私は精霊なの、精霊!
 こうやって物質界に存在しているからには痛かったりするけど、
本体は常に精霊界に在るんだからあんなもの幾ら喰らったって死にはしないの!!
 なのにっ、ああもうこんな―――馬鹿ッ間抜けッ無理無茶無謀ムッツリ男!!」

「…酷い言われようだな」

「十分優しく言ってあげてるわ!!」

 怒りも顕わに捲くし立てるイリスに思わず苦笑が零れる。
 当然それを見逃す彼女でもなく、三角になっていた眼がさらに釣りあがる。

「何を笑ってるのよ」

「ああ、少し似ているかと……」

「?」

 台詞を中断したラピスに訝しげな視線を送る。
 しかしラピスは軽く頭を振ってその言葉を飲み込み、全く別の言葉を口にした。

「…いや、お前がレニスと自分の姉妹以外を心配するのが少々意外だっただけだ」

「普段どういう眼で見てるのか是非聞かせて欲しいんだけど?」

「聞かない方が身の為だな。
 しかし実際問題、死なないと言ってもダメージが一定を超えればこちらに戻って来れるのは大分先になるだろう。
 お前に今精霊界に戻られるのは非常に困る。それに……俺のことなら心配無用、ぐっ、うううぅぅ……ぅぁっ」

「ラピス!」

 苦痛に表情を歪め、呻きながら真黒く焦げた通路に深く右腕の指を突き立て、残る左手で胸元を掻き毟るように押さえつける。
 背中の火傷だけでは説明できないその苦しみように、イリスはどうして良いのか解らず恐慌寸前になりながらも
ラピスが自らの喉を引き裂かないように地面と胸元に指を埋め込んでいる両腕を引き剥がし、押さえつける。

「うぐ、が、あああああぁぁぁぁぁあああああぁあぅぁああああああああっっ!!!」

「こ の ば か ぢ か ら ぁ 〜…っっ!!!」

 小さなままでもオーガを片手で薙ぎ倒すイリスが完全に力負けしていた。
 ラピスは痛みで完全に我を忘れているのか、押さえられたままの両腕を力任せに振り回している。
 このままでは振り解かれると判断したイリスは一瞬背中の火傷を思い出し躊躇するが、
そんな余裕は無いと暴れる腕の外側から背中に両腕を回し、力一杯抱き押さえた。

「火事場のクソ力とか、そんな次元を超えてるわよこれはっ!」

 暴れているうちに、普段ラピスの腰に収められている彼愛用のカスタムリボルバーが、乾いた音をたてて通路に転がった。
 それを見てイリスは暴れる身体を必死で押さえつけながら、場違いにも「ああそうか」と気の抜けた納得の声を上げてしまう。
 よくよく考えれば、通常備え付けで使用する機関銃を平然と片手で持ち、扱う人間の筋力がまともである筈が無いのだ。

「く……このっ、いい加減正気に戻れ!!」

「――そう怒鳴るな。もう戻っている」

 聞こえた冷静な声でハッと我に返る。
 顔を横に向けると少し疲弊した様子は見えるものの普段と変わらぬ静かな黒瞳がイリスを見返していた。

「ラピス、アンタ……って、あれ?」

 手の平と腕から伝わる感触が変わっている事に気付き、イリスの表情が怪訝な物になる。
 しばらくそのままラピスの背中をペタペタ触っていたが、再び体を引き剥がしラピスの体を180度回転させる。

「火傷が、無い」

「…な知らなかったのか。《ラキュエル》の事を知っていたから、俺がどういう者かは全て知っていると思っていたが」

 背中の部分が焼失し邪魔なだけの衣服を脱ぎ捨てながらも
新しい制服は無料で支給されるのだろうか等と所帯じみたことを考えるラピス。
 軽く身体を動かして全ての傷が修復されている事を確認する。
 イリスは半ば呆然としながら傷一つ無い背中を凝視していた。

「さて、行くぞイリス」

「どーやって?」

 ラピスはサラっと言うが、これはなかなか難しい。
 今は何の行動も起こしていないが近付けばあの壁から再び熱線砲が放たれる。
 それに熱線砲を何とかしてもあの壁そのものを破壊しなければ先へは進めない。
 ここが屋外ならばラピスの持つ超兵器で長距離から破壊という方法も在るのだが、
こんな所で高威力の火器を使えば通路が崩れ、生き埋めになる可能性が高かった。

