眼の前の重厚そうな扉に手をかけ、力一杯に押し開く。
今までの細い通路とは一転し、かなりの広さを持つ半球型の空間が目の前に広がっていた。
「と……また随分と広い部屋だね。レミア、道は間違ってない?」
「大丈夫。奥の扉の向こうが目的の場所」
グルリと見回してまず眼に入ったのは壁一面にずらりと並べられた武器武器武器の山。
剣や槍といったスタンダードな物から大鎌や鞭等の個性的な武器までこれでもかと言うほどの量が存在していた。
刀剣だけでも長剣、細剣、短剣、両手剣、騎上剣、曲剣、刀、ジャマダハル、パタと殆どの種類が揃えられている。
部屋の中央部では透き通るような銀に輝く全身鎧が傍らに銀の大剣を突き立て跪いていた。
武器庫か何かだったのかと思案しつつ奥のほうを見ると三人が入った扉の対角線上にもう一つ扉が見える。
「あそこか。じゃあ速く行こう。時間、そろそろ無いんでしょ?」
「あと八分」
「向こう行って扉開けて用意して儀式開始して…ギリギリか」
レミアが黙って頷く。魅樹斗達は今までガーディアンとは遭遇していない。
その可能性を頭の中で考慮していた魅樹斗はいかにも怪しそうな全身鎧を避けるように壁伝いに移動しようとしたが、
いままでふよふよと浮いていたローラが突然真横を凄い勢いで中心地へと向かって飛んで行ってしまった。
「…叫んで静止するべきかな?」
「もう遅い」
素っ気無く答えるレミアとやれやれと肩を竦める魅樹斗。
このままこうしていても仕方ないので諦めてローラの後を追う。
彼女はキャアキャア言いながら全身鎧の周囲を飛び回っていたが、
魅樹斗が追いついて来たのに気付くと飛んでいったのと同じぐらいの勢いでぐぐいっと詰め寄ってきた。
「見つけたの魅樹斗! ほらほらっ、アタシの身体!!」
大仰な仕草で足元を指差すローラに釣られるように二人は地面を覗き込む。
するとそこの地面はガラス質のケースになっており、見覚えのある少女が死んだように眠っていた。
「どれどれ……うわ、霜が降りてる」
「冷凍睡眠装置、のようです」
第三者から「他に何か言う事は無いのか」と言われそうな反応だが、二人ともしっかり驚いている。
百年眠り続けているそうだが、身体の方は目の前に浮かぶ幽体と寸分変わらぬ姿をしていた。
ふと魅樹斗が顔を上げ、何時までも頭上で浮かんでいるローラに声をかける。
「戻らないの?」
「え? う、うん、そうなんだけど…どうやって戻るの?」
「……レミア?」
「知らない」
沈黙が辺りを包みこむ。そしてきっかり十秒後。
「とりあえず入れてみよう」
言って魅樹斗はむんずとローラの頭を鷲掴みし、ぐいっと力任せにガラスのケースに押し付けた。
いきなりの事態に混乱したローラが目を丸くした時、奇妙な音と共にローラの姿が身体の中に吸い込まれて行く。
「え? え? なんで? うそっ、え? あぁぁ〜〜…………」
「あ、入った入った。やれば出来るもんだね」
呆気に取られるレミアを他所に妙に納得顔の魅樹斗。
少し待っていると、ケース近くの機械から奇妙な合成音が鳴った。
『緊急解凍プログラムが開始直前で待機状態になっています。プログラムを実行しますか?』
「解凍…? 解かすって事だから、じゃ実行」
「魅樹斗――っ!!」
絶対に理解していない顔で直感のみで答えを出す魅樹斗に流石に非難の声を上げるレミア。
しかしその心配は杞憂だったようで、勢い良く白い煙を噴出した機械が低い唸りを上げながらケースの蓋を開けていく。
一分も経った頃、開ききったケースの中に横たわっていたローラが小さく身動ぎした。
