中央改札 交響曲 感想 説明

Begin(1)
輝風 龍矢[HP]


 エンフィールドはほぼ東よりに建てられている『セント・ウィンザー教会』。誰が創設したのかも分からぬその教会は、まるでエンフィールドに住まう人々の邪念を祓ってくれるかのように真っ白な佇まいを見せており、太陽が当たればとても眩しく感じられる。
 屋上には当然の事ながら小さな塔が建造されていて、ちょうど吹き抜けの部分に大きな聖鍾が取り付けられている。その音は禍々しい邪念をも取り除くとも言われていたようだが、争い事も無い平和な現在では住民に刻を報せるためだけにその音色を鳴り響かせている。
 また近所に『陽の当たる丘公園』がある事から、今日のような快晴日には、植物たちが創り出す新鮮な空気が、風に乗って教会内に運び込まれてくる。
 ここまでならば他の教会ともさほど変わりはない。だが、このセント・ウィンザー教会では身よりのない子供たちを引き取っている…いわゆる孤児院も兼ねて経営している。敷地内には最低限の遊技器具が設置されているが、公園でのそれにはかなわないため、ごくたまにそちらの方にも徒歩遠足がてら出掛けている。
「おはようございま〜す」
 その教会に居候している少女‥‥‥ローラ・ニューフィールドが、調理場へとやってきた。既に起きていて、子供たちに出す朝食の準備に取り掛かっていたシスターに挨拶をする。
「あらローラさん、おはようございます。先日はよく眠れましたか?」
 シスターもまた、笑顔でローラと挨拶を交わした。シスターの問い掛けに、ローラは満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「お料理、あたしも手伝うよ」
「ええ、お願いするわ。それじゃあ、この卵をといて下さるかしら?」
 ローラは「は〜い」と返事をすると、ボールに生卵を流し込み泡立て器でかき混ぜ始めた。けっこう料理は手伝っているらしく、手つきは良い方だ。
 卵を溶いている傍ら、シスターは今日のローラに対して、ちょっとした違和感を感じ取っていた。彼女が元気なのはいつものことなのだが、今日は特にテンションが高いらしく、鼻歌混じりに卵をといている。まるで、誰かが来るのを早くから心待ちにしているかのようだった。
「ねえ、ローラさん。今日は何だか朝から元気いっぱいのようだけど、何かあったの?」
 シスターが思い切って訪ねてみると、ローラはかき混ぜている手を止めて、エヘヘ〜…と照れ笑いを浮かべた。
「やっぱり、分かっちゃった?」
「ローラさんとは、昨日今日出会ったわけではありませんから。顔を見ればすぐに分かりますよ」
 ローラはどちらかといえば、すぐに気持ちが表情に出る方だ。そんなコロコロと表情を変える天真爛漫な彼女だからこそ、孤児院の子供たちにも人気があるのだろう。
「ウフフ〜、教えて欲しい?」
 ちょっと意地悪い表情で、ローラ。
「‥‥‥ええ、貴女に差し支えがなければ」
 あくまで丁寧な口調でシスターは言った。
 ローラは「あのね〜」と言いかけるが、すぐにそこで言葉をつぐんでしまった。彼女は小首を傾げたシスターに、再び微笑みかけると再び卵を掻き回し始めた。
「やっぱり教えてあ〜げないっ! 今日の午後からのお楽しみにしておきたいの」
 そんなローラに、シスターは小さく苦笑した。そして、再び野菜を切る手を動かした。
 最も、聞かなくても大体の答えはシスターには分かっていた。以前、ローラが子供たち相手に有る話をしてあげた事があった。それは、ローラとある青年が、とある森の中で小さな2人の妖精と出会い、妖精たちの演奏会に参加したという話。当然子供たちは、その話を聞いて羨ましがっていた。
 ローラは、その青年を「お兄ちゃん」と呼んでいた。いつもその青年の話を子供たちや自分にするときは、決まって嬉しそうだった。
(恐らくは、その青年の事なんでしょうね…)
「シスター、卵溶き終わったよ〜」
 そんな考え事をしていたシスターに、ローラがボールを持って訪ねてくる。
「ありがとう。それじゃあ、フライパンでオムレツを焼いて下さる?」
「うん、任せてよ」
 そう言うと、セミロングの桜色の髪を翻してコンロの方へと歩いていった。シスターはそんな彼女の背中を、誇らしげな眼差しで見つめていた。

The last song

第3章:Type Around

第4話:Begin(1)

 早朝‥‥‥と呼ぶには少し遅すぎる時間だが‥‥‥のジョートショップ。今週の仕事を手伝ってくれる面々が既に集まっているが、まだ凍司とアレフだけが来ていない。
「遅いわねえ、凍司君たち」
 アリサの言葉に、禅鎧はそうですね…と静かに頷いた。
「きっと、アレフを起こすのに手間取ってるんじゃないの?」
 と、パティ。その向かい側ではシーラが、クスリと苦笑いを浮かべている。禅鎧は仕事の伝票の量を再確認する。今日はいつもより少なめなのだが、もう1人ぐらいはいないと全て請け負えない状態だ。
 ガチャッ!
