中央改札 交響曲 感想 説明

Nartic Boy(1)
輝風 龍矢


The last song

第3章:Type Around
第8話:Nartic Boy(1)

 さんさんと日射を降り注ぐ太陽が南天を通り過ぎる頃、エンフィールドに向かって1台の馬車が向かっていた。貴族などが使用している豪華な装飾がなされたものではなく、いわゆる大衆的な馬車だ。
 ガラガラガラガラ‥‥‥。
 木製の車輪が地面に転がっている砂利を弾く音と、2頭の馬の蹄の規則的な固い音。双方の何処か心地よい音を響かせながら、馬車は徐々にエンフィールドとの距離を縮めていく。
 中に乗っているのは、1人の青年だった。掌ですくい上げ、指の隙間からこぼれ落ちる砂金のような、見栄えがするほどの金髪は前髪が若干長めだ。顔立ちは端正且つ均整だが、それは同姓の人間から見れば不愉快さを感じるだろう。馬車に乗って遠路を旅してきたのだろうが、それにはとても不釣り合いな派手めの服装を着用している。腕には誰からプレゼントされたのだろうか、金縁のブレスレット。また指にも、金・銀・プラチナの指輪を身に付けていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 青年は不敵且つ気障っぽい笑みを浮かべたまま、小窓の外を流れていく全く変わらぬ風景をジッと眺めている。それはまるで、近い未来に起ころうとしている自分の輝かしい姿に酔いしれているように思えた。
「ドオ、ドオ〜〜〜!!」
 ガラガラ、ヒヒ〜〜〜ン!!
 白髪混じりの中年の騎手は掛け声と同時に手綱を引っ張り、手慣れたように馬車をゆっくりと止めた。先に馬車を降りると、青年が乗っている客室の扉を開いた。
「さあ付いたよ、お客さん。足下に気を付けて、ゆっくり降りな」
「ああ、ありがとう」
 青年の声は美声だったが、心なしかそれを鼻に掛けたような口振りだった。騎手に言われた通りゆっくりと降りると、新鮮な空気を身体に充満させるように大きく息を吸い込んだ。
「この丘の下に広がるのが、エンフィールドだ」
「そうか。なるほど、確かに何処にでもある普通の田舎町‥‥‥でも、なさそうだな」
 青年は自分の眼下に広がるエンフィールドの街並みを見下ろしながら、そのような感想を述べた。青年は自分が1つ前にいた街から聞いていた話とは、また随分と印象が違っていた事に内心驚いていた。その理由の対象となったのが、この街の正門…『祈りと灯火の門』。もう1つは、大きな円形状の建物…『エンフィールド・コロシアム』。こんな緑の多い片田舎の街に佇む独特の建物は、やはり初めて街を訪れる者には衝撃的なものなのだろう。
「こんな街に何の用かは知らぬが、せいぜいゆっくりしていくんだな」
「無論、そのつもりだ。…じゃあ、これがお代だ」
 青年はジャケットの懐から巾着袋を取り出すと、それをそのまま騎手へと手渡した。少し重めの袋に訝しげに思いながら騎手は中身を除いてみると、そこには必要以上の金貨が入れられてあった。驚愕の表情のまま、騎手は不敵な笑みを浮かべる青年に視線を向ける。
「こんな遠い所までわざわざ運んでくれたお礼さ。遠慮せずに、受け取ってくれたまえ」
 その言葉に、中年の騎手は必要以上に青年に何度も頭を下げる。そして馬車に弾むように飛び乗ると、一度来た道を戻っていった。青年は馬車が見えなくなるまで見送ると、改めて秋色に染められたエンフィールドの街並みを見下ろす。真昼らしい、かなり活気づいた街並みを歩く通行人に目を向ける。だが青年の視線は、女性‥‥‥特に若く綺麗な‥‥‥ばかりを物色するように向けられていた。
「フフフフ…。待たせて悪かったね、エンフィールドの可憐な女の子たち。このボクがみんなに素晴らしい夢を見せるために、貴女方のお側に参ります」
 とびっきりの少し息の入った甘い口調で、青年。そんな自己陶酔した表情のまま、青年はエンフィールドの門をくぐり抜けていった。

「おはようございます」
 早朝のジョートショップ。禅鎧が2階の自室からリビングへと降りてくると、先に起きていたアリサとテディと朝の挨拶を交わした。
 エンフィールドにもようやく秋が訪れはじめ、街を歩く住民たちの服装もようやく秋物へと衣替えを済ませていた。『陽の当たる丘公園』や並木道を見渡せば、短い一生を終えた落葉が黄土色の絨毯を地面に創り出していた。また時折微風に吹かれては、空中で華麗なダンスを披露してくれる。
「あら、おはよう禅鎧君。今日は早いのね」
「禅鎧さん、おはようございますッス〜」
