教室の窓から空を見上げる。
既に梅雨の時期だというのに嫌になるくらいの晴天。
突き刺さるように射し込んで来る陽光が少々不快感を呼び起こす。
視線を下げれば、グラウンドをサッカーボールを追いかけながら元気に駆け回る隣の教室のクラスのメイト達。
その先頭に立つのは幼き頃からの我が友人。言い方を変えれば腐れ縁。
彼の好物が炭酸の抜けたドクターペッパーというのは二人だけの秘密だったりする。
教壇に立つ英語教師の声が苦笑を誘う子守唄のように耳に響く。
話の内容が何故か最近出来た娘のボーイフレンドの事についてなのが不思議だが、生徒の一人として気にする者は居ない。
こめかみに結構な勢いで何かが当たる。
机の上に落ちたそれを、何とはなしに視界に納めた。
きっと、今の自分の視線は、酷く淡白な物だろう。
無感情。無表情。無関心。冷淡。冷静。冷血。
それが、自分に対する周囲の評価。
あながち間違っているとは思わないが、無感情、という評価だけは訂正して欲しい。感情が表情に出てこないだけだ。
不愉快な物は不愉快だと感じるし、綺麗な物は綺麗だと感じる。死んで欲しい人間には死んで欲しい。
無関心と言うのもそうだろう。本当に何者にも興味を抱けないのならば、そんな人間が生きていられるわけが無い。
一度だけ友人に対してそう主張した事がある。一笑に伏されて終わりだった。失敬な。
再びこめかみに何かが当たった。訂正。投げつけられた。
そして再び机に転がった投擲物である消しゴムを数秒眺め、その断面を観察してみる。
千切られて凸凹になった物を予想していたのだが、鏡のように――なる訳が無い――綺麗な断面だった。
なにやら鋭利な刃物で切られた、とも少し違う。よくよく観察してみると、断面が僅かに溶けている。
なるほど。どうやらカッターナイフか何かをライター等の火で炙り、その刃でもってこの消しゴムは切断されたらしい。
授業中だというのに、よくもまあ教師に見つからずにそんな事ができた物だ。不良め。
ジッと消しゴムを見つめていると、苛立ったようにもう一度消しゴムが飛んでくる。
こめかみに鈍い衝撃を感じながら、不承不承顔を上げて消しゴムの投擲位置である隣の席を横目に見る。
同じクラスなので当然だが、見知った顔がそこにいた。
別のクラスになった友人には意外だったのだろう。盛大に笑われたが、自分のクラスの顔と名前は全て一致する。
当然彼女の事も知っていた。と言うよりも、現在のクラスの面子で自分にちょっかいをかけて来る人間は彼女ぐらいのものだ。
面と向かって言った事は無いが、先ほどまで不快に感じていた陽光をキラキラと反射する彼女の黒髪は密かに気に入っている。
そういうことに頓着しない自分から見ても、彼女の容姿は同年代の少女達よりも抜きん出ている。
しっとりとした黒髪に、まるで中世ヨーロッパの小国の姫のような整った顔立ち。
制服の上からでも解る起伏は見事な曲線を描き、思わず見惚れそうになってしまう。
性格も礼儀正しく明るく社交的で、成績優秀スポーツ万能と素で学園のアイドルをやれる人材である。
実際にこのクラス内でも彼女に懸想する生徒は多い。
何度も告白を受けたらしいが、その全てを断り続けているために一部では不沈艦とも呼ばれているそうだ。
全く、センスの無いネーミングである。
しかも彼女に対して反感を抱いている生徒が本当に極々少数しか居ないというのだから驚きだ。
ここまで完璧な人間がいれば人間誰でも負の感情を抱こうものだが、彼女の性格ゆえかそれともカリスマとでも言うべきか。
そういった人間的な魅力はそんな負の感情を抱きにくくしているらしい。クラスの皆から敬遠される自分とは大違いだ。
まさに完璧。パーフェクト。言い忘れていたが、当然のように裕福な家のお嬢様だ。さて、他にどのような言葉で褒めようか?
