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「<大武闘会> 〜第一章〜」 hiro


「毛細血脈奇形?(もうさいけつみゃくきけい)」
 ドクター――トーヤ・クラウドから聞かされた病名に、俺はオウム返しに尋ねかえして
いた。
「それが、あの娘の病名だ」
 トーヤは腰掛けで足を組み、カルテを渋い顔つきで眺めながら、こめかみのところをペ
ンでこつこつとしている。俺にどう説明すればいいのか、悩んでいるのだろう。
「人間っていうのはだ。動脈と静脈のあいだに、細かい血管――つまり毛細血管があって
だな。こいつは、体組織――つまり細胞に栄養をおくり、老廃物を受け取る、そういう大
事なトコなんだが……」
 ややこしい。トーヤも同じ気分なようで、つづけているうちにだんだんとイラただしく
なってきたようだ。
「普通は、こいつが無数にあるものなんだ。だがあの娘の場合――」
 トーヤはこめかみをペン先で突きつける。
「脳の一部に、毛細血管があまり分布していない個所があるんだよ」
「……ちょっとくらい、いいんじゃないのか? そんなんで、なにが問題あるんだよ?」
 その俺のシロウトで自然な質問に、トーヤはかぶりを振った。
「大ありだ。いいか? 通常は毛細血管が無数にあるから、それが血流の圧力をうまく分
散してくれている。だが、もしそれが一本しかなかったら、どうなると思う?」
「そ、そりゃ……――って!」
 医学に関する知識のない俺にでも、事態の深刻さくらいは呑み込めた。
「そうだ。いつなんどきその血管が圧力に耐えられなくなるか……」
「……そんな……」
「あの娘の前のかかりつけの医者の話しでは、この病気が発覚したのは、出血によるもの
らしい。軽かったおかげで、気を失った程度ですんだんだが。もともとカラダが弱く、外
に出る機会もない。感情の大幅な変化もない。そうやって血管の圧迫があまりなかったか
ら、今の今まで気づけなかったのだろう。
……だが、一度出血したのは、かなりマズイ」
「なんで?」
「クセがつくからだ――完全に治さない限りな。次に出血を起こした場合、おそらく」
「…………」
「助からないだろうな」
 トーヤはカルテを机に置いて、俺におごそかに告げた。
 ルシアちゃんと仲良くなってまだ一週間にも満たないけど、それでも死ぬのを宣告され
るのは気分のいいもんじゃない。それどころか、体温が冷水を浴びたように急降下してい
って、目の前が真っ暗になりそうだった。
「十万だ」
 トーヤは、唐突にそう言った。
「十万?」
「治療費に、それくらいかかるということだ」
「な、なんで!? ドクター、あんた! 見損なったぞ! そんな大金彼女の親に払える
わけないだろ!」
 あの子の両親がワザワザこんな田舎街の病院に入院させたのは、トーヤの名医ぶりだけ
ではなく、治療費の問題もあったからだった。あまり裕福……どころか、貧乏にちかい彼
女の家庭では、入院費すらまともに払えない。そこで、医者としての良心(?)があるト
ーヤを頼ってきたってわけである。ぶっきらぼうだがそれを承諾したトーヤは、信じられ
ないくらい安値でルシアちゃんの治療に当たっているのだ。
「最後まで話しは聞け。俺に治せるなら、タダでだって構わん。だがな。ここの医療設備
じゃどうしようもないんだよ。もっと魔術医療の発達した……最新の設備がある街で受け
なきゃならんのだ。
俺の医者としての腕のどうこうではないんだ」
 トーヤは平然と言っているように見えるが、医者として、人間として、どうしようもな
いそれに、苦渋に満ちた心溜りをかかえているのだろう。たしかヒロの話しでは、八年ほ
ど前に、トーヤの妹が病気で亡くなっているとか。妹とあの娘を、二重にかさねていると
