中央改札 交響曲 感想 説明

時の調べ外伝 蠱毒の壷
FOOL


 荒れ果てた大地に一人の少年が倒れている。
 年の頃は13・4歳、といったところか。
 目は半開き、口からは舌が力無く顔を出している。
 どれ位の時をそうやって過ごしているのか、彼の身体には赤い砂がこびりつくように被さっていた。

「…………ぁ」

 少年の口から小さな呻き声が零れる。
 指先が小さく震え、ゆっくりとその手を握り締める。
 軽く頭を振るうと、砂の下から甘栗色の頭髪が顔を出す。

「………………」

 幽鬼のように立ち上がり、辺りを見回す。
 そこは、死の大地という言葉が相応しい場所だった。
 赤い大地は枯れ果て、木々は触れるだけで砂となり、風は自らの身体を心まで冷やす。
 そんな世界を見つめる瞳に小さな光が灯る。
 ゆっくりと、だが確実に生きる意志が宿り、その少年は、この世界での第一歩を踏み出した。








「…ここ、どこだ?」

 呆然と呟きながらも歩を進める少年。

「エンフィールドじゃないし、町の近くにもこんな場所は無いし…」

 現在の状況を理解しようと懸命に頭を回転させるものの、手掛かりが殆ど無い状態では何の答えも導き出せない。

「さっきの場所から動かない方が良かったかな?
 でも、なにかヤバそうな雰囲気だったからな…」

 ぶつぶつと呟きながらも、その歩みを止めようとしない少年。
 彼は恐怖していた。
 この世界は不気味だ。いや、そのような言葉で表す事が出来るほど簡単な世界ではない。


 自分が自分で無くなる感覚。


 自分が自分から離れていく感覚。


 それらが一緒になって彼に襲い掛かって来る。


 それらの感覚を振り払うかのように、周囲の風景へと意識を集中させる。


 変わらぬ風景。


 変わらぬ声。


 変わらぬ音。


 自分は今何をしているのだろう。


 自分は歩いているはずだ。


 本当にそうだろうか?


 走っているのではないか?


 それともスキップでもしているのだろうか?


 すり足かもしれない。


 そもそも移動すらしていないのではないか?


 いや、それ以前に――――



 『自分の足は今何処に在るのだろうか?』



 次の瞬間、酷く怯えた表情で自分の足を叩きだす少年。
 当たり前だが、彼の足はあるべき場所にしっかりと付いていた。

「なんなんだよ、ここ…普通じゃない」

 自分で自分を保てない。このままでは狂ってしまいそうだ。
 そして、少年が再び歩みだそうとした瞬間。一条の光が目の前の空間を薙ぎ斬った。

「くぅぅぅぅぅっ!?」

 爆風に吹き飛ばされながらも、状況を理解しようと周辺の気配を探る。
 すると―――



「なんだ――あれ?」



 少年の眼に飛び込んできたものは―――



「冗談だろ…?」



 口の中に広がる鉄の味―――



「夢じゃ、ないよな。やっぱり」



 飛び散る『力』が全身を打つ―――



「いくら俺でも…泣くぞ。これ」



 少年の瞳に映った物は、互いに傷付け、争い合う異形の者達の姿であった。









 全身から無数の腕を生やした『天使』が吠え、その声が無数の刃となって相手の体を切り刻む。
 両手両足が蛇と化した『悪魔』が、流れ出る血を物ともせずそれを『天使』に喰らい付かせようとするが、三本の腕を噛み千切るのみに終わる。
 『悪魔』が噛み千切った腕を吐き出すと、歪な身体をした『何か』がそれに群がるように集まり、互いに奪い、殺し合う。
 『天使』は激痛に顔を歪めながらも、その腕全てから『力』を解放し、『悪魔』へ叩きつける。
 それに対し『悪魔』は背を向け、翼による防御を行う。

―――着弾。

 『悪魔』の翼は見る影も無くなったが、『天使』の方も相当な力を使ったらしく、かなり疲弊している。
 その隙を逃さず『悪魔』の腕が『天使』を捕らえ―――――

「っ…!!!??」

 食った。
 正確に言えば飲み込んだと言うのが正しいのだろうが。

「…冗談じゃない」


 ここは一体何処だ?


