中央改札 交響曲 感想 説明

ありえたかもしれない日常7
FOOL


 突然だが、レニス=A=エルフェイムの特技の一つに”お手玉”がある。

 最近では廃れてきた感が有るものの、幼い少女の遊戯としてそれなりに早く連想するものであろう。

 レニスに全く似つかわしくないこの特技だが、習得した理由は彼を少しでも知る者からすれば「ああ」と納得させられるものであった。


 レニスが八歳の時、突如として彼等の両親が失踪した。

 二人の行方はレニスが二十歳になった頃に判明し、再開も果たすのだがこの時にそんなことが分る筈も無い。

 両親が消えたばかりの頃、レニスの妹アリサは両親の居ない寂しさのあまり泣き出してしまうことが多々あった。

 ”それなりに”可愛げのある性格をしていた幼い頃のレニス。

 実は彼、今では到底信じられることではないがこの少し歳の離れた妹のことが苦手であった。

 大の苦手であった。特大の苦手だった。あとホンの少し後押しされれば敵意や嫌悪の対象にしてしまうぐらいに苦手であった。

 馬鹿馬鹿しいものから納得できるもの、はたまた理由にすらなっていない餓鬼の我侭など理由は多々あるが、決定的なのは一つだった。

 彼女がこの世に生を受けた瞬間、彼は死にかけたのだ。

 誇張でも比喩的表現でもない。事実としてレニスの全身から力は抜け、血を吐き、心臓は停止し、しかし意識はしっかりと残って。

 両親がその”原因”をどうにかするまでの間に少年は悟っていた。


 ――自分を殺しかけたのは生まれたばかりの妹だと。


 意図的だったかどうかなど関係無い。妹の所為で死にかけた。これだけで少年が苦手とする理由としては十分。

 しかし、この時点で恐怖や忌避感を抱かなかった事に対しては賞賛を与えても良かったかもしれない。










 とにもかくにも、その苦手な妹が泣き出した。

 というか、いきなり両親が行方不明になってレニスのほうが泣きたいぐらいである。

 周囲の人間は「お兄ちゃんだから」とか「年上なんだから」とか無責任極まりない言葉を投げかけてくるだけ。

 フラストレーションは溜まる一方。

 アリサに対して暴力こそ振るわなかったものの、苛立ちをぶつけるように酷い対応をしていたのは今でもレニスの記憶の中に鮮明に残っている。

 泣くアリサを怒鳴りつけてさらに大泣きさせ辟易する。逃げるように自室へ戻り耳を閉じて眠りに付く。

 そんな日が1週間ほど続いたある日。

 レニスは、ふと、中庭で石を投げて遊んでいるアリサの姿を見つける。

 右手に持った石を上へと放り投げ、落ちてくるのを左手でキャッチしようとするが石はあらぬ方向へと飛んでいってしまう。

 めげずにもう一度。今度は綺麗に真上に石は投げられ―――お約束のように、アリサの頭に直撃した。

 レニスは深く溜息をつく。妹が、アリサが何をしようとしているのかは何となく解る。

 しかし”とある理由”から視力が非常に弱い妹にはかなり酷なことだろう。

 そのまま妹に声をかける事もせずその光景を眺め続ける。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。


 馬鹿か。

 飽きる事無く一日中その行為を続ける妹に胸中で呟く。

 結局、その日は同じ作業を繰り返すだけに終った。









 翌日。

 レニスは昨日と同じようにアリサの”作業”を眺めていた。

 投げられた石が四方八方へと飛んでいき、時に自らの頭に落ちてくる。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。


 大きな欠伸一つ。

 一生懸命石を投げ続ける妹を見る眼は相変わらず冷淡だった。

 ホンの少し意固地な色が垣間見えるが、それでも冷淡な瞳だった。








 さらに翌日。

 先日、先々日と同じく”作業”を眺めていたレニスの表情が少し変化した。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。落とす。受ける。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。受ける。落とす。


