中央改札 交響曲 感想 説明

ステラ嬢応援委員会主催「風さんステラ嬢をメインヒロインにしなかったら綿流すぞ」SSだった物
FOOL


「ぉー、見事に客が居ねえな……」



 さくら通りの一角に立つ喫茶店『リフレクト・ティア』。その店内を覗き込んで、ルーカス・リディエルはポツリと呟いた。

 少し前まで一緒に住んでいた少女が嫁いで行った店だけに、初めての来訪というわけでもないが、店主が店主なので進んで近づきたいとも思わない。



「おう、鬱陶しいから帰れ」

「曲がりなりにも客に向かって言う台詞かそれは」



 もはやお約束の台詞となった言葉に迎えられ、ルーカスはやや憮然としながらもカウンター席に向かう。

 狭苦しさを感じさせない店内の装丁にはいつも感心させられるが、カウンターに座る無気力な男はどうにかならないだろうか?



「コーヒー」

「欲しけりゃ自分で」

「……今日はウエイトレスさん居ないの?」

「フィリアは所用でハルクのとこに行ってもらった。入れ違いだな。もう一人の方はただ単に赤点取っての補習授業」

「そーいやマリアが暗い顔で学校行ってたか……」



 やれやれと肩を竦めながら、座ろうとしていた席から離れるルーカス。

 カウンターに置いてある、理科の実験にでも使いそうな器具がどうやらコーヒーを作っているものらしいので、それに手を伸ばす。



「ああ、カウンターに置いてあるのは水出しだから、料金高めだぞ」

「水出しって……なんか違うのか?」

「興味があるならそこらは自分で調べろ。飲んだ事が無いなら、新しい世界を垣間見る事を保障しよう」

「ふぅん……ま、どっちにしろ、結局お金取るのな」

「自動的にツケになる。お前が払いたい時か俺が払わせたい時に料金を貰うシステムだ」

「ヒロの為に在るようなシステムだな……喰い潰されっぞこの店」

「意外かもしれんが、あいつはあまり来ない。タダで大量に食わせてくれる店の方が良いんだろう。尤も、既に金額は四桁を突破しているんだが」

「救いようがねぇ……。おーいオッサン、カップ何所だ?」

「俺の右斜め後方の棚だ。あぁ、イニシャル入りのカップは使うな。俺とフィリアの専用ペアカップだ」

「さり気に惚気てんじゃねぇってか私物を店の棚に入れんなこのバカップル」

「ふふふ、お前にもいつか解る。惚気とは良いものだぞ?」

「チッ、まロさ大爆発だなオッサン」

「その名を冠した飲み物なら来週入荷予定だ」

「マジかっ!?」



 ルーカスの驚愕を他所に、レニスは火の着いていないパイプを咥えながら読んでいた新聞をめくる。

 しかしすぐに文字を追う視線を止め、伊達眼鏡の位置を直しながら店の奥に通ずる扉に眼を向けた。



「…………そう言えば、一人だけ居たな。ウエイトレス」

「って事は、新しく雇ったのか? そんな話聞いた事無いが」

「臨時でな。金が払えないというので身体で払ってもらう事にした」

「あんた絶対そいつで遊んでるだろう」



 突っ込みを入れつつ砂糖は入れず、ミルクだけを多めに入れたコーヒーに口を付けるルーカス。

 レニスの言葉を話半分でしか聞いていなかったので大して期待をしていなかったのだが、百聞は一見に如かず。

 レニスの言葉が大げさでも何でもないことをしみじみと思い知らされる気分だった。

 そうしてルーカスがコーヒーの新たな一面を発見した事に対し、ささやかな喜びに浸っている内に、レニスはのっそりと立ち上がって扉の奥を覗き込む。



「オイコラ、いい加減覚悟決めろって。無銭飲食してるんだからこの程度しっかり身体で払えと言うに」

「む、無茶苦茶じゃっ!! 儂はちゃんと払うと言うておるじゃろうが!! 何故このような格好で主の店の給仕などやらされねばならんのじゃっ!!」

「ああ、それは、あれだ。せっかく目の前に面白い玩具、もとい、遊び道具、もとい、………まあいいや。そういうわけだからお前しばらく家の店のウエイトレス。これ確定事項な上に拒否権などあると思うな小娘」

