中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想 交響曲

「私的悠久小説2(改定版)」 熾天使Lv3
〜〜〜私的悠久幻想曲壱章・憂愁〜〜〜

「…?こ…こは…」
 青年が目を覚ますと、そこには見なれない光景があった。白い天井、白い壁、質素な、自分の寝ているベッドと、小さめの棚しかない簡単な部屋。明かりは殆どなく、薄暗さが立ちこめている。独特の匂いから、病院である事をさとると、まだふらつくその体を起こして、記憶の糸を手繰り始める。
「……そう…でした…、私は…彼らを…」
 悲しそうな、どこかあきらめたような、複雑な表情が浮かぶ。青年は首を二、三度振って、何かを吹っ切るように顔を上げ、傍らにあった自分の荷物を確認する。
 荷物が全て無事である事を確認し、気だるさに負けて再び体を横たえる。額を手で隠し、天に向かって軽く息をはいて、気持ちを整理する。罪悪感と、空虚な空しさが、心の殆どを支配していた。

 体が動けば、すぐにでも出発したい所だった。まだ、解決の糸口すら見えない騒動の、その中心にいる青年は、いわば疫病神と同じ、不幸を呼び寄せる、暗い磁石のようなものなのだ。
(ここまで消耗するなんて…)
 しかし、自分の体調が、病人のそれ以下である事が、手に取るように分かっていた。甘い考えではあるが、青年が行動を起こさないうちは、あまり無茶な事はしないだろう。あまり長居をする気はないが、自分の目的が果たされる可能性もゼロではない。青年は、しばらくの間、ここで休養することにした。
 さらに大きくため息をつき、そのまま、混沌とした眠りにつこうかという時。
「ふむ、目覚めたようだな…」
 扉の開く、重い音と共に、低い男の声が聞こえた。それと同時に、部屋の明かりがつけられる。青年は、まぶしさに目を細めつつ、首だけでそちらを見て、そして表情をゆがめた。
「体の調子で、悪いところはあるか?」
 動揺にも取れるようなその表情を即座に引き、いつも通りの柔らかい表情で答える。
「すこし、体がだるいですが…、問題はありません」
 青年はそう嘘をついた。はっきり言って、問題だらけという言い方も出来るのだが、それは衰弱によるものなので、あえて黙っていた。
「そうか…」

 男は、医師であるらしかった。静かに一言答え、手際よく青年の状態を調べて、カルテに事細かに記入していく。

 淡々とした沈黙。

 その場に、声という音を先にもたらしたのは、青年の方だった。
「あの、あなたは…」
「もう二、三日もすれば完全に回復するだろう。…安静にしている事だ」
 まるで青年の言葉を隠すように、その言葉を聞きたくないかのように、医師は淡々と告げる。