 早朝の肌寒さも手伝ってか、いつもより早めに目覚めた禅鎧。自分のいつもの席に座ると、テーブルの上に座っているテディの肌触りの良い頭を撫でてやる。これが禅鎧とテディとの間で行われる朝の挨拶でもあり、最近のスキンシップとなっていた。そんな2人を優しい笑みで見つめながら、アリサは出来上がった朝食をテーブルに並べる。
『いただきます(ッス〜)』
 アリサが席に付いたのを確認してから、禅鎧とテディは朝食に口を付け始める。しばらくの間、ジョートショップのリビングには食事の音と‥‥‥。
「禅鎧君、最近になって大分冷え込むようになってきたから、ちゃんと暖かい服装で外を出歩くようにしてね」
「ええ、解っています。風邪なんかに負けていられませんから」
「でも禅鎧さん、油断は大敵ッスよ」
 ‥‥‥といった、小さな団欒だけがほのぼのとした雰囲気の中で響き渡っていた。
「ごちそうさまでした」
 アリサより一足先に食べ終えた禅鎧は、同じく食べ終えていたテディの食器も一緒に流し台へと運んでいき、それらを全て洗う。当初は食器洗いはアリサがやっていたが、それに嫌悪感を感じていた禅鎧は、自分とテディの分だけを洗うようになった。無論、アリサが丁寧に断ってきたのは言うまでもない。
 カラン、カラ〜ン♪
 最後にアリサも食事を終えて食後の飲み物で喉を潤している頃、いつものように仕事を手伝いに来てくれる面々が次々とジョートショップを訪れてくる。ちなみに今日のメンバーは、凍司・アレフ・ピート・リサ・エルの5人だ。特に凍司は常に毎週、アレフもここ最近はほぼ毎週手伝いに来てくれている。
「うぃーっす、禅鎧。風邪引いてないかぁ〜?」
「ああ、今のところは至って健康だ」
 アレフの問い掛けに、依頼の伝票をテーブルの上に並べながら禅鎧は答える。
「そうですか、それは何よりです。最近になって、徐々に流行ってきてますからね。アリサさんやテディも、くれぐれも気を付けて下さいね」
「ウィッス! ご主人サマの健康についてなら、ボクに任せるッス!」
「うふふふ…。頼もしいわね、テディは。凍司くんも心配してくれてありがとう」
 アリサの優しい言葉に、凍司は静かな笑みを湛えたまま軽く頭を下げた。その傍らでは、アレフが少し悔しそうに凍司を睨み付けていた。
「ゲッ! おい凍司、折角俺がアリサさんに言おうとしていた事を取るんじゃねえよ!」
「えっ、そうだったんですか? アハハハ…、それは失礼しました」
 別にとぼけているわけでもなく、凍司はあくまで真面目な口調でアレフに謝る。かたくなに謝罪されたため、アレフはそれ以上は何も言えなくなってしまった。それを半ば面白そうな表情を浮かべながら、リサとエルは鑑賞していた。アリサはリサやエルとも挨拶を交わすと、何か用事があるらしく自室へと戻っていった。
 そのような会話を続けながらも、テキパキと仕事の分担を終えていく。今週はこちら側の人手も多めだったので、1人辺りの仕事量はいつもより少な目で済みそうだ。
「ところでアレフ、今朝は何だか上機嫌のようですね。何か良い事でもあったのですか?」
 凍司がずっと気になっていた事を尋ねてみると、アレフはまるでその言葉を待っていたかのように不敵な笑い声を挙げてきた。思わずたじろいでしまうピート。
「な‥‥‥なんだよ。気味の悪いヤツだな」
「フッフッフ…、よくぞ聞いてくれた。実はな、今週末に待ちに待ったデートが控えてあるんだ」
 そんなとこだろうと思ったよ…と言わんばかりに、呆れ気味に溜め息をつくリサ。だが女性とのデートが日常茶飯事なアレフにしては、そのハイテンションさは何処か矛盾しているように見えた。エルがその疑問を、その場にいる全員を代表するように尋ねてみた。
「そりゃあ、何たって約1ヶ月ぶりのデートだからな。しかも、一気に3人となんだぜ〜!」
「3人? たった1日でそんなに沢山の女性とデートをするんですか?」
 もっともな凍司の言葉に、アレフは指折り数えながら説明をしてみせた。どうやら午前中に1人、午後に1人、夕方〜夜に1人という風に、几帳面に時間を割り振っているらしい。半ば呆れ果てていたエルだったが、デートにそこまで頭をフル回転させていることを聞くと逆に感心してしまっていた。
「ああ。だからこうして汗水流して働いて、そのデートの資金を作る。親友を助ける事にもなるし、正に一石二鳥ってヤツだ」
 得意げにそう語るアレフに、凍司は困惑したように苦笑いを浮かべていた。既にアレフとは分け隔てなく付き合う事が出来る親友の間柄ではあるが、そのナンパ癖だけはどうしても見習えるところではなかった。時折そのような話をアレフがしてきた時、注意しようと試みるが心の中で何らかのブレーキが掛かってしまい、結局は今の今まで注意したことは一度たりとも無かった。