「う…ああ……戻、れた…アタシ、元の身体に……っ」
「――うん。良かったね、ローラ」
感慨深く息を吐くローラに珍しく優しい声色で言葉を掛ける魅樹斗。
彼はそのまま彼女の細い身体を横抱きにして抱え上げ、立ち上がった。
「んじゃさっさと行こう。そろそろ焦らないとキツイ」
「残り四分。急いで」
流石にもうのんびりしている時間は無い。
ローラの身体を抱えたまま残りの距離を一気に走りぬける。
ドアの前に立つとそれを力一杯押し開け奥の部屋への道を開放する。
直ぐにレミアがその中に飛び込むと、いきなり魅樹斗が大きな声を上げた。
「レミア!!」
「なに?」
「最後の仕上げと、ついでにローラ頼んだ」
「きゃあ!?」
いささか乱暴に放り投げられ、ろくに受身も取れずに床に転がされるローラ。
同時に響いた剣戟の音に顔を上げると、僅かに顔を顰めた魅樹斗が引き抜いた長剣で銀の大剣を受け止めている。
その殺意無き一撃を受けた刀身は今にも折れそうなほど大きく罅割れていた。
「魅樹斗。無茶」
「百も承知」
「……解った」
不敵に唇の端を上げた顔を最後に、魅樹斗の姿は扉の向こうに消えた。
ローラが慌てて扉に縋りつくもビクともしない。
数度それを繰り返して無駄だと悟ったローラは縋りつくような視線をレミアへ向けるが
「ダメ。魅樹斗の役目はわたしを守りこの部屋まで送り届ける事。わたしの役目は雷鳴山の噴火を阻止する事」
「でもっ、でもっ」
「やるべき事をやらずに戻っても魅樹斗に追い返されるだけ」
人間大の大きさになったレミアがローラに肩を貸して立ち上がらせ、部屋の扉を開ける。
そこは機械に埋め尽くされた部屋だった。無数のパイプが絡み合い壁や天井を埋め尽くし、その全てが何も無い中央部へと伸びている。
床が黒く焦げている事と無数の引き裂かれた金属片からそこに重要な機械――火山制御装置が在ったのだと知れる。
ローラを扉の近くに下ろすとレミアはその中央部に立ち、水をすくうように胸の前に両手を掲げた。
その手の平の中で紅の輝きが溢れその中から一つの珠が現れる。
「フレア姉様とイリス姉様の用意はもう出来ている……そしてわたしも」
思念の言葉をやり取りし、姉達の用意が既にできている事を確認する。
一つ頷くとレミアは珠を頭上高く掲げ目を閉じた。
「『創界の儀』。開始します」
珠が柔らかで、しか力強い青の色で輝き始める。
そして端の方から紐解かれるように光の文字の螺旋と化して天井へと昇っていく。
文字は天井をすり抜けてその向こうへと舞い上がり、雷鳴山は青き力に覆われた。
「百も承知」
「……解った」
その言葉を最後に扉を閉め、閂代わりに鞘を差し入れて施錠する。
これで、この広い部屋に居るのは魅樹斗と眼の前の全身鎧の二人だけ。
魅樹斗は深く押し込まれてくる銀の大剣の力のベクトルをずらし、身体を素早く回転させてガーディアンの背後へ廻り込む。
その背に蹴りを入れてバランスを少し崩して時間を稼ぐと、後方に大きく跳び退り間合いを取った。
「気に入ってたんだけどね」
折れる寸前にまで罅割れた長剣を逆手に持ち替え床に突き立てた。
ゆっくりとこちらを振り向くガーディアンの面当ての隙間に灯っていた青い灯火が真紅に変わる。
どうやらあちらは手加減するのを止めたようだ。
丸腰のままの魅樹斗はそれでも焦る事はせず、ただ静かにそこに立ちながら、彼は数ヶ月前の義兄との会話が思い浮かべていた。
―――――――――
「ミキ、お前自分の使い方が全然解ってなかったんだな」
武闘大会終了後のジョートショップのリビング兼応接室にて、レニスがいきなりそんな事を言ってきた。