ころもあるのだろう。
「ま、おまえにこんなことを言ったところで、事態が好転するわけじゃないんだがな」
 重いため息をひとつ吐いたトーヤは、気にするな、と表情で告げていた。
 往診の時間だ、と言い立ち上がったトーヤは、診察室から出ていこうとし、そこで何か
を思い出したのか、こちらを振り返る。
「あの娘は、持ってあと一年もないだろう」
「…………」
「期待してるわけじゃないが――おまえなら、もしかしたらな、ってな」
 ふ、っと笑ってみせたトーヤに、俺も笑みで返していた。
「なんとかしてみせるさ。なんたってまた、十万ゴールドだからな。ご縁があるよ、俺は」


 良案を散歩がてらに考えようと、遊歩道に入った。並行するレンガにかこまれた花壇に
目線をやりながら、とりあえず見当する。
「ともかく今回の件は、うちは目当てにはできないな」
 ジョート・ショップは薄利多売というものの……実際は無利多売って言った方がいいの
かもしれない。アリサさんの人柄上、どうしても安く・安く依頼を引き受けてしまうのだ。
影で俺やアイン、志狼がなんとかまかなっているといっても過言ではない。
 ……勘違いしないでほしい。別にアリサさんを責めているわけじゃないんだから。
 と、なると。
「あれしかないよなぁ」
 残り一ヶ月に迫った、エンフィールドの一大イベント……って言えば、あれしかない。
相当な額の金が動いているはずだ。……大半は裏でだろうが。
 歩道がとぎれ、敷石が無骨な地の色にうつりかわっているころには、まとまっていた。
「……あんまり気が進まないけど」
 立ち止まった俺は、これからの私生活に深く関わってきそうなそれに、ため息をつかず
にはいられなかった。
 しかし、一年であんな大金を用意するなんて、できるわけはない。それは、以前のフェ
ニックス美術館盗難事件でみずからイヤというほど味わっている。
 そのとき、これを実行してみようと思ったことがあったが、ほとんど非合法の、計画的
すぎる――犯罪っていってもいい。犯罪者あつかいされているのにそんな事して、もしし
くじりでもしたら……ってことで思いとどまったが。
「はぁぁ」
 これで、俺のヒミツがバレるのか……
 アレフひとりでもうっとうしいってのに。それがワンサカと来られたら……
「やるしかないよな」
 悲壮な覚悟を決めた俺は、当たってみるトコロを割り出した。
 由羅、ローラ、トリーシャ。こいつらはこの作戦で不可欠な人員だ。次にグラシオコロ
シアム事務所。ここの役員――審判のことだ――とは面識があるから、そいつに。
 ――で。もっとも重要なのが、シーヴズギルド。盗賊たちのたまり場だ。この街は、公
式的にその存在を認めている。なぜだかは、俺は知らないが。そういう必要悪ってのもい
るらしい。……そこの長のトラヴィスがこれを聞いたら、メクジラを立てるだろうが。
 冷えた空気に取り込まれる吐息を見上げながら、俺は一念発起した。
「じゃ、やってみますか」


 ――走り回ってきょうで四日。
 ようやく裏工作……こほん、もとい下ごしらえが完了した。ひとつを除いて。
 果報は寝て待て、って格言があるように、あとはなるようにしかならないだろう。女神
がルシアちゃんにほほ笑んでくれることを、祈るのみ。
「お姉ちゃん……?」
 パイプイスに座って窓の外を見つめていた俺に、ルシアちゃんがけげんに言ってきた。
 物思いにふけっていたから、リアクションに遅れてしまう。取り繕うように、作り笑い
をした。
「なに?」
「なんだか近頃、おかしくない?」
「な……なにが」
「見舞いに来てくれるのは嬉しいんだけど、話しかけても上の空だったりするし……疲れ
てるんなら、ムリして来なくてもいいんだよ?」
 ……本当に、いい娘だ。