「そう簡単に破れるようじゃ壁の意味無いだろうし……?」

 碧の閃光がイリスの言葉を中断させる。
 ラピスの腕の中に、全長4mにも及ぶ長大な機械が出現していた。
 形状は非常にライフルに酷似しているが、まるで丸太でも抱えているような印象がある。
 本来なら銃口が存在するべき場所には1.8mもの長さを誇る螺旋状の刃の付いた衝角が取り付けられており、
鬼神もかくやと言うほどの重厚感と威圧感を周囲に解き放っていた。

「イリス、これを持っていろ」

「???」

 そう言って渡されたのは1.5m程のエネルギーランチャー。
 訳の解らない顔をしているイリスを急かすようにラピスが再度声をかける。

「しっかり掴まれ。一気に行く」

「これ何?」

「どっちの事だ?」

「とりあえずアンタが持ってる方」

 幾分素直にラピスの腰に手を回すイリス。
 それを確認するとラピスはグリップ部分にあるスイッチを入れる。
 銃身の上下に付いていたウイングが展開し、内蔵された反重力装置が二人の身体を50cm程宙に浮かせた。

「簡単に言えばドリルだ」

「じゃあお約束の返し言葉だけど、難しく言えば?」

「……破城回転衝角試作4号機――」

 静かな唸りと共に衝角がゆっくりと回転を始め、それは凄まじい勢いで加速していく。
 ラピスが手元の装置を弄ると衝角を中心として仄かに紅い粒子が怒涛の勢いで溢れ出す。
 ストック最後尾と上下ウイング先端から推進剤の輝きが零れだしたのを見て、イリスはラピスの腰に回した手に力を込めた。

「――コードネーム《ラスファース》」

 殺人級のGと共に一気に加速を開始する《ラルファース》。
 背中から可愛い悲鳴が聞こえたがそれは完全に無視してラピスは展開した攻性障壁で全体を包むように操作する。
 一秒も経たぬ内に、ドオンという音が音速の壁を打ち破った事を伝えてくる。
 そして、微かな手応え。

「――――ッ」

 抜けた。
 《ラキュエル》が先程の壁に大きな風穴を開けた事を教えてくれる。
 予想通り、いや、それ以上の厚さをあの壁は持っていたが、何の障害にもならなかった。
 それを確認すると同時に《ラキュエル》の知覚範囲を拡大させると、ラピスは声を張り上げた。
 眼の前の通路がL字に折れ曲がっていたのだ。

「イリス! 右方向にランチャーの砲口を向けろ! カウント開始、5、4――」

「ええっ!? ちょっと、もうっ」

「――2、1、撃て!!」

 いきなりの事でややもたつきながらもイリスは指示通りトリガーを引く。
 砲口からは何も飛び出すことは無かったが、その激しい反動は《ラルファース》を90°右に旋回させていた。
 しかしタイミングが若干遅かったのかそのまま壁に衝突しそうになった所でラピスが左足を振り上げ、壁を蹴り飛ばす。
 蹴った壁に巨大な傷痕を残しながらも《ラルファース》はその道を曲がりきり、再び真紅の矢となって飛翔する。

「少し反応が遅かったようだな。タイミングを合わせてくれ、先ほどのような事はそう何度も出来ん」

「――正気!? まさかこの方法で目的地まで突っ込む気なの!??」

「また壁があったら面倒だ」

「もしかしてこれ旋回能力無いの!?」

「移動しない物を破壊する為の兵器だからな。照準修正の為のものが気休め程度に付いているだけだ」

「こんな状況じゃなかったら殴り倒してるわ!!」

「そうか。次は左だ。カウント開始、5、4――」

「聞く耳持たないっての? フフフ……ッ、やっっってやろうじゃないのっ!!!!」

 開き直ったイリスの半ばヤケクソ気味の叫びは、ラピスの口元に微笑を浮かべさせる事しか出来なかった。
 その後二人は24回通路を曲がり、7回壁を蹴り砕き、3枚の壁に風穴を開けて目的地に到着した。





