「‥‥‥‥アレフ」
「ん? どうしたんだ、禅鎧?」
 不意にアレフは、禅鎧から呼び掛けられる。その禅鎧の声が何処か無機質だった事に感付いた凍司は、ハッとなって禅鎧の方へと振り向いた。若干切れ長の蒼い瞳は、冷たい視線をアレフに投げかけていた。
「お前のプライベートな事に口出しするわけじゃないが、そういう事は自粛するべきじゃないのか? 何れ近いうちに、それに対する見返りが来る可能性は否定できない。それに‥‥‥‥」
 更に禅鎧は忠告を続けようとしたが、それ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。まるで禅鎧自身にも解らない、何か別の力が瞬時に働いたかのようだった。
「…ヘヘ、心配すんなよ禅鎧。万が一そうなってしまった時のアフターケアも、ちゃ〜んと考えてあるんだからな」
 アレフは嫌な顔1つする事無くそう言うが、それは禅鎧の言わんとした事、また凍司たちが考えていた事とは全く別の的を射ている事には気付かなかった。
「‥‥‥そう、か。‥‥‥それじゃあみんな、今週も宜しく頼む」
 妙なわだかまりを残したまま、禅鎧たちは各々の仕事の場所へと散り散りに移動していった。そして何事もなく、あっという間に1週間が過ぎていった────。

 カラン、カラ〜ン♪
 今週もまた早朝のジョートショップに、依頼された仕事を手伝いに顔なじみの友人・知人たちが集まってくる。凍司はいつもの事ながら毎週、クリスは午前の講義が無いということで、パティは先週手伝いに来たリサと入れ替わりに、エルは先週から引き継いでいる仕事があるため、引き続き出勤してきた。
「? アレフは?」
 いつもならば、凍司が引き連れてくるはずのアレフの姿が見当たらない事に気付く禅鎧。アレフは先週、デート資金を稼ぐためにと2週間に渡ってこなす仕事を受け持ったため、今週もまた出勤してこなければならないはずだ。
「ええ、それなんですが‥‥‥」
 禅鎧に尋ねられる凍司だが、何処か言いにくそうに後ろ髪を掻く。今朝いつものようにアレフの部屋を訪れたのだが、扉越しに先に行っててくれ…と言われたためらしい。その声はかなり沈んでいて、どうやらひどく落ち込んでいるようだったという。
「ふ〜ん、あのアレフがねぇ。‥‥‥あ、ひょっとしてデートで失敗しちゃったとか?」
 恐らくはリサから聞いたのだろうか、パティはアレフがデートをしていた事を知っていた。パティの意見に、エルは恐らくな…と意地悪い笑みを浮かべながら賛同してみせた。
「…まあ、1日に3人の女性とデートするというぐらいだから、パティさんの仰有る事もあながち否定は出来ませんね」
「さ、3人もですか‥‥‥?」
 凍司の何処かアレフを突き放したような言葉に、クリスは驚愕の色を示した。クリスはアレフとは幼なじみの間柄であり、たまにデートの自慢話などを聴かされる事がしょっちゅうあったが、1日に3人などという話はどうやら初耳だったようだ。
「ま、ダブル…じゃなくって、トリプルブッキングなんてアレフにとっちゃいつもの事なのよ。きっとすぐに、ケロッとした顔で来るわ‥‥‥よ?」
 何処かしら得意げに論じているパティだったが、途中でそれはフェードアウトしてしまった。禅鎧をはじめ彼女たちの視線は、ジョートショップの入口へと向けられていた。
「おはよーございます‥‥‥」
 入ってきたのは、先程パティ達の間で話題の的となっていたアレフ本人だった。だがいつもの彼とは違い、背後には何かダークじみたオーラを背負っていた。表情は生気と呼べる物は少しも感じられないほどに青ざめていており、心なしかひどくやつれているようにも思えた。重い足取りのままアレフは席に付くと、その場に突っ伏してしまった。
「う‥‥‥、何なのよこの暗い空気は?」
 先程自分が得意げに語っていた言葉を、心の中で撤回するようにパティ。彼女のみならず、クリスやエルは勿論、凍司までもが少したじろいでしまっていた。
「アレフ、どうしたんだ?」
 唯一冷静さを保っていられた禅鎧は、アレフの肩にポン…と静かに手を置き、身体をゆっくりと揺さぶってみる。気のせいだろうか、彼の肩はあまりにもひ弱そうに感じられた。
「‥‥‥ああ、禅鎧か」
 テーブルに突っ伏していた顔を半分だけ露わにさせる。いつも女性を惑わせる武器ともなる瞳は、乾燥しきった砂漠のように虚ろだった。
