「……これは新手の嫌がらせか?」
その日のエンフィールドは記録的な暴風雨に曝されていた。
少し外に出ればあっと言う間に吹き飛ばされそうな凶風が吹き荒れ、黒雲の隙間からは激しい稲光。
銃弾のような豪雨と強風により色々な物が飛び交う外を歩くなど自殺行為でしかない。
しかし、先のレニスの言葉は現在の天候に対して向けられたものではなかった。
「なんで店の裏に天使が倒れてるのかね?」
風に飛ばされた石で裏のガラスが割られたのが先程の事。
放って置くわけにも行かないので様子を見に来て発見という次第である。
眼の前に倒れている背中に純白の翼を背負う少女を見て予測される面倒事を嘆きつつレニスは悪天を見上げた。
来ている衣服は当然ずぶ濡れ泥まみれなうえにボロボロ。
全身様々な場所に大小の怪我を負い、滲んだ血は降り注ぐ雨と混じり合い流れていく。
長く美しい蒼銀の髪が泥の中で輝き陶器の様に白い肌を雨と血と泥が汚していくのをレニスは無感動な瞳で眺めている。
命に関わるような怪我は無さそうだがこのまま放って置けば死なないまでも目も当てられない事体になるのは明白だった。
「………ま、今日ぐらいは人助けをするのも良いだろうさ」
友人の娘と同年代であろう少女を抱き上げてその身体が想像以上に軽い事に驚いた。
もしかしたら見た目以上に酷い状態なのかもしれない。
明日は晴れると良いなと思いつつ、レニスはゆっくりと店の中へ戻って行った。
(寒くない……)
少女が意識を取り戻した時、最初に思ったのはそれだけだった。
暴風と共に降り注ぐ大粒の雨がガチャガチャと窓を殴りつけ、その音に誘われた不快感にゆっくりと意識が覚醒していく。
彼女が居たのは見知らぬ部屋だった。正確にはその部屋に置かれた暖かなベッドの中。
「確か……雨が降って…翼が、落ちていって……」
そこまで思い出して少女は僅かに動かした腕に軽い痛みを感じた。
持ち上げて見ると腕には丁寧に包帯が巻いてあった。
少女は先ほどから全身に何かが巻かれている感覚を覚えていたがその正体を理解する。
「どうなって……」
身体を起こしてみた。痛みはあるが我慢できないほどではない。
途端背中がひんやりとした外気にさらされた。
今彼女が着ているのは見覚えの無い男物の寝間着だったがその背中が見事に切り裂かれている。
背中の翼を考慮した結果なのだろうが、一体誰が自分を着替えさせたのだろうか?
少女が僅かな疑問を抱くと同時に部屋のドアが開く音がする。
目を向けるとそこには一人の男が立っていた。
「ん、起きたのか」
「あの、貴方は……」
男――レニスは鼻に引っ掛かっているだけの伊達眼鏡を押し上げぼんやりとした表情をする。
こういう時に最初にする質問というのは誰でも同じなのかと奇妙な感慨を抱きつつも持っていた服を少女の膝の上に放る。
「俺はレニス=A=エルフェイム。ここ喫茶店『リフレクト・ティア』の店長やってる。――ああ、名乗るのは後でいい。とりあえずはだ」
「はい」
「翼」
「――え?」
「収められないか? 有翼人の服は持っていないから、もし出来ないならその服も破かなければならないんだが」
その言葉に少女は自分の着ている寝間着に視線を落とした。
少女の態度に怪訝な表情をしたレニスだが、すぐに「ああ」と納得し
「すまないな。悪いとは思ったが、この家には俺しか居ないし、流石にあの状態で放って置けるほど楽観視出来なかった。外はああだから人も呼べないし」
「いえ、それはいいんです。不可抗力だって解ってますから。それと翼の方は大丈夫です。収める事は出来ます」
意外にも落ち着いた声で答え、そのまま背に広がっていた翼を魔法を使ったかのように消し去る少女。
もう少し不安そうな表情でも浮かべると思っていたレニスは少し拍子抜けしたようだが、すぐにそこらの女の子とは違うのかと考えを少し改めた。
「それより私のほうこそ申し訳ありません。助けて頂いた上に私の為にこの服をダメにしてしまったみたいで。名乗り遅れましたが、私は……フィリエル。フィリエル=ラーキュリーと申します」
少女は名乗る直前に僅かに苦しそうに表情を歪めたが次の瞬間には何事も無かったようにレニスに頭を下げた。