 何故こんな所にいる?


 何故こいつらは殺し合っているんだ!!


 誰か教えてくれよ!!


―――ドクンッ―――


「ううっ、くうっ…!?」


――タタカエ…ウバエ……クラエ――


「ぎゃぐぅぅぅぅっ―――っっっっっつああああああああああああ!!!!!!」


――コロセ――


「ごぎョァァァぁぁぁあああアアあああああああアァァぁっぁぁぁぁぁきょぁぁぁぁああアウアうあうあウゥゥゥゥゥゥあああア!!!」


ころせコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセころせコロセコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせ殺せ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せコロセころせコロセコロセころせコロセころせコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せころせころせコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せコロセころせコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセころせコロセコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセころせコロセころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せころせコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせコロセころせ殺せコロセころせ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せころせコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せコロセころせコロセころせころせ殺せころせ殺せ殺せコロセころせ殺せころせ殺せコロセ殺せころせ殺せコロセころせコロセころせ殺せころせコロセころせ殺せころせ殺せ殺せころせ殺せころせ殺せ殺せころせ殺せコロセころせコロセ殺せころせ殺せコロセころせ殺せコロセ殺せコロセころせコロセ


―――――殺せ!!!


「ビゃがあァアああああアアアあぁぁぁあぃぃいいイぁああアアォああくぅぅゥィイイいいいえええエエェェぇっ!!!!!!!!!」


 少年が最後に見たものは、神々しい輝きを纏った初老の男。
 その男が、とてつもなく『憎い』と思ったのは、一体何故なのだろうか・・・・・





















 いつの間にか気を失っていた少年は、水滴の落ちる音によって眼が覚めた。

「…ここは、洞窟、か?」

 頭が鉛のように重い。吐き気がする。どうしようもなく最悪の目覚めだ。
 エンフィールドにいた頃が数十年前の事の様だ。本当に泣きたくなってくる。

「一体なにがどうなってんだよ…ここは一体何処なんだよぉ…」

「説明しようか?」

 返ってくるとは思わなかった返事に、必要以上に驚く少年。
 すぐに脳裏に浮かんだのは、殺し合う『天使』と『悪魔』。
 身体の震えを恐怖と一緒に抑え込み、精一杯の虚勢を張って誰何の声を上げる。

「……誰だ」

「助けてやったのそれは無いだろう? しかし、よくまともでいられるな」

「なん、だっ、て……助けた…?」

「狂気に支配されていない所を見ると、奴等の精神支配に耐え抜いたようだな」

 暗がりで相手の姿はよく見えないが、危害を加えてくる様子も無い。
 こうしているだけで解る。目の前に居る存在は、自分など小指だけで惨殺できる力を持っている事を。
 手の平に爪が食い込むほどに拳を強く握り、ぐっと顔を上げて真っ直ぐに暗闇を睨みつける。
 折れそうになる心を必死で鼓舞し、屈する事を良しとせぬ少年はただ一つできる行動で抵抗する。

「俺と同じ、『力』の持ち主か…」

「ちから…『力』?」

 そこで相手はもごもごと動き、ゆっくりと少年の視覚範囲内へと侵入してきた。

「―――――――」

「ほう…この姿を見て驚かないとはたいしたもんだ」

 そこに現れたのは、一言で言えば『獣』。
 とはいえ、先程の『天使』や『悪魔』同様、原型は留めておらず、
また、身体中のいたるところに大小様々の無数の傷が出来ている。

