中央改札 交響曲 感想 説明

Nartic Boy(2)
輝風 龍矢


The last song

第3章:Type Around
第8話:Nartic Boy(2)

 禅鎧はガイに誘導されるがままに、公園の南口付近まで歩いてくる。背後を振り向くと、既にシーラの姿は豆粒のように小さくなっていた。
「ガイ…だったか。話というのは‥‥‥?」
 禅鎧がそのように問い掛けると、ガイは先程とは全く違った表情でこちらを見据えてきた。こちらを完全に見下しているかのような、勝ち誇った顔だった。
「気安く呼ばないでくれたまえ。ボクは別に君なんかに名前を名乗ったつもりはないんだよ。無論、こちらも君なんかの名前など聞く耳は持たない」
 その言葉遣いもまた、先程とは一変していた。いわば平民の血税でもって、私腹を肥やし続ける高慢な貴族のようだ。禅鎧は確信を得たように、やるせない溜め息を付いた。
「やはり、さっきのあんたは偽物だったわけか…」
「フンッ! それでは、本題に入らせて貰うよ。まず最初に言っておくが、本来ならばこんな事を言うつもりはないんだ。心の広いボクに、感謝しておく事だね」
 嫌味なほどに長い前髪を掻き上げながらガイ。撫でられた前髪は、太陽光によって目映いほどに輝いた。
「単刀直入に言わせて貰うよ。…君の彼女を、ボクに渡したまえ」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 ガイはビシッと禅鎧を指差す。そしてしてやったりと言わんばかりに不敵に微笑むが、禅鎧が一切表情の色を変えない事が面白くないのか、表情を一瞬だけ悔しそうに濁らせると更に先を続けることにした。
「ボクはね、これまでに色々な街を旅してきて、そして気に入った女性を見付けたら必ず自分のものにしてきたんだ」 
 ガイは自分に酔いしれているようなジェスチャーを交えながら、自分のこれまでの功績を自慢げに語り始めた。
「ニーパント、クィーンズポート、ドルトリン‥‥‥。これら以外にも訪れた街の女性は、今や全てボクの虜となった。きっと現在も、ボクに会いたがって枕を涙で濡らしているに違いない‥‥‥」
 未だに表情を変えない禅鎧だが、心の中には若干ながらも負荷的な思考が霧のようにたちこめてきていた。それこそ、ガイが最も確認したがっていた感情だった。‥‥‥しかしそれは本人も知らない間に、何らかの力によって次々と掻き消されていっていた。
「そしてエンフィールドを訪れて早や1週間。昨日だけでボクは、3人の女性を口説いてきたよ。そして今日もまた、シーラさんという麗しき女性と運命的な出会いを果たした。だが、彼女にはとんでもない害虫が付いていた。それが君だよ」
 同姓から見れば嫌味以外の何者でもない、その酔狂な輝きを帯びた瞳を細めつつ、再び禅鎧を思いきり指差してみせる。
「でもボクは、見ての通り優しい性格の持ち主でね。争い事はあまり好まないんだ。君だって、傷付いたりするのは嫌いだろう? だからお互いに傷つかないように配慮した上で、こうして君との話し合いの場を設けたんだ。有り難く思いたまえ」
「‥‥‥なるほど、そう言う訳か」
 自分の言動と行動が完全に矛盾している事を、平然と言いのけるガイ。更にはやっとの事で禅鎧が口火を切ってきた事に、ガイは勝利を確信しているかのように口元を嫌らしく歪ませた。
「まさか、このボクの厚意を踏みにじるような真似はしないよね?」
 自分の言い分を全て言い終えたらしいガイは、高みから見下すような視線を再び禅鎧へと向けた。禅鎧からの返答を待っているらしい。
 …ふと禅鎧は大きく溜め息を付くと、前髪を掻き上げた。
「何を勘違いしているのか知らないが、俺は只単に彼女の相談に乗ってやっただけだ。あんたが考えているような他意はない。シーラを口説きたければ、勝手にすればいい…」
 何処か無機的な口調の禅鎧。それが示す真の意味にガイは気付くはずもない。てっきり反論してくると考えていたガイは、肩すかしを食らったような表情を浮かべるが、すぐに当たり前のようににやけて見せた。
「フフフッ、賢明な判断だね。これでボクも、変なわだかまりを残さずに彼女を口説けるよ。…どうやら、君とは話が合うようだね」
 満足げに鼻で笑ってみせると、ガイは懐から紫色の巾着袋を取り出し、それを禅鎧の掌に握らせた。ジャラリと金属的な音がなった袋の中身は、目映いばかりの金貨が所狭しと入れられてあった。
「少ないが、取っておきたまえ。君のような下々の人間は、一生かかっても巡り会えない金額だがね。それじゃあ‥‥‥」
 そう言うとガイは、踵を返してシーラの元へと歩いていった。
 ジャラッ!