 ちょうどそんな事を話し込んでいる時、凍司が店内に入ってきた。急いできたようだが、息は少しも乱れていない。
「おはようございます、みなさん。すいません、遅くなってしまって…」
「いや…、今日も来てくれただけでいい。ところで、お前が遅刻するなんて珍しいな」
「だから、アレフを起こすのに‥‥‥って、あれ? アレフは?」
 パティは途中で言葉を閉ざしてしまう。いつも凍司と来るはずのアレフの姿が、今日は無かった。怪訝に思って、パティは凍司に尋ねてみる。
「違いますよ、パティさん。今日はたまたま、僕が寝坊しただけです。アレフは何か用事あるらしいので、今日は来られないそうですよ」
「フ〜ン…。ま、その用事は大体予想は付くけどね」
 悟ったようにエル。アレフの言う『用事』といえば、デートとしか考えられないからだ。それに感付いたパティは、呆れたように溜め息を付いた。
「まあ、来ないのならば仕方がない。アレフの分は、俺が穴埋めをしておこう」
「そういう事でしたら、僕もアレフの分をやらせて頂きますよ」
 そう名乗り出てきた凍司を、禅鎧は拒否しようとするが、すぐにその考えを払拭して頷いた。変に自分の力を過信しすぎる事は、入らぬ驕りをも生み出してしまう恐れがある。そして、凍司に大きな信頼を寄せているのも理由の1つだ。
「ああ、お願いするよ」
 禅鎧の返事に、凍司は満足げに微笑んだ。禅鎧もそれに頷き返すと、テーブルの上に伝票を並べ始めた。並べ終わった伝票の数は、テーブルの面積を約8割を占めた。
「ウ〜ン…。幾ら依頼数が少ないとはいえ、男性陣が禅鎧と凍司だけだと流石にキツイねえ‥‥‥」
 捉え方によっては、アレフに対する遠回しな皮肉とも取れる事をエルは言った。
「でもま、今まで1回も休まずに手伝いに来てた方が、あたしとしては不思議だと思うけど。ね、シー…ラ?」
 パティの言葉が途中で途切れてしまった。何やら、シーラの様子がおかしい。椅子に座ったまま俯いていて、伝票には一切手を付けていない。
「ちょっと、シーラ!」
「‥‥‥えっ! あ、ご…ごめんなさい。ボーッとしてて」
 パティに再度声を掛けられ、やっと現実に意識を引き戻される。そして、慌て気味に仕事の伝票選びに取り掛かる。
「ねえシーラ。この仕事私1人じゃ無理だから、私と一緒にやってくれない?」
「あ…うん、いいよ」
 手元がおぼつかない彼女に助け船を出すように、パティが誘ってくる。そこからは、落ち着いて仕事を選ぶようになった。
「‥‥‥シーラ」
「え…何、禅鎧くん?」
 突然禅鎧に呼び掛けられ、シーラは少し驚いてしまう。恥ずかしげな面持ちで、禅鎧を見上げる。
「今日の午後は仕事をやらないで、俺に付き合ってくれないか?」
「え‥‥‥」
 無意識のうちに、彼女の胸の鼓動は早くなる。禅鎧の方から声を掛けてきた事だけでも驚いているため、禅鎧からの誘いがそれに追い打ちを掛ける。
(シーラさんを誘う…ということは、やっぱり音楽に関する事なのでしょうね)
 聞き耳を立てていた凍司が、冷静に頭の中で分析する。禅鎧とシーラの会話に口を挟むような事はしない。
「あ…あの。それで、何処に行くの?」
「ああ、セント・ウィンザー教会だ。あそこは孤児院もやってるらしくて、先日そこで子供たちにピアノを聴かせて欲しいって頼まれてね」
「ピアノを聴かせに‥‥‥?」
 か細い声でそう呟くも、手をモジモジさせてはっきりとした返事は言おうとはしない。