 剥がれ落ちてきた通路の天井の一部を叩き落すと如月は肩の上の同行者に声をかけた。

「とっ、とと、大丈夫かフレア?」

「はい、御心配には及びません」

 ニッコリと微笑みを返して答えてくれる。
 母性的な所は少しフィリアと似てるなとも思うが、彼女の方は幼さが抜け切っていない印象が強い。
 妬みと言うほどではないが、禄に母親というものを知らずに育った如月には
こんな二人に慕われているレニスが少しだけ羨ましく思えた。

「しかし揺れるな。もしかして火山の活動が再開したか?」

「どうでしょうか……この山の精霊が活発化した様子はありませんが……」

 丁度この頃、反対側へ向かった同僚と次女が二枚目の壁を打ち破った所なのだが、
そんなことを知る由も無い二人は心持ちスピードを上げた。

「いや、それにしてもフレアが素直に着いて来てくれて助かった」

「? どういう事ですか?」

 通路を疾走する如月が零した言葉に思わず問い掛けるフレア。
 彼が自分を誘ったのになんとなく以上の理由でもあるのだろうか?

「気を悪くしないで欲しいんだが……正直、イリスとレミアは少し苦手なんだ」

「なるほど。イリスみたいなトラブルメーカーはトリーシャさんや睦月さんだけで十分だと」

「いや、現状でも両手に余って、って今の無し!!」

 必死の形相で先程の発言を取り消す様が可笑しくて、フレアはついクスクスと笑ってしまう。

「そんなにお二人が怖いんですか?」

「片方ならともかく……二人揃ってだと不思議と逆らえないんだ……」

 片方だけでも逆らえないだろうなと思ったが、フレアはそれを口にしなかった。
 しかし如月も器用なものである。トホホな顔をしながら移動する大地の上を疾走し、
時には壁を蹴り時には天井を蹴り時には重力の法則を無視しながら走り障害物を回避しているのである。
 常にレニスの傍に居るので少し感覚が麻痺してはいたが、この人も十分人外なんだなあと思うフレアであった。

「しかし奇妙な場所だな、ここは」

「どういう意味ですか?」

「造られた意図が解らない。要塞、砦、研究施設、ただの装置の安置場所etc……
 ガーディアンが置いてあった事から軍事関係かとも思ったがその割には通路の構造が普通だ。
 軍事関係なら敵の侵入を想定して迷路化しているのが普通なのに」

 如月達は既に何度かガーディアンと交戦していた。
 どうやら質より量なタイプらしくかなり頻繁に襲撃しては来るのだが、如月が無雑作に繰り出す拳一つで全て撃破されている。

「装置の安置場所として考えるならガーディアンも納得できなくは無いが、ローラの言葉を信じるならここには彼女の体があるらしい。
 ならば装置の安置場所を兼ねた医療施設かとも考えたがそれも無理があるだろう?」

「そうですね…無理矢理理屈付ける事は簡単なのですが、それでキッチリ納得できるかと言われれば……」

「……ま、今考えても仕方の無いことだから、今度暇な時にでも調べてみよう」

「では私もお手伝いを――したら、お二人が怖いですか?」

「そこまで狭量じゃないさ」

 そう苦笑して右手刀を真一文字に振る。
 後方に去り行く破裂音。その音源は黒い体液を撒き散らし、破れた水風船を連想させるガーディアンのなれの果てだった。

「散発的ですね」

「これで終わりじゃない、とは思うんだが…こうも単調な作業が続くと流石に気が緩むな」

「最低限ラピスさんの言った事は守ってくださいね」

「…さり気無く怖い台詞だぞ、それ」

「そうですか?」

「そうだよ」

「そうでしょうか?」

「そうだろうな」

「そうなんでしょうかね?」

「そうなんじゃないかな」

「そうなんだろうとは思うんですけど…?」

「そうじゃないならなんなんだろうな」

「……すみません、限界です」

「気にするな。流石に俺も限界だったから」

 既に気が緩みまくっている二人だった。
 しかしそれでも、長年培われた如月の危険察知能力は正確に、迅速にその飛影に反応した。

 四ノ太刀・走牙の音速を超えるスピードを実現させる両脚がコンマ一秒でその移動速度をゼロにし、
そのGに耐え抜く暇も無く体を左に傾け、右足に力を込めて真横に跳躍する。
 如月の脇腹を人の頭部ほどもある飛影が掠め、大きな血飛沫が舞う。