 禅鎧は掌に握られた重々しい巾着袋に目をやる。ふとそれとシーラの表情がダブって見えたような気がした。
「‥‥‥‥‥‥くっ!」
 禅鎧は何かを断ち切るかのように、巾着袋を強く地面に叩き付けた。袋の口を縛っていた紐が緩み、中の金貨が数枚ほどこぼれ落ちる。続けざまに巾着袋は蹴り上げられ、更に金貨を放物線の軌跡を描くように中空に吐き出しながら、茂みの中へと姿を消した。そして禅鎧は、公園に背を向けて歩き出した。
 ‥‥‥‥一方、ガイは気に入った女性限定の気障な表情で、シーラの元へと姿を現した。
「やあ、シーラさん。待たせてしまってごめんよ」
「‥‥‥あ、あの。禅鎧くんは、どうしたんですか?」
 シーラがそう尋ねると、一瞬嫉妬じみた表情を浮かべるが、すぐに何か言いにくそうな表情へと切り換える。
「う〜ん、非常に言い難いんだけど‥‥‥。ひょっとしたら、ガラス細工のような君の心に傷を付けてしまうかもしれないよ」
「何かあったんですか? 教えて下さい!」
 するとガイは、シーラのその言葉をまっていたかのように、彼女に分からないように不敵に微笑んだ。そしてわざとらしい表情を作り、再び口を開いた。
「彼、君のこと嫌いなんだって。もう2度と顔なんか見たくないとか言って、先に帰ったみたいだよ」

 禅鎧は視線を地面に落としたまま、ジョートショップに帰ろうとはせず、ただ単に町中をさまよっていた。
(これでいいんだ、これで‥‥‥)
 自分に言い聞かせるように、先程からそんな事を何度も呪文のように繰り返している。 ガイと、そしてシーラと別れた後、禅鎧の中に残っているのは虚無感と自己嫌悪感だけだった。何故あの時、あのような事を言ってしまったのか。今の自分のように様々な罪悪感によって、自分の首を絞める結果になる事は十分に理解していたはずだ。ひょっとすれば、今も未だシーラと話を出来ていたかもしれないのに。あのガイの事だろう。今頃は彼女を自分に振り向かせようと、色々と口説いているに違いない。例えどんな手を使ってでも‥‥‥。
 キュッ!
 自分の胸が締め付けられるような、そんな音が聞こえたような気がした。それが例えどんなに苦痛に耐え難いことであろうとも、禅鎧はそのように自分をとことん追いつめなければ気が済まなくなっていた。
「お〜い、禅鎧!!」
 ふと自分を呼ぶ声に反応して視線を仰いでみると、ちょうど向こうの通りからアレフが駆け寄ってきたところだった。更にその後ろからは、凍司も付いてきていた。アレフは呼吸を整えると、何処か慌てたように言葉を紡ぎだしてきた。
「おい禅鎧、例のプレイボーイの男を見なかったか?」
「? …どうしたんだ?」
 アレフの質問には答えず、逆に聞き返してみる。アレフは仕事中に考えに考えた末、自分の彼女を奪っていった男と話を付けてやる事を強く語り始めた。
「取られたら取り返せ…ってな。かなり古い教訓だが、別にその信念までは失われたワケじゃないからな。凍司にそう言われて、ハッとしたんだ」
 アレフに立てられてしまった凍司は、謙遜するように後頭部に手を当てた。
「いや、僕はただアレフの背中を軽く押しただけに過ぎませんよ。…それで、どうなんですか禅鎧?」
「…『陽の当たる丘公園』で見かけた」
 しばらく間を置いてから禅鎧。それを聞いたアレフは、サンキュ!…と禅鎧にお礼を言ってから再び走り出そうとするが、凍司に呼び止められてしまう。
「ちょっと待って下さい。禅鎧、僕たちはまだ問題の男の特徴を一言も言ってません。それなのに、何故見たと判断したのですか?」
 禅鎧が聞いているのは金髪の男という事だけ。それだけで判断するのは難しいと考えた凍司は、だが禅鎧は応えようとはせず依然と無表情のままだった。ふと凍司は禅鎧の表情に隠された負の感情に気づくが、現時点ではそれが顕わしていた意味に気付くことが出来なかった。
「…悪いけど、俺はもう失礼させて貰う」
 クールだが何処か意気消沈したような所が見受けられる口調だが、それは付き合いの長いアレフと凍司ぐらいにしか分からないほどに微妙だった。心配げな表情の凍司とアレフを後目に、禅鎧はその場から立ち去っていった。
「彼奴、何か珍しく元気がないみたいだな」
「‥‥‥‥‥‥。それよりも、急がなくていいんですか?」
「ああ、そうだったな。待ってろよ、ナンパ野郎!」