「あら、それはいいんじゃない? だってシーラも、よく休日に子供たちにピアノを聴かせる為に、教会に行ったことあるんでしょう?」
「う、うん‥‥‥」
 パティの言葉に凍司は「へえ〜」と喉を鳴らした。肝心の禅鎧の方に目を向けると、困ったように銀色の前髪を持ち上げるように手を当てている。彼の背中をノックするように叩き、「あと一息ですよ」のようなアイコンタクトをする。
「いや、忙しいんだったら誘って悪かった。…ただ、俺もシーラのピアノを聴いてみたかったからな」
 以前、一度だけシーラのピアノを聴いた事はあったが、それは自分との連弾だった。一曲だけだが、彼女の指使いは既にプロの領域に達していた事は明確だった。それ故以前から禅鎧自身、シーラのピアノには興味があった。
「禅鎧くん‥‥‥」
 今度はしっかりとした口調でシーラ。その表情は恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうだった。1つ小さく頷くと、言葉を続ける。
「私も、一緒に行きます。最近、教会には足を運んでなかったし、きっと子供たち怒ってるかもしれないから…」
 そう言って、悪戯っぽく微笑むシーラ。禅鎧は安心したように、静かに笑みを浮かべていた。
「…ありがとう。後でいいから、子供たちが好きな曲を教えてくれるか?」
「うんっ」
 シーラは心底嬉しそうに頷いた。禅鎧が多少ながらも自分を頼りにしてくれている事もそうだが、禅鎧と久々に会話出来たことが前者を上回っていた。
(フ〜ン、禅鎧からのお誘いねえ)
 凍司同様、2人の会話に一切口を挟むことはないが、しっかりと聞き耳を立てていたパティは、そんなシーラの心理を見抜いているかのように不敵な笑みを浮かべていた。
「よし…。それじゃあみんな、今日も宜しく頼む」
 全員が仕事を選び終わったのを確認してから、龍矢は告げた。
「ああ、任せておきな」
 親指をグッと立ててエル。そして、足早に仕事場へと向かっていった。
「シーラ。あたしたちも…」
「うん、そうね。じゃあ禅鎧くん、午後にまた‥‥‥」
 シーラの呼び掛けに、禅鎧は「ああ…」と静かに頷いた。禅鎧と凍司は、明日以降の依頼伝票を整理しているところだ。
「あ、あの…禅鎧くん?」
 パティに続いて自分も出ていこうとしたところで足を止め、禅鎧に再び声を掛ける。禅鎧も手を止めて、シーラの方を振り向いた。
「禅鎧くんの、今日の仕事はなに?」
 シーラからの何気ない小さな質問。禅鎧は自分の伝票に視線を落として内容を確認する。
「俺は凍司とローズレイクの森でのモンスター退治だけど‥‥‥。シーラは?」
「あ‥‥‥私はパティちゃんと、図書館で書物の整理」
 そこで2人の会話が途切れる。シーラは黙ったまま、俯いてしまっている。禅鎧は彼女を気遣うように、柔らかなイントネーションで話を続けた。
「‥‥‥そうか。それじゃあ午後、さくら亭で落ち合おう」
「禅鎧くんも…、気を付けてね」
 恥ずかしげに禅鎧に手を振ると、アリサに小さくお辞儀をしてからパティの後を追った。
「フフ…、珍しいですね。シーラさんの方から、声を掛けてくるなんて」
「そんな事はない。凍司がここに来る前から、シーラは普通に話しかけてきていたからな」
 禅鎧はすぐさま凍司の言葉を否定するが、それは凍司の言わんとした事とは少しだけ違っていた。仕方がないですよね…といった微笑を浮かべた。