しかし天使の少女、フィリエルが顔を上げた先に立つレニスは何も言葉を発さずに何事かを考えるよう腕を組み、右拳を口に押し当てていた。
伊達眼鏡に当たる光加減で表情は窺えないが、レニスは困惑するフィリエルそっちのけでさらに深い思考の海へと沈んでいく。
フィリエルが僅かな不安を覚え始めた頃、レニスはようやく思考を止め顔を上げて大きく溜息を吐いた。
何かを諦めたかのような、どうでも良くなったかのような投げ遣りな態度にフィリエルの困惑は更に大きくなる。
そんな彼女の混乱を他所にレニスは普段以上に無気力な声で
「いつまでも破れた服じゃ何だろう。サイズは合わないだろうがその服に着替えてくれ。今食べる物でも持って来る」
そう言い残して部屋から出て行った。
フィリエルは暫らくの間雨音を聞きながらその扉を見詰めていたが、ふと我に返り先ほどレニスに渡された服を手に取った。
そして気付いた。その服がおそらく一度も袖を通していない物なのだと。
視線を落としてよく見れば、今来ている寝間着も背中が引き裂かれている以外は新品同様の品である。
「――クス」
この小さな気遣いと先ほどのレニスのイメージが重ならず、それが何だか可笑しかった。
沈んでいた心が少し軽くなった気がした。
作っておいたスープを温めながら、レニスは窓の向こうに広がる黒雲を見詰めていた。
「空の怯えはまだ収まらないか。この様子だと二・三日は荒れるな」
手は打っているのでそんなに酷い被害は出ないと思うが、皆無というわけにもいかないだろう。
しかし、それにしても気になるのは――
「――エンフィールド周辺、いやこの地方全ての精霊が混乱しかけている。近くででかい存在同士がぶつかり合ったか?」
真っ先に思い浮かんだのは純白の翼を背負う少女だったが、検証するまでも無く彼女は白だった。
なぜならこの現象は現在進行形で発生しているのだから。
流石に全くの無関係とは思えないが、それだけの関係である可能性が一番高かった。
「……まあ、いい。余波が来ただけなら取り立てて騒ぐ必要も無いしな」
結局事なかれ主義の答えに落ち着いたレニスはスープが温まったのを確認し食器を棚から取り出した。
「とりあえずは《フィリエル》か」
覇気の無い声に、僅かな不快感が混じっていた。
「んで、この嵐の原因は何だ?」
食事を終えたばかりのフィリエルに直球ストレートど真ん中で質問するレニス。
フィリエルがこの嵐と無関係という可能性もある。しかし、レニスはある種の確信を持って彼女と相対していた。
レニスに深く追求する気が無いのはどうでも良さそうに椅子に座る態度から察せられる。
このまま否定したとしても彼はきっと何も言わない。
ただ一言、「そうか」とだけ言って終らせるだろう。
だが、
「恐らく、私の仕えていた神と魔族の戦いが原因です。」
彼女は、偽りを口にしなかった。
レニスは黙したまま炎と風と光を招いた。
握り拳大の光球が薄暗くなっていた室内を照らし、温かな風が肌寒さを排除していく。
「魔族の襲撃は突然でした。目的は……」
フィリエルが語り始めた神と魔の戦いをレニスは無情にも聞き流していた。
簡単な原因が知りたかっただけの、簡単な好奇心から出た質問だ。そんな細かな事情や出来事などどうでも良かった。
彼女の方もそれは気付いていた。レニスが自分の話をまともに聞いていない事は少し意識を向ければ解る。
それでも彼女は語り続けた。
そうでもしなければ、自分は見っとも無く取り乱してしまうかもしれなかったから。
自分の中に燻っている感情に押し流されそうで、とても恐ろしかった。
レニスは黙って聞き続けた。
不満、猜疑、苛立ち、自己嫌悪、安堵、憤激、失望、『事情説明』の名を借りた感情の吐露。
その先にある彼女の不安に、僅かな興味が沸いていた。
そして、彼女の言葉に耳を傾けて数分後――
「――私は、主を、『護りませんでした』」
「…………」
「『護れなかった』のなら、まだ、諦めもつくのに……私は、『護らなかった』…主よりも、魔族の方が正しいと、そう思ってしまった」
そのままフィリエルは黙り込む。