「大丈夫か? ひどく落ち込んでいるみたいだが‥‥‥」
「‥‥‥悪いけど、俺の事はほっといてくれないか」
 アレフは力無くそう言うと、再び顔を自分の腕に埋めてしまった。やるせなさそうに肩をすくめる禅鎧は凍司に視線を移すが、彼もまた申し訳なさそうにかぶりを横に振るだけだった。
「あら…、みんなどうしたの?」
 ちょうどその時、アリサがテディを胸に抱いて自室から姿を現した。彼女もまた、いつもと違う暗い空気をすぐに感じ取ることが出来た。そして、それの発生源であるアレフへと視線を移す。
「アレフ君? …禅鎧君、アレフ君に何かあったの?」
 だが禅鎧は、先程の凍司同様に黙したまま首を横に振るだけだ。テディはアリサからテーブルへと飛び移ると、アレフの頭をポンポンと撫でるようにつついてみる。
「ん? ア、アリサさん。‥‥‥ハッ、アリサさん!!」
 アリサの声で彼女の存在に気付いたアレフは、突如バンッ!…とテーブルを叩き付けるように立ち上がった。思わず驚いて後ずさりしてしまうパティたち3人。
「全くもう! 落ち込んでるかと思ったら、急に堰を切ったように大声出して! 一体何があったのか、説明しなさ‥‥‥キャッ!?」
 若干説明的な口調のパティだったが、アレフが突然自分の両肩を掴んできたために小さな悲鳴を挙げてしまう。思わずドキドキしてしまうパティ。
「パティ‥‥‥、何もされてないか?」
「えっ…あ、あたしは大丈夫だけど…。だ…だから、何があったのかあたしたちに話してみなさいって言ってんのよっ!」
 ハッと我に返ったパティは乱暴にアレフの腕を放すと、小さな八重歯をちらつかせながらそう言い放った。するとアレフは、少し言いにくそうに端正な顔を俯かせた。
「話して頂けますか? ひょっとしたら、僕たちに何か手伝える事かもしれませんからね」
 人の良い笑みを浮かべながら、凍司。アレフは黙したまま凍司と禅鎧の顔の間で交互に視線を移動させると、わかった…と真剣な面持ちで話し始めた。
 デート当日‥‥‥つまりは昨日だが‥‥‥アレフは、1人目のデートの相手との待ち合わせ場所へと大きな花束を携えて姿を現した。少しだけ早く来たため、約束の時間までは余裕があった。その間アレフはというと、時間通りに来た場合、もしくは遅れてきた場合、デートが終わって別れる場合など、様々なシチュエーションに於ける甘い口説き文句を色々と考えていた。
 そして肝心の約束の時間が訪れたが、まだデートの相手は来ていない。女性は化粧や洋服選びなど、下準備が男性に比べて多い事を承知していたため、アレフは気にも止めなかった。むしろ、考えていた口説き文句が決定した事に確信を得ていた。
 約束の待ち合わせ時間から既に1時間が経過していた。それでもデートの相手は、一行に姿を現そうとはしない。待ち合わせ場所であるエレイン橋には、今日のためにジョートショップでの給料をはたいて新訂した洋服を纏った、孤独に満ちたアレフの姿が未だにあった。
「いい加減に痺れを切らした俺はドタキャンされたと判断して、家路へと付いていったんだ。その途中‥‥‥、別の金髪の男と腕を組んで歩いていたその女性を見付けてしまったんだよ!」
 その2人はアレフの姿に気付くことなく、楽しそうに会話をしながら目の前を横切っていったのだという。
「それだけじゃない。他にデートの約束をしていた女性はみんな、その同じ金髪の男に取られていたんだ!」
「…そう。そんな事があったの」
 やっとの事で内容を理解できたアリサは、納得したように哀れむように頷いた。またパティは、アレフが自分やアリサに身の安全を確認してきた理由がそれにある事を理解した。
「それにしても、そんな一癖や二癖はありそうな男がこのエンフィールドに乗り込んできたとはねえ。アレフにとっては、強力なライバル出現ってとこかしら?」
「パティ、人ごとみたいに言うんじゃねえよ‥‥‥。クソ…、思い出すだけで腹が立ってきやがるぜ!」
 悪戯っぽい笑みを浮かべるパティに、アレフは力無く抗議する。だがパティはだってその通りじゃない…と、それをたやすく突っぱねてしまう。アレフは再び席に付くと、頭を掻き上げながら考え込んでしまう。その苛立ちはデートの相手を取られた怒りからなのだろうか。それとも、自称ナンパ師としてのプライドからくる悔やみなのかだろうか。
「‥‥‥‥まあ、とりあえずその話はおいといて、早く仕事に取り掛かりましょう」
「アレフ…。やる気が起きないのなら、俺が仕事を変わってやってもいい」
