「私的悠久小説6」
熾天使Lv4
〜私的悠久幻想曲五章・錯節〜
暗い、夜の闇とはまた違い、作為的に作られた暗闇の中で…。
「ツヴェル、アハト、ズィーン…、貴様達まで失敗するとはな…」
その声には、明らかな殺気が含まれていた。
…何らかの戦闘技術の達人が持つ、あの殺気ではない。暗い欲望に満ちた、聞くものを奥底から恐怖させ、さらにはその欲望の中に取り込まれるかのような、どろりとした殺気。
呼びかけられた方からは、声はしなかった。ただ、別の方向から、これもまた暗い、黄泉のそこからはいあがってきた死者のような声がする。
「我らは…、どうやら信用されていないようだな…」
「信用?まさか貴様らからそんな言葉を聞くとは思わなかったな…」
「失敗はしたが、我らの方は一応わかったことがある…」
「ほう?」
大した期待もしていない口調で、一応問い返している。
「あそこには、白銀の剣聖や、守護神よりも、遥かに強い存在がいる。…種の発見と回収の指令が失敗したのは、そのせいだ…」
暗闇の中で、その表情は隠されていたが、はたして何人が気付いただろうか、その表情が、動揺した事に。
「ほう…?なるほど、それほど強い存在がいるとはな…、なるほどわかった。……さて、次は貴様らに問う、なぜ失敗した…?」
「は、はい…」
明らかに、怯えの走った声。
「我々も、あの老いぼれ一人ならば、楽に殺せたでしょう。…しかし、カタトリアの残党が横槍を入れてきまして…、我々では対処の仕様がなく…」
「もういい」
良い訳じみてきたそれを、一言でせいする。
「ならば、お前達全員で、もう一つの『種』の調整を急げ」
「了解」
「御意のままに…」
…全ての気配が消えた後で、暗い殺気の主は一人つぶやく。
しかし、その声は、先ほどまでとは違い、さわやかとすら言えるような雰囲気があった。
悲しみに、満ちてはいたが…。
「やはり…戦わねばならぬのか…?貴方と…」
ゆっくりと吸いこまれる闇の中に、はたして何が見えるというのか…
「これはまた…、かなり派手にやらかしましたね…」
西の山の崖の上から、半壊した街を眺めながら、イシェルが茫然気味につぶやく。
隣りにたたずむリカルドの方は、それも見なれた調子だった。
周りは茶色の地肌だけだったが、今のエンフィールドよりかは、ずいぶんとましな景色にすら思える。
崩れた瓦礫が道を完全にふさいでいる所もあるし、家が全壊して、瓦礫すら吹き飛んでいる所もある。
…死者が出なかったのが、不思議な惨状だった。
その中で、形をそのまま残しているクラウド医院と、ショートショップは、やはりというか、必然的に医療所兼避難所と化していた。
…ここから見ても、その人の出入りの激しさがうかがえるくらいだ。
「うむ…、なにしろいきなりだったからな…。復旧作業、手伝ってくれるかな?」
まだ昇りきっていない朝日が、少しずつ、季節特有の暖かい風を運んでくる。
「ええ…、ただ、調べたい事も出来てしまったので、なかなか全面的、というわけにもいかなくなってしまったんですが…」
青年の顔は、苦痛のようなものにゆがんでいた。
「それでかまわないが…」
調べる事、については、なにも問わない。
含みのある言いかたをしたリカルドを、途中でさえぎる。
「わかっていますよ、私の力は、本来こういった所で役立てるべきでしょうから…」
何かに笑いかけているように、イシェルの横顔は幸せとすら呼べる表情だった。
「我々が、ああまで情けないとは思わなかったがな…」
それは、自分を中心に言っているのだろう。…渋いものが、顔ににじみ出てくる。
「仕方ありません、…高位の魔族もいたみたいですから…」
…しばらく、沈黙が降りる。
「ひとつ、たずねても良いかな?」
「…なんでしょう?」
「…あの、魔物が言っていた、目的というものに、心当たりがあるのではないか…?」
「…すいません、いまはまだ、お話することが出来ません…。個人的な事情ではなく、全体の利益として…」
「そうか…」
二人とも、苦しそうな顔をしていた。
「…考えがまとまったら、そろそろおりませんか?」
「そうだな」
「ふぅ…」
ジョートショップの中で、今の今まで怪我人などの応急処置をしていたアリサは、多少の疲れを感じ、椅子に腰を下ろした。
「ずいぶん働き通しだったね…」
その隣りに、銀髪の女性と、
「そろそろ休もう、さすがに疲れたよ…」
緑髪のエルフ、
「昨日から徹夜ッす!もうだめっす〜!」
テディ、
「テディ君、もうすこし我慢して、もうすぐ朝御飯だから…」
「そうだぞ、お前アリサさんの目の代わりなんだから、アリサさんより先にへばってどうするんだ」