 アレフの事を良く知っている者ならば、自分の事を棚に上げている様な言い振りだが、凍司はそれを突っ込むような事はしなかった。

「‥‥‥‥‥‥‥」
 シーラは半ば強引気味に、ガイと共にフリーマーケットの出店を歩いていた。
(禅鎧くん‥‥‥‥‥‥)
 ガイから言い渡された禅鎧からの偽りの伝言が、ずっと彼女の脳裏に引っかかっていた。自分の持ち掛けた相談に嫌な顔1つすることなく、親身になって答えてくれた禅鎧。勿論それは、今日だけに始まったことではなかった。それが今になって突然、あんな事を言ってくるはずがない。そう考えれば自然とガイの言葉は狂言である事は明白なのだが、シーラはどうしてもそちらの方向に考えを進ませることが出来ずにいた。
「シーラ、これなんかどうだい? 美しい君にはちょっと安物だと思うけど…」
 一方ガイ何時の間にやら、シーラの事を呼び捨てにしており、彼女の気持ちをよそにいろいろとプレゼントするものを物色していた。当初はいろいろと捲し立てるように甘い言葉を吐いていた彼だったが、徐々に困惑したようにその気障な台詞も流石に勢いが衰えてきていた。
「どうしたんだい、シーラ? 何処か気分でも悪いのかい?」
 シーラは黙ったまま、かぶりを横に振った。そんな彼女の肩には、ガイの腕がしっかりと回されてあった。ずっと哀しげな表情から察するに、どうやらそれを振り解く気力もないのだろう。仕方なくガイはフリーマーケットから抜けると、近くにあったベンチにシーラを座らせた。自分もまた、彼女に密接するように腰を下ろす。
「どうして、何も話してくれないんだい? 何か悩みがあるのなら、何でもボクに話してくれて構わないよ。君のためだったら、ボクはどんなことでも」
「‥‥‥う、なんですか?」
 しかし語尾しか聞こえなかったために、ガイは訝しげな表情を浮かべるだけだった。もう1度話してくれるように、シーラに話しかける。
「禅鎧くんが私のこと嫌いだって、本当なんですか?」
 すると今度はガイの顔をキッと睨み付けながら、はっきりとした口調で言った。一瞬細い瞳を見開くガイだが、すぐに半ば呆れたように溜め息を付いた。
「‥‥‥シーラ、まだそんな下らない事で悩んでたのかい? ボクははっきりとこの耳で聞いたんだよ。所詮あの男は、女を玩具としか思ってない最低の人間なんだ」
 ガイは正直、徐々に面白みが無くなってきていた。甘い口調と台詞で口説いてみたり、金目の品物で機嫌を伺おうとしたり、エスコートするように肩や腰に腕を回してみたり。これまで付き合ってきた女性はみな、それによって自分のモノへとしてきた。だが今自分の目の前にいる少女だけは、幾ら口説こうとも、プレゼントで気を惹こうとも、出てくるのは『禅鎧』という先程彼女が一緒にいた男の名前だけ。
「そんな奴の事をまだ気に掛けてるなんて…。可哀想に、きっとまだあの男に騙され続けているんだね。でも…もう、大丈夫だよ」
「‥‥‥キャッ!!」
 ガイはシーラの柔らかな頬に手を当てると、彼女の顔を自分の方へと向けさせた。シーラの頬の感触を楽しむかのように、数回それを撫でてやる。そしてその手を、彼女の艶やかな黒髪を掻き上げるように後頭部に当てた。
「ボクが今、その男の邪念を完全に払拭してあげるよ」
 ガイの瞳にはもはや今までの気障ったらしい色はなく、何処か別の…いや自分の世界に入り浸っているかのようだった。後頭部に回した手で、シーラの顔を自らのそれへと近付けようとする。シーラも必死で抵抗するが所詮は女性の力、男性の力にかなうはずもない。
「シーラ、ボクは君を…」
「い、いや…! だ、誰か‥‥‥!」
「待ちな、ナンパ野郎!!」
 ガイが無理矢理シーラの唇を奪おうとした瞬間、そんな怒声がガイとシーラの鼓膜を刺激してくる。思わずガイは舌打ちをすると、そちらの方を睨み付けた。シーラもガイの視線を追うように顔を動かす。その方向から走ってきたのは、アレフと凍司だった。
「やっと見付けたぜ、エセナンパやろ‥‥‥シーラ!!」
 遠くからではガイが少女を抱擁しているとしか確認できなかったが、側に近づいて初めてそれがシーラである事を確認できたアレフと凍司。更にはそれによって、ずっと気になっていた事が皮肉にも一本に繋がってしまった。
「凍司‥‥‥」
「やはりそう言うことでしたか。禅鎧‥‥‥」
 自分が最も心配していた事が発起してしまった事に、凍司は奥歯を強く噛みしめた。