そんな彼女の唯一の欠点とされているのが、積極的に話しかける異性が自分だけだと言う事実だ。
実際、こうして彼女と向き合っているだけで敵意交じりの視線を幾つか感じる。
困ったものである。別にこれは、連中が考えているような色気のある関係ではないと言うのに。
しかしそれも仕方が無いのかもしれない。
自分が好意を寄せる女性が他の男と、しかもあまり評判の宜しくない男と積極的に交流を持とうとするのを快く受け入れられる人間も稀だ。
意識を向けた以外に何の反応もしない事に不満を抱いたのか、彼女の頬が微かに膨らむ。案外子供っぽい反応をする子である。
彼女の手元に意識を向けるが、そこにはライターもナイフも無かった。もしかしたら、あらかじめ用意しておいたのかもしれない。
カッターナイフとライターをお供に、夜な夜な自室で消しゴムを切断し続ける美少女。
いや、ここはライターではなくアルコールランプ使用説を唱えたい。どうせならそちらの方が面白そうだ。
………うん。いいかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えていると、四発目の超電磁砲(消しゴム弾仕様)が眉間に直撃した。
どうやら、そろそろ本気で相手にしないとお姫様のご機嫌が修復不可能なレベルに突入しそうである。
特に将来の夢というものを持たない自分としては、授業をちゃんと聞いておきたいのだが。
しかし、周囲の人間は自分とは考え方が少々異なるようだ。
どうせ将来役に立たない知識だから、そう言って勉強を怠けている人間がいるようだが、それは違うと思う。
少なくとも、自分のように将来の職を定めていない人間は、無意味に思えても勉強をするべきだろう。
いつか将来、やりたいことが出来たなら色々と選択肢が広がるだろうから。
もしもやりたいことが何も見つからなくても、少なくとも喰うに困らない程度の職には就けるだろう。
そういう意味では、この時点で自分のやりたい事を定めている人間は羨ましいと思う。
なにせやりたい事をやる為の勉強だけをすれば良いのだから、勉強の範囲も密度も段違いだ。
幸い自分は器用貧乏な性質なので勉強もそれなりに出来る。大体学年内の上位20位を切った事はない。
まあ、友人といえる人間が一人しか居ない人間なので、暇な時間を勉強に当てていたらこうなっただけなのだが。
今のところ勉強で手に入れた知識が役に立っているのはSF小説の科学考察の時ぐらいである。ビバ加電粒子砲。
無言の五発目が喉仏に直撃し、流石に少し咳き込んだ。もしかしたら人間の放つ指弾の方が脅威かもしれない。
彼女はこちらが意識を完全に向けた事に気付いたのだろう、満足そうに頷き、一枚のルーズリーフを差し出した。
受け取る瞬間に、互いの指が触れ合った。
それだけと言えばそれだけなのだが、友人はこういう細かい事を積み重ねて恋愛イベントを発生させろと訳の分からないことを吠える時がある。
残念ながら、それだけはない。
それが、自分と彼女がこうして交友関係を築ける理由。
自分も、彼女も、異性を異性としてみる事が出来ない。
異性を知識として理解してはいても、それを実感する事が出来ない。
等身大の人間としてのみ相手を見る。友人の言葉を借りるなら純粋な子供の感情。
彼女の顔を見る。とても綺麗だ。それだけ。
視線を下げて彼女の体を見てみる。他の女子よりも胸が大きいな。それだけ。
それ以上の事が思いつかない。
彼女に女性としての魅力が欠けているわけではないのは、彼女に告白する男子が後を立たない事から照明済みだ。
そしてそれは、彼女から見た自分も同じ事。
それが彼女が自分に話しかけてくる理由。唯一の男友達として自分が選ばれている理由。
自分もそうだが、彼女は恋愛感情というものがイマイチよく解っていない。
以前は男友達も結構居たそうなのだが、告白される、振る、気まずくなる、の悪循環が立て続けに起こったために今ではクラスメイト以上の付き合いをする男子はほぼ皆無。
その点自分は彼女に対して恋愛勘定を抱かない。それ以前の問題として彼女に女性を見出していない。
気兼ねなく馬鹿な事を言って肩を叩き合える、単純に友人としての付き合いで全てが完結する煩わしくない相手。
更に言うなら、どうやら自分と彼女は随分と気が合うようだ。
なんだかんだの理由が在るとは言え、一応の付き合いが続いているのはこれが一番の原因なのは確かだろう。
かく言う自分もそりの合わない人間と交友を持ちたいとは思わない。
とは言うものの、彼女とは別に常日頃から一緒に居るわけではない。
こうして授業中にちょっかいを出してくる以外には、登校時と下校時に挨拶を交わす程度の物だ。
その程度でも彼女に懸想する男子には睨まれる。良い迷惑だ。そろそろ体育館裏にでも呼び出されそうな気すらする。
しかし自分は、密かに凄く強い古武術の継承者であったり、摩訶不思議な超絶能力を持つスーパー高校生ではない。
せいぜいが普通よりも少し体格が良いだけの高校生だ。当然、そういうことになれば逃げの一手を貫き通す。
さて、こうして無意味な思考の海にダイビングするのは自分の悪い癖だ。
彼女のほうも自分の状態を察したのか不機嫌そうな視線で睨んできている。
………ふむ。可愛い、美人、抱きしめたい、と騒ぐ連中の気持ちもわからんでもない。
そういえば近所の沙耶ちゃん(7歳)もこんな感じだな。よかったな、将来は美人確定だ。
ルーズリーフに書かれている要件はただ一つ。昼休みに自分の自転車を貸して欲しいという事だった。
その理由なども書かれてはいるが、別にそこら辺はどうでもいい。
時計を見ると、後数分で授業時間も終わろうという時刻だった。
グラウンドを見渡せば、シュートを決めたらしい我が友人が奇妙なハイテンションで雄叫びを上げている。ハットトリックでも決めたのだろうか?
友人の顔を視認した瞬間に、鬱陶しい暑さが再び甦ってきた。だるい。
苛立ちをぶつけるように手の中のルーズリーフを真っ二つに引き裂いた。
彼女が少し面食らっているようだが、気にすることなく二回、三回と引き裂いていく。
終業のチャイムが鳴る。先生が合図を出すよりも早く席を立ち、廊下へ向かう。
なにか言われた気がしたが、どうでも良かった。早く冷房のよく効いた図書室か視聴覚室にでも行かなければやっていられない。
だがその前に。
アイス、と自分は言った。
了解、と彼女は言った。
自転車の鍵を渡す際に、また指先が触れ合った気がした。