中央改札 交響曲 感想 説明

In the forest -前編-
輝風 龍矢


The last song

第3章:Type Around

第5話:In the forest -前編-

 サウスロットは、エンフィールドの中では、最も古い建造物が立ち並んでいる区域といえる。数十年前…否、もっと昔に一体何のために建てられたものなのか。それを知る者は、恐らくは常世の厳しい風当たりに耐え抜いてきた人間ぐらいなのであろう。今や住民たちの娯楽、そしてダークサイドで密かに行われているシーヴズギルドの者たち主催の『格闘賭博』の舞台にもなっている『エンフィールド・コロシアム』。何らかの遺跡の跡ではないかという噂も流れていた『祈りと灯火の門』。
 この2つの建物を残したまま、現在様々な施設・住居が建ち並んでいるが、これらの建物の存在感が強いためか、量では圧倒的に上回っている現在の建築物が不自然に見えてしまうのも不思議でならない。
「失礼いたします」
 ショート科学研究所も、そういった建物の1つに数えられている。真っ白な建物の壁には、科学者たちの研究の結晶ともとれる汚れが見受けられるが、不思議と清潔感を感じさせる。その研究所の一室に、普段着の上に白衣を羽織った若い研究員が入ってくる。そして、微妙な光沢を見せるスーツを身に纏った男の前で一礼する。
「本日までの、研究結果をこの書類にまとめておきましたので、早速ですが目を通して頂けませんか?」
「元々、そのつもりで来たのですからね。どれどれ、早く見せて下さい」
 お世辞にも美声とは言えない、何処か鼻につくような口調でその男は研究員からレポート用紙の束を受け取ると、フ〜〜ン…と溜め息のように大きく鼻を鳴らしながらそれに目を通し始めた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 研究員は黙したまま、長身の男の姿を見守っている。その表情には緊張感などは感じられず、むしろ変人を見るかのような訝しげな表情をしている。無理もない。なぜならその男は、子供のような遊び心が見受けられる仮面で素顔を隠していたのだから…。また部屋には大きな黒椅子‥‥‥所長の椅子‥‥‥があるのに、それに座ろうとはしない。
『我々のスポンサーであるハメット・ヴァロリーという男は、とても信用を於ける人物ではない』
 以前、この若い研究員が先輩研究員から聞かされていた言葉だ。確かに口調などは何処か人を見下したような印象を受けるが、所長の椅子に座らないところを見るに、それなりに礼儀を弁えている人間なのだろう…と、その研究員は思った。
 フムフム…と頷きながら次の用紙、それを読み終わったらまた次の…と目を通していくのだが、素顔が確認できない為に、仮面の男…ハメットが専門用語だらけの内容を理解しているのかいないのかは定かではない。
「素晴らしい‥‥‥」
 全てのレポート用紙に目を通し終わったハメットの第一声はそれだった。
「ここの研究員は実に優秀ですね。私の期待以上の働きを見せてくれている。流石は、ショート会長が創設なされた研究所だ…」
「‥‥‥は、はあ」
 はるか遠く彼方を見つめているような姿勢のままでハメット。少し突拍子過ぎる発言に、若い研究員は曖昧な返事を返した。
「いやいや、結構。この調子で、研究を進めていって下さいね」
「はい、かしこまりました。あ…それと、研究資金がそろそろ無くなってきたので‥‥‥」
 ハメットからレポート用紙を受け取ると、少し言いにくそうに研究員。だが全てを言う前に、ハメットは腰に手を当てて高らかな笑い声をあげた。
「ハッハッハ、その事ならお任せ下さい。ショート会長直属の秘書である私にかかれば、研究資金などすぐに手配できますよ。ですから、あなたがたは黙って研究に骨身を削っていればよいのです。さあ、分かったらさっさと研究室に戻りなさい」
「…は、はい。それでは、これで失礼いたします」
 ハメット独特の気に押され気味の研究員は一礼すると、足早に所長室を後にした。それを確認したハメットは1つ溜め息を付くと、再び口を開いた。
「もう、出てきても宜しいですよ」
 ヴウンッ!!