「‥‥‥‥えいっ!」
「うわあっ!!」
 シーラはガイの腕の力が緩んだのを確認すると、すかさず腕を掴んで思いっきりあらぬ方向に捻ってやった。以前、禅鎧から教えて貰った護身術の1つだ。ガイが手を離した瞬間、シーラはアレフと凍司の元へと駆け寄っていった。
「大丈夫ですか、シーラさん?」
「あ、はい。ありがとう、2人とも」
 アレフはシーラに振り向くと、親指を立てながらウインクをしてみせた。それは護身術を決めた彼女への、賞賛の意味も込められていたのだ。
「なあに、いいって事よ。…ところで、残念だったな。まさかシーラが、護身術を憶えているとは計算外だったんじゃないのか?」
「フン…、このボクに一体何の用だ?」
 未だ痛む腕を押さえながらガイ。それに関わらず平然としているが、アレフの言い分は確実にガイの的を射ていた。
「俺はアレフ・コールソン。今からてめェに決闘を申し込むぜ!」
「決闘? …なるほど、すると君はこの街のナンパ師というわけか」
 アレフからも自分と同じ匂いを感じ取ったのか、ガイはすぐさまそれを察知出来た。
「今から俺と、ある1人の女性を口説いて貰う。もし俺が口説き落とせたなら、この街から大人しく出ていけ」
「ナンパ勝負というわけか…、いいだろう。だがボクが勝ったら、君のナンパした女性を全てこちらに引き渡して貰おうか?」
「…ああ、こっちもそれで異存はない。それじゃあ、今からその女性のところに案内してやるからついて来な!」
 アレフはそう言うと、ガイを誘導するように先に公園の入口へと歩いていく。続けて凍司とシーラ。そして、ガイが勝ち誇ったような笑みを浮かべながら後をつけていった。
「…ところでアレフ、相手というのは誰なんですか?」
 事前に凍司はこの事をアレフから教えられていたのだが、決闘の詳しい内容までは聞かされていなかったのだ。
「…ああ、実は誰かは決めていないんだ」
「えっ‥‥‥‥!?」
 苦笑いを浮かべながらのアレフの言葉に、思わずシーラはしゃっくりのような声を挙げる。どうやら、即興で考えたアイディアのようだった。
「ですが、どうしてそんな事を? ひょっとしたら、もっと貴方への被害が広がるかもしれないんですよ?」
「俺にも分かんねぇよ。ただ俺のもののみならず、親友のものにまで手を出したと思ったら、何かこうフツフツと‥‥‥」
「‥‥‥ア、アレフくん」
 アレフの言葉に凍司は静かな笑みを、片やシーラは思わず頬を紅潮させてしまう。彼女の感謝が混じった笑顔に、アレフは自分らしからぬ照れ笑いを浮かべる。
「おいおいシーラ…、その笑顔を向ける相手が違うんじゃないのか? …ま、俺で良ければいつでも相手になってやるけどな」
 そう言いながらシーラにウインクをすると、彼女は可哀想な程に真っ赤になり俯いてしまった。アレフは冗談だよ…と笑うと、背後を黙したままついてくるガイを見据えながら、腕組みをして相手を誰にするか考え始めた。
「早くしてくれないか? ボクは君たちほど暇じゃないのでね」
「…焦る必要はないですよ。あと1分で到着しますから」
 ガイを宥めるようにそう言ったのは、アレフではなく凍司だった。驚いたように、アレフは凍司へと視線を移す。凍司は不敵な笑みを浮かべながら、顎で目的地を指し示す。そしてそれを見たアレフは、戸惑ったように焦りの表情をみせた。
「まさか、凍司‥‥‥」
「そのまさかです。…それじゃあ僕とシーラさんは、先に行って話をつけてきますよ」
 ガイに漏れないように小声でそう言うと、凍司はシーラと共に一足先に目的地へと走っていった。
「アレフくん、あの2人は何処に行ったんだ?」
「…なんか急用があるとかで、俺たちの勝負には立ち会えなくなったみたいだぜ」
 そう言いながらアレフが見据えた先に立てられた建物、それはジョートショップだった。

 カラン、カラ〜ン♪
 ジョートショップのカウベルが、臨時店員の帰社を告げてきた。凍司が店内に入ると、キッチンで夕食の支度をしていたアリサが出迎えてくれた。
「あら凍司君、今日は遅かったのね。あ、いらっしゃいシーラさん」
「‥‥‥!!」
 椅子に腰掛けたまま俯いていた禅鎧が、まるで魂を得た操り人形のように上半身を起こした。その側で禅鎧を心配そうに見ていたテディが、うわあ…と小さな悲鳴を挙げる。一緒に座っていたパティ・エルも、思わずビクリとしてしまう。