眼を丸くする魅樹斗だが、レニスはお構い無しに言葉を続ける。
「自分で譲っておいてなんだが、その剣もお前に合ってない。俺も気付いていなかったのが不覚だが」
レニスは、もしかして俺って保護者失格かなー、とか一人問答をしているが
魅樹斗にしてみればとっととその意味を教えて欲しい所だった。
そんな彼の視線に気付いたのかレニスは軽く頭を掻きながら苦笑した。
「ああ、悪い。…で本題だが、お前、俺の戦い方を模倣しすぎだ。
今のお前の体格とパワーで一撃重視なんて無茶に決まってるだろ」
グサッ、と精神的に来る言葉だった。
しかしそれも詮無い事。彼がレニスから教わったのは全ての戦闘技術の基本だけ。
後はオーソドックスな剣を主として、周囲の人間の技を盗み自分なりに改良して身に付けた我流剣術なのだ。
十歳前後の少年が多大な好意と憧れを抱く義兄の戦法を模倣するのは至極当然の事と言えた。
「お前は速さと技術に傾いたオールランダーだからな…腕の力は剣を素早く正確に振るう事だけに使うってのも一つの手だな」
他にも幾つか様々な方向性からの戦法を教えてくれるレニス。
曖昧で適当な表現でそれを伝えるのは魅樹斗が自分に合った技として昇華させるのに邪魔な固定概念を植付けさせない為。
そして魅樹斗なら、こんなあやふやな言葉からでも何かを掴み取れると信じるレニスの信頼の表れでもあった。
「焦る必要は無い。だけど、何時か…お前が『魅樹斗・エルフェイム』の技を完成させたなら……」
普段は無気力の仮面に隠されている『本気』。
その全てを焼き尽くす灼熱の双眸が微かな期待を垣間見せ魅樹斗を見下ろした。
「もう一度、来るが良いさ」
――――――――――
「まだまだ試行錯誤の最中だけど―――」
両手をクロスし耳に下がるイヤリングを掴み取る。
金銀の斬眼(ブレードアイ)でガーディアンを刺し貫き、その腕を振り抜いた。
左右の手に握られるのは漆黒の刀身を持つロングソード。
二振りの剣の具合を確かめるように風車の如く黒剣を振るう。
そして警戒するかのように動かないガーディアンへと片方の剣先を突きつけた。
「相手してもらうよ、人形!!」
咆哮と共に朱金の鬣が暴風となって飛翔した。
振り落とされた双剣と銀の大剣がぶつかり合い激しい火花を散らす。
ガーディアンが空いている左手を拳に固め振り上げてくるが、魅樹斗はその拳を蹴り上方へ跳躍。
身体を反転させて天井を蹴り落下速度を高めて斬りかかる。
突き上げられた大剣を左の剣で絡めて自らの起動を変えて回避。右の剣で全体重を乗せた一撃を叩き込む。
盛大な火花と金属が擦れ合う不快な音を撒き散らしながら着地し、小さく身体を回転させて擦違い様に双剣で脇腹を薙ぎ払う。
だが擦り抜けた先では信じられない速度で切り返された銀の大剣が横合いから襲い掛かり
辛くも双剣で受けるが体重の軽い魅樹斗の身体は軽々と吹き飛ばされてしまう。
そしてガーディアンの胸部が開き、そこから追い討ちをかけるように巨大な炎の奔流が放たれた。
「っおおおおおおっ!!!」
高速で剣を振り下ろし、それにより発生した鎌鼬に一瞬炎が巻き込まれた隙を狙って灼熱の顎を回避する。
ガーディアンが第二射の発射体制に入ったのを確認すると、そのまま姿勢を低くし持ち前の俊敏さでジグザグの軌道を描きながら
ガーディアンの内懐に潜り込むと面当てが開いた事により無防備となった顔面に黒剣を突き出した。
だが驚くべき事に、その切先は白日の元に曝された鋭利な牙によって噛み止められ、
