中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想

天の繰り糸「狂気にして正気」 雨水 時雨(MAIL)

ーまた、やってしまったー
 拭く、何度も拭く、一生懸命に拭く。
ーああ、なんて酷い事を、酷い事を…ー
 拭いても拭いても、それはとめどなく溢れてきて、ただ彼女の袖口を染めていく。
ー私は狂っているのかしら…ー
 自分を疑いながらも、手は止まらず拭き続ける。
ー私は狂っている、そう狂っている、仕方が無いものー
 急に彼女の手が止まる。
ーそれもこれもあいつのせいー
 彼女は朱に染まった手で、胸のロケットを開く。
ーこいつのせい、こいつ等のせいー
 彼女の両手が、かたかたと音をたて震えだす。
 月光が、彼女の手から垂れている、赤い糸を照らす。
ー仕方が無いー
 彼女は、今まで拭いていたものに手をかざす。
ー仕方が無い、仕方が無いー
 それから再び液体が溢れだす。
ー私は狂っているから仕方が無いー
 彼女は膝にのせていた、それを投げ出し、立ち上がる。
ー私は壊れているから仕方が無いー
 黒髪をひるがえし、彼女が歩きだす。
ー私は不完全だから仕方が無いー
 黒いフードを目深に被る。
ー仕方が無い、仕方が無いー
 彼女の世界が緩やかに歪んでいく。
ー仕方が無い、仕方が無い、仕方が…ー
 ふと空を見る。
 捻れた月から、光が一本彼女に降っていた。
「仕方が無い…」

       『狂気にして正気』

「…ヴ、イヴ…、イヴ!?」
 気がつくと、心配そうな顔をしたレインの顔が目の前にあって、イヴは慌てて顔をそむけた。少し遅れてその顔が少し赤くなり、どうやら気づいたらしい、とレインは声をかける。
「どうしたの?大丈夫か、イヴ。」
「ええ大丈夫よ、少し考え事をしていただけだから。」
 イヴは大きく息をはいた、すぐ様いつもの冷静な顔になる。
「何かあったのか?ぼ〜っとするなんてらしくない…。」
「何でもないわ、ちょっと夜遅くなるのが続いて…」
 レインが眉間にしわを寄せる。
「前みたく無理してないだろうな。」
 レインは真剣に言ったが、イヴは軽く笑いながら答える。
「大丈夫よ、無理なんてしていないわ。心配性なのね。」
「そりゃあ、当たり前だよ、その…イヴの事…だから…。」
 言いながら顔を赤くするレインを見て、イヴはくすりと笑った。すると、レインも照れ隠しなのか声を上げて笑いだした。
「さってと…、昼食にしようか。」
 レインはそう言って、随分前から広げられていた弁当に手を伸ばそうとした。
 その時……!
「ああ、もう昼っ間から聞いてらんねぇな。」
「のあっ!!」
 レインが思わず前につんのめりそうになる、
「全く…、毎日毎日、羨ましいことだ…。」
 草むらからアルベルトが顔を出す。
「あら、アルベルトさん、いつからそこに?」
「さっきからだよ、全く…出たくても、出られなかったぜ。」
「盗み聞きとは関心できないわね、アルベルトさん。まあ、それはいいとして、貴方も一緒にどう?」
「おう、それも良いな。けど、悪いけど忙しいんだよ。」
「昼休みも無しで仕事か、お前も大変だな。」
 立ち直ったレインは言葉とは裏腹に、呑気に弁当をつまむ。
「おいおい、人事みたいに言ってんじゃねえよ。」
 アルベルトは言いながら、レインの衿元を掴む。
「おい、何するんだよ。」
「お前も来るんだ。」
「はっ?何言ってんだ、まだ昼休みだぞ俺は、それに二日連続で…、おい冗談だろ…?」
 レインはじたばたともがく、しかしアルベルトは無理やりに引きずって行く。
「うるせぇ、静かにしろ!隊長直々の命令だ。もう一回現場を見直し。その後はクラウド医院に行って、被害者の様子を見てこいだと。きりきり働け、お前も。」
 レインの抵抗が明らかに弱まった、「隊長直々」という言葉に負けたのだ。
「くそぅ、まだ全然食べてないのに…。」
 レインは悔しまぎれに地を蹴った。
「仕事ですもの、仕方が無いわ。」
 イヴがとどめとばかりに言い放つ、そしてレインは惨めに引きずられていった…。