「シーラ‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥」
 2人の視線が絡み合う。だがすぐに、ほぼ同時にそれを反対方向に逸らしてしまう。シーラは俯いたまま、禅鎧と距離を取るようにして壁に寄り掛かった。禅鎧は席を外すと彼女には近付こうとせず、こちらも俯いたまま壁により掛かった。その中間にいたテディは、何事かと言わんばかりに額に大きな汗を浮かばせた。
(なるほどね、そういうわけか…)
 禅鎧とシーラの間に流れる空気を読み取ったパティは、素早く禅鎧が消沈していた理由を把握出来ていた。
「どうしたの、凍司君?」
「アリサさん、みなさん。申し訳ありませんが少しばかり協力していただきたいのです」
 凍司はその言葉を皮切りに、事のあらましを包み隠さずアリサやパティたちに説明をした。それを聞いていた禅鎧は、苦虫を噛み潰したように表情を濁らせた。他人に自分の尻拭いをさせてしまった事。そして先程から、目を合わせようとはしないシーラ。それらが禅鎧の胸を更に圧迫させてきた。
 全てを聞き終わったアリサは、禅鎧とシーラの表情から全てを理解したように、快く頷いてみせた。
「ええ、分かったわ。出来る限りのことはしましょう」
「ま、どっちを取るかって言われたらねえ…」
「アタシは、アリサの言葉に従うよ」
 パティとエルも、特に迷ったり否定することなく頷いてみせた。凍司は静かに微笑むと、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。…あと、僕とシーラさんの隠れる場所はありませんか?」
 ガイにはアレフを通じて、凍司とシーラは急用が出来たという風にしている。その2人がこの場にいると余計に怪しまれてしまう為、凍司はアリサに重ねて問い掛けた。するとアリサは、自分とテディの自室を使うように勧めてくれた。凍司とシーラはアリサに頭を下げると、まずシーラを先に部屋へと移動させる。その際、禅鎧と視線を合わせようとはしなかった。
「凍司、すまない‥‥‥」
 そして凍司が目の前を横切る際、禅鎧が凍司に向かって消え失せそうな声でそう言ってきた。凍司は苦笑いを浮かべると、少しだけ厳しい口調で言葉を続けた。
「‥‥‥その言葉は、僕には相応しくはありません。全てが終わってから、きちんとその人に話してあげることです」
「‥‥‥‥‥‥」
 禅鎧は黙したまま頷いた。凍司はいつものように微笑むと、シーラに続いてアリサの自室へと入っていった。
 カラン、カラ〜ン♪
 再び鳴り響く、ジョートショップは玄関のカウベル。それによって、店内の空気が一瞬にして緊迫した雰囲気へと様変わりする。入ってきたのはアレフと、そしてガイだ。
「フッ…、ボクも潜りな事だ。こんなに美人が集まる場所を見付けられなかったなんて」
 パティやエルにすかさず色目を使うガイだが、それらはいとも簡単にはね除けられてしまった為、ばつが悪そうに視線を逸らした。そして、禅鎧の姿に初めて気付く。
「やあ、あの時はどうもありがとう。…でもその後で、とんだ邪魔が入ってしまったけどね」
 多少俯いていた為、禅鎧の細い瞳が垂れた前髪によって遮られてしまっている。上手く表情を読み取る事が出来なかったガイだが、すぐに好色な表情へと元に戻す。
「それでアレフくん、この中を誰を口説けばいいのかな?」
「ああ。それは、アリサさん。この人だよ」
「!?」
 アレフの提案に、ガイは流石に驚きの色を隠せずにいた。栗毛色のショートボブの少女…パティか、モスグリーンのショートカットのエルフ…エルを対象にするかと思っていた。その為に、最初から2人に色目を使っていたのだから。
「どうした、年上の女性は口説けないのか?」
「‥‥‥フン、そんなもの容易い事だ。じゃあまずは、ボクから口説かせて貰うよ」
 アレフがためらうことなく頷くと、ガイは自分の勝利を確信したかのように不敵に笑った。そして先手必勝と言わんばかりに、アリサに得意の色目を使う。そして、アリサのプラスとなる容貌を次々と探し当てる。
「その包容力のある優しい笑顔、そして何処か人を引きつけるかのようなオーラ。まさに貴女は、天から舞い降りてきた天使のようです。どうかこれからは、このガイ・ラストルードだけに素晴らしい笑顔を見せて下さい」
