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「<紅の鮮麗> 〜二日目・深夜〜」 hiro


 ――クラウド医院。
 光灯(魔法の一種)の明かりで視界を照らし、ディアーナはベットにうつ伏せになった
まま難しそうな医学書を判読していた。判読からも分かるように、彼女はほとんど読めて
いず、一ページ進ませるのにもウン時間と辛苦していたのだった。
 ころりと横になったり。あお向けになって書物を頭上にかかげてみたり。顔をしかめな
がら読んでいるさまは、憐れすら誘ったりする。
 数えて四十四回メの寝返りを打ったとき――それは起こった。
 ガシャンッ!!
「!」
 どこからか……しかし確実にこの医院内で、ガラスの砕ける音が飛ぶように響いた。身
じろぎひとつ出来ずに硬直していたディアーナは、左腕で支えるカッコウで半身になり、
音の出所に視線をやっていた。……壁、しかない。
「い、いまの……ま、まさか……ドロボウさんじゃ……?」
 単純明快な論理ではあるが、その線がもっとも疑わしいコトもまた事実である。ポジテ
ィブな彼女は、引くという事を知らない――ってこともないが、これはただビクビクと震
えてちぢこまってるってワケにもいかない。もちろんその裏には、トーヤも来るだろうと
いう打算も働いているのだが。
「……患者さんが寝惚けてたってこともありえるよね?」
 楽観的観測をまじえ、少しでも自分の震えるココロをなだめようとするあたり、ディア
ーナらしいといえばディアーナらしい。
 きのうの晩に担ぎ込まれてきた自警団の人間、そのうちどうしてもトーヤの治療が必要
な者だけ、ここに入院している。その数、ざっと二十人。みな重傷で、日常での生活にも
ちょっとばかし支障をきたしているほどヒドいのだ。つまり、ディアーナの推量の正解の
確率は極めて低いのである。
「うう……先生起きてくれてるのかなぁ……」
 やっぱり怖いものは怖い。医者の卵だからって、夜ふけの病院のいかにも出そうな雰囲
気だけは、慣れか性分でカバーするしかないのだ。
 照明具の光が前方に道を映し出し、そこをディアーナはおっかなびっくりと歩いていっ
ている。通路には冷涼な空気が充満し、むき出しの四肢をそっと撫でていった。
 入院患者用の部屋区分に入った。並ぶように左右に五つずつ。合計で十部屋。満員なの
だから、どれでも開けさえすれば、寝息が聞こえてくるはずである。
「……と、とにかく、見るだけでも見ておかないと……」
 ためらいながらも、覚悟を決めてひとつのドアを開けようとした――瞬間。
 ぽん。
「き、キャァッ!!」
 肩に乗せられたその手が、ディアーナには青白く見えたのだ。目を閉じながら振り返り、
両手でその人影を突き飛ばす。発作でも起こしたみたいに、バムバムと叩きづづけるディ
アーナに、
「だぁ……っ! やめろ、こらっ! 俺だ!」
 聞きなれた低音の声。こちらの手をつかんでくるその人影は、トーヤだった。
「……先生……? も、もうッ。ビックリしたじゃないですか!」
「それはこっちだ……まったく」
 寝間着じゃなくて白衣だったトーヤは、襟を直しつつぼやいた。……こんなお約束なこ
とやっといて、まったくもナニをあったもんではないだろう。これはトーヤが悪い。
「その様子じゃ、おまえにも聞こえてたらしいな。ガラスの割れる音が」
「は、はい。ど、どの病室かまでは分かりませんけど……」
「ひとつずつチェックしていけばいいだけの事だ」
 言って、トーヤはディアーナの心情も知らずに無頓着にドアを開いた。
 ――――
「先生……? どうかした――」
 身を強張らせていたトーヤは、のぞき込もうとしたディアーナを強引に通路に引き戻す。
こちらを視野にも入れず、トーヤは、
「いますぐ、自警団に連絡しろ」
「……え、え……? なにがあったんですか?」
「いいから! 行ってこい!」
「は、はい〜〜ッ!」
 矢のように飛んでいったディアーナから、もう一度病室内に視線を移す。奥歯を噛み締
めて、言葉を吐き出した。
「誰が、こんなムゴイことを……」