「な、何をするっ、離せ、離せと言うに〜〜〜〜〜っっっ!!!」



 少女の悲鳴と共にレニスが奥の扉から姿を現した。

 レニスの肩に米俵のように担がれたウエイトレスの少女は、じたばたと暴れながらなおも叫び続けている。



「大体儂の事を小娘などとっ 五十年も生きていない若造の分際でっ、この、この、この儂を小娘扱いなぁぁぁぁ〜〜〜〜〜??!!!」

「接客態度がなってないぞ新人」



 片手で持ち上げた少女をグルングルンと何度か回転させて床に降ろす。

 ガラスのような質感を持つ薄い黄金色の髪がふわふわと舞い、少女も少し眼を回したか足取りがおぼついている。

 そして、ルーカスは先程からの悲鳴である程度予測はついていたものの、見知った顔の見慣れぬ姿に思わず眼を丸くして見入っていた。



「ぁー……もしかしなくても、プリハムか?」

「せめてプリ公と呼んでやれ」

「プリムフォートじゃッッ!!!!」

「おお、復活した」

「………………」



 激昂するプリムを逆効果と知りつつも頭を撫でながら宥めるレニス。

 レニスに頭を撫でられるのが恥ずかしいのか、それともウエイトレスの制服姿で人前に連れ出されたのが恥ずかしいのか。

 とにかく、顔を真っ赤にして子犬のように吠える様は、妙に嗜虐心と保護欲をそそられる光景だった。

 しかしルーカスの表情にそういうものは見られない。ただ、じっとプリムの姿を凝視してその動きを止めていた。



「……………惚れたか?」

「いや、大爆笑するべきか指差して笑うべきか転げまわって笑うべきかちっと悩んでた」

「じゃあ手軽に大爆笑で」

「――ぶははははははははははははははははッッッッッ!!!!!!」

「わ、笑うでない!! 儂とて好きでこのような格好をしているわけでは――」

「わはははははははははははははっっ!!!!」

「している、わけでは……」

「大人気ない鬼畜な笑いっぷりだな、ルカ坊。流石だぜ」

「あははははははははっ、て、そんな略したのか他人の名前なのかちょっと微妙な呼び名は止めてくれ」

「……………………」

「プリムのプリ公よりはマシだろう。可愛いぞルカ坊。良い呼び名じゃないか」

「オッサンに可愛い言われて嬉しい野郎が居ると思ってるのか。確かにプリハムよりはマシだと……」

「……………っ………」

「……プリ公?」

「…の………れらぁ……」

「プリ、ム?」

「さっきから黙って聞いておれば、好き勝手言ってくれおってぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!!!」



 羞恥心やら怒りやらが頂点に達したか、どーん、と発生させた力場の余波で髪や衣服をなびかせ怒りの雄叫びを上げるプリム。

 掲げた右手の平に収束した魔力光が、恐怖を煽るようにゆっくりと膨張していく。



「そ、そ、れだけ、ッ、好き、勝手言うならば、覚悟は出来て居るのじゃろうなあっ!?」

「いや、ウエイトレスの制服着て涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら言われても」

「元々は主が無理矢理着せたんじゃろうが!!」

「ま、まあ落ち着けプリ公。そんな顔を赤くしてたらお猿みたいだぞ」

「誰がお猿じゃルーカス!! 散々人の事を笑いおってぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」



 癇癪を起こした子供そのままにプリムが放つ攻性魔術。

 広がる閃光。沸き起こる轟音。力場の大波。

 流石に怒らせすぎたなぁとレニスが達観していると、不意に襟首を掴まれた。



「―――――ぁ?」

「オッサン、あんたの犠牲は忘れるまで忘れない!!」



 気付いた時には、レニスはルーカスの生きた盾だった。

 リフレクト・ティアの店内を、問答無用の魔力が押し流した。







































 魔力の光が溢れて暫く経ったリフレクト・ティア。

 まるで台風が通過した後のように散らかった店内には、馬鹿のように笑い転げるルーカスと、その目の前で黙々と店内の片付けをするレニスとプリムの姿があった。



「店内の損害はテーブル四つに窓ガラス七枚か。まあ許容範囲と言うところだな」

「そ、そうか」

「ぶははははははははは!!」



 衣服の所々に焦げ目が付いていたり、伊達眼鏡のフレームが少し歪んでいたり、髪の一部が焼けて中途半端なパーマ状態になっていたりと、なかなか笑える容姿になっているレニスは、しかしその顔に怒りの表情を浮かべることなく淡々と店内の掃除を進めている。