「驚いてないわけじゃない……もう感覚が麻痺してるだけだ」

「それでも十分だ。大抵の奴は麻痺する前に発狂しているからな」

 含むような笑いと共に少年の目の前に座り込む『獣』。
 不本意にも反射的に怯えの気配を漏らしてしまった少年が悔しそうに顔を歪め、それを見た獣が更に笑みを深くする。

「ここがどこか…だったな。説明してやってもいいんだが、その前に一つ」

「…………」

「お前は生き延びたいか? 生きて、生きて、最後まで生き延びる事を望むか?」

 突然の奇妙な問い。
 しかし、少年は躊躇いもせずに即答した。

「約束がある。やらなくてはならない事がある。だから、死ねない」

「ほうほう、約束ね…ま、ガキの生きる理由なんてそんなもんか。いいぜ、話してやる」

 そう言うと『獣』は、ふてぶてしい笑みを浮かべた。
 この少年からは多少危うい雰囲気を感じないでもないが、それはこの少年自身の問題だ。
 生き延びれた後に少年自身が考えれば良い。今、この時には関係の無い事だ。
 と自己完結した後に、『獣』はこの世界について語りだした。

「この世界は、一部の『神』と呼ばれる連中が作り出した一種の牢獄だ。
 この世界に連れてこられる者は、その『神』に対抗したり、『神』達が恐れるほどの力を持った連中が殆どでな…
 ま、簡単に言えば、奴らの地位や存在を脅かす可能性を持った存在を閉じ込める為にわざわざこの世界を作ったのさ」

「『神』の地位や存在を脅かす可能性を持った存在…俺が?」

「お前自身が大した力を持っていなくても、両親のどちらかがそういう存在だった。という可能性もある」

「両親が?…確かに、母さんは魔族だったけど……父さんは人間だ」

「ほう。お前の両親の名は?」

「父さんの名前はラクス、母さんの名前はリスティルだよ」

 その名を聞いた瞬間。目の前の『獣』の体が、一瞬「ビクッ!」と震えた。 先程までの余裕たっぷりの態度が一変し、妙にビクついた眼で少年の顔を覗き込んでくる。

「リ、リスティルだと? まさか、『あの』リスティルか!?」

「母さんを知ってるのか?」

「知ってるなんてもんじゃねえ。俺の知る限りで、最凶最悪の魔族だ。
 …そうか、あの女の息子なら、ここに連れて来られるのも頷ける」

 その瞳に小さな恐怖を湛えながらも、納得した表情で何度も頷く『獣』に少年は困惑顔で首を傾げる。 確かに母は常識から逸脱した性格をしていたが、それを除けばただの子煩悩な母親だったのだが。 そして『獣』の怯えを理解できないまま、恐ろしい可能性の一つが少年の思考に浮かんだ。

「母さんが…? っ!! じゃあ、妹もここに連れてこられているって事か!?」

「なんだ、妹がいるのか? まあ安心しろ。今回ここに来たのはお前だけだ。他は誰も来ていない」

「何でそんな事が――」

「俺も長い事ここにいるからな…とにかく、お前の妹はここにはいない。安心しろ」

 完全には納得していない物の、『獣』の煩わしそうな声に抑え込まれる形で不承不承頷く少年。
 それを見て満足そうに頷き、『獣』は話を再開させる。

「この世界は俺達の世界の他に幾つかの世界からも同じような奴らがやってくる。
 『神』達が興味本位で首を突っ込んだ世界の住人だ。突っ込まれた方はたまったもんじゃねえけどな」

「異世界の住人…」

「中には同じ神もいるけどな。そして、この世界で最も重要な事。それは―」

「………」

「この世界そのものが、とてつもなくでかい『蠱毒の壷』だって事だ」

「――蠱毒? 確か、壺の中に毒虫や毒蛇なんかを入れて、
 最後に生き残ったものが最も強い毒を持つっていう呪術だったはず…」

「詳しいな、なら話は早い。そう、ここは蠱毒の壷。
 ここに連れて来られた奴らは、互いに殺し合い、何時果てるともなく戦い…いや、殺し続ける」

「………」

「しかも連れて来られた奴等には『神の声』が聞こえてくる。確実に殺し合いをするようにな。
 お前も聞いただろ? ありがたくも、わざわざこの世界のルールを脳髄に直接叩き込んで教えてくれたあの声を」

