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「スタート・ハンド 第1話」 亜村有間  (MAIL)
 それは…命を賭けた戦いだった。
「じゃ、マリアが、配っていいの?」
「ああ」
 挑戦的な目つきで、こちらを睨み付ける少女に対し、ヒュー・ロングは不敵な笑みを返した。…僅かに引きつっているのが残念であったが。
沈黙の中、カードは配られる。最初の手札、即ちスタート・ハンドをそれぞれ開く二人。
「むっ!?」
「ええっ?」
 同時に声を上げた二人は、慌ててポーカーフェイスを作り上げ、相手の顔色を伺った。ヒューは少女の表情の中に隠しようのない落胆を、マリアは青年の口元にこぼれる締まりのないほくそ笑みを見てとった。
「…ううッ!」
「ほおっ?」
 両脇にくくった金色のお下げを揺らしながら、やけのようにカードを交換するマリアに対し、ヒューは、余裕の表情でじっくり吟味しながら少しずつカードを替えて行く。
 やがて…。運命の決まる時が来た。
 バン! とカードを投げ出すマリア。
「ノーペアよ!」
 そして、拗ねたように、そっぽを向く。
「つまんなーい! だって、ヒュー、最初っからカードが揃ってるんだもーん!」
「ふっふっふっ…そうかな?」
 ヒューが優雅に広げたカードにつまらなそうにちらりと一瞬だけ目をやったマリアは、次の瞬間、目を大きく見開いて、向き直った。
「わ、わ、わ、ワンペアー?! うそー! マリア、途中でツーペアなら揃ってたのにー!」
「わーい、ひっかかったー、ひっかかったー♪」
 いい年して、子供のように…というよりは只のバカのように小躍りしながらはしゃぎまくるヒュー。
「しかもだな、俺のカード、最初はぜーんぶばらばらだったんだぜーい」
「えっ、ええーッ!?」
 大人げなく自慢を始めるヒューに、食ってかかるマリア。
「な、なによそれー!?」
「いかんなー、マリアくん。スタート・ハンドが悪いからと言って、すべてを投げ出してしまっては。『神は自らを助けるものを助ける。』人に、最初に配られる手札を決めることは出来ないが、勝負はそれをどう生かすかで決まってくるんだぜ」
「ぶーっ☆!」
「それじゃ約束通り、今日の魔法の練習に付き合うのは、パス、と」
「…そんなぁ! マリア一人だけじゃ、どこが悪いのか、なかなかわかんないんだもん!」
「勝負は冷酷じゃ。…いやー、よかったー、これでなんとか命が繋がったぜ。」
「な、なぁんですってぇー!」
「ま、しかし、これもある意味では教訓だな、うん。」
 もはや、完全に自分に酔い浸り、わざとらしい身振り手振りで独演をくり広げ続けるヒュー。
「そう、人生とはいわばポーカー。ああ、哀れ、無慈悲な魔法(ピー)少女にいたぶられ続けるこの私の、悲しき運命はもはや変えようがない」
「……!」
「しかーし、そんな私でも、知恵と勇気を振りしぼれば、ほれ、この通り、悲惨な運命を覆すことができるのだっ!」
「……」
「ま、マリアくんも、ここは一つ、このお兄さんを見習ってだなー、」
「…アイシクル☆スピアー!」
「ぐぎゃーっ!」
 …世の中には、いるのである。調子に乗りすぎる奴というものが。
 合掌。
 