「しかし、あれだ。キレていたとはいえ、もう少し自己の制御ぐらいしっかりしてくれプリム」

「う、うむ。すまなんだ」

「ぎゃはははははははは!!」



 若干怯えたような瞳でレニスを見上げつつも従順に店内の片付けをするプリム。

 その後ろで、ルーカスはやはり延々と笑い続けていた。



「ところで、レニスよ。少し良いか?」

「どうしたプリム」

「ギョボラハハハハハゴボッグフォッフョハハハハハハハハハッッ!!!」

「そろそろ……止めてやってはやらんか? 流石に、少々怖いものが……」

「はっはっはっはっはっ、おかしな事を言うなぁプリムは」



 朗らかな笑顔を浮かべつつ、がっちりとプリムの両肩を鷲掴みにしてずずいっと詰め寄り



「こいつが今笑っているのは俺たちがとぼとぼと店の掃除をしているのを嘲笑っているからなんだ。ちょっぴり焦げ目が付いたり服がボロボロになっていたりするのを見て見下しつつ高笑いを上げているのだ。それなのに、まさか、まさかこの俺がルーカスにこの義腕の機能の一つである『他人を無意味に笑わせる能力』を使って無様な姿を晒させていると、それが真実であると、そう言うのかなプリムフォート・ヴィスオードぉぉぉぉぉぉぉぉ?」



