その日リフレクト・ティアにやって来た女性客を見た瞬間、フィリアは全身を緊張させた。
「っ魔族!?」
「なぜ天使がこの店に!?」
「はいそこまで」
今にも武器を取り出して戦闘を開始しようとする両者の間に間一髪でレニスが介入する。
女性二人のどことなく不満そうな、説明を求める視線は伊達眼鏡でシャットアウト。
そのまま女性客の方を向き、その口から親しみの籠もった声を発す。
「半年振りか。久しぶりだなリーン」
「はい。レニス様には御機嫌麗しく…リーン・ディアグランゼ、参上いたしました」
「ん。まあ茶でも飲んでけ」
一瞬だけフィリアを睨みつけ、しかしすぐに表情を元に戻し優雅に一礼する魔族の女性リーン。
黒髪を肩の辺りで切り揃えた気品溢れる美女であり、黒いドレスを一部の隙も無く着こなしている。
彼女はフィリアの横を通り過ぎる際に挑発するような流し目を送り、そのままカウンターの方へと向かって先程まで唯一の客であったトリーシャと仲良さそうに挨拶を交わす。
「あ、久しぶりリーンさん。元気だった?」
「ええ。トリーシャちゃんもお元気そうで」
フィリアから痛いほどに視線が突き刺さってくるが再度スルー。
ダメダメマスター自らが淹れた紅茶がリーンの前で美味しそうな香りを周囲に放つ。
「珍しいですねマスター」
「同じく、声が刺々しいぞ」
「いえべつに。優しいんだなあと思いまして」
「あら。虎の威を借りなくなった野良天使と魔界の貴婦人たるわたくしとでは…当然の差ではありませんこと?」
「ふんっ。優越種面していつも足元すくわれるような間抜けな種族に言われたくありません」
―――ガタン
立ち上がったリーン。真っ向から相対するフィリア。
とりあえず安全区域まで退避するレニスとトリーシャ。
蛇とマングース。犬と猿。キツネとたぬきな二人(バックに炎と雷鳴標準装備)。
ポップコーンとコーラ片手に野次馬根性丸出しな馬鹿二人(メガホン、鉢巻、半被標準装備)。
とりあえず、応援装備一式がなぜ白と黒の縦縞模様なのかを小一ヶ月問い詰めたい。
「ご主人様からの命令が無ければ何もできない木偶の坊が何か仰いまして…?」
「自由と身勝手を履き違えてそれに気付かない思考能力ゼロの貴女には理解できませんでしたか?」
「ホホホホホホホ」
「フフフフフフフ」
弾ける火花。舞い散る火の粉。
「こ、怖い。怖いよレニスさん。本気で起こったお父さんより怖いよ」
「む。実は俺もちょっぴり怖いかなーとか。この二人絶対仲悪いだろうから会わせたくなかったんだが」
「それよりもフィリアさんが天使ってホント?」
「秘密だぞ。ただでさえ魔術師組合から睨まれてるんだ。これ以上鬱陶しい制約は受けたくない」
『母親』が『アレ』なのだ。
子供の頃から殺意を抱くほどに干渉してきたと言うのに、この上更に居候している少女が天使と知れた日には……
トリーシャもその事は一応知っていたので黙って頷いた。
「それでレニスさん。あの二人どっちが勝つと思う?」
ワクワクと期待に眼を輝かせながら問うトリーシャ。
レニスは一秒にも満たぬ速度で即答した。
「フィリアだな」
「ええっ!? そっ、そんな…レニス様、理由は!?」
リーンが信じられないといった表情でレニスに迫る。
が、レニスは慌てず騒がず”ビシィッ!”とフィリアを指差し
「双子山の勝利だ」
「? 双子、山…?」
「なるほどー」
深く納得するトリーシャと意味が解らず問うフィリア。
レニスは答えず、代わりにリーンがスススーッとフィリアに歩み寄るといきなり眼の前でしゃがみ込む。