 僅かづつではあるが、確実に石をキャッチする回数が増えている。

 それをぼんやりと眺めているうちに、アリサはもう一つ石を取って同時に投げた。

 当然のごとく二つとも別々の方向へと飛んでいく。

 レニスは、吐き出すように大きな溜息をついた。









 さらにさらに翌日。

 何故だか知らないがアリサの”作業”を眺めるのが日課になってきているレニスは今日は飲み物持参だった。

 ちょっと大人を気取ってブラックコーヒー。苦くて飲めたものではなかった。

 アリサのほうは相変わらず。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。


 石を二つに増やした所為で受け止められるようになっていた石も手に掠りもしない。

 レニスは黙ってのんびりと苦くて不味いコーヒーを啜った。

 少しだけ、頬が引き攣っていた。






 少し飛んで一週間後。

 努力の甲斐もあってかアリサは二つまでならそれなりに長い時間石を落とさないようになった。

 とはいえすぐにその努力も水泡に帰すだろう。アリサは三つの石を手に取っていた。

 紅茶とクッキー持参でそれを眺めていたレニスは何度目かの溜息を吐いた。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。落とす。


 以下エンドレス。

 頭に石をぶつける回数も増えたせいか少し涙ぐんでいるようだ。

 クッキーを手に取ろうとしたレニスは皿の上が空になっているのに気付き、キッチンへと向かう。

 何となく部屋の中が寒かった。

 もう少しで冬だからな、とぼんやりと考えながら、レニスは足早にいつもの定位置へと戻った。









 もっと飛んで一ヵ月後。

 寒空の下で三つの石を投げ続ける妹を、レニスはコタツに入ってミカンを食べながら眺めていた。

 なぜかウサギの刺繍が施されている愛用の半纏を羽織りぬくぬくとしながら、しかしその表情は苛立ちを抑えるように痙攣していた。

 今度はなかなか上手く行かないようでアリサは今日まで一度も成功させていない。


 投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。投げる。

 落とす。受ける。落とす。落とす。受ける。受ける。落とす。落とす。落とす。受ける。落とす。落とす。


 ガタン。無言でレニスは立ち上がった。

 そのままスタスタと、今日まで一度も近付かなかった場所に歩いていく。

 近付いて、レニスの表情は苛立ちを増した。

 アリサの両手も、顔も、無数の傷だらけだった。

 一ヶ月以上、毎日、一日中、石を投げ続け、受け、頭に当て、遠くに行った石を探しに行き。

 しかも何がそこまでさせるのか弱音も吐かずに毎日石を投げ続け。

 分らない。

 判らない。

 解らない。

 この、目の前にいる少女が何なのか。

 投げては落とすを繰り返すアリサは、突然自分を覆った影に気付き顔を上げた。

 レニスは苛立ちを隠さないまま問う。なにをしているのかと。

 なぜかアリサはニコリと笑った。レニスが話し掛けたのが嬉しいのか、何をしているのか聞かれたのが嬉しいのか。

 こんな笑顔を見せられると今までして来た仕打ちに胸が痛むが、それでも最初の印象が強烈なだけあって素直に可愛いとも思えない。

 そういうわけで少し不貞腐れたような仏頂面で妹の話を聞く。

 そして呆れた。

 どこの誰から仕入れてきた情報なのかは知らないが、「千個のお手玉が出来るようになれば願いが一つ敵う」というおまじないらしい。

 とりあえず思った。―――阿呆が。

 千個のお手玉。―――どうやってやれっちゅーねん。

 願いが敵う。―――しかもこれお手玉じゃなくて折鶴だろ。

 等等。頭を抱えて脳内でツッコミの嵐を叩き込んでいるレニスに、妹は言った。




 ――千個出来るようになったら、お父さんとお母さん帰ってくるから――




 頭蓋に、直接ハンマーで殴られたような痛みが走った。

 心臓がキリキリと締め上げられる。

 なんということだ。

 この、眼の前にいる妹は、なんと、なんて、なんだって、

 ギリ、と奥歯を噛み締める。

 誰に向けられたのかわからない感情が荒れ狂う。

 悔しさと、不甲斐無さと、憤怒と、焦燥と、

 妹は、歩いていた。前に向かって歩いていた。

 他人にはどう映るのか、なんてどうでもいい。

 朝起きて、食事をして、大人たちの下らない言葉を聞いて、アリサの遊びを見て、食事をして、寝て。

 自分が今まで過ごしてきた怠惰な時間に比べ、妹の過ごした時間のなんと眩しい事か。

