中央改札 悠久鉄道 交響曲 感想

天の繰り糸4「再会という出会い」 雨水 時雨(MAIL)

 鏡の前に立つ。
 己の姿が余す所無く、隠す所無く写る。
 彼女は少し顔をしかめる。
 彼女は鏡が嫌いだった、ある時から。
 正確には鏡に写った自分が嫌いだった。
 目の前の自分、人の形はしているが人では無い、異形の者。
 彼女は中途半端な自分が嫌いだった。
 今は…、それでも鏡に写った自分はあまり好きでは無い、それでも受け入れる事はできるようになった。
 それは彼のおかげだ、と彼女は思う。
 彼の瞳に写る自分は、自分以外の何者でも無く、多少の差異など、その瞳の中では無意味だった。
 彼女は彼の瞳が好きだった。

       『再会という出会い』

 彼はここ最近寝不足である。
「……ン、…イン。」
 それは仕事が忙しい所為もあったが、実はそれ以外にもある理由があった。
「…イン、レイン。」
 まあ、何にせよ、彼にとって睡眠時間はとても貴重なものであり、
「レイン、レイ〜ン!」
 昨夜も捜査に大忙しで、夜遅くにやっと帰って、やっと眠れたのだ。
「レイ〜ン!レ〜イ〜ン!!」
 よって、彼は意地でも眠ることにした。
「くそっ、起きねぇ気だな…、だったらこっちにも手段があるぞ。」
 自警団団員寮、レインの部屋の扉の前、レインを起こそうと必死になっている「誰か」は小さく呟くと何事かを決意した。
「無駄だよ…」
 夢現で廊下の声を聞き、寝言なのか区別のつかない声をだすと、レインは再び意識を闇へと沈めた。
 が、しかし、
「おいアル、レイナードはまだ寝ているのか?」
 その声にレインの意識が一気に現実に引き戻される、ガバリとベッドから起きる、同時に冷や汗が滝のように流れ落ちる。
「あっ、隊長…、それがいつも通り、困った奴ですよ。」
 友の何のフォローの無い一言が聞こえてくる、レインはもう気が気で無く、取る物も取らずに扉を開けた、幸い昨日は帰ってベッドに直行していた為、着る物は着ていた(ちょっと臭うが…)。
「レイナード=ティーノグート、只今起床しました。遅れて申し訳ありません。」
 レインは部屋を出るなり、直立不動で叫んだ。
「…………………………………」
 しかし、いつまでたっても来るべき恐怖の叱責はやって来ない。
 レインは恐る恐る姿勢をといて、周りを見る。
 そこには…、にやけたアルベルトが立っているだけだった。その手には「コロッケ君」と書かれた、おかしなメガホンが握られている。
 レインの頭に、最近発売されたという人の声真似をするマジック・アイテムの事が思い出された。
 レインが力無くその場に膝をついた…。

「今度やったら、お前を殺す…。」
 言いながら頭を抑えるレイン、寝不足の所為か少し頭痛がする。
「解った解った、今度はイヴの声でやってやるよ、それなら少しは寝覚めが良いだろう?」
 黙って腰の物に手を当てるレイン。
「冗談、冗談だよ…。」
 アルベルトは笑って宥める、レインは一度肩をすくめると、堪えきれずに大きな欠伸をした。
「ふあぁぁぁぁ、それにしても朝から何の用…………って、まさか!?」
 レインの顔が強ばる。
「大丈夫だ、新しい被害者は出てないよ。」
 アルベルトが忠告すると、レインはだらしなく弛緩する。
「じゃあ、何で朝からお前と散歩しなきゃならないんだよ…。」
「あっ、隊長がお前を呼んでるらしい。どうやら昨日の『糸』の事で話があるらしい。」
「あっ……」
 ふと立ち止まり思い出す、
ーそういえば…、昨日は報告もそこそこに帰っちゃったんだっけ…ー
「なるほど。」
 一人納得すると、先に行ってしまったアルベルトを追った。

