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「私的悠久小説12」 熾天使Lv4


〜〜〜私的悠久幻想曲十一章・血影〜〜〜


 イシェル達は、町の通りを緊張感もなしに歩いていた。
「さて、どうするんだい?」
「さて、どうしましょうかね?」
「おいおい…」
 てっきりあてがあるものと思っていたので、その答えで多少気が抜けてしまう。
「まぁ、それは冗談としても、まずは現場を調べるのが常套手段でしょうね」
 それを気に留めた様子もなく、イシェルは少し首を傾げ、なにか考えこむ。
「どうしたの?」
「こんな大人数で動いてもあまり意味はないような気がするんですけど?」
「それもそうだ…」
 十人でぞろぞろと歩いていて、調査も何もないだろう。
 辞退したいものは、ここでわかれる形となった


「さてさて、どうなっていますかね…」
 エレイン橋は、思ったよりも片付いていた。といっても、死体を残しておくなどということは、普通の神経の人間にはできない芸当だろう。
「さすがに血の跡が残っている所にお嬢様連中は連れてこれないか…」
 橋の地面には、生々しい血の跡が残っていた。…それも、かなりの量で。
「…ふむ…」
 何やらそこにかがみこんでいたイシェルが、一つ頷き頭を起こす。
「何かわかったの?」
「ええ、大量の邪気が残っていました」
「邪気!?」
 それに騒然とする一同。それは、人外の仕業である事を如実に語っていた。
「それも、強力なもののようですね…、これでは自警団はまず太刀打ちできないと思います」
「どうすんのさ…」
「まぁそこまで無茶はしないでしょう…たぶん」
「なんか頼りないなぁ」
「そう言われましても、私はあの人達の心を読んでいる訳ではありませんからねぇ」
 それはそうだろう。
「で、結局の所どうするんだい?」
 何やら顔をしかめつつ、エルがめんどくさそうにたずねる。
「そうですね、何度も見かけたという噂も、多分これでしょうから…、まぁ、夜になったらここで待ち伏せするというのが一般的でしょうか?」
 何に対して一般的なのかはよくわからないが、とりあえず、かなり面倒な事になりそうだった。


―そのころ…


「ツヴェル、アハト、ズィーン…」
「はっ…」
 闇から聞こえる声に、三人の男の気配が唐突に現れた。そこだけは、時が緩やかに流れているかのように、緩んだ欲望の空気が蔓延している。
「あの老いぼれの始末はまだか…?」
「はぁ…、それが…」
「言い訳は聞きたくない」
 一つ、声が低くなった。明らかに男達に怯えが走る。
 声が裏返り、もしもここが明るい空間だったら、冷や汗をかいているのが目に見えてわかっただろう。
「ま、まだです…」
「…ふん…」
 鼻を鳴らし、どろりとした声で更なる恐慌状態へと陥れる。普通の街中でこんな声を聞きつけた人がいたら、まず間違い無く嫌疑の視線で見るだろう。
「これ以上失態を重ねるようならば、消えてもらう事になるだろうな…」
「ひっ…」
 小さく悲鳴が漏れてしまうのを避けられない。
 歯が鳴りそうになるのを、必死に防ぐので精一杯だった。
「『死神』…いや、カタトリアの残党も始末できていないようだしな…、これは、予定が大幅に遅れるか…」
「どうした?焦っているのか?」
 更にそこに、別の声が割り込んできた。明らかに人間とは思えない声音にも、闇の声はまったく動じる事はない。しかし、三人の男達はそうもいかない。自分たちに危害が加わらないとわかってはいても、なかなか平静を保てるものではない。
 …魔族の声を聞いては。
「レグシャか…。時間はまだあるさ。私にはな…」
 微妙な言いまわしだが、油断に塗り固められた魔族には、平静の裏に隠された皮肉を感じ取る事はできなかった。
「ふっ、お前が何故か『種』と呼ぶ者の始末もちゃんと頼むぞ…」
「それはお前たちの働き次第だな。ところで、その『種』は特定できているのか?」
「あぁ…、はっきりと一人に特定できた」
「ほう…?教えてもらおうか?」
 今更、とでもいいたげな口調に、魔族の雰囲気が瞬時に怒りへと変わるが、それもすぐに収まった。
「ふん、お前に教える必要があるかどうかはわからんがな…。今までは、波動で大体の場所がわからなかったのだが…、名前は『シーラ・シェフィールド』、かなり有名な音楽家の一人娘だな」
 あからさまに疑わしげに、そう言葉をかける。三人の男達は自分が置いて行かれた状況に、どうしたものかとささやきあった。しかし、それにも気付く事無く、二つの存在は腹の探り合いを続ける。
「ほう…」
「いまいましい娘だな…、親の影響で音楽を始め、それが我らを滅ぼす原因となろうとは…」
 その内容とは裏腹に、その声は嬉しさにゆがんですら聞こえた。
「…どうした?やけに嬉しそうではないか…?」
「くくくく…、そんな娘が、我らの前で泣き叫び、美しい顔を恐怖にゆがませ、下級の魔族どもに身も心も汚され、絶望のふちでのたうち回りながら死んでいく様は、さぞかし甘美だろうと思ってな」
「悪趣味だな」
 きっぱりと軽蔑の念をこめて、はき捨てるようにあざ笑う。
「なんとでも言え、あの悦びがわからんとは、人間とはかくも損をしている存在だな」
「ふん、お前達の様に心まで腐りたいとは思わん」
 一瞬、不気味なほどの静寂が訪れ、耐えがたいほどの緊張感が夕立のように降り注いだ。
「…まぁいい…、私はどうにかしてカタトリアの残党どもを始末する方法を考えておこう」
「ああ」
 気配が一つ消えた。
「お前達は早くあの老いぼれの始末と、もう一つの『種』の調整を急げ…せめて天使が気付く前には行動を起こしたい」
「はっ!」
 そして、闇に残ったのはただ一人、のはずだった。
「ふ…、お前はどう思う…?」
 何もいないはずの暗闇に、一人声をかける。誰もいないはずのそこから、ありえないはずの声が返って来た。怒りに満ち、憎悪に焦がされた男の声。
 …そしてそれは、明らかに、誰かと似て…いや、まるで同じだった。
『さてな…どちらにしろ、カタトリア…、イシェルの事は俺に任せてもらうぞ』
「わかっているさ…」
 くしくもそれは、現れた男が口にした…、
 イシェルと、まったく同じ声だった。
 そして、今度こそ本当に、この闇の主のみが残った。
「さて、兄上…、あの人の姿が、貴方にどれだけの影響を及ぼすのか…、ゆっくりと観賞させてもらうぞ」


