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「<紅の鮮麗> 〜二日目・昼・その一〜」 hiro


 ――どうしよう――
 少年の脳裏によぎるのは、それだった。
 その前面にある風景は、洋々とした土地。街の東に広がる牧草地帯、その農道を牧童が
馬に乗りどこかへ行こうとしている。少し遠くに、収穫どきの終わった小麦畑が地面をさ
らしていた。かすかな風が吹き、生命の息吹を彼方に送る。
 どこにでも見られる、でもほのぼのとした飽きのこない風景。
 とぼとぼ力なく歩く少年は、自らの弱さを秘するその容貌を伏せていた。目元がゆるん
でこぼれそうになる涙を、懸命になってこらえる。
「…………森、か」
 北の方角に進む道には、広大な濃緑の森林が口を閉じていて、何者をも寄せつけない、
そんな意志を放つかのようにそびえていた。
『誕生の森』――そう呼ばれている場所。
(今のぼくには、お似合いかな……)
 少年に、ルニに、帰るあてなどない。それに、ヒロにはまだあの事を話していない。
 もちろん、ただ話したかった。そういう気持ちもあった。しかし、旅の途中途中で、い
ろんな街で、同じ質問を何万と繰り返して、そうまでしてまでヒロを探した理由は他にあ
る。それはこの世で、ヒロにしか果たす事のできない。ルニはそう思っていた。
――もう、長くはない。
「早く……しないと……。長くは、ないんだから……」
 固めた拳に紅の瞳をやり、こころを鼓舞(こぶ)させる。
 やる事は、決まっていた。
 自分の手でアイツらを……動くのは、夜がいい。それまでは、この森の中で。
 それからだ――
「それから、ヒロにぃに……」


「なによ、なによ、もぉ!」
 マリア・ショートは、イラ立ちまぎれに樹木を殴りつけた。で、すぐに可愛らしい顔が
歪む。涙目はもとからだったが、それがさらにヒドいものにかわった。まるで樹木の方が
悪いとでも責めているみたく、横目で睨みつけている。いつもワガママな彼女だが、いま
はそれを凌駕する勢いでワガママな気分になっていた。
 ともかく、なんでもかんでも言うことを聞かせないと気が済まない、そんな強迫観念に
捕らわれていたのだ。だからこそ、こんな人外の世界に足を踏み入れているのである。
 ここならば、そうそうヒトなどこない。『誕生の森』なら。
「パパのばか…………だいたいなんなのよ、アイツは……!!」
 思い出しただけでもはらわたが煮え繰り返る、そんな思いで地団駄を踏んだ。
 今年で十九になるマリアに、いい加減最低限の礼儀作法やらなんやらを教え込ますため、
ショート家の会長、つまりマリアの父親がその講師を呼んだのだが……
 ものの見事に、そりが合わなかったのだ。
 音質の異常に高いキンキン声に、上流階級にありがちな不遜な態度。四十代の女性で、
年甲斐もなくドレスアップしている。
 マリアに言わせれば。超・最悪らしい。……イヤ、誰の目にも……腐ってなければそう
見えるはずなのだが。
 この一週間、よく耐えてこられたとマリアは自賛した。だから、ついにガマンの臨界点
に達して、攻撃魔法で部屋ごと講師を吹き飛ばしたんだとしても、誰も自分を怒れはしな
いはずだ。……と、身勝手なことを考えていたのだが。父親は、その事態を怒った。しか
も、肉親としてではなく――だ。
 会長としての立場上、そうするしかなかったのだろうが……マリアには何も見えないし
聞こえない。いままでの生涯で、そんなふうに叱られたことがなかったマリアは、それだ
けでも衝撃だったからだ。
「大ッッッッキライ! もううちに帰ってやらないんだから!」
 第三者からすれば、マリアの理不尽な行為にまわりが迷惑している、そんなふうにしか
とれないだろう。本人にとっては、正当な行為なのだ。
 ま、その八つ当たり気味な心持ちを、この森に晴らしにきたってワケでもないのだが。
無意識に誰かを傷つけたくない気持ちと、独りでいたい気持ちとがガッチして、ここに誘
われたのだろう。
 これが、朝方の話しである。
 それで数時間後の現在は、すっかり脳みその怒メータもゼロに向かって急勾配していて
……要するに冷めまくっていた。「お腹もすいてきたし、そろそろ……」。子供かおまえと
ツッコミでも入れたくなる考えまであった。
 とは言ったものの……
「はぁ……どうしよっかな……」
 あんな事をした手前、公然とは戻りにくい。それに、他者をあてにしたくなかった。数
年前なら、ルシアあたりに助けを乞いていたのだが。いまは自身でなんとかしたいという、
オトナの思いがそれをさまたげるのだ。気づいていないだけで、マリアの精神面も成長し
ているのである。
 切り株の上に座って、数え切れないほどにため息を吐いた。ときたま、野鳥が奇声をあ
げたり、近くのしげみが揺れたりと、そのたびに身を硬くしたものだ。
 しかしもう、限界だった。
「……かえろ」
 謝って、許してもらおう。その方がいっそ楽だ。反抗心もなえてしまい、従順な想いし
かなくなりかけたそんな時だった。
 視界のしげみが、大きく揺れたのは。小動物にしては、揺れが大きすぎる。まさか大型
の。肉食性や凶暴性の強い野生の動物は、並のモンスターよりやっかいなのだ。
 いくつかの呪文や印が頭に浮かぶが、すぐに霧散する。そして、また。
 それがこちらに出てくるまでに、魔法を四回は使えたはずだ。それぐらい、ゆっくりと
した歩速だったのだ。
「……あ……あれ……?」
 両手を花ビラ状に胸の前で広げ、魔力を解き放とうとしたマリアは、それを見て拍子抜
けした。鮮やかな紅の髪をした、少年だったのだから。
「あ……ああ! よ、よけて――!」
 青い光の球体は、術者の制御を離れ真っ直ぐに飛び出していく。大物だと思っていたか
ら、魔力は全開に等しい。
 ガォンッ!!
 ……少年は、爆煙とともに気を失った。