「そういや…。」
 アルベルトが何気無く呟く。
「どうした?」
「そういや、ドクターが変な事言ってたなぁ。」
「何て?」
「被害者の顔に血を拭いた跡があったんだと。」
「!?誰が拭いたんだよ。」
 話の意味が取れない、それでもレインは一言質問する。
「それが、どうやら拭いたのは犯人自身らしい…。」
「…!!??」
 益々もって理解不能、ついには黙り込むレイン。
「変な話だろ?自分で傷つけといて、自分で血を拭いてやってるんだぜ?それで助けてやるのかと思えば、ほったらかし…、どういう意味があるんだ…。」
 レインもその行為について考えを巡らせていた、しかし、何の解答も出ない内に、二人は自警団の前に辿り着いた。
「異状者の精神は凡人には理解できないよ…。」
「そうだな…。」
 結局、そんな言葉でお茶を濁した二人だった。

 コンコンコン
「失礼します。」
 ノックをして隊長室に入っていくレイン、ひたり、入るなり前髪に何かが触れる。
「止まれ!」
 その時、リカルドがいきなり怒鳴りつけた。
 その声の迫力に、言われるまでも無く身を固くする。
 すると、「すっ…」と何かが目の前を横切った、気がした。
 しかし、それは気のせいなどでは無く、一瞬遅れてレインの前髪がパラパラと散る。
「な…」
 突然の事に声を無くすレイン、何とか冷静さを取り戻すと、状況を把握する為に視線を巡らす。
 目の前には白い紙が吊るされていた、入ってきた時ぶつかったのはこれだった。紙は不自然な形をしていた、しかし床を見ると、片割れと思われる物が落ちていて、レインはこれも前髪同様に切断されたのだと悟った。
 続いてレインはリカルドを見た、椅子に座っているリカルドは何処か気まずそうな顔をしていた、まるで悪戯の見つかった子供の様である、「隊長がこんな顔をする何て珍しい…」とレインは思う、しかしすぐにその理由が解った。
 リカルドの指から何かが垂れていた。
 それは目では捕らえ難いほど透明であったが、途中に不自然に色がついていて、それがその存在を知らせていた。
「隊長…、なに証拠物件で遊んでるんですか…。」
 呆れた様にレインが言った、そうリカルドは『例の糸』を持っていたのだ、無論先ほど前髪を切ったのはそれで、おそらく白い紙は試し斬りに使われたのであろう。
「いや、これは…、そのだな。凶器と思われる物がどういった物か調べていただけだ…。」
 リカルドはできるだけ威厳を込め、誤魔化しに入るが、レインには通じず疑いの目を向けた。
「ゴホン」リカルドは咳払いを一つし、場を変えようとする。
「それにしても、まさかこんな物をこの街で見るとはな…。」
 糸をしまいながら言うリカルド。
「こんな物って…、隊長知ってるんですか?」
「ああ、形状は違うが『鋼刃』の一種だろう。」
「『鋼刃?』」
 聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
「うむ、鋼糸とも呼ばれるかな、まあ呼び方は様々だ。金属を特殊な方法で糸状にしたもので、一部の手練れや暗殺者が使う。」
「とすると、今回の犯人はそういった連中というわけでしょうか?」
「否。」
 あっさりと否定するリカルド。
「あくまで似ているだけだ。それにこれは確かに形状は似ているが『鋼刃』とは別物だな。」
「つまり、それからは何の手がかりも無しってわけですか…。」
 がっくりとうなだれるレイン。
「それは、お前の報告を聞かなければ判断できん。」
 顔を上げるレイン、話題が急に本題に入り多少慌てたが、落ち着くと昨日手に入れた「糸」についての事を話した。
「なるほど…。」
 話を聞き終わり、リカルドは感想代わりに一つ頷いた。
「何か解りますか?」
「今の話だけでは、さっぱりだな。」
 がっかりとした顔になるレイン、だが、
「今の話だけでは、と言ったのだ。何にせよその糸が気になるな、もっと詳しく、できればルーク氏の作品と深い関わりが有る者の事等も聞き込んできてくれ。」
「はい。」
 レインは返事をすると共に、気合いを入れる為か背筋を一気に伸ばす。しかし、途端に目眩がし、少々よろけて机に手を付いた。
「どうした、大丈夫か?」
「何でもありません、大丈夫です、ちょっと寝不足で…。」
 リカルドが少し渋い顔をした。
「そうか…、疲れているかもしれんが今は頑張ってくれ。」
「はい。」
 レインは神妙に頷くと、部屋を出て行った。
ー皆、連日の激務で疲れがピークに達しているな…ー
 レインだけでは無い、少し自警団内を見回れば、多くの疲労した者が見ることができた、かく言うリカルドも疲れていた。
ーこの事件が終わったら、ゆっくりと温泉にでもつかり骨休みしたいものだな…ー
 気晴らしにそんな事を考えてみるリカルド。
ーその時は、もっと良い天気だと良いのだがなー
 外を見る、空一面を白い雲が覆っていた。