 氷点下に届こうかという、無限の広がりを持った夜空の下。
「…」
「どうだい?」
「…、気配すらありませんね」
 エレイン橋とほんの少し離れた茂みの中、イシェルのはった異空間の結界(実際に異空間を作るわけでなく、気配や音を遮断するもの)の中に、リサ、ピート、エル、付き合いでアレフと、そして何故かシーラまでが身を潜めていた。
 シーラは、所要の帰りにここを通るはずだったのだが、一人で通るにはあまりにも危険だと、護送を申し入れたイシェルから事情を聞き、他の面子が必死に止めるのも聞かずに、ここに残っている。
「…今日ははずれかな?」
「いえ…、空を見てください」
 イシェルに言われて空を見上げ、そして全員が言葉を失った。
「へぇ、月がゆがんでる」
 ピートが、ただ一人面白そうに笑顔になった。引きこまれそうな星空の、ただ一つの異変。月が、陽炎のように揺らめいていた。
「…何か起こりそうな気がしませんか?」
 イシェルもまた、何処か期待をしているような感じだ。何か起こりそうなというより、もう既に何か起こっているような気がするのだが、さすがにあんな現象が単体で起こりうるとは、誰も考えていなかった。
 身を切るような冷気にもかかわらず、結界の中は非常に快適な温度である。それに、土の上に張ってあるにもかかわらず、直に座ってもまったく影響が無い。
「…ところでイシェル」
「なんでしょう?アレフ」
「いや、最初、お前すぐにこの街から出て行くって言ってたよな」
「はぁ…、残った理由が聞きたいと?」
「いや、まぁそうなんだけど」
 あっさりと切りかえされて、少し面食らってしまう。
「…護るものができた…、それだけです」
「…?」
 それ以上は説明する気は無いようだ。特有の悲しげな笑顔を浮かべ、再び橋に意識を集中させる。
「…」
 シーラには、なんとなく心当たりがあったりもしたのだが、この場では黙っておくことにしたらしい。
「…どうやら…そろそろのようですね…」
 イシェルがつぶやくと同時に、前方を指差した。
 そこには…
「クリス!?」