 必至の形相でブルブルと首を振るプリム。

 何所と無く満足そうに頷いたレニスはそのまま掃除を再開し、結局ルーカスが笑い終えたのは更に30分後の事だった。



「ヒュー、ヒューッ、ヒハッハッ、ハァー」

「はっはっはっ、随分と死にそうだなぁオイ。ほら、水」

「サ、サンキュー……ゴクゴクゴク」

「砂糖と塩がたっぷり入ってるけどなー」

「ごぶおふぉあぁっ!!?」



 凄く楽しそうな笑顔で死に掛けのルーカスに止めを刺すレニス。

 案外根に持つタイプらしい。



「い゛、い゛き゛な゛り゛何かましてくれやがるかこのチキンジャンキーッ!!!」

「チッ」

「舌打ちを隠そうともしないってか己はっ!?」

「お前そんな高等に扱われるような身分だと思ってんのか?」

「思いっきり素で言ってやがりますねコンチクショー」



 地味に深刻なダメージを受けた舌を死にそうな顔で外気に晒しながら、胸焼けでムカムカする胸を押さえつつ立ち上がる。

 総司の実験や一部女性陣の料理の様に何が起こるのか解らない恐怖もアレだが、安易に未来が想像できるゲテモノも十分脅威だ。

 酔っ払いの千鳥足の如き足取りでなんとか水場まで辿り着き、水道の蛇口を捻りコップに水を注いで口をつけようとして――ルーカスは固まった。


 ――いや、まさか、ここまでは、しかし、相手はレニスで、NOAで、魔法使いよりも魔法使いらしいとかぬかすクソオヤヂで――


 苦悩するルーカスが面白いのか、向こうでレニスが「くくく」と楽しそうに笑っている。

 その馬鹿にしきった笑顔がムカついて、ルーカスは勢いでコップを呷った。



「………ほ」



 一般家庭に流通する普通の水道水だった。



「ほら、もう何もせんから戻って来いルカ坊。お前が小動物みたいに警戒したって可愛くも何とも無いんだから」

「気色悪いからとっとと戻って来ぬか」

「言いたい放題だなおのれら」



 こめかみに青筋浮かべつつも、いつの間にかカウンターに置かれていたケーキに引寄せられるように席につくルーカス。

 結構単純な奴だった。



「ルカ坊はコーヒーはミルクだけだったな? プリムは確か、ブラックRXだったか」

「うむ。頼むのじゃ」

「ルカ坊もそうだがちょっとまてぃ」



 なにやら怪しいワードが耳に入ったルーカスのツッコミ。

 どうしたんだこいつとか言いたそうな視線を向けてくるレニスとプリムに、ルーカスは先ほど聞いた言葉を脳裏で反復しながら訊ねる。



「………それ、なんだって?」

「なにって…珈琲だ。ブラックRXのな。プリムはこれが好きなんだ」

「この店でというのは少々不本意じゃが、此処以外では飲めぬからのう」

「だから、RXってなんなんだよ」

「淹れた後で太陽の光を30時間ほど当てておくと完成する。別名黒陽珈琲。ちなみに月の光を当ててミルクを入れるとシャドーム」

「いやそれ絶対ヤベぇよ」



 レニスに皆まで言わせず突っ込むルーカス。

 ちょっぴりレニスが寂しそうだった。



「プリ公も仮にも吸血鬼のくせにそんな太陽エネルギーバリバリの飲み物飲むんじゃねぇッ」

「この程度でどうこうなるような軟弱な身体では無いわ。主と違っての」

「……ほぉ? ちっちゃくて頑丈なウエイトレスさんとはちょっぴりマニアックじゃねえか?」

「……四六時中同じコートを着込むような浮浪者一歩手前のなんちゃって魔術師がよく言うの?」

「…………」

「…………」

「プリ公ッ!!」

「ルーカスッ!!」

「貴様ら店の修理代の相場を聞きたいか?」

「このブルーベリーパイ美味しいなっ」

「やはり基本のイチゴショートが一番じゃのっ」

「…やれやれ」



 肩をすくめつつも、伊達眼鏡越しの瞳はどこか柔らかいマスターだった。



「そういやちょっと疑問なんだがよ」

「ん? なんだルカ坊」

「ルカ坊は止めれ。それは置いといて、プリ公の制服だけど――そう身構えんなよ、からかう気はねぇから」



 ギンッ、と睨んでくるプリムを引き気味に手を振って制止しつつ、ルーカスはレニスに訊ねた。



「プリ公とフィリアじゃサイズ全然違うだろ。どうしてぴったりな服があるんだ?」

「別に大した理由じゃないさ」

「……そうか、アンタ炉の人だっ」

「俺はステラ嬢の友人であるアイリと親しい。この意味が解るかルカ坊?」

「サーイエッサー」



 このぐらいの掛け合いは日常茶飯事ではあるが、この時のレニスの眼はちょっぴりマジだったと追記しておく。



「そうじゃのう。儂も不思議に思っておったところじゃ。そこの所どうなのじゃレニス」

「子供の頃のシーラがウエイトレスに憧れてたんだよ。当時からピアノ一筋ではあったが、まあ、女の子だって事だな」

「ぁー、それで特注か?」

「シェフィールド家はお金持ちだからな。男が苦手ってのは、まあ無くは無かったが、どうせ客なんて居ないも同然だし。パティの方はさくら亭で看板娘やってたから――と言いたいが、ちゃっかり陸見の奴が便乗してた」

