桜通りの一角に一軒の喫茶店がある。
喫茶店『リフレクト・ティア』
何時の頃からかひっそりと営業が開始されたこの店は客足が遠いくせに不思議と潰れる事も無く二十年以上も営業を続けていた。
最近ではとある時間帯に多数の若者が足を運ぶようになったものの、基本的に閑古鳥が鳴き続けている店である。
そんな店のドアが明るい少女の声と共に勢いよく開かれた。
「やっほーレニスさーん、遊びに来たよー」
「帰れ」
「早っ」
客商売にあるまじき対応をしたのはこの店のマスターであるレニス=A=エルフェイム。
一応その身を包む服装は喫茶店のマスターらしい物ではあるが、顔に浮かぶ表情には覇気と言う物が全く感じられない。
早い話が無気力。やる気ゼロ。お前の生き甲斐は何だと小一時間問い詰めたくなるほどにだらけていた。
口に咥えた火の着いていないパイプと鼻にかかっているだけの色付き伊達眼鏡が更にそのイメージを増大させている。
しかしながらこの男、四十路に手が届く年齢の筈だが彼の妹であるアリサ=アスティア共々妙に若々しい。
しっかりと身嗜みを整えれば二十台でも通じるほどだ。
ちなみに未婚である。
「オレンジジュース一つね」
「帰れと言ったぞトリーシャ。そろそろ忙しくなる」
「良いじゃないかー。忙しくなったってレニスさん働かないんだから」
「何時の世にも建前と言うものは必要なんだ」
「むー。そんなだからお客さん来ないんだよ。店長以外の店のレベルは凄く高いのに」
勿体無い。そう付け足してずかずかとカウンターに入り込み勝手にグラスを取り出してジュースを注ぎ始めるトリーシャ。
動きに何ら躊躇いや戸惑いが無い事からコレがいつもの事なのだと窺える。
特に咎める気も無いのかレニスは咥えたパイプをひょこひょこ揺らしながら開いていた新聞を閉じた。
「別に来なくても良いんだよ。元々俺の道楽の為だけに作った自己満足の店だからな」
「……それは多少なりと働いてる人間の台詞じゃないの?」
「馬鹿野郎お前らの人生相談で忙しいんだよ。この前はシーラが留学するかしないかで相談に来てその前はクリスが由羅に気に入られて困ってるとかで相談に来たし更にその前は自作小説の作成が上手くいかなくなったシェリルがスランプ脱出の相談に来るしつい数時間前にはアレフのバカが眼を付けた女の口説き方を相談に来たりと何だかんだで鬱陶しいぐらいに忙しい上になんかイベントがあれば必ずと言っていい程高い確率で親世代連中から引率役をやるように脅迫されるんだ何が悲しくて他人の子供の面倒見なきゃならんのだ俺の平穏な日常返しやがれバカヤロー」
「ダメだよレニスさん、そんなこと言っちゃあ。皆に好かれてる証拠だよ」
「この前の誕生日に『お父さんのバカ〜ッ』とか叫んで雷鳴山の山頂までランナウェイして人様を探索に参加させたあげく見つけたと思ったらレッサードラゴンなんつーバケモノとエンカウントしてた奴に言われたくない。リカルド来なかったら死人が出たぞ」
「だってレニスさん結局最後まで付き合ってくれるし。皆頼りやすいんだよ」
「そういう人生相談はアリサやカッセルにしろっての」
それ以前にここは喫茶店なんだコンチクショウとか愚痴るレニスだが、それなら客の注文した飲み物ぐらいさっさと出してもらいたいものである。
「ふー、ジュースとか飲み物関係の味はやっぱりこの店が一番だよねー」
「実は人の話聞いてないだろトリーシャ」
「レニスさんモンブラン置いてある?」
「金払え」
「この店の一番素晴らしい所はアリサさんお手製のケーキが常に備蓄されてることだよね〜♪」
店主の苦情を完全に無視してとっても御機嫌な様子でモンブランを口に運ぶ。至福の表情だった。
「ああ、このほのかな甘味がまた……」
「それ作ったの俺だぞ」
―――――――
「致死量食べちゃったよお〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
「ハッハッハッ、まあそう誉めるな」
トリーシャの全身に戦慄が走る。
レニスの手料理。それがどのようなものなのか知らない者はこの街にはいなかった。
『呪われた料理』『今世紀最大の拷問器具』『マッスルジジイも幽体離脱』
様々な悪名を轟かすそれは見た目はとても美味しそうな『形状』と『臭気』をしていながらもそのとてつもない味で味覚のみならず精神や全神経系に多大なダメージを与えることで知られている。
まず口に入れた時点で小手調べと言わんばかりに激痛でしかない刺激が口内を汚染し、その直後に吐き気を催すほどの甘味がブレストファイヤー。それと重なって舌が捻り切られんばかりの酸っぱさがラインダンスを踊りつつ口内闊歩し、鉄棒大車輪の如き絶殺級の苦味が胃の中へと落ちて逝く。
不味いの極地。いや、『不味い』という言葉は食べ物に対して当てはまる言葉なのでこの表現は的確ではない。
しかも極めつけは一口でも食べてしまうと自分の意思に反してその料理を完食するまで腕が動き続ける事だった。
このタベモノを食したことがある某大衆食堂店主と某有名指揮者は語る。
『あれは生命体の食せる有機物質じゃねえ』『絶対白い粉使ってやがる』
と。
「――――あれ? でも、普通に凄く美味しい? あ、そっか、フェイントか」
「俺は親世代にはともかくお前らの世代には嘘を吐いた事は無いぞ」