(彼女に…彼女に…会わな…ければ…彼…女…)
 クリスの心の中は、今別の人格に支配されていた。イシェルの予想した通り、グリダールという古代呪術師によって。しかも、もうまともな精神は残っていない。クリスに無理矢理呪術に関わらせ、そしてそれによってなんとか活動できるだけのエネルギーをえているのだ。
 呪いは、完璧だった。最初に、ある男に乗り移り、自分の力を蓄えた。そして、高い魔力を持つものを罠にはめるため、長年にわたって教師として活動してきた。
 クリスは、潜在的な能力、その成長度ともに、申し分なかった。故に、今のこのろくに魔力すら使えない男よりも、まだ身体的にも若く、遥かに有能なその体に、いつか乗り移ろうと考えた。
 しかし、クリスにしろ、同じく有力な候補であるシェリルにしろ、基本的に優等生のため、なかなか罠にはめるような機会を作る事ができなかったのだ。
 最近になって、ようやくその機会が訪れた。授業中に居眠りという罰を与えるにはちょうどいい事をやらかしてくれたのだ。元々自分でその機会をつくれば良かったのだが、正当にやらない限り気付かれる恐れがある。気付かれてしまっては、全てが水泡に帰すだろう。
 ようやく罠にはめ、自分が充分に力をふるえるくらいに呪術の力を身につけさせ、元の男を食らい、そしてクリスに乗り移った。
 睡眠を多量に取らせたのは、その間に心理構造を調べ、多少書きかえる目的でやった事。『永眠王』などと言う名前は、ただ自身が眠りによる魔力増強をおこなっていたからついたものに過ぎない。ただ、それを利用はしたようだが。
(橋…で…彼女…に…)
 誤算があった。それは、グリダールという人物をしり、あらゆる手段を持ってそれを妨害できるほどの力を持った人物がいた事。
 グリダールは、その守護の力に拒まれて自分を失った。精神が、崩壊寸前まで負いこまれ、クリスに乗り移ること自体には成功したものの、自分のしなければならないことについては、警戒心も、計画性も、失われてしまっていた。

「しなければならない事?」
「えぇ、ちょっと話がさかのぼるんですが、マリアさんが昇華させたゴーレムですね…」
「ああ、あれがどうかしたのか?」
「修復する時に調べたんですが…、昇華するような要因が何処にも無かったんですよ…」
「な、どういうことだ!?」
 それでは、あれは幻だったとでも言うのだろうか。
「抽象的な表現をしますが…なにか、大きな流れがあるみたいです」
「マリアの時も、これも、同じ目的のもとにあって、もしかしたらこれからも何か事件が頻発するという事か?」
 かなり無理矢理に聞こえるその意見に、しかしイシェルは頷いた。
「まぁ、あくまで予想でしかありませんから、確証はゼロなんですが…」
「…と、クリスの奴、いよいよやばくなってきたぜ」
 ピートの言葉に、無駄話もそこまでとなった。
「…なにやってんだ?あれは」
 端の中央で、相変わらずふらつきながらも、何か唱えているクリス。
「…、召還術…?まずい」
「え?なにがまずいって」
「ここに残っていてください!」
 厳しい顔でそう言うと、イシェルが結界から飛び出し、クリスのもとに走り寄って行った。