 まるで本心を語っているかのように、ガイ。そんな彼を、無表情のまま見据える禅鎧。
そしてあまりに自己陶酔した台詞に、自分たちが口説きの対象にならなかった事を心から感謝しているパティとエル。
「ガイさん‥‥‥と言ったかしら。貴方は何のためにこの街に来たのかしら?」
「え…? それは勿論、貴女に会いに来たのですよ。その美しい声の持ち主であるアリサさん、貴女だけのために‥‥‥」
 予想しなかった箇所を突かれたガイは一瞬戸惑うが、すぐに口説き文句を構成する。だがアリサは、静かにかぶりを左右に振った。
「…嘘はいけないわ。さっき、そこにいるお2人を口説こうとしてたじゃない?」
「い…いいえ、それは…そう! 只の挨拶ですよ。ボクの生まれた街では、それが挨拶なんです」
「ふ〜ん、じゃああたしたちには何の魅力もないんだ?」
「!!?」
 今度はパティから攻撃を受け、ガイは更に狼狽えてしまう。しどろもどろになりながらも、何とかガイは言葉を紡ごうとする。
「…い、いえ。決してそんな事は‥‥‥」
「へえ〜、じゃあ言って貰おうじゃないか。アタシたち2人の魅力とやらを…」
「え‥‥‥え〜と」
「ほぉら、やっぱり出てこないじゃない。全く、ナンパ師ってのは外見でしか人を判断しないからいやねえ…」
 パティとエルの口述に出鼻をくじかれて硬直してしまっているガイの姿が面白いのか、アレフは口を押さえて笑いを我慢していた。
「そうそう。何たって、シーラが護身術を修得しているのも見抜けなかったくらいだからなぁ‥‥‥」
「! な、何だと‥‥‥」
 だがガイはハッと自分の素の部分が出てしまうのを抑えると、何とかプレイボーイの顔へと元に戻す。そこでアリサに、攻撃のバトンが戻ってくる。
「それにガイさん、ここにいるパティさんやエルさんの他にも、沢山の女性に同じように声を掛けているそうね」
「アハハハ、アリサさんもお人が悪いですね。何を証拠にそんな‥‥‥」
「証拠ならあるぜ。ガイ、お前は確か昨日、3人の女性と付き合っていたな? 俺実は、偶然にもその場所を歩いていたんだよ。何たって、その女性は3人とも、本来は俺とデートするはずだったんだからな!」
 最後の部分だけ少しドスが利いた口調でアレフはそう言うと、パチン!…と指を鳴らした。すると部屋の向こうから、凍司とシーラが出てきた。
「! 確か君たちは急用で‥‥‥!」
「ええ、ちょっと仕事の依頼を受けてきましてね」
 凍司はそう言いながら、ガイの目の前へと1枚の書類をちらつかせる。そこに書いてある内容を見て、ガイは大きく目を見開いてしまう。

依頼内容:ナンパ師の駆除
依頼主:エンフィールド住民一同
報酬金:2500G

 書類にはそのように書かれてあり、その他にもそのナンパ師の特徴が事細かに書かれてあった。また別の書類には、ナンパ師の写真までが貼られてあるのもあった。
「実はこれ、最近エンフィールドに出回っているというナンパ師に恋人を奪われたという方たちが、共同出資でウチに依頼してきたものなんですよ。そしてその全員が、揃いも揃って貴方の事を言ってきた…というわけなんです」
「! …と、いうことはっ!!」
 ガクガクと震えるガイの足。それがジョートショップの老朽化した板床を細かく軋ませる。
「ハナっから、俺らにはめられてたってワケさ。俺の勝負を受け入れた時点でな…」
「そ、そんな‥‥‥バカな」
 ガイは力無くそう呟きながら、その場に跪いてしまう。見事に填められた事に対する怒りからか、またも女性を口説き落とせなかった事へのプレイボーイとしてのプライドから来る悔やみなのか、ガイの身体は小刻みに震えていた。
「…ごめんなさいね、ガイさん。別に私たちに悪気はないのよ」
「ア、アリサさん。こんなヤツに謝ることなんかありませんよ!」
 逆にガイを哀れむかのような慈悲深い表情のアリサに、アレフは困惑したように反論するが、アリサは静かにかぶりを振って丁寧に断った。
「貴方にも、知って欲しかったのよ。大切なモノを奪われた事に対する気持ちを‥‥‥」
「アリサさん‥‥‥」
 アリサの力なのだろうか。ガイを負かした事への優越感よりも、今は彼に対する哀れみが店内を大きく占拠していた。アリサは優しく微笑みながら、ガイへと救いの手を差し伸べる。皮肉にもそれは、ガイが例えたような地上に降臨した天使のようだった。
 パシイッ!!!