レニスは何も言わずに伊達眼鏡を押し上げた。
暫らくして
「リンゴ食うか?」
「……え?」
「ほれ。産地直送だから美味いぞ」
無気力な顔にどこか誇らしげな気配を漂わせフィリエルの眼の前に皿を突き出すレニス。
突き出された皿の上ではわざわざウサギ型に切り分けられたリンゴが可愛らしく整列していた。
「あの…えっと……」
「む? 遠慮するな。さくら亭の倉庫からガメて来たから俺の懐も痛くない」
「…じゃあ、頂きます」
突然の展開に戸惑いつつもリンゴを受け取るフィリエルの横でレニスは左の手の平を上に向ける。
すると中空に突然もう一つのリンゴが出現しストンとレニスの手の中に収まった。
「魔法、お得意なのですか?」
「本職の魔法使いよりも魔法使いらしいと近所の奥様お子様方からも評判なのだよ」
”ふふふ”と笑うレニスが指を上に向けクルリと一回転させると空のコーヒーカップの真上に光の輪が出現し、その中央からコポコポと黒い液体が注がれる。
「ミルクと砂糖は?」
「お願いします」
光の輪がクルリと反転してミルクを注ぎ、もう一度反転して次は砂糖が少々。
見る者を楽しませる、まるで童話の中の魔法使いが使うような魔法。
レニスが狙っていたのかどうかは定かではないが、フィリエルの荒立っていた感情の波は嘘のように穏やかになっていた。
「今じゃすっかり勘違いされている節があるが」
リンゴを食べ終え、二人でコーヒーを飲んでいるとき唐突にレニスが口を開いた。
「本来の天使の役目と司っている物って、何だか知ってるか?」
「役目は『神の守護』。司るのは『秩序』です」
目覚めてから何度目かの困惑の後、フィリエルは淀み無く言い切った。
しかしレニスは首を横に振り
「全く違う。天使本来の役目は『世界の安定』。司るものは『守護』と『維持』だ。ついでに言えば魔族の役目は『混沌の顕現』。司っているのは『破壊』と『変革』。ゆえに両者は敵対するのがほとんどだ。とは言うものの、ここ数千年の間に両者共にその特性が薄れてきたみたいだな。特に本来の役目から離れた行動が多くなった。一番の原因は人間だろうが」
スラスラとフィリエルの知りえなかった真実を語りながらレニスはポケットからパイプを取り出して口に運んだ。
火は着けない様だがパイプを咥えたままで話せるのだろうかとフィリエルは多少ずれた事を考えていた。
しかしフィリエルの心配は杞憂に終る。
「人間は他の知的生命に対しても『自由』である事を求めようとする傾向がある。全員が全員そうではないし一概にそれが悪いとも言えないが『自由』元々人間にのみ許された特権であり―――――と、話がずれたな。スマン、俺の悪い癖だ」
「いえ。構いません」
聞き手であるフィリエルに無言で先を促されレニスは頷く。
「――そして自由に動き回る天使や魔族が増えた結果、神の絶対数が増えた」
「増えた…? 神が、ですか……?」
「あんなのただの一種族だ。しかも天使や魔族の代理。量より質だから固体の能力は圧倒的だがな。こちらのほうも最近勘違いしだす馬鹿が増えてきている。いや、大多数がそうか? 真面目に頑張ってる神なんて土着の神や上位のホンの一部だけだし。そもそも自分達で天使や魔族を配下に置くってのがそもそもの間違いなんだ。むしろ逆だ逆」
なんだか愚痴が混じってきたが、それでもフィリエルはレニスの話に耳を傾けていた。
話の内容は半信半疑だが、彼女はこの男の話の続きを知りたいと強く思う。
「少し最初に戻ろうか。天使の司るものは『守護』と『維持』。これは覚えているな?」
「はい」
「さっきお前は主である神を『護らなかった』と言った」
「……はい」
「その答えは簡単だ。お前がその神を『守護』すべき対象として見ていなかったのと、お前が何も『維持』する事を望んでいなかったからだ。無価値だったんだ。その神も、自分の居場所もな」
――――ガツンと来た。脳をハンマーで叩かれたような衝撃。
レニスの言葉を、否定する事が出来ない。