(僕が言いたかったのは、そういう事じゃないんですが…。今の龍矢では、そう返してくるのが普通でしょうね)

「それじゃあ、後は宜しくお願いするわ」
 開館前の旧王立図書館を訪れたパティとシーラは、イヴにより2階奥の書庫に案内されて仕事の詳しい説明を受けた。主に昨日までに利用客が返却してきた図書や、新しく入荷した図書を任意の棚に入れる事が2人に与えられた仕事だ。
 説明を終えたイヴは、開館の準備があるからと足早に1階へと降りていった。
「それじゃ、早速始めよっか」
「ええ、そうしましょう」
 まず最初に、返却された図書を戻す事から始めることにした。総合カウンターに積まれた書物をパティがジャンル別に分け、それをシーラが棚まで持っていく。どちらも、それほど体力を使わない、女性にも充分に適した仕事だ。
「あ…シーラ、それは古い書物ばかりだから気を付けてね」
「これ? うん、心配しないで」
 素直にシーラは頷くと、任意の棚の方へと持っていった。そしてパティはまた、別のジャンルの書物を集めようとするが、そこでパティはふと手を止めた。何気に、先程持っていった書物を棚に収めているシーラに視線を移す。
 いつもと比べて、今日…否、今のシーラは少し上機嫌のように思える。半ば笑顔を浮かべながら、仕事をこなしている彼女。耳を澄ませば、鼻歌までも聞こえてくるようだ。それはまるで、近い未来に起こり得る出来事を心から楽しみにしているかのようだった。
(よっぽど、禅鎧に誘われた事が嬉しかったのかしらねえ…)
 心の中でパティは、そんなシーラを嬉しそうに、半ば羨ましげに見ながらそう呟くと、再び仕事の手を動かし始める。
 また1つ書籍の山を作り終えた頃、シーラがカウンターにいるパティの元へと戻ってきた。
「パティちゃん、これは何処の棚?」
「ああ、それは『魔導・魔術』関連の本よ。それが終わったら、ちょっとだけ休みましょ」
 パティの提案にシーラは頷くと、奇妙な紋章が描かれた漆黒の表紙の本を手に取り、再びその棚の方へと向かっていった。その際、シーラの鼻歌が少しだけ聞こえた。先程までは仮定していたことが、見事に肯定されていた事に驚くパティ。そしてそれは同時に、彼女にある確信を芽生えさせてくれた。
「終わったよ、パティちゃん。…フウ、ちょっと疲れちゃった」
「フフ、そうでしょうね」
 カウンターの中に置かれた椅子に、シーラとパティは腰掛けた。カウンターを見回し、残りの整理する本を確認するシーラ。
「ここは、後少しで終わるね」
「ええ。でもまだ書庫の方も残ってるから、もう少しかかりそうね」
 そんな事務的な会話をした後、パティは本題に乗り出すことにした。
「ねえシーラ…。何か今日は凄く機嫌がいいみたいね」
「えっ、そうかな?」
「そうよ。だって、鼻歌まで聞こえたんだから間違いないわ」
「わ…私、鼻歌まで歌ってたの?」
 みるみるうちに彼女の頬が紅くなり、恥ずかしそうに俯くシーラ。どうやら、無意識のうちに鼻歌まで唄っていたらしい。パティは追い打ちをかけるように、更に問いつめてみることにした。
「禅鎧からのお誘い、そんなに嬉しかった?」
「え‥‥‥! と、突然何を言い出すの?」
 シーラの頬に差した赤みは、さらにその濃さを増した。感情が正直に表に現れてしまう彼女に、パティはやっぱりね…と意味ありげに微笑した。