 禅鎧と凍司もまた事態を十分に理解していたが、現在のアレフにどう声を掛ければ良いのか困惑していた。結局出てきたのは、そんな事務的な言葉だけだった。
「いや、いいよ。それとこれとは話が別だからな。それに…ひょっとしたら、昨日禅鎧が言ってきたように、今になって見返りがこういう形になって出てきたのかもしれないな」
 自嘲気味にアレフ。禅鎧は少し罪悪感を感じながらも、そうか…と相づちを打った。
 やっとの事で仕事選びに取り掛かった禅鎧たち。そこでふとアレフは何かを思い立ったらしく、禅鎧の肩を静かに叩いた。
「禅鎧、お前もさっき俺の言った金髪の男には気を付けた方がいいぜ」
「え‥‥‥? あ、ああ‥‥‥‥」
 その曖昧な返事が示す通り、禅鎧は十分に理解出来ていなかった。そのアレフの言葉が、自分の女性への心構えに対する忠告である事を‥‥‥。

 そして時は瞬く間に通り過ぎ、その日の午後。
 リヴェティス劇場から、ショルダーキーボードが入ったソフトケースを肩にかけた禅鎧が、他の2人の男性と共に姿を現した。禅鎧は2人の男性に対して紳士的に会釈すると、彼らに見送られながらリヴェティス劇場の豪華な門をくぐり抜けていった。ちなみに仕事内容は『劇のBGM作成』。
 これが今日最後のものだったので、禅鎧はそのまま真っ直ぐにジョートショップへと向かうことにした。少し早歩きに、黙したままジョートショップとの距離を縮めていく。しばらくして、大きな邸宅が視界の中へと飛び込んできた。
 ウエストロットはリヴェティス通り。ここはエンフィールドが誇る一等地であり、他の区域とは違って高級住宅がまばらに建ち並んでいる。『まばら』という事はすなわち、エンフィールドには貧富の差があまり無いことも顕わしていた。
 禅鎧の視界に飛び込んできた邸宅は、シーラの家でもある『シェフィールド邸』である。敷地面積はノースロットのショート邸とほぼ同じぐらい。邸宅の面積はそのうちの4割ほどで、残り6割は全て広大な庭園となっている。ウエストロットではさほど珍しくもない、余った土地を有効に利用したパターンだ。雪のように白い3階建ての邸宅には、気品の良さとそれを手掛けた建築士の感性の良さが容易に感じられた。庭園には色とりどりの草花や、庭師たちの様々な芸術品が見られた。
 シーラの両親は2人ともプロの音楽家。無論、感性を最も大事にしなければならない職業だ。感性は興奮している時やストレスが溜まっている時などは、異常なまでに鈍ってしまう傾向にある。植物などとふれあったり、風に乗って流れてくる花の芳香によって心を和ませる。そんなアロマテラピーの手法を、十二分に取り入れての事なのだろう。
「‥‥‥‥シーラ」
「あ‥‥‥、禅鎧くん」
 禅鎧はシェフィールド邸の大きな正門の前で、シーラとバッタリ出くわしてしまう。お互いの名前を呼び合い、そしてしばらくの間見つめ合う2人。先にシーラの方が我に返ると、頬をほのかに染めて俯いてしまった。続いて禅鎧も、何処か困惑したように前髪を掻き上げた。
「ひ、久しぶりだね…」
「ん…ああ、2週間ぶり…だな。これから、何処かに出掛けるのか?」
「…うん。その…禅鎧くんに会おうと思って‥‥‥」
 少し恥ずかしそうにシーラ。彼女の言葉に禅鎧は表情にこそ現さないものの、内心では驚いていた。だがすぐに、半ば無意識に静かな笑みを浮かべる。
「そうか…。じゃあ、ジョートショップまで足を運ぶ手間が省けたな」
「ふふふ…、そういう事になるね」
 シーラもまた嬉しそうに微笑むと、2人は並んで歩き出した。
「手の傷、治ったんだね。…良かった、何ともなくて」
「ああ、この通り傷は完全に消えたよ。…シーラが応急処置を施してくれたからな」
 何事も無かったように傷が癒えた左掌を見せながら禅鎧。シーラは頬を赤らめて謙遜するが、何処か嬉しそうにもみえた。そこで禅鎧はハンカチの事を思い出したが、今日はあいにくと持って来ていない。またどうせなら、渡すまで新しいハンカチの事は黙っていた方がいいと判断した‥‥‥シーラもその事を出して来ない‥‥‥ため、その事は黙っておくことにした。
「あ、あの…。禅鎧くんは、仕事の帰り?」
 しどろもどろになりながらも、シーラは別の話題に切り出した。
「ああ、リヴェティス劇場に…ね」
「じゃあまた、劇で使うBGMの作曲に携わったんだ…。凄いんだね」
 興味ありげに、でも何処か哀しげにシーラ。そんな彼女が向ける羨望の眼差しに、禅鎧は困惑したように前髪を掻き上げた。特に目的地もあるわけでなく、そんな会話を繰り返しながら、周囲を散策する感覚で2人はリヴェティス通りを歩いている。
