中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「<秘められた記憶・追憶編> 〜前編〜 」 hiro


「これでいいだろう」
「ああ。ありがとう、ドクター」
紅髪・紅目の少年が、腕に巻かれた清潔な包帯をさすりながら、目の前のいる二十歳すぎ
ほどの青年に感謝の言葉を送った。
「ふ〜ん。へ〜」
「……なんだよ、その感心したような物珍しそうな顔は?」
「いやいや、お前が人に礼を言うのをはじめて聞いた気がしてな」
あごをさわりながら、ドクターと少年から呼ばれている青年――トーヤ・クラウドが薄く
笑う。
一方、十五を少し下回るように見える少年の方は、けっ、と毒づきつつそっぽを向く。そ
れがまた面白かったのか、トーヤは表情をゆるめて笑った。
この少年、ヒロ・トルースとのつき合いは半年にも満たないが、トーヤは、実の弟のよう
にかわいく思っていた。無愛想な態度を取る暗い性格の子だが、心(しん)はしっかりし
ているのだ。それが分かれば、どんな無愛想な態度に出られても、テレ隠しの裏返しみた
いなもんだなと思い、気にしなくなってしまう。
棚にあったカルテを取り、さらさらとナニやら書き記していたトーヤが、不意に目をこす
った。
「どうした?ドクター」
「……いや……字がぼやけて見えてな」
「そんな近くで見てるからだよ。だから目が悪くなるんだ。そろそろ眼鏡が必要なんじゃ
ないのか?」
「かもな。イヤだけどな、メガネなんて。……俺の印象が変わりそうだ」
「硬そうな印象になるんじゃないか?近寄りがたい感じの」
まるで未来が見えているかのようなヒロの言葉は、ものすごく説得力があった。
自分にとってつまらないコトを言われたトーヤは、その話しはこれで終わりとばかりに、
「それよりお前、きょうも会ってやってくれるか?」
「ミーリアのことか?もちろんだよ。――それじゃ、さっそく会ってくるか」
言いつつイスから腰を離し、ヒロは、自分を待っているだろう少女の顔を思い浮かべなが
らそこへ向かおうと足を進ませた。
「……すまんな。いつもいつも」
頭を下げてくるトーヤを肩越しに見たヒロは、気にすんなとばかりに手を振り、診察室か
ら出た。
病室が並ぶその廊下は、病院独特な暗然でいて涼やかな雰囲気をかもし出していた。
このクラウド医院は個人でやっているもの。当然、その規模も小さく、病室の数だってた
かが知れていた。
その中の廊下の突き当たり、その右側の病室に、その娘はいた。
「入るぞ」
カチャ……
ドアノブを回し開ければ、パーッとその病室の光景がその瞳に、それに鼻孔(びこう)を
くすぐる花のカオリが入ってくる。
窓から陽の光がよく差し込むよう、うまく場所を調節された白いベットに、上半身だけ起
こした少女がこちらを見て微笑んだ。歳は少年と同じくらいだろう。
「ヒロ。また来てくれたんだね」
「あ、ああ……、でもいっとくけど、ここに来たついでだからな、つ・い・で!」
どう考えても照れ隠しとしか思えないそのヒロのそぶりに、少女――ミーリア・クラウド
がクスクスと忍び笑いを漏らした。
「なぁに?またトーヤお兄ちゃんにしかられでもしたの?」
「ンな事ない!だいたいなんだよ……その「また」って」
「あれれ?違ったかな?わたしはそうだと思ってたんだけど」
さっきのトーヤの時と同様に、ヒロはそっぽを向いてしまった。きょうだいにそろってや
り込められ、ヒロはブス〜っとしたすねた顔つきをする。
それがまた面白くて、これまた兄みたく笑おうとしたミーリアだったが……
「あは……っ!――ケホッケホッケホッケホッ……」
「大丈夫か、ミーリア!」
すねた顔を一転してけわしいものに変え、ヒロは、何度も何度もつらそうに咳き込むミー
リアの背中をさすってやる。
それは一分近くもつづいたかもしれない。咳きがやっとおさまったミーリアは、ヒロに心
配かけまいとムリに微笑み、
「だいじょうぶ……だから、本当に。……ヤダなぁ、そんなつらそうな顔しないで。こっ
ちの方が余計つらくなっちゃう。ね?」
「……ミーリア……」
ヒロは、健気なその少女の過酷なさだめを、呪わずにはいられなかった。
トーヤの話しでは、生まれた時から病弱だったらしい。家から外にも出られず、外出があ