「ウフフ、やっぱりそうなんだ。シーラがすごく正直な娘で助かるわ」
「そ…そんな。偶然だよ、偶然」
 シーラはそれを誤魔化すように、両手を大袈裟にヒラヒラと振ってみせる。
「誤魔化したってダ〜メ。だって今朝、あたしとジョートショップに行く途中はそうじゃなかったじゃない?」
「そ…それはホラ、私って朝あまり強くないから‥‥‥」
 それでもかたくなまでに、否定し続けるシーラ。パティはそんなはっきりしない彼女に、親友の身でありながら苛立ちを感じてきた。
「そんなに、恥ずかしがる事ないじゃない。誰にも言わないから、私にだけ教えてくれないかしら?」
「だから…もう、パティちゃん! どうしていつも、そういう話に持ってきたがるの? 私だって怒るよっ!」
 思わずシーラは、少し強い口調でパティに抗議した。パティはシーラの言葉に、自分もまた少し熱くなっていた事に気付いた。
「あ…ごめんなさいシーラ。ちょっとムキになってたみたい‥‥‥」
「う、ううん。私こそ、パティちゃんに強く当たっちゃったりして‥‥‥」
 平静さを取り戻したパティは、シーラに自分の非を詫びた。そのシーラもまた、パティに謝られて少し驚いてしまっている。先程まで感じていた苛立ちを一気に放出するように、パティは大きく吐息を漏らした。
「ただね、シーラ? あたし、あなたが異性と普通に会話しているのを見たの初めてだったから」
 シーラには失礼だけどね…とパティは続け、1つ申し訳なさそうに苦笑いを零す。
「私の知ってるシーラってホラ、他の男の人とは話をしたがらない方だったから…」
 アレフの場合は、アイツの方が一方的に話しかけてくるだけだから例外だけど…とも、最後にパティは付け加えた。
「パティちゃん‥‥‥」
 シーラは少しだけ胸が痛んだ。パティは自分をからかう一方で、自分の事を心配してくれていたのだ。それなのに、そんな話をしてくるパティの事を少し鬱陶しく思っていた自分に嫌悪感を感じていた。これでは彼女の親友失格だ。
 そんなお詫びの気持ちも込めて今、パティに自分がしてあげられる事は1つだけ。
「ねえ、パティちゃん。私の話、聞いてくれる?」
「え、なあに?」
「私、自分が禅鎧くんの事をどう思っているのか、今は良く分からない。でも、禅鎧くんと話していると、自分でも驚いちゃうくらいすごく素直になれるし、気持ちが温かくなれる。今こうして、パティちゃんとお話してる時みたいに。昔の私は、パパ以外の男の人と話をするというだけで騰がってたのに…」
 シーラの言葉はここで途切れてしまったが、彼女は素直に今の自分の心情を打ち明けた事に変わりはない。それを悟ったパティは、優しい笑みを浮かべてシーラの肩に自分の手をポンと置いた。
「フフ、ありがとシーラ。あたしの無理な質問に答えてくれて。…さあ、それじゃあ待ち合わせに遅れないように仕事を片付けちゃいましょう」
「パティちゃん…。うんっ!」
 2人は微笑み合うと、再び残った仕事を片付けることにした。

 ローズレイクを守護するように生い茂った森。かなり深い森のようで、ごくたまに魔物に目撃される事があるようだが、最近になって毎日のように森の中を徘徊する姿をみるようになったという。
「グギャアッ!!」
 深緑の森に、またも魔物の断末魔が響き渡った。凍司の長剣が、横一文字に軌跡を描いたのだ。始めのうちは素手で闘っていたが、予想以上の数だった為に長剣を振るっている。
 ガササッ!!
