「逃げる男、鳴らない扉」
雨水 時雨(MAIL)
道に迷いし鳥よ、何処へ行く。
孤独な汝、何を望む。
お前が真に望むもの、枝にかかる汝の巣。
懐かしい匂いでも、色でも無い、今の汝の眠る場所。
一人ぼっちの哀れな鳥よ、ならばそこに作るが良い。
ああ鳥よ、鳥よ、そこにお前の寝ぐらを作るが良い。
そう、そこが、お前の居場所、お前の故郷。
「逃げる男、鳴らない扉」
走る、走る走る、走る走る逃げる。
逃げる、逃げる逃げる、逃げる。
逃げる、僕は逃げている。
後ろから、強烈な何かが追ってくる。
僕は走る、走って逃げる。
その何かに追い付かれないように、僕は走って逃げる。
「母さん…。」
僕の口からそんな言葉が洩れた…。
林の中、木の陰、僕は草の音もたてずに走る。
一体、何日走り続けたのか解らない、考えるのも厭になるくらい、僕は走っていた。
そう、ある日、ある時、気がつくと僕は追われていた。
追ってくる者が何かは解らない、けど直感的に捕まってはいけないと、僕は悟っていた。
ふと足を止めた、そして一本の木にもたれかかった。
あれだけ走っているのに、僕は息一つきらさない、それ所か、体も不思議と疲れていない。ただ、心は疲れていた、精神的に参っていた、もう何日も追われているんだ、それも当然だろう、僕はそれほど強い人間じゃない。
気を抜くと、心がばらばらになりそうだった、だから少し休むことにした。
ガサリ、ガサガサ、ガサリ。
葉のすれる音がして、僕は目を覚ました。
「こっちの方に逃げてきたと思うんですが…。」
若い男の声がして、僕は息をのんだ。
「何処にひそんでいるか解らん、油断するな。」
もう一人居る…。
ほど無くして、二人の男がゆっくりと近づいて来るのを、僕は木の陰からこっそりと見ていた。
一人は若い、と言っても僕と同じ年齢の男、逆立った髪の毛、それと共に天を衝いているかの様な槍が目印だ。もう一人は白髪の混じった中年男、その顔つきや物腰、全てから只者では無い事を感じさせる。
この男達は、ここ最近になって僕を追い始めた人間だ、何者かは解らないが、捕まるわけにはいかない、僕は息を殺し、木の根元で丸まって、二人が居なくなるまで目を閉じて耐えた。
数秒、数分、数刻、解らないけど時間が過ぎた。
「駄目です、見つかりません。」
若い男の情けない声に僕は瞳を開けた。中年の男は黙って頷いた。
「仕方が無い、場所を移すぞ。」
そう言うと若い男を手招きし、従えて去って行った。
「絶対に見つけなくてはならん、市街地に下ろし、いらぬ混乱を招く様な事態にしてはいかんのだ…。」
市街地、つまり街には行かせないと言う事なのだろうか?そうはいかない、あの男達にも捕まるわけにはいかない、ここまで逃げてきた意味が無い。
それにしても…、一応でも危機が去ったと思うと、安堵感が眠気となって襲ってきた。
けど、眠るのは厭だ。最近は何故か眠りの度に、恐ろしいほどの喪失感に襲われる、眠りの度に心が、自分が無くなるのではないかと感じる。
そう、それはたぶん、あいつが僕を追って来ているから何だろう…。
それでも、今は目を閉じよう、少しの間眠ろう…。
…ああ…、心が…、散って行く…
それは夢なのか、それとも過去の再体験なのか、どちらか解らないけれど、僕は最早見慣れたその場に立っていた。
目の前に男が立ちはだかる、その手に赤い刃が握られている、そして僕も同じような者を持っている。
それは、やはり過去の再体験なのだろうか、夢ならば臭いは無い筈である。しかし、僕はその場のむせかえる様な生臭さを感じている。
そう、そこは戦場だった。
僕は望んでここに立っているんだ、一旗上げたかったんだ、お金を稼ぎたかったんだ、母さんを楽にさせてあげたかったんだ。
僕はそんな思いで家を飛び出した、でも今は後悔しているんだ母さん。
目の前の男の手が振り上がる、けど僕は疲れて何もできない。
男の手が振り降ろされる。
僕の口から言葉がもれる、けどどんな言葉か解らない。
「はっ……!」
僕は飛び起きた。
辺りは先ほどと同じで、暗い。そう長くは眠っていなかったみたいだ。
それにしても、また見てしまった。
僕はあの後の事を全く覚えていない、気が付いた時には何処かの森の中で目覚めていた。
たぶん、僕はあの後、何者かにさらわれて身体を改造されたんだ、しかし僕は脱走したんだ。
僕は改造人間だから身体が疲れないのか?そうすると、追ってくる奴は僕を改造した奴の手先なんだろう…。
とにかく、どんな奴にしても捕まるわけにはいかない、逃げなくちゃ。
ガサリ
葉が鳴った、僕は慌てて音がした方を見る。
暗い影が一つ、そこに立っていた。
影は少し遠い所から僕を見ていた、僕に気づいているのか!?
影が近づいてくる、僕は直感的な恐怖を感じた、こいつが僕を追ってくる最も恐ろしい奴だと僕は感じた。
その影から伝わってくる感じ、喪失感、虚無感、そしてもう一つの感じ、僕は…。
僕は再び風を切って逃げ出した。
走る、走る、逃げる。
息はきれない、僕は本当に信じられない速さで山を下った。
振り返るのは恐かった、だから一心不乱に駆け降りた。
僕は止まる事無く、転ぶ事無く逃げた。こういう時、改造されて良かったと思った。
やがて、遠くに人工的な明かりが見えてきた。
街の明かりだ。
「やった…。」
そんな言葉が、思わず口から洩れた。
「帰ってきたよ、母さん。」
僕はそう言ってから、一気に駆け降りた。
<続く>