「――っ!」

「大丈夫だ! ジッとしてろ!」

 先程までのガーディアンとは速度も威力も段違い。
 如月は刀を鞘から抜き放つと数回鋭角を描いてこちらへ向き直った飛影の起動を見定める。
 初撃の動きと旋回軌道から直線的な動きしか出来ないと判断すると、タイミングを合わせてその予測進路に柄頭を叩き込む。

「っ! 硬いっ」

 衝撃で手が痺れ刀を取り落としそうになるが何とか気力で持ち直す。
 先端が砕けた柄頭を見て如月の眼に一瞬憎々しげな輝きが見えたが、すぐに思考を切り替え吹き飛んだ飛影に手をかざす。

「エステル!!」

 呼びかけに応じた樹の聖霊が敵を縛めるべく通路や壁を貫いて数本の蔓を伸ばすが、ガーディアンは直ぐに再起動しその場を離れる。
 大して悔しそうでもなく舌打ちすると独楽のように素早く回転し、今度は後方から飛来した二体目のガーディアンを切り払う。
 刀身は影の胴体を三分の一程切り裂いたが、ゴムを切り裂いたような手応えと共にガーディアンは如月の斬撃から逃れた。

「ったく、面倒なのが二体――」

 言葉を切って左手で握っていた鞘を半回転。
 鞘越しに激しい衝撃が腕に伝わり、左後方の天井に大きな穴が開く。

「――じゃなくて三体か」

「キツイですか?」

「倒せなくは無い、が…」

 微かに言いよどむ如月の心情は戦闘の様子を見守っていたフレアには手に取るように理解できた。
 このガーディアン達は標的が小さい上に超スピードで飛び回り、身体の強度、衝撃吸収能力も高い。
 しかしながらどれだけ速かろうとも動きが直線的なものである以上如月にしてみれば動きは読みやすいし、
一撃必殺と言う訳には行かなかったが攻撃もしっかりと通じている。

 だが、倒すのに余りにも時間が掛かる。掛かりすぎる。
 一体ならば瞬殺できるだろう。二体でも三・四分あれば殲滅できるだろう。
 しかし三体となると最悪十分はかかってしまう。
 目的がガーディアンの排除だけならば問題は無かったのだが、
残念な事に如月達がここに来た、この奥へ向かう目的は戦いの為ではないのだ。

「よし、やるか」

 次々と他方向から突っ込んでくるガーディアン達を何度かいなした後、
朝食をトーストにするかご飯にするか程度の気楽さで如月はそれを決めた。

「フレア、今から俺が良いと言うまで一切動くな。小指の先すら動かすな」

「? わかりました」

 フレアが答えると如月は刀を鞘に収めた。
 そのまま腰を深く落とし、右手を柄に置いた抜刀術の体勢に入る。
 金属音と共に刀の鯉口が切られる。動きの止まった如月の腹部を一体のガーディアンが貫いた。
 噴水のように噴き出す鮮血にフレアが動こうとすると如月が眼だけを向けて彼女を見た。
 それだけで、フレアの動きは止まった。否、動けるはずも無かった。
 生きた宝石のように輝いていたダークブルーの瞳が泥水でも混ざったかのごとく濁っていた。
 そこには何も無い。本当に何も無かった。感情も記憶も意思も想いも過去も未来も何もかも全てが。
 全てが失われた、死人の眼。

 何時の間にか如月の腹部から流れていた血が止まっていた。
 トクン、トクン、と微かに聞こえていた鼓動が遠くなる。
 直接触れている肌から伝わる体温はどんどん下がって行き。
 やがて、彼の中の最後の灯火が、ふっ、と消えた。

 そして世界が死んでいく。
 空気が死んだ虫が死んだ闇が死んだ過去が死んだ土が死んだ石が死んだ光が死んだ時が死んだ。
 それはフレアとて例外ではない。すうっと自分が透明になっていくのをフレアは感じた。
 死に逝く事に恐怖は無い。それは死んだから。虚ろを伴う諦めも無い。それも死んだから。

 全てが死に逝く世界で、三体のガーディアン達だけが生きていた。
 この突然事態に状況を把握しようと如月の周辺をフラフラとさ迷っている。
 キンッ、と、金属音が響いた。コン、コン、コン、と、糸が切れたかのようにガーディアンが地に落ちた。