 その直後、凍司の背後の茂みからオーガが飛び出してきた。
 振り向いている時間はない‥‥‥。そう判断した凍司は、長剣を素速く逆手に持ち替えるとそのまま後ろに突きつけた。刃がオーガの胸板に突き刺さる手応えを感じた凍司は、長剣を手放すとすぐにオーガとの間を取った。物の見事に心臓を一突きされたオーガは、不意打ちを試みようとしたが敢えなくその場に昏倒してしまった。
「援護の必要は無かったようだな」
 声のした方向に凍司は振り向くと、蒼白い光がボウッと輝いていた。その方向から歩いてきたのが禅鎧である事に気付くと、安心したように構えを解いた。光の正体は、禅鎧の左手に集中された『氣』だったのだ。
「フフ、不意打ち如きにやられる僕じゃありませんよ」
「それもそうだな。…これが、最後の魔物か?」
 禅鎧の問い掛けに、凍司は静かに頷いた。禅鎧は倒れているオーガに近寄ると、その場に地面に手の平を当てるように片膝を付いた。そして何らかの呪文を詠唱すると、禅鎧を中心に円が描かれ、やがて内側が目映いばかりに輝き始めた。魔物の身体が光に飲み込まれると、その光は役目を終えたように徐々に消えていった。
 禅鎧を取り囲んでいた円も消滅すると、オーガの身体があった地面から小さな光の珠が現れ、シャボン玉のように中空を漂いながら森の外へと出ていった。
「『アース・ベリオル』ですか…。以前にも、これを使っていましたね。…何故ですか?」
 アース・ベリオルは、魔物の死体を土へと返す魔法。その魔物の魂は、今度は別の生命となり変わる。それは、禅鎧の魔物に対するせめてもの慈悲ともとれた。
「魔物とて、好きで他の生命を襲うわけじゃない。ただ単に自我を保てないだけだ。悪い薬に侵された人間のようにね」
 この魔法で肉体を土に返された魔物の魂は、次に転生をした時は自我を持った魔物もしくは、大人しい小動物に生まれ変わる事が出来るとされている…と禅鎧は続けた。そこで口を閉ざしてしまう禅鎧だが、凍司は彼の真理を悟りきったように微笑した。
「…どうした、凍司?」
「僕は、貴方が親友である事を誇りに思います。…さてと、それじゃあカッセルさんの家に戻りましょうか」
 真剣な表情で禅鎧に敬意を表すると、後はいつもの口調に禅鎧は戻した。禅鎧は頷くと、2人は足早に森の中を出ていった。
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「終わりましたよ、カッセルさん」
「おお、そうか。ご苦労じゃったな。まあ、何にもないがお茶でも飲んでいってくれ」
 カッセルに依頼された仕事を終了した事を報せた禅鎧は、予め入れておいてくれていた例のお茶で一息ついていた。カッセル・ティーと呼ばれる、ローラが名付けた木の実をすりつぶして作ったというお茶だ。
 カッセルが『何にもない…』と言ったのは、アリサの計らいでカッセルからの依頼を無料で請け負っていたからだ。禅鎧はそれに不満を言うこともなく、むしろそうするのが当然だという考えが強かった。
「不躾な事をお尋ねしますが、何故ジョート・ショップにモンスター退治を依頼したのですか? 普通こういうものは、自警団に頼むものじゃないのですか?」
 ふと凍司は、そんな質問をカッセルに投げかけた。カッセルは立派な顎髭を撫でる。カッセルが何か考え事をしている時によくやる癖だ。
「それでも良かったのじゃが、お前たちの方が頼りになると、先日孤児院の子供たちを引き連れて遊びに来たローラが教えてくれてな。確かにローラの言う通り、以前自警団に依頼したときより短い時間でやってくれたな。しかもたった2人で…な」
 凍司は照れ隠しに、謙遜するように苦笑いを浮かべた。
「それと、理由はあと1つ。お前たちに、禅鎧に頼みたいことがあるのじゃ」
「頼みたい事‥‥‥? ローラの事ですか?」