「もう解っていると思うが、天使が神を守護する必然は無い。天使が『守護』するものはそれこそ多岐に渡る。個人、国、建築物、場所、概念、財宝、彼等は自ら守護するものを選び全てをかけて守り抜く。当然その結果神を守護する者も出るだろう。だが、それは全て自らの目で見て、考えて、決めたことだ。――お前はどうなんだ半人前の天使よ。お前には、全てをかけて護りたいものが在るのか」
「……貴方には、在ると言うのですか…?」
悔しかった。怒りが湧いた。
眼の前で偉そうに講釈を垂れる男が。
何一つ考える事をせず流されるままだった自分が。
だからこその、悔し紛れの問いだったのに。
「妹だ」
強い意志のこもった言葉が、フィリエルの胸に突き刺さった。
「……今日はもう寝ろ。これからの事はその後にでも考えればいい」
レニスが立ち上がる。
フィリエルは俯いたまま何も語らない。
神と魔の戦いは続く。町の外に稲妻を内包する竜巻が見えた。
これは大きな被害が出るかもしれない。嘆息し、レニスが部屋から出ようと扉に手をかけた。
「っ……ぁああっ!」
背後で起こった苦悶の声に振り向くと苦痛に耐えるように頭を抱えるフィリエルの姿があった。
レニスの表情が驚愕に染まり、すぐにそれは焦りに変わる。
「馬鹿なっ、この程度で発動するのか。とんだ臆病者だ…!!」
吐き捨てるように呟きフィリエルに駆け寄る。しかし、その直前に何かに大きく弾き飛ばされた。
痛みに顔を顰めつつ身体を起こす。そこで、レニスは在りえないものを見た。
彼女の衣服を突き破り広げられた神々しくも美しい奇跡の欠片。
「三対六枚の翼……熾天使(セラフィム)だと? ここまで強く物質化出来るなど大天使(アークエンジェル)級でなければって、そんな事はどうでもいい!」
二枚の翼がフィリエルの顔を覆うように閉じられもう二枚が身体を覆うように閉じられた。
レニスは勢い良く立ち上がり床を蹴った。
残りの二枚の翼でゆっくりと浮上を始めたフィリエルに取り付くと顔を覆う翼を力ずくで抉じ開ける。
見えたフィリエルの顔、その額には禍々しい光を放つ呪印が輝いていた。
「起きろっ!!」
叩きつけるように自分の額をフィリエルの額に重ね合わせる。
その衝撃で意識を取り戻したのか小さくう呻き声を上げながらフィリエルが眼を開ける。
「れ、にす、さ、ん……いや…なに……こ、れ、きえる……わたしが…き、え」
「聞こえるな? そのまま己を見失うなよ――」
フィリエルの意識が残っている事を確認すると翼を押し退ける手を離し彼女の背中と後頭部に回す。
至近距離で合わさる彼女の瞳は焦点が合っておらず、突然の事態に対する恐怖と混乱がそれに拍車をかける。
しかしその中には諦めは無かった。それに抗おうとする強靭な意志の輝きを見つけたレニスは不謹慎ながらも微かな笑みを浮かべた。
こういう相手は嫌いではなかった。本当に助け甲斐がある。
「レニス=アークライト=エルフェイムの名の元に命ずる。誇り高き極卒よ 我が魔性の血肉と禁忌の真名の元 不当なる戒め砕き断ち斬る解放の矢を放て その行為は百万の囚奴に羨望と希望とそれを上回る絶望を刻む!!」
合わされた額を通じてフィリエルの中に何かが入ってくる。
ビクンと身体が痙攣を起こすが回された腕がしっかりと彼女を押さえ込んでいた。
自分を消し去ろうとする何かと流し込まれる異物による大きな不快感嘔吐感。
彼女の意識が限界に近付いてきた、その時。
「砕け散れ《フィリエル》」
その言葉を最後に、彼女の意識は閉じた。
嵐が過ぎ去り雲一つ無い晴天に恵まれたエンフィールド。
その中に走るさくら通りをトリーシャ=フォスターは上機嫌で歩いていた。
元来アウトドア派の性格の彼女が天災とは言え家に押し込まれて愉快な筈も無く、眩い青空と心地良い微風をその身に受けて「我が世の春が来たぁっ!!」と言わんばかりに家を飛び出したのが四時間前。
今は思う存分に身体を動かすついでに知り合いの安否の確認に回っている所であった。
一通り回り終えた友人達に大した怪我も無く一安心した所で喉の渇きを覚えた。
ならば行く所は決まっている。飲み物ならばあの喫茶店。
ダメダメマスターが経営する不思議喫茶店『リフレクト・ティア』。
「やっほーレニスさーん、生きてるー?」