さらに鎧の隙間から伸びた先端に刃の付いた二本の触手が閃き、防刃繊維で織られた魅樹斗の衣服を易々と切り裂いて血飛沫を上げる。
「なっ…このおっ!!」
驚くのは一瞬、魅樹斗は退く事をせず、なおも前へと踏み込み触手を全身鎧に叩きつけるように殴り潰す。
ガーディアンが見た目以上の素早さで下がろうとした所へ脚の隙間に剣を刺し込み梃子の原理を利用して大きくバランスを崩させ、
さらにその場で飛び上がって顔面に膝を叩き込み、倒れこむ瞬間に全体重を込めた踵で踏み潰すような蹴りを突き放つ。
骨が砕け、肉が潰れる感触が靴裏を通じて魅樹斗の脚に伝わってくるが、その不快感を表す前に
伸びて来たガーディアンの腕から逃れる為に勢い良く後方へと跳び退った。
「うわ、気色悪っ」
魅樹斗が勝手にグロテスクな中身を想像して身を振るわせていると、
ガーディアンの鎧の隙間という隙間から十数本の触手が不気味にのたうちながら姿を見せ、
一瞬の停滞の後に爆発するように四方の壁に取り付いた。
それを見た魅樹斗は遠くを見詰めながらポツリと呟いた。
「あー……壁の武器はこういう事だったんだ…」
小さく溜息をつき、全力でその場を離れる。
先程まで魅樹斗がいた床を触手に巻き取られたクレセントアックスが大きな破砕音と共に粉塵へと変えた。
その後も立て続けに襲い来る武器と触手の群をあるいは避け、あるいは剣で弾き、あるいは蹴り除けて逃れていく。
しかし数分も経たぬ内に数多の意思を持つ武具の猛攻を掻い潜る魅樹斗の体の至る場所に細かな傷が出来始める。
このままでは追い込まれる。そう判断した魅樹斗は隙を探す為に逃げ回るのを止めた。
靴底と床を激しく擦れ合わせて急旋回。真っ直ぐにこちらを目指していた武具の群に迷わず飛び込んだ。
落ちて来たバトルアックスを身を捻ってかわし、突き出されるトライデントを切り払い、
急角度で振り上げられる騎上剣の腹に乗って跳躍して一気にガーディアンの近くまで肉薄する。
ガーディアンが魅樹斗の間合いに入る直前、今だ地に足が着いていない魅樹斗の横合いから絶妙なタイミングで巨大な青龍刀が旋回してきた。
前々から試してみたい事があった。魅樹斗は右肩に意識を集中する。
剣や拳に気を込める要領で右肩に気を送り込み、圧縮し、迫る青龍刀をギリギリまで引き寄せて―――ブースターを模して解き放った。
突然あらぬ方向からかけられた推進力が魅樹斗の上半身を横に押しやり、身青龍刀が何も無い空間を薙ぐ。
予想以上に上手く行った事に内心喝采を上げながら、勢いを殺さずに更に半回転して着地。
すかさず一歩を踏み込んで触手の半数を斬り飛ばす。
後に思い返せば、この時の魅樹斗は自己を制御できていなかったのかもしれない。
大武闘大会の時にレニスに認められた事。自分の技の構築が予想外に早く形になってきた事。
頭の中だけで組み立てていた技を実戦の最中、ぶっつけ本番で成功させた事。
それらのどれか、もしくは全てが原因か、はたまた別の要因があるのか、この時の魅樹斗の心に、僅かな慢心が生まれていた。
それが無くとも気付かなかったかもしれない。気付いたとしてもどうしようもなかったかもしれない。
しかしそれでも魅樹斗は、一つの可能性を完全に失念していた。
斬り飛ばしたガーディアンの触手が、一つの意思を持って床の上を走った。
魅樹斗の足に巻きつきながら這い上がり、一瞬の内に全身を拘束する。
「――っ!!?」
声にならない声。
眼の前で振り上げられる巨大なウォーハンマー。
世界から音が消えた。自分の中からは軋む音が。千切れる音が。砕ける音が。
軋む音が自分で。千切れる音が自分で。砕ける音が自分。