「確かにあのオヤジならやりかねないな」

「ふむ。そういう理由であったか」

「そういえば絵描きにその時の二人のツーショット描かせてたな。本人たちは嫌がるだろうが、親のほうに頼めば喜んで見せてくれるだろうさ。親馬鹿全開で」



 お人形みたいだったからな、と、当時を思い起こす遠い眼をしながらレニスは語った。

 その後、一頻りウエイトレスライフを過ごした二人の服をそのまま預かっていたという。

 彼女らの子供が女の子なら再び活躍する日も来るだろう、と思っていたのだが、予想外の理由で封印が解かれてしまった。

 いやはや、これだから人生は面白い。



「その気持ちはわかるぜオッサン。まさか借金吸血鬼の仕事着になるとはな」

「だぁれぇがぁしゃっきんきゅうけつきじゃぁぁぁーーーーッ!!!」

「え? わかんねぇの?」

「素で不思議そうな顔をするでないわッ!!」



 がおー、と傍目には微笑ましく吼えるプリム。当然ルーカスは気圧されるわけも無く涼しい顔。



「大体っ、この男が人の話を聞かんのじゃ! 金は払うと何度も言うておるのに面白くないからと!!」

「プリム……おまえ、虐められずにキャラが立つと思ってんの?」

「オッサンそれはストレートすぎだ」



 後頭部にでっかい汗を貼り付けながら、ルーカスは口元を引きつらせつつ言った。



「せめてそれが魅力だ、とか、そこがお前の持ち味だろう、とか、それ以外取り柄が無いということを言外に匂わせるような言い回しで告げるべきだぜ?」

「ルーカスうっ! それ以上言うなら主もレニスも肉と骨を捻じ切って圧し潰して焼き潰して塵芥すら魑魅魍魎どもに喰らわせてくれるぞっっ!!」

「お、泣かずに反撃したな。偉いぞプリム」

「やめぬかぁぁぁぁぁぁっっ!!!」



 いーこいーこと頭を撫でられても馬鹿にされているとしか思えない。

 凄く楽しそうに半泣きのプリムの頭を撫でるレニスの姿を表すのは、たったの一言で事足りた。

 ズバリ、親馬鹿。



「いーこだなープリムは。ん、おじちゃんが飴あげよう」

「いかにも裏が在りそうな言い回しはやめいッ!! それといい加減に頭を撫でるのはやめるのじゃぁ〜〜〜〜っ!!」

「なあルカ坊。プリムの引き取り交渉って煌の次男坊相手で良いんだったか?」

「いいんじゃね? あいつがプリ公の保護者みたいなもんだから。てゆーか欲しいのかソレ」

「お持ち帰りしたいところだな。家はここだけど」

「みにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!??」



 レニスの台詞に本気を感じ取り、本格的に逃げに入るプリムだが襟をレニスに掴まれてその場でジタバタともがくだけだった。



「さ、流石だぜオッサン。白昼堂々と幼児相手に不倫宣言とは」

「いや、純粋に愛玩用」

「どちらにせよ嫌じゃぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っっ!! それにお主に撫でられるとっ、撫でられるとっ」

「うん?」

「リスティル殿に捕まったときの事を思い出すのじゃぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」



 レニスの動きがピタリと止まる。

 しばし黙考。

 同じく動きを止めてえぐえぐと涙目でレニスを見上げるプリム。

 鎮痛な表情で、喉の奥から絞り出したような声で、レニスはようやく言葉を吐き出した。



「…………悪い、似てて。よく頑張ったな」

「うう、あの時、ラクス殿が止めてくれなんだら、儂はっ、儂はぁぁあああああああっっ」



 殆ど二人にしか解らない会話。それだけで何かが通じ合ったらしい。

 マジ泣き入ったプリムを見つつ、ルーカスは「ラクスって誰だよ」とこっそりつぶやいた。

 後日、居候先の家主でありレニスの妹であるアリサ・アスティアに訊ねたところ、二人の実父の名である事が判明。

 また一つエンフィールドの神秘に近づいたルーカスであった。



「しかし母さんもプリム気に入ってたのか……アリサも結構気に入ってるみたいだし、血筋かな」

「てーことは、オッサンの子供にもおもちゃ扱いされるわけか、プリ公は」

「いやいや、プリムがうちで住み込みで働いてくれると言うなら我が子らにはお姉ちゃんと呼ばせることを約束」

「リスティル殿も同じ事を言っておったの」

「あ、オッサン死んだ」

「神は死にたもうたぁ……」

「主が大人しく奴等の祝福を受けるとも思えぬがの」



 レニスの醜態に少し冷静さを取り戻したプリムが意地悪そうな声を出す。

 違いない、と、ルーカスも微妙な悪意たっぷりに同意した。

 ついでとばかりに気まぐれな悪戯心が湧いたルーカスは、獲物を捕らえた猫のようにニヤリと笑い



「オッサン、そんなに言うほどプリ公の事が気に入ってるなら、不倫相手なり二号になりしたらどうだ?」

「ふむ………それも良いかもしれんな」



 そのレニスの一言に、ルーカスも、プリムも、己が耳を疑った。

 まさか、まさかこの男の口から、よもやこのような台詞が飛び出すとはッ!!