 歪んだノイズ音と同時に、胸元を大きくはだけさせた漆黒の拘束衣を身に付けた銀髪の男が、柔らかそうな黒椅子に大袈裟に足を組んでもたれ掛かるように座っていた。どうやら、黒い椅子に座ったまま姿と気配を消していたようだ。その手には、天然モノだろうか。良く精錬された水晶玉が握られており、それは微妙な輝きを帯びていた。
「お聞きになりましたか、シャドウ殿? 我々の作戦は今のところ順調のようでございますよ?」
「…今のところは、な。ところで、例の逃亡したというメス猫は見つかったのか?」
 水晶玉をお手玉しながら、シャドウ。そして再び、水晶玉の中を覗き込む。何やら、何処かの家の風景が映し出されている。長テーブルには、沢山の御馳走が並べられていて、中央にはろうそくが立てられた、見る者の口内を潤してくるケーキが置かれてあった。どうやら、誰かの誕生パーティを開いているようだ。
「いえ、ただいま私直属の部下に捜索させておりますよ」
「捜索『させている』…か。貴様はここで、のんびりと高みの見物という訳か」
 皮肉っぽい口調でシャドウ。その言葉にカチンと来たのか、ハメットは少しムキになって反論してくる。
「人聞きが悪いですねっ! 私めは、ショート財閥の未来の為に、必要不可欠なこの一大計画を見守るためにですね‥‥‥」
「ハハハハハッ! 分かった分かった、そういう事にしといてやるぜ」
 ケラケラと高笑いをするシャドウ。
「フン、本当なんですからねっ! …ところで、この後はどう致しましょうか」
「そうだな。今日は、後は特に何もな‥‥‥‥」
 だが、シャドウの言葉は最後まで続かなかった。水晶玉に映し出された風景に、何らかの異変が起きたのだ。ガタイの良い中年風の男性と、大きなリボンを飾った少女が口論をしている。その傍らでは、その少女と同年代…何故かエルフも混ざっている…恐らくは友人だろう。心配そうな表情で、2人を見守っていた。
「な…何が、見えるのでございますか?」
 ハメットも怪訝な表情を浮かべつつ、水晶玉にズイッと顔を近付けてみるが何も見えない。口論が終わったかと思うと、その少女は涙目で家を飛び出していった。エルフと同年代の少年1人と少女2人は、慌てた表情で彼女の後を追いかけていった。
 バリィィィィン!!!
 そこで、水晶玉はけたたましい音をたてて粉々に砕け散った。男が水晶玉を素手で、片手で割ってしまったのだ。突如目の前で水晶玉が粉砕した為に、ハメットは驚きの余り尻餅を付いてしまう。
「いい、い…いきなり、ななな…何をするんですかっ!?」
「ケケケケ、見付けたぜぇ。久々の玩具をなぁっ!!」
 手の平の中でキラキラと輝く水晶玉の欠片を睨み付けながら、シャドウは歓喜のこもった言葉を漏らした。その表情のまま、ハメットに視線を移す。
「フフフフッ、面白いゲームを考えついたぜ!!」
「! ということは、またジョートショップの連中の妨害をやるということですね? 分かりました、では及ばせながら私も‥‥‥!」
 こちらもまた、歓喜の余り全身をブルブルと奮い立たせるハメット。
「いや、悪いがお前は待機だ。今回は黙って、その一大計画とやらの状況を見守ってなっ!」
 そう言い残すと、シャドウは鼓膜に突き刺さるようなノイズ音と同時に姿を消した。

 ‥‥‥‥同時刻の『陽の当たる丘公園』。その名の通りここには、公園を一望できるように創られた小さな丘がそびえている。
 ガシィ! ギィンッ!!
 金属と金属がぶつかり合う、堅く鋭い音が公園を漂う温かな空気を振動させていた。その音の真っ只中には禅鎧・凍司・リサ、そしてシーラも加わっていた。先程から鼓膜を刺激してくる金属音は、凍司の剣とリサのバトルナイフのクロスされた音だった。当然の事ながら、2人の持っている武器は、訓練用の殺傷能力を欠いた特殊な武器だ。その2人を中心で見据えるように禅鎧。そしてその傍らでは、シーラが黙したまま2人を見守っていた。
「『炎龍弧月斬』!!」
「『ファイナル・ストライク』!!」
 グワッ!!!! 