シーラにアルベルト。
「簡単な応急処置だけど、終わったよ」
「ぶ〜、マリアの魔法なら一発なのに〜」
「マリアちゃん、それだけはやめて…」
隣りの部屋から、トリーシャと、黄色い髪の少女、それから、眼鏡をかけたおとなし目の少女。
かなりの働きでが、ここに集まっていた。
…今までの成果あって、殆どの怪我人は自分の家の復興のために、活動できるほどに回復している。
昨日の夜から働き通しだったので、体力のない者は、かなり限界が近づいていた。
「アレフにクリスはどうした?」
「アレフはいつもの通り、自分の彼女達を守りに行ったよ、んで、クリスはそれの付き合い」
アルベルトが憤然とした調子で言った言葉に、銀髪の女性、リサは、呆れたように答える。
「まったく、イシェルの奴もこういう時にしか役に立たん割には、どこかへ消えてるし…」
「あぁ、あの噂の…」
イシェルは、今回の一件も含めて、かなり街中で有名になっていた。…それもそうだろう、百人を越える人が、命を助けられているのだから。
「イシェルクンなら、街に出て、それから帰ってきていないわ…」
「さっき、お父さんと一緒にいたのを見かけたような気もするけど…?」
トリーシャの一言で、みんな首をひねる。
もう、魔物はいなくなったはずだから、一度帰ってきても良いはずだ。
ここにいる殆どの面子が会ったことがないので、人格はおろか、容姿すら知らない。
シーラやトリーシャも、説明するのをころっと忘れている。
「とにかく、いないものを当てにしてもしょうがない、私達は私達で、出来る事をやろう」
エルフの女性、エルが、話をしめくくるようにそういった。
それからしばらくして、朝食をとっている時…。
アリサが、疲れた体をおしてつくった簡単なメニューは、それでも、限界近い体力をずいぶんと回復させていた。
…ふと、幸せそのものでその食事をとっていたアルベルトが、急にごね始める。…よほど、イシェルの事が気に入らないらしい。
「しかし、遅すぎるな…、あのまま、逃げたんじゃないのか…?」
アルベルトも、正門で助けられた後、どこかへ消えたまま会っていない。
「イシェルクンはそんな事をする人ではないわ…」
当のアリサにきっぱりといわれて、一瞬たじろぐが、それでも今日は引き下がらなかった。
「う…、でもですよ、正体がまったく知れない奴を、この店の店員として使うのは反対であります」
「そうだね、まぁアリサさんがそんな間違いをするとは思わないが、人間かもわからない奴をそばにおいておくのはどうかと思うよ…」
珍しく、リサがそれに同意する。それをきっかけに、イシェルの正体について、勝手な妄想談が繰り広げられる。
「ねぇ、どう思う…?」
「え、なにが…?」
割と落ちついて、その輪から外れているシーラに、トリーシャがそっとよる。二人とも、イシェルをある程度知っているだけに、へたなことはいえないでいる。
「謎なことは確かだけど…」
「別に悪い人ではないと思うけどね…」
二人とも苦笑する。イシェルの正体への談義は、異世界の人間だとか、人間ですらないだとか、かなりゆがんだ方向に走り始めていた。
…と、その時、シーラがふと玄関を見ると、そこには苦笑いしながら立っているイシェルがいた。
「あの…、本人の目の前でそういう話をするのはどうかと思いますけど…」
『……』
会話が、一斉に止まり、全員でイシェルの方を見る。
…が、当の本人はそれを気にした様子もなく、涼しい顔でアリサの前に行く。
「アリサさん、遅くなりましてすいません…」
「ご苦労様…」
微笑みかけたアリサとは対照的に、イシェルは憂い顔だった。
「…どうかしたの?」
「…ひとり、助けられなかった人が…」
自分の感情を押し殺して、淡々と告げる。
「…そう…」
顔をうつむけ、嘆息するアリサ。
…全員の分を悲しんで、後悔してきたイシェルに申し訳がないので、それとなく話しをずらす。
「…つかれたでしょう?朝食が出来ているから、一緒にお食べなさいな」
雰囲気的には、親子のようなものである。
「はい…、そういえば、こちらのかたがたは?…はじめて見る人が多いですが…」
「そういえば、紹介していなかったわね…」
それから、互いに簡単な自己紹介を済ませる。イシェルは、自分のことは殆ど語らなかったが…。
勤めて礼儀正しく挨拶されて、噂組はかなりばつの悪そうな顔である。
軽い話をしながら、青年がふと気付いたようにたずねる。
「怪我の状態が危険な人はいますか…?」
「いや、どれも大体軽傷だよ、ただ、頭を打ったり、足を怪我したりしている人は、今隣りの部屋で寝てるけど…」
リサがそれに答え、隣の部屋を指で指す。