「お〜い、イヴ居る〜?」
 昨日の注意を忘れ、大声を出しながら貸し借り用のカウンターに肘をつく。
「図書館では、静かにして貰えないかね。」
 昨日と同じ注意を受け、反省をしつつ苦笑する。そして、振り向きながら声の主を呼ぶ。
「イ〜ヴ。」
 しかし、そこに居たのはイヴでは無く、図書館の館長であった…、驚きと恥ずかしさのあまり、何もできずにただ曖昧に笑うレイン。
「彼女は今日は休みだよ。」
 厳しい表情で何事も無かった様に言う館長、それは彼の恥ずかしさを一層大きいものにし、
「失礼しました…。」
 レインは一言残すと、図書館をあとにした。

 その後、美術館の館長に糸の事を聞いたり、武器店で聞き込んだり、その他にも色々と聞き込みをした結果、辺りはすっかりを夕闇に包まれていた。
「そろそろ帰ってきてるかな…。」
 イヴも最近では良く出歩くようになり、昼に行っても留守かも、と予想したレイン。流石にこの時間ならと思い、足を向けた。
 ドン、ドン、ドン、ドン
 屋敷の扉をノックするレイン、
「お〜い、お〜い。」
 何度も声をかけるが、返事は無い。
「お〜…」
 もう一度声をかけようとしたが、人の通りが少ないとはいえ、人の家の前で何度も大声を出している自分の姿が急に恥ずかしく思え、不在と決めて諦めた。
「結局、今日も一日を無駄にしたわけか…。」
 屋敷に背を向けるなり溜め息をつく、その息もいつも間にか暗くなった街並みに吸われて消える。
「あ〜あ、このまま帰るかなぁ〜?どうせ何の進展も無かったし、本部まで帰るの面倒くさいし…。」
 足が寮へと向きかける、しかし、はたと止まる。
「でも、進展無しなら無しで報告しとかないと。勝手に帰ったら怒られるよなぁ…。」
 レインは道端で本気で考え込む。
「あ〜あ、何でこんな事で悩まなくちゃいけないんだろ…。何だか犯人の笑い声が聴こえてきるみたいだ…」
「…きゃ……………」
 その時、レインの耳に笑い声の代わりに悲鳴のようなものが入った。
「そうだ、いつかお前を見つけて『きゃ〜きゃ〜』言わせてやるからな!」
 姿無き犯人に思いを馳せていたレインだが、先ほどの声が幻想の産物ではなく、現実のものだと気付き、はっとする。
「近かった…」
 静かにその胸が高鳴り出す、気を落ち着かせる為に腰の愛刀に手をあて、レインは声のしたと思われる場所へ急いだ。