 妻のフィリア以外は女として見てないんじゃないかと思うほど他の『女性』に興味を示さないこの男がッ!!

 驚愕に固まる二人の前で、その元凶たる男は堂々と、胸を張って、その心情を吐露した。



「だが、不倫をするにも二号を作るにも、どうせやるなら相手はフィリアが良いよなぁ……」



 二人は盛大にその場に崩れ落ちた。



「それは不倫かっ!? 二号なのか!? むしろそれは惚気と言わねぇか!?」

「若いなルカ坊。…そっちのほうが燃える時もあるんだぞ?」

「なっ、ななななっ、なに、なにが、も、燃えるのじゃっ?!」

「プリムにはまだ早い。ルカ坊とステラ嬢は……たしか、まだだったな」

「なんでアンタが知ってんだよそんなことをッ」

「気にするな。禿げるぞ」



 きらりーん☆ と不気味に輝く伊達眼鏡。

 一種異様な威圧感に、うっ、とルーカスは気圧された。



「それに今からデートだろ? 次男坊らにからかわれるのが嫌で逃げて来たんだろうが……丁度よく時間が潰れて良かったじゃないか」

「なんで、って、アイリさん、愚問か……」

「んっふっふっふっ、NOAの情報網はエンフィールドのいたる場所に張り巡らされておるのじゃー」



 シーブズギルドなんか目じゃねーぜ、レニスの瞳は自信満々にそう語っていた。

 どこまでがネタでどこまでが真実なのか。否定材料が恐ろしく少ない、と言うか、NOAの名前だけで全て納得させられるような感覚に襲われて、一瞬だけルーカスは世界がひっくり返る幻覚を見た。



「プライバシーの侵害は立派な犯罪だぜオッサン……」

「ネタ以外では無害なネットワークだよ。さて、ルーカス・リディエル。幾つか訪ねるが、いいか? なに、デートの時間なら気にする事は無い。前もってアイリをステラ嬢にからませて一時間ほど遅らせることに成功している」

「全知全能ですねぇアンタ」

「ネタに走る時ッ、NOAに不可能は無いっ」



 ぜんっぜん、威張れる事ではなかった。

 テーブルに突っ伏すルーカスを前に、レニスは高々と勝鬨の声を上げるのであった。



「さて、またもふたたび大活躍のアイリからの情報によると」

「横流ししすぎだぁぁぁぁぁぁッ!!」

「諦めろ。で、それによると、ルーカス・リディエル、お前、一月前にステラ嬢とデートしたな?」

「わりぃのかよ」

「全然。逢引万歳蜜月大推奨。機会があれば隠れた名所も教えてやる」

「そりゃどーも。んで?」

「その後、先々週と先週にそれぞれデート。少ないな、時間が合わなかったのか?」

「コロシアムでイベントが重なったから休日が空かなかったんだ」

「そういえばそうか。で、この三回のデートだが……」



 一転、ニヤニヤと見透かすような視線を向けていたレニスの表情が、クワッ、と般若の如き鬼面と変わる。



「ド阿呆。貴様、この三回のデート、全て、連続で、向こうから誘わせるとは何事だ。男として恥ずかしく無いのか? しかも……いつもいつも同じ、センスの無い赤マントなぞ着込みやがって。貴様は怪人赤マントか」

「だ、だってなぁ! 仕方ねえだろ、デートに着て行けるような服なんてそうそう持ってないし、第一! この赤マントはそんじょそこらの――」

「黙れ」



 普段、滅多に見せない年長者の貫禄でぴしゃりとルーカスの反論を封殺し、レニスは揃えた人差し指と中指で伊達眼鏡を押し上げる。

 そして完全に蚊帳の外に放り出されていたままのプリムに優しく微笑みかけながら、言った。



「プリム。おまえはこういう馬鹿とは付き合うなよ? 熱を上げている内は良いが、しばらくすると嫌な所ばかりが目に付くようになっていくからな。一緒に居る事に耐えられなくなるぞ」