 禅鎧がそう言ったのには理由があった。以前、禅鎧はローラと共にカッセルの家を訪れた事があった。その時の会話から、カッセルは彼女の事を実の孫のように可愛がっている事が伺える。そんな彼が、ローラが精神体である事が気にならないはずがない。
「…流石じゃな。そう、頼みというのは他でもない。ローラの肉体を捜して欲しいのじゃ」
 カッセルはそう始めると、1つ1つ説明を始めた。ローラは元々、今から百年以上前に既にこの世に生を受けていたのだが、ある時不幸にも不治の病に冒されてしまった。そこで医学の進歩した未来に彼女を託そうと、特殊な装置を使って彼女の肉体を半永久的に眠らせる事にした。だが何らかの拍子で、ローラの精神だけが離脱してしまい、現在に至っているという。
「ローラは普段は明るく振る舞っているが、きっと精神体である事に悲しみを感じているじゃろう。こういう食器などは持つ事は出来ても、人間に触れる事は出来ない。ローラはお主の事を気に入っているようじゃから、きっといつかは手を繋いで街を歩きたいと思っているかもしれんのう」
 ホッホッホと笑いながら、カッセル。禅鎧は顔を俯かせると、前髪を掻き上げた。その行動が、凍司には照れ隠しのように思えた。
「書物によれば、このエンフィールドには未発見の遺跡がまだあるという。もしそういう所を発見したら、ついでで構わないからローラの身体を捜してくれないだろうか」
 凍司は驚きのあまり、言葉を失ってしまっていた。ローラとは一度だけ会ったことがあるのだが、そのような事があったとは思ってもいなかった。かたや禅鎧は口元に手を当ててしばし考えていたが、すぐに頷いてみせた。
「分かりました。ローラには、いろいろと助けて貰った恩がありますからね」
「ウム、お主たちならきっと見付ける事が出来るだろう」
 満足げにカッセルは頷いた。凍司は、いつもの確信的な表情を浮かべた禅鎧に視線を向ける。禅鎧は口には出さなかったが、理由はそれだけではない事に凍司は既に気付いている。それは、彼が侵した過ちに対するせめてもの償いでもあった。

 ローラの事についてカッセルから話を聞いた後、一度禅鎧はジョートショップへ戻ることにした。主な目的は武器を置いてくる事と、孤児院で聞かせる曲の楽譜を取りに行く事。どの曲が適しているのか、シーラに見て貰うためだ。だがかなりの量の楽譜が有る為に、凍司の助けも借りつつ、昔から語り継がれてきたチャイルディッシュな曲、明るめの自作の曲を幾つか見繕った。
 楽譜を愛用のファイルに収めてから下のリビングに降りてみると、昼食が既に出来上がっていて、凍司も加えて食事を取った。その食後のこと‥‥‥。
「禅鎧君、確か午後は教会に行くのよね? 今パイを焼いているところなんだけど、それを教会の子供たちに持っていって貰えないかしら?」
 ジョートショップを出ようとした時、アリサがそのように呼び掛けてきた。当然禅鎧は断るはずもなく、パイが焼き上がるまでの間くつろぐ事になった。
「…と、もうこんな時間ですか。それじゃあ禅鎧、僕は残りの仕事を片付けに行ってきますよ」
「ああ、分かった」
「凍司さん、頑張って下さいッス〜」
 凍司はアリサとテディ、禅鎧に向かって紳士的に一礼してから、ジョートショップを後にした。
「凍司さん、相変わらず礼儀正しいッスね。かしこまった振る舞いが、少しもキザに見えないところも凄いッス〜」
 と、尊敬の眼差しでテディ。その言葉に、禅鎧もそうだな…と相づちを打った。その後禅鎧はアリサと他愛のない会話をして、パイが出来上がるまでの時間を潰した。
 そして、数分後‥‥‥。
「さあ、出来上がったわ。‥‥‥それじゃあ禅鎧君、宜しくお願いするわね」
 アリサは出来上がったパイを三等分すると、一等分を残して後は専用の容器に入れて少し厚めの布で包み、禅鎧に手渡した。
「分かりました。じゃあ、行ってきますよ」
 大きく手を振りながら見送るテディを後目に、禅鎧は待ち合わせ場所のさくら亭へと向かった。

 カラン、カラ〜ン!