「………」
「………」
そのまま暫し沈黙。そしてやおら立ち上がると無言で両手を伸ばし
―――むにゅう
『ソレ』を鷲掴みにした。
「っひゃあ!?」
「ム」
フィリアが反射的に繰り出した一撃をリーンは床を踏み抜くほどのスピードで回避。
そのまま驚愕だとか嫉妬だとか羨望だとか哀愁だとか色々ミックスされた表情をレニスに向け
「レニス様! 何なのですかこの女は!? 下から見上げたら顔が隠れるし触ったら見た目以上に大きいじゃございませんか!!? しかも100%天然素材で極上の感触と感度ですよ!?」
「余計なお世話です!!」
自らの大草原の小さな丘を手で押さえつつ叫ぶリーンと羞恥で顔を真っ赤にして怒鳴るフィリア。
安全区域にいる二人はそんな美女二人の声にとりあえずだけ耳を傾け、レニスは感嘆するかのように頷いた。
「その回避は見事。でも台詞の内容は親父になってるぞ」
「注目すべき点はそこじゃないよレニスさん! あのプロポーションでさらに着痩せしてるなんて…由羅さんクラスかそれ以上の可能性が!?」
本気なのかネタなのかはわからないがズレた台詞を吐くレニスと驚愕も顕わに熱く語るトリーシャ。
そんな二人を横目にリーンは悔しそうに歯噛みし
「くっ…! 時代はロ○でございます! 大きいだけの女なんかより慎み深い胸の方が昨今の殿方には受けが良いのです!!」
全身全霊を込めて主張するリーン。しかし聴衆は冷淡だった。
「お前の外見は普通に成人女性だがな」
「童顔って訳でもないよね」
「もし○リだとしてもお前のは無さ過ぎ」
「うん。それにフィリアさんの胸って美観を損ってないよね」
「美乳という奴だな」
「二人とも真剣な顔でそんな事語らないでください!!」
いや全く。
「トリーシャちゃんはわたくしの敵に回られるの!?」
「ボクには未来があるもん」
更に言えば現状でもトリーシャの方が勝っている。
そしてそのまま真剣に熱く語り合う三人。
「しかし脚線美ではリーンのほうが上かも知れんな」
「そうだね、スラッとしててカッコ良いもんね」
「ホホホ、解ってらっしゃるじゃございませんかレニス様」
「でもうなじとか腰のくびれとかはフィリアさんだよね。ここらはどう足掻いても勝てないんじゃないかな?」
「それは見た目の印象もあるだろう。普段のフィリアは柔らかいって感じがするから」
「うんうん。ねねね、レニスさん。フィリアさんってやっぱり柔らかいの?」
「ぐっ(サムアップ)」
「悔しいですけどアレを越えるものはそうそうございませんわ」
「わっ、そうなんだ。羨ましいな〜。あ、でもレニスさんは何時触ったの? やっぱり二人って付き合ってるの?」
「いや、あいつ拾ったときに抱え上げただけだ」
「色気も何もございませんわねぇ」
「いい加減に……しなさーーーーーーーーーーーーいっっっ!!!!」
とりあえず。今晩のレニスの夕飯は猫飯決定だった。
「かくかくしかじかと言うわけでフィリアは家に居候してる訳だ」
「そうでございましたか」
本当に理解したのかというツッコミは聞こえなかった事にして続けてリーンの紹介を始める。
「でだ。こいつは俺の母親の使いっ走りの娘のリーンだ」
「つまり下っ端の戦闘員ですね」
思いっきり頬を引き攣らせるリーンを視界に収める事すらせず、フィリアは真っ直ぐにレニスを見据える。
「で、他に何か言う事はありますかマスター」
「疑問符無しか」
「ええ」
「まあ良いけど……初見で気付かれてたと思ったんだがなあ……」
意味不明の言葉に眉を顰めるフィリア。