 だがガイは、差し伸べられた手を乱暴に払いのけると、先程までとは打って変わって冷たい表情を浮かばせながら立ち上がった。禅鎧・凍司・シーラを除くアレフたちは、突然のあまりしばらくは怒りさえも出てこなかった。
「フン! まったく、はるばるこんなへんぴな片田舎に来てまで説教されるとは思わなかったな!」
 そう言いながら、派手な衣服に付いた埃をパンパンと払う。そして周囲を見下すように、店内に視線を行き渡らせる。
「…て、てめェ! アリサさんに何て事を!!」
 凍司はガイに喰ってかかりそうになったアレフを、静かに片手で制した。アレフは悔しそうに舌打ちすると、憮然とした態度のガイを強く指差す。
「お前の負けだ! 約束通り、この街から出ていきやがれ!!」
「言われなくても、そうさせて貰うまでだ。…一番の失敗は、こんな寂れた田舎町をターゲットにした事が間違っていたようだな。オレの魅力はトロンヘイムのような、優雅な街でこそ繁栄する事をとくと学ばせて貰ったよ!」
 負けたのにも関わらず、まるで勝ち誇ったような口振りのガイ。再び禅鎧たちを見据えると、今度こそ踵を返してジョートショップを出ていこうとした。
「な…なんてヤツなの? ちょっとあんた、待ちなさ‥‥‥」
「待って下さい‥‥‥」
 いい加減に痺れを切らしたパティが呼び止めようとするが、シーラの何処か静寂とした声によって遮られてしまう。ガイに向かってゆっくりと歩み寄っていくシーラを、全員は半ば驚いたように見守っている。
「ガイさん‥‥‥」
「どうしたんだい、シーラ? ‥‥‥そうだ! もし良かったら、ボクと一緒にトロンヘイムに来ないかい? 君のその美しさは、こんな田舎じゃ宝の持ち腐れというものだよ。どうだい? 我ながらいい考えだと思‥‥‥」
 パァァァァン!!!
 懲りずにシーラを口説きにかかるガイだが、その言葉は最後まで紡がせることが出来なかった。シーラの平手打ちが、ガイの頬に衝撃的な打撃を与えたからだ。
「‥‥‥シ、シーラ?」
 彼女らしからぬ行動に、パティたちは思わず生唾を飲み込んでしまう。当のガイ本人は、豆鉄砲を喰らったような表情ではたかれた頬を抑えている。恐る恐るシーラに視線を移すと、こちらを強く冷たい真っ直ぐな視線で見据えてきている。
「もう2度と、私たちの前に姿を現さないで下さい」
 強く戒めるように、シーラ。しばらくの間惚けていたガイだったが、頬に刺さる痛みを再確認した瞬間、彼の両目が急に潤みだした。
「な…、何するんだよぉ。マ、ママにも殴られたことがなかったのにぃ〜。‥‥‥お、憶えてろぉぉぉ〜〜〜っ!!!」
 幼子のような情けない口調で捨て台詞を残し、ガイはジョートショップから掛けだしていった。扉を開け放ったまま出ていったため、シーラはその扉を静かに閉めた。
「…シーラ! 良くやってくれたわ!!」
「さっきのシーラ、めちゃくちゃ格好良かったぜっ!!」
「見直したよ、シーラ!」
 パティ・アレフ・エルが、先程のシーラの絶賛しながら彼女の側へと駆け寄る。だがシーラからは、いつもの照れ笑いは確認できなかった。怪訝に思ってパティが声を掛けようとするが、シーラは俯いたまま禅鎧の方へと歩み寄っていく。禅鎧は背中を壁から離すと、シーラと向き合った。
「シーラ‥‥‥?」
「禅鎧くん、聞きたいことがあるの…」
 そのシーラの声はとても消え失せそうで、やや遠くにいるテディには聞き取りづらいものだった。
「どうして、あの時私を置いて行ったの?」
「! …そ、それは」
 だが禅鎧の答えを待たずに、シーラは捲し立てるように問い続ける。
「どうして私を助けに来てくれなかったの? 私1人ぼっちで…、凄く不安だったんだよ!?」
 徐々にシーラの声が震えてきているのが聞いて取れた。やがて、シーラは俯けていた顔を挙げた。
「私、もっと禅鎧くんとお話したかったんだよ? もっと禅鎧くんのこと知りたいと思って、今日禅鎧くんに会いに行ったんだよ!?」
 水滴が落ちた水たまりのように潤んでいたシーラの大きめの瞳からは、止めどなく涙が溢れ出ていた。禅鎧はそんな彼女の顔を、見ていることが出来なかった。