 倒れる直前に聞こえて来た『声』がそうなのだろうか?
 だとすれば、何故彼や自分は―――

「ま、時には俺やお前のように、自分の意思を保ったままこの世界に降りてくる奴もいるんだがな」

「自分の、意思…」

「そして、ここにはまともな食い物が無え。ここでの食い物って言うのは」


 『獣』が闇の奥から何かを咥え、放り投げる。


「こういう物の事だ」

「ヒッ…!」

 少年の目の前に置かれた物。
 それは先程、彼の目の前で殺し合いを続けていた『悪魔』の死体であった。
 殺されたばかりらしく、その身体からは今だに血が流れ続けている。

「食え」

「―――え?」

「さっきお前は言ったな。『生きる事を望む』と。ならば食え。
 魔族も、天使も、神も、そして、人ですら食わなければ生きてはいけない。
 …ここは、そういう場所だ」

 少年は、動かなかった。
 動けなかった。
 確かに自分には魔族の血が流れている。
 しかし、今までごく普通の人間として暮らしてきたのだ。
 こういう物を食べる事は――自分自身が、禁忌という境界線を引き、踏み込めなくなる。

「…喰わねえんなら俺がお前を喰う」

 少年に本気だと悟らせる為に放った殺気に少年の肩が大きく振るえた。

「この程度で躊躇するようじゃこの世界では生きていけない。
 今ここで殺してやった方がお前の為だ」

「……ぁ………ぅぁ……」

 幾らかの時間が流れた後、ゆっくりと少年の手が動いていき――肉に触れる寸前で停止した手がカタカタと震え出す。
 直ぐに身体全体に伝染したその震えを何とか抑えようとするが、その努力を嘲笑うように震えは大きくなっていく。
 耳に聞こえるのは心臓の鼓動ではなく、今までになく激しく流れる血流の轟音。
 極度の緊張が額から全身からじっとりと嫌な汗を溢れさせ、視界でパチパチと白い光が点滅する。
 既に少年の精神は限界だった。背後から放たれる殺気に追い立てられるように拳を床に叩きつけて無理矢理震えを止めると、
眼の前の血肉に勢いよく飛びつき、自らの牙を噛み立てた。

「うっ…! ハグ、ムグ、ムシャ……」

「……………」

「ムシャムシャ――ぐっ…!!」

「……………」

「うえぇぇぇぇっ……ゲホッゲホッ…ぐ、ぁ…」

「……………」

「ハグ、バク、ムシャ…」

「…ふん、初めてにしてよく食うな」

 少年は、ひたすらに喰った。
 皮膚を引き裂き、歯を噛み立て、無理矢理肉を噛み切る。
 内臓を噛み千切り、脳漿を啜り、骨すらも噛み砕き、激しい嘔吐感と共に
胃から逆流してきたモノ諸共に自らの胃の中へと放り込む。

「血を無駄に流すなよ。大事な飲み水だ」

 『獣』の無慈悲な言葉に、少年は黙って頷いた。











 少年が『食事』を終えると、『獣』がゆっくりと近づいてきた。

「よくやったな」

「…誉められる事じゃない」

「何を言っている? なら、お前は今まで何を食って生きてきた。
 調理されているかされていないかの違いだろう」

「………」

 少年は沈黙した。
 その理論は滅茶苦茶だった。
 しかし、『獣』の言う事には、特に嫌悪感を抱かなかった。
 なぜか、その事を当然だと、冷静に考える自分がいた。
 これも、母から受け継いだ魔族の血肉に存在する魔族の価値観なのだろうか。
 だとしても、少年は自分を嫌悪した。
 そして、嫌悪しながらも、少年は、この行為を受け入れる事を決めた。
 ただ、生き延びる為だけに―――――

