中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想

「逃げる男、鳴らない扉」後編 雨水 時雨(MAIL)

 気がついた。
 目が覚めた。
 そこは道端だった。
 疲れがピークに達しているのか、ここ二、三日、こうやって前触れもなく気を失う事がある。
 僕はゆっくりと立ち上がった。
 どうやら道の真ん中で寝てしまっていたようだ。
 辺りを見る、少ないながらも夜道を歩く人々は何事も無いかの様に、まるで僕が居ないかの様に歩いている。
 恨み言を言うわけじゃ無いけど、この街の人も冷たくなたもんだ…。
 辺りはすっかり暗くなっていた。
「母さん、もう寝ちゃったのかな…。」
 僕は呟くと歩き始めた、その時、
「………………!」
 突然に走る緊張感。
 見られている、あいつに…。
 僕は視線を巡らせる。居た、暗闇の中から、じっとこちらを見ている。
 でも不思議だ、今までと比べてあまり恐さを感じない。
 流石に街中では襲ってきはしない、と僕が安心しているのか?否、そうじゃない、何かあの影から鬼気迫るものが薄れている。それに、何故だか影は笑っていた。
 遠くて、暗くて、普通なら見えない筈なのに、影が笑っているのが僕には見えた。
「…お帰り…」
 影がそう呟いた。
 僕はなんだか恐くなって、すぐに走り出した。
 僕は逃げた。

「こっちだ、急げアル!」
 万事休す…、遂に二人組に見つかってしまった。街中だからって油断していた。
 街明かりの下、良く見ると二人組は自警団の者だった、でも何故僕が追われるんだ?僕が改造人間だから、悪の手先だから?
 そんな事は無いのに、話し合えば解るだろう…。でも、そんな暇無い、不思議と時間が無いと感じた。
 だから僕は走った、逃げた。
 家はもうすぐ、もうすぐなんだ。
「……もう、す……」
 僕は突然に膝をついた、いつもの疲れが襲ってきた。
 駄目だ、意識が、思考が存在が希薄になっていく…、もう少しだっていうのに…。
「どうしたの?大丈夫?」
 ふいに声をかけられ、視線を上げる。
 不思議な少女が立っていた、まるで似合っていない丈の長いコート、スカーフを頭に巻き、首もとに黒いサングラスがぶら下がっている。
 でも、とても可愛らしい、おかしな格好も何処か似合っている。
 そんな不思議な少女が、不安気な顔で僕を見ていた。
 その時だった。
「見つけたぞ!」
 背後から、そんな言葉を浴びせられ、僕は心の芯から震えた。
 まずい、追い詰められた…、僕の頭は真っ白になった…。
 …そのまま真っ白に溶けてしまうのを堪え、僕はとっさに跳ね起き、目の前の少女に飛びかかった。
「えっ?」
 反応する暇を与えず、僕は少女の腕を掴み上げた。
 …つもりだったが、何故か少女の腕は僕の手をすり抜けていった。
「くっ…」
 僕は軽く呻くと、精神を集中し、逃げだそうとした少女を後ろから羽交い締めにした。
 それと同時に、若い方の男が抜き身の剣を構えて近づいてくる。
「来るな、来ないでくれ。」
 いち早く叫んだのは僕だった。
 男は何もできず、何も言えず、僕を見つめながら動かなくなった。
 少女は僕の腕の中で、何も言えず、ただ脅えている、震えている。可哀相に、ごめんよ、こんな事をするつもりは無かったんだ。
 僕は心の中で何度も少女に詫びた。
「んっ?」
 瞬間的に僕の周りが暗くなった。
 月光が、少女の影の他に、もう一つの大きな影を映し出していた。
 前を見る、若い男がニヤリと笑った。
「しまった…。」
 やっと異変に気づいた、僕は慌てて振り向く。
 もう一人の男が立っていた…。
 僕は少女を放し、逃げだそうとしたがもう遅い。
 男が剣を振り上げる…。
「止めろ、止めてくれ!」
 僕の悲鳴が虚しく響く。
「止めてくれ!」
 目の前が暗くなる。
「止めて!」
 僕の意識は再び過去へと回帰する。
「止めて…」
 もう、死ぬのはたくさんなんだ…。