 ――そして世界は蘇る――


「神無月流剣術刻影――」

 生命の宿る声で、如月が小さく呟く。

「――死染技《崩》――」

 静かに、しかし力強く立ち上がる如月。
 収められた刀に置かれた手からゆっくりと力が抜けていった。

「もう良いぞ、フレア」

「………ぁ…はい…」

 今だ魂が抜けきった顔のフレアを見て如月は小さく苦笑する。
 死にながら生きる経験は少々彼女にはインパクトが強かったようだ。

 視界の片隅に完全に息絶えたガーディアンの骸が横たわっていた。
 それは既に土に返り始めておりそこには生命の残滓すら感じられない。

「今のが…死染技、ですか…」

「ああ、神無月流剣術、その究極の一歩手前だ」

 そもそも、既に技ですらないのではないだろうか?
 彼女の顔に浮かんだ疑問に気付かない振りをしながら
先程まで黄泉の門を潜っていた事など露ほども感じさせない自然な表情で如月は別の事を問い掛けた。

「フレア、時間は大丈夫か?」

「はい。残り五分、十分間に合います」

「よし、行くか」

 フレアは駆け出した如月の肩の上で思う。
 もしかしたら、この人はの心は人と、生命と掛け離れた物なのではないのか?
 そんな想いが、フレアの心に微かな影を落とした。
















「んーと、全部説明すると長いから掻い摘んで説明するよ」

「うん」

 余裕が出来たのか、狭い通路を駆け抜けながら魅樹斗がローラに事情説明を開始する。
 レミアは特に何かを言うでもなく魅樹斗の肩の上に座っているが、不備な所があれば補足しておこうと少しお節介な事を考えていた。

「事の起こりは去年の十二月、大武闘大会のあった日。
 その日なのかそれとも数日の誤差があるのかは解らないけど、シャドウが火山制御装置を見つけた」

「かざんせいぎょそうち?」

「そ。図書館の文献に載ってたんだけど、雷鳴山は数百年前まで活発に活動していた火山だったんだ。
 それをどういう経緯でかは定かじゃないけどこの場所に住もうとした人たちが火山の制御装置を造りだした。
 そして数百年間この山の火山活動を抑えつけていた制御装置を―――シャドウが破壊したんだ。
 そりゃもーあっさりと。原形を留めないぐらいに」

「……え? ええ?? えええええええええええっっ!!? そ、それって大変じゃない!!」

「そうだね。だからこうして走ってる訳。
 とりあえずその時は気付いた兄さんがなんとか火山を抑え付けたんだけど…。
 でも長い間活動のベクトルを捻じ曲げられて狂ってしまった精霊とかに邪魔されて結構辛かったみたい。
 兄さんも何時までも抑えるだけで済ませるつもりは無かったみたいでね、なんか精霊界に行ったりして色々手を打ってたんだ」

「じゃあ魅樹斗たちがここに来たのって…」

「そ、噴火を未然に防ぐ為。もう兄さんが火山を抑えるのを止めちゃってるから、後十分ぐらいでドーン。
 ちなみに外の天使達は別件。全く関係無いわけじゃないけどね」

「なんか、魅樹斗って他人事にみたいに言うのね」

「…そう? 結構真剣にやってるつもりなんだけどな…」

 んー、と小首を傾げる魅樹斗の横を浮遊しながら、ローラは溜まったものを吐き出すようにこっそりと溜息をついた。
 ここだけの話、実はローラは魅樹斗の事があまり好きではない。
 常に余裕のある態度で、何故だかこちらの内心を見透かしたかのような言動を行い、良い言い方をすれば冷静な、気を使わない言い方をすれば冷めた、悪い言い方をすれば嘲るような口調で話す。
 その為同年代の友人は非常に少ないのだが、年上との交友関係は広かった。リオやピートは数少ない例外だ。

「んで話を戻すけど、無意味に延々とだらだら続けられた六大精霊王たちとの会議の結果、
本来活火山である雷鳴山を狂った精霊含めて丸ごと普通の山に創り直しちゃおうって事になって」

「そんな事できるの?」

「出来なきゃラピスが動くわけないだろ」

 こういう言い方をやめれば凄く可愛くなるのになあ、と思わないでもないが、
そうなったらそうなったで嫉妬の炎が燃え上がる事は確実なので心中複雑なローラであった。
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