世界から静寂が剥がれ落ちた。代わりに自分の中の音が遠ざかる。
飛びそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めるのは、強靭な意志の力などではなく、腹に食い込んだ鉄槌の殺意。
今度はフランチェスカ。微かに動いた本能が後方へ向けて床を蹴らせた。
身体に冷たい刃が食い込む。あまりのおぞましさに反射的に背筋が震えた。視界が天井を向く。
壁に激突した衝撃。世界は静寂に変わらない。自分の中の音も聞こえない。
意識が朦朧とする。瞼が上がらない。視界が悪い。鼻を突くのは血と嘔吐物の激臭。
右眼が痛い。潰れてはいないと思う。微かに動いた瞼が眼球の無事を知らせる。開いた視界は赤かった。
割れた額から流れた血が流れ込んだのか。真紅の向こうに銀の騎士。
胸部装甲が解放され、内の暗き灯火の中へと白夜の如き煌きが収束していく。
魅樹斗の感覚が途方も無い力の激流を感じ取る。
その量、実にヴァニシングノヴァの数十倍。ファランクス砲をも凌ぐ魔力量。
それが一本の槍を模すほどに収束され撃ち出されれば、自分などいとも容易く消え去ろう。
感じ取る、それだけで意思も意志も吹き飛んだ。残るのは何も無い虚ろな瞳。
残った触手がガーディアンの眼前で六紡星を形作る。透すことで魔力を増幅させる古式魔導陣。
反射的にか、本能的にか、魅樹斗の口が、微かに動いた。
「…バケ、モ…ノ………ッ!」
金銀の双眸に、意思の火が灯る。
今、自分はなんと言った? バケモノ? ばけもの? 化け物だと?
風が吹き火を煽る。燃え上がった火は炎となり、それは意志の力を呼び起こす。
意思と意志は純然な怒りとなり、己が身を焼き尽くさんと荒れ狂う。
「なん、て…無様」
教会にて見た神の力はこの比ではなかった。
感じていた力は世界を覆わんとする程に巨大で、眼の前のそれなど砂漠の砂の一粒のような物だ。
その砂の一粒を向けられただけで、この体たらくか。呆れを通り越して哀れみすら覚える。
化け物だとか、人外だとか、そんな事はどうでもいい。それがどうした。関係無い。
自分が相手よりも弱いという事実を、その程度の、空気よりも軽い言葉を免罪符に逃げるなど。
「何をしている……」
そう、何をしているのだ魅樹斗・エルフェイム。
自分で勝手に突っ込んで、カウンターを喰らった。それだけだ。
ま だ そ れ だ け だ 。
足は千切れていない。そしてまだ動く。ならば立て。
腕は折れていない。その手はまだ何かを掴み取れる。ならば剣を取れ。
相手の力の大きさに我を忘れる暇など無い。そんな物があるなら敵を睨み据えろ。
まだ貴様は自分の全ても出し切ってはいないではないか。
諦め? 絶望? そんな上等な感情を持つ資格など在りはしない。
貴様のような最低最悪の臆病者、卑怯者にエルフェイムの名を名乗る資格が在るとでも言うのか。
縛めなどフランチェスカの一撃でとっくに解けている。
さあその両の足で立ち上がれ。貴様に残されているのは惨めな勝利と無様な死のみ。
今の貴様にはそれすらも上等。牙を持て。恐怖するのは後回し。今はただ、眼前の敵を屠りされ。
その程度の事も出来ずに、何時か、あの男の前に立つ時が来る訳が無い。
決めたのだろう? 貴様が渇望するそれの為に、いつか愛する兄を越えるのだと。
いや、それでは覚悟が足りない。この程度の言葉なら、これは儚き夢で終ってしまう。
そうだ。自分は、『必ず』兄を、レニス・アークライト・エルフェイムを越えてみせる。
だから、こんな所で、立ち止まっている暇など無いぞ!