「そんなことないよ。ルシアちゃんとのお喋りは楽しいし。それに、初めて会ったときみ
たいに、外に出歩かれたら困るからね。俺が、見張ってないと」
「あ、あれは……ってお姉ちゃん。話しそらしてない?」
 ぷんとむくれたルシアちゃんは、そう聞きとがめてきた。
 っとに賢い子だな。あまりヘタな事は言えない。サトい彼女なら、気づきかねないから。
 でも聡明そうな顔はそこまで。突然、思春期の少女のそれになる。
「アレフお兄ちゃんと、うまくいってるの?」
 思わず、吹き出しそうになった。
 な、なにを言い出すんだ、この娘は……
「お姉ちゃんって、そのへんは鈍そうなだからねぇ」
「……どうでもいいって」
「そんな、もったいない! 美人……ていうより、かわいい感じなのに〜」
 ……スッゴク、嬉しくない誉め言葉だ。
 ひとりうんうんうなずいた彼女は、流し目でこっちを見てくる。
「アレフお兄ちゃんって、かっこいいし。なんでも知ってるし。案外、努力家だし。こん
ないいひと、そうそういないと思うんだけどな」
「……ルシアちゃん。まさかと思うけど、あいつ、ここに来てたりとか――」
 その俺の勘の裏付けは、この病室のドアが開いたときに、完璧になった。
 ここが病院であることを考えていないシャレたカッコウに、花束までもっているそいつ
は……!!
「アレフ〜〜!! きさま! こんな小さな子にまで手を出してたのか!?」
「う……この時間にならいないはずなのにッ」
「光源氏でもやらかすつもりか!?」
「なんだよ、そのひかるナントカってのは……?」
「小さい女子に目を付けておいて、その娘を自分の理想の女性にしたてあげるっていう…
…! ムチャクチャ鬼畜なオトコのことだ!!」
 と、そこまで言ったあとに、楽しそうにこっちを眺めているルシアちゃんの視線に気づ
いた俺は、冷や汗をたらす。
「やっぱり、仲かがいいね。お兄ちゃんも、お姉ちゃんも」
「そりゃあ愛しあって――がっ!」
 ボケたこと抜かしかけたアレフの首をしめ、黙らす。
 どちらにしろ、ここでアレフに会えたのは好都合だった。最後の仕上げは、こいつなん
だから。頃合的にも、おいとまする時間だし。
「もう帰るね。またあした」
 一方的にそれだけ告げて、もちろんアレフを引きずって廊下に出た。
 そのまま医院を出るよりも、人目のないここでの方が都合がいい。
「なぁ、アレフ。目をつぶってさ……その、少しかがんでくれないか?」
「はあ?」
「いいから! 目をつぶる!」
 しぶしぶと言うとおりにしたアレフのほおを、両手で挟み込む。……イチオウ、先にこ
れだけは言っておかないと。
「本当は、俺だってこんなこと、したくないんだからな! ルシアちゃんのために、しょ
うがなく、しょうがなく、するんだから……」
 キライな食べ物を、ガマンして食べるときとおんなじ要領で、ぐっと俺も両目を閉じ、
そして一気に――
「ん……」
 十秒ほどそうしていたのだろうか。
 アレフの腕が、いつのまにか俺の腰に回っていたりする。息苦しくなるほど唇同士を合
わせあっていた俺は、離れるやいなや、いやらしいその腕を容赦なくつねった。
「か、勘違いするなよ」
 上気してる自分を見せまいとそっぽを向き、つぶやいた。
 これで、種はまかれたはずだ。あとはアレフの素質イカンだろう。
 あ、ダメだ、アレフのやつ。だらしなく顔が弛緩してる。なにか、身の危険を感じる。
「アレフ、一ヶ月後の大武闘会、応援するから」
「……は?」
 夢心地からいきなり現実に引き戻されたって顔のアレフに、俺はおかしそうに面(おも
て)をゆるませて、つづけた。
「ガンバって、優勝してくれよな」
 


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