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「ごめんなさい、間違えました」
バタンと店のドアを閉じる。
いやいや、自分も焼が回ったものだ。まさか行き付けの店を間違えるなんて。
ハハハと笑いながら店の看板を見上げる。
そこには簡素だがセンスの良いデザインで『喫茶店リフレクト・ティア』の十一文字が。
おおいつの間に自分は移動したのか。
夢遊病者の気でもあったかなーアハハハハと内心爆笑しながら店のドアを開ける。
「やっほーレニスさーん、生命活動行なってるー?」
「帰れ」
客商売にあるまじき対応が来た。
何時も通りのダメダメマスター節にちょっと安心。
「もー相変わらずだなあ。わざわざボクがレニスさんの安否を気にして様子を見に来て上げたって言うのに」
「俺はあの嵐の中お前が外に飛び出さなかったかの方が心配だが」
「う゛」
実はレニスのツッコミ通り外に飛び出ようとしたのだが風が強すぎて扉が開かなかったのである。
その時ここまで強い風が吹いているのに何故建物が無事なのだろうと不思議に思ったものだが今はそんな事は思考の片隅にも無かった。
「いらっしゃいませ。御注文はお決まりですか?」
「えっとクリームソーダとチーズケーキお願いします」
「御注文承りました。少々お待ちください」
花開くような輝く笑顔とともにウエイトレスが一礼しカウンターの向こうに消えていく。
その後姿を見送ったトリーシャはレニスとの会話を再開させようと口を開き――
「――えええええええええええええええええええっっっっ!!!!!????」
絶叫した。
「レ、レニスさん! あんな綺麗な人どこから誘拐してきたの!? 今自首するならまだ罪は軽いよ!?」
「裏口の傍に落ちててな。拾ったんだ」
「ネコババも立派な犯罪だよ。エンフィールドの守護神一撃の王者リカルド=フォスターの一人娘として犯罪を見逃す何てボクには出来ないっ!」
「フッ、落し主が居ないんだ。とゆーわけで落し物は拾い主であるこの俺の物という事になる」
「ああっ、前々から鬼畜外道な人だと思ってたけど人身売買に手を染めるなんて……見損なったよ」
「ふむ、それは申し訳無い。で、そろそろ現実を見詰める気はないか?」
「それはボクに死ねって言うのと同義だよっ」
「お待たせ致しました。クリームソーダとチーズケーキ、御注文の品は以上でよろしいですか?」
「あ、はい」
何時の間にか戻ってきていたウエイトレスがトリーシャの前にクリームソーダとチーズケーキを置きニッコリと微笑む。
その微笑みに見惚れ、今までの錯乱振りが嘘のように大人しくなるトリーシャ。
その様を見てレニスがクックックッと笑っていたがそんな事に構っている余裕は無かった。
膝裏まで伸びる艶やかな蒼銀の髪、陶器のようにきめ細かな白い肌。
ウエイトレスの制服の上からでもわかる見事なラインを描く女性らしい曲線。
顔の造形に至っては言葉にする事すら彼女に対する冒涜に等しいと感じられた。
ここまで来ると同姓としての嫉妬の念など浮かぼう筈も無い。ただただ感嘆するのみだ。
「フィリア。こいつはここの常連兼寄生虫のトリーシャだ」
レニスの随分な紹介にもトリーシャは無反応だった。
ウエイトレスはそんなトリーシャに向かって深々と頭を下げ
「今日からここに住み込みで働く事になりましたフィリア=ラーキュリーと申します。よろしくお願いしますねトリーシャさん」
先ほどの営業用とは別の笑顔を浮かべた。
嘘偽りの無い、心の奥からの本当の微笑みを。
それを見てトリーシャは驚くべき速度でクリームソーダとチーズケーキを平らげる。
そして音を立てて立ち上がり一気に店のドアまで駆け寄り立ち止まり顔だけをレニスのほうに向けた。
「……レニスさん。ボクには重大な使命ができたよ」
「お手柔らかにな」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
諦め気味のレニスの声と心地良いフィリアの声に見送られ、トリーシャはエンフィールドの街へと飛び出した。
さあ、超特急光の速さでみんなに言いふらさなければ。