 紅と白…それぞれの光が交差し合った瞬間、丘にそれら2色の『力』が円柱状に高々と吹き上げられた。余りの眩しさに、シーラは咄嗟に自身の腕で視界を遮った。
 更には、それと同時に吹き上げられる一振りの武器。その武器は、リサの使用していたバトルナイフだった。2本の円柱が消えると同時に、それは虚しく地面に突き刺さる。凍司の剣は飛ばされずに、それの切っ先がリサの喉元を狙っていた。
「…フウ。やはり、アンタたち2人にはかなわないか」
 リサが両手を挙げながらそう言うと、凍司は静かな笑みを浮かべながら構えを解いた。
「いえ、そうでもなさそうですよ」
 凍司の言葉に、リサは怪訝な表情を浮かべる。すると凍司は、剣を高らかに中空にかざすように腕を挙げると、それを一気に地面に振り下ろした。刹那‥‥‥。
 バキィィィィィン!!!
 振り下ろされた剣が地面に叩き付けられた瞬間、耳障りな破壊音をたてて粉々に砕け散ってしまったのだ。恐らくは、リサのファイナルストライクが、刀身の限界強度を超えてしまっていたためだろう。
 パチパチパチパチ!
 そこで戦闘終了と判断した禅鎧は、静かな笑みを向けながら拍手をした。見入っていたシーラも、禅鎧につられて受動的に拍手をした。
「イミテーションとはいえ、凍司の剣を破壊してしまうとはな。流石に、女だてらに傭兵稼業を営んでいるわけではないな」
「ハハッ、あんたからお褒めに与るとはね。まあ今回は、まぐれで破壊できたようなものさ」
 リサと凍司はお互いに一礼をすると、凍司はシーラを側に呼び寄せた。
「如何でしたか、シーラさん? 僕らの手合わせは」
 今ここで行われているのは、禅鎧・凍司・リサの中で日課となっている戦闘訓練だ。当初は禅鎧と凍司のみだったが、それを偶然にも見学していたリサが自分も『加えて欲しい』と名乗り出た事がきっかけとなり、現在はリサも加えての3人で訓練を行っている。
「う…うん。あまり動きが見えなかったけど、こういうの見るの初めてだったから。今…すごくドキドキしてる」
 自分の鼓動を確認するかのように、左胸に手を当てるシーラ。凍司は満足げに静かに微笑むと、その表情のまま禅鎧の方に振り向いた。
「…だそうですよ。良かったですね、禅鎧」
「ああ‥‥‥。そうだな」
 突然会話を振られ、禅鎧は少し戸惑い気味に返事をした。相変わらずの禅鎧の反応だが、リサはそれに不敵な笑みを浮かべていた。
「そう言えば禅鎧、まだ聞いていなかったのですが…。何故今日は、シーラさんを連れてきたのですか?」
 凍司の問いに、禅鎧はシーラを見据えながら口を開いた。
「ああ、それについてだが‥‥‥。俺たちの訓練がてら、シーラにも簡単な護身術を教えたいんだ」
「えっ‥‥‥?」
 どうやら本人にも説明してなかったらしく、シーラは半ば驚きの表情を見せた。
「へえ…。それはまたどうしてですか?」
 禅鎧の心理を知ってか知らずか、凍司は半ばわざとらしく禅鎧に問い掛ける。ふと禅鎧はシーラの方に視線を向ける。少し間を置くと、半ば言いにくそうに言葉を続けてきた。
「実は以前、シーラが仕事の帰りに悪漢に襲われた事があってね。その時は俺が助けたんだけど、常にシーラの側に誰かが居るとは限らない」
「最低限、降りかかる火の粉を振り払う術は憶えていた方がいい…。そう仰有りたいのですね、禅鎧?」
 禅鎧の言葉を補うように、その後に続いて説明する凍司。禅鎧はそれに静かに頷くと、改めて隣りにいるシーラの方に振り向いた。
「無論、強制したりはしない。俺は、シーラの考えを尊重するからな」
 シーラはしばらく考え込むが、すぐに自分の出した回答に納得するかのように頷いた。
「…はいっ! 宜しくお願いします」
 嬉しそうに微笑みながら、シーラは禅鎧に頭を下げた。