「……う……うう……」
 暗転した自我が、うめきとともに覚めた。薄っすらとマブタを開いたルニの初めに見た
ものは、泣きそうな少女の顔だった。金髪の少女の顔が、視界を埋めていた。ぼやけた視
覚と脳のせいかも知れないが、キレイだと思った。
「良かった……」
 ほっと胸をひと撫でする少女に、なぜか笑みで返していた。同い年くらいだろうか。漠
然とそんなコトを考えていたルニだったが、感を取り戻していくうちに、後頭部が生温か
い事に気がついた。
 ミョウな気があったわけではない。ホントに。神に誓って。
 それがなんであるか調べようと右手をまさぐらせ――それで、悲鳴と一緒に地面に後頭
部を打ちつけた。
 少女は真っ赤になった顔面で、手の平を振り上げてくる。その瞳に見えるは、ちろちろ
とした火の光だ。
「あ、あんた……い、い、いったい……な、なんのつもりよ!?」
 警戒の色とその問いに、ルニは分からず首をひねる。とりあえず、立ち上がった。
「なんのつもり、って……? 何かしたの、ぼくが」
「マリアの足にさわっておいて……! よくも抜け抜けと」
「……え、……えぇ!?」
 つーコトは、さっきふれたのはマリアという少女の……ルニの面が一気に火を噴いた。
ボケてたんだとしても、ヤバい所為には違いない。しかも、自覚のなかった返答。これで
は、マリアになにをされようともいたしかたない。
「ゴ、ごめん……! 下心なんてなかったんだ! それだけは、信じてよ……」
「…………」
「なんでも言うコト聞くから。ね?」
「……分かった。許してあげる」
 セリフを聞くだけだと、ナニか恋仲のふたりのモノのような気もするが。とにもかくに
も、マリアには、ルニに興味があった。
 街からそう離れていないこんな場所に、『旅装』をした少年。まさか北からこの森を通
ってきたわけでもあるまい。エンフィールドがあるのに、こんな所にくる理由。それが知
りたかったのだ、マリアは。
「そ・の・か・わ・り」
「?」
「マリアの質問に答えてもらうからね。洗いざらい全部☆」
 こう言ったときのマリアは、すでにいつもどおりの彼女に戻っていた。


