「ベルファール交響曲 その11」
埴輪
(MAIL)
空には、無数の星が瞬いている。月は出ていない。
「意外と、てこずったな・・・。」
屋根の上で空を見上げ、アインが呟く。屋敷は結界で閉じたので、中の人間には糸は届かないはずである。フォルテは、不安そうにあたりを見渡している。
「さて、そろそろ出てきてもらえるか?」
星空が揺らぐ。影がにじみ出てくる。
「仲間を殴り倒すとは、案外薄情な男ですね。」
「みんなを解放するのに、一番手っ取り早い方法だったからね。」
聞えてきた声が、涼やかな女性のものだったので、思わず面食らうフォルテ。
「さて、人質か切り札かは知らないけど、一人足りないから返して欲しい。」
現れた女性に、普段と変わらぬ口調で語りかける。相手の顔を見て、フォルテが驚きの声をあげる。
「あ、貴方は!?」
「お久しぶりです、というほどは時間はたっていませんね。」
あまり接点はなかったが、顔見知りと言っていい程度には付き合いのあった少女。
「いつから、ティティスじゃなくなったんだ?」
「そうですね、闘技場であったときは、もうずいぶん不安定になってましたね。」
背に、純白の翼が生えている。頭には光の輪が浮いている。かつてティティスと呼ばれていた少女は、既に人間ではなくなっているようだ。
「とりついたのは?」
「貴方とはじめてあってから、ちょっとしたぐらいですね。」
後ろに、もう一つの人影が現れる。少女から大人に移り変わったばかりの女性。腰まで届く艶やかな長い黒髪。白魚のような繊細な手。すらりとした華奢な体は、白いドレスに包まれている。
「やっぱり、か。」
本来なら、強さと繊細さをうかがわせるその瞳も、今は虚ろに宙をさまよっている。だか、それでも彼女は美しかった。
「し、シーラさん。」
「僕が気に食わないなら、直接かかってこればいい。何故、他の皆を巻き込む?」
ティティスは、その面に微笑を浮かべて応える。
「あら、私ごとき貧弱な天使の力で、貴方を直接相手にしろと? 拳一発で世界を滅ぼせる貴方を?」
嘲笑うようなその調子に身を硬くするフォルテ。
「貴方が現れなければ、私はこの王子様を軽く撫でるだけで良かったのです。貴方さえ現れねば。」
ティティスの口調に、憎悪が混ざり始める。
「何故、僕を殺そうとするのです!?」
「抗うものよ、我らが主にとって、貴方はめざわりなのです。」
その台詞に、驚愕の表情を浮かべるフォルテ。
「僕が、神にとってめざわり・・・?」
「人は、生まれたときから罪を背負っています。ですが、貴方は、生まれたときから許されぬ罪を背負っているのです。」
断言する天使。激しく混乱するフォルテ。
「もういいでしょう。神に逆らう罪深き者どもよ、今こそ断罪を受けなさい!!]
「台詞といい行動といい、神の使いとはとても思えないな。」
「正しき者は、どんなことをしても勝利せねばならないのです。」
そう言って、虚ろな瞳のシーラを突き飛ばす。受け止めるアイン。わき腹に衝撃が走る。
「また、姑息な手を・・・。」
シーラをしっかり抱きとめながら、アインが呟く。わき腹から、何か金属質のものが生えている。その何かに手を添えたまま、微動だにしないシーラ。
「お褒めに預かり、光栄です!!」
光を、シーラに向かって放つ。シーラを抱え込んでガードするアイン。シーラが、わき腹に刺さった何かに力をこめる。
「素敵なぐらい姑息な人だ。」
実際のところ、シーラからもらった傷も、ティティスの攻撃も、まったくダメージになっていない。だが、フォルテとシーラ、二人を護りながらでは、アインの攻撃技術では相手を仕留められない。
「アイン公!!」
「大丈夫! この程度のことじゃ死なない!」
無茶苦茶なことをいうアイン。だが、ティティスの攻撃を防ぎながらではシーラを元に戻すことが出来ない。肋骨の下のあたりに衝撃が走る。また刺されたらしい。血が出ないように傷口を遮断する。
「・・・?」
肩のあたりに、温かいものが一滴、かかる。
「何・・・?」
光を叩き落した時、腕からシーラが零れ落ちそうになる。慌てて抱えなおそうとして・・・。
「シーラ・・・?」
肩を濡らしたものの正体を知る。
「ば、馬鹿な・・・!」
光景に、硬直するティティス。
「感情など、残っていないはずだ! なぜ、なぜ・・・!」
信じられない物を見るような目で、ティティスが絶叫する。
「何故、泣いているんだ!?」
虚ろな瞳のまま、シーラは泣いていた。朱に染まったドレスを纏い、真紅の手袋をしたまま、シーラは泣いていた。
「戻ってきてください! シーラさん!!」
唐突に、フォルテが叫ぶ。虚ろな瞳に、微かな光がともる。
「させるか!!」
シーラの糸に、力をこめる。シーラは、虚ろなまま涙を流しつづける。
「止めてください! それ以上やったら、心が壊れてしまう!!」
「ならば貴様がいなくなればいいのだ、抗うものよ!!」
更に力をこめようとした瞬間、糸が切れる。ティティスの絶叫が、あたりに響き渡った。
「どうやら、ティティスを救う方法はほかにはないようだな・・・。」
崩れ落ちたシーラを抱きとめて、アインが呟く。
「な、何をするつもりだ・・・!?」
「魂を食らいし者よ、我は汝を否定する。我は汝を禁ずる。」
何者かに侵食される感触に、悲鳴すら上げることのできないティティス。
「汝は今、世界に否定された。汝は今、混沌に否定された。汝は今、虚無に否定された。」
「や、・・・やめてくれ・・・!!」
目の前の存在の哀願を無視し、アインは最後の一言を吐き出す。
「汝はすべてに否定された。」
あっけなく、霞となって消えうせるティティス。霞の中から光が一筋、空に上っていく。
「おわった・・・な。」
呟いた瞬間、シーラが腕の中で身じろぎする。閉じられていた瞳が開かれる。
「あ、あれ・・・?」
自分が、アインに抱きとめられている格好であることに気がつき、顔を真っ赤に染める。状況がまったく理解できない。
「シーラ・・・、大丈夫?」
「え・・・? う、うん。」
何があったかよく分らない。思い出そうとすると、何故か強い悲しみと罪悪感が湧き上がってくる。手が、濡れているような気がする。と、不意にアインが自分を強く抱きしめてくる。
「良かった・・・。」
アインの呟きが、耳元からはっきり聞える。アインの背に手を回そうとして、止める。何故か、そうしてはいけないような気がする。アインを抱きしめる資格が、ないような気がする。
「ごめんなさい・・・。」
ポツリと呟くシーラ。何があったのかは分からない。だが、心のそこから謝りたかった。
「ごめん・・・シーラ・・・。」
アインから言葉が返ってくる。シーラには、アインの言葉が痛かった。
涙が一滴、零れ落ちた。