「さて、この世界で生き延びる為の最後の仕上げだ」

 そう言って『獣』がその場に座り込む。
 口調は先程までと大して変わっていなかったが、若干、力強さが失われているようにも思えた。

「……………」

「……………」

 少年と『獣』の視線が交差する。
 『獣』は、先程よりも輝きを失った瞳を少年に向け、少年は、ただ黙って『獣』の瞳を見つめ返した。

「俺を殺せ」

「……………」

 驚きは無かった。
 なぜか、こういう事になるだろうと心のどこかで理解していたのかもしれない。

「この世界は『蠱毒の壷』だ。生き残った者が最強の『毒』…『力』を得る」

「……………」

 感情が消えたかの如く、ただ耳を傾ける少年。
 『獣』もそんな少年の様子に気にかける事無く、淡々と言葉を紡いでいく。

「俺はもうすぐ死ぬ。さっきお前が食った奴に致命傷を喰らってな…後十分持てば良い方だろう」

「……………」

「殺した者が殺された者の力と知識を取り込む。それが、この世界の法則」

「……………」

「そして、取り込んだ者により、その身を変容させていく…お前が見た『天使』や『悪魔』。そして俺のように、な」

「……………」

「今更だが、本気で『ここ』を生き延びるつもりがあるか? 生き延びる事と引き換えに、お前は全く別の生き物になる。
 あらゆる生命の規格から外れた『何か』。『全』世界で唯一人の種族にな。…どうだ?」

 少年は視線を虚ろに彷徨わせ、黙したまま。
 『獣』も答えを急かさず黙して待った。
 一分。二分。三分――『獣』の命が零れていく時間を、ただ黙って向かい合う二人。
 そして五分も経った頃、少年の眼が静かな輝きを取り戻し、口を開いた。

「……一つ、質問が」

「お前を助けた理由か」

 全て解っていると良いたげな『獣』に少年は肯定の意を示す為に頷く。
 『獣』の口の端が釣りあがり、凶暴な牙を剥き出しにする。
 見る者に怯えか恐怖しか与えない醜い『笑顔』。
 その時になって、少年は気付く。
 この『笑顔』は、嫌いではなかった。

「解るだろう? ……殴って来てくれよ。俺の分もよ」

 そのためだけに、自分はお前をこのクソ溜めの底以下の世界で生かすのだから。
 徐々に光が失われていく瞳が、彼の本音を雄弁に語る。
 とても自分勝手で、でも、それも良いと、少年は思った。

「……わかった。貴方の命、俺が喰う」

「――そうか。なら、生き抜け。希望を捨てても良い。絶望に押し潰されても良い。
 狂気に飲み込まれようがどんな存在に変わろうが構うんじゃない。
 だが、絶対に、諦めるな。諦めが、全てを終らせる」

 少年は頷き、『獣』の喉に手をかける。 

「生きろよ」

「……ありが、とう…」

 その感謝の言葉は、一体何に対しての物だったのか。
 それを口にした少年すら、理解してはいなかった――――
















―――――――――――――――――

 少年はその大地に立っていた。
 あの時――『獣』から『力』と『知識』を取り込んだ時から、一体どれほどの時が経ったのだろうか?


    一年?


        十年?


 それとも、あの時から数分しか経ってはいないのだろうか?
 少年の時間の感覚が麻痺して、既に久しい。
 あれから幾度と無く『神の声』が聞こえてきたが、少年は今だその意思を残し、その世界に立っていた。
 今だ人の体を保つ少年は、全身を布で包み込み、大地をさ迷い歩いていた・・・
















――――――――――――――――

 少年の腕が変化した。
 左腕の肘から先が、一回りも二回りも大きくなり、黒い黒曜石のような物で覆われている。
 鋭角的なフォルムを持つその手は、その気になれば人間を簡単に鷲掴みできる程の大きさを持っていた。