 これまでシーラは、両親やそれを始めとしたシェフィールドの家柄、そして禅鎧たち同年代の友人など、様々な人々から守られるような毎日を送っていた。当初それがとても嬉しく感じられ、彼らの恩恵にずっと身を委ね続けてきた。だが、彼女の中で徐々にそんな考えが変わり、やがて逆に自分の弱さを恥じるようになった。これ以上、周りのみんなに迷惑をかけたくはない。私のために傷ついて欲しくない。その為には、自分もいろいろな面で強くならなければならない。
 彼女がそう考えるようになったのは、やはり禅鎧との出会いが一番影響力を及ぼしているのだろう。事実、シーラはそんな禅鎧に対しては、特にそういう想いを強く抱くようになっていた。
「そうか、分かった。…リサ、凍司。悪いけど、2人にも手伝って貰いたい」
「アタシもかい? あんたたち2人で充分じゃないのか?」
 当然といえば当然といえるリサの言葉に、禅鎧はまたも言いにくそうに前髪を掻き上げる。
「…俺のような異性相手では、教えづらい護身術もあるからな」
「‥‥‥なるほどね。アタシも手伝わせて貰うよ」
 グッと親指を立てながら、ウインクをするリサ。ありがとうございます…と、シーラに礼儀正しく再び頭を下げられ、照れくさそうに苦笑いを浮かべた。
「及ばせながら、僕も少しですがお手伝いしますよ」
 禅鎧は静かな笑みを浮かべつつ、凍司に頷き返した。
「決まりだな。…シーラ、早速で悪いけど今日から始めさせて貰って構わないか?」
「はい! 禅鎧くん、改めて宜しくお願いします」
 シーラの快い返事に、禅鎧は静かな笑みを浮かべた。ふとそこで何かを思いだしたらしく、さらに言葉を続けることにした。
「ああ、それと。…これはまず無いだろうけど、一応これだけ俺と約束をしてくれないか。今から教える技を悪用したり、こちらから攻撃を仕掛けたりしない事。いいね?」
 苦笑いを浮かべながら禅鎧。シーラは、再び素直に笑顔で頷いてみせた。
「うん、約束します」

 エンフィールドの大通りを、俯き加減で走り抜けている少女の姿があった。彼女にとっての流行の象徴とも取れる若干ラフな服装。トレードマークの黄色いリボン。他ならぬトリーシャ・フォスターだった。
(お父さんの、バカ‥‥‥!)
 今日は彼女にとって最も大切な、トリーシャがこの世に生を受けた日だ。父親のリカルドは勿論の事、マリア・クリス・シェリルたちにも呼び掛け、先程までは楽しく誕生パーティーを開いていた。しかし、突然自警団から緊急出勤するよう要請された為、リカルドが途中で抜けなくてはならなくなったのが事の始まりだった。
 トリーシャは家を飛び出し、行く当てもなくエンフィールドを走っていた。他の通行人にぶつかりながらも、いつもなら友達と楽しく歩いていたさくら通りを走り抜けて行った。
 自警団は、エンフィールドの治安・住民を守るために日々奔走している。その自警団の隊長を務めている父親を、トリーシャは最も尊敬していた。故にトリーシャ自身、衝動的に家を飛び出してしまったとはいえ、心の底では大切な仕事なのだから仕方がないという考えはあった。だから以前に同じ様なことがあっても、トリーシャはリカルドを笑顔で送り出していた。
 しかし、そんな父親を彼女は心の何処かでは許していなかったのだろう。それが偶然にも今日、このような形となって爆発してしまった。また、それとは別の何かがそれを助長していた。
「ハア、ハア、ハア‥‥‥‥」
 流石に体力に限界が来してきたトリーシャは立ち止まり、両膝に手を付きつつ呼吸を整える。こぼれ落ちていた涙を拭い、周囲を見回してみる。そこは辺り一面、青々とした木々と空気に満ち溢れた森。トリーシャには見覚えがあった。以前、禅鎧たちと共に歩いた雷鳴山の山道だった。
「こんなところまで走ってきたんだ…」
 無意識のうちの自分の行動に、トリーシャは驚いてしまう。そしてこの辺は、モンスターが出没する危険区域として指定されている事を思い出す。すぐにトリーシャは、その場を引き返そうとするが‥‥‥。
 ヴ‥‥‥ヴウンッ!!