るとしても、それは病院に行くため。小さな頃からそうだったミーリアだから、こんな病
院暮らしの生活にも慣れているのかも知れないが……
それでも、心の奥底では、元気に外で走り回ってみたい、そんな思いがあるはずだ。しか
し表面上それをまったく見せないミーリアに、ヒロは、強い娘だ、そんな尊敬するような
念を感じていた。
くらべて自分はどうだ。過去にとらわれて、今だに自分を変えようとしない……
自分にはないものを持っているその少女に、好意をいだいてしまうのは当たり前のコトな
のかもしれない。
「それじゃあ、きょうは何をしてたのか、話して」
「ああ、いいよ」
この少女に知り合ってからほとんど毎日といっていいぐらいヒロは、ここクラウド医院に
来るようになっていた。
自警団の臨時隊員のような仕事をしていたヒロは、それが終わる夕方くらいにこうやって
来ては、その日に起こった出来事をミーリアに話して聞かせるのだ。ミーリアはそのなん
の面白みもない話しに、笑ったり意見したり……たまにたしなめたりしてくる。そうやっ
ていろんな反応をしてくれるのがうれしくて、ヒロの方もこの日課をいつも楽しみにして
いた。
「――よし、きょうはここまでにしようか」
一時間ほど語り合っただろうか。
これ以上話しをつづければ、ミーリアの具合が悪くなる。身体の弱い彼女には、この程度
の時間でも苦しかったりするのだ。
「さ、ベットに横になって」
「うん」
素直に言われたとおりベットにもぐったミーリアは、ヒロを眺め、
「ねえ……」
「ん?」
「あしたさあ……ふたりでどこか行かない?」
「な、……何言ってんだ。そんなのダメに決まってるだろう?途中で病気が悪化でもした
らどうすんだ」
「大丈夫だよ。そんなの」
「え……でも……やっぱダメダメ。それにドクターがそんなの許可するわけないだろ」
「それも大丈夫。わたしがうまく言いくるめるから。……だから、どっか行こ?」
微かに瞳を潤ませる、ミーリアの懇願を断れるほどの意思力は、ヒロには持ち合わせてい
なかった。
でも、少しは抵抗を試みる。
「別にいいんだけど……俺とじゃつまんないぞ?」
「それでもいいよ。外に出る時一緒にいてくれれば……それで……」
逆にスゴいセリフを言われて、顔を赤くしてしまうだけだった。
「お……お、お前……いくらなんでも恥ずかしすぎるぞ……それは」
「そう?わたしは全然気にしないけどな。本当の気持ち言っただけだし」
「だ……だから……!それが恥ずかしいって……、って、まあいいか」
あきらめたように嘆息し、ヒロは、ミーリアの頭をクシャっと撫でた。
「それじゃあした、昼過ぎに向かいに行くからな」
「うん。トーヤお兄ちゃんのことは心配しないで。絶対――絶対、言いくるめてみせるか
ら!」
「ああ。楽しみにしてるよ……ミーリア」


「どうしたの、ヒロくん?何か嬉しそうな顔して」
フォスター家の台所に立って、夕御飯を作っていたトリーシャが、ミョーに嬉しそうにし
ているヒロをちらっと盗み見、尋ねた。
「……別に。そんなことないと思うが」
「そうかなぁ?なーんかそういうふうに見えるんだけどな?」
テーブルに頬杖をついているヒロの横顔に、窓から差し込んだオレンジ色の光の線が反射
している。それを見て、ヒロのいつもの無愛想な表情の微妙な違いに気づいたのだ、トリ
ーシャは。
「あ、分かった!さくら亭でタダでパティにおごってもらったとか?……それとも、お金
を拾ったとかもあるけど」
「…………お前、俺をなんだと思ってるんだ」
「年中お金に困ってる貧乏少年」
「…………」
なんでか否定できなくて、ヒロはガクッと首をうなだれる。
「冗談だよ、冗談」
「……ホンッッッットに、冗談なんだろうな?」
こちらを振り向き、ぱたぱたと両手を振って……だけどけらけら笑いながら訂正してくる
トリーシャに、反省の色はないな、そう思い、ジト目で睨(ね)めつける。
笑っていたトリーシャは、ガラッと表情を百八十度回転させ、自分をさびしそうに見、
「ホントはなんなの?ボクに何か隠してるでしょ……」
「…………どうしてそうなる」
「だって……そんな顔のヒロくんってはじめて見た気がしたから……」
ヒロがこの街エンフィールドに来てからまだ半年ほど。それまでに一応の知り合いの前で