 ☆  ☆  ☆
 
「えー、それでは、まず、先週の復習から始める」
 教師の声が広い空間に響きわたった。ここは、エンフィールド学園の体育館である。
外見も普段の用途も普通の学園と変わらないが、対魔法加工が加えられていて、魔法訓練にも使用できるようになっているところが違う。
「最初に模範演技を見せてもらおうかな」
 そこで、教師は一瞬言葉を区切って、ちらっ、と成績表に目を通した。
「…マリア・ショート」
 他の生徒と同じく、膝を抱えて座っていたマリアの目が驚きに見開かれ、次の瞬間、ぱっ、と頬に赤みが差し、勢いよく立ち上がる。
「はいっ!」
「ええーっ、せんせー、正気ぃー?」
 すっとんきょうな声とともに、あちこちから罪のない笑い声が上がる。
「ちょっと! 今の誰よ」
「わあ! うそ、嘘です、神さま、仏さま、マリアさま、お許しをー」
「逃げるな、このバカ! ほら、マリア、捕まえといたわよ、ささ、思いっきり制裁を」
「わ、わわっ! こ、この裏切りものがぁ! さては昨日のカレーパンのことを根に持って!」
「当然でしょ。ふふふ、食べ物の恨みは恐ろしいのよぉー」
「こらこら、静かにせんか、ほら、マリアもそんなヤツほっといて早く前に出ろ!」
 溜まりかねた教師が少しだけ声を高くすると、はしゃいでいた生徒たちもようやく静かになった。
「俺だって本当はやらせたくないんだ。だいたいだなあ、お前らの気合いが足りんのがいかんのだぞ。
先週の段階じゃ、成功どころか、発動までいっとるのが、数える程しかおらんのだから、しょうがないだろう。みんな、ちょっと慎重すぎだぞ? 
…まあ、全員がマリアみたいになっても困るがな。俺の神経はともかく、この体育館がもたんからな」
 小さく生徒の笑いをとって、肩をすくめる教師の横に、とたたっ、と軽やかな足取りでマリアが駆け寄る。先ほど怒ったことなどもう忘れたかのように嬉しそうな顔である。
「マリアちゃん、影でかなり練習してたもんねぇ」
「ま、マリア、そんなことしてないもん!」
 生徒の間で起こるひそひそ声。真っ赤になって手をぶんぶん振り回すと否定するマリア。その様子を、苦笑しながら見つめる教師。
「全く、実技だけじゃなくて、理論の方にも熱入れて欲しいもんだなあ。この前の『戒律』と『構成』、ひどかったって聞いたぞ」
「はいっ! 先生」
「…ほんとにわかっとるか?」
「はいっ! はいっ!」
「…わかっとらんな、こいつは」
 にこにこしながら何度も頷くマリアに、わざとらしく疑い深そうな視線を投げかけ、両手を左右に広げる教師の様子に、どっと笑いが怒った。
「先生、漫才はもういいですから、早く授業を」
「おっと、いかん、いかん」
 生徒の一人が、眼鏡を人差し指で押さえながら冷静な突っ込みを入れ、教師は慌てて表情を引き締めた。
「それでは、P.52の例1から順番にやってくれ。まずは例1」
「はいっ!」
 マリアは、ふっ、と真剣な表情になって、手を組むと、目を閉じて、神経を集中させた。呟くように唱える呪文のリズムに合わせて、繰り返し練習したとおり、頭の中である特定のパターンを描く。
「……!」
 おおーっ、と静かな感嘆の声が上がる中で、目を開けるマリア。集中している間は全く聞こえなかった外界の音が、耳に押し迫るように大きくなってくる。
「よし、うまく発動してるな。では、次、例2…あー、これはまだ無理なら飛ばして3に行ってもいいぞ」
「いいえ、やります!」
 再び、瞬間的な瞑想状態に入る。少し緊張がほぐれて、今度は目を開けたままだが、視神経を通ってくる情報は機械的に処理されるだけである。
意識の大半は、心の中のもう一つの世界の中で飛び交う無数の星のようなものを操ることに集中している。突然、その軌道がでたらめに変化した。
 ぼーん!
 あっ、と思う間もなかった。気が付くと、隣で教師が尻餅をついていた。呆然としているマリアを見上げると、お尻を払って立ち上がる。
「えーと…今のは…」
 ようやく、教師が口を開くと、
「わるい見本でーす!」
 不自然な程、明るい声が隣りから上がった。どっ、と笑いが生徒の間に伝播する。
「お前なあ、自分で『悪い見本でーす』はないだろ」
「えへへ。マリア、失敗しちゃった!」
「『失敗しちゃった』でもない! 上級生のシェリル・クリスティアみたいにやれとは言わんが、もちっと制御をしっかりせんか!」
「ごめんなさーい!」
 再び漫才を始めた教師と、舌を出して自分の頭をこつんと叩いたマリア。
その様子に口を押さえて笑いを堪えていた女生徒の一人は、ふと、マリアの様子が妙な気がして笑いを止めた。
「ねぇ、ちょっと、ちょっと…」
 前でばんばん床を叩きながら笑い転げている別の生徒の袖を引っ張る。
「何よりも、自分の力量はしっかり把握して、暴走前に停止させるように…おい、マリア。まさか、目をやられたんじゃないだろうな?」
 教師も不信に思ったらしく、やたらと目を腕でごしごしこすっているマリアに心配そうな声をかけた。
「そ…そうじゃないけど…えと、ないですけど、顔が真っ黒になっちゃって…あの…顔洗ってきてもいいですか?」
 妙にくぐもった声ではあるが、しっかりと返事を返すマリアに、教師は、ほっ、と安堵の息を付いた。
「いいから、早く行って来い! すぐに再開するからな!」
「はーい!」
 元気な返事と共に、最後に一回、ぐいっ、と目を擦って顔を上げると、えへへ、と誤魔化し笑いを浮かべて、舌を出すマリア。そのまま、くるり、とこちらに背を向けて駆け出していく。
「おい、なんだよ?」
 ようやく笑いが止まったらしい相手が振り返って初めて、女生徒は、相手の袖を握りしめたままだったことに気が付いた。一瞬、きょとん、とした後、慌てて手を離し、手をひらひら振って作り笑いを浮かべる。
「あ、なんでもない、なんでもない、気のせいだったみたい」
「はあ?」
 相手は首を傾げたが、すぐにそんなことは忘れて顔を前に戻した。
「さあ、それじゃ、マリアが戻ってくるまでに準備を終わらせとくぞ!」
 ぱんぱん、と手を叩いた教師の方に顔を向ける前に、女生徒は、ちらりとマリアの後ろ姿に視線を走らせた。
(まさか…泣いてたわけ…ないよね、うん。)


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