中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「<紅の鮮麗> 〜一日目・朝〜」 hiro


 それは、いつのことであっただろうか。
 悠久のときを観ていたような……そんな感覚だったが、実際は、はかない一炊の夢にす
ぎなかった。
 夢――学者たちのいう一種の幻覚だ。
「……俺、泣いてたのか……?」
 朝、目覚めた時、ほおが濡れていた。涙痕(るいこん)が目尻からこめかみ、そしてマ
クラをたどっている。
「みんな、死んじゃったんだな……生き残ったのは、俺、独りだけ……」
 意識のぼやけはまったくなく、しっかりと自分を自覚することができた。いつもの自分
の朝覚めとは思えないくらいだ。苦笑した。
「感傷か。何年ぶりかな。この街に――エンフィールドにきてからあまり観なくなったは
ずなのに……」
 ――故郷の夢。
「なにか、あるのかな」
 期待を示唆(しさ)するセリフ。だが、感懐のひとつもイメージできず、彼は……ヒロ・
トルースは、本格的に起きることにした。


「おはようございまーす!」
 ジョート・ショップの戸口に、大きな挨拶が響いた。
 ダイニング・ルームからは朝げの仕度の音やにおいが漂ってきている。まだ、ここの女
主人のアリサとテディくらしか起きていないらしい。
 ほんのしばらくして、返事がくる。
「ヒロくん? 早いわね。どうぞ、あがって」
 その声に従って、勝手知ったる我家のごとくあがったヒロは、台所で調理しているアリ
サの後姿を眺めながらテーブルに腰掛けた。目が悪いとは思えない手慣れた手つきで食材
をさばいていく。
「さっきから何をジロジロご主人様を見てるっスか?」
 アリサの手伝いも終わってすることがなくなったテディが、聞いてくる。
「……見てたか……? 俺」
 まるっきし自覚がなかったらしい。アリサの動きを逐一追っていたのに。ぼんやりとで
はあったが。
「そうっス。なにか危ない目つきだったっス!」
「…………」
 無言で張り倒す。テーブルの上でころんとあお向けになるテディ。はた目からは、ジャ
レ合う飼い主とペットの絵になっている。
 痛くはなかったみたいだが、その行為にテディは憤然としたらしく、
「いきなりナニするっスか!?
あやうくテーブルから落っこちるところだったっスよ!? そのあと頭蓋骨陥没とかにな
ったらどう責任とるつもりなんスか?」
「墓参りだけはしてやる。あと、お供え物にはおまえの大っキライなドッグフードを山ほ
ど」
「ひどいっス……あんまりっス……せめて肉類にしてほしいっス」
「そりゃダメだ。腐る。防腐剤を使っても、長いことはもたないだろうし。……ふん?
なら迷惑のかからないように生ゴミ捨て場の近くってことで、お墓は」
「ええ!? どうせならローズレイクのほとりなんかがいいっスよ」
「だから、迷惑がかかると言っとるだろうが」
「心配ないっス。ボクは死んだら清雅な香料を運ぶ天使になるっスから。臭くなんかなら
ないっス!」
「天使ぃ〜? せいぜいゾンビだろ、犬の」
「犬っていうな〜っス!」
 漫才に走っているひとりと一匹を、料理を運んできたアリサが好ましく眺めている。
「……で。その漫才にオチはあるのか?」
 いつからそこにいたのか。寝惚けまなこで生あくびひとつしたルシア・ブレイブが、眠
たそうに聞いてくる。グレーの、夏なのにくすんだ少なからず厚地のパジャマ。
 開けっ放しの窓から、そよ風が舞い込んでくる。
 その風を心地よさげに受け止めつつ、ルシアは、差し込んでくる陽光に目を細めた。見
方によっては、女神ととることもできる、そんな美相。
「また〜、今度はルシアさんを――ムグッ」
 さすがに今のは自覚があったから、ヒロは余計なことをぬかすテディの口を押さえる。
「ん〜? なにしてんだ? おまえら」
「い、いえ。なんにも……だな? テディ」
「ムグッ! モガガッ!!」
「なんでもないって言ってるんです、テディも」
 喋れないテディの言葉を訳して、ヒロ。……とてもそう言っているとは思えなかったが、
どうでも良かったのかルシアは、
「そう」
 言ってもうひとつあくびをした。
 目元をこすりながら洗面所に消えたルシアを見て、ようやくテディを解放してやった。
 で。抗議のお言葉をもらう前に、ヒロは料理を運ぶ手伝いをする。なんやらテディがわ
めいているが、無視。
「いつも悪いわね、ヒロくん」
「いいえ。こっちこそ。いつも朝食をご馳走になってるんですから」