「私たちずっと、それまで楽しくお話ししてたよね? それなのに、見知らぬ男性に突然禅鎧くんが呼び止められて、そして戻ってきたのはさっきのガイさんだけだった…。ひょっとしたら、禅鎧くんに何かあったんじゃないかって、すごく心配したんだよ?」
 シーラは禅鎧の来ているジャケットの裾に手を掛け、子供のように引っ張りながら思いの丈を禅鎧にぶつけ続ける。禅鎧はそれに答えることが出来なかった。そしてそのわだかまりを糧として、禅鎧の心の中では罪悪感と自己嫌悪が次々と繁殖を始めていく。
「…どうして、1人で帰っちゃったの? 答えてよ! 答えてよぉ!!」   
 禅鎧の胸板を乱暴に何度も叩き付けるシーラ。それは肉体的にはとても弱いものだったが、それは禅鎧の心に深々と突き刺さっていった。そこで見かねた凍司とパティが、シーラを取り押さえにかかってくる。
「シーラさん…、もうそのくらいでいいでしょう。禅鎧だって、好きで貴方を置いていったワケじゃないんです。前にも言いましたよね、禅鎧は以前から‥‥‥」
 だがシーラはパティの腕を振り払うと、今度は凍司に向かって鋭い視線を向けた。
「そんなの禅鎧くんを甘やかしてるだけだよっ! そうやって仕方ない仕方ないって思ってたら、禅鎧くんはいつまで逃げることしか出来ないよ! 記憶なんかずっと戻るわけないよ!!」
「!!!」
 凍司は完全に、返す言葉を失ってしまっていた。シーラの言ったことは全て的を射ていたからだ。確かに禅鎧の事を大事に思うが余り、それは結果的には禅鎧を甘やかしていた事になってしまったのかもしれない。
 シーラはこぼれ落ちた涙を拭うと、改めて禅鎧を見据えていた。禅鎧は恐る恐るシーラと視線を合わせる。先程までの痛々しさは失っていたが、その真っ直ぐな視線は禅鎧の心の透き間を刺激してくるように鋭かった。
「ねえ禅鎧くん、私のこと嫌いなの?」
「そんな事は決して…!!」
「じゃあどうして置いていったの!?」
 だがそこで、禅鎧はまたも言葉に詰まってしまう。そして申し訳なさそうに、シーラから視線を逸らそうとするが、先程のシーラの言葉を思い出すと、すぐに視線を彼女に戻した。
「禅鎧くん、あの時言ってくれたよね?『自分の側を離れるな』って…。この言葉は、嘘だったの?」
 禅鎧が初めてシーラに護身術を教えた後に起こった、トリーシャ行方不明事件の際にシーラに言った言葉。禅鎧は一時的な対処としてそう言っていたのだが、それをシーラはずっと宝物のように大事に思っていた事に、禅鎧は初めて気が付いた。それは正に、自分の事を心の底から信頼してくれている何よりの証だった。
「私、ずっとその言葉を…禅鎧くんの事を信じてきたのに‥‥‥。禅鎧くんのバカッ!! もう知らないっ!!」
 シーラはそう言うと、ガイと同じようにジョートショップを出ていってしまった。パティたちは冷たい秋風が入り込んでくる入口を、ただ黙したまま見つめていた。
「…あんな感情をむき出しにしたシーラ、初めて見たわ」
「俺も‥‥‥‥」
 普段は内向的な印象を受ける彼女だが、実は心の奥底には硝子細工のように傷つきやすく、壊れやすい純粋なモノを秘めている。そして他の誰にも負けないくらいに、とても素直で誠実で一途である。それがシーラ・シェフィールドの、本当の姿なのだろう。
「‥‥‥アハハハ、ガンガン言われちゃいましたね」
 未だにショックから立ち直れていない凍司。自分は禅鎧の事なら何でも知り尽くしていたつもりだったが、それが仇となって今回のような出来事を招いてしまった。シーラに指摘されたことではなく、それにずっと気づけなかった自分が悔しかった。
「シーラ‥‥‥‥」
 ジャケットの下のインナーウェアに染み込んだ彼女の涙。悔しさを滲ませるように、拳をギュッと握りしめる。男性の割には細くて綺麗だが、所々に虐めている痕跡が見える拳。禅鎧は自分で自分を殴り飛ばしたかった。
「シーラ‥‥‥本当に、すまなかった‥‥‥」
 力無く握った拳をブラリと垂れさせる。泣きたくても泣けない。これ以上に辛いものは他にはないだろう。

To be continued... 
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