 辺りは静かだった。先ほどの声は、やはり幻想の産物だと思いそうになるレイン、だが何かの気配を感じた。
「……居る……」
 道と街路樹と背の低い草木、それしか辺りには無く、はっきりとした人の気配も無い、しかし何かがそこに居るとレインの肌は感じていた。
 ゴクリ
 極力抑えたつもりだったが、辺りが静かすぎる所為か、それともただ唾液の量が多かったのか、生唾を飲む音がやけに大きく聴こえた。
 周囲に気を配る、相手は何処だ?
 暗闇に目を光らせる、耳を、五感を澄ます。
 ………………しかし、何も感じない、相手の気配も、動く音も、姿も…。
 つつつ……
 レインの額を汗が伝う。はたして…、相手はすでに自分がここに居る事に気付いているのか?それ以前に相手は追い求める犯人なのか?自分の他に本当に誰か居るのか?
 緊張感が現実感を連れ去って行く、頭の隅から霧が湧いて思考が止まりそうになる。
「………!!!!」
 かっ!と自らに活を入れ直す、そして一度深く呼吸をする。
「ふうぅぅぅぅ。」
 頭の中の靄を出すかの様にゆっくりと息をはく。再び意識を集中させる。
ー居るー
 感じる、やはり確実に周りに何かが居る。
ーこうなったら根比べだー
 柄を力強く握り直す。
 そして、永遠という一瞬の時が流れる。
 カサリ…
 葉の擦れる音、風ではない。
 折角少し落ち着いた心臓が再び激しく鳴りだす。
 カサリ、ガサガサ…
 ドクンドクンドクン
 二つの音が頭を支配する。
「来た…」
 そう叫んだつもりだった、だがその言葉は熱い吐息の様にもれただけだった。
 何より先に視線を走らせる、低木の葉の陰から現れる人影、その出現を察知していたかの様に体の向きを代え、その独特の剣の刀身を鞘の中で走らせる。
ー抜けば珠散る氷の刃ー
 街灯の発光の下、白刃が閃きかける…が、その手が何故か急に止まった…。
 陰から出てきたのは、黒髪を振り乱した、おそらく女性だった…。
 その者はうつむき加減で、ふらふらと足元がおぼつかず、まるで夢遊病者の様にレインに近づいてきた。
 レインが呆然と見つめていると、女は少しづつ、何とか近づいてきた、が、何かに躓いたのか大きくバランスを崩し倒れこんできた。
ーしまった、被害者だったのか!ー
 レインは慌てて駆けより、抱き止めた。
「…ごめんなさい…」
 その女を抱いた時、ふと聞き覚えのある声の呟きが耳に入った。
 しかし次の瞬間、何かが首に巻き付いてきた…。
 レインは己の迂闊さを本気で呪った…。
「く…そ……」
 服の上からでも、細い物が首に食い込んでくるのが解った、そしてそれは例の糸であると確信した。
 が、冷静に考える事ができたのもここまでで、糸はどんどんと締まってき、出血かはたまた窒息か、いずれにしろレインの意識が薄らいできた。
「………!」
 最後の最後、相手の顔だけでも見てやろうと、霞む目でレインが相手に顔を向けた。
 しかし、視界がぼやけて良く見えない、それでも何とか見てやろうと堪えていると、その相手と「目が合った」様な気がした。
「見つけた…」
 再び聞き覚えのある声がした、かと思うと、首を締め付けていた糸が急に緩んだ…。
 レインの意識は、しかし戻る事無く、むしろ加速度的に暗闇へと下降して行った。
「……………!!」
 遠くで誰かの声がした、そして強烈な光りを浴びせられた。
 レインは現実の光の中、意識の暗闇へと沈んで行った。
ーこれで…、ゆっくり、寝られるかな…ー
 負け惜しみの様に、そんな事を考えてみた…。


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