吠える。力の限り吠え猛る。
立ち上がる。剣を取る。蘇った闘気を受けて、朱金の髪が鬣の如く舞い上がる。
対照的に思考は急激に冷えて行く。知覚が加速する。全身を駆け巡るパルス。完全な戦闘待機状態。
一歩を踏み出す。歩く。駆ける。走る。疾る。
ガーディアンの胸の輝きが一際強くなる。間合いにはまだ遠い位置で剣を振り上げる。
腕が霞むほどの速度で振り下ろす。閃光。剣風による鎌鼬が触手の魔導陣を斬り裂く。増幅された魔力が放出口を失い暴走。
胸の装甲がはじけ飛ぶ。立ったまま両手が大の字のように広がる。すかさずその隙間に飛び込む。。
飛び込みながら右手の剣を突き出す。戻ってきた左腕が弾き返す。左の剣が跳ね上がる。銀の大剣の柄頭が落ちて来る。
右の剣を絡めて軌道を逸らす。左の剣で胴を薙ぐ。続けて右の剣。銀の足が下がる。双剣が追い討ちをかける。
胸部からの閃光。弾けた閃光が頬を薙ぐ。大きな弧を描いて銀光が走る。退かずに踏み込む。回る様に連続斬り。
その後はただひたすらに――斬る。 斬る、斬る、斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬 斬 斬 斬 斬 斬 斬――――
二刀剣術の修練の際に偶然居合わせた友人リオ・バクスター命名による双剣高速十六連撃『スプリット・ソウル』。
半秒も経たずに次々と繰り出される斬撃。断続的に鎧を撃つ剣撃。触手の残骸が斬り飛ばされ飛沫を上げる。
擦違い様に銀の大剣が脇腹を抉った。構わず最後の一撃を加え、魅樹斗はガーディアンの向こう側へと突き抜け、止まる。
銀の全身鎧には、魔力の暴走時の破壊以外の傷痕は刻み込まれてはいなかった。
その事に動揺する気配も見せず、魅樹斗は一言口を開く。
「見つけた」
黒剣を持つ両手が静かに震えている。
振り返る。震えは小さくなっていた。振り上げる。耳鳴りのような音が発生する。
振り下ろす。
――断
魅樹斗の両腕から鮮血が噴きあがる。
銀の全身鎧が砂へと変わり十字に四分割される。中からヘドロ状になった肉が流れ出て魅樹斗の足元を汚した。
超振動を付加した斬撃。しかしそれによる破壊ではなく、液状化現象――物質の分子間の結合力を弱め、崩壊を誘発する剣。
先の『スプリット・ソウル』は対象の分子結合力を弱める振動数を見極めるためだけに放った技だ。
いまだ完全な習得には至っていないため両腕の毛細血管は破裂し、筋肉も断裂直前になるほどに酷使されている。
ガーディアンが完全に沈黙したのを確認し、魅樹斗は両手の剣をイヤリングに戻そうと逆手に持ち替えたところで動きを止めた。
先程までの激戦を思わせぬ穏やかな表情で、ただ、真白き柄を握り締め、漆黒の刀身に写る己の顔をジッと見詰めていた。
「誤解で、買いかぶりすぎだよ姉さん……僕は、何時も貴方達に助けられている」
独白の終わりと共に双剣がイヤリングへと戻る。
全身はズタボロ。致命傷らしき怪我も二つ三つ負っているが、それでも魅樹斗は膝を折らなかった。
まだ仕事が終っていない。
送って来たのだから、迎えに行くのが筋という物だろう。
閂代わりの鞘を引き抜き、扉を開ける。
最初に見たのは青の光。最初に聞いたのは静かな唄。
部屋の中央、光の螺旋を前に唄うレミアに、魅樹斗は感嘆の吐息と共に眼を奪われた。
唄うレミアの傍らに居たローラがこちらに気付き、両目を見開く。
何か言おうとする彼女を手で制止し近くの壁に寄りかかったが、どこか落ち着かない。
眼の奥が疼く。首筋がチリチリする。この歌声はとても優しいのに、他の何かが邪魔をする。
なんだか、とても、不快、だ。
疼きに耐え切れず腕で両目を覆う。
閉じた瞼の向こう、人の中にある闇の奥で、何かが積み上げられて行くのが見えた。
それらの周囲を仄かな灯りが舞っている。嬉しそうに。苦しそうに。怨めしそうに。楽しそうに。
最後には砕け散り、細かな光の粒子と化したそれらを見て、魅樹斗はホンの少し、泣きたくなった。
唄が止む。腕を下げて目を開けた。一瞬視界が霞む。
血が足りない。怪我も酷い。戻ればそこで苦しそうにしているローラと一緒にクラウド医院に即入院だろう。
そういえば教会の外の天使どもはどうなっただろうか? もう既に姉や自警団員達が蹴散らしただろうか?