 突然、目の前の空間が強引に開かれたように歪み、同時に歪曲したノイズ音が鼓膜を刺激してきた。そこに現れたのは、トリーシャも見覚えのある人物だった。
「あっ…あなたはっ!!」
 昼間でも見栄えがするほどの銀髪。ラフに着飾った漆黒の拘束衣。不気味な紋様が描かれた両目に掛かった眼帯。これらの特徴を併せ持った人物は、トリーシャの記憶の中には1人しかいない。
 男は不気味にほくそ笑むと、トリーシャに向かって片手を差し出した。刹那、男の手が微妙な輝きを帯びる。危険を察知したトリーシャは逃げようとするが、何故か身体が動こうとはしなかった。
「え‥‥‥ど、どうして」
「ヘッヘッヘ、大切な玩具を逃がすわけにはいかないだろう? …お前の心の中に生まれし負の力、このシャドウ様の大事な糧とさせて貰うぜっ!」
 ボウッ‥‥‥。
 赤紫色に輝いたシャドウの手から、天空を翔ける霹靂のような光がトリーシャに向けて放たれた。抗うことも出来ず、トリーシャの身体は同色の光に包み込まれた。
「な…何? ち、力が‥‥‥抜け‥‥‥て」
 徐々に彼女は強烈な脱力感に襲われる。だが、それと同時に先程まで心に付着していたモヤモヤした気持ちからの解放感も憶えた。
「お…、お父さ…ん」
 その言葉を最後に、トリーシャはその場に倒れ伏してしまった。同時に、シャドウの手と彼女の身体を包み込んでいた不気味な光も、その役目を終えたかのように消えていた。
「ケケケケ。さあて、どのように向こう側が出てくるか、高みの見物としゃれ込むとするか‥‥‥」

 ほぼ同時刻、シーラは禅鎧ら3人による護身術の訓練を終えていた。今日は初めてだということで、相手の手首を力一杯捻り返す技、親指の関節を使った攻撃技、そして胸倉を掴まれたり、背後から抱き付かれた時など‥‥‥これは最初に言った通りリサにやってもらった‥‥‥の痴漢撃退技など、最も基本的なものを教わった。
 シーラはそれらを憶えるのに、それ程時間は掛からなかった。なかなか手つきが良いですね…というのは凍司の弁だ。
「…今日は、こんなところでいいだろう」
「はい。禅鎧くん、凍司くん、リサさん。ありがとうございました」
 礼儀正しく頭を下げるシーラ。そう言う彼女の表情は、何処か生き生きとしていた。
「凍司の言う通り、シーラは飲み込みが早いようだね。あまり、こういうのには縁がないと思ってたんだけど…」
「これが、元々シーラさんの内に秘められた才能の1つですよ。今までピアノという陰に隠れていた為に、外から見えなかっただけの事です」
 それを陰から出してくれたのが禅鎧だったというわけです…と、その親友を誇らしげに見つめながら凍司は続けた。その禅鎧はシーラに、今日教えた護身術についてのポイントを解説していた。
「最初に言ったけど、護身術はその名の通り自己防衛の一環であって、俺たちが使うような攻撃技じゃない。とにかく逃げる事を大前提にして考えることだ」
 シーラも、真面目な表情で禅鎧の説明に聞き入っている。理解したときは、嬉しそうに微笑みながら頷いていた。…と、そこへ凍司が口を挟んでくる。
「禅鎧の言う通りです。そして、やはり何よりも一番安全なのは、最も信頼のおける誰かと常に一緒に行動をする事です。…そうですよね、禅鎧?」
「? ‥‥‥あ、ああ。そうだな」
 禅鎧は一瞬凍司の言いたい事が分からなかったが、はにかんだ表情でこちらを見つめるシーラに気付く。禅鎧の胸の奥で、以前にも感じた事のある温かいものが込み上げてきた。
(‥‥‥‥‥‥‥)
 冷静に自分の心理を分析するかのように、静かな表情を浮かべたまま自分の胸に手を当てる。少しだけだが、心臓の鼓動が早まっている。動悸などの類ではない。何故か禅鎧には、その感覚をずっと以前にも憶えていたような気がした。
「どうしたの、禅鎧くん?」
 訝しげな、心配そうな表情でシーラが尋ねてくる。禅鎧はハッと我に返り、小さく苦笑いを零した。
「ん‥‥‥いや、何でもない。じゃあ、今日はこれで解散‥‥‥」