 ギィン、
 鈍い、金属同士のぶつかる音に、僕は正気を取り戻した。
「何をするのかね。」
 僕を斬ろうとした男が苦しげな声を出した。
 見ると、男の刃が何者かの剣によって防がれていた、とは言っても男は力を抜いていなかったので、依然僕の命は風前の灯なのだが…。
「その剣をどけたまえ。」
 男が何者かに言う、僕の視線が男の声に沿って、命の恩人の方へと向く。
 ゆっくりと顔を傾ける。
 そこには…、あの影が、立っていた。
「その手をひきたまえ。」
 初老の男が静かに言った、低く凄味のある声、改めて僕はその声だけで震え上がった。
「悪いけど、やらせるわけにはいかないんだよ、おっさん。」
 二人は顔見知りのようだった。
「お兄ちゃん。」
 少女がそう呼びながら影に飛びつこうとした、しかし影はそれを手で制す。それにしても、お兄ちゃんと呼んでいるという事は兄妹なのだろうか?だとしたら、あまり似ていない。
「てめえ、自分が何やってるのか解ってんのか!」
「お前に言われなくても、解ってるよ。」
 若い男が叫び、影はそっけ無く答える。この男も知り合いか?
「ならば君にも解るだろう、その者はこの世に存在してはならないんだ。」
 初老の男は言いながら、剣をひいた、それに合わせて影もひく。
 それにしても、存在してはいけないって、どういう意味だ、確かに少し普通じゃないかもしれない、けど生きて居るんだ、存在してはいけないなんて、酷すぎる!
「解ってるよ、おっさん。でも今日だけ、今だけは見逃してやってくれ。こいつは…、もう長くはない…。」
 何を言っているんだ、助けてくれた事には感謝するけど、どうして他人に僕の命の駆け引きをされなくてはならないんだ。それに、もう長くは無いってどういう意味だ、まるで僕がすぐにでも死ぬような…。
 …んっ?…
 何かが僕の中に引っかかる。
 でも解らない、一体何々だ、僕は何に巻き込まれたんだ、解らない事が多すぎる、誰か教えてくれ。
「お兄ちゃん、この人…。」
 少女が僕を見ながら呟いた。
 どうしたんだ?僕がどうした?何を知った?何を見つけた?
「何々だ、解らない、僕が何をした?教えてくれ!」
 僕は遂に叫んだ。
「教えてくれって、まさか…、気付いていないのか?そんな馬鹿な…。」
 若い男が呆然と呟いた、影は返事をするかわりに一つ頷いた。
「それは、本当かね…。」
 初老の男も驚きを隠せない様だった。
 でも、本当に僕に何があったんだ…。
 僕は影を見た、どうしてかその者が全ての答えを知っているように思えた。
 影が僕の視線に気付いた、ゆっくりと僕の方を見る、そして口を開く。
 ああ、言うな、言わないでくれ。
 突如、あの暗い影が襲ってきた。
「あんたは…」
 暗い影は恐ろしいほどの絶望感と現実感をもって、僕の心を支配していく。
「もう…」
 ああ、言わないで、言わないで、本当は知っているんだ、解っているんだ、認めたくないんだ。
 現実という暗い真理が僕の心を埋めていく。
「あんたはもう…」
 そう、僕はもう、
『死んでいる』

 僕はあの戦場で死んだんだ、今の僕は改造人間でも何でもない。執念、妄念の塊、つまり幽霊だ…。
 認めてしまうと全てに合点がいく、疲れない身体、気付かない人々。でも少女は僕に気付いてくれた、何故だろう?
「どうやら、その者も理解した様だな。だったらすぐにでも、成仏してくれないかね。」
 初老の男が剣を鞘に戻しながら僕に言う、でも、
『それはできない』
 僕と目の前の青年の声が再び重なった。初老の男が少しうろたえる。
「何故だ?」
「解ってないな、おっさん。人それぞれに存在理由があるように、幽霊にだった存在する理由がある。」
「理由って、何だ?」
 横から若い男が口を挟んでくる。
 僕が今居る理由、こんな姿になってまで、この世に存在したい理由。
 それは、
「それは、もう一度母親に逢うこと。」
 そう、僕はどうしても母さんに逢いたかったんだ、幼い頃から女手一つで僕を育ててくれた母さん、なのに僕は我侭を言って飛び出して、挙げ句の果てには野垂れ死に。迷惑ばかりかけた母さん、僕は一言謝りたかったんだ。
「遠くの戦場で死んじまったそいつは、それでも母親に逢いたくて、消滅と再生を繰り返しながら、やっとここまで、この街までたどり着いたんだ。」
 眠るのが恐い、そうあれは眠りじゃなくて、僕の思いが尽きて果ててしまう事、そう消滅だ。
 でも、僕はそれでも、再び散った思いを集めて再生した、だから目覚めはいつも新たに誕生した様で気持ちが良かった。
「でも、こいつはもう尽きる。もう長くはない、だから最後に母親に逢わせてやってくれ、この街に居るこいつの母親に…。」
 青年はそう言って深々と頭を下げた。名も知らない人よ、僕を見守ってくれてありがとう。
「仕方がないな…。」
 初老の男がそう呟くと、若い男も承知した様で、道を開けてくれた。
 ありがとう。
 僕は一軒の家の前へと歩を進めた。
 その時、ちらりと少女を見た、少女は泣いていた。
 ありがとう、こんな僕に涙を流してくれて、僕に気付いてくれて。
 僕はドアノブに手をかけた、しかし触る事などできるわけがなく、僕は無音で扉をくぐった。
「ただいま。」


 とある家の屋根から、一本の淡い光の柱が上がっていた。
 四人は振り返り、それを見つめていた。
「あの人、ちゃんと帰れたんだね。」
 少女は呟きながら、身近にいた青年の袖口をぎゅっと握った。
「ああ…。」
 青年は頷きながら、少女の頭に手をのせ、やさしく撫でてやった。
「さて、任務終了だ。」
 初老の男がそう言って背を向けると、つんつん頭の青年がそれに続こうとした。
「今日はここで解散だ、真っ直ぐ家に帰る。」
 初老の男はそれだけ言い残し、闇に消えた。
「じゃあ、俺も、帰るか…。」
 つんつん頭も一言残して帰路へとついた。
「みんな…、帰る場所があるんだね…。」
 少女が涙声混じりに呟く。
 少女には今の寝床はあった、しかしそこは少女の故郷では無い、少女の故郷は最早手の届かない遠い所だった。
 その事を解っていたから、青年はただやさしく少女を抱き締めた。

 青年の腕の中、少女はこのままでもいいかな、と思った。
 たとえ青年が他に大事に思う人がいても、自分が一番でなくても、今はこれでいいかな、と思った。
 そう、可能性は晴れた日の空の様に広がっている。
 その空に向かい、飛べ鳥よ。

 The End

 作曲・雨水 時雨
 編曲・天流 久遠

「えぴろーぐ」

 しかし、少女の思いもすぐに晴れる。
「寂しかったら、いつでも俺の所に来ていいんだぞ。」
 青年が少女を抱き締めながら言った。
 少女はこくんと頷くと、笑顔を見せた。

…本当に、おしまい…

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