「そうですか…」
「ねぇ、いままでどこにいたの?戦闘が終わったのって、昨日のうちでしょ?」
会話が始まったのをきっかけに、トリーシャがそんな事を聞いてみる。答えがあることを期待したものではなく、ただ単に好奇心からのようだった。
「彼らの目的が、私の予想と一致しているか、調べていたんですよ…」
一瞬だけ見せた、凄まじいまでの悲しみに、それ以上追求する事は出来なかった。
一週間ほどが過ぎ、イシェルの常識はずれた修復魔術と、自警団などの的確な人員配置により、街は殆ど復興していた。イシェルは、そのころには、街を救った英雄として、ほぼ完全にとけこんでいた。もっとも、本人は、英雄とか呼ばれる事が嫌いなようで、あまり良い顔はしなかったが。
あの魔物たちがなんなのかは、極一部の人間以外には完全な秘密となり、しかも、その理由を正確に把握しているのは、青年だけであった。
ある日の事、イシェルは、いままで何かとごたごたしていて出来なかった、旧知の友人、シェフィールド夫妻への挨拶に、その邸宅に足を運んでいた。
「それにしても、本当に久しぶりですね…」
ゆったりとしたソファにすわり、少し所在無さげに腕を組みながら、イシェルは心のそこからの笑みを浮かべた。
「今までご挨拶にも行けなかった事、すいませんでした」
このふたりも、イシェルの過去を少なからず知っているので、その言葉の重みは十二分に理解できた。
最後に会ったころとは比べ物にならないくらいに成長している青年が、異様にはかなく見えた。
「お気になさらないでください、こうしてまた会えただけでも嬉しく思いますから…」
夫妻は、イシェルに会えた事で、かなりの喜び様だった。娘のシーラが年に一度見れるかみれないかくらいの。それゆえに、いけない事だとは思いつつも、外で、メイドのジュディと、会話を盗み聞きしてしまっている。…本当の目的は、ただ挨拶に出る予定だったのだが、何かタイミングを逃してしまい、今はこうしてじっと立っているのみだ。
三人の話は、ずいぶんと長く続いた。今までの空白の時間の事から、昔会った時の事、イシェルの方も、触れられたくない事はのぞき、ずいぶんと過去の事を話していた。
ふと、
「あの時から…、ずいぶんとたちましたね…」
何かを懐かしむような目をした。あるいは、いまだに鮮明な記憶として残っているのかもしれない。
「えぇ…」
「あの時は、恨みもしたが…いまは、こうして理解し会える事が出来るというのは、運命というのは、面白いものだな…」
誰かがついたため息は、つらい悲しみと、未来への不安が現れていた。
「これ以上、秘密にしておく必要はない。…私達も、覚悟は出来ている」
父親の表情をしていた。自分の娘が、危険な立場に置かれるという事が、こんなにもつらい事だとは、あの時からは想像もつかない事だった。
「もう、隠し立てする事もないかもしれません…」
顔をふせ、もう一度嘆息する。刹那の後、再び顔を上げたイシェルは、優しさと、悲しみに満ちた、狡猾さすら漂わせたいつもの青年に戻っていた。
「君がこの街に残った理由を考えれば、おのずと答えは見えてくる」
「今日の本当の訪問理由は、その件でしょう?」
イシェルは、ふし目がちに夫妻を見た。重い口ながらも、淡々と、機械的に言葉を紡ぐ。
「シーラさんは…、やはり、唯一自然に芽を出した、『種』のようです…」
「やはり…」
しばらくの沈黙の後、イシェルは、自分に言い聞かせるように、低くつぶやいた。
「護ります、何があっても…、もう、絶対に誰も死なせはしません…、憎まれようとも、さけずまれようとも、悲しみが残らないように、護って見せます…」
「たのむ…、私達には、何も出来ない…、苦しみの後、あの子を包んでやる事くらいしか…」
「もしかしたら、その役目も、他の人に委ねているかもしれませんね…」
誰の声も、苦しそうに聞こえる。…ただ、絶望の色は、欠片も見えなかった。
「親、だというのに…、らしい事を何もしてやれず、護ってやる事すら出来ない…」
自嘲気味、と呼ぶには悟りきった口調だった。
「大丈夫です、何よりも心の支えになるのは、親、だと思いますから…。…たとえ、誰か他人を愛す事になっても、親がいる事は、何よりも癒しになるでしょうから…」
「それで、貴方は大丈夫なのか…?全面的に戦うという事は…」
「私の方も、覚悟はできました…」
「イシェル兄様…、貴方と、戦う事になるのか…?私とは、相容れない人だというのか…?もう、貴方を癒してくれる人はいないのだぞ…、本当に……貴方は……私は…」
声という苦しみは、癒えることのない暗闇に吸いこまれていった。