「ああ、腹減った…。」
 獣の様に地面に四肢を使って立っていたレインだが、手足を崩すとだらしなく地面に顔をつけた。
「いつまでも、ぐちぐち言ってんじゃねぇよ。飯なら俺がさくら亭でおごってやる。」
 アルベルト言った後、再び鼻を擦りつけるかの様に地面に顔を近付け、証拠を探し出す。
「何が悲しくて、お前と飯を食わなきゃならないんだよ…。」
 アルベルトがその答ににんまりと笑う。
「やっぱり、イヴじゃないと駄目か?」
「………」
「照れるな、照れるな。」
「………」
「いや、それにしてもお前等がねぇ、そういう関係になるとはねぇ、正直俺は驚いたな。まさか、あのイヴが…。」
「………」
 そこまでくると、アルベルトも異変に気付く。
「おい、どうした?」
 レインは無言で、近づいてきたアルベルトの鼻先に何かを出す。
「糸?」
 目の前に出された物、それは只の糸であった。アルベルトははっきりと解るくらいに落胆した。
「何だ…、それがどうしたっていうんだよ…。」
 レインはそれでも無言で糸の途中を指さした、アルベルトも仕方無く、そこへ視線を向ける。
「な…、何だ…?」
 アルベルトが思わず呟いた、糸が途中から茶褐色に染まっていた。
「血…、血か?」
「たぶん、はっきりとは解らないけど、たぶん血の乾いた跡だと思う。後でドクターに見てもらおう。」
 レインはポケットに糸をしまおうとした、しかし、
「痛っ!」
 レインが突然糸を放り投げた。
「どうした?」
 見るとレインの指から血が滴っていた、レインは傷口を抑えながら問いかけた。
「アルベルト…、確か被害者は鋭利な刃物でやられたんだっけ?」
「ああ。でも、傷を見たドクターの話じゃ、どうやら普通の刃物じゃないらしい、刃が自由に変化する、そんな有るか無いか解らない物だって言ってたな…。けどそれがどうした?」
「そっか…、刃が自由に変する武器か…、だったらそれが凶器かもしれない。」
 レインは落ちた糸を指さした。
「何!?」
 アルベルトは慌ててそれを拾おうとする、しかしレインが止める。
「気をつけろ、只の糸じゃないぞ、『斬れる糸』だ。」


「こっ、れっ、で、良いですよ。」
 ぎゅうぎゅうに巻かれた指を見て、クラウド医院の医師・見習い・練習生…・候補の卵……・ディアーナは満足気に頷いた、しかし、
「なあディアーナ、指先の感覚が、どんどん無くなっているんだけど…。」
 レインは青紫になっていく指先を見せながら言った。
「はうっ、すみませ〜ん。」
 ディアーナは慌てて包帯を緩める、しかしその瞬間、指先から何かが「てろり」と顔を覗かせる。途端にディアーナが青ざめる。
「はう〜、血…?!はっ、うっ…。」
 そのまま派手な音をたてながら卒倒してしまう。
「なんだ、騒がしい!」
 その音に反応してか、奥の部屋から、この医院の医師トーヤ=クラウドが声を荒げるながら入ってきた。
「これで…、良いだろう。」
 見事、そう言うのはおかしいのだろうが、そう思えるほどのトーヤの治療の鮮やかさだった。(さきほどのを思えば、その思いも一入だった)
「どうも、ドクター。それより、どうかな?何か解るかな?」
 レインは、医療用の鉄皿の上にのせられた「例の糸」を見て、聞く。
「ん〜…、俺には皆目見当もつかんな…。」
 トーヤはピンセットで糸を弄びながら言った。
「しかし、まあこの糸についているのが、血である事は確かだな。」
「…とすると、やっぱりそいつが凶器である可能性が高いか…。そうだ、ドクター、患者の方はどうかな?」
 アルベルトは、さきほどトーヤが出てきた病室を指さし聞いた。
「傷の方は大分良くなった…、だがまだしばらくは安静にした方が良いな。」
「そうか…、じゃあ話を聞くのはまだまだ先だな。」
…………しばらく沈黙が続いた、やがて二人が立ち上がった。
「そろそろ行くか。」
「そうだな、じゃあ、ドクター。」
 レインは言いながら、慎重に糸を掴み、皮製の袋に入れた。
「ああ、じゃあな。そうだ、月並みだが身体には気をつけろよ、今回の事件の犯人は相当に危険そうだからな。」
「肝に命じておきますよ、それじゃ。」
 二人はそう言って医院を後にした、そしてあても無く歩きだす。
「おい、これからどうする?」
「そうだな、昼飯食って本部に戻るかな…。」
「そっか…、じゃあ俺はちょっと図書館に行って来るよ。」
「ほぅ〜〜〜。」
 アルベルトが目を細める。
「何だよ、その目は。」
「いや、何も。いやいや気にするな、隊長には俺からうまく言っておいてやるから、ゆっくりして来いよ。」
「何勘違いしてるんだよ、ただ『糸』の事を調べに行くだけだよ。」
 レインはじと目で睨むが、アルベルトは一向にその眼差しを変えない。
「照れるな、照れるな。じゃあ、うまくやれよ。」
 そしてアルベルトはそのまま行ってしまい、後にはレインが取り残された。
「全く、何々だ…。」
 レインは軽く地を蹴った。