「ふ〜ん。――で、あんたはどうしたいの?」
 話しを聞き終わったあとのマリアの問いは、ルニを詰まらせるのに不足はなかった。
「……それは……」
 この問いは痛かった。むろん、ヒロに逢いに来たが、迷惑だったから抜け出してきた、
そんな程度の事しか話していない。無関係のマリアを巻き込むわけにはいかないからだ。
「ヒロのとこから『逃げ』出してきて。それでどうするつもりなのよ? こんな森にきて、
泣きにでもきたの?」
 思いっっっきり、棚上げした物言いである。それでも、彼女の弁舌は止まることを知ら
なかった。
「たとえ相手にどんなに迷惑がられたってね、自分がコレと決めたことはつらぬき通さな
きゃいけないの! あんたどういうつもりでヒロに逢いにきたの?
逢いたかったんでしょ? 言いたい事があったんでしょ? 言えばいいじゃない! なに
を迷うことがあるのよ」
 ここで他人のおまえに何が分かる、と怒鳴り返されればそれまでだった。言ったあとマ
リアも、無神経なコトをズケズケと喋ってしまったと悔やんだくらいだから。
 うつむいていたルニが、不意に顔をあげた。
 言い返されるとなかば思っていたマリアだったが、ルニは一生分と言ってもいいくらい
の笑顔で答えてくれた。
 どきり、とひとつ鼓動が鳴った。
「そのとおりだ。ありがと。少しは、楽になったよ」
「う、うん」
 ドギマギしながら、マリアは人形みたいに首を振る。
「それで、そういうマリアはどうなの? こんなところにひとりで」
「……あ。そ、それは……その」
 これは考えておくべきことだった。当然の問いだ。言い訳の手持ちがなかったマリアは、
そわそわと身振りで、何か言わなきゃ、という焦りをルニに流露した。
 ルニが、声をあげて笑ってきた。最初はほおを膨らませていたマリアも、しだいに笑い
出した。
 くったくのない笑い声は、あたりを明るい色に染めていた。
 ――と。
「どうしたの?」
 ルニがマジメな顔つきでまわりをうかがい始めたから、マリアもさめた心情で尋ねられ
た。
「……気配が、ふたつ。こっちに近づいてくる」
「モンスター!?」
「人のものだ。……でもこの気配は……まさか……」
 急いで逃げるべきだった。自分が察知したときには、まだあちらは気づいていなかった
のだから。ほんの数秒が、命取りになった。
「はん。こんな所で合うとはねぇ。僕たちはなんて運がいいんだろ? な、ライム」
 頭上から、若い男声が響いてくる。
「アタシは手出しはしないからね。レンになんて言われるかわからないから。あんたひと
りの独断だからね、これは」
「見てみぬフリってことかい? ま、キミらしいけど」
 樹上にいたルタークは、ちょうど反対側の樹上にいたライムの言葉に肩をすくめた。
 冷たく少年少女を見下ろしていたルタークは、音も立てずに降り立つ。冷笑のなかに嘲
りのあるそんな端麗な顔。マリアは即座にそこから危険な色を感じ取り、ルニの腕を強く
にぎりしめた。
「分かってるね、ルニちゃん。おとなしくこっちに来るのなら、危害は加えない。でもそ
のつもりがないんなら――」
 ルタークの表情が、変化した。まるで、ルニに抵抗でもしてもらいたい、そう言ってい
るかのように。
「血を見てもらうことになるよ?」
「どっちも願い下げだ。従うのも、血を見るのもね!」
 臨戦態勢に入ったルニに、望んでいた答えだ、とでも言いたげにルタークは一笑した。
「――そう。なら、しょうがないな」
 


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