「うむ、わかっておる。なんぼ主等が馬鹿にしようとも、儂にも選ぶ権利というものがある」

「こらオッサンッ!! テメェだって似たようなモンだろうがッ!」

「ルーカス、そういう問題じゃない」



 いきなり表情を引き締めたレニスが、有無を言わさぬ口調で断ずる。



「今のお前達は互いの絆を強めている段階だ。実例を一つ挙げるが、この時に何も努力らしい努力をしていなければ、倦怠期とか入った時に『ああ、そういえばあの人はデートの時に何時も同じ服装だった。実は私のことなんてどうでも良いのではないか?』とか考えてしまって仲が急速に冷めていく事だって有り得るんだぞ? ステラ嬢は良くも悪くも普通の女性だ。お前の周囲に居る者達のように珍妙な思考回路はしていない」

「珍妙……って、シーラやパティも含まれてんのかそれは?」

「両親が両親だからなぁ……シーラなんか特に、突飛な行動を起こしたりするし。暗殺者やら漫才師やら」

「ォィ、それ以上はヤメロ」

「そうだな、流石に俺も危険域に入ったと思った」



 と、レニスはパンパンと手を叩いてこの話題の終了を宣言し、しかし話はまだ終わらないと告げるためにニヤアと口元にいやらしい笑みを浮かべた。



「さて、それはそうと、実は本題は別だ」



 テーブルの上に二枚のチケットが並べられた。

 さっきからこのオッサンに振り回されてばかりだと自覚しながらもチケットを見れば、それは今、リヴェティウス劇場で公開されているとある有名な劇団の劇の指定席チケットだった。



「それは…」

「ステラ嬢が見たがっていた演劇のチケットが、何故かここに二枚在る。さて、どうする?」

「アンタ何がしたいんだ。しかもこれはあからさま過ぎるぞ。この場で二枚買えってか…?」

「俺もそこまで鬼じゃないさ。ほら、持って行け」



 差し出された二枚を訝しく思いながらもルーカスが手を伸ばすと、唐突に一枚だけが引き抜かれてレニスの手の中に戻っていた。




「お前の分は、まあアリサが世話になってるし8割値で良いぞ?」

「ざけるなぁッ!!」

「残念ながら、アイリ経由でルーカス君がステラ嬢をリヴェティウス劇場へ連れて行ってくれるという情報が何故か漏洩していてね。ステラ嬢は非常に、ひじょぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅうぬい、愛しい彼が、ルーカス・リディエルが連れて行ってくれる劇を、楽しみにしているとの事だ。事実を告げて俺達を悪人に仕立て上げる事は非常に容易い事だろう。しかし、しかぁしっ、たとえお前に責が無かったとしても、彼女の落胆はいかばかりか……? ああっ、想像するだけでココロがイタイ……ッ」

「ア、ア、アンタはあああああッ」

「ヌホホホホホッ、どうする? どうする? うちの支払方法はこういう時にとても良心的だと思われるが? ん? ん〜?」

「………楽しそうじゃのう、レニス」























 その後、結局ルーカスはチケットを買うことになり、重い足取りで『リフレクト・ティア』を去っていった。

 なお、去り際の「ぜってぇーいつかコロス」との呟きは、領収書をヒラヒラと揺らすレニスの前には無力だったり。



「………まったく、若造をからかって楽しいのかお主は」

「その若造よりもガキっぽい反応する500歳に言われてもなぁ」



 手の中で微量の紙吹雪を作りながら、レニスはちっちゃなウエイトレスさんに苦笑する。

 パッと吹き散る白い欠片は、レニスの意志に従い全てがゴミ箱へと吸い込まれていった。



「さーて、と。おいプリム。着替えて来い。途中でフィリア拾って飯食いにいくぞ」

「なぬ?」

「足長おじさんやってやるから好きな物喰い放題だ。早くしないと置いていくぞ」

「え、あ、ちょ、ちょっと待つのじゃっ!」

「その服で行っても良いけど、変な固定ファンが付く事請け合いだぞー」



 とりあえず、今レニスが考えているのは一つだけ。

 ――妹の家に押しかけて三分クッキングと洒落込むのは反則技だろうか?
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