 少なくとも、レニスには、アリサの行なっている拙い遊戯を笑うことは出来なくなっていた。

 笑う資格など無い。それ以前に笑えようはずが無い。

 根付くようにその場に座り込み、アリサの手から石を奪い取る。

 妹の非難の声を無視して一個二個三個と石を投げ、その全てがあらぬ方角へ飛んで行った。

 渋面を作り唸るレニス。

 しばらくキョトンとしていたアリサだったが、聞き慣れた石が地面に落ちる音を3回聞いて子供らしい無邪気さで容赦無く笑う。

 顔を真っ赤にしながら悔しそうに唸るレニスはすぐに石をかき集め同じように放り投げる。

 今までと立場が逆転したように石を投げるレニスをアリサがニコニコしながら見守っていた。

 そんな時間が三時間過ぎ――

 少年の手の中で三つの石が踊っていた。

 弱視のアリサにも三つの影が踊っているのが何となく確認できたのだろう。感嘆の表情でレニスを見つめている。

 そんな妹を見て、レニスはふっと笑った。アリサもそんな兄の雰囲気に気付いたのかむっと頬を膨らませる。

 そして始まる意地の張り合い。


 石を投げる投げる投げる投げる落とす落とす落とす落とす受ける受ける受ける受ける


 アリサが今までの失敗が嘘のように三つの石を躍らせれば負けじとレニスは四つの石を握り締める。

 それを見たアリサが四つを抜かして五つの石を手に取ればレニスは七つの石をかき集める。

 兄と、妹が、馬鹿のように石を投げ続ける時間が続く。

 そんな毎日が一週間ほど続いた。






 自分は何をしているんだ。とレニスは唐突に思った。

 気付けば自分の手の中では十個の石が舞っている。

 隣りに視線を転じれば妹は六個の石を危なっかしい手つきで、しかし一つも落とさずに躍らせる。

 何となく、両手で舞う十個の石を二つに分け、片手で五個づつ扱ってみる。

 上手くいった。

 再び隣りを見れば妹が拗ねた眼でこちらを睨みつけていた。

 ちょっぴり優越感。

 真似しようとして盛大に石をばら撒いた妹の頭に手を置いて、ハタとレニスは動きを止めた。

 このまま突き飛ばせ、このまま頭を撫でてやれ、という二つの思考が駆け巡る。

 このときのレニスは自分でも驚くことにあっと言う間に答えを出した。

 クシャクシャとアリサの頭を撫でながら、レニスは思う。

 しょーがない。

 こんなのでも、今はたった一人の家族なのだ。

 不思議と懐かれているし、こいつは眼が見えないも同然だし、どうやらこいつよりも自分のほうがお手玉には向いているらしいし。

 だったら、しょーがない。



「父さんと母さん、絶対に俺が連れ戻してやる」



 それが、レニスがアリサと交わした最初の約束。

















「―――それからね。兄さんがお手玉を毎日するようになったのは」

「そうなんですか」

「私もその後少しの間続けたんだけど、やっぱり兄さんには敵わなくて」

「そうなんですか」

「結局、両親は兄さんがおまじないを完成させるより先に帰って来てくれたけど」

「そうなんですか」



 長椅子に並んで座りながら、アリサとフィリアは教会の中庭で孤児院の子供達と遊ぶレニスを眺めていた。

 懐かしそうに眼を細め優しい声で昔を語るアリサと対照的に、フィリアは何かに耐えるように小刻みに肩を震わせていた。



「ところでアリサさん」

「なあにフィリアちゃん?」

「マスターがお手玉を始めた理由はよく分かりました。とても良い話だと思います」



 フィリアはそのまますーっと腕を上げ、ビシッと中庭に立つレニスを指差した。



「それがなんで子供達をお手玉代わりにして空中大車輪やらせる事に繋がるんですか!?」



 フィリアの指の先、中庭ではサーカスの芸人真っ青の妙技が繰り広げられていた。

 子供がレニスに駆け寄る。レニスが子供の襟首を掴む。そのまま放り投げる。受け取る。子供は笑顔で離脱する。

 しかもなわとび感覚で子供達が次々と飛び込んでいくので常に二〜三人の子供が空を飛んでいた。

 しかも今のレニスは片腕である。もしもの時のフォローは難しい。

 まさに【でっど・おあ・あらいぶ】。



「やっぱり兄さんは凄いわ。片手でもアレが出来るなんて」

「話聞いてますか?」

「アレは私が小さい頃に兄さんに頼み込んでやってもらったのが始まりなのよ」

「元凶は貴女ですかっ!!?」

「人間はその気になれば空を飛べるんだって、私はそのとき思ったの」

「思っちゃダメです!!」



 蛙の子は蛙。あの兄にしてこの妹有り。

 そんな言葉が脳裏を掠めた後、フィリアは心の底から思った。

 やっぱりこの二人は兄妹だと。
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