「そうだね。それくらいで食事代が浮くんだ。手伝って当然だろう。それどころか、僕ら
の仕事を手伝ってもバチは当たらないと思うよ?」
 アリサとヒロの会話に、別のひとりが加わった。いつも飄々としている青年、アイン・
クリシードである。眠気はばっちり覚めているのか、しっかりとした足取りである。
 澄ました顔つきで、アインはテーブルにつく。
「アインさん……そんなきっぱり言わなくても。俺だって良心の呵責にさいなまれている
んですよ?」
「ふ〜ん。なら、なんで毎日なんだ」
「いや……近頃食費もバカにならないってことを再認識して……」
「それのどこに良心の呵責がある?」
「こっちだって辛いんですよ!? ヘキサって、チビのくせに俺とどっこいどっこいに食
べるし! いくら功績あげても給料のベースアップはないし! うちのエンゲル係数を下
げるために協力してくれたっていいじゃないですか!」
 もはや、完全な居直りである。
「おまえ、せめてそういうことは、アリサさんのいないとこで言ってくれ。丸聞こえだ」
 瓢然と指摘するアインに、ヒロははっと口をつぐむ。そろりと横目をやれば、アリサが
くすくすと笑っていた。安心していいのか、呵責にさいなまれなければならないのか。ど
ちらか分からないアリサの様子に、ヒロは虚脱感を隠せなかった。
「自警団の給料事情は良く分からないけど。ともかく、ヘキサはきょうは来ないのか?」
「リオと遊ぶ約束があるって」
「なるほど。それにじょうじて満腹になろうっていう腹積もりだな。あの豪邸なら、ここ
の一般食よりよっぽど優雅な朝食で迎えられそうだし」
「ちょっと悔しいですよね……」
「そう思ってるのはおまえだけ。シェフの腕前なら、ここの方が遥かに上だから」
 アインは、さりげなく、アリサの耳に届くように声をつむぐ。ここらへんは計算してい
るのだろう、……多分。
 このアインという人物は、どこか枯れた感じのする、達観した視野の持ち主である。カ
ッセル二号とでもいうか。の割りに、こちらの意図もつかない事を平気でやったりするか
ら侮れない。『漠然としたヤツ』。ほとんどの人間はアインのコトをこう評している。
「はぁ……そうですね……」
 ヒロはアインが苦手でもない。が。こうやってあっさりアインのペースにはまってしま
う自分を情けなく思っていたりする。マイペースな彼には勝てないのだ。
「お。一番のお寝坊さんが起きてきたぞ」
 天井を見上げながら、アインがおかしそうにつぶやく。
「志狼のことですか?」
 このヒトは天井を透過でもしているのか、そんな疑念とともに尋ねてみる。
「ああ。いま、のっそりと着替えてるよ。……あと、一分と言ったところか。――ヒロ、
ちょっと耳をかしてくれ」
 ほしょほしょと耳打ちされたヒロは、とたんに顔がゆるむのが抑えられなくなった。こ
らえきれなくなって笑いまで込み上げてくる。
「やっていいんですね? アインさん」
「万事OKだよ。そのための下準備も万全だし」
 階段に顔だけ出したヒロは、アインのカウントダウンに集中した。
「5……4……3……2……1……0!」
「しろーく〜ん! あぁそぉびぃまぁしょ〜〜ッ!!」
 ドガラッダタンッ!!
 階段の一歩目を踏み出そうとした志狼に、間の抜けまくった奇声。半睡状態で足を踏み
外さないわけもなく、思いっきり転げ落ちてきた。下にひいてあるカーペットには、アイ
ン特製のゴムのように柔らかくなる魔法がかかっているから、あんまり怪我の心配はない
だろう。
 ひくひくと痙攣を起こしている志狼を見て、ヒロとテディが爆笑する。仕掛け人である
アインも笑みをこぼしていた。
「どうしたぁ、なにかあったのか?」
「あらあら。志狼くん。こんなところで横になったら汚いわよ」
 ルシアとアリサが出てきて、場に染まっていない言葉を吐いた。それがまたおかしくて、
ヒロとテディは人目もはばからず笑い転げる。
 ごっつい面白くないのは天羽志狼くんだった。
「ヒロぉぉぉぉぉ……そこでおとなしく俺に斬られろぉッ!! 遺体はローズレイクにす
巻きにして沈めてやる〜〜〜ッ!!!」
「やめてぇ! この計略はアインさんのものなんだからぁ!」
「シャラップ!」
 おかま言葉で逃げ出すヒロを、怒りの形相で追う志狼。ジョート・ショップの朝に、静
穏なときはないのだろうか、ルシアはつくづくそう思ったのだった。



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