 だが、禅鎧の言葉は最後まで紡がれなかった。1つ手前の広場から、血相を変えて走ってくる2つ結いの金髪の少女と、同じ様な体型の少年の姿に気がついたためだ。禅鎧の視線を追いかけ、凍司たちも2人のシルエットに気付く。
「あれは、マリアとクリスじゃないか。お〜い、2人ともどうしたんだ!?」
 リサの呼び掛けに気付いた2人は、速度を緩ませることなくこちらに駆け寄ってきた。そして呼吸を少し落ち着かせると、早口でまくしたてるようにこう尋ねてきた。
「…ねえ、禅鎧たち。こっちの方に、トリーシャが走ってこなかった?」
「いや、見ていないが…。何かあったか?」
「…はい。実はトリーシャちゃんが、行方不明なんです!!」
 禅鎧と凍司が眉をひそめた。シーラは口元を手で覆い隠すように、心配そうな表情を浮かべている。
「話が見えませんね。2人とも、詳しく説明してくれますか?」
 凍司の問い掛けにクリスは静かに頷くと、誕生パーティの最中、非番だったはずのリカルドが急に出勤しなければならなくなった事で口論になり、泣きながら家を飛び出してしまったこと。そして、自分たちはずっと街中を探し回ったが已然と見つからないことを説明した。
「シェリルと、それとエルにも手伝って貰ってるけど、まだ見つかってないのよ。…そだ、禅鎧たちもトリーシャ探すの手伝ってよ!」
 ちなみにシェリルも誕生パーティーに来ていたが、トリーシャの家で留守番を代わりに受け持っている。
「お願いします。みなさんが手伝ってくれたら、すごく心強いです」
 深々と頭を下げるクリス。禅鎧は静かに微笑むと、クリスの肩に手を置いた。
「頭を上げてくれないか? 俺は、そんな他人から頭を下げられるほど偉くはない。詳しい話を聞いた以上は、俺も手伝わせて貰う」
「やったね! それじゃあ、早く行動を再会しよっ!」
 パンッと胸の前で両手を鉢合わせるマリア。
「ま、アタシも別にこれといった用事はないし、手伝わせて貰うよ」
「僕は禅鎧の言葉に従いますよ。…それで、トリーシャさんの捜索は何処まで終わったのですか?」
 凍司の質問に、クリスはイーストロットを除いて既に探し終わったと説明した。家を飛び出していたトリーシャの様子からして、一度通った場所に二度も現れる可能性は低いと判断した禅鎧は、イーストロット及び、ローズレイクや雷鳴山まで範囲を広げることにした。禅鎧のその提案に反対する者は無かった。
「後、折角の大人数だから二手に別れて探した方がいい」
「そうですね。それじゃあ僕らはローズレイクの方に行きますから、禅鎧は雷鳴山方面をお願いします」
 凍司の言葉に静かに頷く禅鎧。続いて、禅鎧と凍司を筆頭にどのような編成をするかに話が持ち込まれた。
「では、禅鎧は誰を連れていきますか?」
 現在この場にいる6人プラス、他を捜索中のシェリルとエルの2人。各々1人ずつと合流するとして、当然ながら2人を選ぶのが妥当だ。前髪を掻き上げながら考えていると、ふとこちらに真っ直ぐな視線を投げかけているシーラに気付く。禅鎧の視線に気付いたシーラは恥ずかしそうに目を逸らすが、俯き加減に時々こちらを伺っている。
(常に誰かが一緒にいてあげること…か)
 不意に先程の凍司の言葉を思い出す。禅鎧は静かに頷くと、俯けていた顔を挙げ口を開いた。
「じゃあ、クリスと‥‥‥シーラも来てくれるか?」
 禅鎧の言葉に、シーラの胸がドキリと波打った。半ば驚いたような嬉しそうな表情で、シーラは俯かせていた顔を挙げた。
「解りました、禅鎧さん! 僕、頑張りますっ!」
「禅鎧くん‥‥‥‥」
 完全に驚きの色が消え失せたシーラに、禅鎧は照れ隠しのような笑みを浮かべると、クールな笑みを彼女に向けながら言葉を続けた。
「雷鳴山に行くからには、魔物との遭遇も考えられる。だから、あまり俺の側を離れないようにしてほしい」
「…うんっ! ありがとう…、禅鎧くん」