 もう夜もふけているのか、外は薄暗い。しかし、病室の中は、先ほどついた天井あたりにある一般的な魔法の明かりと、近くの棚においてあったランタンの明かりで、昼間のようにはいかないけれど、かなりの光量がある。医師の表情を読み取るには、十分過ぎるほどの光量が、ほんの少し明減して、沈黙した空気を照らし出す。
「何かあったら、遠慮なく言え、出来る限りの対処をしよう」
 医師は記入し終えると、それだけを告げ、入り口の戸の方に歩く。
 寂しそうな微笑を顔に張りつけ、その姿を見送る青年。延々と黙っていたのは、あるいは、医師の言葉を待っていたのかもしれない。
「…まだ…、俺を恨んでいるか…?」
 医師は戸に手をかけ、振り返らずに、少し親しみがこもった言葉で、青年に声をかける。
 まだ、悲しい微笑みのまま、青年は無言で首を振る。それは、純粋な否定というよりも、もう乗り越え、自分のものにした悲しみを、再び思い起こしているようだった。見えているのか、医師は何もいってこない。ただ、その肩が、小さく動いた。
「あの時は、うらみました…、あなたも、そして彼らも…」
 聞こえるか聞こえないかの、ほんのかすれ声。
「…、過ちは、償えたのだろうか…?」
 苦しそうに、苦々しい声で答える医師。
 目を医師からそらし、なんの気はなく窓の外に視線を合わせる。闇に遮断され、先は見とおせないが、普段と変わらない風景が広がっているはずだった。
「あなたが気にする必要はないはずです、…私も、忘れる事が出来ましたから…」
 感情のこもらない、無表情な言葉。
「…そうか…」
 どこか安心した、肩の荷をおろした口調。
 青年は、そこで始めて、嬉しそうな微笑を浮かべる。
「…もっとも、まだ出会いはありませんけどね…」
 医師も、暗い雰囲気を少し変えた。
「この街には、どれくらいいるつもりだ?」
 青年が首をかしげる。事実、どの程度の滞在になるのかは予想していない。
「さぁ…?そんなに長居はしませんが…」
 一番無難なところで、その場を濁す。医師はそれについて言及しなかった。
「お前の心の傷が、この街で治ってしまえば楽なんだがな…」
 詳しく知る傷は一つしかない。しかし、この青年が数え切れない痛みを背負っている事は容易に予想できた。それが、自分に降りかかるかもしれなかった事を思うと、体中に重りが乗ったようになる。それは悲しみか、怒りか…。
「今、旅をしている理由は、それだけではないんです…。あなたが前に言った通り、私は厄介事に好かれる体質のようですね…」
 自嘲気味に言った台詞に、医師は苦笑いを返す。その中に、自分がもたらしたものがいくつあるだろうか。
「こんな事は言えた義理ではないが…、早く、探し物を見つけるんだな…」
「ええ…」
 医師は、扉を開け、そして最後まで振り返らなかった。
「イシェル…」
「はい?」
 はじめて、名前を呼ばれる。
「たまには、昔のように話をするのも…良いかもしれんな。…俺も、忘れずにすむ…」
「クラウドさん…」
 入ってきたときと同じように、重い音を立てて戸がしまる。
 医師が出て行った後も、青年はしばらくの間、扉を凝視していた。そんな言葉を聞くとは、夢にも思わなかった。
「月日は…人を変えるものですね…」
 つぶやいた言葉には、どことなく嬉しそうな響きがあった。しばらく目を伏せ、過去に思いをはせる。天井の明かりが、少しずつその光を薄め、部屋が薄暗さに覆われる。ただ、その重苦しさは失われ、心を包む、優しい闇になっていた。
 静かにやってきた一握りの安らぎは、青年の心を、たとえ一時でも、癒してくれるかもしれない…。

「ふむ…、大体の事情はわかった…」
 翌日、見まいと同時に、うやむやで流れてしまった事情聴取のため、リカルドが病院に来ていた。殆どの所をはぐらかして、その時の事情の一部だけを説明する。リカルドの方も、あくまで建前で興味もないのか、それとも何かを悟っているのか、深く追求はしてこない。
「襲ってきたものの正体に、心当たりはあるかね?」
 青年は何も言わずに、首を振るだけで答える。やはりそれを追求せず、今まで一応の事を書きこんでいたメモ帳を閉じ、椅子をしまい始めた。そして、再び青年の枕もとに来ると、
「これからの行動が決まったら、一応我々に知らせてもらいたい」
「はい…」
 リカルドの考えが、はっきりと分からずに、イシェルは困惑していた。自警団だと言っていたが、どう転ぶかは分からない。もしかしたら、自分と敵対するかもしれないのだ。
 流れ者の怪しい男の言葉を、追求もせずにまっとうから信じると言うのは、なかなか出来るものじゃない。総じて、そういった場合の殆どは、何かしらの事情を知っているか、人柄による信頼か、それとも相手をはめるための罠か、そのどれかに分類される。散々怪しい場面を見せた後で信頼も何もないだろうし、自分の事が噂として広まっていない以上、事情を知っているとも考えにくい。かといって、何の事情も無しに罠を作るような人間には見えない。
「最後に、名前を聞かせてもらいたい…」
 ふと、青年にある一つの可能性が浮かんだ。それがもし正しければ、今まで、何も聞かなかった事への証明になる。イシェルは、ひとつ、かまかけをしてみることにした。
「イシェル…、イシュアウェル・リチェラです…、『白銀の剣聖』さん…」
 リカルドは、一瞬だけ驚いた顔をした。そして、すぐにやはり、とつぶやく。
「やはり、君は…」
 イシェルは、その言葉を封じる。昨日の、クラウドのように…。
「もう、その名前は捨てました。いまはただの…、ただの、冒険者です」
 リカルドは、先ほどと同じように何も聞かなかった、ただ、互いに変わったな…、とだけ、空虚な声でため息をつく。
 そして、
「では、私はこれで失礼しよう」
 と、何事もなかったかのように言うと、戸の前で一礼し、静かに去っていった。
「……」
 昨日のクラウド医師といい、今日のリカルドさんと言い、なぜ私のことを知っている人が多いのか、イシェルは首を傾げ、思ったよりも長くいる事になるかもしれないと、完全に昇りきった日が差し込む、小さな窓を見ながら、これからの事を真剣に考えていた。