「お〜い、イヴ居るか〜?」
 レインは貸し借り用のカウンターにもたれかかると、大声で呼んだ。
 しかし、反応は無い。ここには居ないのか?と思い、辺りを探そうとしたレインだが、
「館内では静かにして頂けないかしら。」
 振り向くと何冊かの本を持った、恐い顔のイヴが居た。
「あっ…、ごめん。」
 レインは素直にあやまった、
「解ってもらえたのなら良いわ。それより、私の事を呼んでいた様だけど何か用かしら?仕事中だから、手短にお願いしたいわ。」
 イヴはカウンターに本を置きながら言う、昼間とはうって変わっての淡泊な態度だが、レインにはこれが彼女の仕事の顔であることが解っていたから、何の動揺も無く用件を伝える。
「これを…、ちょっと見て欲しいんだ。」
 腰に提げていた袋の中から、例の糸を取り出しカウンターにのせる。
「何かしら?」
 イヴは出された糸を間近で見ようと、何気なく手を伸ばした。
「痛っ。」
 思わず手を引くイヴ、見ればレインのように指先を切っていた。
「危ないから気をつけっ……て、遅かったか…。」
「そういう事は先に言って欲しいものね。」
 イヴは軽く怒る、しかしレインはその声を無視して、その手を取った。
「あっ…」
 抵抗する間も無く指を吸われ、イヴは軽く吐息をもらした。レインはそんな様子にも気付かず、口を放すとハンカチを取り出し、巻く。
「洗ってあるから大丈夫。」
 先に言っておくレイン、イヴは怒りも忘れ軽く頬を染め、
「ありがとう…。」
 と言った、レインは返事の代わりに軽く微笑んだ。
 レインは落ちた糸をカウンターにのせた。
「あら、これは…。」
「知っているのか?」
 レインが思わず身を乗り出す、しかしイヴはしばらく見入った後、静かに首を振った。
「残念だけど…、私が知っているのとは少し違うようだわ。」
「そっか…、じゃあイヴが知っているのを教えて貰えるかい?」
「ええ、良いわよ。」
 イヴは言いながらカウンターの内に入って行く。レインもよりかかる。
 今度は慎重に糸を扱い、しばらく観察するイヴ。
「これは…、ああ…、なるほど…。」
「何か解った?」
「そうね、これが私の知っている物に確かに似ているという事なら。」
「イヴの知っている奴はどんな物なんだ?」
「私の知っているのは、これに似た特殊な、そう普通の糸とは比べられないほど丈夫に、そして柔軟に作られた糸。
それは、父が人形作りの為に、自ら作り出した糸。」
「見るだけで解るのか?」
「そうね…、ここを良く見て。」
 イヴが血の染まっていない部分を指す、レインは言われるままに目を近付ける。
「解るかしら、微妙に透けているのが。」
 なるほど、言われてみればとレインも気付く。
「ああ、うん、確かに。」
「私が知っているのは『硝子草(ギヤマン草)』という植物を利用して作った物。私の見た所、これも同じ草を使っているみたいだけど…、これには金属も混じっているわね。」
 レインは更に目を近付け、良っく目を凝らす。しかし、首を傾げる。
「……?見ただけで良く解るね。」
「これには不自然な光沢が有るわ。」
 光に当ててみる、なるほどなるほど、金属光沢に似た光を放っている。
「なるほど…。」
 レインは心から関心し、何度も頷く。
「それにしても、これがどうかしたの?どうやら、何かいわくつきのようだけ…ど…、あら?」
 イヴはその時になって、糸の片端が奇妙な色に染まっているのに気付いた。
 レインは「ハッ」として、慌てて糸をしまった。
「いや、何でも無い、何でも無いんだよ。」
 目を細めるイヴ、
「それにしては、随分と熱心だったようだけど…。」
「いや、その…」
 弁解しようとしたが、うまい言葉が思い浮かばない。
 その時、幸いと言うのにはおかしいが、急にレインは足元から力抜けるのを感じた。
「あれ…?くっ……、」
 思わず膝をつくレイン。
「どうしたの?大丈夫?」
 イヴが心配をして、声をかける。
「大丈夫、ちょっと目眩がしただけ…。」
 曖昧な笑みを浮かべながら立ち上がるレイン。
「本当に?仕事が忙しくて、きちんと睡眠をとっていないのではないの?」
 レインの笑みがひきつる、図星だった。
「そんな事無いよ、本当、本当。」
 レインは皮袋に糸をしまうと、そそくさとその場をあとにした。
「本当に…、大丈夫なの…?」
 走り去って行く後ろ姿を見つめ、イヴが呟いた。
 その心配がとどいたかどうかは解らないが、その日は何事も無かった…。

「ふぅふぅ、はあ〜。」
 図書館から離れた所で息を整えるレイン。
「くっ、迂闊すぎるぞ!」
 レインは自らを叱咤する。
ーもしも、もしもイヴが今の事で事件に関わって、もし襲われでもしたら、どうするんだ!ー
 一瞬そう思うが、次の瞬間には心配症にもほどがあると苦笑する。
 だが、何故だかその意味不明の不安を拭い去る事のできないレインだった。

 事件での数少ない解っている事、被害者は全員が黒髪の女性だった…。


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