「そう言うシーラは、どうして俺に会いに?」
「あ、うん。‥‥‥これ」
 シーラは小脇に抱えていたファイルを、禅鎧に差し出した。それは禅鎧も見せてもらった事がある、彼女の楽譜が納められた愛用のファイルだった。開いてみると、そこには手書きの楽譜だけが数枚だけバインドされてあった。
「ピアノの先生が作曲の宿題をお出しになったの。一応書き終わったんだけど、どこか自分に納得できなくて…。それで、禅鎧くんに相談しようと思って‥‥‥」
 途中声がか細くなったが、後ははっきりとした口調でシーラ。彼女から未完成の楽譜を渡された時点で大方予想が付いていた禅鎧だが、なるほどね…とたった今納得したかのように頷いてみせた。
「禅鎧くんのアドバイス、私に聞かせてくれませんか?」
「…ああ。俺なんかで良いのなら‥‥‥」
「…うんっ! ありがとう、禅鎧くん」
 禅鎧の快い返事に、シーラはパッと表情を明るくさせて満面の笑みを零した。シーラは禅鎧からファイルを返して貰うと、それを何処かしら嬉しそうに胸に抱えた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 再び2人の間に沈黙が訪れる。だが先程のそれとは違い、とても和やかな沈黙だった。気が付けば2人はリヴェティス通りを抜けて、既にルクス通りを歩いていた。『ルクス通り』は3つのメインストリートを結んでおり、その両端の桜並木が通行人を出迎えてくれる。現在は今年の役目を終えた枯れ葉が、街路に黄金色の絨毯を作っている。
 ふと禅鎧は、シーラの横顔を見やる。先程の禅鎧の返事が余程嬉しかったのだろうか、ずっとその笑顔を保ち続けたままだ。心なしか禅鎧にはその笑顔がとても可愛らしく思え、何かが自分の胸の奥を暖かくさせてきた。
(この感覚、いったい何なんだ?)
 視線を戻して自分の左胸に手を当ててみれば、鼓動が早くなっているのがより伝わってくる。ずっと以前から、禅鎧が気になっていた感覚だった。
「ねえ禅鎧くん、これから何処へ行こうとしてるの?」
「ん…ああ、『陽の当たる丘公園』。そこなら、2人でゆっくりと話が出来るからな」
 『2人でゆっくり』…。その部分がシーラには強調されて聞こえた為、思わずカアッ…と頬を紅潮させるが、それを覆い隠すように快く頷いてみせた。2人は公園がある『さくら通り』に向かおうと、『ラ・ルナ』の角を曲がっていった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
 不意に『ラ・ルナ』の窓際の席から、店外を物色するように眺めていた人影が席を立った。料金を多めに支払い、外に出る。
「艶やかな漆黒の髪の毛、透き通るような白い肌。そして、何処か儚げで柔らかな笑顔。どれを取っても、ボク好みの美しい少女だ…」
 誰かに聞かせるわけでもなく甘い口調でそう呟きながら、余計に長い金色の前髪をファサッ…と掻き上げる。そしてニヤリと不敵な笑みを浮かべると、禅鎧たちをつけるように角を曲がっていった。
「恋人らしき男と歩いていたようだが、それならそれで奪い取ってやるまでさ」

 2人が公園に足を踏み入れてみると、中規模のフリーマーケットが催されていた。住民たちが不要になった物を格安で、他にそれを必要としている人に譲り渡す。中規模ながらもかなりの人手で賑わっていて、この中で動くお金はけっこうな額になるだろう。
「うわあ…、すごい人だかりだね」
「そうだな。シーラ、はぐれないように気をつけるんだ」
 禅鎧がリードするように、沢山の出店と人混みの中を歩いていく。シーラは禅鎧と手を繋ぐことを考えたが、すぐにためらって禅鎧の衣服の袖を掴んだ。
「おい、そこの仲のいいお2人さん。安くしとくから、何か買っていってくれよ」
「今日のデートの記念に、お揃いのアクセサリーとかどうだい?」
 時折そんな声を掛けられるが、禅鎧は戸惑いながらも丁寧に断り続けた。片やシーラは恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうな複雑な表情を浮かべていた。フリーマーケットを無事に通り抜け、少し開けた場所に設置されたベンチを見付けると、2人はそこに腰を落ち着けた。
「ハァ…、やっと通り抜けられたね」
「まさか、フリーマーケットをやってるとはね。持って来たファイルとか、落とさなかったか?」
「うん、心配入らないよ」
 シーラの快い返事を確認すると、禅鎧はソフトケースからショルダーキーボードを取り出した。シルバーメタリックのクールな筐体に、シーラは思わず溜め息を付いた。