 さくら亭入口のカウベルが、いつものようにパティに新たな客の来店を告げてきた。
「はい、いらっしゃ〜…あら、禅鎧。お連れ様なら、あそこで待ってるわよ」
 その客が禅鎧である事に気付いたパティは、彼をカウンターに座っているシーラの方へと空いている手で促した。シーラは禅鎧の姿に気が付くと、はにかみながら小さく会釈した。
「あっ、禅鎧くん。お疲れさま」
「ああ、シーラこそ。‥‥‥『お連れ様』って、シーラの事だったのか」
 パティの言葉の表現方法に、思わず苦笑いを零す禅鎧。
「え、どうしたの?」
 店内のざわめきによって、掻き消されてしまったのだろう。シーラの反応から、パティの先程の言葉は彼女の耳には届いていなかったらしい。禅鎧はパイの入った包みを床に置くと、シーラの隣の席に腰を下ろした。彼女の目の前にはいい匂いを漂わせたナポリタンが置かれてあった。
「まだ、昼食を取ってたところか…」
「うん。すぐに食べ終わるから、もう少し待っててくれる?」
「いや、まだ時間はあるからゆっくり食べてていい」
 そう言ってから禅鎧は、アリサから預かったパイの方に視線を向ける。冷めてしまうのではないかと思ったが、受け取った時はまだ熱かったので、教会に着く頃には子供でも食べやすい程度に冷めているだろう。
「禅鎧。折角来たんだから、コーヒーでも飲んでいきなさいよ」
 カウンターに戻ってきたパティが、禅鎧にそう勧めてくる。禅鎧が頷くと、パティはコーヒーの準備に取り掛かった。禅鎧は懐からファイルを取り出すと、持ってきた楽譜に目を通し始めた。
「禅鎧くん、それは何?」
「俺が持ってきた楽譜。教会に行く途中で構わないから、どの曲がいいか見てくれるか?」
 禅鎧の問い掛けに、シーラは快く頷いた。ちょうどその時、パティが出来上がったコーヒーを禅鎧に配膳してきた。
「フフ…。趣味が合う者同志、会話が盛り上がっているみたいね」
「パ…パティちゃん」
 恥ずかしそうにシーラ。禅鎧も半ば困ったような表情を浮かべつつ、それを誤魔化すように差し出されたコーヒーを一啜りした。
「あら、それが禅鎧の持ってきた楽譜? そう言えばシーラも、持ってきてたわよね?」
 カウンター越しに、禅鎧の楽譜を覗き込んできたパティはシーラにそう促してきた。
「え…うん。禅鎧くんに、子供たちの好きな曲を教えてあげようと思って…」
「そうか…、それは助かる」
 禅鎧は後で見せてくれるよう、先程の事柄に重ねてシーラに頼み込んだ。その後、パティも交えて3人で‥‥‥食べているシーラに、あまり話を振らないように気を配りながら‥‥‥他愛のない会話を交わした。
 カチャッ…。 
「ごちそうさま、パティちゃん」
 空になった食器に、フォークとスプーンを置くシーラ。禅鎧の方も、ちょうどコーヒーを飲み干したところだった。シーラの皿と、禅鎧のコーヒーカップを流し台にさげるパティ。
「お待たせ、禅鎧くん」
「ああ…。じゃあ、早速行こうか」
 そう言って、2人は食事代をパティに支払った後、さくら亭を後にした。

Break Time...
中央改札 交響曲 感想 説明