 ローズレイクのほとりを、ファンタスティックな風景が染めていた。夜天に浮かぶ星々
に蒼々とした煌きをとどける月。湖面は澄み渡り、静かにたゆたっている。
 その風景の一部となっている人影があった。
 月光にその身をあずけ、じっと正面を……ローズレイクを見据えていた。
「……あのヒト……」
 龍牙総司はその人影に目をとめた。なんとなく寝付けず、夜の散歩としゃれ込んでいた
のである。予感があったのかも知れないが。
 わずかに見ただけなら、自殺志願者がいまにも湖に飛び込もうとしているような、そん
な錯覚におちいっていただろう。だが、そんなチンプな発想を壊してしまうほど、神秘性
にとんでいた。
 ふらりと、総司の足がそちらに向いていた。
「あの」
 決まり文句みたいなもんだが、そう声をかけてみた。一拍子おいてから、人影はこちら
を振り向いた。月光が半身を照らし、人影の痩身をあらわにさせる。
「……なにか、ご用ですか?」
 十人並みの声に顔立ち。三十代だと思われるその男性は、ごく自然に尋ねてきた。
 特に何も考えていなかった総司は、気まずそうにしながら、
「いえ……あの、あなたが気になったもので――失礼ですが、どこをみていたんですか?」
「過去と、未来ですよ」
「は……? 言っている意味がよく分からないんですけど……」
「あなたは、終わった過去と、始まる未来、どちらがより大切だと思いますか?」
 困惑しながらも、考えてみた。答えは、はじめから出ていたが。当たり前に、口をつい
た。
「未来、ですね」
「――なぜ?」
「過去は想い出として残るだけです。けど未来は、これから創るもの。どちらがより大切
かと問われれば、未来と答えるのが自然です」
「では、過去はいらないと?」
「そうは言ってません。過去での経験が、未来を築く原動力のひとつにもなりえますから
ね。あくまで俺の意見は、一般論ですよ」
 一方的な質問と解答は、こうして幕を閉じた。ほんの数分程度。初対面の相手に論議を
とうじるなど、馬鹿げた事である。話し終わったあとに総司は、つくづくそう思った。
「そうですか……」
 期待していた答えを聞き出せでもしたのか、男性は満足げにうなずいた。
「私は目的を成し遂げる。それが、他者から悪と呼ばれようが構うことはない。それは、
私にとっての正義なのだから――」
 遠い目をして、男性は歌った。
「これはね。私の尊敬するある人が語った真実なんです。……そして、私の真実でもあり
ます」
「危険じゃないですか……? それは」
「おや。そう思いますか? なにかを成し遂げるためには、必ずなんらかの犠牲がつきも
のなんですよ。それにイチイチ足踏みをしていては、輝かしい未来は築けません。そのた
めになら、私は……」
「…………」
 総司はなんと言っていいのか分からなかった。男性の双眸(そうぼう)は決然とした意
志で塗り固められていて、これはおかすことは何人たりとも出来はしないだろう。具体的
になにをするとは語っていないが、このままこの男性を放っておくのはマズイ気がした総
司は、
「あなた……傭兵かなにかですか?」
「どうしてそう思います」
「血ですよ。あなたからは、かすかにだが血臭がします」
「……それに近いかもしれませんね、私のやっていることは」
 手ぶらで武器など持っていなかったが、男性から発せられる剣士特有のニオイをかぎ分
けていた、総司は。
 男性は唐突に、
「このあたりに、カッセルという老人宅があるらしいんですが。ご存知ですか?」
「……あの小屋です」
 どうにも男性を警戒できず、総司はポツンとたたずむ家に指を差す。
「そう、ですか。――どうもあなたとは、気が合いそうだ。もしよろしければ、あしたの
夜にでもまたここに来てください」
「え、あ……」
「そのときにでも、私の真実がなにかを証明できるものをお見せしますよ」
 それで用はすんだとばかりに男性は歩み去ろうとし、
「またお会いできることを願ってます。龍牙総司さん――」
 言い残して行ってしまった。
 狐につままれた想いで、総司はしばし立ち尽くしていた。そこに、荒っぽい音吐が割り
込んでくる。
「おい! そこの怪しいヤツ! 動くなよ!?」
「……アルベルト?」
 の他にも、ふたりほどいる。自警団では、三人一組で組むのが義務づけられているのだ。
特に、緊急事態のときには。
 総司だと認めたアルベルトは、しかしいかめしさをゆるめず、
「こんな夜分に、外を出歩くな!」
「そんなもの、俺の勝手でしょう? それより、なにかあったみたいですね」
「……ああ」
 肯定の返事を、アルベルトは無念そうに吐き捨てた。街人には事件内容を告げてはいけ
ないはずだったが、顔を引き歪めながらこう言った。
「クラウド医院で、殺人事件が起きたんだ……」



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