「―――――お父さん、ゴメンナサイ。お父さんよりも先に川向こうへ逝かされる親不孝なボクを許してください。
ああ、きっとこれは新型なんだ。時間差でダメージが来るんだ。至福の時間が長ければ長いだけその反動が――――」
「大丈夫だ。それは普通に作った奴だから」
なにやら聞き捨てならない台詞をのたまう喫茶店の無気力マスター。
ギギギと音を立てながら首を回し、ジト眼で睨むトリーシャに対しいけしゃあしゃあと
「まさかまともに作ってあんな料理が出来るとでも本気で思ってたのか? もう少し常識を考えろよ」
「……じゃあ、今までの、アレはナニ?」
「俺の手料理を見て慌てふためく愚民どもを高みから見下し嘲う為だ」
「わっ、この人鬼畜生の外道だよっ。サイテー」
「最高の賛辞だな」
トリーシャの非難もなんのその。伊達眼鏡を指で持ち上げながらニヒルに笑う。
なんと言うか、妙に退廃的な雰囲気や仕草の似合う男だ。
「でもそんなことボクに話してもいいの? みんなに言っちゃうよ?」
「今までのお前の無銭飲食代の総額を知りたいのか?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
何時の間にやら弱味をガッチリ握られているトリーシャだった。自業自得だが。
トリーシャがモンブランを食べ終えて数分後。
レニスとトリーシャの他愛無い雑談タイムは一人の乱入者によって打ち砕かれた。
「レニスうっ!! 今日こそは貴様に勝ってア、アアア、ア、アリサ、さん、と……ォォォオオオオオオオオオオオッッ!!!!」
アルベルト=コーレイン。レニスの妹アリサに思慕の念を抱いている自警団第一部隊に所属する若者である。
槍を扱わせればこのエンフィールドに並ぶもの無しと言われる猛者ではあるが、若さと生来の性格ゆえか冷静さに欠けるところがあり実力の何割かをそのせいで無駄にしていると言う改善点抱えまくりしかし将来は非常に有望な熱血青年だ。
しかしその将来有望な青年は現在鼻息も荒く、見開いた眼を血走らせて肩を大きく上下させるという関わりたくない人の条件を見事に揃えている状態だった。
「今日はいきなりテンパってるなこの男」
「三日連続徹夜なんだって。最近第一部隊忙しいみたいだよ。お父さんなんか四日も帰ってきてないし」
「そんな状態で来るなよイノシシ」
店内にずかずかと押し入ってくるアルベルト。
その後ろからは既にこの店の名物にもなってしまったこの激突を見物しようと結構な数の人間が客と称して流れ込んできたりする。
「あーダルい。トリーシャ、ウエイトレスのバイトする気ないか? 月給1000Gで」
「うっ、とても心惹かれる条件だけど……家の事もあるし、この状況を捌ききる自信も無いから止めとく」
「ろくに注文もしないくせに野次ばっか飛ばすんだよなこいつら。何とかならんもんかね?」
「でも一応繁盛してるって事にはなるんだよね」
「見た目はな」
「何時の世にも建前は必要なんでしょ?」
「む。一本取られたか。やるなトリーシャ」
「くぉらあっ!! 人の話を聞けレニスゥゥゥゥゥッ!!!!」
徹夜明けでテンパった状態のアルベルトがバンバンとテーブルを叩きながら声を荒げる。
この激突が何度目になるのかは忘れたが、確か始まりはレニスがアルベルトの想い人を知った時に
『アリサを口説きたきゃ俺を倒してからにするんだな』
と冗談交じりに言ったのが切っ掛けだったりする。
その日の内に勝負を挑みあっさり完敗。その後アルベルトはほぼ毎日のようにこの店に通うようになった。
なお、レニスはあくまでも『口説く』のを許すのであって『交際』を許す訳ではないという事実に気付いていないのはアルベルトただ一人である。
「まあまあ落ち着いてアルベルトさん」
「ああ、まあ水の一杯でも飲んで頭を冷やせ」
「何を言ってやがる! 俺は今日こそお前を倒し、アリサさんと、アリサさんとっ」
「はいはい、そんな状態で俺に勝とうなんざ千年早い。俺に勝ってアリサを口説くんだろ?」
「む……むむむ、まあ、そこまで言うのなら……」
流石に寝不足が足に来ているのに気付いたのか、躊躇しながらもレニスが差し出した水を一気に飲み干す。
――数秒後。大きな鼾を上げて眠りこける大男の姿があった。
「ふっ、他愛無い。おらそこのギャラリーAとB、この木偶の棒を外に放り出しとけ」
「あーあ、つまんね。こんな簡単な手に引っ掛かりやがって」
「流石のアルベルトも睡眠不足には勝てんか……」
レニスに命じられたギャラリーの二人はブチブチ言いながらも手際良くアルベルトを抱えて店の外へと運んでいき、その後に続くように他のギャラリーたちも店を後にする。
いつもはもう少し派手なのになーとか相変わらずの卑怯っぷりだなとか色々ツッコミ所のある言葉が交わされているが聞かぬが花である。
「レニスさんって睡眠薬常備してるの?」
「いや、永眠薬だが」
「またまた〜冗談ばっか」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……ちなみにこれが解毒剤」
「アルベルトさぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!!」
「五分以内に飲ませないと後遺症残るからなー」
微妙にリアルな忠告をその背に受けて、トリーシャは喫茶店『リフレクト・ティア』を飛び出していくのだった。