笑った事など一度もないかも知れない。
過去のある凄惨な出来事が、ヒロの心を閉ざす結果になっているのだ。それでも、ここに
来た最初の頃よりはしゃべるようにはなってはいた。
「そんなことないだろう」
「ううん。絶対だよ!絶対ボクになにか隠してる!!」
(……絶対か……ミーリアもそんなこと言ってたな……。ドクター許可なんかするかな。
……しないだろうな。なんたって世界にひとりしかいない妹だから……)
「ヒロくん!聞いてる!?」
「……聞いてるさ」
そうやって適当に相槌(あいづち)をうってくるヒロの態度は、ますますトリーシャの心
中に不安をかき立てるだけだった。
「……!もう、知らない!」
投げやりに叫んだトリーシャは、ダーと二階に上がって行ってしまった。
その場にひとり残されたヒロは、やれやれとばかりにひとつため息をつき、なんで自分が
謝らなきゃいけないんだろう、と自問しつつも、トリーシャの部屋に向かった。
トントンとドアをノックしても返事は返って……いや、微かな泣き声らしきものが返って
きた。
(ここで甘やかすと、こいつには良くないからな)
それに、トリーシャしかここの食事が作れない。由々しき事態なのだ、ヒロにとっては。
……もしそんな本音をトリーシャに言ったら、ブチ切れるだろうな、苦笑しつつも、
「あのなあ。俺がなにか悪い事言ったか?――言ってないだろ?……なあ、機嫌なおして
出てこいよ。な?トリーシャ」
ドア越しにそう、なるべくおだやかな口調で言ってやったが――、やっぱり返ってくるの
はヒックとかエックとかいう泣き声だけ。
(あー!もう!!)
カンシャクを起こしかけそうになったヒロは、頭をかきむしり、大きなため息をついた。
実のことを言えば、トリーシャをどう扱っていいのか分からないのだ、ヒロは。
ひとつ屋根の下で暮らしている以上、ただの知り合いのような扱いはできない。なら友人
として?それとも妹?
いくら咀嚼(そしゃく)し、考えてみても、いい答えが見つからない。
困惑をその顔に浮かべつつも、ヒロは、
「どうすればいいんだ。どうしたら機嫌をなおしてくれる?」
「…………教えてくれたら」
と、細い声が部屋の中から返ってきた。
「何を」
「…………いいもん、もう!そんなふうにトボケるんなら!」
「分かった」
「……え?」
「教えてやるって言ってるんだ。……大したことじゃないがな」
「それでもいい。だから……」
「あしたな、遊びに行くんだよ。ミーリアって娘と。……知ってるだろ?ドクターの妹の
ミーリア」
「うん、知ってるよ。身体がすごく弱い娘だよね。クラウド医院にずっと入院してる。
……でもなんで?」
「一度でいいから外に出てみたいんだってさ。それで『偶然』その場にい合わせた俺がつ
き添い役になったってわけ」
なぜその時、ヒロは『偶然』なんてウソをついたのかは分からなかったが、気づいたら自
分の口からついていたのだ。
「ほら、腕に包帯巻いてるだろ?」
クラウド医院に行った理由がたまたま自分の右腕にあったのが幸運だった。
一度それを見ているはずのトリーシャだったが、もう一度とばかりにそそと薄くドアを開
け、その腕を眺めた。
「……許したげるよ」
ポツッとつぶやくトリーシャの声音には、まだ少し疑いの何かがなかったわけでもないが、
とりあえずは機嫌はなおったらしい。
「お前に許してもらう筋合いはない気もするが……、わわ!泣くな!」
顔を両手でおおい伏せてくるトリーシャを見て、ヒロはあわてて制止の声を上げる。
「ウソだよぉ〜」
「あ!ウソ泣きか、お前!?」
こちらにベーと舌を出したトリーシャは、笑いながら下におりていった。
対し、ヒロはあきれ模様で、ふたたび嘆息するのだった。


「にしても、ホントに許可するとはねぇ」
「そう?わたしの説得の仕方がうまかっただけじゃない?」
患者用の白衣ではなく、女の子らしい服装をしていたミーリアが、こちらを見上げ笑って
きた。
一体どういう説得方法を使ったのやら……、そんなふうに思いつつも、クラウド医院から
出る時見送ってくれた、トーヤの言葉を思い出した。
『くれぐれもムチャなことはさせるなよ』
『走らせたりもダメだからな』
『二時間後には帰ってくるんだぞ』
ゴチャゴチャごちゃごちゃと並べ立ててくるトーヤに、ふたりがうんざりしたのはいうま