レニスは湯飲みに淹れたお茶を口に運び”ほっ”と一息ついた。
「結論から言えばだな。俺の母親は魔族だ」
「え…」
「だから、そこに居るリーンと同じ魔族。とは言え父親は人間だ。俺もアリサも魔族の血よりも人間の血の方が濃いからあまり気付かれないんだが……。フィリア、お前まがりなりにも元熾天使だろう? ホンットに気づいてなかったのか?」
困った顔で苦笑するレニスから気まずそうに視線を逸らす。
しかし逸らした先には嫌なエガオを浮かべるリーンが居て
「ホホホホホ。仮にも熾天使の座に在られた御方がこれだけ長い間寝食を共にしながら気付けなかっただなんて……”無様”ですわねえ」
「…くっ」
「まあ俺も普段は魔族の気は抑えてるし、アリサに至っては魔族の血が薄すぎて人間と殆ど変わらないからな。悪かった。ちゃんと言っておくべきだったな」
「い、いえ…気付けなかった私が不甲斐無かっただけですから……お気になさらず」
「そうですわレニス様。この女の無能っぷりは誰にも予測できませんでしたもの」
「――黙りなさいっ」
一瞬の電光と共にリーンの身体が吹っ飛んだ。
適度に焦げたままピクピクと痙攣する姿は見ていて哀愁を誘う。
「――どうするフィリア」
「え?」
「まだ、ここにいるか? アリサのところに行っても良いし、それも嫌なら他にも寝床は都合できるが」
「――いえ、私はここにいます。大体、今まで貴方がしてきた事に比べれば魔族の血統である事など些事でしかありませんし」
「の割にはリーンにはキツイな」
「この女は別です」
どうやら根っこの部分でそりが合わないらしい。
ぷん、と可愛くそっぽを向く元熾天使に苦笑しつつ
「そういえばリーンの用事を聞いてなかったな。一体どうした。遊びに来ただけか……って、本気で大丈夫か?」
「あうあうあう……ピクピク…しびれ……」
「…フィリア。もう少し手加減してやってくれ」
「無能な元熾天使の一撃程度で…脆弱な」
「いやフィリアさん。表情はともかく眼が笑ってないよ」
「あらあらリーンさん。こんなところで寝てると感電死しますよ? 早く起きろ」
トリーシャのツッコミは完全に黙殺され、フィリアはさり気に怖いこと言いながら優しく命令口調。
溜息を吐いたレニスがリーンを助け起こそうと席を立とうとした瞬間、フィリアの右手に金色の雷光が走りレニスとトリーシャの身体を硬直させる。
二人は思う。「逆らえば殺される」と。
微妙に不機嫌さがブレンドされた表情でフィリアはレニスに向き
「マスター。こんなところで寝られては営業の邪魔になりますから(この世から)お引取りを願った方が良いですよね」
問いかけの形をした死刑判決だった。
初対面でそこまで嫌うかと呆れ疲労し、母親とリーンの両親の顔を思い出して仕方ないかと溜息を吐き
「三文銭は持たせてやってくれ」
あっさり売り払った。だって怖いから。
「はい。では少し出て来ますね」
にっこり微笑んで無雑作にリーンの右足首を掴む。
そのままずるずると引き摺って出口に向かい――あ、左足が戸口に引っ掛かった。あ、無視して歩いてる。うわ、ゴキッていったゴキッて。げげっ、爪先が側頭部に当たってる。わわっ、床に炭と赤い液外の線ができてる。てゆーか引き摺ってるお嬢さんの顔無表情なんですけど?
「………………なんであんなに怒ってるんだフィリアは?」
口に拳をあて考え込むレニスを苦笑気味に見つめるトリーシャ。
この予測が当たっているのかどうかは関係無しに、彼女はレニスに聞かれないようにポツリと呟いた。
「女の子はとっては複雑なんだよレニスさん」