ああでも、浄天使の方は無尽蔵に出現しそうな雰囲気だった。もしそうなら、自分とローラの入院は少し遅れるだろう。
兄とシファネがあの四人を殺さないとこっちの事も全ては終らないんだろうか。だとしたら、少し面倒だな。
そんな思考の波が魅樹斗の脳内を駆け巡る。
頭を振って思考を中断させると、部屋の中央へと歩を進めた。
そこで、初めて自分の足元に血溜りが出来ていた事に気付く。
何故だかとても可笑しくて、血溜りの上で踵を鳴らす。
真紅の足跡を残しながらローラの傍らにしゃがみ、その身体を抱き上げる。
彼女の意識はまだしっかりしているようだが、言葉を口にするのは辛いらしい。
どこか弱々しい瞳で見上げてくるローラに他には何も出来ないのでかすかな微笑みを返す。
眼の疼きが酷い。眼球を抉り出したくなる。眼孔を掻き毟りたい。首筋のチリチリが大きくなる。
とても、とても、不快、だ。
普段の大きさに戻ったレミアがふわりと魅樹斗の肩に座る。
視線を向けると、彼女はしっかりとした仕草で頷いた。彼女の仕事は、終った。
地面が揺れた。遠くから崩落の音。
儀式の影響かはたまた別の要因か、とにかく、この地下通路が崩れ出している事は確かだった。
それを上の空で聞いていた魅樹斗だったが、現実を無視する訳にもいかない。
コテン、とレミアが肩から落ちてローラのお腹の上に転がった。
大規模な儀式で疲労したのか、微かな寝息を立てている。見れば、ローラも静かに瞼を閉じていた。
疲労よりも呆れが勝った。大きな溜息を一つ吐く。
もう一度身体が動く事を確認して魅樹斗はその場を駆け出した。
ローラの身体を丸めるようにして抱き締め、天井の破片から身を守る。
制御装置のあった部屋を飛び出し、先程の死闘の舞台へと舞い戻る。
無数の武器が散乱するその部屋を半ばまで抜けたとき、それは、来た。
腐臭を周囲に撒き散らし、その巨体をうねらせる。
異たる所に銀の全身鎧を貼り付けた腐りきった肉の塊が声とは言えない声を上げた。
ガーディアンのアンデッド化。
古代遺跡などにも見られる二重トラップ。
死したガーディアンの能力を全て引き上げ、執拗に侵入者を襲わせる呪術の一種。
魅樹斗の足は止まらず、加速する。
真っ直ぐに腐肉の塊を睨み据える。眼の疼きと首筋のチリチリが反転した。
飛んで来る触手の群。
周囲の床に穴を穿つそれらを掻い潜り、魅樹斗は腐塊に肉薄した。
床を蹴る足は止まらない。右手に蒼黒の輝きが収束する。姿勢を低くしながら身を捻り、その場で旋回する。
「じゃまだ――――――」
右手に握られる透き通った無色が美しいギヤマンの直刀。
鍔は無く、大人の背丈ほどの刀身と柄が一体化している静寂の凶器。
一点の曇りも無いその刃が、付加された巨大な遠心力と共に素早く振り回され、銀の双眸が一際輝きを増した。
「どけええええええええええええええええっっっ!!!!!」
斬り裂く。
駆け抜ける。
遠くから響く足音。
残されたのは、静寂。
物言わぬ、数多の武器と、崩れ落ちた銀の全身鎧。