でもない。
「それじゃ、どこ行こっか」
「お前が決めてくれって……言っても、街のことはほとんど知らないんだっけ?」
「そうね。昔は、病院に行く道すがら結構街中を見たりもしてたけど、今はその病院が家
でしょ?外なんてまったく知らないのと同じかな」
「――とすると、手始めにローズレイクにでも行くか。あそこはキレイだし、落ち着く場
所だからな」
「あー」
「な、何?なんだよ」
自分を見ながらニヤついた笑みを浮かべたミーリアは、ヒロのほおをプニと突つき、
「いつもそこで人知れず泣いてんじゃないの?なんて自分って不幸なんだー、って。
どう?当たってるでしょ」
「ふん。勝手にそう思ってろ」
「すねないすねない。男の子がすねてもカワイくないよ。カワイイのはわたしみたいなウ
ラ若き乙女だけ、なんちゃって」
「ああーそうですよー。……でも、カワイイのはお前だけだよ」
きのうの仕返しか。今度はヒロの方がスゴいセリフを吐き、ミーリアは顔を赤くした。
「……あーあ。恥ずかしいセリフ、俺も言っちゃったな。――もう、二度と言わないから
な」
「それなら、わたしが最初で最後の人間ってことね。なんかラッキーだったかな。天邪鬼
みたいなヒロからそんな奇想天外な言葉を聞けて」
「こらっ。それは言いすぎ」
「だ〜って、本当のことじゃない」
「なんだとぉ」
「キャー、キャー、やめてやめて!」
クシャクシャとミーリアの髪をかきまくるのだ、ヒロが。せっかくセットした髪型が台無
しー、とばかりに抵抗しているミーリアだったが、その顔はしあわせそうなそれだった。
そんなふうにジャレ合っているうちに、ふたりの嗅覚が、清水のようなきよらかなニオイ
をともなった風を感じた。
同時に。立ち並ぶ家々の隙間から、透明で広大な湖面が徐々に見え隠れしはじめる。
しばし歩いているうちに、視界を隠すものはなくなり、ローズレイクを完全に確認できる
ようになった。
「わあー、久しぶりに見た!ローズレイクを」
ミーリアは、パーっと両手を広げ驚嘆の声を上げ、そのままヒロの手を取り、少々急ぎ気
味に早足で歩きだした。
「おい。あんまり急ぐなよ」
「だ〜いじょうぶ!これくらいなんともないから」
ほとりまで来たふたりは、そろって座り、じっと湖面を眺めはじめた。
「ねぇ」
「なんだ?」
「静かだね」
「そりゃあそうだろ。だーれもいないしさ。まあ、この辺に住んでるカッセルじーさんく
らいはいるけど、老人が騒ぐはずないからな」
「……ヒロって、ホントに天邪鬼だね」
こちらを向きクスリと微笑み、ミーリアは青と白の調和した空を見上げた。
コトン、と自分の肩に頭をあずけてくるミーリアに、ヒロは驚く。
まさか倒れたんじゃ。
脳裏に瞬時にそんな悪い考えが走るが――
「ずっとね。ずっとこうだったらいいな。……そう思わない?」
と、尋ねてきた。ミーリアはなんともない、そう分かるとほっとする。
そして答える。
「どうかなぁ。そりゃ、しあわせな時間ってのはずっとつづいた方がいいに決まってるけ
ど……
でも、時間っていうのは流れていくものだから……。そうすると、しあわせだけじゃなく
て不幸なことだとか。……ま、ほとんどがどうでもいい時間ばっかりだけどな」
「それはヒロだけでしょ?」
「チャチャを入れるなよ。結構マジメに話してるんだからな。
でさ。どうせならしあわせな時間が多い方がいいだろ?だから、一生懸命努力するんだよ。
そうすれば、多くなる――はず」
「はず?なーんか自信なさげだね」
「努力してもむくわれないことだってあるだろ」
「…………そうかな?そんなことないと思うよ。努力……っていうより、懸命になって生
きてる人には、必ずむくわれる時が来るはずだもの」
「たとえば、ミーリア、お前とかか?」
「そうそう♪」
からかい半分で聞いてやったら、ミーリアはおかしそうに返してきた。
――と。サァー……、っと湖面を波立たせた風が、ふたりのあいだをぬっていくように吹
き抜けた。
心地よいその風を一身に浴びようと、ふたりは瞳を閉じる。
『このまま時が止まればいい』
ヒロまでもが、そんな夢みたいなことを考えはじめていた。



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