 世界が赤く染まり、太陽がその姿を地平線の向こうに沈みかけたころ、イシェルの検診を終えたドクタークラウドは、こんな事を言った。
「すごい回復力だな、明日にはもうう何も問題なく動けるようになるはずだ」
 イシェルは苦笑いをして、何も答えない。周りの木の精霊達から魔力をわけてもらっているのだが、そんな事は言えるはずもなかった。
 刻一刻と迫る夜に、もうそろそろ街のざわめきも衰え、病室の中には、ドクターのペンを走らせる音だけが響いていた。
「とにかく、明日になったら様子を見て、街の中でも散歩して来い。…長くいる事になりそうなんだろ?」
「なぜ、それを?」
 もしかしたらリカルドさんとの会話を聞いていたのかもしれない、とも思ったが、ドクターはそんな事を平気でするような人ではない、と思いなおし、既知の理由を尋ねた。
「俺は大体の事を知っているんだぞ?お前達の関係も大体知っている。…もっとも、お前もリカルドも、こだわりはないようだがな…、それでも、味方は多いほうがいい」
「…迷惑をかけるわけには行きません、当初の予定通り…、すぐにこの街を出て行きます」
 迷いはあるものの、はっきりとしたイシェルの言葉は、ドクターをため息をつかせた。
「気負うのも、たくすのも、どちらも勇気だと俺は思うがな…」
 椅子から立ちあがり、らしくない、と苦笑いをした。
「もう、昔のように、自分の思いあがりで人を傷付けたくありませんし、かといって話して共有してもらえるほど軽い問題ではなくなってしまいましたから…」
「…本当に、お前は厄介事に好かれる体質だな…」
 ドクターは、もう一度イシェルの前に来る。
「下世話な話だが、もう一度だれかを愛す事は出来ないのか…?」
 イシェルは悲しそうにかぶりを降る。
 紫になった日の光が、その顔を濃い陰影で染める。
 過去の一部を共有する男であっても、イシェルの心は理解できないほどの深みがあった。
「分かりません…。いまでも、人を好きにはなれますが、それが特別なものなのかと聞かれると…、NOと答えるしかないですね…」
「そうか…」
 触れられたくない話に、いつまでも食い下がるほど、ドクターは子供ではない。いや、むしろ、こんなに他人に干渉する方が珍しいだろう。
 黒くなりつつある陽光は、いまにも月に取って代わられようとしている。しかし、その光は依然として強く、ドクターの白衣を黒に照らし出す。
「この街は、お前にあいそうなのがかなりいるから、もしかしたら、という事もあるかもしれんぞ?」
 一生に一度聞けるか聞けないかの、ドクターの冗談は、青年の暗い横顔を、一瞬の笑顔にする。
「では、出るかとどまるかは、明日、街を見て回ってから決めましょう…」
 微笑みを返し、ドクターは病室から出て行った。


 ………。


 暗闇に覆われた部屋…。


 後に残されたのは、イシェルの嗚咽のみだった…。
「……っ!…なさけない…ですね…、吹っ切れたつもりでも…、こんなに…ひきずっていたなんて…!」
 自分の腕を強くつかみ、体の震えを懸命に止めようとする。…しかし、一度流れた感情は、イシェルの思うようには止まってくれなかった。
「………レフィ…ナ……!!」
 強く噛んだ歯が唇を破り、血が流れ落ちる。
 体中に走った震撼は、しばらくの間、青年を苦しめ続けた…。




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