――――取り込んだ者により、その身を変容させていく――――

 『獣』に言われた通り、少年の身体は変化した。


 ……まるで騎士の鎧みたいだ……


 それを見た少年は、その程度の感想しか抱かず、
 大してショックも受けずに、今まで通りの生存競争へと帰っていった。
















――――――――――――――――

 今日、少年は初めて負けた。
 左半身の殆どを食い千切られたが、途中で第三者が乱入してくれたおかげで何とか逃げ出せた。
 弱った少年を殺して喰おうと、そこらの岩陰から餓鬼の群が現れる。


 ……逃げるしか、弱者を殺す事しかできないクソ共が……


 それら全てを殺すのは、右腕だけで十分だった。
 少年は餓鬼の隠れ家を制圧し、力の回復に専念した。

 ――――幸い、先程大量の食料を得たばかりでもある。
















――――――――――――――――

 再び、少年を変化が襲った。
 髪が闇に染まり、瞳には炎が宿った。
 背中から六枚の翼が生えた。右腕に二枚の翼が生えた。両足に二枚ずつ、四枚の翼が生えた。

 計、十二枚の雪色の翼――――


 ……つぎノえものハドコダ……


 少年の心は、壊れかけていた。
 壊れかけたその心を支える物は――


 ……ヤク、ソ、クヲ……


 ただ、幼き約束の為に、少年は、少年のままで。
















――――――――――――――――

 少年は強くなっていた。
 この世界に存在する、ありとあらゆるものを超えた力を手に入れていた。
 そして、それに比例するかの如く、少年の心も少しづつ壊れていった。
 そんな少年の紅の瞳に、白銀の輝きが映った。
 殆んど狂気に染まっていた瞳に、ホンの一瞬ではあったが、僅かながら正常な輝きが戻る。
 半ば本能に引き摺られるように、少年は、その白銀を追った。
 そして――


 少年は、少女と出会った――――


 美しい少女だった。
 少年を少女の元へと導いた白銀の輝きは、足元まで伸ばされた少女の銀髪。
 こちらを真っ直ぐに見つめてくる瑠璃色の瞳は、間違いなく、己が意思を持つ存在という証―――







 そして、長きに渡り幾度と無く繰り返される少年と少女の戦いは、今この時から始まった。




























――――――――――――――――

 少年は歓喜していた。
 少女は強かった。少年と同等。もしくはそれ以上に強かった。
 自分の持てる全ての力をもって生み出した火球を少女に放つ。
 強大な熱量により、蒸発を通り越し消滅していく大地。
 少女も同じく、全ての力をもって生み出した氷球を少年に放つ。
 世界の法則を無視したその冷気は、空間そのものを凍てつかせる。
 互いがどれだけ強大な力を放とうとも、それらを全て受け止め、なおかつ返してくれる相手は、今まで誰一人としていなかった。
 少年は何時しか、少女と戦う時を心から待ち望んでいた。
 少女は、少年と共にその力を振えることに、純粋な喜びを感じていた。
 彼らの戦いは、既に人外――いや、神外の戦いへと変わっていった。
 彼らの闘気や魔力に触れるだけで消滅していく一級神。
 放たれた力に消し飛ばされようとも、一瞬のタイムラグも無しに再生する身体。
 少女の腕の一振りで、赤い荒野が赤い砂漠へと変わり、少年が一声吠える度に、その恐怖で幾千万の命が散っていく。
 魔法を放つ度に、その空間に無数の亀裂が入る。
 戦いの余波で死んで行く者達の力を取り込み、さらに、互いにぶつかり合う事で、その力を更なる高みへと昇華させて行く二人。
 二人は正しく、この世界で『最も強い毒』だった。





 二人は、この世界を好きになり始めていた。
 なぜなら、自分達がいた世界では、この力の億分の一も使えば、全てが消えることを知っていたから。






























――――――――――――――――

 終わりは唐突にやってきた。
 いつもの如く、少年と少女は戦っていた。
 そして、互いが誇る最大最強の攻撃をぶつけ合った、その瞬間―――









 キィィィィィィ――――――――――――カァンッ――――









 ―――『神』ガ作ッタ蠱毒ノ壷ガ、音ヲ立テテ崩レテイッタ―――















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中央改札 交響曲 感想 説明