「出でよ…!」
「ちっ、遅かった」
 クリスがかざした手の先。そこから、黒いもやが出ていた。凍りつき、崩れ落ちてしまいそうなくらいの冷気がだんだんと辺りを包み、もやは固形物と化して行く。邪気、とイシェルは言った。ここに残っているのは邪気だと。しかしこの気配は、高密度の邪気程度ではすまされないほどに、堕落した、そして高貴な雰囲気すら漂わせていた。
『うふふ…』
「な…」
 もやから現れた姿と声に、イシェルは一瞬だけ驚愕と悲しみの表情を浮かべて、そして首を思いきり振った。
 黒いもやをその身にまとい、漆黒の髪を蛇のように蠢かせ、死神のような笑顔をした少女。
『今日は…なんのご用かしら…』
「ああ、レフィナ…レフィナ…」
『ふふふふ、とうとう壊れちゃったのね、無理して体を変えるから…』
 異様な光景だった。記憶にすら残るのを拒絶するような、まともに見られないほどの邪気を持った少女が、完全に声が老人のものになっているクリスに向かって、笑顔で話しかけている。クリスの方は、まともな受け答えなどできていないが、その瞳に映る異様なまでの陶酔は、手に取るようにわかる。
『あなた…この姿が懐かしいでしょう?』
 何かにすがるように擦り寄ってくるクリスを無視して、少女がイシェルに微笑みかけた。
『せっかく無粋な邪魔者を眠らせたって言うのに、こんなおじいさんに邪魔されちゃったわね…』
(自警団の事か…?)
 直感的にそう悟る。
「邪魔された?私をあなたにおびき寄せるための罠でしょう?」
 少女が楽しそうに笑う。
『全てお見通し…ね』
「もとより、あなたの姿にもはやなんの感慨も抱きませんよ」
 まるで知り合いのようなやり取りだった。しかし、。その意味を理解できるものは、その場にはいない。
『あなたの実力なら、私などでは手も足も出ないでしょうね…』
「そんなことはないぞ!」
 今までうつろだったクリスが、急に大声を上げた。
「霊界王と同等の力を持ったおまえに、こんな男がかなうはずもない!」
 憎しみで人が殺せるのなら、この視線で十人は死んでいるだろう。
『それでも、よ。まだ消えるのはいやだから、おとなしく帰らせてもらうわ。…このおじいさんを残してね』
「…にがすと思いますか?」
『もちろん、思わないわね』
「良くお分かりで…」
 イシェルが剣を抜き放つ。青白く輝く剣が、ゆらりと掲げられた。少女はクリスを指差し
『私を殺せば、この子も死ぬわよ?』
 相変わらずも、笑顔はさわやかとすら呼べるものだった。
 その脅しを、はなで笑い飛ばす。
「ならばなぜ逃げようとなどするのですか?」
『言ったでしょう?まだ私は消えたくない。…あなたが本気になれば、いくらでも方法はあるでしょうけど…ね』
「なるほど…」
 イシェルが剣を納める。結界の中の人間は、その意味がまったくわからなかっただろう。
『殺した人には悪いけど、この人の命令でやった事だからね。このおじいさんをどうこうしようと、後はあなたの自由よ』
 自分と衝突した研究員を、彼女に殺せと命じたのだ。
「…」
 イシェルは何も言わない。
「ちょ、ちょっとまってくれ…!私を置いていくのか!?私を、この私を…!!!」
『それじゃぁ、ね…』
 あっさりと、その姿をかき消す。気配も完全に消えた時、クリスの体がくずれおちる。
「私を…わた…し…」
 先程まで、少しまともになったと思ったのだが、今はもうこの壊れ様である。…もしかしたらそれは、少女が残していった強大な気によるものかもしれない。
「グリダールさん…」
「貴様が…貴様が…!うおおおお!!」
 クリスの体を使いながら、これほどまでに怒りが表現できるものなのだろうか。

 彼の間違いの始まりは、既に数年も前にさかのぼるのだ。
 教師として力を隠した生活の途中、良い方法を教えてやると、一組の男女が現れた。彼女が、力の回復に多大な貢献ができるだろう、と。
 生き血をやってれば、確かに彼女は有能な助手を勤めてくれた。しかし、その力は…。
「彼女の歪んだ力に支配されましたか…」
 自身が気付かない程度の速度で、その心の中に狂気が混ざりこんで行った。普通の生活をしているぶんには、問題は無い。しかし、自分の目的である不死への探求に関しては、その欲望の歯止めが効かなくなる。しかも、恋愛にも似た感情で、彼女から離れられなくなっていった。
「哀れな…」
 駒として使われた一人の男性のながきに渡る欲望の日々は、今日で終わりを告げる事だろう。
 しかし、彼女ですら駒として使われている以上、これからも同じような事態が起こり得る。その意味では、彼女を逃がしたのは失敗だったのかもしれない。けれど、クリスの命と、自分のみが感じるであろう杞憂、もしくは悲しみと、どちらをとるかと考えれば、答えはもう決まっていた。

 イシェルの口から、旋律のような声が漏れる。
「…希望を持つことを忘れた、悲しみの人よ…」
「きさまがぁぁぁ!」
 クリスの体を持つものが、イシェルの首を締め上げる。歪んだ力で、丸太ですらつぶせるほどの力をもっていた。しかし、青年はまったく反応しない。気に留めることなく、歌のような旋律を口ずさみつづける。
 夜が、一瞬だけあけたような感覚すら覚えた。
「彼方への理に心を置き去った人よ…」
 かすかな旋律に呼応して、ゆらりとした光が舞い踊る。クリスと、そして自分自身を包みこみ、増殖を続ける。
 程無くしてそれは、直視できないほどの光量を持ち、やがて緩やかな風を纏う。
「我と共に眠る罪と欲望のもとに、永すぎた命を返しなさい…」
 そして、全てが包まれて行く。

 …光が収まった時、最初に見えたのは、始まりの時と同じように地に身を横たえた、青年の姿だった。



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