「これって、前に禅鎧くんがさくら亭で使ってた‥‥‥」
「そう。携帯型の『エーテル・シンセサイザー』だ」
 禅鎧はスライダーやジョグを幾つか動かしてから、鍵盤に手を掛ける。少しクセのある、ハーモニカのような音が鳴り響いた。
「すごい…。本当にいろいろな音が出るんだね」
「生の楽器では出来ないような音まで表現できる。ちなみに今のは、高音のコントラバスの音だ」
 禅鎧の言葉に、シーラは心底驚いてしまう。コントラバスは重々しい音で低音域を奏でる、いわばコードの中の根音を担当する楽器だ。禅鎧の言った通り、生のそれでは絶対に不可能な音だった。
「私、鍵盤のついた楽器って、ピアノとかホンキートンクとかオルガンしか見た事がなかったから…」
 とても興味ありげに、ショルダーキーボードを見つめるシーラ。そんな彼女を見て、思い立ったように提案してみた。
「良かったら、これ以外のものも今度見せようか?」
「え…、他にもまだあるの? ‥‥‥うんっ、楽しみにしてるね」
 心底嬉しそうに頷くシーラの表情は、とても生き生きとしていて輝いていた。
「じゃあその曲、ちょっと弾いてみていいか?」
 シーラは頷くと、禅鎧にファイルを手渡した。しばらくの間楽譜に目を通すが、すぐにファイルを彼女に返した。そして、禅鎧は再びスライダーをいじりはじめる。
「え‥‥‥、楽譜はもういいの?」
「ああ。じゃあ、ちょっと弾かせて貰うよ」
 禅鎧の頼り甲斐のある言葉に、シーラは憧れの眼差しを向ける。禅鎧は頭の中でもう一度楽譜を思い浮かべると、精神集中のために1つ大きく深呼吸をする。
 そして、禅鎧の演奏が始まった。倍音成分をある程度取り除いた、オカリナとフルートが混ざったような音。シーラは音符を目で追いながら、禅鎧の演奏に耳を傾ける。間近で見る禅鎧の演奏は、言葉では言い表せない、何か不思議なオーラを纏っているかのようだった。
 いつの間にかシーラは楽譜を目で追うのを忘れ、ただ禅鎧の演奏に魅入ってしまっていた。そしてハッと我に返ったときには、禅鎧の演奏は終了していた。禅鎧は再び深呼吸をすると、シーラへと視線を移した。そして、言葉を紡ぎだそうとした瞬間。
 ワァァァァァ〜〜ッ!!!!
 甲高い歓声が、2人の鼓膜を刺激してきた。視線を正面に向けてみると、何時の間にやら沢山の観客によって取り囲まれていたのだ。
「禅鎧くん、これって一体‥‥‥」
「やはり、こうなってしまったか…」
 大方予想はしておきながら、逆にそれを招いてしまった自分を嘲笑うかのように禅鎧。傍らのシーラは困惑していて、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「…ここでは何だから、場所を移そう。そこで、俺の意見を聞いてくれるか?」
「う、うん…そうだね」
 2人は立ち上がると、未だ止まぬ歓声を送る観客に困惑気味に応えながらも、その場から立ち去っていった。その観客の中に、別の目的で禅鎧たちを凝視していた青年の姿が会ったことも知らずに‥‥‥。
(あの根暗そうな男に、あんな特技があったとはな。‥‥‥だがそんなもの、ボクのこの魅力の前には足下にも及ばないけどね)

 禅鎧とシーラは入り口付近まで避難してくると、そこにも設置されていたベンチに腰を下ろした。先程まで背後で聞こえていた歓声がなくなったのを認めるに、どうやら2人の姿が見えなくなったところで、彼らを取り巻いていた観客達は先程のテンションを残しながらも、散り散りに消えていったようだ。
「私、ビックリしちゃった。いつの間にか、あんなに人だかりが出来てたなんて…。うふふ、やっぱり禅鎧くんってすごいね」
 まるで自分の事のように、嬉しそうに微笑むシーラ。彼女もまた観客の1人でもあったので、普通なら人だかりが出来た事に気付くはず。だが、それが出来なかった。それ程までに自分が禅鎧の演奏に聞き入っていた事が、彼女には何故か嬉しく思えた。
「‥‥‥それじゃあまずは、この曲は何をイメージして書き上げたものか教えてくれるか?」
 照れ隠しに前髪を掻き上げると、禅鎧は早速本題に切り換えた。シーラは曲のモチーフとなったもの、それに対する自分の考えなどを事細かに説明した。禅鎧は口元に手を当てるように考え込むと、何かを思い立ったように静かに頷いた。
「なるほど…な。それならここのコードをマイナーにして、そしてこの部分を‥‥‥」
 禅鎧は楽譜を指差しながら、丁寧且つ分かり易くシーラに説明してみせた。コード進行、オブリガート、アルペジオ、etc...