 そう言うシーラの顔は、とても濃い歓喜の色に包まれていた。リサにとっては禅鎧のセリフは意外だったらしく、小さく口笛を吹いた。
「分かりました。ではマリアさんとリサさんは、僕と一緒にローズレイク方面を探索ですね」
「ああ、いいよ」
「オッケー☆ 凍司、あんたもちゃ〜んとあたしたちの事を守らなきゃダメよっ!」
「ええ、肝に銘じておきますよ」
 マリアのそんな言葉にも、リサのように苦笑い1つ浮かべる事無く、凍司はあくまで真面目に答える。
「…よし。凍司たちはトリーシャの発見の有無に問わず、探索が終わったら雷鳴山の方に来てほしい。じゃあ、行動開始だ」 凍司のグループは途中エルと合流し、道行く人々にトリーシャのことを尋ね回ってみるが、エンフィールドの東側に向かって走っていったという、似たような情報しか手に入らなかった為、結局はローズレイクまで足を運ぶことになった。
「トリーシャ〜〜! トリーシャってばぁ〜!!」
「…ったく、どこまで行っちまったんだか。お〜い、返事してくれ〜!」
 マリアとエルは大声でトリーシャを呼ぶが、それは虚しく木霊するだけだった。
「何とか、夕暮れまでには探し出したい所だね」
 そう言いながら小さな茂みの中を覗き込んでみるが、やはりトリーシャの姿は無かった。リサの言葉に反応してか、凍司は蒼く澄み渡った天空を見上げる。まだ太陽は南西に差し掛かったばかり。時間的に見れば余裕があるように思えるが、もしかしたらエンフィールドを出てしまった可能性も否定できないため、そんな悠長に構えている暇はない。
「トリーシャさ〜‥‥‥ん、あれは?」
 自然に出来たと思われる小さな丘まで移動して、ローズレイク一体を見下ろしていた凍司が、妙な光景を目にする。湖畔の辺りで、何やら小さな生物がハーピーに囲まれていた。
「どうしたんだい、凍司? あれは…『フサ』じゃないか」
「フサ…というと。森の精霊とも言われている、おとなしい種族の事ですね?」
 凍司の分析にリサは静かに頷いた。フサは年を取る事に身体にフカフカの毛皮に覆われてくるが、まだ頭部しか覆われていない所を見ると、どうやら子供のフサなのだろう。マリアとエルも、凍司とリサの様子に気付いたらしく、こちらに駆け寄ってくる。
「あっ、何かカワイイ生き物がいじめられてる! 可哀想‥‥‥」
「…ふう。で、どうするんだい?」
 この先に凍司たちが起こそうとする行動を予想してか否か、エルは溜め息を付くと凍司とリサに問い掛けた。
「任務を優先する!…と言うわけには流石にいきませんね。仕方ありません。早めに片を付けてしまいましょう」
 凍司の提案に、リサはやっぱりね…と小さく苦笑いを零した。凍司がそう考えたのにはもう1つ理由があったが、敢えてそれは語らないことにした。
「よ〜っし! それなら、あたしの魔法でギッタギタにしてやるわ!」
「バ〜カ! お前が加勢したところで、余計に時間をくっちまうに決まってるだろ?」
「魔法の1つも使えないバカエルフに、言われたくないわよっ!」
 凍司を除いた全員は良く知っているが、マリアとエルはとても仲が悪い。特に魔法の話となれば、すぐに反発し合う。それでなくとも、どこからか魔法の事を持ってきてしまうのだが。
「…申し訳ないですが、ここは僕1人でやらせて頂きます」
「なっ…ちょっと凍司、あんたまでそんな事を言うの?」
 マリアはツカツカと凍司の前に歩み寄ると、ぶうっ…と頬を膨らませながら講義してくる。そんな彼女に苦笑いを浮かべると、かぶりを左右に振りながら話を続けた。
「違いますよ。見ての通り、フサはハーピーたちに囲まれています。下手すると、フサを巻き込んでしまう可能性がありますからね」
「…じゃあ凍司、あんたはフサに傷1つ付けずに、ハーピーだけを攻撃出来る技を持っているわけだね? …分かった、ここはあんたに任せるよ」
 その問い掛けに凍司が頷くと、リサは納得したようにそう続けた。
「…ですから、マリアさんには次の機会に手伝って貰いますよ」
 人の良さそうな笑みを浮かべながら、凍司。マリアも、それで何とか納得したようだ。
