中央改札 悠久鉄道 交響曲

「<悠久幻想曲> 〜第一章〜」 hiro  (MAIL)


夜の闇が――街を侵食し終わり数刻が過ぎた頃――
ロウソクのほのかな明かりだけが頼りのその場所。
スンと澄んだ冷たい空気がとどこおっている。
密閉された空間。
微かな……その低い声が、その空間にぼそぼそと響いていた。
常人がそれを聞いても、意味は分からないだろうが……魔術を少しでも知っている人間な
ら、それが『呪文』である事は、容易に想像できるだろう。
真四角なその石壁の部屋。
真ん中に円を組むようにロウソクが五つ。その円の中には奇妙な文字がゴチャゴチャとの
たくっている。マジック・ワード(魔法言語)ってやつだ。
そして、その円の外側に、これまた分かりやすいいかにも自分は魔術師です、ってな男が
呪文を唱えていたのだ。
男の声が、少し熱を帯びはじめていた。そろそろ呪文が完成するらしい。
それに呼応してか円陣の方が、薄くではあるが光を放ちはじめた。
が――
男の予想では、そこで光りがいっそう強くなるはずなのだが、逆に消えてしまったのだ。
「な……何故だ……?」
しばし呆然としていた男だったが、けげんに思いながら円に近寄っていき――
刹那!
グゴォォォォォォォォォォォォ!!!!!!
その空間が大爆発を起こしていた。
――その日。
ひとりの魔術師の命と、魔術師組合の建物の三割が失われた。
組合の話しでは、その魔術師が『召喚』をまともに失敗してしまい、そのために魔法陣に
たまっていた魔力が暴走、爆発を引き起こしてしまった、という事らしい。
そんなふうにその事件にケリをつけたのだ。
だが――
その事故が、この世界を震撼(しんかん)させるほどの事件を起こす序章だとは――この
時、誰にも分からなかった。


カララン♪
「あ、いらっしゃーい」
「や、パティ」
さくら亭。
その入り口の扉とカウベルの音色を響かせながら入ってきたのは、紅い髪・瞳の青年だっ
た。自警団第三部隊隊長のヒロ・トルースである。
「なんかあったかいものお願いな」
「うん」
常連さんらしい注文をしたヒロは、ほとんどだ〜れもいない店内を見渡し――
いた。
ひとつのテーブルで、暗そうな顔してちょびちょびカップにある飲み物をすすっていた人
影。その頭に生えたネコ耳やお尻から生えたネコ尻尾がダランと垂れ下がっていた。
『ケモノ師』ことまるにゃんである。
なんだあいつ、などといぶかしがりながら、ヒロは声をかけてみた。
「なんか元気ないな?どうかしたか?」
「……あ〜……ヒロちゃんか……」
こちらにちょっとだけ顔を向けつぶやき、まるにゃんは、テーブルの上で湯気を立ててい
るカップを両手で包んだ。
そのあったかさをその手でたしかめるかのように。
「ちょっとね……昔の事を思い出しちゃってさ……」
視線を扉の方にやる。
外は一面真っ白なはずだ。きのうは大雪だったのである。
「昔……?
まさか、去年の事件の事でも思い出してたのか?」
ヒロは小さく嘆息し、
「誰も気にしちゃいないさ。
みんなエンフィールドを守るために戦った――ただそれだけじゃないか。
別にお前が気に悩む事じゃないんじゃないかな?」
「そうしたいんだけどね……
それに――雪の日ってのは……イヤな気分にさせるし――ね」
去年の事件。
事の起こりはまるにゃんの望みからはじまった。
死。
それが……まるにゃんの望み。
そして『あれ』が召喚され――
はじまりの鐘を無言の沈黙で告げたのもまるにゃん。
終わりの鐘を告げたのも――まるにゃん。
「…………」
まるにゃんは黙ったまま瞳を閉じる。
気持ちが分からない事もないのか、そのまるにゃんに声をかけず、ヒロも口を閉じた。
カラン
「うわぁー、ヒドいメに合ったぁ」
言いつつ、青年は、全身についた雪のかけらをバンバンとはたき落としていく。
店内に雪を振り落とすその青年に、パティが眉をしかめ、
「やめてよ志狼!
入り口が水で汚くなっちゃうじゃない!」
「いいだろうーが、別に。こんな雪の日に客なんて来ないって」
「そーいう問題じゃないでしょ!」
「まあまあ」
パティの背後にヒロが忍びより、その耳もとでささやいたのだ。
虚空を切り裂き、ヒロのほおに手が飛んでくるが――
「あま〜い、パティ」
完全に予想していたヒロは、紙一重でそれをかわす。が。
「甘いのはあんたじゃないの?」
もう片方の手……っていうか拳が、ヒロの腹に刺さっていたりした。
そのまま腹をおさえたままうずくまり、ヒロはヒーヒーとうめき出した。よほど効いたの
だろう。
「……さすがパティ。あのヒロをこんなに簡単にノシてしまうとは……」
恐いものでも見るかのような瞳の色で、志狼は、ヒロを見下ろし笑っているパティを眺め
た。
「それで……ご注文は?」
「ん〜コーヒーでもお願いしようかな。もちろんホットで」
志狼の注文を聞き、パティは厨房に消えていく。
今だうめいているヒロはほっといて、まるにゃんのもとへ歩いていく。
「ひたすら暗くないか?まるにゃん」
「……なんかさっき、ヒロちゃんにも似たような事言われた気がするけど……
そのとーりだよ……」
「ふーん。珍しいな、まるにゃんが」
特になんとも思わないのか、志狼は、そのままテーブルにつきボーとしはじめた。
よけいな詮索はしたくないのか。
それとも志狼も昔の事件の事でも思い出し、まるにゃんに気をつかっているのか。
ある意味。
どちらも正解かもしれないが。
「助けろよ〜〜志狼ぉ……」
「うぎゃ!?」
突然、背後からドンドロドロドロした恨めしい怨嗟のうめき声と、首すじあたりに冷たす
ぎる――言ってしまえば、積もった雪の中に手を突っ込んで冷やしたようなもの、それが
当てられたのだ。そのまんまだが。
やったのはヒロである。凍りきった青くなった手で、志狼の首にふれたのだ。
志狼は首をおさえつつ、ヒロを振り返り、
「いきなり何をするぅ!やりすぎではござらぬか!?」
「知らんな……俺を助けなかったお返しだ」
いきなり変な言葉使いで訴えてきた志狼に、ヒロは鼻を鳴らしながら言い返し、席につい
た。
「ちょっと失敬」
言って、まるにゃんのカップを、すっ、と取り上げ、ヒロは両手で包み込む。
「あったかいな……」
「うん。そうだね……あったかいよ、この街は」
「え?何か言ったか、まるにゃん」
呟きが聞こえたのか聞こえなかったのか、志狼が聞いてきた。
「ううん……何も……」
まるにゃんは静かに答え、ほんのちょっぴりだけ、顔に笑顔を浮かべた。


はじまりは――
こんなふうに静かにはじまるものなのだ。
そして――
『悠久幻想曲』を、厳(おごそ)かに迎えようとしていた――



中央改札 悠久鉄道 交響曲