 端から素人が聞いていると、半分は理解できないような会話がしばらく続いた。シーラは禅鎧の説明を理解すれば嬉しそうに頷き、解らなければ解るまで聞き返す。禅鎧もまた、嫌な顔1つすることなく応える。2人にとって、最も充実した時間が瞬く間に過ぎていった。
「『春の微風』というのは、シーラの言う通りとても温かくて気持ちいいものだけど、何もそれだけじゃない。様々な植物…タンポポなどの種や花粉を運んで、新しい生命の誕生をも手伝ってくれる。シーラが表現したかったものは、多分それだと思うんだ」
「‥‥‥うん、うん! そうだよね。微風ってただ吹いているだけじゃないんだものね」
 そういうシーラの表情からは、先程までの苦悩の色は全く確認できなくなっていた。禅鎧の言葉を反芻するようにもう一度頭の中にリフレインすると、シーラは理解したように頷いた。
「俺が出来るアドバイスはこれだけだ。人並みな意見で申し訳ないけど‥‥‥」
「人並みだなんて…、そんな事無いよ。禅鎧くんのアドバイスがなかったら、私はずっと気付かなかったんだと思う。これならきっと、いい曲が書けそうな気がするの。禅鎧くん…、本当にありがとう」
「‥‥‥そ、そうか。役に立てて良かった」
 頬をほのかに染めたシーラの笑顔に、禅鎧は思わず戸惑ってしまう。それを誤魔化すかのように、禅鎧は俯き加減に前髪を掻き上げる。再び胸の内に湧き起こる不思議と温かい感覚。だがその禅鎧の表情は、何故か無意識に抵抗しているようだった。
「…お取り込み中のところ、失礼するよ」
 ふとそこで、誰かに声を掛けられる。美声ではあるが、それは何処か偽装されたようなものだった。2人はその方向に振り向くと、そこにはシーラと同い年ぐらいの金髪の青年が立っていた。爽やかな笑顔を浮かべながら、こちらに近づいてくる。
「初めまして、ボクはガイ・ラストルードといいます。お美しいお嬢さん、貴女のお名前は?」
「え‥‥‥? シ、シーラ・シェフィールドです」
 突然現れた青年に名前を尋ねられたシーラは、反射的に自分の名前を教えた。それを聞いたガイは、同姓から見れば嫌味とも取れる好色な笑顔を向けた。瞬間、ガイの白い歯がキラリと光ったような気がした。
「ほお、シーラさん‥‥‥。お美しい貴女にこそ相応しい、正に神から授かった名前なのですね」
「あの、その‥‥‥あ、ありがとう」
 今にも消え失せそうな声でシーラ。片や禅鎧は目の前で突然始まったナンパを、ただ黙したまま見守っていた。シーラは困惑したように禅鎧へと視線を送る。それを見逃さなかったガイは、確信を得たように瞳を細めた。
「ところで、そちらのお方。先程、貴方の素晴らしい演奏を聴かせて頂きました。他の観客たちを代表して、お礼を言わせて頂きます」
 紳士的に頭を下げるガイ。だが禅鎧には、その行動もまた意図的に装っているように思えてならなかった。特に表情を変えることなく禅鎧は、ガイを見据えている。
「それで、俺たちに何の用だ?」
「いえいえ、用があるのは貴方だけです。是非ともお話ししたいことがあるので、ボクと一緒にこちらに来て頂けますか? 大事なお話ですので、シーラさんにはご遠慮願いたいのです」
 ふと禅鎧は、そこで今朝のジョートショップでの話を思い出した。アレフのデート相手が、全て奪われてしまった事。ひょっとしたら、この青年がデート相手を奪った本人なのかもしれない。そう考えた禅鎧は、敢えてガイの言い分に乗ってみることにした。
「解った、話を聞こう」
「そうですか、話が分かる方で助かりましたよ」
 そう言うと、禅鎧はベンチから立ち上がった。裸のままだったショルダーキーボードをしまい、それを肩へと背負った。
「シーラ、悪いけどここで待っていてくれるか?」
「う、うん。解ったわ‥‥‥」
 曖昧な返事のシーラ。ガイが現れてからシーラは、妙な胸騒ぎを感じていた。先程まで楽しく会話していた禅鎧が、心理的に遠くに行ってしまいそうな…。もう2度、こんな風に話が出来なくなってしまうのではないのか。そんな不安が、彼女の心を震わせてくる。
「それじゃあ、行きましょうか」
 そして禅鎧は、心配そうな表情のシーラを後目に、ガイと共に歩いていく。ガイは禅鎧を案内するように、前を先行して歩いている。‥‥‥その時。
「!!!」
 シーラは、ガイがこちらに冷たい視線を送ったことに気付いた。まるでそれは、これから起こそうと試みている行動に確信を得ているかのように。シーラが感じた胸騒ぎは、これによって確実なものとなっていった。だがシーラは、何故かその場から動くことが出来なかった。
『ここで待っていてくれるか?』
 禅鎧のその優しい言葉が、逆に金縛りの呪文のようにシーラに重くのし掛かっているようだった。

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