 凍司は腰に挿していた長剣をスラリと抜くと、警策を持つように眼前にかざした。静かに瞳を閉じて精神統一にはいると、長剣が見る見るうちに妖しげに輝き出す。
「はあっ!」
 その掛け声と同時に、凍司は長剣を天高く放り投げた。クルクルと早周りした時計のように楕円を描きながらも、グングンと飛距離を伸ばしていく。そしてハーピーたちの群れの中心に差し掛かると、放物線を無視するように急降下し、フサのちょうど眼前の地面にドスッ…と突き刺さった。当然ながら、ハーピーとフサは驚きの余り硬直してしまう。
『我が剣よ あの小さき精霊を守り給え』
 凍司の静かな声が響くと、地面に直角に突き刺さった長剣を包んでいた光がフサを包み込んだかと思うと、防護壁のような球体がフサを中に取り込んでいた。
「フサにはしばらく我慢して頂きましょう。‥‥‥‥斬ッ!!」
 刹那、長剣を中心としてハーピー全てを取り囲める程の真円が地面に描かれた。そして、白光する円柱が地面から噴出すると同時に、ハーピーの肢体が目に見えない刃によって瞬時に八つ裂きにされた。
『キシャアアアアアッッ!!!』
 響き渡るハーピーたちの断末魔。凍司によって召喚された光の円柱によってよく確認できないが、ハーピーの身体が突如輝き出した。
「? ‥‥‥あの反応は、まさか…!」
 円柱が消えて間もなく、輝き出したハーピーの身体がシャボン玉のように八方に弾けた。凍司は眉間を寄せ、形の良い眉毛と瞳の間隔を縮めた。全て、凍司が予想していた通りだったのだ。
「わあいっ、やったね凍司!」
 マリアが歓声を上げると、一番乗りと言わんばかりに、未だポカンと一点を見つめているフサの元へと駆け寄っていった。彼女を追うように、凍司たちも丘を下っていく。
「ねえ、大丈夫だった? ああ〜、これは痛そう」
 少し身体を屈ませて、マリア。フサは何か言いたそうだったが、身体が小刻みに震えているため、少し怯えている‥‥‥警戒しているようだ。あちらこちらに出来たハーピーの鉤爪で引っ掛かれた傷跡が、治癒を求めるように紅に染まっている。
「な〜にフサを怖がらせてるんだよ、マリア?」
「ぶ〜☆ マリア、別に何もしてないもん! ‥‥‥あ、ちょっとジッとしててね」
 からかうように言ってくるエルに講義の視線を向けるが、すぐにフサの方に顔を向け、そっと傷口に手を当てる。一瞬、驚いたようにビクリと身体を振るわせるフサの子供。
 マリアの差し出された両手が優しい光を放つと、フサの身体の傷口が徐々にふさがっていき、やがて何事も無かったように全快した。同時にそれは、フサの身体の震えも完全に取り除いてくれた。
「はい、これでもう大丈夫よ」
「‥‥‥ア、アリガトウ。オネエチャンタチ…」
「へえ〜、人間の言葉が分かるのかい? 流石は森の精霊・フサだね」
 片言ながらも、フサの子供がやっとの事で口を開いた。マリアは優しい笑みを浮かべながら、フサの頭を撫でてやった。
「フフ〜ン、どうエル? いつもあたしの事馬鹿にしてるけど、あたしだってやる時はやるんだから」
 自慢げに胸を張るマリア。エルはフン…とそっぽを向くが、心中では彼女のことを少しだけ見直していた。
「しかし、何でまたハーピーたちに襲われていたんだい?」
 リサが問い掛けると、フサの子供は先程までの恐怖を思い出したように表情を曇らせた。
「話してくれる? ひょっとしたら、マリアたちにも手伝えるかもしれないからさ」
 すっかりお姉さん気分のマリアは、フサの子供に優しく話しかける。凍司は後ろで、何かを悟ったかのように難しい表情をしていた。
「‥‥‥ウン。オ姉チャンタチ、イイ人ミタイダカラ話シテアゲル」
 そして、事の発端を今度は普通の口調で説明してくれた。そして、それを耳にした凍司が初めて焦りの表情を露わにした。
「‥‥‥やはり、そういう事ですか。禅鎧‥‥‥」

To be continued...
中央改札 交響曲 感想 説明